邪頭(じゃず)的日記
2002年8月


8月31日(土)[帰国日]

快晴。 朝日がきれいで、ビデオに収める。 リーズ発の飛行機は16時なので、午前中は時間が空いている。 掃除をして、家を来た時の状態に戻す。 最終的な荷造りを終えて、昼食用のサンドイッチを買いに出る ついでに、もう一度ブラッグの旧家を訪れる。

持参したパソコンはよく働いてくれた。 こうして文字を打ち込んでいると、愛着が湧いてくる。 帰国したら内臓バッテリーを交換してあげよう。

1時にオルムステッドが迎えにきてくれて、空港まで送ってくれた。 彼には本当にお世話になった。 彼はその足でロンドンへ。 アムステルダム経由のフライトは順調。 娘も機内で熟睡してくれたので助かった。


8月30日(金)[帰国まで1日]

昨日の計算は何かおかしい気がしてきた。

最後の出勤日である。 朝から曇っていて風が強い。 日本の11月の気候だ。 いつもは朝バスがなかなか来ないと、ついいらいらして しまうが、今日は不思議なことに早く来ないで欲しいと感じた。 バス停にぼーっと立っているのも悪くはなかった。

大学に着いてからは、 飛行機で読む論文をプリントアウトしたり、 コンピュータのファイルを整理したり、 大学から送る小包を作って発送の手続きをしたり、 日本方面のメイルの対応をした。 昼はオルムステッドといつものサンドイッチ(フォッカチオという らしい)を買ってきて、談話室で食べる。 皆さんの間ではギャンブルが話題になっているようだったが、 細かい内容は最後までわからなかった。

川上さんには余った調味料を引き取ってもらった。 午後はほとんど仕事をするでもなく、身の回りの整理をしながら 時間をやり過ごした。 オルムステッド自身も明日からドイツ出張なのでばたばたと している。 夕方に今後の研究の進め方について打ち合わせをする。 大学の鍵を返却。

天気は悪かったが、いつもより早めにハイドパークを歩いて 帰宅した。 途中でライスプディングを一つ買った。 こちらに来てはまった変な食べ物の一つである。

明日イギリスを発ちます。 次の日記の更新は帰国後になります。


8月29日(木)[帰国まで2日]

もうこちらでまとまった仕事はできないので、午前中はこれまで なかなか手がつかなかった原稿を書く。 これはこれで気分転換になって、なかなか楽しかった。 昼に一度帰宅して昼飯を食べてから、小包を郵便局に運び、 船便で発送する。 船便なのに値段が高いので驚く。 歩いて大学に戻る。

アメリカ出張から戻ったマクリーシュが久しぶりに大学に 顔を出したようだが、残念ながら今日でお別れである。 奥さんが書いたパイのレシピを手渡された。 (もちろん私の家人のため。) 彼と家族ぐるみの付き合いができたのはとてもよかった。

私が気になっていた物理のある問題を オルムステッドにたまたま話したら、彼も興味を示してくれて、 二人でごそごそ計算を始めることになった。 Mapleが思いがけずある級数を厳密に計算してくれたため、 一気に面白そうな結果が出てきて、二人ともやや興奮した。 (Mathematicaでは厳密に計算してくれなかった。) 滞在の最後に思いがけない進展がありラッキーである。

そんなわけで、帰宅がいつもよりも遅くなった。 夕食後に娘と家の前の庭でしばらく遊ぶのが日課になっている。 今日は家の周囲のいつもの風景が少し違って見えた。 娘はこの景色をいつまで覚えているだろうか。


8月28日(水)[帰国まで3日]

そろそろ帰り支度をしなければいけない。 大量にプリントアウトした論文を整理して箱に詰めたり、 包装用のテープを買ったりした。 コンピュータ部屋の改装が終わったので、私の机の上に あったワークステーションは持っていかれた。

晩はオルムステッドと川上さんを家に招いて食事をする。 名残惜しいが、時間は確実に過ぎていく。


8月27日(火)

今日は大学の休日。 そんなに長く休んでいても仕方ないので、普段通りに出勤する。 オルムステッドも朝から来ている。 ただし、他のスタッフはほとんど見かけない。 いつ研究しているのか、こちらが心配になるほどだ。

滞在も残り少なくなってきたので、いくつか結果をまとめたり、 オルムステッドと今後の大きな方針を議論したりする。 これまでのモデルでは説明しきれない部分をあれこれと検討する。 生物がらみの問題では、より現実に近づけようとすると モデルが複雑になり過ぎて、何が本質かわかりにくくなる。 このあたりの兼ね合いが難しい。

日本に送り返す荷物を入れる箱を買いに郵便局へ行った。 あまり大きなサイズの箱はなかった。 面白いのは、郵便局で菓子やジュースを売っていること。 今日は暑くて喉が渇いたので、コーラを買って飲んだ。

日本人ポスドクの川上さんの家に泥棒が押し入ろうとして、 ドアが壊されてしまったそうだ。 幸い未遂に終わったそうだが、ドアが修理されるまで外出が できないそうだ。 オルムステッドもマクリーシュも以前に泥棒の被害に遭っている。 このような犯罪が日常茶飯事だから、家にも警報装置が設置されて いるのだろう。 こういう話を聞くと、早く日本に帰りたくなる。


8月26日(月)[バンクホリデー]

銀行が休むという以外、何の休日だかよくわからない。 イギリス人にとっては大切な行楽日のようだ。

昨晩は深夜にかけて、ロックの屋外ライブがリーズで開催されていた。 地図で会場を確認すると何キロも離れた公園なのに、 かなりの音が聞こえてきた。 近隣の住人にとっては大変な迷惑だったと思う。 今日のニュースでは、会場の仮設トイレが放火されたと報じている。 どうりで昨日は警察のパトカーがたくさん巡回していたわけだ。

