邪頭(じゃず)的日記
2002年9月


9月30日(月)

アンデルマンが都立大の国際交流会館に入居。 研究室で彼のパソコンの設定を行うが、SambaとXPの 兼ね合いが分からず、プリンタはうまくいかなかった。

昼食をはさんで、15時からアンデルマンのセミナー。 高分子と界面活性剤の相互作用。 エレガントな仕事だ。 外来者もあり、雰囲気は良かったと思う。

夜は中華料理店で会食。


9月29日(日)

アンデルマン家の人達と新宿で待ち合わせて、原宿、表参道 を散策する。 ただし奥さんは体調不良で休息。 アンデルマンを残して晩に家族は離日。


9月28日(土)

中野の実家を訪問。


9月27日(金)

科研費の申請の通知が今日きて、学内締め切りが10月15日 とは恐れ入った。 アンデルマンも滞在中だし、これではとても落ち着いて準備 できる状況ではない。

今回からは「若手研究」には応募できないのが残念である。 それにしても申請書のキーワードを眺めていたら、 「物理学」の中に「ソフトマターの物理」が可愛らしく 載っているので、思わず笑ってしまった。 「の」がついてしまったところが間抜けでよい。


9月26日(木)

今月はとにかく忙しくて、落ち着いて日記を書く時間が とれなかった。 しかも今頃になって風邪をひいたりして体調悪いし。 それでもこの日記に付き合ってくれている人に対しては、 頭が下がる思いである。 とりあえず、つまらない事象の羅列を続ける。

昨晩書いたレフリーレポートをもう一度読み直して 手を入れる。 レフリーの論文があと二つも残っているので、 そちらにも目を通し始める。 自分の論文をまともに書く時間もないのに、何で他人の 論文ばかり閲読しているのかしら。

後期の集中講義の予定を決める。 「科学を絵に描いた男田中豊一―ゲルの世界を拓く」 (東海大学出版会)を購入。


9月25日(水)

幸い熱はそれほど上がらずに済んだが、くしゃみや鼻水 などの症状は続き、気分はさえない。 今日から咳も出始めた。

午前中はレフリーのための論文を読もうとするが、集中力が ないのでなかなか頭に入らない。 こんな状態でレフリーをしてもよいのだろうか、などと思い つつ、よいことにする。

昼過ぎから教室協議会に出席。 ある議題で、結果的に全員の中で私一人だけが反対の挙手を してしまったのはかなり恥ずかしかった。 でも後悔はしていません。 後期の研究室セミナーの予定を決める。

夕食後にレフリーレポートをまとめる。 自分の判断がしっかり固まっていないので、どうしても 筆がにぶる。


9月24日(火)

昨晩は寝ている間に悪寒がしてきた。 まずい。 朝になって体温を計ってみると、熱が出ている。 このところの疲労の蓄積も限界にきたようで、 ついにダウン。

それでもなんとか大学には行って、どうしても片付け なければいけない用事だけ済ませる。 保健室で風邪薬をもらって、午後は家で休む。


9月23日(月)

久しぶりの休日であったが、疲労がたまっていて 何もやる気が起こらない。 橋本近郊でようやく家のカーテンを購入する。

夕方から喉が痛くなり、風邪の予感。


9月22日(日)

夕方からアンデルマン一家を自宅に招待。


9月21日(土)

午後からアンデルマン家と都内を散策。 新宿、渋谷、青山。 青山の骨董通りを気に入ってくれたようだ。 東京ブルーノートの前で記念撮影をする。 新宿でしゃぶしゃぶ。

修理に出していたDELLのノートパソコンが一日で 戻ってくる。 やはりキーボードが破壊されていたようだ。


9月20日(金)

疲労のせいか、体調がすぐれない。 晩にアンデルマン一家が成田空港に到着。 私は新宿ワシントンホテルでお迎え。


9月19日(木)

今井さんの集中講義の二日目。 球+面。 引き続いて応用化学科のコロキウム。 秩序・秩序転移のダイナミクス。 二日間の「今井ワールド」を堪能。 ホストの吉田先生の部屋でビールを飲む。

ようやく自宅からネットワークに接続できるようになった。

伯父の好村冨士彦氏の訃報が入る。 広島に行けないのが残念。


9月18日(水)

イギリスに行く前から調子の悪かったDELLのノートパソコン について、サポートセンターに問い合わせる。 CDドライブ、バッテリー、ハードディスクなどを全て取り外しても 警報音が止まらないので、最終的に修理に引き取ってもらう ことになった。 どうやら"Ctrl"キーの使い過ぎで、キーボードが破壊されて しまったようだ。

今井さんの集中講義の一日目。 球+球、球+棒。


9月17日(火)

ようやく論文を再投稿する。

本日から新居で電話開通。


9月16日(月)

一日中、荷物の整理。 多摩センターの大塚家具で家の照明器具を購入する。


9月15日(日)

引っ越し。


9月14日(土)

明日の引っ越しのために、ひたすら荷造り。


9月13日(金)

大学のネットワーク交換のため、朝からネットワークが使えない。 何もできない。


9月12日(木)

朝の通勤電車でもう一度論文に目を通す。 午後に訪問者があり、夜まで議論。

アンデルマンのセミナーをメイリングリストに流す。 彼も新しいチケットをテルアビブで受け取ったようなので、 ようやく一安心である。 あとは一週間後の来日を待つだけ。

