邪頭(じゃず)的日記
2003年1月


1月31日(金)

バージョン12の修正中。


1月30日(木)

ずるずると引きずっている論文の大修正。 とうとう、バージョン12になってしまった。 まだしばらく時間がかかりそう。

ブラッド・メルドーのチケットが送られてきた。 宣伝広告に書かれたメセニーの言葉によると、 「ハービー・ハンコックが登場して以来、最も エキサイティングなピアニスト」なのだ。 技術的なことはわからないし、顔つきも好きになれないが、 何か新しくて不思議という意味では同感。


1月29日(水)

昨日からの長いメイルを書き終える。 それを送って少し肩の荷が降りる。

今年度に購入した物品で未払いになっているものが いくつかあることがわかって、ばたばたとする。 物理学会の予稿の締切りも迫ってきて、 さらにばたばたとする。

かき氷の原稿を再度仕上げる。


1月28日(火)

化学科のカリキュラム上の問題で、朝から学内を奔走。 油化学辞典の原稿を送付。 研究科長選挙。 長いメイルを書きかける。

午後はまるまる教室協議会。 夕方から来客。 三時間程度お話しをして夕食。 大学に戻って、学生のデータを検討。

かき氷の原稿のレスポンス有り。 ブーレーズ先生のチケットを取得。 共同研究者から論文の原稿がくる。 再レフリーの論文も一つ。


1月27日(月)

午前中は研究室ゼミ。 今年度はこれでおしまい。

大学に出てくると、もぐら叩きゲームをやっているような気分になる ことがある。 次から次に湧いて出てくる用事をどんどん片付けないといけないからだ。 今のところまだなんとか押さえ込んでいるが、私がもぐらに負ける日 もそう遠くはないかもしれない。


1月26日(日)

一週間待ったが、結局ブラッド・メルドーに一緒に行ってくれる という人は現れなかった。


1月25日(土)

午前中は今年度最後の化学熱力学。 せっかく「かき氷騒動」についてまとめつつあるので、その 内容について話した。 学生は身近な問題になると少なからず興味を示す。 最後には実際の放送のビデオも見せた。

講義が終わってから、邪頭研の三宅君が次のDVDを貸してくれた。

午後は博士公聴会があったので、カリキュラム委員として お手伝いをする。
1月24日(金)

来年度の卒研配属では、現三年生のある学生に頼んで 全体を取りまとめてもらったので、お礼を兼ねて一緒に食事に 行くことにした。 その学生はさらに友人を二名ほど連れてきたので、私を含めて 四人で南大沢の日本海庄やに入った。(先週と同じ店。)

二十歳前半の若者の感覚で会話をするのは、なんだか久しぶりな ような気がして少し新鮮であった。 彼らが今何に興味があり、何を感じているのか、ということ は、私ほどの年齢にもなるとなかなか興味深い。

最初の学生は自分のホームページをもっているらしいので、ついでにここで宣伝をしておこう。 元気があってよろしいのでは。


1月23日(木)

物性研究のかき氷の記事は一旦終わりにして、つくばで色々と 実験に協力してくれた知人(これだけ書けば誰かは明らか) に目を通してもらう。

次に、昨年から寝かせておいた脂質系の論文をじっくりと見直す。 時間がたつと、あれこれと気になる箇所が出てくる。 とにかく、落ち着いて一つずつ片付けていかねばならない。

下痢。


1月22日(水)

明日の晩は都立大人文学部の菅野賢治さんと、 東大教養学部の安西信一さんと夕食をご一緒にする はずだったのに、急遽キャンセルになってしまった。 実はこのお二人、大学時代の邪頭研の先輩である。

いいことだろう。 菅野さんは「ドレフュス事件のなかの科学」(青土社)、 安西さんは「イギリス風景式庭園の美学―「開かれた庭」のパラドックス」 (東京大学出版会)という本をそれぞれ出版されたばかりである。

私など、「そもそもドレフュス事件って何?」というレベルであるが、 こういうバリバリの文系の研究者とお話できることを非常に 楽しみにしていたので極めて残念である。


1月21日(火)

ビデオ録画した「伊東家の食卓」の画像を物性研究に使うこと について、番組の担当者に電話で問い合わせた。 物性研究という雑誌の説明がえらく難しかった。

夕方に責任者から連絡があり、ダメということだった。 今回の件はともかく、様々な情報が入り乱れるこの時代に、 何をどこまで使ってよいのかは難しい問題である。

昨日書いたことを繰り返します。 どなたか、2月15日にブラッド・メルドーを聴きに 行きませんか。


1月20日(月)

午前中は研究室ゼミ。 今年、卒業する学生の発表。

VHSビデオに録画してある「伊東家の食卓」の一部を、 画像として物性研究の原稿に使いたいと思っていたが、 どうしたらよいのかわからずにいた。 今日たまたま研究室に顕微鏡画像をパソコンに落とす装置が あることを教えてもらい、ビデオで試したらうまくいった。 技術的には可能になったが、これっていけないこと?

