邪頭(じゃず)的日記
2004年9月


9月30日(木)

レフリーコメントを一つ送付。 別の論文のレフリーは断る。 自分の論文はいつやら。


9月29日(水)

講演の準備。 ワークショップの準備。

「ドクターJazz 内田修物語」読了。 内田先生は私も一度お見かけしているが、こんなに凄い人だとは知ら なかった。


9月28日(火)

日本語解説記事に対するコメントがきたので、原稿を修正して一気に 送り出してしまう。


9月27日(月)

少し前に眼鏡を曲げてしまってから、何度も眼鏡を直しているのに、 どうしても眼の違和感が消えない。 どうやら眼自体が悪いのではないかと思うようになり眼科へ行く。 すると眼には異常はなく、単なるアレルギーだと診断された。 点眼薬を使い始めると状況は改善してきた。 季節の変わり目ということか。


9月26日(日)

作業。 橋本で買い物。 中華料理を食べたいと思う。


9月25日(土)

所用で朝から都内へ出かける。 深夜に帰宅。


9月24日(金)

知人の来訪があり、研究の打ち合わせをする。 夕方からネットワークが停止するので、直前にばたばたとする。


9月23日(木)

両親の古稀のパーティーを新宿で行う。 高木信哉著「ドクターJazz 内田修物語」(三一書房)開始。 日本邪頭史そのものであり、貪るように読み進める。


9月22日(水)

レフリーレポートを一つ書き上げる。 ワークショップ関係の用事。


9月21日(火)

午後、教室協議会。 暗い話題ばかり。 首都大学東京が認可される。 パソコンの入れ替え作業。


9月20日(月)

眼鏡の調子が悪いと、体全体の調子まで狂ってくる。 再び橋本で眼鏡の調整。 やはりまだフレーム少し曲がっていた。 眼は敏感である。 やや気分が良くなってきた。


9月19日(日)

いまだ疲労回復せず。

それでも一瞬だけ元気になったのは、八王子のタワーレコーズで 1978年のウェザー・リポートのライブDVDを発見した時である。 ジョー・ザビヌル、ウェイン・ショーター、ジャコ・パストリアス、 ピーター・アースキンと言えば、間違いなくウェザー・リポートの 絶頂期のメンバーであり、高校生の私は毎日のように彼らの演奏に浸って いたのであった。 二時間を超えるライブ映像なのでまだ全部見ていないが、とにかくジャコ がとてつもない天才であったということが如実にわかる。 ピーター青年も張り切りまくりだ。 画質も音質も悪いが私にとっては笑いどころ満載である。


9月18日(土)

この二週間の間には、自分が思っていた以上の疲れが溜まっていたようだ。 午前中は論文原稿に目を通していたが、午後は目が開かなくなってそのまま豚寝。 夕方散歩。 西原理恵子、ゲッツ板谷、鴨志田穣の「どこへ行っても三歩で 忘れる 鳥頭紀行 くりくり編」(角川文庫)読了。 疲れているときにはこの程度が最適。


9月17日(金)

久しぶりに大学に顔を出す。 片付けなければいけない用事がごろごろ。 ごろごろしたいのは疲れている私の方。


9月16日(木)

横山プロジェクトの最終成果報告会に出席。 面白い内容だった。 懇親会とお茶。


9月15日(水)

青森から東京へ移動。 大野晋「日本語と私」(新潮文庫)少し。あまり頭に入らない。 東京駅の丸の内側に昨日オープンしたばかりの「オアゾ」という 建物に入って、とりあえず丸善をチェックしておく。 橋本で再び眼鏡を調整。 それでもまだしっくりしない。


9月14日(火)

午前中は領域11と12を行ったり来たり。 午後は領域12のシンポジウムで講演。 夜は「りんご茶屋」という居酒屋で津軽三味線の生演奏を聴く。 良い思い出ができた。


「りんご茶屋」で飲み過ぎる私


9月13日(月)

東京から青森へ移動。 出かける直前に誤って眼鏡のフレームを曲げてしまい、これから 一週間ほど調子が狂ってしまうことになる。 東京駅の眼鏡屋で簡単な調整をしてもらう。 レフリーの論文を車中で読む。 青森は大雨。 夜に知人達と合流。


9月12日(日)

娘のピアノ発表会。

e.s.t. "Live in Stockholm" のDVDを鑑賞。 エスビョルン・スベンソン・トリオの略。 演奏は比較的単調で、期待したほどのインパクトはなかった。 映像も編集が凝り過ぎているため、かえって落ち着いて見ることができない。


9月11日(土)

疲労回復の日。夕方に自分の学会発表の練習。


9月10日(金)

一日、基研で過ごす。 夜、帰京。 新幹線の中でゲッツ板谷の「直感サバンナ」(角川文庫)を一気に 読んでしまう。 筒井先生の「驚愕の曠野」(新潮文庫)もようやく終了。


9月9日(木)

校正をFAXで送る。 メイルのトラブルでばたばた。 午後、京都へ移動。 つまらない日記はしばらく続くが、いろいろな事が進行中。


9月8日(水)

論文の校正。 一つ脱稿。 別の原稿推敲。

昨年2月15日に墨田トリフォニーホールで行われたブラッド・メルドーの ピアノソロのライブがCD化されていることが発覚。 "Live in Tokyo"(Nonesuch)。 私はこのコンサートに足を運んだので、自分の拍手も録音されているわけだ。 国内盤は二枚組で後日発売されるようだが、待ちきれないので早速入手する。 キース・邪レットの「ケルンコンサート」を凌ぐベストセラーになるかもね。


9月7日(火)

疲れが出つつも、久しぶりに落ち着いて仕事。 原稿推敲。

昨日入手した藤井郷子 "Junction"(ewe)を試聴。 この時代にこれだけストレートなフリー邪頭をやっているのが驚き。 一度、ライブを見に行こうと思う。


9月6日(月)

多摩センター、東京駅、本郷でアンデルマンのセミナー、東京駅、 新宿、餌漁り。


9月5日(日)

参加者はアンデルマン父子、知人二名、娘。 多摩センター、原宿、お台場の日本科学未来館、六本木ヒルズ、南大沢。


9月4日(土)

所用で昼前から外出。 夜は青山のボディ&ソウルで原朋直カルテットを聴く。


9月3日(金)

アンデルマン来訪。 午前中セミナー。 午後は議論。 夜は家で食事。


9月2日(木)

原稿執筆。 論文がアクセプトされる。 良いタイミング。


9月1日(水)

原稿執筆。


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2004年1月〜2月: ケンブリッジ滞在篇
2002年8月: リーズ滞在篇
1998年12月〜2000年3月: 不安なイスラエル日記