ブラッグ先生の家をお参りに行ったせいか、昨晩は少しよい思いつきが あったので、午前中は大学に行ってノートにまとめたりする。 相変わらず誰もいない。 ついでに大学のキャンパスや、建物の中をビデオに録画する。 大学は明日も休みだという。 これでは調子が狂ってしまう。

夕方にかけてリーズ市街の出かけた。 バンクホリデーということで、店がほとんど閉まっているのかと 思っていたが、実際はその逆だった。 休日にも店が開くようになったのは、サッチャー政権以降のこと なのだろうか? リーズ市街もこれで見納めだろう。 カフェでお茶を飲みながら最後の休日を過ごす。

遠藤周作「狐狸庵閑話」(新潮文庫)を読み始める。


8月25日(日)

いつもより遅く起きる。 午前中は大学に行って、確認のための数値計算をいくつか行う。 計算させている間に、こちらに来て知った洋書を何冊かアマゾン で注文する。 イギリスは明日が「バンクホリデー」という休日なので、 今日は連休の中日にあたる。 当然ながら大学では誰も見かけない。 イギリスの研究者は比較的のんびりしていると思う。

昼過ぎには帰宅して、家で昼食を食べる。 しばらく論文に目を通してから、家族で散歩に出かける。 今日はブラッグの旧家をしっかりビデオに収めた。 ウィリアム・ヘンリー・ブラッグが1910年から1915年 まで住んでいたと記されている。 今は大学のVIP用に宿泊施設として使われているが、建物に 人気はなかった。 家に戻ってブラッグも見たであろう景色を自分の家の窓から 眺めながら、彼のすばらしい着想に少しでもあやかりたいと思う のであった。

小澤征爾の「ボクの音楽武者修行」(新潮文庫)はあっという間に 読んでしまった。 海外留学という点では今の自分の立場と重なるところはある。 ただし、小澤征爾ほど成功すれば本になるが、私の場合はせいぜい 日記どまりである。


8月24日(土)[クリケット観戦]

クリケットのルールが気になったので、昨日、ネット上で調べて みたが、用語の問題もあってあまりよくわからなかった。 それでも収まりがつかなかったので、実際にクリケットの試合 を見に行ってみることにした。 たまたまヘディングリーで行われているイギリス対インドの 試合が、26日まで続いていることを知ったからである。

家から歩いて15分で競技場に着き、難なくチケットを入手する ことができた。 ただし大人が一人20ポンドはやや高いのでは。 国際試合だけのことはあって、荷物チェックなどかなり厳重な 警備体制がとられている。 今日の試合は朝の11時から始まり、夕方の6時まで続く。 途中で昼食とティータイムの休憩がある。 昼食の休憩中には、先週遺体で発見された二少女に対する 黙とうが会場全体で捧げられた。

さて、肝心の試合であるが、やはりちんぷんかんぷんなのである。 テレビと違って顔が見えないので、どちらの国が攻めているのかも よくわからない。 ただし、守備の間を抜けて遠くまで打てばよいというのは間違い なさそうだ。 そのたびに大きな歓声が湧き起こる。 ところが実際に見ていると、野球でいうバントがとても多く、 球技としてはどうもスリルがない。 観客も試合の緊迫感を楽しむというより、ピクニックをしながら 時々観戦をしているような状態である。 プレスリーの仮装をして会場を盛り上げている集団がいた。

さすがに6時まで試合を見ているわけにもいかないので、 途中で抜け出して、そこから歩いてカークストール・アビー とその近くにあるアビー・ハウス博物館を訪れた。 後者はビクトリア朝時代の商店街を再現した博物館である。 川のほとりにあるカークストール・アビーの一帯はきれいな 芝生の公園になっており、しばらくそこで時間を過ごした。

バスでリーズの中心街を経由して帰宅。 リーズの外に出なくても、結構楽しめるのである。


8月23日(金)[エバンスと面会]

天気は悪い。午前中は雨。コートがないと寒い。 仕事のパターンは昨日とほぼ同じ。 論文の修正はようやく終わりが見えてきたものの、 最後の難関がまだ残っているので肩の荷がおりない。

昼前にエバンスというポスドクと面会して、彼の最近の仕事 の説明してもらう。 エバンスがリーズ大学に来る前は、エジンバラ大学でポスドクを やっていたので、プーンやケイツらとコロイドの結晶化や多分散性の 仕事をしてきた。 基礎的なことを深く考えるタイプの研究者だ。

物理学科にいるもう一人の日本人ポスドクである川上さんから お誘いがあり、昼は大学のカフェテリアで一緒に食事をする。 彼も今週まで一時帰国していたので、お会いするのは初めてである。 カフェテリアを利用するのも初めてだ。 彼の日本での研究や、リーズでの新しい仕事について話を聞かせ てもらった。 タンパク質をAFMで引っ張るというもの。 こういう世代の研究者は野心があってよい。

その後、パラメータを動かしながら数値計算を続ける。 モデルのおよその様子はつかめてきた。 夕方、パブに誘われたが、少し疲れていたので断った。 その代わり歩いて家まで帰った。 日が暮れるのも来た時に比べると一時間近く早くなった気がする。 滞在もあと一週間。


8月22日(木)

大学に着いてまず論文の修正の続き。 その後、図書館へ"Journal of Fluid Mechanics"の論文をコピーしに 行ったが、この雑誌が物理ではなく数学のコーナーに置かれている ことを知らず、探すのに手間取った。 そう言えば、イギリスにおいて流体力学は応用数学の一部と見な されているはずだった。

