邪頭(じゃず)的日記
2002年3月


3月31日(日)

NHK特集で最近のイスラエルとパレスチナの衝突を扱っていた。 バラクが首相であった前政権の時点で、パレスチナ側は パレスチナ国家の樹立まであと一歩というところまできていた。

私の考えでは、アラファトはそこで妥協するべきであった。 イスラエルが東エルサレムの主権を手放すことは、100%あり 得ないのだから、パレスチナはとりあえず領土という実をとった方 が得策だったと思う。 もしそうしていれば、少なくとも現在のような悲惨な状況には ならなかったはずである。


3月30日(土)

久しぶりの休日。 娘と一緒に中野へハムスターを見に行き、ドーナッツを 食べる。

スタンレー・タレンタインの"A chip off the old block" (Blue Note)とドナルド・バードの"Royal Flash"(Blue Note) を中古CD屋で入手。


3月29日(金)

横浜の三菱化学でソフトマターのワークショップ。 会社でこのような研究会を催したことは画期的である。 今日でこの二週間にわたる一連の講演がようやく一区切りした。 心身ともに疲れたが、心地良い解放感を味わう。

混雑する渋谷で二次会。 日本の大学の将来について明るい話題がないのは気掛かりである。


3月28日(木)

映画監督のビリー・ワイルダー死去。

彼の代表的な作品はほとんど見ているし、そのうちの いくつかはビデオやレーザーディスクなどでも所有している。 朝日新聞の追悼記事にもあるように、話術のうまさで ヒッチコックとワイルダーは双璧であったが、ワイルダーの 方がはるかに茶目っ気が多いし、チャップリンに通じる暖かさ がある。

ワイルダー作品の黄金時代であった5、60年代はモダンジャズの 黄金時代と一致する。


3月27日(水)

シンポジウムの感想をいくつかの物理関係者の日記で見かける。 例えばこんな意見こんな議論がある。 特に「ソフトマターは物理か」という予想外の問いには、少し落ち 着いたら私なりに答えたい。

待望のVine Linux 2.5がようやくリリースされたので、早速注文する。 パソコンも1台発注する。


3月26日(火)

ホテルをチェックアウトして、その足で京都駅から新幹線に乗る。 昼過ぎに自宅に着き、午後は休息。

論文がrejectされる。


3月25日(月)

物理学会2日目。 午前中に自分と学生の発表。

午後は「ソフトマター物理の挑戦」のシンポジウム。 予想を大きく上回る人数の参加があり、シンポジウムの提案者と しても面喰らったほどである。 各講演者の発表はすばらしかった。 シンポジウムを見ての感想や批評などをメイルでお寄せいただければ 幸いである。

昨晩に引き続き、京都駅で30名程度の打ち上げ。


3月24日(日)

物理学会1日目。 京都駅から電車に乗って南草津で降り、バスで立命館大学に到着。 高分子・液晶分科の会場でほとんどの時間を過ごす。 昼休みに食堂が満杯で、昼食をとるのに一苦労する。 午後の後半は座長。

夜は瀬田で総勢30名による飲み会。


3月23日(土)

今日は京都にて午後の時間が空いていたでの、京都駅近くの無印良品で 自転車を借りて、京都市内のサイクリングを楽しんだ。 気温もやや低く、風も強かったため、桜もまだ開花をためらっている ようだ。 清水寺、知恩院、平安神宮、南禅寺、法然院などを見て回った。

もちろんこれらはすでに訪れた場所ではあるが、久しぶりに京都らしい 雰囲気を味わうことができて、良い気分転換になった。 特に法然院の境内に座ってあれこれと思いを巡らすことは、私にとって 至福の時間である。 最後に熊野神社近くのYAMATOYAというジャズ喫茶に立ち寄って、 コーヒーを一杯飲む。

夜はすでに京都入りした仕事仲間から電話があり、2人で台湾料理を 食べる。


3月22日(金)

辻元議員の疑惑騒動の報道を見ていて誰しも感じたであろうが、 人間社会において、真に極悪な犯罪人などは別にして、 特定個人を過剰に攻撃するべきではないのである。


3月21日(木)

一日中、研究会。 午後の後半にあった私の発表はつつがなく終わった(と思われる)。

2名の外国人のために英語で講演する日本人もいたが、 それだとどうしても議論が深まらないし、聞く人も疲れてくるので、 私は日本語で話した。 日本人が日本語でサイエンスを議論することは重要なのである、 というのは単なる言い訳。

夜は5年ぶりに三宮のソネというライブハウス(小曽根真のお父さんが 経営する店)に一人で行ってみる。 たまたま古谷充カルテットが演奏をしていた。 この店の訪問にはその都度、自分の過去が刻まれており、演奏を聴き ながら時の流れに思いを馳せた。


3月20日(水)

