休ませてくれい。
入試関係のお仕事。 それが私のお仕事。
入試関係のお仕事。 それが私のお仕事。
入試関係のお仕事。 夜の臨時教授会。
鼻や喉の調子が悪いので耳鼻科へ行く。 この耳鼻科ではなぜかBGMに邪頭が流れている。 やはり花粉症と診断される。 薬を飲んで少し症状が改善される。 論文ちょぼちょぼ、鼻しょぼしょぼ、気分だらだら。
午前中に来年度の卒研生と面談。 三人中二人も遅刻してきたので、かなり頭にきて、不機嫌な対応をする。 午後は教室協議会。 今日も花粉症で調子が悪い中、論文をぼちぼちと書き始める。 眠くて早く寝る。
研究室全体で卒業発表の練習会。 自分も最後にケンブリッジ滞在報告をする。 花粉症が始まり、体がだるくてどうにもならない。 しばらく思考停止である。
昨晩は一緒にライブに行った知人が我が家に宿泊。 帰宅してから深夜までおしゃべりをする。 昼は皆で永山へ行き、広島風お好み焼きを食べる。 知人とはそこで別れ、我々は多摩センターで家具を物色。
午前中は論文を書く準備として、他人の論文のサーベイをする。 午後に昔の卒業生が我が家を訪問しくれる。 赤ん坊を抱いてもらう。
夜はその卒業生と知り合いらと一緒に、新宿ピットインで 森山威男カルテットのライブを鑑賞。 それにしても森山氏は明るくなったと思う。 以前は常に思いつめたようであったが、今日のトークを聞いて いると本人が今後の演奏を楽しみにしているのが伝わってきて、 こちらまで嬉しくなった。
意思確認書問題は一山越したという噂のなかで、 不気味に静かな日。 学部と修士を卒業する学生二名と、発表内容の打ち合わせ。
緊迫した雰囲気の中で理学研究科教授会が開催される。 研究科長の腹は固まっているという印象を受けた。 こらからが最大の山場だ。
教務上の私のミスで、再びてんてこ舞い。 それが一段落した夕方にはすでにぐったり。 夜は外部の学生と食事。
あまりに忙しくて日記を書く時間がないのだが、 都立大と大学管理本部の攻防はのっぴきならない事態に なっていることだけは記しておきたい。 詳しく知りたい方はここや ここ を見ていただきたい。 最終的に都立大が潰されるとしても、都立大教員の学問を守るための戦いは 日本の大学の歴史に必ず刻まれると信ずる。
教務関係の仕事でてんてこ舞い。 このままでは卒業判定に持ち込めないと大騒ぎ。
意思 確認書が手元にあると精神衛生上よろしくない。 早く処理したい。
イギリスでは早めに寝るようにするなど、健康に留意していたため、 生活のリズムが確立していた。 そのために、帰国してからは逆に時差ぼけが激しい。 この二日間、午後になると強烈な睡魔が襲い、倒れ込むように昼寝を した。 逆に夜の睡眠が昼寝のように浅い。
私の自宅にも大学管理本部から「意思確認書」の提出を要求する 手紙が書留で届いた。 すでに様々な所で指摘されているように、大学としてまだ管理本部案 に同意していない現時点では、これは実質的に管理本部に対する 「白紙委任状」である。 しかも、事務レベルでの確認によると、大学管理本部は「これを 提出しないものには、新大学への就任承諾書の提出を求めない」 としている。 都立大の研究者にとって、どのような対応をするかは学問に対する 信念に関わる問題である。
雑用の嵐。
朝10時に無事成田到着。 最後にニュートン研究所のトイレの写真を載せておしまい。
ホテルの朝食で、「トーストはホワイトかブラウンか?」と聞かれ、 咄嗟に意味がわからなかった。 9時半頃にチェックアウトを済ませてホテルを出発。 空港はすぐ隣に見えているのに、シャトルバスはあちこち回って 目的のターミナルに着くまで30分もかかった。 さらにバージン・アトランティックのチェックイン・カウンターには 長蛇の列ができていて、ここでも30分以上待たされた。 まあ、後は飛行機に乗るだけなので、精神的には余裕がある。 無事離陸して、現在この日記を執筆中。
朝起きて宿舎の部屋の片付けや掃除をする。 荷物をまとめて部屋を出るときには、少し感傷的な気分になる。 印刷した論文がかなり増えたので、研究所から小包を一つ発送する。 そうこうするうちにデンマーク人のフリヴベルグのセミナーが始まり、 レーザートラップ実験の解析理論について聞く。 技術的な話が多くて、あまり面白くなかった。
