激しい風雨の音で目が覚める。 天候は荒れているが、気温はかなり上がった。 遅めに研究所へ行き、いくつかの書類に目を通す。 しばらくしてアンデルマンもやってきて、彼のパソコン上の写真を 見ながらおしゃべり。 トム・ウィッテンの新しい教科書の存在を教えてもらう。 その後、チャーチル・カレッジで昼食。
午後はアンデルマンとオウヤンと一緒に中心街まで歩く。 私が知るいくつかの代表的なカレッジを案内しようとするが、 天気が悪すぎて観光はすぐに断念。 "Cambridge University Press"の本屋で物理の本を物色しつつ 雨宿りをする。 アンデルマンは「ブーツ」で電池を、「マークス&スペンサー」で 折り畳み傘を入手。 さらに「セインズベリー」で食品をたくさん買い込んで、タクシーを 使って宿舎に戻った。
夜は前に一度行った「マハラジャ」というインド料理で食事。 土曜の夜ということで激しく混んでいた。 かなり疲れて、23時に帰宅。
結局アンデルマンは真夜中の1時頃にヒースロー空港に到着し、 周辺のホテルはすでに一杯だったため、仕方なくロンドンの ホテルに泊まったそうだ。 今朝になって、ロンドンからケンブリッジまで鉄道で移動し、 11時頃に研究所でようやく再会した。 ただしゆっくり話している暇はない。
急いで彼のオフィスや宿舎の鍵などを受け取り、タクシーで 中心部に近い化学科の建物まで一緒に行く。 ぎりぎり約束の時間に間に合ったようだ。 私は彼と別れて、バークレイズ銀行で滞在費の小切手を現金化 しておく。 バーガーキングで軽い食事をして、再び化学科に戻る。 入り口近くの壁に飾ってある写真を見ていて、レナード=ジョーンズが ここの教授であったことを知った。 恥ずかしながら、レナード=ジョーンズが一人の名前であることも 初めて認識した。
午後2時15分に ジャン=ピエール・ハンセンが アンデルマンを紹介して、 いよいよ「ブルク講義」 が始まった。 内容はストライプ相に関する全般的なもので、 私もよく知っている内容なので、カメラとビデオ撮りに専念した。 アンデルマンのパワーポイントもかなり気合を入れて準備した形跡が伺える。 最後に共同研究者に対する謝辞の中で、私の名前も挙げてくれたのは 嬉しかった。
講義終了後、ティータイムの場でアンデルマンが私をハンセンに紹介してくれた。 握手ができたのでラッキー! さらに、たまたまケンブリッジに滞在していたデュッセルドルフ大 のハートムート・レーヴェンと も再会した。 私のことは、昨年の11月に東京で寿司を一緒に食べた人間として 認識されていた。 彼には11月に都立大に来てもらうことになっている。
私は一足先に研究所まで歩いて、オウヤンと打ち合わせをする。 話が脱線して、中国の科学事情まで話題が及んだが、なかなか興味深かった。 しばらくしてアンデルマンも帰ってきて、皆で連れ立ってチャーチル・カレッジ へ夕食に行く。 その後、アンデルマンと二人で近況を語り合う。 なかなかディープな一日であった。
昨日の雪でイギリス南部は相当混乱したようだ。 テレビのニュースでは学校の休校や道路の渋滞、動けなくなった車 の救出の様子などを伝えている。 今日は気持ち良く晴れているが、雪はまだしっかり残っている。 足元に気をつけながら研究所へ行く。
午前中はエジンバラ大のドライデンのセミナー。 制限酵素がどうのこうのという全くの生物の話で、かなり辛いもの があったが、その割には結構理解していたかもしれない。 DNA上の離れた場所にくっついた二つの制限酵素が二量体を形成し、 その間のDNAがねじれるというのは面白い。 セミナー後のお茶を飲みながらの議論で、皆の前でオウヤンが 珍しく自説を主張していたので嬉しかった。
午後はオウヤンの変分計算のフォローをして、最終的に彼の計算が 正しいことを確かめた。 昨日見つけた誤りは、単なるノート上の写し間違いであった。 久しぶりに重い手計算をしたが、結果が一致してよかった。 夕食は四人でチャーチル・カレッジへ行く。