パソコンを背負っていざ神戸へ出発。 昼過ぎに東京を出て、夕方、新神戸駅に到着。 タクシーで山上にあるオックスフォード大学のセント・キャサリンズ・ カレッジへ向う。

研究会の参加者と一緒に夕食をとってから、夜のセッション。 無重力下では拡散定数が小さくなるという実験の話を聞く。 そんなことは絶対にあり得ないという人もあり、議論は白熱した。


3月19日(火)

今月末にかけて四つの異なる講演をしなければいけないので、 朝からその最終準備に追われる。 明日の出張ではパソコンを持参する予定だが、万が一を考えてOHPも 別に準備したので、荷物はかなり重くなりそうだ。

娘の四歳の誕生日。 新宿の高島屋で粘土を買って帰る。


3月18日(月)

これからの予定を考えてかなり迷ったが、結局ブルーノートへ ブラッド・メルドー・トリオを見に行った。 CDを聴いた印象で、メルドーはガンガン弾くタイプかと思っていたが、 実際にはかなり繊細な弾き方をしていた。

一度はまると病みつきになる、狐につままれたような感覚がメルドーの 持ち味だ。 ジャズピアノに新境地を開拓した彼の今後の活動から目が離せない。


3月17日(日)

昨晩帰宅してから疲れが出て、朝からクタバリーノだったが、 アンデルマンに見せていた論文のコメントが戻ってきたので、 気を入れ直す。

夜は21時からのNHK特集「兵役拒否」を真剣に見る。 イスラエルは国民皆兵制の国であるが、最近、兵役を拒否する若者 が現れ始めた。 パレスチナに対するイスラエル軍の武力行使は絶対に平和を もたらなさいという考えである。 番組では実際に兵役を拒否した息子と、それに反対する父親が 取材されていた。

私はどちらかといえば父親の考え方に近い。


3月16日(土)

4名の人にわざわざ都立大に来てもらって、朝から夕方まで翻訳の仕上げの 打ち合わせ。

夜は少しばかり解放感に浸りながら、皆さんと大学の近くの焼肉屋で夕食。 土曜の晩であることを差し引いても、日本人はもう狂牛病のことは 忘れてしまったのかと思うほど店は繁盛していた。 私は全然気にしていないのだけどね。


3月15日(金)

先日、何気なく書いた「ムネオ批判」の批判であったが、思いがけない 方からわざわざ賛同のメイルまで頂いたので、いい気になってもう少し 書き加えることにする。

このたびの政治家やマスコミの対応を見ていると、日本がいかにムラ社会 であるかがよく分かる。 特定の個人を村八分にした上でさらし者にすることは、 楽しくてやめられないのである。

さらに私の邪推で言わせてもらえば、今回の「ムネオいじめ」を喜んでいる 日本人というのは、マキコの更迭で一気に小泉不支持に寝返った30%以上 のかつての支持層と一致するはずだ。


3月14日(木)

午後から花王でセミナー。 JRの亀戸駅で降り、昼食を済ませた後、10分ほど歩いて会社に着く。 約束の時間よりも少し早かったので、会社の外を一周する。 受け付けに入ると花王のパーソナルケア製品が棚に陳列されており、 見たことや使ったことのある商品があまりに多いので少し圧倒される。

担当の方と少しお話をして、15時から約2時間のセミナーを行った。 「コロイドの物理学」に書いてある内容に沿ってほしいという ことであったので、かなりの部分は一般的な話をして、最後の2割程度 で自分の研究の説明を行った。 わざわざセミナーに参加して下さった前コロイド界面部会長には、 何度も的を得た質問をしていただき、随所で助けられた。

今回のセミナーは私にとって二重の意味で有意義であった。 一つは応用の最前線に携わる方々と知り合いになれたこと。 もう一つはコロイド系を扱う物理的なアプローチに対して、 化学サイドからも関心を持っていただいたことである。

実際のところ私のセミナーはかなり外していたはずなのだが、 それでも熱心に耳を傾けて下さったことに対しては本当に頭が下がる。 さらに、様々な有意義かつ新鮮な批判をいただいたことは何事にも 代ええ難く、翻訳をして良かったという実感をもつことができた。 もっと言えば、いち早くこういうことに注目する会社としての柔軟性や 先端性に、花王の将来性を感じた。


3月13日(水)

午前中、試験後のお仕事。

新4年生の研究室内配属が決まり、来年度の研究室内体制がほぼ 固まった。 それにともない、早速コンピュータが足りないことが判明した。 さてどうしよう。


3月12日(火)

後期試験。

筒井先生の「愛のひだりがわ」(岩波書店)をようやく読み終える。 最近の他の作品では死を意識したものが多かったが、この作品では 一人の少女の成長物語が描かれており、前向きな内容になっている。 映画化したら面白いと思う。 娘が小中学生になったら、是非読ませたい。


