邪頭的日記


2006年12月16日

おそろしく久しぶりの更新である。この間に実の多くの出来事があったために、 まったく日記が書けなかった。11月のボルドー、ボンの旅、帰国してからネル ソン、タルモン、アンデルマンと相次いで外国人の訪問があり、その間に京都へ 行ったりして、まったく息をつく暇がなかった。よく自分自身が倒れなかったと 思う。外国旅行記が書けなかったのは残念であるが、今回は勘弁していただきた い。(これを書いた後、休日を利用して不十分ながら空白を埋めた。)

さらに特定領域研究に関わる行事の準備などしているうちに、あっという間に年 末を迎えつつある。恐るべき時間の速さである。自分がこなせる仕事量をもう少 しシビアに見直して、一つ一つをきちんとコントロールしなければいけないと思 う。そうしないと他人にも迷惑をかけてしまう。


2006年12月11日

午前中の研究室ゼミが終わってから、8CBの流動観察をするためにお茶大の今井 研を訪問する。やっぱり、サーモトロピック液晶とリオトロピック液晶は違うの ね。

深夜に先日投稿した生体膜の相分離の論文のレフリーコメントが送られてくる。 "The paper is interesting, well written and may interest a large number of people in the field."という前置きの後でいくつか質問があっただけなので、 とりあえず素直に喜んでいる。


2006年12月10日

今月の5日から10日までイスラエルのアンデルマンが首都大に滞在し、研究打 合せやその他でとても日記には書ききれないほど多くのことをした。私にとって は非日常の連続であった。金曜日には京大の山田君が訪問してくれた。土曜日の 晩には表参道ヒルズ、日曜日には八王子のうかい鳥山へ案内した。

学生の頃、アンデルマンは憧れの研究者の一人であったので、今こうしてわざわ ざ私を訪問してくれるのは実に有難いことである。彼も東京滞在を喜んでもらえ ただろうか?


2006年12月4日

今日はイスラエルのタルモンが首都大を訪問してくれた。Cryo TEMの世界的第一 人者で、セミナーでも電顕写真がふんだんに盛り込まれていた。実空間の実験は 説得力があるが、そこから何を引き出すかは難しい問題である。昼食は野猿街道 の車家で蕎麦を食べる。タルモンの滞在時間は非常に短くて、早い夕方には首都 大を後にして京都へ向かった。もう少しゆっくりと議論がしたかった。


2006年12月1日

生産研の羽田野さんを訪問しているハーバード大のデビッド・ネルソン先生の前 でセミナーを行うために、昼から駒場へ移動。ネルソン先生は一度、サンタフェ の国際会議でお見かけしたことがあったが、今回、実際にお話しができてとても 感激した。第一印象としては、非常に気さくな先生である。彼が球殻の座屈に関 する我々の論文を目に止めてくれていたおかげでこういう形になった。私のセミ ナーは1時間半程度で、ネルソン先生にはたくさんの質問をしてもらった。うー ん、さすがに本質的。

後半はネルソン先生ご自身のセミナーが行われた。内容的には三つの話題にまた がっていたが、どれも曲面上の格子欠陥(本質的にはトムソン問題)ということ で一貫していた。様々なパフォーマンスもあって楽しく聞かせてもらった。晩は 上北沢の居酒屋でネルソン先生を囲んだ。田中肇先生や宮下先生も同席されてい た。ネルソン先生は今日だけのための来日で、明日の早朝には韓国経由で帰国さ れるそうだ。私にとっては非常に光栄かつ貴重な体験であった。


2006年11月28日

京大に滞在中のアンデルマンに会うために昨晩、京都へ移動し、今日の午前と午 後にわたっていくつか打ち合わせと議論を行った。近況報告も含めて話すことは いくらでもある。途中で再び瀬戸さんと菱田君と一緒に議論する。夜には吉川研 でアンデルマンの歓迎会があったので、30分ほど出席してから東京へ戻った。


2006年11月24日

京大の瀬戸さんと院生の菱田君が首都大を訪れてくれて、脂質膜のアンバインディ ングに関する実験の話を聞かせてもらった。私の理論が役立てばよいのだが、ど んなものだろう?ラメラ・ラメラの共存が見えているのが私としては嬉しい。


2006年11月17日

今日の目玉トークはJuelicherとAjdariである。Riefは期待外れだった。 Kierfeldとパディはなかなか頑張っていた。研究会は午前中で終了。昼食後にド イツでポスドクをしている野口君と岩下君と別れの挨拶をする。彼らは日本のソ フトマターの将来を担う存在になるだろう。

夕方にボンの中心街に出向いてベートーベンハウスを訪れたが、時間を間違えて いたので中に入れなかった。前に一度来たことはあるが、少し残念であった。市 庁舎の近辺で土産物を買ってから、ヨーロッパ最後の夜をおいしいビールとシュ ニッツェルで締めくくる。これで全て予定が終わった。再びアムステルダム経由 で帰国する。

ヨーロッパのソフトマター研究者の層は厚い。しかし今回の旅行で確信したこと は、日本も十分に対抗できるレベルにあるということだ。ただし、彼らは長い期 間で作り上げた人的なネットワークや、新しい研究を作り出す枠組みを持ってい るので、この点は日本も是非参考にして、良い部分は取り入れる価値があるだろ う。今回の出張では特定領域の宣伝という目的もあったのだが、これに関しても ある程度認識してもらえたようなので、まずまずの成果であった。


2006年11月16日

今日の大物講演はYeomans、Bonn、Binks、Porteで、どれもかなり良い内容であっ た。オックスフォードのYeomansは初めて見るので、興味津々であった。日本人 では小泉さんと柴山先生の講演が午後にあった。柴山先生の"Super Gel"という タイトルは良いネーミングである。

夜のバンケットでは、Yeomans、Gompper、Juelicher、Ajdari、Olmsted、 Marrucci、Luらがいる円卓に座ることができたのでベストポジションだった。思 いっきり理論家のテーブルである。良く知っている人々とお話しができて、リラッ クスした楽しい時間を過ごすことができた。すっかり良い気分になってしまう。


