邪頭(じゃず)的日記
2003年9月


9月30日(火)

風邪は比較的早く治った。

ある日突然「理学部はなくなります」と言わたときに、 すぐに「はいそうですか」と納得できなかったとしても、 それは、石原都知事が8月1日の会見で述べたところの 「大学の先生といっても人間で、人間というのは本質的に 保守的だからあーだこーだいやだとかへちまだとか言うだろう けれども」というのには必ずしも当らないだろう。 学問の根幹に関わるこれほど重大な変更は、慎重に議論されて しかるべきだが、実際には藪から棒に決まった。

状況がもっと深刻な人文学部の教官は、ここのところ必死に声 をあげている。 例えば、ここここここ などで激しく抗議している。 このような事態を見るに、これは人文学部だけの問題ではなく、 大学全体が一丸となって対応すべきことだと思うのだが。


9月29日(月)

今月は色々な出来事があったので、日記に書くべきことは たくさんあったのだが、結局余裕がなくて、個人的な体調日記 のようになってしまった。 よく考えてみれば、わざわざこの日記を読んでくださる方には、 私の体調なんかよりも是非とも知っておいていただきたいこと があるのだ。

ご存知の方もいるかもしれないが、現在の都立大学は 東京都によって完全に潰されようとしている。 そのことで、都庁の大学管理本部と都立大学の全面戦争が 始まりつつある。 8月からの異常な事態に関する詳しい経緯は、 教職員組合のページ を参照していただきたい。

私としては、もちろん個人の雇用の問題もさることながら、 長年蓄積された学問体系をこれほど安易に壊してしまって よいのかという点が最も気にかかる。 この問題は、学外の方にも広く知ってもらう必要があるし、 これからも話題として取り上げていくつもりだ。


9月28日(日)

案の定、38度まで熱が出てダウン。


9月27日(土)

朝は体調が良かったのに、夜から喉が痛くなってきた。 限りなく不吉。


9月26日(金)

夏季休暇をとって、我慢の仕事。 朝から頭痛。 昼に国際会議のプロシーディングスを送り出す。


9月25日(木)

夏季休暇をとって、家で我慢の仕事。


9月24日(水)

疲れが残ったまま大学に出る。 軽い腰痛。 しかも、気温の急激な変化で、昨日から鼻炎気味。 後期の予定をいくつか決めているうちに、だんだんと追い 詰められた気分になってきた。


9月23日(火)

パルテノン多摩にて娘の初めてのピアノ発表会。 演奏直前には、本人よりもビデオを撮る父親の方が緊張していた。 娘の幼稚園の友達が数名ほど見に来てくれていたので、 終わった後は皆で大はしゃぎだった。 最後に娘は疲れて鼻血ブー。 父親もさらに疲れたざんす。


9月22日(月)

物理学会三日目。 晩に帰京。 ここ数日で、とにかく疲れたざんす。


9月21日(日)

物理学会二日目。 座長と自分の発表。 誘電緩和のシンポジウムに出席。 夜は飲み会を兼ねて会合。


9月20日(土)

岡山へ移動。 物理学会一日目。 夜は飲み会。


9月19日(金)

都内某社で講演。


9月18日(木)

忘れた。


9月17日(水)

忘れた。


9月16日(火)

連休が明けたら、一斉に仕事が押し寄せてきて、何をやって いたかわからなくなってしまった。 今週は某所での講演と物理学会。 自分の並列処理能力も限界に近い。 特に論文関係で急に用意しなければいけないものができて、 全く大慌てであった。

自宅のインターネットアクセスをBフレッツに切り換える決心 をした。


9月15日(月)

午後に娘の友達のピアノ発表会を少しだけ見る。 その後、娘をピアノのレッスンに連れていく。 ああ、我がピアノコンプレックス。


9月14日(日)

山中千尋のDVDで味をしめた私は、同じ澤野工房から出ている ウラジミール・シャフラノフのDVDにも手を出してみた。 澤野工房のDVDはこの二枚しかない。

"Live in Helsinki"と題された映像は、シャフラノフ が現在住んでいるフィンランドでのトリオライブ。 "In your own sweet way"や"Eclypso"などが良い選曲。 スタンダードをかなり正直に演奏しているにもかかわらず、 やや重厚感が漂ってしまうのは、旧ソ連出身という偏見の せいだろうか。

インタビューによると、シャフラノフはこれまでソ連、 イスラエル、ファインランド、アメリカ、フィンランドと 渡り歩いてきたそうだ。 ユダヤ人ということだろう。 "quality of life"という言葉が印象に残った。


9月13日(土)

これだから邪頭はやめられない。

先日、新宿のタワーレコーズで入手した ヴォルフガング・ダウナーの "Music Soundz" (MPS)は B級はおろかC級にも満たない作品だが、アホみたいに スイングしているので笑える。 真面目と冗談が紙一重。 奇妙な叫び声がたくさん入っているし、MPSなのに ピアノの音が薄っぺらく、ジャケットに書いてあることも変。

"There is nobody as fascinating as a musician."