昼食はバウムゲルトナーと、昨日から同室のイタリア人と ウルフソン・コートで食べる。 生物物理の難しさについて語る。 食後にアンデルマンとオルムステッドと今後の予定について話している うちに、すぐに出発の時間になってしまった。 慌てて何人かにお別れの挨拶をする。
今日はこれからケンブリッジを出発し、ヒースロー空港までバスで 移動の予定。 バスセンターまでのタクシーは、オウヤンも同乗してくれた。 予定していたバスよりも一本前の便に飛び乗ることができたが、 慌てて乗ったため、運転者がちゃんと私のスーツケースを載せて くれたかどうかが気になって仕方なかった(結果的には問題なかった)。 車中で柳美里の「魚が見た夢」(新潮文庫)読了。
空港周辺には「ホリディ・イン」と名の付くホテルがいくつかあるので 少し迷ったが、19時頃には無事に到着。 夕食を済ませて、テレビでBBCの放送を見ているうちにすぐ眠くなって、 そのまま就寝。
朝は論文の微調整で少しばたばたする。 今日からワークショップに参加したユーリヒのアルトゥール・ バウムゲルトナーと13年振りに会う。 私が大学院生のときにお世話になった研究者である。 髪の毛がすっかり白くなっていて、昔の雰囲気とは随分変わった。 彼も私が誰か一瞬分からなかったようだ。 話は尽きないが、セミナーの準備があったので、一旦失礼する。
そうこうするうちに、あっという間に自分のセミナーの時間になって しまう。 たまたま今週は同時に走っているランダム行列の研究会が開かれて いるため、いつもとは違う部屋でやった。 これでワイルズの名を汚さずにすんだかもしれない。 外部の人も含めて20人程度が顔を出してくれた。 肝心のセミナーの出来は、自分としては65点程度か。 それでもお世辞で"It was good."と言ってくれた人もいたし、まともな質問 もいくつかあったので、まあそこそこだったのだろう。
昼食後はオルムステッドに論文の英語を直してもらい、そのまま一気に 投稿してしまう。 その後はしばらく、ユーリヒャー、オルムステッド、アンデルマンと私 の四人で最近のNatureに載ったある論文や、ラフトについて議論する。 なかなか難しい問題であることを再認識した。 夕方には部屋の片付けや、コンピュータのファイルの整理などを行う。
夜は上記の四人にバウムゲルトナーを加えて、オルムステッドの車で 中心街の中華料理店へ出掛ける。 今日は大きな仕事を二つも片付けることができたし、周りにいるのは 皆一緒に仕事をした気心の知れた人達なので、私は強い連帯感を感じると ともに、とてもリラックスして幸せな気分になった。 ケンブリッジでの最後の晩をこういう形で終えることができたのは、本当に ありがたいことである。
昼食はチャーチル・カレッジ、夕食はウルフソン・コート。 晩にアンデルマンとキングス・カレッジ前の「イーグル」で ギネスを一杯。 ケンブリッジでの最後の静かな時間を、じっくりと味わいながら 過ごす。
午前中はセミナーの準備。 ウルフソン・コートで昼食。 午後もしばらくセミナーの準備。 と言っても、パワーポイントをごちゃごちゃいじっているだけ。 凝りだすときりがない。 最後の週末なので、ニュートン研究所と同じキャンパスにある "Applied Mathematics and Theoretical Physics"と "Pure Mathematics and Mathematical Statistics"の 建物群の写真を撮っておく。
夕方にアンデルマンとキングス・カレッジのチャペルに行き、合唱礼拝式 に参加する。 一時間弱のセレモニーで、少年合唱団のコーラスと荘厳なパイプオルガン の演奏を堪能することができた。 「カフェ・ルージュ」フランス料理を食べてから、「セインズベリー」 で食料を調達。 タクシーで研究所に戻って、アンデルマンとおしゃべり。
「首都大学東京」 とは何事か。 大笑いをして人がたくさんいるはず。 何でもいいから、せめて「**大学」にして欲しい。