今晩はアンデルマンが到着するはずであったが、 雪のせいで飛行機が遅れて、パリの空港にいる彼から何度も研究所に 電話がかかってきた。 結局この日記を書いている22時過ぎの時点でも、飛行機はまだ 離陸しておらず(搭乗はしている)、今晩はヒースロー空港近く のホテルに泊まるという機内からの電話が先ほど入った。 明日はケンブリッジ大の化学科で 「ブルク(Bourke) 講義」を行うという、 彼にとっては晴れの舞台なのに、果たして間に合うだろうか。 こちらも気が気ではない。
朝起きたら、外は一面に雪が積もっている。 テレビのニュースでも車の事故や道路の渋滞を伝えている。 先週のケンブリッジは東京よりむしろ暖かかったのだが、 ここ数日はしっかり冷え込んできた。 厚手のセーターを持ってきてよかった。 午前中は晴れていたが、夕方には激しい吹雪になった。 そんな中、オルムステッドは車でリーズへ一旦帰った。
午前中はオウヤンと打ち合わせをして、午後は図書室にこもって 彼の変分計算のフォロー。 相変わらずオウヤンの計算力は凄まじい。 途中で間違いを一つ発見。 単なるタイプミスかどうかは明日チェックしよう。 夜はユーリヒャーとウルフソン・コートで食事。 長期滞在している人達同士はだんだんと顔馴染みになって、 気心が通じるようになってきた。
明日の晩にはアンデルマンがケンブリッジに到着する。
午前中はアレックス・レヴァインのセミナー。 セミフレキシブルポリマーの各モノマーにイジング型の 内部自由度を持たせたモデル。 曲げ弾性率がへリックス状態とコイル状態で異なる値を とるようになっている。 ある程度曲げるとバックリングが起こり、曲率がコイル状態の 領域に集中する。 理論的には分かりやすい話だった。
昼はマクリーシュの学生二名と一緒に、同じ敷地内の数学科の食堂で 軽い食事をとる。 最近できたばかりのモダンな建物である。 午後は論文を再度チェックして、オルムステッドに渡す。 そのついでに、これまで理解してもらえていなかった点をしっかり 説明する。 夜は研究所の隣のウルフソン・コートで、オウヤンとユーリヒャー と一緒に食べる。 研究所に戻って、伊豆山先生(私の師匠)の生体膜の論文を読む。
研究所内では、どうしても我々のような非西欧人と西欧人が分離する 傾向があるように感じる。 その結果、中国人のオウヤンやイラン人の学生とは微妙な連帯意識が 生まれる。 少なくとも私にとって言葉の壁は厚い。 表面的な会話や一対一の議論はなんとかなるが、西欧人の集団の議論や 会話に加わるのは難しい。
たまたま内容がわかって何か口を挟もうとしても、あっという間に話が 先に進んでしまう。 彼が我々に合わせてくれることはない。 ごく稀ではあるが、意図的に我々とは話をしない人もいる。 英語の飛躍的向上はどうせ無理だから、なんとか彼らをこちらに振り 向かせるような成果を見せつけたいものだ。 悔しいが頑張るしかない。
この日記を読んで下さっている複数の方から、これまで私が 「チャーチヒル・カレッジ」と書いているのは「チャーチル・ カレッジ」の誤りではないかという御指摘を受けた。 "Churchill College"なので もちろん私の間違いであり、これまでの日記を訂正した。 無知とは恐ろしいものである。 ケンブリッジのことはよく知っている人が多いので注意しなければいけない。 深くお詫びすると共に、誤りを教えていただいた方にはお礼を申し上げたい。
再び曇って寒くなってきた。 週末にリーズやエジンバラなど、それぞれの場所に戻っていた 人達も戻ってきて、研究所内に活気が満ちてきた。 先週はエジンバラ大のドライデンと同室であったが、今日からは マクリーシュの学生カトリ(Khatri)が加わって三人になった。 一日かけて論文をじっくりと仕上げる。 夕食はオウヤンとユーリヒャーと一緒にマーケット広場近くの 中華料理屋に行く。 オウヤン推薦の炒飯を食べて少しほっとする。