2月15日にすみだトリフォニーホールであるブラッド・メルドー のソロピアノ・コンサートに行くことにした。 まだ席に余裕はあるそうだ。 誰か一緒に行きませんか?


1月19日(日)

今日も物性研究。 夕方、橋本のレコファンで、 宮沢昭の「グリーン・ドルフィン」(Union Jazz)と ブーレーズ先生のマーラー6番(Deutsche Grammophon)を安く入手。 家に戻って再び物性研究。 ようやく先が見えてきた。

朝からブラッド・メルドーの"The Art of the Trio"シリーズを vol.1から5までぶっ通しで流しておく。 夜にヒッチコックの「ロープ」を鑑賞。 何度見てもいい。 こういう英語が聞き取れるようになりたいものだ。


1月18日(土)

待ったなし。 一日中、物性研究の原稿を執筆。


1月17日(金)

知人に誘われた4月のブーレーズ先生のコンサートに行く決心をした。 ついでにチケットの手配もお願いすることにした。 どいうわけか、年が明けてから私は毎日のようにブーレーズ先生 のCDを聴いていた。 ちょうどそのタイミングでの来日公演というのも何かの縁だろう。

一旦その気になると、2月15日のブラッド・メルドーも行きたく なってくる。 今回はホールでのソロ演奏なのでインパクトは少ないかもしれないが、 やはり見ておきたい気がするのだ。


1月16日(木)

四方さんの集中講義の二日目およびセミナー。 セミナーでは高分子電解質の誘電緩和の話をされた。 分子の個性が見えてくる高周波の誘電緩和を見つけたそうだ。 私としては、遅いダイナミクスについて、もっと詳しく聞きたかった。

物性研究の編集長から、原稿の進捗状況について再び聞かれる。 遅々として進んでいないことを正直に申し上げたら、 さらに励ましのメイルまでいただいた。 自分としても情けないが、ここまでくれば何としても 完成させる以外になかろう。


1月15日(水)

阪大高分子専攻の四方(しかた)さんの集中講義に朝から晩まで出席。 紐状ミセルのレオロジーと誘電緩和。 レオロジーのデータの見方がだいぶわかるようになった。

夜は四方さんを囲んで軽く飲み会。 場所は南大沢の日本海庄や。 帰りの外はまともに人と話ができないほど寒かった。


1月14日(火)

それなりに仕事はこなしていたが、特にどうということはない日。 しかし、やらなければいけない事が山積みで、いらいらする。 山にでもこもりたい心境である。

とりあえずアンデルマンに先週の計算結果をまとめて送る。 返事はすぐに来たが、ネッツと共著の電解質系のレビュー論文 の仕上げにかかりきりで、今はこちらの問題を考える余裕はなさそう。


1月13日(月)

深作欣二の死去が伝えられたが、私は彼の映画を見たことがない。 正月に読んだ荻野目慶子の「女優の夜」(幻冬社)で、深作欣二が癌を 病んでいることは知っていた。 この本で荻野目慶子との愛人関係をせきららに書かれて、深作欣二は 一体どう思っているのだろう、などと余計な心配をしていた矢先の訃報 であった。


1月12日(日)

午前中は昨晩走らせた計算を大学でチェック。

昨年末にサンリオ・ピューロランドの折り込み広告が入り、 年始期間中は八王子市民の入場料を値下げするというので、 娘と再び一緒に行く約束をしていた。 通常五千円もする親子の入場料が二千円になるので、 その差は大きい。 正月は親の不調で実現できなかったため、今日行くことにした。

連休の中日と重なり、親子連れで溢れてかえっていた。 浮いた三千円までは気前良く使わせてやる方針が良かったのか、 前回ほど不快な思いはしなかった。 いずれにせよ、子供の遊びにしては値段が高すぎる。


1月11日(土)

午前中に化学熱力学の講義。 この講義も終盤なので、 コロイド結晶のスペースシャトル実験に関する、 ポール・チェイキンのネイチャーの論文(97年)を 題材に取り上げた。 3年生の学生にとってまだ科学英語を読むのはつらそうだが、 この一年間の講義をきちんと理解していれば 内容は追えるはずです。

モデルで気になることがでてきたので、もう少し詳しく調べる。 最後は計算機にまかせて帰宅。


1月10日(金)