部屋に戻って、昨日考えた方針でプログラムを書き上げて、 試行的に走らせてみる。 それはそれであっさりとできてしまったが、およそ気の利いた 方法ではないので、計算精度を上げようとすると非常に時間が かかってしまうのが問題である。 それでもなんとかおぼろげながらに相図を完成させたので、 今日の成果には満足である。

帰りのバスはかなり待たされた上に、ようやく来たバスは満員で 乗車させてくれなかった。 さらに待つのは面倒だったので、歩いて帰った。 時間さえあればその方がゆっくりと景色を見ることができて楽しい。

今日は家の近くのヘディングリーで、イギリス対インドのクリケットの 試合が行われたようで、夜のテレビでは何度となくその模様を放送 している。 しかし、この奇怪なスポーツ、さっぱりルールがわからない。 野球の感覚で見ていると、ピッチャーはボールばかりを投げ、 バッターはファウルばかり打っているように見える。 結局、イギリスとインドのどちらが勝ったのかしら?


8月21日(水)[ブッザと面会]

朝はバスがタイミングよく拾えて、8時に大学到着。 今日は都立大学の計算機センターのマシンが全て停止しているので、 メイルのやり取りができない。 まあ、せっかく外国にいるのだから、用事が追っかけてこない のも悪くない。

午前中は頭の痛い論文修正を行う。 その後でポリマーグループのマーチン・ブッザと二時間近く議論する。 彼はイギリス人とマレーシア人のハーフで、マイク・ケイツの もとでドクターを取得したポスドクだ。 ラングミュア膜の表面波に関する情報交換した。 昔、計算したことがあるラングミュア膜のケルビン・ヘルムホルツ 不安定性の説明をしたら興味を示してくれた。

午後は部屋が非常に暑くなった。 オルムステッドのプログラムをもとにして、新しい 問題用に書き換えようとしたが、やはり他人が書いたプログラム はどうにも扱いにくい。 異なる状況に対応するのが難しい。 結局、全く違うアルゴリズムを考えて、一から作り直すことにした。 とうことで、本日もあまり進展はなかったけれども、方針転換も進展 のうちだと思いたい。

小澤征爾の「ボクの音楽武者修行」(新潮文庫)を読み始める。


8月20日(火)[スミス、フーパーと面会]

朝は曇っていて寒かったが、午後から日が出て気温が上がった。 滞在期間の三分の二が過ぎた。 最後の滞在費を受け取る。

午前中はパラメータのチューニング用の数値計算をしてから、 オルムステッドの相図を計算するプログラムを解読する。 元々、高分子の結晶化の問題のために書かれたプログラムなので、 そちらと照らし合わせながら理解しないといけない。 いい勉強になる。

午後はオルムステッドと私以外に、物理のアレステア・スミス、 生化学のナイジェル・フーパーが集まって、ラフト研究の現状に ついて情報交換する。 例によって私はほとんど彼らの議論を聞いているだけであるが、 時々オルムステッドが気を利かして私に質問をふってくれたりした。 最終的には、ラフトの実験を専門に行うポスドクを雇うための 申請をすることになったようだ。 スミスとフーパーは私がポスドクだと思っていたのだろう。 私とはまともに話をしようとしなかった。

その後、帰宅するまでプログラムの変更を試みるが、内容を 理解するのに精一杯で、あまり進展はなかった。


オルムステッドに定期試験の答案用紙が届けられた際に、 イギリスの大学での試験のやり方を教えてもらった。 リーズ大学では、例えば6月に試験をするとすれば、2月までに 試験問題を完成させて提出しなければならない。 これはまだ講義が始まる前である。 その後、試験問題は他大学の教官によって適正なレベルか どうかチェックされる。

講義と試験が終わってからも、試験内容が講義でカバーされて いたか、きちんと採点したかなどの調べを受ける。 以上のプロセスを経て作られた学内の全ての試験問題は、 過去4年間にわたって、大学の所定の場所で販売されている。 こんな話を聞いていると、日本の大学の試験は極めていい加減で あるような気がする。


8月19日(月)

お盆があけたため、日本からのメイルも多く、朝大学に来てから しばらくの間その対応に時間を費やす。 研究の内容とは別の観点で慎重に考えるべき重要な問題もあり、 頭を痛める。 共同研究者から修正論文の問題点を指摘され、こちらも頭が痛い。

午後は2時からハムレーと化学科の彼のオフィスで情報交換。 彼がやっている最近の実験について教えてもらった。 どうしてこんなに手広く研究ができるのだろう。 ついでに彼が書いた、ブロックのCDSのレビュー論文もいただいた。 私の仕事も引用してくれているのでありがたい。 ハムレーは来日に関心があるようだ。

部屋に戻ってから、オルムステッドと学生のジェインの三人で、 膜の相分離の現状について打ち合わせを行う。 ジェインが行っているシミュレーションの内容も聞かせて もらった。 ジェインは来月から本格的にドクターコースに進学する。 オルムステッドはジェインに非常に丁寧に教えている。

夜は物理学科にいる、斉藤さんという日本のポスドクの方と 家で一緒に食事をする。 我々と入れ違いに一時帰国していて、先週またリーズに戻って きたらしい。 日本の若者も海外で頑張っている。

ハル大学のビンクスとは、結局スケジュールが合わず、 訪問を見合わせることにした。


8月18日(日)[マクリーシュ家訪問]

我々が住むカンバーランド通りの一本隣の通りに、昔ブラッグが 住んでいた家があり、今は大学のVIP用の宿泊施設になっていると いうことを、金曜日のティータイムにマクリーシュが教えて くれた。 それを聞いて興奮した私は、今日の午前中に隣の通りを歩いて 探してみたが、それらしい家は発見できなかった。