食後の8時半からコッククロフト講義室で行われた 「G. I. テイラー講義」にオウヤンと二人で顔を出してみた。 私の博士論文の一部はテイラーの結果の拡張であったので、彼の名前には 人一倍の思い入れがある。 「ファラデー講義」のような一般向けの講演会で、ウォルスターという ケンブリッジ大の地球物理学者が海面にできる氷の話をした。 私にとってはまさに「かき氷騒動」を思い出させる内容で、非常に 面白かった。 下の写真は氷に塩をかけて温度が下がるのを見せているところ。
7時起床。 宿舎にいてもすることがないので研究所へ行く。 ついでに所内の写真を何枚か撮っておく。 下の写真は2階のラウンジで、人と議論する空間が充分に 確保されている(緑色のものは黒板、薄茶色は個室の扉)。 日本のニュースもネットでチェック。 オウヤンと共同研究の打ち合わせをする。 彼には教わることばかりだ。 昼はチャーチル・カレッジでパイを食べる。
食後に一人で北のハンティンドン通り沿いを散歩する。 この周辺にもセントエドモンズ、フィッツウィリアムなどの カレッジが点在する。 トリニティホールやエマニュエルカレッジの芝生のグランドでは、 学生がサッカーやラグビーに興じている。 のどかな風景だ。 ケンブリッジ全体として、自然と調和した趣きのある風景や、 学問の伝統を大切にする雰囲気はすばらしいことに間違いないが、 一方でそれを素直に認めたくない別の自分との葛藤がある。
再び研究所に戻って、夕食まで論文の直し。 夜はオルムステッドとアレックス・レヴァインの三人でインド料理 を食べて宿舎に帰る。 たまたまテレビでジャッキー・チェンの映画をやっていて、 英語が聞き取れなくてもだいたい内容がわかるので、 つい見てしまう。
7時起床。 ようやく晴れて、ケンブリッジに来て初めて太陽を拝むことが できた。 人間の気分は、太陽の有無で実に大きく変わるものだ。 空気も澄んでいてすがすがしい。
オフィスで久しぶりに落ち着いて仕事をする。 研究所に来ているのは、オルムステッド、レヴァインとオウヤンだけ。 論文を直したり、オウヤンに教えてもらった論文に目を通す。 その他にヒースローのホテルの予約をしたり、この日記に写真を 加えたりする。 ファイルの容量が大きくて申し訳ないが、自分の筆力だけでは伝え きれないものがあるので、お許しいただきたい。
夕方、オウヤン氏と一緒に買い物に出掛ける。 中心街までは歩いて20分程度だ。 東京の都心を思い出させるような人出の多さに驚く。 イギリスの景気はよいのだろうか。 帰りがけにセントジョンズ・カレッジを見ておく。
食事は昼も夜もチャーチル・カレッジの食堂で食べる。 日本で言えば学生寮の食堂に相当する。 日曜日も営業しているのが有難い。 ただし、味付けがかなり濃いので、ここで食事をし続けると、 体が悪くなりそうだ。 カレッジの男子トイレにコンドームの自販機が置かれているのが 目を引いた。 トイレついでに言うと、こちらはトイレットペーパーの設置 方向が日本と逆である(つまり紙を下から引き上げるようになる)。 どちらも違和感あり。
7時起床。 最終日の今日は化学者の講演が三つ。 リチャード・テンプラーは脂質膜とタンパク質の相互作用の話をした。 何か新しいモデルを考えたくなるような内容であった。 最後に話したジョン・ウォーカーが97年のノーベル賞受賞者であることを 後になって知った。 猫に小判である。
昼食後に台湾人のデビッド・ルウが、中国人のオウヤンと私をいくつかの カレッジに案内してくれた。 ルウはキャベンディッシュで学位を取得しているので、ケンブリッジの カレッジのことををよく知っている。 クレア、キングス、クイーンズ、トリニティの順番で回った。 ケム川に架かる「数学橋」、古いキャベンディッシュ研究所、 トリニティ・チャペル内のニュートン像などを見ることができて満足。 ルウには面白い話を色々と聞かせてもらったし、彼でないとわからない ような場所にも連れて行ってくれたので、とても感謝している。 ルウは心遣いがとても細やかだ。
研究会が終わって多くの参加者が研究所を去った。 残ったのは長期滞在の研究者だけである。 マクリーシュも週末は家族のいるリーズに戻る。 ようやく落ち着いて仕事ができるようになったが、 その前に一息入れよう。 まずは洗濯だ。