2006年11月15日

今日からJuelich Soft Matter Days 2006に出席する。詳しくはこちらのページ を見ていただきたい。朝一番でピーター・オルムステッドに会う。有名人として はRussel、Marrucciらの講演があったが、内容はあまり印象に残らなかった。 Ballauff、Vliegenthartの講演は良かった。Cicutaのドメインの拡散の話は私の 研究と関係が深いので注意深く聞いた。うーん、私の理論の結果と合っていな い、、、

私の講演は最後で、一応、無難に終えることができたと思う。終わってから何人 かの人が個人的に質問しに来てくれた。講演の最後ではスライド1枚を使って特 定領域の宣伝をしたら、講演後にRSCの雑誌"Soft Matter"の編集者が詳しいこと を知りたいと名刺を渡してくれた。でも結局、英語のホームページを作るしかな いのよね。初日に講演を終えることができて気が楽になった。あとは研究会を楽 しむだけだ。


2006年11月14日

朝4時に起床して、ボルドーの空港へ向かう。当然ながらまだ真っ暗である。再 びアムステルダム経由でケルン・ボン空港へ飛ぶ。タクシーを使ってボンの郊外 のGustav-Stresemann-Institutに到着。1年10ヶ月ぶりのドイツである。フラ ンスでは英語が通じなくて苦労したが、ドイツではそんなこともなく、ドイツ語 も片言なら理解できるので、自分の居場所に戻ってきたような安堵感がある。

ホテルの自室でしばらく休憩して、インターネットに接続するためにロビーに行 くと、柴山先生と小泉さんに出会った。日本を離れてから一度もメイルのチェッ クができなかったので、メイルボックスが大変なことになりかけていた。そうこ うしているうちに、台湾のDavid Luにも会ったので、早速、学生と一緒に最近の 実験結果や共著論文について打ち合わせを行う。ゴンパーとも軽く挨拶をする。 夕食では岩下君や田中研のパディとも一緒になる。さあ、第二ラウンドの始まり だ。


2006年11月13日

午前中はIECBの小田玲子さんの研究室を訪問する。小田さんは大学の一年後輩で、 昔からお名前を認識していたが、アメリカで学位を取得され、その後、フランス で研究をされていたので、数年前にようやくお会いした仲である。(彼女のこと を知りたい人は、物理学会誌2002年7月号のご本人の記事を読んで下さい。) 研究所内を案内してもらい、さらに彼女の研究内容やフランスの研究制度につい て色々と教えていただいた。IECBの建物は新しくて、すべての環境が心地よくで きている。どうして日本の大学とこんなに違うのかしら?

小田さんはすでに半分以上、外国人であるような気がする。実際に外国滞在年数 の方が長い。海外でこれだけ明るくたくましく活躍している女性を見ていると、 まったく自分がちっぽけな存在に思えてしまう。私と同じ年代ですでに自分自身 のグループを率いていることを羨ましく思う。私も頑張らなくてはいけないね。 昼食は熊本大から来ている日本人の学生と一緒に、キャンパス内で美味しいフラ ンス料理をご馳走していただく。

午後はCRPPに戻って、生物の実験家(名前を忘れた)、ウイルスの座屈の実験を していたJ.-P. Michel、最後にダミエンに彼らの研究の話を聞かせてもらう。帰 る間際にはフレデリックがわざわざ挨拶に来てくれた。ボルドー最後の夜も気分 良くワインを飲んでから、橋の街灯でオレンジ色に照らされたガロンヌ川に別れ を告げる。


2006年11月12日

週末には特に予定がなかったので、美しいボルドーの街並みを散策する。土曜日 のショッピング街は大勢の人で混雑していたが、日曜日はひっそりとしていた。 日曜日の午前中はガロンヌ川沿いの朝市を楽しんだ。珍しい食材をいくつも見か ける。午後には現代美術館、ボルドー美術館、アキテーヌ博物館などを訪れたが、 こちらはあまり見るべきものはなかった。ダミエンからはボルドー郊外のワイン 畑へいくことを勧められていたが、こうしてのんびりと時間を過ごすことの方が 贅沢に感じられた。土曜日の晩はイタリアン、日曜の晩はフレンチを食べた。物 価はやや高い。すでに米が恋しくなっている。


2006年11月10日

朝9時にDamein van Effenterreがホテルに迎えに来てくれる。彼とは今年の6 月に韓国で会って以来である。今回訪問するCenter de recherche Paul-Pascal (CRPP)はボルドー第一大学のキャンパス内にあり、ボルドーの郊外に位置する。 ダミエンの車に乗せてもらい、9時半には研究所に到着。

私の訪問に合わせて、何名かの研究者との面会がすでにアレンジされており、そ の予定表を渡された。それによると、
10:00 - 10:45 Jean-Christophe Lodet(異方性粒子の界面吸着)
11:45 - 11:30 Carlos Drummond(薄膜の摩擦)
11:30 - 12:15 Cyprien Gay (粘着の理論)
14:00 - 15:00 私のセミナー
15:30 - 16:15 Laurence Navailles(転移ループの構造解析)
16:15 - 17:00 Achod Aradian (非線形レオロジー)
17:00 - 17:45 Frederic Nallet (粘着の実験)
となっている。順番に各研究者の研究内容を聞かせてもらうという形で、実際に やってみるとかなり疲れるが、情報交換のためにはとても効率的である。

私のセミナーでは、ダミエンの提案で「ラメラ液晶のレオロジー」、「球殻の座 屈」、「生体膜の相分離」の3つの話をした。すべての聴衆とそれなりに接点を 持てるようにという配慮である。自分としては少し散漫になった気もするが、ま あダミエンには良かったと言ってもらえたので、満足することにしよう。

晩はダミエンとフレデリック・ナレに市内のフレンチレストランに連れて行って もらい、楽しい時間を過ごした。「蝸牛」という英語がわからずに苦労したが、 「エスカルゴ」といわれてようやく理解できた。