午前中は大学院の講義の最終回。 電解質系の基本的な話をしたが、学生にとってはしごくつまらなさそうだ。 あまりにもつまらなさそうなので、気の毒に思えてくるほどである。 人間の精神力は、何らかの目的意識に支えられていない限り、どうにも ならないものなのね。

今週の計算結果をノートにまとめたり、荷電脂質の論文の打ち合わせなど。

晩に「パンドラの箱」ならぬ「パンDELLの箱」を開けてしまう。 するとすべての悪と災いが抜け出てきてしまった。 そして箱の底には発砲スチロールだけが残った。


1月9日(木)

数値計算は無事に終了していたので、今までの結果を一旦グラフに まとめる。 それだけで一日の大半が過ぎる。 油化学辞典の原稿の手入れを少々。

年末に注文しておいたDELLのノートパソコンが納品される。 今の計算が一段落するまでは、箱を開けないでおこう。


1月8日(水)

広大の山田君が都立大に立ち寄ってくれたので、ついでに インフォーマルなセミナーをしてもらう。 中性脂質に電解質を加える実験と理論解析。 カルシウムイオンが中性脂質の頭部に吸着するという事実は、 理論的には理解しにくい現象である。 現実の物質の振る舞いは複雑だ。

それでも20年以上も前から、この現象の理論を考えていた 理科大の大島さんやNIHのパルシジアンは偉いと思う。 我々も山田君と似た問題を考えているが、アプローチの相違点 がはっきりしてよかった。

モデルの解析を続け、最後に長いジョブを計算機に放り込んで から帰宅。


1月7日(火)

朝から晩まで、ひたすら新しいモデルを数値的に解析する。

映画「π」は良かったという知人から、ブーレーズ先生の コンサートに誘われる。 実はかなり心を動かされている。


1月6日(月)

仕事始め。 たまった雑用を片付けながら、少しずつ頭を研究に切り 替えていく。

年末から問題になっているモデルを、変更して調べてみる ことにした。 これまでのモデルと比較してどちらが正しいかは別として、 これはこれで押さえておきたくなったのだ。 とりあえず大雑把な当りをつける。

プライベートで日記に書けない大きな出来事あり。


1月5日(日)

娘とヴァージン・シネマズ南大沢で「とっとこハム太郎2」を観る。 音声や映像に迫力があり過ぎて、娘は初めての映画館を怖がった。 ビデオが普及した今、新しい映画館は強い刺激を追求している のだろうが、一緒にいた私もくたびれた。 小さい頃からこんなものに慣らされてしまうと、繊細なものに対する 感性が破壊されてしまうのでは。

夜はNHKスペシャルで小澤征爾、その後NHK教育でピエール・ブーレーズ 先生を拝見。


1月4日(土)

橋本で食料的買い物。 一度気分が緩むと、体調がある程度回復してもなかなか仕事に 戻れない。


1月3日(金)

悪友から今晩、新宿ピットインであるエルビン・ジョーンズの ライブに行かないかと急に誘われるが、熱は下がったものの、 明らかにまだ万全ではないので、泣く泣く断る。 と言っても、雪が降り出して、出かける気分でもなかったのだが。

何も生産的なことができていないのが許されるのも、今日あたり までだろうか。 えーい、今のうちだ。 サイモン・シンの「暗号解読」を読み始めよう。


1月2日(木)

昨晩は悪寒のためよく眠れず、朝起きて体温を計ってみると、 少し熱が出ている。 体もだるく、ほぼ一日中布団の中で過ごす。 うとうとしたり、荻野目慶子の「女優の夜」(幻冬社)などを ぱらぱらと読みながら、だらだらと過ごす。

体調の悪さに追い討ちをかけたのが、年末に何となく好奇心で 借りた「π」というビデオを見たこと。 あまりにも表層的な下らない内容で、熱が一気に38度まで上がる。 かくして、まったくさえない正月になってしまった。


1月1日(水)

明けましておめでとうございます。 昨年末の日記は忙しさのためにすっかり淡白になってしまい ましたが、今年は気持ちも新たにして、皆さんに引き続き 読んでいただけるような日記にしたいと思います。

昔はそう思わなかったが、最近は初詣をきちんとしておこうという 気になる。 多摩動物公園前まで車で行って、そこからモノレールに二駅ほど 乗って高幡不動で降りる。

駅前から続く参道は人が道一杯に行列を作り、少しずつしか動かない。 30分ほどかけてようやくたどり着いた境内はあたかも戦場の ようで、落ち着いてお参りができる状態ではなかった。 遠方からさい銭箱に10円玉を放り込んで、そそくさと退散した。

夕食後に下痢。 寒気がしてなかなか寝付けない。


過去の日記:
2002年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
2001年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月

2002年8月: リーズ滞在篇
1998年12月〜2000年3月: 不安なイスラエル日記


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