邪頭的日記
2001年4月


4月30日(月)

昨晩はヒッチコックの「見知らぬ乗客」を見て久々の夜更かしをした。 すでに一度観ているが、二度目でも楽しめる。 ヒッチコックはおそらく映画中のブルーノのような粘着質な性格 なのだろう。

論文校正も終わったので、意を決して田崎さんの「熱力学」(培風館)を 読み始める。 ゴールデンウィーク中の楽しみとしよう。 本日は3章まで。


4月29日(日)

近所の図書館で数少ないジャズの中から、先週3枚、 今週3枚借りてきた。 論文の構成をしながら耳に通す。

校正が終わったら雨が降り出してきて、結局外出もできない ので、この日記がそもそも「邪頭(ジャズ)的日記」であることを 思い出して、独善的な評でも書いておこう。


4月28日(土)

せっかくのゴールデン・ウィーク初日であったが、 昨晩、メイルで論文のゲラ刷りが舞い込んできたので、 しこしこ校正に時間を費やす。 一日では終わらず、明日に持ち越し。

私の講義の受講生がこの日記を読んで、メイルで都立大の ジャズ研のセッションに誘ってくれた。 嬉しいです。 どうもありがとう。


4月27日(金)

サンタフェの国際会議の出席するためには、あらかじめ 参加費の小切手を郵送する必要があることを知り、 朝一番で西新宿の東京三菱銀行へ行く。 9時の開店を待って入店したため、店員全員の注目を 一身に浴びて、一斉に「いらっしゃいませ」と言われた のは少し恥ずかしかった。

それにしてもたかが120ドルの小切手を作るのに、 手数料が5千円近くかかるというのは一体どういうことだ。

筒井康隆「原始人」(文春文庫)、終了。 「読者罵倒」を読むとプロの作家の語彙の豊富さが いかに凄まじいものであるかがよく分かる。


4月26日(木)

ここのところ自分の仕事が進まなくて、気分は ローであったのだが、たまには良いこともあるようで、 今年度の科研費の採択の通知がくる。

まあ、科研費をもらえるだけではいけないのであり、 実際に研究をしなければいけないのだが、今年度は 立ち上げということもあるので、有り難いことは 事実だ。


4月25日(水)

気圧のせいか朝から頭痛がして体が重く、気分がすぐれない。 しかし何故か仕事ははかどる。

アンデルマンから、以前の我々の理論に関連する実験の 論文がどっさり送られてくる。 良いことだ。 宿題が増えたが、時間は増えない。


4月24日(火)

午前中は「化学熱力学II」の講義の2回目。 受講生はメイルグループ に参加して下さい。 使い方は学生次第である。

午後、教室協議会。 なかなか自分の時間がとれない。


4月23日(月)

午前中、研究室ゼミ。


4月22日(日)

家族を連れて車で都立大までドライブ。 娘は広いキャンパスを走り回って大喜び。


4月21日(土)

近所の図書館でCDを3枚借りてくる。

夕方から化学科の教官主催の新歓コンパ。 カリキュラム委員として会場の準備をする。 最後までは付き合えず、二次会の途中で帰宅。 市村さん、ごめんなさい。


4月20日(金)

重信房子「りんごの木の下であなたを産もうと決めた」(幻冬舎)、終了。 理想主義者である彼女の公判は来週に行われる。 要注目。


4月19日(木)

午前中、会議。午後、教授会。夜、研究室スタッフで会食。


4月18日(水)

講義用メイルグループを用意する。


4月17日(火)

先週発売されたばかりの重信房子「りんごの木の下で あなたを産もうと決めた」(長い!)(幻冬舎)を朝の通勤電車で 読み始める。

人間がそれぞれの信念に基づいて行動すると、結局は戦争やテロしか ないというのがパレスチナ問題の本質。 最終的には強者が弱者を支配する。 この不平等さこそが国家関係も含めた人間社会の根源ではなかろうか。 ところが、そう考えなかったのが重信房子を筆頭とする日本赤軍だ。

都立大で初めての講義。 最初は互いに様子見。


4月16日(月)

午前中、研究室ゼミ。

午後は新橋で応用物理学会誌の編集委員会。 論文の投稿から雑誌掲載までのすべてのプロセスをオンライン化 するシステムができつつある。

こうして論文の処理が効率化されること自体は決して悪いことではないが、 結果的に全体の論文数が増えて、総じて雑誌の質が低下してしまうことは 絶対に避けなければならない。 今後、質の良い論文を掲載することはますます重要になる。

筒井康隆「恐怖」(文芸春秋)を再び二日分の通勤時間で読了。 人間にとって恐怖心がすべての欲求の根源であるということを 描きたかったのだろうか?