2006年11月9日

昨晩のうちに成田へ移動し、昼前の便で成田からアムステルダムへ飛ぶ。4時間 の待ち合わせで、ボルドー行きの飛行機に乗り換える。現地時間の午後10時過 ぎに無事到着。タクシーを使って目的のホテル(Hotel des 4 Sceus)にたどりつ いた。ほっと一息つく。

とても喉が渇いたので、近くのバーでビールを一杯飲んでホテルに戻る。さすが にワインの本場だけあって、周囲にビールを飲んでいる人は全くいなかった。


2006年11月2日

今週の31、1日には長岡技科大の藤井さんに来ていただいて、界面活性剤系に おけるオニオン構造のレオロジーについてたっぷりと話を聞かせていただいた。 私が関心を持っているラメラ液晶のレオロジーとも密接な関係があるので、とて も有益な議論ができた。私にとってレオロジーの専門家に学ぶことは多い。

そろそろ来週の外国出張の準備を本格的に始めよう。今度の訪問はフランスのボ ルドーと、ドイツのボンである。ボンの方はこちらの会議。


2006年10月29日

先週は一泊二日でつくばの産総研を訪問した。出張すると案の定、仕事がたまっ てしまって、日記を書く余裕がなくなってしまう。イベント後で書きたいことが あるとき限って書けないのだ。産総研では、セミナーやその他でお二方に大変お 世話になった。大学とは異なる研究環境を見ることができて、有意義な訪問であっ た。


2006年10月20日

今週は昨年度まで交付されていた科研費の成果報告書をまとめる作業を行った。 これまでずるずると先延ばしをしていたのだが、年度末を迎える前に片付けてお かないと、あとで大変なことになりそうな気がしてきたからだ。見本を見ながら 作製したので、ある程度要領良くできたものの、かなりの時間を費やしてしまっ た。それでも、出来上がった200ページ近くの報告書を眺めていると、それな りの充実感を得ることができた。単なる自己満足だけどね。


2006年10月15日

液晶の8CBの関係で検索をしていたら、ColbyやHardenらの最近の論文を見つけ た。キーワードは"Soft Glassy Rheology"で、彼らも欠陥が関与するスメクチッ ク相のレオロジーに着目している。きれいな結果に感心した。昔からの知り合い であるHardenと再び興味が重なってきたのも嬉しい。


2006年10月14日

先週の連休から大沢先生の上記の本を読み始めて、今日、読み終えたところであ る。日本の生物物理の歴史が生き生きと語られていて、私にとっては非常に興味 深い内容であった。ご本人も「あとがき」で「じまん話」と書いているが、これ だけ研究がうまくいけば、さぞかし楽しい研究者人生であっただろう。大沢先生 の生物物理に対する視点や概念には、その先見性も含めて驚かされるものがある。 また、大きな研究の流れを作るために何が必要なのか、という点でも大いに参考 になる一冊だ。


2006年10月8日

これまでイグノーベル賞にさほど関心を払っていなかったが、今年の物理学賞は 「なぜ乾燥スパゲティが二つに折れないのか?」という内容で私の興味を引いた。 実際に論文をダウンロードしてみると、受賞者の一人はフランスのB. Audolyと いう非線形弾性論の研究者で、以前に別の論文を読んだことがあったため、親し みを覚えながら目を通した。実際の映像はこちらで見ることができる。

ただしそこで気付いたのは、スパゲティを砕くというアイディアが半年前の A. Belmonteの論文ですでに公表されていることだ。Audolyにも新しい視点があ ることは認めるが、先にスパゲティを取り上げたという意味では、Belmonteにイ グノーベル賞を出しても良かったのではないかと思う。もっとも、イグノーベル 賞をもらうことが名誉なのかどうかはわからないが、、、

ついでにBelmonteのホームページを見ていたら、ミセル溶液のダイナミクスの実 験などもやっていて、私の中での注目度が大きくアップした。彼のラジオインタ ビューも面白い。


2006年10月7日

近頃は何でもインターネットで入手できる便利な時代であるが、それが可能なの は予め知っているものに限られる。先日、八王子のTOWER RECORDS(日本では潰 れないのかしら)をぶらついているときに、たまたま店内で流れていたいた "Milk Bossa" (Flavour)というCDが一瞬で気に入って、その場で購入した。自分 のツボをヒットする曲がいくつか入っていて、しかも非常に洗練されたアレンジ が心地良い。自分の足で稼いだものには愛着がわく。


2006年10月5日

学生が8CBというサーモトロピック液晶の粘性を測定したところ、非常にきれい なシアシニングの振る舞いを示すことが確認できた。これまでにリオトロピック できれいなデータを得るのに苦労していたので、少し驚いている。しかもリオト ロピック液晶とは異なるスケーリングを示している。スメクチック相やラメラ相 では共通の普遍性があると期待していたが、話はそれほど単純ではなさそうだ。 今後の展開が読めなくなったが、これから本格的な研究が始まるということなの だろう。


2006年10月1日

物理学会から戻ったら、学内の仕事が待ち受けていて、9月はあっという間に終 わってしまった。千葉大への行き返りの電車の中で、佐々木俊尚著「グーグル  Google 既存のビジネスを破壊する」(文春新書)をざっと読む。人間社会が長 い時間をかけて作ってきたシステムが、Googleの出現によって簡単に崩壊してし まうところがいかにも面白い。


2006年9月26日

千葉大で開かれた物理学会に日曜日から参加した。一番印象に残ったのは、やは り最終日のシンポジウムで講演をされた大沢先生であろう。枯渇相互作用につい て人前で話すのは初めてということだったので、聴衆は大変貴重な経験をしたこ とになる。随所にユーモアがちりばめられた楽しい内容で、あっという間の30 分であった。話したいことはまだたくさんあるようだったので、別の機会を楽し みにしたい。大きな得をしたような気分で自宅に戻る。


2006年9月23日

最近は本を読む時間がなかなかとれなかったが、出張を利用して梅田望夫著「ウェ ブ進化論」(ちくま新書)を読んだ。インターネットが世の中のビジネス形態を 変えてしまったのは言うまでもないが、ある意味で人間のメンタリティをも変化 させているのだろう。またこの本を読んでGoogleという会社の目標設定の凄さに 驚いた。


