邪頭(じゃず)的日記
2003年6月


6月30日(月)

お忙しいところ申し訳ありませんが、お伺いしたいことがあります。 雑誌「パリティ」から、キュリー研究所(フランス)のBrochard先生の 「線張力」の仕事を紹介する記事の翻訳を頼まれたのですが、 "Brochard-Wyart"の"Wyart"をどうカタカナ表記したらよいか分からず 困っています。 また、"Pierre-Henri Puech"、"Nicolas Borghi"も同様です。 些細なことで申し訳ありませんが、教えていただけば 非常に有り難く存じます。 どうぞよろしくお願いいたします。


6月29日(日)

全身硬直
我覚在筋
絶対安静
自業自得

夜観電視
鍵盤狂田
古典邪頭
自由奇行

注: 狂田=グルダ


6月28日(土)

午前中は普通に仕事をしていて、午後もそうするつもりだったが、 突然とち狂って都立大の卓球部の練習に参加することにした。 すでに半年以上も前にラケットのラバーを貼り替え、練習の時間帯 も確認していたのだが、これまでとてもスポーツをする気になれ なかったのである。

しかし、あまりの運動不足に、さすがになんとかしなければ いけないという気になり、一大決心をしたわけである。 現役生を相手に二時間近く体を動かし、滝のような汗をかいた。 手足の指の皮がむけたところで、止めることにした。 およそ三年振りの本格的な運動である。

卓球部員は、体育館に突然出現した私を暖かく受け入れてくれた。 私としては、普段、接触の機会がない文系の学生と話せた のが楽しかった。 ただし、全体として部員数が少なく、特に女子部員が全くいない のが気の毒である。 私も一肌脱ぎたい気分になった。


6月27日(金)

研究室の半分以上の人が、一昨日からKEKで実験をするために 出払っているので、研究室内は閑散として静かである。 たまにはこういう雰囲気もよかろう。

長い間放置してあった論文を、とうとうバージョン13に として修正することにした。 物事には必ず終わりがあると思っている私も、これだけは いつまでたっても先が見えない。 なんとかこの状況を楽しもうとさえしているのだが、 辛いことに変わりはない。


6月26日(木)

一日かけて論文の査読をする。 今回のように良い論文だと、レフリーをやっても自分のためになる。 しかし、レフリーをしながら毎回思うことは、他人の論文はともかく、 自分の論文は書くことも含めて、一体どうなっているのかということ である。 まあ、そういう刺激を与えてもらえるだけでも、(良い論文の)査読は 意味があるのかもしれない。


6月25日(水)

朝一番で学内の健康診断へ行く。 最近、運動不足が気になっているので、まずエレベーターを 一切使わないことに決めた。 これだけでさほど効果があるとは思えないが、何もしないよりは ましだろう。 省エネにもなるし。


6月24日(火)

講義、放心、会議、放心、会議、放心、講義、放心、就寝。

年明けにニュートン研究所に行く予定を固めた。 内容はこちら


6月23日(月)

よく考えてみると、先週は水、金、土、日曜日に続けて 酒(ただしビールのみ)を飲んでおり、週明けにもかかわらず 疲労感たっぷりである。 声を出すのも面倒だ。

それでも午前中の研究室ゼミでは私が当番になっていたので、 ブロシャールの「線張力」の論文を紹介した。 着想が偉い。 しばらくしたら、「パリティ」にこの論文の解説記事が載ります。


6月22日(日)

"The Synergy Live 2003"のために、四谷の紀尾井ホールへ足を運んだ。 結果的にはとても充実した内容であり、 一週間前に行くかどうかで迷ったのは無意味であった。

一部の石井彰と川嶋哲郎のデュオでは、川嶋のソプラノ・サックス の音の大きさに驚かされた。 大きい音は良い音の必要条件だ。 石井のソロピアノには、キース・ジャレットの強い影響が感じられた。

二部はフランスのジャン・ミッシェル・ピルクのソロピアノ。 圧倒的なテクニックと、適度なエンターテインメント性で、 観客の空気をしっかりとつかんでいた。 特に口笛によるアドリブは絶妙であった。 解説によると、ピルクは「フレンチ・メルドー」と呼ばれているそうだ。 さもありなん。 彼のCDも買ってみよう。

三部ではお目当てのアントニオ・ファラオ・トリオが登場。 どの曲も緊張感溢れるすばらしい演奏であった。 私も気付くと手に汗を握っていたほどである。 演奏終了後、ファラオには予め購入していた "Black Inside" (enja)にサインをしてもらう。 その時ついでに、"You play very exciting 邪頭."と言ったら、 嬉しそうな顔をしながら握手をしてくれた。

世界には凄い奴がいっぱいいる。 ついでにコンサート会場にはきれいな女性がたくさんいた。 ユーロ・邪頭で行こう!!


