邪頭(じゃず)的日記
2002年2月


2月28日(木)

教官の仕事はまだまだ続くということ。 でも夕方には終わった。 その後で、明日の卒研発表会の会場の準備。 液晶プロジェクタの切り換え方式で頭を痛める。


2月27日(水)

受験生にとっての試験の終わりは、教官にとっての仕事の始まり を意味するということ。

このところ毎日、ブラッド・メルドーを聞いている。 私の批評など全く寄せ付けない、圧倒的な革新性を備えたピアニスト である。 いずれこの日記で書きたいが、果たしてその全貌をつかむことが できるだろうか。


2月26日(火)

朝、娘の幼稚園で行われている図画や工作の展示会をちらと 覗いてから出勤する。 幼稚園に足を踏み入れるのは、昨年の入園式以来である。 娘は自分の成果を父親に見てもらえて嬉しかったようだ。

大学入試2日目。 研究は明日からしばらく打ち止めになるので、その前に 少しばかり悪あがきをする。 幸い、喉の痛みは消えた。


2月25日(月)

夜中に少し喉が痛くなったので、用心のために近所の病院を 朝一番で訪れ、薬をもらっておく。 通勤電車で曽野綾子とアルフォンス・デーケンの往復書簡集 「旅立ちの朝に」(新潮文庫)を読み始める。

大学入試1日目。 今日も明日も図書館が閉館するのは困るんですが。

来月の物理学会で招待講演をお願いしていたピンカス氏の来日予定 が急遽キャンセルされる。 これは痛い! 何かしら対応策を考えねばならない。


2月24日(日)

夕方、家族で吉祥寺を散策。 3歳の娘を寺島靖国の「メグ」に連れて行き、邪頭喫茶デビュー させる。

店に入るなり、家にあるリッチー・バイラークのCD と同じジャケットが壁に飾ってあるのを見つけたのは、 我が娘ながらあっぱれである。 ただし、そんなことは本人にとってはどうでもよく、 単にコーラを飲ませてもらえたので、すこぶる上機嫌であった。

akikoさんへ。 スリー・ブラインド・マイスのプロデューサーである 藤井武氏のこの意見は 傾聴に値すると思いますが、いかがでしょう? デビュー作の"Girl Talk"まで酷評されているのは理解できませんが (そもそもこのCDで初めて知った)、2作目の"Upstream"にはあてはまる ことも多いと思います。

もっとも、ご本人はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、 ここにも あるように、かなり現状に対して強気に肯定的である。


2月23日(土)

映画「アメリカンビューティー」をビデオで見る。 それからピアニストのブラッド・メルドーについて書きたいのだが、 今は時間がない。


2月22日(金)

午前中、予聴会。 午後、論文書き。 来週は入試やら卒業発表会で、しばらく研究は できそうにない。

やや古い話だが、今週火曜日の朝日新聞で筒井先生の 近著「愛のひだりがわ」(岩波書店)が取り上げられている。 こちらは、それこそ、ちびちび舐めるように読んでいる途中 なので、こういう具合に先走られると困るのよね。


2月21日(木)

午前中、予聴会。

晩に学生の一人と夕食を食べに行くとき、 その学生は、先月私が激しい下痢や嘔吐に見舞われる 原因になったと思われる、駅前のイタリア料理店の ペペロンチーニを敢えて食べたいという。 それが原因ではないことを証明してみせるというのだ。

いずれにせよ、その店には二度と行きたくなかったので、 店が満員で入店をあきらめることができたのは幸いであった。


2月20日(水)

昨日のこの日記の記述に関して、読者の一人から「日本の オリンピックの成績と国勢は無関係ではないか」 とのご指摘を受ける。 その方の説明によると、日本はもともと冬季オリンピック には弱く、むしろ前回の長野だけが例外で、今回もだいたい 予想通りの結果だという。

確かにオリンピックの成績と国勢を短絡的に結び付けるのは 軽率であったが、一般的に日本が色々な分野で国際的競争力を 失いつつあるのは事実だと思う。 小泉首相がブッシュ大統領との会談で、「今は日本は自信を 失っている」と述べたそうだが、オリンピックでの不振が そんな国内の暗いムードに追い討ちをかけている気がする のは私だけだろうか? オリンピック前の国内には、もう少し期待感があったと思うが、 最近のオリンピック報道はあまり盛り上がらない。

オリンピックも含めて、日本の政治や経済に対する外国の見方 には厳しいものがあり、確かにそれが現実であろう。 今回のオリンピックは、日本人がその現実を実感として 受け入れる良い機会になっていると思う。


2月19日(火)

花粉症の症状を抑えるために市販の薬を服用したら、やはり 体がだるくなり、頭がぼーっとしてしまう。 このようなペースダウンは計算外である。 多少不安になりながらも、講演用の準備を一段落させて、 論文書きに戻る。

今回の冬季オリンピックにおける日本選手の不振ぶりは、 現在の日本の国勢を象徴するものであり、そのまま経済や学問 などの分野にも当てはまるのではなかろうか。

気分的にすっきりしたくて散髪をする。


2月18日(月)

虎縞安肉ならぬ寺島靖国の「サニーサイドジャズカフェ」(朝日文庫)を 書店で見つけて、つい買ってしまった。 これは現在もアサヒ・コム で連載中です。 朝日ついでいえば、明日発売の「週間朝日」の表紙はakikoさんです。 もう一つついでに、昨日の朝日新聞に載っていた、 筒井先生のトークエッセイはやや手抜きでしょう。


2月17日(日)

この週末は計算機センターのネットワークが停止していて、 メイルも一切使えない。 ゆっくりと休めてよいことだ。

などと気を許していると、どうも鼻がむずむずしてくしゃみが出る。 花粉症の季節になったのだろう。


2月16日(土)

午前中は少し講演の準備をして、それ以降は久しぶりに ゆっくりと休む。 休みついでに、トム・ハンクス主演の「キャストアウェイ」 のビデオを借りてきて見る。 私にとっては「電波少年的15少女漂流記」の方が面白かった?