9月12日(金)

体調はやや回復。 11月に仙台である国際会議のプロシーディングスを一つ 片付けておく。 午後来客。 よい議論。

palmの付属品を入手できないのは、palmが日本から撤退した からだということを初めて知った。 このままpalmを使い続けてよいのか不安になる。

メキシコのナタリア・ラフォルカデの "Natalia Lafourcade" (Sony Discos)は日本でも ブレイクするだろう。


9月11日(木)

頭痛で目が覚める。 わざわざイスラエルから来てもらったサフランには恥ずかしい 話だが、今回の徳島旅行は大いに疲れた。 精神的な虚脱感も手伝って、仕事をする気が起こらない。 しかも、胃の調子が最悪で食事もままならない。 そんなわけで、学会の準備や論文の再投稿など頭を使わない仕事のみ。

大学に置いてあった自転車が紛失した。 盗難だろうか。 ちゃんと名前が書いてあるので、万が一見かけた人がいたら 御一報下さい。


9月10日(水)

午前中にサフランと二人で帰京。 帰りの飛行機には羽生善冶が同乗していた。 相変わらずの寝グセがしっかりついた髪型。 後で調べてみると、8、9日には王位戦の第五局が徳島で あったようだ。 四勝一敗で谷川浩司の勝ち。

羽田からバスで新宿に戻り、都庁の展望階で少しだけ観光をする。 サフランは15時のバスで成田へ移動したので、そこでお別れ。 一大ビッグイベント終了。 夢のような三日間であった。


9月9日(火)

徳島大学でコロイド討論会に出席。 夕方にサフランの受賞講演。 ホテルに戻って懇親会。


9月8日(月)

午前中、都立大でサフランのセミナー。 夕方、二人で羽田から徳島へ移動。


9月7日(日)

朝から胃痛。 サフラン来日。 無事、新宿のホテルに到着したらしい。


9月6日(土)

都内で所用。 夕食に中華料理を食べ過ぎて胃がもたれる。


9月5日(金)

我慢の仕事。 デビッド・ネルソンの最近の本にちらちらと目を通す。 ネルソンが器用だということは疑いがないが、 本当に彼は偉いのだろうか。

夜、学生一名が愚息のために我が家を訪問してくれる。 愚息が寝てからは、山中千尋のDVDの観賞をして盛り上がる。 学生も絶賛。


9月4日(木)

我慢の仕事。

リジェクトされた論文は、レフリーがおバカさんなので、 まともに相手をするのはやめて、別の雑誌に投稿することにした。 とりあえず、スタイルだけ変更しておく。


9月3日(水)

我慢の仕事。 院生二名が「OCTA夏の学校」に参加。 午後から大学院入試の面接。 夜、散髪で刈り上げ。

ホーページにも あるように、最近、お茶大には「ソフトマター研究センター」という 組織が新しく設置された。 あまり派手に宣伝するとセンター長に怒られるので、ここにこっそり書いておくことにする。 恐らくセンター長はこの日記を見ていないはず。


9月2日(火)

我慢の仕事。

一ヶ月近く前のNHKの番組で、赤子が泣いた時には耳元で レジ袋を擦り合わせれば泣き止む、ということを放送していた。 我が家で試しに実験したら、驚くほどぴたりと泣き止んで、 すやすやと寝入ってしまったので、思わず夫婦で顔を見合わせた。

筒井先生の「わかもとの知恵」(金の星社)には、昔からの赤子を 泣き止ませる方法として、テレビの砂あらしを聞かせるというのが あるから、恐らくレジ袋の音も同じように聞こえるのだろう。 レジ袋の方が手軽でよいが、難点はレジ袋を揉んでいる自分が 情けなくなることである。


9月1日(月)

研究室内でコロイドおよび界面化学討論会の予聴会。 我慢の仕事。

愚息の名前は「練(れん)」として出生届を提出した。 以前から深い理由はなく、なんとなくイメージで想定していた 名前だが、ある時点で宮本武蔵の「五輪書」に

「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」

という箇所があることを知り、最終的に決断した次第である。 (「五輪書」の部分をクリックしてみて下さい。笑えます。)


過去の日記:
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2001年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月

2002年8月: リーズ滞在篇
1998年12月〜2000年3月: 不安なイスラエル日記


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