7時まで眠れた。 時差が直りつつあるようだ。 朝から英語で話すと食べたようでないので、朝食は宿舎で済ませる。
今日の講演はディル、フレンケル、ダービンの三人。 ディルはタンパク質の折り畳みのキネティックス。 ディルは、私と共同研究をしたことのあるトーマス・ヴァイクルが ポスドクを過ごした研究室のボスであることに気付いた。 フレンケルはDNAで修飾したコロイドの凝集の話。 生物とは無関係だったので、これまでの講演の中で最も良く 理解できた。 ダービンの遺伝子の話は全くお手上げ。
午後は自由時間。 ロビーではマイケル・フィッシャーを中心に、10名近くが オープン・ディスカッションをしている。 私は個人的にミロシニチェンコ、オルムステッド、ルウ、リヴァプール 達と情報交換をする。
夜は8時からトリニティ・カレッジで夕食。 食事の30分前に、一部の人達が昨晩と同じ"Mikre"というパブに 集まって、ビールを一杯飲む。 夕食のメニューはブロッコリ・スープ、焼き羊、野菜、アップル・プディング、 コーヒー。 明かりがろうそくだけなので、何を食べているのかよく見えない。 部屋にはニュートンの肖像画がしっかり飾ってある。
終始にぎやかな雰囲気で、私は隣に座ったリヴァプールとずっと話していた。 私の論文を認識していてくれたのが嬉しかった。 最後にフィッシャーがスピーチをしたが、何を言っているのかほとんど 聞き取れない。 それでも他の人たちは、彼のジョークで大笑いをしている。
10時半近くになって、今度は"Eagle"という別のパブへなだれ込む。 ここはワトソンとクリックがよく訪れた由緒あるパブらしい。 相変わらず周囲の会話は聞き取れず、にこにこしているばかりである。 パブは11時に追い出される。 12時に帰宅。
時差で4時に起きてしまう。 「DNA」を読み進める。 このにわか勉強が、研究会で生物の話を聞くときに少し 役立っている。 朝食は昨日とほぼ同じメンバー。
今日の講演のお目当てはスタン・ライブラー、フィリップ・ネルソンと ジャン=ピエール・ハンセン。 ライブラーの話は面白そうだったが、生物用語や背景を知らないので、 ぼんやりとしか理解できなかった。 ネルソンは自分の生物物理の教科書の宣伝。 ハンセンはイオンチャンネルの密度汎関数とシミュレーションについて。 あまりピンとこなかった。
夕食はチャーチル・カレッジには行かず、オルムステッドを含む 10人程度で中心街のタイ料理店へ繰り出す (後で「地球の歩き方」を読んでいたら、"Bankok City"というこの店が 薦められていた)。 私が注文したトム・ヤム・クンは辛すぎて、他の人に食べてもらった。 もう一つの炒飯のようなものは問題なし。 インド人が二人いて、カースト制と遺伝の関係が話題になっていた。 危ない、危ない。
その店を出てパブでビールを飲む。 その頃になると疲れて集中力もなくなり、周囲の会話はほとんど聞き 取れなかった。 ただし、会話の内容を理解していないのは私一人だけ。 それでもこにこしてしているしかない。
真夜中の3時に目が覚める。 重い荷物を運んだせいで、腕や首が筋肉痛になっている。 宿舎や研究所の案内に目を通して、荷物や身の回りの整理をする。 5時から再び寝て7時に起きる。
朝食のために、道路を隔てて宿舎の向かい側にある チャーチル・カレッジへ行くが、早過ぎてまだ準備ができていない。 先に一人で待っていたペンシルバニア大のフィリップ・ネルソンと庭を 散歩する。 最近彼が書いた生物物理の教科書の話題を持ち出すと、嬉しそうにして 実際にその場で見せてくれた。 日本語にも翻訳したいそうだ。
食堂でオウヤンやトム・マクリーシュ、ウィルソン・プーンらに 会って挨拶をする。 宿舎から歩いて2分のニュートン研究所で、研究会や長期滞在の手続きをする。 研究所のスタッフはビジターが何を必要とするかを知り尽くしていて、 完璧なガイダンスをしてくれた。
