研究会二日目。 午前中は田中求氏と議論。 ポスターは人が多くてあまり情報が収集できなかった。
懇親会。 二次会は昨日と同じ百万遍の居酒屋。
研究会初日。 田中求氏には日本語で講演して欲しかった。 自分の発表では、やや時間配分を間違えて早く終わり過ぎて しまった。 恐らく言い忘れたことがいくつかあると思う。
高野のホリデイインのビアガーデンでバーベキューの食べ放題。 二次会は百万遍の居酒屋。
午後に五時間の会議。 そのままかけ足で京都へ移動。 車中で「ゲーデルの世界」(青土社)を読み進める。 23時にホテルに到着。
基研の研究会のための最終準備。 学生のポスターをチェックしてから、自分の発表の練習もしておく。 明日から十日間はほとんど出ずっぱりだ。 幸い体調は良好。
八王子の本屋で、「ゲーデルの世界」(青土社)と 「ジャズ・ピアノ・トリオ 名盤全カタログ」 (スイングジャーナル社)を購入。 後者は三宅君の推薦。
行方不明だったイギリス訪問時のネガが出てきたので、一発で 気分が晴れた。 これで再びネガを整理する気が湧いてきた。
バージョン15が世界を迷走中。 フランスのルーからコメントが来る。 本家本元がいいと言っているのだから、いいのだろう。
朝から知人二名が都立大を訪問をしてくれる。 夕方まで議論。
土用の丑の前日なので、夕食にうなぎを買ってきて食べる。
映画「ピンポン」をようやく借りることができたので、 食後に期待しながら見たが、全く面白くなかった。 よほど途中でやめようかと思ったほどである。 窪塚洋介という俳優を初めて見たが、どこがいいのかさっぱり不明。
バージョン15は完成すれど、論文は完成せず。
午後に眼科へ行き、完治のお墨付きをもらう。 まだしばらく目薬を使わなければいけないが、通院は今回が 最後とのこと。 来週から出張が続くので、その前に治ったのは不幸中の幸い であった。
会議五時間。虚脱状態。
バージョン14が送られてきたので、さらにバージョン15へ。 まだ終わりが見えない。
気合を入れて、午前中にまとめて試験の採点。 午後から会議。
その後、学科内の講演会があったので顔を出した。 酸性雨の話。 環境化学。 雨、露、霧の違いを知ったことが収穫。 それから、学科内の簡単な送別会。
帰宅して採点の仕上げ。
試験、会議五時間、試験。 辛いです、このパターン。
世の中は休日といえども、午後から高校生のための オープンキャンパスで研究室紹介をする必要があったので、 大学で過ごす。 合間をみて論文の直し。
見学者は多くて盛況であった。 中にはこちらの話をビデオで録画している熱心な親子もいるので、 あまりいい加減なことはできない。 と言っても、意味のあることをしたわけではない。
夕方にズボンを二足買う。
昨日の盆踊り大会の写真を現像したときに、最近は写真屋で ネガをCD-Rに書き込んでくれるサービスがあることを知り、 過去の膨大なネガを一気に整理したくなった。 私は基本的に整理魔である。
家に戻って、最近のネガから順番に並べていったら、昨年の イギリス訪問時の二本のネガが行方不明になっていることが発覚し、 家の中をあちこちを探しまわったが、見つからない。 結局、そこで全ての作業を断念したために、非常にもどかしい 思いだけが残った。
そんなことをやりつつ、デジタルカメラにいつどうやって 切り換えていくかも検討中である。 デジタルカメラは長期的な画像の保存の仕方が心配なのだ。
まずい論文の味付けを変えることにする。
注文しておいた旅行鞄を橋本まで受け取りに行く。 ついでにレコファンで
夕方から幼稚園の盆踊り大会のようなものがあったので、 家人を先に送って、私は途中から参加した。 子供達は大はしゃぎで楽しそうであったが、出店などを を準備した父兄はさぞかし大変であったと思う。 私も体調が良ければ、お手伝いをする気があったのだが。
すっかり良くなったつもりで眼科を訪れたら、 峠は越しているがまだ完治はしていないので、 来週再び来るように言われた。 点眼薬も続けなければいけない。 しぶとい病気である。