午前中にがんばって論文の宿題を片付ける。 ウルフソン・コートで昼食を済ませて、オウヤンと一緒にキャベンディッシュ 研究所へ歩いて行く。 ここを訪れるのは二度目である。 研究所の近くには、14年前にはなかった近代的な"Computer Laboratory" の建物が新しくできていて目を引いた。
今日はアンデルマンが「ポリマー&コロイド」のグループでセミナーをする ことになっている。 少し早めに着いて、研究所の歴史的な実験装置などを集めた展示コーナーを 見ていたら偶然アンデルマンに出会い、我々をグループの談話室に連れて 行ってくれた。 たまたまそこに座っていたおじいさんに自己紹介すると、なんとエドワーズ先生 だったので跳びあがるほど驚いてしまった。 私はエドワーズ先生の顔を知らなかったのだ。
アンデルマンのセミナーは多価イオンによるDNAの凝縮の話。 オルセー&サクレーの実験グループの結果を定量的に説明しようとするもので、 内容的にはほとんど理解できたが、今一つ理論のツボが押さえられなかった。 セミナー後には再び談話室に戻り、お茶を飲みながら40分程度 エドワーズ先生を囲んで話をすることができた。 私にとっては二度とない夢のような機会であった。
アンデルマンとオウヤンと共に再びニュートン研究所へ戻り、私は セミナーの準備をす。 夜もウルフソン・コートで、ユーリヒャー、ヴィルファン、フリヴベルグ と一緒に食べる。 それからしばらく研究所でセミナーの準備を続ける。 アンデルマンはエドワーズ先生とカッレジで食事。 帰宅後、テレビでビリヤードの試合を観戦。
昨晩は各自が論文を持ち帰って、もう一度目を通すことが宿題 になっていて、今日はその最終的な調整を行う予定である。 その前にまずオウヤンのセミナーがあった。 DNAの弾性に関する内容で、正直なところ半分も理解できなかった。 恐らく私以外の人にもあまりうまく伝わらなかったと思う。 オウヤンは初めてパワーポイントを使って講演するということで 張り切って準備をしていたが、話題が多すぎたかもしれない。 昼食はウルフソンコート。
食後に三人が集まって最終的な仕上げを行う。 少しだけ私の宿題が残ったが、ほぼ完成である。 しかし、ここで気を抜くわけにはいかず、続けて月曜日のセミナーの 準備をする。 ほとんどの部分はすでに用意があるのだが、せっかくの機会なので、 もう一工夫を加えたいところだ。 オルムステッドは再びリーズに戻った。
アンデルマンが早々とカレッジの食事にはもう飽きた言うので、 セント・ジョンズ・カレッジの向かい側にあるスペインレストランへ 行ってタパスを食べる。 いろいろとバラエティがあって楽しい。 ただしBGMの音量が大きすぎて、ほとんど怒鳴り合わないと会話が 成り立たないのは困った。 レストランでは久しぶりに日本人をみかけた。
今週末は最後の週末なので、ロンドン観光でもしようかと思っていたのに、 昨日書いた通り、帰国直前にセミナーの予定が入ったので、 うかうかと過ごすわけにはいかなくなった。 それにしても、アンドリュー・ワイルズがフェルマーの定理を証明したのと 同じ部屋でセミナーをするのは気が重い。
午前中に都立大に電話をして、卒業を控えた何人かの学生と話をする。 プリペイドカードを使うと1分当たり10円もしないので、比較的気軽に 日本に電話をすることができる。 特に変わったことはないようだ。 ただし、大学改革の方はますます悪い状況になりつつある。
今日は今回の滞在中で最も大切な日である。 アンデルマンとオルムステッドと私の三人で 論文の最終的な詰めを行うからである。 昨日までの個別の議論で論点はかなり整理されていたので、 話し合いは二時間程度で済んだ。 昼食後に三人でコンピュータに向かって論文を仕上げる。 18時頃までにはおよその作業が終わった。 緊張のせいか最後の方で一時的に気分が悪くなった(ただし、すぐに回復)。
夕食はアンデルマンとチャーチル・カレッジへ行く。 いつもこの時間に食堂へいくと、恐ろしく大量の野菜を食べている 神経質そうなおじさんが一人いる。 ベジタリアンなのだろうが、あまりの量の多さについ笑ってしまう。