2月15日(金)

来年度、研究室に配属される予定の3年生と面談を行った。 去年もそうであったが、私が研究の話しをすればするほど、 学生が引いてしまうのはどうしてだろう。 能ある鷹なら爪を隠さないといけない。

帰宅の電車で、井上ひさし著「私家版 日本語文法」 (新潮文庫)を読み終える。 私はこれまで「正しい」日本語の書き方、すなわち正書法 が存在するものと思っていた。 しかし、日本語には文法的にはっきりしないこともまだ たくさんあるようだし、いい意味で柔軟な構造をもっている ことも学んだ。 この日記も少し気楽に書ける気がしてきた。


2月14日(木)

当然ながら今日がバレンタインデーなどという自覚はない わけで、事務室のメイルボックスに入っていたチョコレート を見てようやく思い出した次第である。 あっ、送り主はもちろん事務室の方々である。

今年8月にイギリスのリーズに行くことが正式に決まる。


2月13日(水)

久しぶりに出勤し、たまっていた仕事を片付ける。 頭の切り換えが大変。

年度末だけあって、講義単位の取得状況を訊ねにくる学生が多い。 だいたいそういう学生に限って、単位が取れていない。 中には半泣きで、土下座をしながら頼み込んでくる学生もいるが、 それで成績が上がることは絶対にないので、これから来る学生は そのつもりでいて下さい。


2月12日(火)

娘は咳で完全に起きてしまい、深夜3時にNHKの BSでやっていた「エイゴリアン」と「ガンコちゃん」 に付き合わされる。

朝になって私が近所の内科で受診する。 「できるだけ静かに休んでいる方がよい」と当然のことを言われる。

夕方に同居人が退院して、久しぶりに家族がそろう。 この2週間は、実に様々な精神的な起伏を味わった。 仕事の関係では、周囲の方々の理解があって非常に助かった。 心よりお礼を申し上げたい。 今はとにかくゆっくり休める時間が欲しい。


2月11日(月)

帰京。 聖母病院に妻の見舞い。 明日には退院できるとの見通しだが、 それが必ずしも喜べないのが今回のごたごたの 辛いところである。

おまけに私と娘が38度の発熱。 過労のせいだろう。 熱は解熱剤でむりやり抑える。 娘を近所の小児科に連れていく。 夜になると娘の咳がひどくなり、どちらもなかなか寝付けない。


2月10日(日)

集中講義の2日目。 かなりいやらしく学生をしぼったので、 講義の雰囲気は悪かった。 疲れた。 喉が痛む。


2月9日(土)

九工大で集中講義。 学生は思ったよりも多く、20名程度。 夜は友人宅でご馳走していただく。


2月8日(金)

午前中に論文の査読を一つ終える。 山妻の容態を気にしつつ、6時間かけて福岡県飯塚市に移動。 過疎のせいか、不況のせいか、繁華街にも活気がない。


2月7日(木)

嫌な予感は的中して、とうとう家内が落合の聖母病院に入院。 午後からシュプリンガー東京に行く予定はキャンセル。 それでも明日からの出張は外せない。


2月6日(水)

昨日来の家庭内事情が気になりながらも、来月の発表の 準備をする。 今日は下宿に泊まる予定だったが、案の定、家からSOSがきて、 夜遅くに帰宅。 これからまずいことが起こりそうな嫌な予感。


2月5日(火)

人生は容易ではない、と痛感する一日。 家庭内のある事情が気になって、仕事が手につかない。 そういう日に限って、娘が発熱をして幼稚園を早退する。 少し早めに帰宅する。 今日のところはまだ落ち着いている。


2月4日(月)

先日、この日記でDVDに関する不具合を書いたところ、 それを見た学生の一人が、DVDの規格に関する情報を寄せて くれた。

結局、楽しみにしていた輸入DVDの再生は、私のプルイヤーでは 不可能であることが判明したが、それは別として、日記の効用は こんなところにもあるのね。 渡邊君、情報ありがとう。


2月3日(日)

この日曜日、私がその時間の大半を有明の大塚家具の中で過ごした ということは、日記として書かざるを得ないだろう。 その理由を説明すると長くなるので省くことにする。 そういう日がまたあったということだ。


2月2日(土)

午前中、化学熱力学の最終回。 学生はよく頑張ったと思う。 午後は博士の公聴会。


2月1日(金)

宗君の死がまだ心に重くのしかかっている。

よく考えてみると、3月後半の2週間には、自分の講演が 5つも予定されている。 さらに、どれも異なる内容なので、別々の準備をしなけれ ばいけない。 急に焦ってきた。 果たして無事に今年度を終えることができるのだろうか?


過去の日記:
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1998年12月〜2000年3月: 不安なイスラエル日記


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