正午にトム・マクリーシュが車で家に迎えにきてくれた。 ブラッグの旧家の位置を再び訊ねると、私が歩いたのとは反対方向の 隣の通りであることがわかった。 それを言いながら、ついでに車で家の前を通ってくれた。 また後日、ゆっくり訪ねてみよう。 歩いて一分の距離だ。

それから車で30分ほど運転して、イルクリーのマクリーシュ 宅まで連れていってくれた。 途中までは先週、オルムステッドがヨークシャー・デイルズ に案内してくれたのと同じ道筋だ。 マクリーシュ家は子供が四人もいて(二歳から九歳)、家は子供達 にとってのパラダイスのようだ。 地下一階、地上三階の家を彼らに案内してもらう。

それから、ローストビーフ&キドニーパイをメインとする昼食を いただく。 デザートにはチョコレートムースとパブロアまでいただいて、 すっかり満腹になった。 昼食の後は、マクリーシュが子供達のために段ボールをつなぎ合わせて お城を作ってあげるのを手伝った。 うちの娘も含めて子供達は大喜びである。 マクリーシュは明日からボストンへ出張するというのに、 子供の面倒をよくみている。

楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。 5時過ぎにおいとまして、イルクリー駅からリーズまで電車に乗る。 イルクリー駅で激しい夕立に見舞われたが、リーズに着いた頃には再び 晴れていた。 我々の家族にとって、生涯に残る楽しい思い出を作ることができた一日で あった。


8月17日(土)[休息日]

昨日まではセミナーのための緊張感が続いていたので、 少し疲れた。 今日は仕事をしないで気分転換と疲労回復に徹する ことにした。

昼前からリーズの中心街に出かけた。 ついでにリーズ駅のツーリスト・インフォーメイションにも立ち寄り、 そこでお土産なども少し買う。 今日は暑かった。 気温も30度近くまで上がった。 歩いているうちに睡魔が襲ってきたので、帰宅して昼寝。

高尾慶子の「イギリス人はおかしい」(文春文庫)を読み終える。 本人はユーモアのつもりだろうが、この人の文章には所々にとげが あって、やや不快な面もあった。 ただし、イギリスの現状の問題点を指摘しているという観点で読めば 興味深い。 特にサッチャーによる保守党政権時代から、現在の労働党に交代 するまでの間、国民生活がどのような打撃を受けたのかという記述が 印象に残った。


二少女行方不明事件は、最悪の結末を迎えた。 早朝に28歳の男性と25歳の女性が逮捕され、午後には二少女 (ともに十歳)の遺体も発見されたらしい。 逮捕された二人は学校関係者ということで、イギリス国民にとっては 二重のショックのようだ。


8月16日(金)[セミナー当日。ハムレーと面会]

7時起床。 朝、私がお茶の準備をしていると、オルムステッドが階段を 駆け上がってくるなり、「生物は進化の過程で相分離 の臨界点をうまく使ってきたのではないか」と主張してきた。 「マッコネルが同じことをすでに論文に書いているよ」と答えたら、 少し残念そうだった。 ちょろちょろとセミナーの準備。 適当にあきらめて、簡単な数値計算をして自由エネルギーの 振る舞いを調べる。

昼はスタッフルームで化学科のイアン・ハムレーと初めて 面会する。 実は彼の著書"Introduction to Soft Matter"の日本語訳が、 この秋に出版される。 私はその翻訳メンバーの一人で、全体のとりまとめも行っていた 関係で、ハムレーとはこれまでに何度かメイルのやりとりをしてきた。 翻訳の進行状況を説明したら、嬉しそうであった。 実際に会ってみると、想像していたよりクールな印象を受ける 人であった。

そしていよいよ午後2時からセミナー。 夏休みであるにもかかわらず、20人程度が出席してくれた。 あまりうまく話せたという気はしなかったが、崩壊しない程度 には落ち着いていたようだ。 話している途中での質問が四回、話し終わってから五回程度あった。 終わった後、オルムステッドが「クリアだった」と言ってくれたので 少し安心した。

私としては、ブレレトンが聞きにきてくれたのが嬉しかった。 彼も最後に質問をしてくれたが、その内容は全く予想を超えた もので、その時点では何を意味しているのかさえも理解できなかった。 ただしその何ともいえない変な感じが、私にとっては妙にわくわく させられるものであった。 マクリーシュも建設的な意見を言ってくれた。 いずれにせよ、とりあえずお役目御免である。

今日は快晴で暖かったし、セミナーも終わって気持ちもすっきりしたので、 夕方はオルムステッドについて大学近くのパブに行った。 途中でサッカーの話題になり、皆が稲本や中田を知っているのには少し 驚いた。 相変わらず会話は聞き取れないが、ビールを飲みながら、だらだらと その場の雰囲気を楽しんだ。


明後日の日曜日に、マクリーシュの自宅に招待された。


8月15日(木)[セミナーまで1日]

目覚まし時計が鳴らず、8時起床。 それでも9時には大学に着いた。 セミナーの準備は少し飽きてきた。 直前になると開き直ってしまう。 明日はむしろセミナーの雰囲気を楽しむつもりでいよう。

オルムステッドが脂質・コレステロール系の関連論文を新たに どっさりと見つけてくる。 アメリカのサラ・ケラーに直接メイルで問い合わせたらしい。 このような緊密な情報網が欧米の研究者の強みだ。 物理以外のほとんどの論文も、オンラインでダウンロードできるので ありがたい。