2006年9月20日

午前中は山本さんの研究室を訪問して実験装置を見せていただいた。この研究室 はまだ立ち上がったばかりだが、これから新しいことが色々と出てくるだろう。 オランダにいるはずの水野君にばったり会ってびっくり。午後は太田先生と話を して、夕方には吉川研の学生3人の研究内容を聞かせてもらった。京都へ行くと、 純粋に物理に浸れるのがよい。23時に帰宅。


2006年9月19日

朝から京都へ移動して、京大の相転移・ソフトマターフォーラムでセミナーをし た。時間配分が悪くて、肝心な部分の説明を急いでしまったのが少し心残りであ る。実験の部分を担当してくれた院生は、よく頑張ったと思う。夜は先斗町で楽 しく飲んだ。


2006年9月16日

近所のホールで娘のピアノの発表会があったので、ビデオカメラを抱えて見に行っ た。こういうときの親は妙に緊張するものである。娘の演奏が無難に終わると、 ようやく私の肩の力が抜けた。

晩にはブラッド・メルドー・トリオの演奏を東京オペラシティへ見に行った。ピ アノが見えないという最悪の座席ではあったが、演奏自体は文句なく素晴らしかっ た。アンコールを含めて2時間半のぶっ通し演奏。メルドーのピアノはメロディー ラインの粒立ちが際立っている。彼らの演奏を聴いていると、ジャズという音楽 形態が現在も進化し続けていることが実感できる。ただし、メルドーの場合は連 続的な進化ではなく、革命的な進化だと思う。

最近はリリースされたばかりの"House on Hill"を聴き続けている。


2006年9月15日

ようやく特定領域研究「非平衡ソフトマター物理学の創成: メソスコピック系 の構造とダイナミクス」のホームページを立ち上げることができた。ここに至る までには実に長い間の準備と、多くの研究者の協力が必要であった。私が特定の 申請と関わり始めたのは息子の誕生とほぼ同時であり、その息子もすでに3歳に なった。これからが正念場であることは間違いないが、ようやくこのプロジェク トが動き出したことを素直に喜びたい気持ちである。1日に1回は見たくなるよ うなホームページ作りを目指そう。


2006年8月13日

先週の金曜日はサクレーのオルランが研究室を訪問してくれた。7年ぶりの再会 だ。午前中は自分の研究の話をして、午後は彼にセミナーをしてもらった。RN Aの折りたたみの話で、私は専門ではないので逆に面白く聞くことができた。夜 は自宅にオルランの家族を招いて、楽しい時間を過ごした。土曜日には彼らを新 宿に連れていった。

私はオルランの感性に親しみを感じる。なぜならば彼は大のジャズ好きだからで ある。自らもジャズピアノを演奏するし、息子もプロサックス奏者の道を歩むそ うだ。


2006年8月8日

数日前のブログにも書いた通り、研究室で秘書さんを募集しているが、話が全く 具体化しなくて困っている。と言うか、全然応募がないのだ。そこで昨日と今日 は広告を作って、近所の住宅でビラ配りをすることにした。学生に手伝ってもらっ て1000枚ほど配布した。皆さん、蚊に刺されながらも、よく頑張ってくれた。 これで何かレスポンスがあるだろうか?慣れない経験である。


2006年8月6日

水疱瘡の息子と家内は家に残して、娘と一緒に六本木ヒルズの森美術館へ「アフ リカ・リミックス:多様化するアフリカの現代美術」を見に行った。ほとんどの 作品が「???」という感じではあったが、気軽に見ていたので良い気分転換に なった。屋外ではアフリカの打楽器の子供向け講習会をやっていて、こちらも楽 しく参加した。当然ながらアフリカのリズムはとても奥深い。

六本木界隈は「私、金持ちよ」みたいな人があちこちにいて、人間ウォッチング も面白い。「人間の幸せとは何なんでしょうね?」と、つい考えてしまう。

今日は途中で足を捻挫してしまったのが大きな失敗。昨夏にイスラエルで派手な 捻挫をして以来、くせになりつつあるのが困る。それにしても、今のイスラエル・ レバノン情勢からすると、一年前にイスラエルに行っておいて良かったと思う。 今年では無理だった。


2006年8月5日

詳しい経緯は省くが、ハーバード大のネルソン先生が、我々の球殻の座屈に関す る論文に興味をもってくれているということを間接的に知った。ネルソンは昔か らずっと意識し続けてきた研究者なので、こういう形でつながりができたことを 素直に嬉しく思う。

今日は所用で都心へ出かけた。途中で新宿の紀伊国屋に寄って、Apacheの本を一 冊買う。研究室内でWebサーバーを立ち上げるつもりだ。

そう言えば、家では2歳の息子が水疱瘡になってしまった。それ以外の家族は全 員経験済みなので大した問題ではないが、今年こそはと思っていた家族旅行もし ばらくおあずけだ。


2006年8月3日

今週初めにお茶大であった土井先生の集中講義に行けなかったのは残念。理由は 二日間とも会議。出席した学生から断片的に話を聞いていた。それでも講義ファ イルがここからダウンロードできるのでありがたい。


2006年7月31日

午後の非常に長い会議の後に、卓球部の練習に顔を出した。まだまだリハビリ中 の身であるが、1時間ほど学生を相手に汗を流した。

私が学生の頃(20年以上前)のスタイルはカットを主体としたオールラウンド プレイであった。最近の卓球は攻撃のパワーやスピードが重視されており、守備 だけで相手に勝るのはなかなか難しい。用具の進歩も著しい。私のレベルが以前 には全く及ばないことを差し引いても、自分のプレイスタイルが卓球の大きな流 れの中で時代遅れになってしまったような気がする。それでもカットマンのプレ イは美しいと思う。


2006年7月30日

今日は家族で日本ハム対ソフトバンクの試合を東京ドームへ見に行きました。プ ロ野球の観戦なんて、本当に久し振りのことです。8歳の娘はまだ野球のルール を理解していないのですが、球場内の応援団の声援に乗せられて、なんとなくお 祭りのような楽しい気分になったようです。2歳の息子は野球そっちのけで、電 光掲示板に出てくる「ハムリンズ」という日本ハムのキャラクターに完全に心を 奪われていました。