今週は 今日から" Towards Predictive Biology"という研究会が開かれる。 プログラムはこちらで、今日話したのはクロケット、フィンケルシュタイン、 ソルントン、トリニック、マイケル・フィッシャー。 生物の話はどうも隔靴掻痒である。 フィッシャーの話は2000年にイスラエルで聞いたものとほとんど 同じで、残念ながらあまり面白くなかった。 会場でピーター・オルムステッドやフランク・ユーリヒャー、デビッド・ルウ、 ユアン達と再会する。
オフィスも与えられ、午後には講演を一つさぼってパソコンのセットアップ を行う。 これでメイルのチェックや日記の更新ができるようになった。 コンピュータ関係のテクニカル・スタッフのサポートもしっかりしている。 研究所の構造などについては別の機会に書く。 トイレの黒板は確認。
研究会中は昼食も夕食もチャーチル・カレッジでとれるので楽だ。 調子に乗って食べ過ぎたので、明日からは気を付けよう。 生活必需品を調達するために、夕食後にオウヤンと一緒に中心街まで歩く。 雨は降っているが気温は低くない。 先週末の日本の方がはるかに寒かった。
緊張のせいか、朝は6時過ぎに目が覚めた。 荷物検査やパスポートチェックなど、空港のセキュリティ・チェックが かなり厳しい。 さあ、これから長旅だ。
飛行機はヴァージン・アトランティックを初めて使った。 エアバス機内の装備は新しくて、なかなか洗練されていた。 座席は一人で四人分を独占できるほど空いていたので、思い切り足を 伸ばしてきた。 映画は目が疲れるので見ない。
高尾慶子の「イギリス人はしたたか」はさっさと読み終えて、 ワトソンの「DNA」を読み始める。 非常に面白い。 DNAの構造が解明されたケンブリッジの地に、まさにこの自分が移動しつつ あるのは、なんとも不思議な感覚である。
ヒースローからケンブリッジまではバス(「コーチ」という)を利用した。
2時間45分は長くて疲れたが、荷物が重いので仕方ないだろう。
ケンブリッジは雨。
バスセンターからニュートン研究所まではタクシーを拾う。
運ちゃん、愛想が悪い。
宿舎の鍵の受け渡しもうまくいって、19時前に無事到着。
思ったよりもはるかに快適な宿舎である。
シャワーを浴びてすぐに寝る。
と言っても、今日は夕方に自宅から成田空港へ移動しただけである。
フライトは明日の午前、帰国は2月12日である。
家を出発する間際には、娘が大声で泣きながら床を転げ回っていたので、
こちらの胸も痛んだ。
実は私も結構寂しいのである。
対照的に何も分からない赤ん坊は満面の笑顔で見送ってくれた。
成田エキスプレスの中で高尾慶子の「イギリス人はしたたか」(文藝春秋)
を半分近く読んでしまう。
確かにやたらとイギリスを褒め称える文章もいただけないが、
この人のイギリス批判は毒があって好きになれない。
この著書は相当激しい気性の持ち主だし、やや自信過剰である。
まあ、それでもイギリス庶民の生活がわかって面白いので、
さらさらと読んでいる。
結局、持って行く本で筒井先生の「パプリカ」はやめて、ワトソンの
「DNA」に交換した。
機内でじっくり読んでみよう。
アンドリュー・ワイルズが1993年6月23日にフェルマーの定理を
証明してみせたのは、ニュートン研究所で行われていた
"L-Functions and
Arithmetic"というワークショップにおいてであった
(ただし、その時点での証明は不完全であったことが後にわかる)。
サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」(新潮社)に、ニュートン研究所
の説明が少し書かれているので引用しておく。
「研究所は、学生などに気を散らされることのない大学のはずれに
位置し、研究者たちが共同研究やブレーンストーミングに専念しやすい
ような特別な設計になっている。
人と会わずに引きこもっていられるような廊下の奥の部屋は一つもなく、
すべての研究室は中央の広間に面している。
数学者たちはこの開かれたスペースで過ごすことになり、