昼食を新しい談話コーナーで食べていたら、マクリーシュがやって きて雑談になった。 途中でだんだんと物理の話題になり、ホワイトボードに式を書き ながらの議論になった。 二次元ドメインの弾性率が周囲のドメインと異なる場合に、長さのスケールが 出てくるかという問題設定だった。 私は議論の行方を見ながら少し口をはさむ程度である。 マクリーシュの論理の進め方をじっくり観察した。 オルムステッドは頭の回転が速い。

夕方、学科内の改装工事に伴ってネットワークが停止してしまった。 ワークステーションもNFSを使っているので、仕事にならない。 いつもよりも早めに引き上げた。 夕食後に散歩を兼ねて近所のスーパーへ買い物に行く。

ハル大学のビンクスからは返事がこないんですけど。


8月14日(水)[セミナーまで2日]

生活のパターンが定着してきた。 午前中はしばらくセミナーの準備。 午後はモデルの解析。 こちらで初めて数値計算をしてみた。 サンドイッチを買いに行ったついでに、 朝日新聞の国際衛星版を入手する。 インターネットのおかげで、ありがたみが少ない。

午後はユニバーシティ・ユニオンという、日本の大学の生協のような ところを見学する。 通常の売店の他にも、本屋、美容室、眼鏡屋などもあり、 それぞれが充実している。 売店はちょっとしたスーパーのようだ。 それ以外にも、ゲームセンターやビリヤード、バーなどもあるので驚く。 大学は単に学問をするだけの場ではなく、学生にとって大切な社交の場 でもあるということだろう。

大学のキャンパスを歩いていて目につくのは、東洋人学生の多さである。 ほとんどは日本人ではなさそうだ。 夏休みの間だけの語学研修に来ているのであろうか? 少し異様な気がする。

今日はオルムステッドにいくつか重要なことを教えてもらった。 まず、液晶系のような一次相転移を示す系に外場が加わると臨界点 が現れるというのは、恥ずかしながら、今まできちんと認識して いなかった。 もう一つは相図の数値計算の仕方である。 オルムステッドの過去のプログラムを見せてもらう。 非線形方程式の解を求めるルーチンを使っている。


最近のテレビのニュースでは、ケンブリッジ近郊で起こった、 二少女行方不明事件を連日扱っている。 新聞の一面もこの事件で埋め尽くされている。 行方不明になったのは8月4日。


8月13日(火)[セミナーまで3日]

昨晩は早めにベットに入ってよかった。 7時起床。 朝は曇っていたが、午後から晴れて気温は上がった。 午前中は二時間程度セミナーの準備。 と言っても内容ではなく、むしろ英語の言い回しの確認。 部屋の窓の取り替え工事が行われていて少し落ち着かない。 滞在費の一部を受け取る。

ハル大学のビンクスに、研究室を訪問させていただきたい、 という旨のメイルを送る。 リーズから列車で一時間程度の距離だろう。 全く会ったことがない人なので、果たして返事がくるだろうか。

午後は引き続きモデルの検討を行う。 今日は主に私が主張しているカップリングを大雑把に調べたが、 かなりノントリビアルな振る舞いをしており、しかも実験と 定性的に一致する相図も再現できるので期待できそう。

夕食後、家族で家の周辺を散歩する。 何の変哲もない住宅街であっても、緑が豊かなので我々には楽しめる。 後で人生を振り返って、あの時はよかったと思える時間かもしれない。


一昨日、ヨークシャー・デイルズのパブでオルムステッドと 昼食をとっている時に、イギリス人の英会話がほとんど聞き取れ ないということを正直に告白した。 すると、彼もイギリスに来た当初は難しかったと言っていた。 今でも彼のお父さん(アメリカ人)がイギリスに来ると、 オルムステッドが「通訳」をしないといけないそうだ。 聞き取れないことには変わりないが、この話を聞いてかなり安心した。


8月12日(月)[セミナーまで4日]

7時起床。昨日の疲れがやや残っている。 朝一番にオルムステッドと先週のモデルの検討をして、 彼が別のカップリングを主張した。 要検討である。

その直後にトム・マクリーシュが部屋に来てくれて挨拶をする。 彼は同じグループの若い教授だが、5年間教育をしなくてもよい というフェローシップをもらって基本的に家で研究をしているため、 先週などは大学に一度しか来なかったらしい。 日本でも是非取り入れたらよいシステムだ。 マクリーシュはケンブリッジ大出の、いわゆるイギリスの 超エリートである。 そう思いながら彼の言動を見ていると興味深い。

午前中は金曜日のセミナーの準備をしていた。 11時過ぎに、ラザフォード・アップルトン研究所の ペンフォルドという人が、オルムステッドとシアバンディング の議論をするためにやってきたので、私も聞かせてもらうこと にした。 昼はマクリーシュも加わって、大学のスタフルームと呼ばれる 職員用のカフェテリアへ行った。 相変わらず会話にはついていけない。

ペンフォルドらが帰った後は、セミナーの準備を続ける。 それが一段落してから、今朝オルムステッドが考えたカップリングについて 再度議論する。 自由エネルギー面の形を見るためにはMapleが非常に便利であること を教えてもらう。


8月11日(日)[ヨークシャー・デイルズ巡り]

今日はオルムステッドがヨークシャー・デイルズ国立公園を 車で案内してくれた。 「地球の歩き方」によると、イギリス人の七割が年に一度以上 この地を訪れて、スポーツ・ウォーキングを楽しむらしい。

10時過ぎに彼が家に迎えに来てくれ、天候を確かめてから、 リーズから北東の方向へ向かう。 イリクリーという町を通り過ぎたあたりから、 羊、羊、牛、羊、羊、羊、牛、羊。 40分程度でボルトン・アビーに着いて車を停める。 ここには古い修道院の遺跡がある。 隣の教会では日曜のミサが行われている。 見渡す限りの平原の中をしばらく歩く。 川辺で石投げをして遊ぶ。