試合は7対3で日本ハムが勝ちました。お父さんも小笠原とSHINJOのホームラン を見ることができて満足です。パ・リーグの試合にこんなにたくさんのお客さん が入るなんて、時代が変わったなと思います。これだけ多くの人々を魅了するプ ロスポーツは本当にすばらしいですね。自分がプロの研究者としてこれだけ他人 を喜ばせることができるかと、つい考えてしまいました。少し疲れましたが、た まにはこういう非日常的なイベントも良いものです。

今日はファミリーパパ風に書いてみました。


2006年7月26日

昨日はナレさんが研究室を訪問してくれて、午後にセミナーがあった。なかなか イメージのつかみにくい内容だった。水と油に両親媒性ブロックコポリマーを加 えたような系なのだが、低分子と高分子の組み合わせが事情を複雑にしているの だろうか。ナレさんも断定的な言い方はせず、かなりぼやかした表現を多用して いた。すっきりとした気分にはならなかったが、彼の研究に対する真摯な態度が 垣間見えるような気がした。また近いうちにどこかで会って、じっくりと議論を したい。


2006年7月24日

執筆がしばらく途絶えてしまったが、この間には実に色々な出来事があった。あ まりにあり過ぎて、ブログを書く余裕がなかった。特に7月14〜16日に京大 基研で行われたソフトマターの研究会では、多くの人に会って、様々なことを話 した。とてもブログには書ききれない。

ブログねたとしては最適だと思うが、最近、一大決心をして運動をすることにし た。とりあえず毎晩のジョギングと首都大卓球部の練習に週一回参加することを 目標にしている。すでに3週間程度は続いている。今回は専用の靴を買ったりし てかなり気合が入っているが、ブログと同じようにいつ息切れするかわからない ので、皆さんの監視の目が大切である。


2006年6月9日

今日は自分の口頭発表があった。しかしプログラムのほとんど一番最後だったの で、聞いてくれた人は非常に少なかった。発表自体はそこそこ。会議の運営には 色々と問題を感じた。

夜はファン・エッフェンテーレと学生と一緒に食事。開放感もあって深夜までバー でビールを飲む。


2006年6月7日

会議の中日である。今日の収穫はフランスのレアマーカーズとオランダのファン・ エッフェンテーレと知り合いになれたこと。二人とも論文で名前をよく知ってい た。物理屋が少ないので、ファン・エッフェンテーレとはすっかり意気投合した。

夜はバンケット。韓国料理でなかったのが残念。日本の一ノ瀬さんがポスター賞 を受賞していた。


2006年6月6日

朝一番のKimさんの講演は生体膜におけるイオンの透過性の実験についてであっ た。話の組み立てがしっかりとしていて、とても良い講演であった。ただし、自 由体積理論による解析という点がやや不満であった。今日の午前中は頭が重くて、 それ以外の講演はほとんど頭に入らなかった。午後のポスターでは、院生がそれ ぞれ頑張っていた。全体を通じて理論的な内容の発表が非常に少ないのが少し物 足りない。

夜は江南地区でカルビを食べる。


2006年6月5日

昨日レセプションで話したM. W. キムさんは、これまでKAISTで研究してい たが、最近ではKorea Institute for Advanced Study (通称KIAS) の所長の立場 も兼ねている。(ちなみにKAISTの所長はラフリンである。)KIASは京大の基研 のような研究であるが、Kキムさん自身は実験家であるにもかかわらず、数学者 や理論物理学者の組織を束ねる仕事をしている。「基礎研究を様々な外圧から守 るのが自分の仕事だ」と言っていた。

ケイラーは昨年の宇都宮での講演と全く同じ内容ではあったが、時間をおいて聞 いたせいか、ラメラとミセルの共存の問題をもう一度考えてみる気になった。表 面の粘弾性を測定をしているユの講演も印象に残った。

夜は東大門の近くで焼肉を食べた。


2006年6月4日

久しぶりの更新は韓国からである。"Surfactants in Solution 2006"という国際 会議に出席するために、院生2名とともにソウルを訪れている。

羽田から金浦空港までの飛行機は最初から最後まで揺れ続けて、読み物がしにく かった。空港からは地下鉄を乗り継いで、最寄駅まではスムーズに来れたが、そ れからホテルを探すのに苦労した。結局、歩ける距離ではないことがわかり、タ クシーを使って無事に"Hotel Seoul KyoYuk MunHwa HoeKwan"に到着した。こち らは汗ばむような陽気である。

一休みしてから会議のレセプションに出て、何人かの人と話をした。日本人の参 加者も多い。97年の基研の研究会で来てもらったM. W. Kimさんとも話ができ たのが良かった。部屋に戻って学生とダベる。彼らは海外旅行が初めてなので、 とても疲れた様子だ。

地下鉄の中の様子は日本と似ている。韓国の女性は日本より化粧気が少ない。ホ テルはソウルの中心部からかなり離れていて不便だ。一つ一つのサービスが全て 有料で、しかも値段が高いのも不満である。テレビを見ると、こちらでもワール ドカップで盛り上がっている。


2006年5月7日

ド・ジャン先生の来日中止の報はショックであった。正直に言えば、本当に来日 が実現するかどうかは半信半疑だったのだが、今回はさすがにここまで準備が進 んでいたので、まさかという気持ちが強かった。私も学生も集中講義を楽しみに していただけに大いに残念である。これでド・ジャン先生と対面する機会はもう ないような気がして、私にとっては寂しい限りである。お大事にしていただきた い。


2006年5月5日

ゴールデンウィークは専ら仕事の日々である。こういう時にしかまとまった時間 がとれないのである。それでも子供達がかわいそうなので、夕方は自分の気分転 換も兼ねて近くの町へ連れ出すようにしている。この三日間で橋本、八王子、聖 跡桜ヶ丘へ行った。今日は帰りに永山で広島風お好み焼きを食べて、少しリラッ クスした。