できれば研究室のドアも閉ざさないのが望ましいとされている。
研究所内を移動するときにも仕事の話がしやすいよう、
たった三階の建物だというのに、エレベーターの中にも黒板が
備え付けられている。
部屋という部屋はもちろん、トイレにまで黒板が置かれているのだ。」
トイレの黒板は使い方が想像しにくいので、是非この目で確かめてこようと
思う。
私にとっては、自分の研究もさることながら、新しい研究を生み出す
仕組みを彼らがどうやって構築するのか調べてきたい。
その意味で半分は社会科見学である。
午前中はミセルの勉強。
散髪。
夕方、研究室の学生10名が赤ん坊を見にきてくれる。
そのまま一緒に夕食。
深夜に邪頭ビデオ鑑賞講座。
午前中に大学院の授業。
出発間際になると急がしくて日記どころではなくなるでしょうから、
今のうちに来週からのイギリス出張の目的を再度紹介しておきます。
今回はケンブリッジの"Isaac Newton Institute for Mathematical Sciences"で
行われる"Statistical Mechanics of Molecular and Cellular Biological Systems"という
ワークショップに参加することです。
日本でいえば、京大基研のような施設でしょうか。
午前中、研究室ゼミ。
出張前に片付けておかなければならない用事がたくさんあり。
小さなことからこつこつと。
こつこつこつこつ。
朝日新聞の文化欄に、先週ブルーノートであったケニー・バロンと
チャーリー・ヘイデンのライブレビューが載っている。
かなり良かったようで、行かなかったのが少し悔やまれる。
正月のエルビン騒動で予定が狂った。
松沢呉一の「ぐろぐろ」(ちくま文庫)は途中であったが、二日目で
読むのをやめた。
代わりに高尾慶子の「わたしのイギリス あなたのニッポン」(文春文庫)開始。
朝一番で教務委員会。
その後来客があり、夜まで議論や雑談。
耳ダンボ情報あり。
故障した私的パソコンは一旦修理に出して、費用が3万円以内
で済む場合だけ、そのまま修理してもらうことにした。
さすがにマザーボードの交換までしたくない。
なんとか高分子ミセルの勉強。
ライブラーの論文の続き。
外国では日本語の活字に飢えることになるので、持参する文庫本を
選んでおく。
じっくりと高分子ミセルの勉強。
ライブラー兄の平均場理論の論文を読む。
ライブラーは隅から隅まで理解している。
すぐれた論文を読んだときの精神的充足感を味わう。
家の私的ノートパソコンが崩壊。
修理に最低3万円かかると言われて悩む。
夕方、多摩美術大学美術館で行われているリヒャルト・パウル・ローゼの展覧会に足を運ぶ。
ローゼが発展させた「構成的グラフィックデザイン」は数学とも関係しているようで、
素人ながらも興味を覚えた。
エッシャーほど変態的ではない。
ここ数日で「中学受験で子供と遊ぼう」(文春文庫)という本をぱらぱらと
読んでしまう。
実際のところ著者は遊んでいない。
私もかつて広島で中学受験をしたが、今とはおよそ時代が違うし、
さらに東京の特殊事情はほとんど想像がつかないものであった。
朝起きて、昨晩のバカふざけの疲れがまだ残っているのは自業自得。
週末も高分子ミセルの勉強。
スケーリング派の仕事はだいたい理解した。
イギリス出張を控えて、薬やパーソナルケアの類で足りないものを
買い揃えておく。
ひたすら高分子ミセルの勉強。
指数の計算。
午後は学部の講義。
夜は新宿で仕事関係者の新年会。
高級なしゃぶしゃぶを食べながら、相当おバカな話題で盛り上がる。
ただしバカ話は私のテーブルだけ。
午前中に大学院の授業。
イギリス出張のための海外旅行保険に加入。
まだまだ高分子ミセルの勉強。
ようやくこの分野の常識が少しわかるようになってきた。
しばらく高分子ミセルの勉強。
頭の中がスケーリングでごちゃごちゃ。
アンブローズ・ビアズ著「筒井版 悪魔の辞典」(講談社)を少し。
続けて高分子ミセルの勉強。
筒井先生の「小説のゆくえ」読了。
「狂牛病の酸鼻歌」は見事に笑いのツボをヒット。