液晶プロジェクターの購入を検討するため、 エプソンの新製品を実際に研究室で試用してみた。 安いだけに画素数が少なく、映像がやや粗いのが気にかかる。 明るさについては、思ったほど問題はなかった。 まあ、これだけを使っていれば気にならない程度かもしれない。
塩漬けの論文を取り出して試食したらまずかった。
体調はほぼ元通りになった気がする。 しかし、手元の医学書によると、完治するには一ヶ月もかかる そうなので、まだまだ注意が必要だ。
「ボルツマンの原子」(青土社)読了。 少々読み辛い日本語訳だったが、内容的には充分に面白かった。 自分が理論家の端くれとして仕事をしていることを考えると、 ある意味ではボルツマンの過去の奮闘のおかげでもあるような 気がして、自然と感謝の気持が湧いてきた。
今日になってようやく目の充血がひいて、 それにともなって、体調も回復してきた。 ただし、まだ目が少しかすむ。
基研の研究会では口頭発表の機会を与えてもらったので、 気合を入れて準備せねばならない。 全体として非常に楽しみな研究会になりそうだ。
「ボルツマンの原子」は大詰め。 研究に対しては信念があった人なのに、大学選びでは極めて優柔不断 だったのが不思議。
自分の誕生日を赤目の状態で迎えるとは情けない。 年齢を重ねることも情けない。 午前中は下半身もだるかったが、午後から少しずつ回復 してきた気がする。
「パリティ」の翻訳を脱稿する。 "Wyart"の発音はわからずじまい。
「ボルツマンの原子」(青土社)を読み続ける。 そうそうたる物理学者達の人間的側面が描かれていて面白い。
夜に目薬を点したら、激しい異物感に襲われ、夜間診療の 眼科を家内に探してもらったほどである。 幸いすぐに落ち着いたので、大事には至らずに済んだ。 そのうち必ず回復するとわかっていても、とにかくうっとう しいことに変わりはない。 喉もはれて痛い。
ベニー・カーターと「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」 でお馴染みのコンパイ・セグンドが死去。 共に95歳だったのが印象的。
不調。リンパ節や喉もはれてきた。 一日中、ぐったり。
布団で横になったまま、キース・ジャレットの最新作 "up for it" (ECM)を何度か聴いているが、どうも インパクトが少ない。 このトリオも結成されてもうすぐ20年になる。 偉大なるマンネリズムか、それとも体調のせいか。
ウイルス性の結膜炎であれば、ある程度の長期戦を覚悟しな ければいけない。 これまで無事だったもう片方の目も充血してきた。 邪眼鳥である。
今日は、研究室の前期打ち上げボーリング大会とコンパがあったが、 当然欠席。 さらに、ある学生から、私の結膜炎は天罰だというメイルをもらう。 相当恨みを買っているようだ。
この時とばかりに読書に専念。 山下洋輔の「風雲ジャズ帖の逆襲 」(東京書籍)を 読み終え、「ボルツマンの原子」(青土社)を読み進める。 ただし、目がすぐに疲れるので、長時間は読めない。 夜から体がだるくなる。
大学で結膜炎を移してはまずいし、医師からも休養を とるように言われているので、自宅で過ごすことにした。 共同研究者の計算ノートをじっくりと読む。 実際のところ、自宅の方が仕事がはかどってよい。
長い間中断していた「ボルツマンの原子」(青土社)を再び 読み始める。 久しぶりのまとまった読書である。
夕方に娘が合宿から帰ってきた。 わずか二泊三日で一回り大きくなったような気がするのは、 単なる親バカか。 こんなことを繰り返しているうちに、やがて親元を離れていく のだろう。
流行性角結膜炎。
に病名が変わった。 目の充血が一向に良くならず、目を開けているのも辛くなったので、 再び眼科を訪れた。 検査の結果、細菌性ではなくウイルス性の結膜炎であることが 判明した。 「はやり目」と呼ばれるやつである。