6月21日(土)

午前中は学内プロジェクトの打合わせ会。 午後から理学研究科の大学院説明会。 研究室には外部から全部で13人も見学に来たが、よもやそんなに 受験することはあるまい。

夜、知人と学生が来訪。 DVDやレーザーディスクを見せながらの「アイ・ラブ邪頭講座」 で夜更かしをする。


6月20日(金)

液晶フォーラムの講演準備。 午後から来客。 議論後、院生も含めて南大沢で飲み会。


6月19日(木)

午前中は2時間以上かけて、アンデルマンへの長い メイルを書く。 モデルの立脚点についての議論が継続中なのだ。 午後、アンデルマンより国際電話。 イスラエルと日本の間で1時間以上も話す。

電話で物理の議論をするのは辛い。 面と向かっていればまだしも、式や図が書けないからお手上げだ。 こちらが思っていることの半分も言えなかった。 メイルでフォローするしかない。

疲れた。


6月18日(水)

大学で軽く雑用を片付けて、物理学会のプログラム編集委員会に 出席するために神谷町へ。 知り合いに会って、べらべらとおしゃべり。

5時までにはプログラム作りが終わり、その足で知り合いと 二人で六本木ヒルズまで歩いていく。 どこで何を見たらよいのかさっぱりわからない有様。 ただし、レストランは思ったほど法外な値段ではなかったので、 その中の中華料理店で夕食を食べる。

新しいテレビ朝日をさらりと眺めて帰宅。 六本木では、日頃あまり目にしない人種をたくさん見かけた ような気がするので、気分転換にはなった。 皆こうやって人生を楽しんでいるのかしら。


6月17日(火)

連続的講義、連続的会議、連続的講義、連続的雑務。 だめだこりゃ。


6月16日(月)

研究室ゼミ。 液晶学会関係の講演準備や原稿など、期限に追われる仕事に粛々と対応。 人生にも期限があるのに。


6月15日(日)

多摩センターの本屋で、娘に地図帳を買ってやった。 小学校の低学年生用のものだが、日本と世界の両方の地図が 含まれているのがよい。 娘はかなり気に入ったようだ。 これで少しは物事が客観的に見れるようになるかしら。

「ハリーの災難」の見残しを観賞。


6月14日(土)

ゆっくり休む間もなく、朝から幼稚園の父兄参観に出席。 体を使って子供と一緒に遊ぶ場面では、私が他の父親よりも いかに体力的に劣っているかを痛感させられた。

それが終わって、娘が来年から入学予定の小学校の授業を見学する。 幼稚園児や小学生を教えるのは、大学生を教えるのとは 比較にならないほど大変であるということを深く認識した。

夕方くたばる。


6月13日(金)

お茶大での集中講義の最終日。 今日は自分の研究を中心に話した。 こうなると、専門分野の違う学生を引き付けるのが大変である。 何はともあれ、私にとってはとてもよい機会であった。

講義の後しばらく議論して、夜は飲み会。 23時過ぎに帰宅。


6月12日(木)

9月に来日予定のサフラン先生の滞在スケジュールを練る。 ユダヤ教の安息日をうまく組み入れたり、広尾の日本ユダヤ 教団の近くにホテルを確保しなけれならない。 「コシェル」という食事の戒律に従った食品は、そこでしか 手に入らないからだ。

東京でのセミナーは9月8日に決定。 主な目的はこちらでの受賞講演。 来日経路は香港のSARS次第。

明日の集中講義の最終準備。


6月11日(水)

「オレオサイエンス」の解説記事脱稿。

常に締切りに追われた生活を送っているようで、精神的に 疲れる。 期限を守ることが一種の強迫観念になっている。 約束事を一切気にしないようなメンタリティを持ち得ない だろうか? 大物への道は遠い。


6月10日(火)

講義、会議、講義のハンバーガー。 先週のようなダブルバーガーではなかったが、疲れること に変わりはない。

午前中の講義で居眠りしている学生を叱った。 「イラクへ行ってこい!」


6月9日(月)