思い立って高分子ミセルの勉強。
論文が芋蔓式に出てきた。
またしても、先人の蓄積に押し潰されそうである。
ワトソンの「DNA」(講談社)を購入。
たぶん読めないだろう。
朝日新聞に筒井先生の「ヘル」の書評が載っている。
ピントがずれていて物足りない。
一体「死人小説」とは何ですか、学習院大学の中条先生。
さらに「そもそも筒井康隆はヘンな小説ばかり書いてきた人で
すから仕方ないのですが、この最新作はとりわけヘンな小説なのです」
の一文にいたっては誤りであるし、失礼とも言える。
最近の筒井先生は常に「これが最後の作品」と思いながら書き続けて
いるのだから、いくらなんでもカタカナの「ヘン」で片付けないで
ほしい。
で、結局、私もエルビンの容態を確かめておくために、ピットインに
足を運んだのである。
最初のケイコさんの説明で1ステージしか演奏しないことになったが、
想像していたよりはしっかりとした内容だった。
それでも、私は最初から最後まで涙を流していた。
エルビンは偉い。とにかく偉い。死ぬほど偉い。
そして、エルビンの偉大な業績は、孫のようなデルフィーヨ・マルサリスの
世代に確実に受け継がれているのだ。
家内がピットインであるエルビン・ジョーンズのライブに誘われて
出かけたので、私は子守役で留守番をする。
その間に内田春菊の「ファザーファッカー」(文春文庫)を一気に読んで
しまう。
途中まで実話かと思っていたが、後半ではさすがにそうでないことに
気付いた。
そういえば、去年の正月も荻野目慶子の本などを読んでいたな。
帰宅した家内が、開口一番「エルビンはもう危ない」と言っている。
ケイコ・ジョーンズの話では、昨年、心臓疾患で二度ほど危篤状態に
なったそうだ。
実際に家内が見ても、自分一人では歩けないほど衰弱しているというのだ。
さらに明日にでも是非見ておいた方がよいと勧められる。
さあどうする?
実家訪問。
明けましておめでとうございます。
今年も本日記をよろしくお願いいたします。
近々始まるケンブリッジ滞在篇をお楽しみに。
ここ数日、夜更かしが続いているため、体調が万全ではない。
うつろなまま朝の雑煮を食べる。
その後、ごく近所の永林寺に初詣に行く。
人が混雑していなくて、気持ちの良いお寺であった。
昨年は高幡不動に行ってひどい目に会った。
帰りに橋本に寄り、「アルゴ」
という学研のゲームを購入して家族で遊ぶ。
なかなかよくできたゲームだが、娘にはまだ難し過ぎる。
一度夫婦で真剣にやったら私が勝った。
正月のテレビはどれもくだらないので、
"BLUE NOTE -A History Of Modern Jazz-" (EMI)というDVDの前半を鑑賞する。
全体としてはやや退屈だが、1962年の動くバド・パウエルを拝めるのが最大の収穫。
インタビューと演奏をしっかりと分離してほしい。
読書の方は筒井先生の「小説のゆくえ」(中央公論新社)で年越し。
1月18日(土)[イギリス出張当日]
1月17日(土)[イギリス出張まで1日]
1月16日(金)[イギリス出張まで2日]
1月15日(木)[イギリス出張まで3日]
1月14日(水)[イギリス出張まで4日]
1月13日(火)[イギリス出張まで5日]
1月12日(月)[イギリス出張まで6日]
1月11日(日)[イギリス出張まで7日]>
1月10日(土)
1月9日(金)
1月8日(木)
1月7日(水)
1月6日(火)
1月5日(月)
1月4日(日)
1月3日(土)
1月2日(金)
1月1日(木)
過去の日記:
2003年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2002年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2001年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
2002年8月:
リーズ滞在篇
1998年12月〜2000年3月:
不安なイスラエル日記