私以外のスタッフは皆学会のために仙台出張中で、 研究室は閑散としている。


9月11日(水)

とにかく、一旦論文の修正を終える。 レフリーへの返答もまとめ直す。 昼食時に院生とシミュレーションの功罪について議論する。

夕方、都内を所用のために移動。 都心は空気が悪い。


9月10日(火)

論文の修正を続ける。 なかなか終わらない。 三人のレフリーの言うことを取り入れるのは大変だ。

院試に合格した学外の学生が研究室を訪れた。 私が指導することになるので、これまでや、こらから のことについて話し合う。

「中島らもの特選明るい悩み相談室 その1」(集英社文庫)購入。


9月9日(月)

午前中は所用。 午後はまたしても論文修正。 レフリーへの対応の仕方を大幅に変更することにした。 夜までに一段落させて、駅前で院生と一緒にオムライスを 食べる。


9月8日(日)

朝一番から高分子・液晶分科に出席。 自分の発表あり。 午後は川崎先生の特別講演を聴く。 会場で腐れ縁と遭遇する。

その後は何人かの人とだべりながら業界の情報収集。 領域12のシンポジウム会場の外で美宅先生と 生物物理のあるべき姿について議論する。 最後に領域12のインフォーマル・ミーティングに出席して 帰京。


9月7日(土)

午前中は生物物理分科に出席するつもりでいたが、 9件の発表のうち3件も取り消しになって、 しかも時間が繰り上げられたので、あっという間に 終わってしまった。 このやり方には問題がある。

午後は高分子・液晶分科に出席。 ゲルの摩擦の特別講演は面白かった。 よい企画だったと思う。 その後で院生の発表あり。 高分子・液晶分科のインフォーマル・ミーティングに出席 してから、千種で飲み会。 ようやく分科の名称が「ソフトマター物理」になった。


9月6日(金)

午前中に名古屋へ移動。 午後の高分子・液晶分科に出席。 途中、化学物理分科で院生が発表。 夜は京大関係者と名古屋まで戻って飲み会。

ホテルを春日井に予約したのは失敗だった。 学会誌には駅から7分と書いてあったので、電車を降りてしばらく 歩き回ったが、目的のホテルは見つからない。 仕方なくそのあたりの人に訊ねたら、なんとタクシーで 7、8分とのことだ。 ホテルもなんとなく薄汚くて、気分がブルーになる。


9月5日(木)

時差が戻るどころかますますひどくなって、 午前3時に目が覚めてしまう。 このところの睡眠不足で体が重い。

6時前に大学へ行き、アンデルマン関係以外の雑用を 片付けて、ようやく学会の準備が整う。 昼過ぎには疲れてきたので、帰宅して休む。 頭痛がする。

こんな調子の悪い日でも、論文アクセプトのメイルを 受け取ったので、人生うまくできている。 この論文にはとにかく時間がかかった。


9月4日(水)

時差が直らない。 今朝も5時に起きてしまう。 一旦、目が覚めるとアンデルマンの航空券問題が気になって もう寝付けない。

午前中に韓国のKAISTにいるアンデルマンと電話で相談。 結局、すべての対応が私に任された。 幸い学振が指定する旅行代理店で、同じ便の予約ができたので、 一応解決する。 午前中、予聴会、 午後、院試の面接。 予想外の結果となる。

午後にアンデルマンの滞在日数の数え方が間違っていることを 学振から指摘され、再び顔面蒼白。 慌てて帰国のフライトスケジュールを変更して、これも何とか解決 したが、心身ともに疲れ果ててしまった。 もちろん、悪いのは手引きをきちんと読んでいなかった我々であり、 自業自得なのである。

ついでにこの日記を読んでくれている人にアナウンスしておきます。 9月25日に都立大で予定していたアンデルマンのセミナーは、 都合により(上記の問題とは関係ない)、9月30日の15時に 変更されました。


9月3日(火)

時差のせいで、朝5時頃に目が覚める。 家のいても引越前の状態では何もできないので、 すぐに大学に行って、たまっている用事を片付ける。

今月のアンデルマンの招へいに関して、期日までに学振に 提出していなかった書類があることが夕方に発覚して非常に 慌てる。 それは急いで対応して、何とか事なきを得たが、その直後に アンデルマンの航空券の買い方が完全に間違っていることが さらに判明し、すっかり青ざめる。 夕方以降は彼もメイルでつかまらないし、ああ、どうしよう、 どうしよう。


9月2日(月)

日本は暑くてよい。 イギリスのように、真夏の最高気温が30度を超えるかどうか という程度ではなんとも物足りない。 9月になってやや力強さを失った日差しの下で 久しぶりに汗をかきながら、今年もようやく汗腺が活動してくれて よかったわい、と思う。

大学に着くと当然書類の山が待ち受けている。 一つずつ片付ける以外ないのだが、物理学会も迫っているので、 発表する院生と打ち合わせもしなければいけない。 そうこうしているうちに、あっという間に夜になってしまった。 夕食は研究室のスタッフと一緒に回転ずしを食べに行って、 日本語も通じるし、つくづく日本に帰ってきてよかったわい、 と思う。


9月1日(日)

無事に成田到着。 18時に帰宅。


過去の日記:
2002年 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
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2002年8月: リーズ滞在篇
1998年12月〜2000年3月: 不安なイスラエル日記


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