2006年4月30日

しばらく書かないと、色々なことがあって、結局何も書けなくなってしまうね。

イヴァン・パドゥア・トリオの"A Night in Tokyo"というCDを聴いている。硬質 な甘さが気に入っているピアニストの一人だ。演奏は溌剌としていて心地良い。 Body &Soulでのライブだったので、もしも来日を知っていれば見に行っただろう。

その他で最近入手したのは、ジョージ・ロバートの"Soul Seraching"。ピアノが ケニー・バロンでドラムがビリー・ハートだったのでつい手を出してしまった。 鳴らないアルトは困るが、鳴りすぎるアルトも困るかな。録音が良くない。


2006年4月20日

ここのところ、良い事も悪い事も含めて色々な出来事があったので、なかなか自 分の精神を安定的に保つことができない。このままでは、本来、自分がやるべき 仕事が進まないので良くない。子供にもしっかりと対応できていないのが気掛か りだ。なるべく早く軌道修正しよう。

今年は多くの外国人研究者が、首都大を訪問してくれる。いずれセミナー情報と してきちんとアナウンスするが、今日はサクレーのヘンリ・オルランから訪問希 望のメイルをもらった。8月の予定。何か接点が持てるかどうか楽しみだ。


2006年4月14日

「トラックバック」という意味がよくわかっていなかったのだが、田口さんが御 自身の日記で取り上げて下さったおかげで、ようやく少し理解したところである。 「かつて絶大なる人気を誇りながら消滅した好村日記」というお言葉で、再びや る気が出てきた。

とは言え、ここのところ精神状態があまり良くない。晩に妻とお茶をすすりなが ら、「自分にも人生を楽しめる時間が持てるだろうか」とぼやいていた。自分は さておき、子供の健やかな成長だけで十分に満足しなければいけないですよね。


2006年4月11日

これからソフトマターの本を執筆することになり、先週は出版社の人と具体的な 打合せを行った。ここで敢えてブログに書くことによって、自分にプレッシャー をかけることにした。さもなければ、どうしても先延ばしになってしまいそうで 心配なのだ。

実際に担当の方とお話しをして、なかなか難しいことを引き受けてしまったよう な気がしてきた。とは言え、有難い機会なので、全力を傾注して良いものを残し たいと思う。まずは、構想をじっくりと練ろう。


2006年4月5日

今日の内容は、読者にとってはあまり面白くないかも知れないが、滅多にないこ となので記しておくことにしよう。

以前に私が書いた論文が、"Adhesion of Polymer Vesicles"という論文で引用さ れており、彼らの実験結果がうまく説明できるそうだ。ごく最近、この新しい論 文を知って、とても嬉しく感じた次第である。

いくつか教訓的なことがある。私が論文を書いた時には、両親媒性ブロックを含 むマイクロエマルションが念頭にあり、粘着のことなど全く想定していなかった。 したがって、研究が何の役に立つかは予測できないということ。また、たとえ単 純な理論であっても、解析的な結果であれば実験家も使ってくれるということ。 今後もこの方向性で努力したいと思う。


2006年4月4日

背中を猫の爪で引っ掻かれたような気分になるマクリーン節に深くはまることは なかったが、マクリーン死去のニュースにはそれなりの感慨がある。残念ながら、 マクリーン本人を見る機会は一度もなかった。ニュースを知って"Demon's Dance" (Blue Note)を聴いてみたくなった。ウディ・ショー作曲の"Sweet Love of Mine"にほろりとする。

日記を書いていなかった間の今年の1月12日に、ピアニストの本田竹広も60 歳で亡くなった。私の人生に大きな影響を与えた彼については、いつか機会を改 めて書きたい。


2006年4月1日

3月後半は慌しい毎日であった。学会やその他で中断していた、論文のレフリー コメントを済ませてしまう。きちんとした論文であった。そろそろ頭を切り替え て、4月からの新しい体制での研究をスタートさせなければ。


2006年3月30日

松山で開催された物理学会から戻ってきた。

たくさんの人と話をしたが、その中で日記を再開して欲しいと言ってくれた人が 二人もいた。やはり読んでくれる人がいるのはありがたいことだ。


2005年12月18日(日)

台湾へ飛ぶ。 私にとってはアジアで訪問する初めての国だ。 目的はこれに 出席すること。 ホテルまでスムーズに辿りついた。 ホテルに着くや否や、David Luさんが迎えに来てくれて、すでに集まっている人達で 夕食する。


2005年8月23日(火)

夕方に成田に到着。 機中ではかなり寝ることができたので助かった。 それ以外はずっと「俗物図鑑」を読みふける。 10時過ぎに帰宅。

このたびのイスラエル訪問のキーワードは、「捻挫」と「ガザ」 ということでした。 おしまい。


2005年8月22日(月)

イスラエル出発。 空港での尋問は1時間近くに及び、最後はいい加減嫌になってきた。 パリまで4時間。 1時間の待ち合わせで成田へ飛ぶ。


2005年8月21日(日)

大学へ行く最後の日。 午前中は論文やファイルの整理をする。 途中でカントールが私のセミナーについて質問に来てくれたので、 ついでに最近の彼の仕事について教えてもらう。 午後は、ナノチューブの座屈の計算をしていた、化学科オデッド・ホッドと いう院生と1時間ほど情報交換をする。 最後にアンデルマンと二週間の総括をする。 アパートで最後の夕食。 レフリーレポートを一つ書く。


2005年8月20日(土)

安息日。 今日は愚息の二歳の誕生日なので、日本へ電話をかける。

テルアビブ美術館に勤めるディアマントの奥さんから、美術館の チケットを頂いていたので、午前中に行ってみることにした。 以前にも訪れたことのある場所だが、その時は小さな子供連れで、 落ち着いて鑑賞できなかった気がする。 モダンアート中心の展示を一時間ほど見て回る。 テルアビブ市街も見たかったので、徒歩で帰宅する。 荷物の整理やアパートの片付けを始める。 少し昼寝。

夜はアンデルマン夫妻が、ヘルツェリアの港に連れて行って くれた。 ここは彼らがヨットの講習を受けたところで、レストランや ショッピングモール、ホテルなどが立ち並んだリゾート街だ。 港を一周してから、イタリアンレストランで夕食をとる。 11時過ぎに帰宅。