医者は「結膜炎の王様です」などと言っているが、こちらとしては 最初からきちんとそう診断して欲しかった。 どうりで抗生物質が効かないわけで、抗体ができるのを待つしかない。 恐るべし、アデノウイルス。
「プールに入らないで下さい」とも言われたが、そもそもプール なんかへ行く気分であるはずがなく、言わずもがなである。
幼稚園の行事で、娘が二泊三日の合宿に出かけた。 これまでなんとか体調を崩さないようにと、親の方が 相当神経をすり減らしてきた。 朝は一緒に6時半に起きて、娘が無事に出発すると、 どっと疲れが出てきた。
基研の研究会や物理学会の予稿を書いたり、パリティの 原稿に手を入れたりして仕事をした気になっているが、 研究とは言えない。
朝日新聞の夕刊に先日の"The Synergy Live 2003"のコンサート評が 載っていた。 悠雅彦は全体として高く評価しているが、私が行った日については、 「ジャン・ミシェル・ピルクとアントニオ・ファラオの各トリオは、 どれも米国ジャズに対して卑屈になることはない」とややお粗末な 書き方。 ヨーロッパとアメリカの違いは、ヨーロッパでは邪頭が芸術と認識 されているというのが私の意見。
講義、会議5時間、講義。 目がつぶれそう。
細菌性結膜炎。
になってしまった。 昨晩から目が充血して、異物感が不快であった。 一晩寝ても症状が収まらず、夕方に眼科へ行ったら、 見事にそう診断されてしまった。 抗生物質を処方してもらう。
結膜炎には、細菌性やウイルス性、アレルギー性などがあり、 ウイルス性のものが「はやり目」といって感染力が強いらしい。 細菌性には薬があるのが幸いだが、ある程度注意しなければ いけないことに変わりはない。 梅雨のせいだろうか。
橋本で久しぶりに自分の服を買ったが、どこかに置き忘れて しまった。 家に帰って、幾つか心当たりのある場所に電話をして、 行方を追った。 幸い、サティのレコファンにあることが判明した。
そのレコファンで入手したのが、東芝EMIから出ているサンバの コンピCD "Fresca Samba !"。 先日買った、ヴィヴァ・ヴォスのCDが結構気に入ったので、もう少し サンバに首を突っ込みたくなったのだ。
全部で28曲も入っているので、まだ全部聴いていないが、 かなり良さそう。 レニー・アンドラージの「ナォン・アジアンタ」のベース・ラインは、 めちゃいけてる。
今度は計画的にとち狂って、再び卓球部の練習に参加した。 先週よりは少し無駄な力が抜け、ボールをきちんと見れる ようなった。 と言っても、まだまだ現役生のペースについていくのは無理で、 半分以上の時間は床の上でくたばっていた。
今日は院生会主催のバレーボール大学もあった。 私は出場していないが、我が研究室は2位になったそうだ。 夜は学内で打ち上げをやっていたので、少しだけを顔を出した。 張り切って料理をしていた三宅君を「いぢめて」から、 すがすがしい気分で帰宅した。
午後に3時間の会議。 今月中旬から来月上旬にかけて強行軍なので、 そろそろ基研の研究会の準備を始めておく。
スゥエーデンのピアニスト、ボボ・ステンソンが 聴きたくなり、"Sereninty" (ECM)と"War Orphans" (ECM) を仕事中に流していた。
午後に7時間の会議。 とても日記を書く余力はありません。
生協で三刀基郷著「トコトンやさしい 接着の本」(日刊工業新聞社) を購入。 EPSONの新しい液晶プロジェクターを試用してみることにした。
大学の図書館で「スイング・ジャーナル」をチェック。 ついでにコーヒーが飲めるといいのだが。
講義+講義。 ただし、会議はなし。
久保先生の「統計力学」(共立出版)が新装版で出ていたので、 持っているのと同じと知りつつ購入した。 この本の初版が1952年であることはに驚きだ。
2002年8月:
リーズ滞在篇
1998年12月〜2000年3月:
不安なイスラエル日記