しかし推理小説とどたばた(これも中途半端)はうまくマッチしない。 推理小説はとことん理詰めでないと納得できない。 「フェミニズム殺人事件」と同じ失敗の繰り返しのように思える。


4月15日(日)

母親を彼女の高校時代の母校へ車で連れて行く。 本人とっては半世紀ぶりの訪問だ。 きっとタイムマシンに乗ったような気分であろう。


4月14日(土)

学振の特定国派遣の申請書を準備する。 次なる狙いはイギリスである。


4月13日(金)

来週から始まる講義の秘策を練る。 お楽しみに。

夜、助教授会。 約一名、最初からハイな方がおられるの巻。


4月12日(木)

筒井康隆「わたしのグランパ」(文芸春秋)を2日分の 通勤時間で読破。 筒井の文章には明らかに中毒作用があり、この数日間、 彼の作品から離れられない状態が続いている。

残念ながら、「わたしのグランパ」はあまりピンと こなかった。 どうしてこれが読売文学賞を受賞しているのかも理解 できない。 もっとすばらしい作品はいくらでもあるのに。


4月11日(水)

都立大でLopez-Quintela氏のセミナー。 ゲルの動的光散乱の実験。 夜は中華料理店で会食。


4月10日(火)

最近Vine Linuxのバージョンを2.1に上げてから、他マシンからの ftpができなくて困っていた。 本腰を入れて"hosts.allow"や"ineted.conf"と格闘するも失敗の連続。

結果的には ここを発見してすべて解決。 まあ、ネットワーク回りの勉強にもなったし、UNIXは最終的には すっきりと解決するのでよしとしよう。

筒井康隆「エンガッツィオ指令塔」(文芸春秋)を読み終える。 断筆中に書かれた短篇集だけあって(発表は断筆終了後)、 すべての作品が無限の自由度を獲得して圧倒的なパワーを発散 させている。 ああ、目くるめく甘美の世界。 この作家はどこまで進化し続けるのだろうか。


4月9日(月)

午前中はゼミ。 午後は新入生のガイダンスで写真撮影。 カメラマンも板に付いてきた。

愚娘が無事に幼稚園に行けたのかが気になる。

東大の佐々さんより架電で、久しぶりにお話しをする。 忘れないでいてくれたのが嬉しい。 (ふられた女の台詞のようだ。) 佐々さんの関心は幅広く、改めて感心させられる。


4月8日(日)

愚娘の幼稚園の入園式。 桜は散ったが、親バカは満開。


4月7日(土)

ポール・ブレイの"In The Evenings Out There"(ECM)を聴く。 分かりにくい。 求む、ポール・ブレイの美意識を私に教えてくれる人。

さらにこのCDでも共演しているポール・ブレイと ゲイリー・ピーコックは、過去に時期を違えてそれぞれ アーネット・ピーコックという女性と結婚していたのだが、 この男性二人の関係はどうなっているのだろう? 謎は深まる一方だ。


4月6日(金)

ばたばたしているうちに一日が終わる。

川勝さんの「高分子物理学の基礎」(サイエンス社)を購入。 この本のレベルは「基礎」というのかな? 川勝さんらしい。


4月5日(木)

新大学院生のガイダンスで、写真撮影。

研究室の新四年生と夕食。 やはり若さは彼らの特権である。 都立大生の長所と短所について語る。


4月4日(水)

日本でソフトマテリアルが低調である理由について(昨日の続き)。


4月3日(火)

この日記を読んで、物性研究の「不安なイスラエル日記」の 別刷を請求してくれた人がすでに三名。 日記を再会した甲斐があった。 まだ残部あります。

3月30日の私の日記や、松山さんの 「 ソフトマテリアルの掲示板」 にもあるように、 今回の物理学会でソフトマテリアル関係は低調だった。 これは極めて憂慮すべきことである。 現状のままでは、日本はこの分野で他国に大きく水をあけられてしまう。

この問題の原因はいくつか考えられる。 明日に続く。


4月2日(月)

多少疲れの残る体で大学へ。 京王線のダイヤ変更で戸惑う。

研究室の大掃除。

筒井康隆「魚籃観音記」(新潮社)、終了。 筒井大先生本領発揮で、先日読んだ「フェミニズム殺人事件」の マイナスポイントを大きく挽回。 特に「魚籃観音記」と「分裂病による建築の諸相」は白眉。 「谷間の豪族」は現代版「砂の女」か。

ニュースステーションで重信房子の娘の、ビジュアルにも 衝撃的なインタビューを見る。 イスラエル、パレスチナ、日本赤軍、一体誰が悪いのだろうか? 日本人は、日本という国があって、その日本に住めることを 当たり前だと思っている。


4月1日(日)

午前中、諏訪湖畔の 原田泰治美術館へ。

美術館を出て、嫌がる愚娘をトイレ連れていかそうとして 私が無理に手を引いた瞬間に、愚娘の肘の腱が外れてしまう。 (肘内症という。) 慌てて近くの赤十字病院に連れて行く。

幸い医者が腕を一捻りして簡単に直してしまったが、どうして 旅先のしかもめでたい日に、こんな余計なことが起こるのだろう などと考えている私に愚妻の冷たい視線が浴びせられる。

午後から義理の祖母の米寿のお祝いパーティー。 大人17人、子供6人の親戚一同大集合。 指数関数的子孫繁栄万歳。


過去の日記:
2001年 3月 2月

1998年12月〜2000年3月: 不安なイスラエル日記


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