3月11日(月)

カリキュラム委員の引継ぎ。 来年は委員長なので責任重大である。 でも合理化、簡素化できる部分は思い切って構造改革するつもりだ。 早速、生協と新歓コンパの打ち合わせを始める。

午後に教授が東海とつくばでの5日間の実験を終えて戻って こられた。 徹夜明けでも普通に仕事をこなしておられるのを見て、 自分に実験は務まらないと感じた。

今日のムネオ君の証人喚問や、最近の報道を見て思うこと。 森前首相のときもそうだったが、日本人は特定の政治家が徹底的に いじめられているのを見るのが好きなようだ。 こういう風潮は陰湿でよくない。 自分も同じ立場であれば同じことをしたかもしれない、という 最低限の想像力がないようでは困る。


3月10日(日)

暖かい春の日差しの中、娘と二人で近くの公園へ散歩に出る。 滑り台、ぶらんこ、鉄棒、鬼ごっこ、水遊びをする。 もしも人生のある時間帯を永久保存できるとしたら、 この娘と過ごした1時間を選ぶであろう。


3月9日(土)

この一年間指導した学生を自宅に招いた。 学生達は半日、わがままな娘の相手をさせられて、 疲れ切ってしまったようだ。


3月8日(金)

3月で卒業する学生はもう来ないし、実験組は東海村に 出払ってしまったので、研究室はひっそりとしている。 こんな静かな環境の中で、ああでもない、こうでもない と色々と考えを巡らせることができたのは久しぶりである。 特に何の成果もないが、有り難い時間であった。


3月7日(木)

学会や研究会の講演準備をしていたら、いくつか考え落としが あって、少し青くなりながら詰める。

下宿用の布団乾燥機を購入して、早速使ってみる。 こんなもので本当に布団は乾燥するのかという疑念は晴れ ないままだったが、気分的には快適に寝ることができた。


3月6日(水)

曽野綾子とアルフォンス・デーケンの「旅立ちの朝に」(新潮文庫)終了。 そろそろ自分の死に方について考えなければいけない。 ちなみに大正10年の日本の平均寿命は男性42歳だったそうである。

デーケン氏の日本語の文章があまりにもうまいので舌を巻いていたら、 最後になって母国後のドイツ語を別の日本人が翻訳したものであることが 判明して一安心。


3月5日(火)

修士論文発表会2日目。 夜は来年度の卒研生も含めて、総勢17名による追い出しコンパ。 橋本にて。 私は2次会まで参加。

コンパの席で、研究室の教授が最近、 御自身のホームページ を開設したことを公言されていた。 ホームページを作ると宣言されてから4年越しで実現したそうである。


3月4日(月)

修士論文発表会1日目。

タカナシ乳業の「ヨーグルトフフ」という製品が気に入って、 このところ毎日食べている。 ピーチ味がおいしい。


3月3日(日)

キース・ジャレット、ミシェル・ペトルチアーニ、ボボ・ステンソン はチャールス・ロイドが代々起用してきたピアニストであり、ロイドの 先見性や審美眼には常々感服させられる。 そのロイドが白羽の矢を立てたのがブラッド・メルドーなのだ。 ロイドの"Water is Wide"と"Hyperion with Higgins"(ECM)では、 メルドーが見事に期待にこたえている。

これだけ日記にメルドーのことを書いてを盛り上げているのは、 実は2週間後の彼のブルーノート公演に行くことを 自分の中で正当化するためなのよね。 誰か行く予定の人はいますか?


3月2日(土)

自宅でごそごそと論文を書こうとするが、 娘の妨害行為をいかに防ぐかが問題。

寺島靖国の「サニーサイド・ジャズカフェ」(朝日文庫)で、 高円寺の邪頭喫茶「ナジャ」が紹介されていた。 それによると、毎週第3土曜日の午後2時から「リアル・ジャズ・ リスナーズ・クラブ」という、日本一まじめに邪頭を聴く会が 開かれているらしい。

前にも一度入ったことがあるこの喫茶店は、いわゆる「濃い」店では なかったので、あまり強い印象がなかった。 しかし、本を読んで改めて行きたくなったので、夕方、自転車で乗り付けて、 コーヒーを一杯飲んできた。 もちろん、今日は第3土曜日ではないのでご安心を。 アビー・リンカーンとキャノンボールがかかっていた。

それにしても、寺島の邪頭観はどうも私のと合わない。


3月1日(金)

4年生の卒業研究発表会。 全体の印象として、学生の発表はやや型にはまり過ぎて いると思う。 4年生ということを考えれば、もっとまとまっていない 方が自然である。

帰りの電車では本も読めないほど疲れていて、半ば放心状態 であった。 今週の後半はきつかった。


過去の日記:
2002年 2月 1月
2001年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月

1998年12月〜2000年3月: 不安なイスラエル日記


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