再び車に乗り、グラシントンの辺りのレッドライオンという ホテルのパブで昼食を食べる。 オルムステッドは鹿、家人は羊、私は豚のソーセージを注文した。 休日で客が溢れていたのと、パブのカウンターに並んで注文する システムになっているので時間はかかったが、パブの雰囲気は 満喫できた。

その後ドライブを続けて、ひたすら 羊、羊、牛、羊、羊、羊、牛、羊、羊、馬。 途中で雨が降り出し、山道で娘が車に酔ってしまったので、 マラムを通過してリーズに戻る。 ちなみにマラムは「嵐が丘」の映画の舞台として有名らしい。 雨の中でもハイキングをしている人達がいる。

イギリス人の典型的な休日の過ごし方を体験したような気がする。


8月10日(土)

曇ってはいるが雨はやんだ。 いつもより少し遅めに起きて、とりあえず大学へ行く。 こちらの人は、土曜日は基本的に大学に来ないようだ。 たまたま今が夏休みだからかもしれないが、全体として あまりがつがつと研究をやっているという雰囲気ではない。 IRCでも誰も見かけなかった。 昨晩思いついた脂質混合系のモデルをノートにまとめ、 オルムステッドの机に置いてからお昼に帰宅する。

午後は買い物を兼ねて、リーズの中心街へ出かける。 聖ジョンズセンターでバスを降りてから、 シビックシアター、タウンホール、リーズ市美術館などを見学する。 美術館が無料であることに感心する。

それからショッピング街に戻り、ボーダーズという大きな本屋で イギリス全体の道路地図を買う。 店内にピアノが置かれていて、ジャズの生演奏しているのは なかなかおしゃれである。 娘は本屋の企画でフェイス・ペインティングをしてもらって ご機嫌である。 少し疲れたので、ヴィクトリア・クォーターでお茶を飲む。 マークス&スペンサーで一週間分のタンパク質を購入して帰宅。


こちらに来てから、高尾慶子の「イギリス人はおかしい」(文春文庫) を寝る前に少しずつ読んでいる。 イギリスでの実体験と重ね合わせて読むと実に面白い。 家庭に設置されている警報装置がいかに間抜けであるか、 マークス&スペンサーに代表されるイギリスの庶民的服装がいかに ダサいか(馬が着る服と呼ばれているそうだ)、トイレットペーパーは 最近になってようやく白くて柔らかいものになった、などなど。

私が感じるのはイギリス人の体型の悪さである。 若くして太っている人が多い。 しかも女性に目立つ。 食生活が悪いのであろう。 スーパーに並んでいる食品を見ていると納得できる。


イギリス人の英語が聞き取れないという劣等感は、いつの間にか 自分が本来持っている英語力さえも低下させているような 気がする。 当然表現できるはずの簡単なことも、実際に口にするまでは なんとなく心理的抵抗があるのだ。 英会話はメンタルな部分が大半だと思っている私は、 まさににその部分で壁にぶち当たっているのだろう。


8月日9日(金)

7時起床。 朝からしっかりと雨が降っている。 一週間前に我々がリーズに到着した時のような天気だ。 寒いので暖房を入れる。

モデルを少し数値的に調べたかったので、UNIXのアカウントを 作ってもらう。 持参したWindowsのノートパソコンにXのエミュレータをインストール したが、日本語キーボードを認識しないのでほとんど使い物にならない。

そうこうしているうちに、オルムステッドが私の部屋にSGIの ワークステーションを一台持ってきてくれた。 ちょうど夏休み中で、コンピュータ部屋の改装工事を行っており、 使っていないワークステーションがあったというのだ。 ということで、私の机の上には二台のコンピュータが置かれている。 ただし、十日間の限定使用。 パラメータを少しいじって、モデルの振る舞いを調べる。

オルムステッドは金曜日の夜には決まって近くのパブに行く。 私は遠慮したが、家に帰るためのバスを乗り間違えて、雨の中を たくさん歩くはめになった。 おかげで普段見ることのない風景を楽しめた。


8月20日に生産研で開かれるソフトマター 研究会のプログラムが できあがったそうだ。 手弁当でこれだけのものができればすごい。 参加できないのが残念である。 ついでにヨーロッパでの研究会を二つ紹介しておきます。


8月8日(木)

早いもので、こちらでの生活も今日でちょうど一週間目である。 7時起床。 日本の実家に架電。 午前中は日本での仕事に対応する。 ラフトの勉強が一段落していたので、いい気分転換になった。 午後はサフランの介在物誘起相分離の論文を読んだりする。 途中で集中力が落ちて、あまりよく理解できなかった。

リーズ大学の物理学科は、次の4つのセクションから成り立っている。

ソフトマターが全体の四分の一を占めているわけで、これは日本の物理学科 ではあり得ないことである。 言ってみれば、ソフトマターを取り巻くムードが違うのである。 物理学科全体についてはこちらを 見ていただきたい。

今日、建物の中を歩いていたら、リーズ大学の物理学科には昔、 父親の方のブラッグがいたことを知った。 彼が使った実験器具や、ブラッグの関係式が書かれている論文(のコピー) などが展示されているコーナーを発見したのだ。 ちなみに、ブラッグの関係式は"sin"ではなく"cos"で書かれていた。

そう言えば、日本の知り合いからいただいたメイルによると、一昨日、 私が談話室で話したブレレトンはその筋ではかなり有名な人らしい。 彼の代表的な論文などを教えてもらった。 無知とは恐ろしいものだ。 「自分は物理の理論家です」と自己紹介したところ、 「そうだろうと思っていた」などと言っていたのは、よく考えてみれば ただ者ではない証拠だったのかもしれない。 ブレレトンは自転車狂らしく、ツール・ド・フランスの追っかけ みたいなこともしているらしい。