午前中は研究室ゼミ。 昼食の間もなく教務委員会。 その後、非常勤講師の手配など。 その間にも雑用はどんどん蓄積されていき、 それらをおよそ片付け終わったのは夜の10時過ぎ。 それからはもう勉強や研究をする気がなくなってしまうのは 仕方ないですよね。

「パリティ」から翻訳の依頼がきたので引き受けた。


6月8日(日)

全く汚い話で恐縮だが、先日飲まされたバリウムは ソフトマター的排出物になったものの、あまりの重さに 家の便器が詰まってしまった。 仕方なく管理人さんから、ゴムのスッポン(あれは何というのか) を借りてきて別途処理したが、休日気分が台無しになる ような不快な出来事だった。

どうにも納得できなかった私は、周期表でバリウムの原子量を 調べてみた。 その結果、原子量は137と比較的大きいことがわかった。 しかし、それが本当に原因だろうか。

結局、ヴィヴァ・ヴォスの"Viva Voz"(EMI)は入手した。 1979年の作品。 イヴァン・リンス作曲の「決してあきらめはしない」の コードチェンジは気持ち良すぎて危険。


6月7日(土)

娘のピアノの先生が関係する音楽発表会があり、午後から 家族で南大沢文化会館へ足を運んだ。 先生の中学三年生になるお嬢さんのピアノ演奏もあった。

演奏者全員、気合が入りまくりで驚いてしまった。 恐らく、プロの演奏家を目指しているのだろう。 クラシック界の競争の恐ろしさを垣間見たような気がする。 5歳の娘はプロコフィエフのピアノソナタなど理解できるはず もなく、最後部座席の上でそっくり返っていた。

会場を出てから、慌てて階下の図書館でサンバのコンピレーション CDを借りてきて、家で娘に必死で聞かせた。 音楽は踊れることが基本であることを教えるために。


6月6日(金)

お茶大にて集中講義の二回目。 内容は静電相互作用と枯渇相互作用と与太話。 先週はペース配分がよくなかったので、今日は全体を ゆっくりと進めることにした。 学生がわかった気にならないと講義は成り立たない。

同じことを何度も繰り返して言っていると、だんだんこちら のテンションが高くなっていくのが感じられる。 演説とはこういうものだろうか。 今日は持ち駒を出しきったと思う。 その分、帰りの電車では虚脱状態であった。


6月5日(木)

朝一番で消化器検診に行く。 待ち時間の40分を自室で待機していたため、 再び検診車に戻るのが少し遅れてしまった。 そのため、次の順番の人が先に繰り上がっていたが、 これが恐ろしい出来事の始まりだった。

私と順番を入れ替わった男性は、最初に発泡剤を飲まされた 直後に気を失って倒れてしまった。 しばらくして意識は戻ったが、大事をとって担架で保健室に 運ばれていった。 その男性は過去に胃切していたそうで、発泡剤のせいで急激に血圧 が下がってしまったらしい。

その様子の一部始終をパンツ一枚+靴下の無防備姿で 眺め続けていた私は、発泡剤を飲む前から意識を失いそうになり、 バリウムを飲んだ後には朦朧としてしまった。 そのまま逆さ吊りにされたりして、まったく朝から散々であった。 しかも一日中、腹の中のバリウムが不快。


6月4日(水)

金曜日の集中講義の準備。 集中講義というものは、少なくとも自分の理解を深めるには 大変良い機会だ。 あとは学生さんが楽しんでくれれば言うことはないのだが。

明日の消化器検診を前にして早くもブルーになる。


6月3日(火)

講義、教室協議会、その他の会議、講義のダブルバーガー。 おまけに夕食でフライドポテト。


6月2日(月)

午前中は研究室ゼミ。

胃の調子があまりよくないと思っていたら、今週ちょうど 学内の消化器検診があるそうだ。 去年はバリウムと発泡剤を飲んで逆さまにされたのが しごく辛かったが、今年も受診せざるを得ないだろう。 いずれにせよ憂鬱だ。


6月1日(日)

AERAの記事「ユーロ・ジャズで行こう」に乗せられたわけではないが、 今度はイタリアのピアニスト、アントニオ・ファラオの 新作"Far Out" (Culture Publishers)を聴いてみる。 テンションが高く、音色も硬質でとても良い。 切り裂くようなアドリブに思わずにんまりである。 しかも今月22日には来日公演もあるそうだ。

寝る前にヒッチコック監督の「ハリーの災難」を半分鑑賞。 ハリー・ポッターとは何の関係もありません。 念のために。


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2002年8月: リーズ滞在篇
1998年12月〜2000年3月: 不安なイスラエル日記


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