ニュートン研究所の隣に位置する"Betty and Gordon Moore Library" という数学科の図書館に入ってみた。 まだ新しいこともあって、実に明るくて快適な空間である。 数学と物理に関しては、この世に存在するすべての雑誌が揃っていると 思われるほどだ。 ウォーナーとテレンチェフの新しい教科書が置かれている。 スティーブン・ホーキング関連の本や論文を集めた展示コーナーが興味深い。 彼も同じキャンパスにいるはずだ。
研究所に戻ったときにワークショップの世話人であるトム・デュークに会って、 来週の月曜日にセミナーをすることを依頼される。 もちろん引き受けたが、これで一気に胃腸の調子が悪くなってきた。
午前中はキュリー研究所から来ているパスカル・マルタンのセミナー。 彼自身は実験家で、フランク・ユーリヒャーと共同研究をしている。 耳の中にある有毛細胞の運動の話。 生物の特異的な機能を、普遍的な数式で表現することに果たして意味は あるのだろうか。 物理の理解と生物の理解を安易に結び付けるのは危険であると思う。
午後にアンデルマンがオックスフォードから帰って来た。 「ケンブリッジよりオックスフォードの女性の方がきれい」 などと言っている。 ブルク講義の受賞メダルを見せてもらった。 ずしりと重い銀メダルの縁には、アンデルマンの名前が彫りこんである。 夕食を終えて二人でパソコンに向かって論文の修正。 23時まで仕事をしてへとへとになった。
高尾慶子の「イギリス人はかなしい」(文春文庫)読了。
朝8時半に宿舎を出て研究所へ行こうとしたら、向い側の宿舎の 前でオックスフォードへ行くはずのアンデルマンがタクシーを待っている。 昨晩のうちに8時15分で予約していたのに、まだ迎えに来ていないという。 何度も電話で催促して、8時45分過ぎにようやく到着した。 30分以上も遅れるのでは予約の意味がない。
午前中はいくつかの宿題に対応。 昼食のとき、今日から参加したスロベニアのアンドレ・ヴィルファン と知り合いになる。 失礼ながら、彼の所属する 「シュテファン研究所」を 知らなかったので、 後でホームページを見ておいた。 日本の理研に対応するような立派な研究所である。
午後はオルムステッドがリーズから戻ってきた。 先週渡した論文を読んでくれたので、細かい打ち合わせをする。 それから二時間以上、コンピュータの前に一緒に座って論文を添削する。 英語の微妙な表現の違いをいろいろと教えてくれたのが、 大変ためになった。
夕食はオルムステッド、ユーリヒャー、フランスのマルタン、 デンマークのフリヴベルグらと、一昨日と同じ「マハラジャ」へ行く。 私はもうインド料理は御免だったが、皆が行きたいというので仕方がない。 年齢の近い同士の集まりだったせいか、食事中の会話は盛り上がって 楽しかった。 いい気分になって、近くのパブでもう一杯。
週末にかけてばたばたして疲れたので、今日は休養に専念した。 研究所ではメイルだけチェックしてすぐに宿舎に戻る。 昼は日本から持参した「どん兵衛」を食べる。 そろそろイギリスの味に飽きてきたところだ。
午後に一人で中心街まで散歩をして、土産物を少し買う。 帰りに「民族博物館」に立ち寄ってみたが、昨年の10月から改装中 で入れず。 帰宅して一時間ばかり昼寝。 起きてテレビをつけると、ビリヤードの試合を中継している。 恐らくプロの選手なのだろう。
18時を過ぎてからアンデルマンに連絡をとり、オウヤンも誘って チャーチル・カレッジで夕食。 昨晩のインド料理のせいか、アンデルマンは今朝から腹の調子が 悪いそうだ。 私より胃腸が繊細とは意外である。 彼は明日、オックスフォード大でブルク講義の二回目を行う予定。
先週は柳美里の「魚が見た夢」を途中まで読んでいたが、文章が とげとげしくて嫌になってきた。 代わりに高尾慶子の「イギリス人はかなしい」(文春文庫)をさらさら 読む。
2004年1月〜2月:
ケンブリッジ滞在篇
2002年8月:
リーズ滞在篇
1998年12月〜2000年3月:
不安なイスラエル日記