私のセミナーは16日、来週の金曜日ということになった。


8月7日(水)

今日も7時に起床。 午前中は物理学科のスミス先生の下で、脂質膜のAFM実験を やっている李さんというポスドクの話を聞く。 中国人の李さんには失礼かもしれないが、彼はまだ英語がそれほど 堪能ではないので、イギリス人同士のほとんど聞き取れない会話に 泣かされている私にはとても議論しやすかった。

李さんはAFMの手法で、脂質とコレステロールの混合系の相分離現象 を調べている。 特にコレステロールのドメイン構造に対する影響に着目している。 この分野のことを勉強し始めたばかりの私とオルムステッドは、 初歩的なことも含めて色々と質問させてもらった。 勉強になった。

昼食はいつものサンドイッチを談話室で食べてから、 午後は李さんの実験をふまえて、もう一度論文をいくつか読み 直してみた。 以前よりも実験事実や考慮すべきポイントが頭の中で整理されてきた。 昨日のモデルも出発点としては悪くなさそうだ。

今日は同じグループで 無事にドクターが一人誕生したらしい。 学生がシャンペンで祝っていた。 なかなかいい光景だ。


8月6日(火)

7時起床。 生活のリズムが良くなってきた。 バス通勤も快適だ。 午前中はモデルを考えるために、いくつか心当たりのある 論文を図書館でコピーしてくる。 その後で、会計係のようなところへ連れて行かれ、 滞在費の一部を受け取る。

昼はオルムステッドといつものサンドイッチを買ってきて、 恐怖の談話室で食べる。 "BLT"が「ベーコン・レタス・トマト」を意味することを教わる。 ブレレトンという理論家と少し話す。 リングポリマーの絡み合いを場の理論で扱う研究(?) をしているらしい。

午後はオルムステッドとラフトを考える上での戦略を相談する。 こちらにきて目を通した論文をふまえて、明らかにすべき問題の 順序を説明する。 ついでに私が考えた、脂質・コレステロール二元系の簡単なモデル を提案してみた。 さあ、どうでしょう。


それにしても、イギリス人の英語はほとんどと聞き取れない。 正直なところ、英語でここまで苦労するとは思わなかった。 オルムステッドはアメリカ人なので、まだ問題が少ない のは不幸中の幸いである。


8月5日(月)

6時半起床。 下痢はやや回復。

大学への片道は2キロ程度あるので、ゆっくり歩くと30分近く かかる。 毎日パソコンを背負って往復するといい運動になるが、疲れて いるときにはややこたえる。 今日は試しにバスを利用してみると、かなり楽であることが わかった。 片道70ペンス。

午前中は脂質・コレステロール混合系に関するマッコネルの実験の 論文を読む。 最近の彼らの論文では、明確にラフトを意識している。 ただし、理論の部分はあまりしっくりこない。 まだやるべきことはあるはず。

来月からオルムステッドの下でドクターの学生となるジェインという 学生を紹介される。 ジェインの場合、ドクターとして4年間の期間があり、最初の1年目 を終えた段階である。 最初の1年間では、生物や物理などのいくつかの異なる課題を数ヶ月 ごとにこなし、その経験を通して自分の適正を決めるようになっている。 そのかわり、イギリスでは修士に相当する期間がない。

昼食は再びサンドイッチを買ってきて談話室で食べたが、相変わらず イギリス人同士の会話はさっぱり聞き取れない。 今日は会話の主題さえもわからなかった。 談話室恐怖症になりつつある。

午後はポールという、ディパートメントでネットワークに一番詳しい おじさんが部屋に来てくれて、ネットワーク・プリンタの設定を手伝って くれた。 ところが、2時間以上あれこれと調べてくれても結局解決しなかった。 ポールが帰った後で、新しいドライバをインストールしたら、 ようやくプリンタがつながるようになった。

夕方には図書館の使い方も教えてもらった。 大学全体としてソフトもハードも充実しているという印象を受ける。 うらやましい。


8月4日(日)[休息日]

7時起床。 昨晩はしっかりと睡眠がとれた。

朝食をゆっくりとり、日記やメイルを書く。 その後、バスを使って家族でリーズの中心部に出かける。 日曜日はほとんど店が開いていないものと思っていたが、 大きなショッピングセンターなどは開店していた。 ただし、開店時間は週日より短いようだ。

19世紀の建物と近代的なビルがうまく共存している中で、 デパートや店などが所狭しと並んでいる。 聖ジョンズセンター、アルダーズ、ブーツ、マークス&スペンサー で買い物をする。 その後、ヴィクトリア・クォーター、コーン・エクスチェンジ などのショッピング街を散歩する。 再びバスで帰宅して昼寝。

寝る前に「生体膜のダイナミクス」(共立出版)の中で、 八田先生が書いた章を読む。 これまでの不勉強を痛感する。 脂質膜中のコレステロールの役割をうまくモデル化したい。


8月3日(土)

6時起床。 下痢は続く。 おそらく精神的なものだろう。

朝は深い霧がたちこめていたが、日が昇るにつれて晴れてきた。 8時過ぎに大学へ行く。 建物のドアの鍵をうまく開けることができず、 また周囲に誰もいないので、途方にくれる。 あきらめてしばらく待っていたら、ようやく一人の男性が 出勤してきたので、事情を説明して別の入り方を教えてもらう。