2005年8月19日(金)

午前中に買い物を済ませて、大学へ向かう。 事情があって、アンデルマンが大学に来られなくなったので、 私が再び彼の自宅へ行くことになった。 そこで研究の打ち合わせをする。

それから、アンデルマン一家全員で「大波」という日本料理店へ行く。 久しぶりの醤油の味にほっとする。 アパートに戻ったのがまだ夕方だったので、海岸まで散歩をする。 私は地中海に沈む太陽がを見るの大好きだ。

夜は再びアンデルマン夫妻と「亀も空を飛ぶ」というイラン映画を 見に行く。 映像はきれいだったが、内容が戦争孤児に関するもので、気分が重く なった。 筒井先生の「俗物図鑑」(新潮文庫)で気分転換。


2005年8月18日(木)

午前中は静かに仕事。 アンデルマン、コズロフ、ディアマントと一緒にファカルティ・クラブで 豪華な昼食。 昼食後に自分のセミナー。 ヤコフ・カントールが聞きにきてくれた。 予定していたセミナーが二つとも終わって、肩の荷が降りた気がする。 夜、アンデルマンの自宅でガザ撤退のニュースを見ながら、最近の イスラエルの政治の話を聞く。

「東京大学のアルバート・アイラー」読了。 とても面白かったし、内容にも感心させられた。


2005年8月17日(水)

イベントの少ない静かな日だった。 午前中は書類に目を通して、アンデルマンとモデルの議論する。 昼食後もいくつかの論文に目を通す。 夕方に院生のアディ・シャフィールの話を聞かせてもらう。 その後で再びとアンデルマンと共同作業。 足首はかなり回復してきた。


2005年8月16日(火)

タクシーでレホボトのヴァイツマン研究所へ向かう。 早く着いたので、少し研究所内を散歩する。 こちらもとても懐かしい。 10時にサフランと面会。 11時からセミナー。 夏休み中にもかかわらず、10人以上の人が聞きにきてくれる。 サフランと昼食。

昼食後は、テネと彼の学生の話を聞かせてもらう。 それが終わってから、サフランの二人のポスドクと話をする。 再びタクシーで帰宅。 暗くなるまで近くのハヤルコン公園でくつろぐ。 疲れたので早く寝る。


2005年8月15日(月)

まだ自然に歩くことはできないが、バスを使って自力で大学へ行く ことができた。 午前中は計算を進める。 昼食後にコズロフとアンデルマンで、モデルの議論をする。 その後で、コズロフの部屋で彼の研究の話を聞かせてもらう。 アパートに戻って明日のセミナーの準備。 イスラエル滞在も残り一週間だ。


2005年8月14日(日)

足首の腫れはまだひかないので、アンデルマンと一緒にテルアビブ市内の イチロフ病院へ行き、レントゲン検査をしてもらう。 とりあえず骨に異常はないことが判明して、かなり安心した。 大学へ行って、昨日考えたモデルについてぼちぼち計算を始める。 スペインから戻ってきたコズロフと一緒に昼食をとる。 午後も計算を少し続ける。

今日は正式な休日ではないが、ユダヤ教の断食の日だそうで、大学で 働いている人はほとんどいない。 そのため早めに帰宅する。 いろいろな出来事が重なって、あっという間の一週間だった。

明日は、ガザ地区からイスラエルの住民が撤退を始める歴史的な日 である。 テレビでは朝から晩までこの話題を取り上げている。


2005年8月13日(土)

安息日。 午前中は来週のセミナーの準備や練習をする。 午後は混合膜のモデルを考えて、一つ良い着想を得ることができた。 夕方にアンデルマンがアパートに来てくれたので、1時間ほどモデル の話を聞いてもらう。 アンデルマン夫妻と彼らの家の近くのカフェをへ行き、軽い夕食をとる。 今日はとても蒸し暑い。


2005年8月12日(金)

朝起きると、足首はぱんぱんに腫れている。 午前中のうちに買い物を済ませ、アパートでしばらく待機する。 昼前にアンデルマンが来てくれて、足を医者に診てもらうために 救急センターのようなところへ行くが、そこでは診察をしてい なかったので、今日のところは病院へ行くことをあきらめる。 大学で少し仕事をする。

今日は日本の土曜日に対応する。 一旦、アパートに戻って昼食をとる。 かなり疲れていたので、しっかりと昼寝をする。 夜はディアマントの自宅で夕食に招待される。 かわいい盛りの子供が二人。 おいしいキッシュを御馳走になる。


2005年8月11日(木)

最初の緊張からくる疲れが出たようで、あまり集中力がない。 関連するプレプリントに目を通して、内容を検討する。 昼前にアンデルマンと一緒に、現在、建築中の彼の新居を見にいく。 高層アパートの9階から臨むテルアビブ市街と地中海の絶景は息を 飲むようだ。 海岸近くのアラブ・レストランで昼食。 独特の懐かしい味。

夜はアンデルマン夫妻がワインテイスティングに誘ってくれた。 ところが、会場へ行く直前に大学内でひどい捻挫をしてしまう。 足首がみるみるうちに腫れてきて、ワインテイスティングには行ったが、 正直なところワインを味わう余裕はなかった。 アパートに戻って、ひたすら患部を氷で冷やし続ける。 海外での怪我は精神的にこたえる。


2005年8月10日(水)

昨日、議論したことの一部をきちんと考えてみる。 定性的には良さそうなので、一つ取っ掛かりができたかもしれない。 午後はディアマントとお互いの研究の話をいろいろとする。 晩はアンデルマンの自宅で家族と面会。 軽い夕食を御馳走になる。 なごやかな雰囲気だ。


2005年8月9日(火)

午前中は仕事の環境設定。 ディアマントにも声を掛けて、三人でゆっくりと昼食。 屋外で食べたので暑かった。

午後にアンデルマンとこれからやることの打ち合わせをする。 私から大雑把な話題を二つ提供。 19時を過ぎてからアパートまで歩いて帰ろうとしたら、途中で道を 間違えてしまい、1時間近くかかってしまった。 へとへとに疲れた。


2005年8月8日(月)

久しぶりによく寝た。 すっきりとした気分で、再びバスで空港へ向かう。 テルアビブまでの飛行機は満席で、子供連れが目立つ。 セキュリティ・チェックは思ったほど厳しくなかった。 約4時間のフライトで無事にテルアビブに到着。

テルアビブ空港が完全に新しいものに変わっていた。 入国も意外と簡単で、拍子抜けするほどである。 迎えにきてくれていたハイム・ディアマントと半年振りの再会。 すぐに宿泊するアパートまで車で運んでくれた。 このアパートは6年前に生活した場所なので、懐かしい思い出が 一気によみがえってきた。

今朝、香港からイスラエルに戻ったばかりのアンデルマンがアパート に来てくれる。 彼は急な用事があったので、15分ほど話しをして別れた。 その後、近所のスーパーで一通りの食料を買い揃える。 再びディアマントとアパートで待ち合わせて、近くのレストランで 夕食をとった。 いろいろと身の回りの話をする。


2005年8月7日(日)

突然の更新である。 6年ぶりのイスラエル出張ということで、記録に留めておくことにした。

昨晩のうちに成田へ移動して、今日はパリまでのフライト。 いつものことながら、12時間半は長くてつらいね。 隣に座った若い男性は、イギリス在住の日本人で、食事中に何度か会話をした。 ジェット機の消音の仕事をしているそうだ。 持ってきた論文に目を通したり、菊池成孔の「東京大学のアルバート・アイラー」 を読む。 後者はかなり面白くて、しばらく楽しめそうだ。

パリは涼しい。 空港からホテルまでのシャトルバスの運転が荒くて、振り飛ばされそうになった。 ホテルのレストランで、よくわからないものを食べて寝る。


2005年4月29日(金)

久しぶりの更新である。ようやく書きたいことができた。

実はチャールス・ロイドが5月11〜14日に東京ブルーノートに出演する。 私にとっては待ちに待った公演であり、これまでの思い入れが変な形で爆発 しないかと今から心配である。 来日に合わせて新作"Jumping the Creek" (ECM)も発売されたので、こちらも 入手して予習は怠らないようにする。

正直なところ、現時点のロイドの演奏そのものに大きな期待はない。 上記の新作もそれほど良くない。 それでもロイドの存在を目の当たりにするだけで十分なのである。


2005年4月5日(火)

大槻ケンヂ「90くんところがったあの頃」(角川文庫)読了。


2005年3月27日(日)

岡留安則「「噂の眞相」25年戦記」(集英社新書)読了。 2005年


3月20日(日)

筒井先生の「文学外への飛翔」(小学館文庫)読了。 先生の役者としての凄さを思い知る。 2005年


3月18日(金)

長い時間を私と一緒に過ごした大学院生が、無事に博士を取得して、今日、 巣立って行った。 一つの区切りである。


2005年3月14日(月)

私は時々、サンバやボサノバの特定の曲にハマることがある。 ただいま、イリアーヌ・エリアスの"Kissed by Nature"に入っている、perereと いう曲がお気に入りなのだ。 何とも気持ちの良いハーモニーとコードチェンジである。 これまで、この人の音楽を真面目に聞いてみようという気にならなかったのだが、 このCDを聴いて私の中での評価がかなり上がった。 興味を持ってネットで色々調べたら、ランディ・ブレッカーと離婚した後に(ここ までは知っていた)、ベーシストのマーク・ジョンソンと再婚していることが 分かってさらに驚いた。


2005年3月13日(日)

昨晩から、筒井先生の「文学外への飛翔」(小学館文庫)の読み残していた部分を 拾い読みする。 私の求めていたのはやはりこれだった。 それでもさらに面白い本を求めて、夕方に橋本の書店まで出かけた。 大槻ケンヂの「90くんところがったあの頃」(角川文庫)と、岡留安則の 「「噂の眞相」25年戦記」(集英社新書)を買った。 まあ、結局は同じ路線である。


2005年3月12日(土)

午前中に後期試験の監督をやった。 今年は首都大学東京の最初の入試なのだ。 一体、受験生にはどのような影響や変化があったのだろうか。

最近、面白い本に巡り合う機会が減っていて残念である。 ドイツ出張前に買った「ドイツ人のバカ笑い −ジョークでたどる現代史」 (集英社新書)も寝る前にぱらぱらと眺めていたが、バカ笑いとはほど遠く、 バカにならないと笑えない内容であった。


2005年3月9日(水)

最近、溶液中の分子吸着のモデルを考えていて、ようやくすっきりとした 定式化ができることが分かって、何となくもやもやしていた気分が晴れた。 ただし、詰めることはまだあり、恐らくはすでに先人の考えたことに帰着する かもしれない。 まあ、それでもよかろう。


2005年3月8日(火)

同じ専攻の甲斐荘先生の最終講義に出席した。 「生体系NMRにおける安定同位体利用技術」というタイトルで、学問的な 内容はほとんど理解できなかったが、蛋白質の構造解析という競争の激しい 研究分野を垣間見ることができてよかった。 同時に、自分にはこういう研究はできないと強く感じた。


2005年2005年3月6日(日)

昨日までの三日間で、ようやく修論と卒研の発表会が終了した。 昨晩は研究室の打ち上げで、文字通り午前様となってしまった。 もう若くはないので、夜更かしをすると翌日のダメージが大きい。

打ち上げで合った数名の人に、日記を続けて欲しいと言ってもらい、 正直なところ嬉しかったので、今こうして書いているところである。 私の日記ごときでわざわざ声を掛けてもらえるのは、本当にありがたいこと である。

今日は日曜だが、入試関係の教授会があり、午後から出勤。


過去の日記:
2005年 2月 1月
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2001年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月

2005年1月〜2月: ゲルマン的ソフトマターの旅編
2004年1月〜2月: ケンブリッジ滞在編
2002年8月: リーズ滞在編
1998年12月〜2000年3月: 不安なイスラエル日記