午前中はラフト関連の論文の山に目を通す。 オルムステッドは買い物を済ませて、昼前にやってきた。 昼食は二人でサンドイッチを買ってきて談話室で食べる。 土曜日は非常に人が少ない。 夏休みで長期の休暇をとっている人も多い。 今日はティータイムがないので気が楽だ。

午後も論文を調べていると、ケラーの実験のプレプリントが 目にとまった。 それを読んで、彼女の以前の論文とラフトの関連性が見えてきた。 ラフトに対してどのような物理的アプローチを選ぶかが少し見えて きた気がする。 早速、面白くなってきた。

大学の帰りにはハイドパークを横切る。 今日は帰りに屋外ロックフェスティバルが行われていた。 リーズにきて初めてたくさんの人を見かける。 夕食を食べたら急激に眠くなり、そのまま就寝。


8月1日の日記で「日本の気温の半分以下だろう」という 記述は物理学者の書くものとしていかがなものか、という突っ込み のメイルをいただく。


8月2日(金)[リーズ大学初訪問日]

日本からヨーロッパへ移動すると、しばらくの間、朝早くに目が 覚める。 今日も5時半には起床。 あいかわらず雨は激しく降っている。 家にいても何も始まらないので、昨日オルムステッドに教えて もらった道順に従って、 8時過ぎにリーズ大学まで歩いていく。 私の滞在先はこちら

30分程度でオルムステッドのオフィスに着くと、彼はもう 仕事を始めていた。 私は彼と同室。 早速パソコンを接続し、鍵を受け取ったり、家の電話の接続 開始手続きなどを行った。 ブリティッシュ・テレコムのオペレータの英語はさっぱり 聞き取れなかったので、仕方なくオルムステッドに対応して もらった。

11時半になるとティー・タイムということで、スタッフが 集まる談話室へ行き、ここで何人かの人達に紹介された。 自分でお茶を準備してからあるグループに加わったものの、 彼らの会話には全くついていくことができず、単なる寡黙な 東洋人になってしまった。 それから間もなく昼食の時間になったが、 スタッフ用の食堂がリーズ近郊の洪水のために 閉まっており、学外へサンドイッチを買いに出る。

ネットワーク・プリンタの設定がうまくいかず、オルムステッド と一緒に試行錯誤を続けるが、結局あきらめる。 説明のためにいちいち日本語版Windowsを英訳しなければ ならないのは結構辛かった。 16時にもう一度午後のティー・タイム。 午前中にオルムステッドから受け取ったラフト関連の論文 の山にちらちらと目を通している間に初日が終わる。

夕方から晴れる。 夜はオルムステッドと家族と一緒に家の近くのレストランへ行く。 さらにスーパーで本格的な買い物。 家の暖房も、娘の吸入器も使えるようになった。 ようやく生活が落ち着いてきた。 ただし、夜から私が大下痢。


今日になってようやくネット上で那須野さんの訃報を知る。 私が九工大にいた頃、同じ大学に那須野さんがいるという ことは精神的な支えでもあった。 もしも日本にいれば、必ずやお葬式に参列させていただいた ことだろう。 ひどく気分が落ち込む。


8月1日(木)[出発日・到着日]

6前時に起床して、7時半に自宅を出発。 高円寺駅までタクシー。 東京駅から成田エキスプレスに乗るために中央線を利用するつもり であったが、ちょうどのラッシュ時間帯で、小さな子供と大きなトランク を抱えた状態では車内に入ることすらできない。 あきらめて総武線にを利用することにしたが、どこやらの人身事故で、 こちらもかなりのすし詰め状態。 汗だくになりながら約45分もかけて東京駅にたどり着き、 9時発の成田エキスプレスにぎりぎりで間に合う。 成田エキスプレスの車内ではしばらくの間、放心状態であった。

おかげで成田空港では出発前の時間が十分にとれ、肉そばなどを 食べたりした。 アムステルダム経由、リーズ行きのフライトは順調であった。 ただし、最後のリーズへ向かう飛行機の中で、眠さが限界を 超えた娘はかなり機嫌が悪かった。 イギリス時間の20時に空港で待ち合わせていたオルムステッドとは 二ヶ月ぶりに再会し、車で我々の家族を運んでくれた。

あいにくリーズ近郊では激しく雨が降っており、外の様子は あまりよく伺えない。 しかもかなり寒い。 日本の気温の半分以下だろう。 途中のガソリンスタンドでリーズの地図を買い求めてから、 大学のセキュリティ・オフィスへ行き、宿舎の鍵を受け取る。 激しい雨のため、宿舎の場所を探し当てるのに手間取るが、 何軒目かでようやく本日の目的の地にたどり着く。 もしもオルムステッドが助けてくれていなかかったら、 大変なことになっていただろう。

驚いたことに家は二階建ての一軒家で、一体何から始めたらよい のかわからない状態。 まず防犯用の警報装置の操作で手間取る。 これについては後日、詳しく書く。 私は家族を残して、オルムステッドに近所のスーパーマーケット へ連れて行ってもらい、とりあえず必要な食料を調達しておく。 家に戻ってテレビは見られるようになったが、電話は不通、暖房 も入れることができないまま。 寒過ぎるのでシャワーは浴びずに、セーターや下着を何枚も重ね着 してとにかく寝る。

失敗といえば、持参した変圧器の最大ワット数を全く確認して いなかったので、娘の喘息のための吸入器が使えなかったこと。 幸いオルムステッドが明日、彼のもっと容量の大きい変圧器を 持ってきてくれることになった。

なお今回の渡航は学振の特定国派遣制度によるもの。 家族同伴。 8月31日までの滞在予定。


過去の日記:
2002年
7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
2001年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月

1998年12月〜2000年3月: 不安なイスラエル日記


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