深く考えたわけではありませんが、来月からこの日記は不定期とします。 ウェッブ日記は毎日更新でないと意味がないと思って、これまで細々と続けて きましたが、さすがに疲れました。 何か急に思いついて、書きたくなることもあるでしょうから、特に停止宣言も しません。 これまでお付き合いいただいた方には、ここで一度お礼を申し上げます。
精神的には落ち着いた、良い休日であった。
今週は特に忙しかったわけではないが、日記を書く気が完全に失せてしまったので、 この通り、空白とさせていただく。 「ゲルマン的ソフトマターの旅編」で力尽きてしまったようで、定常的に日記を維持 していくのは、精神的にやや困難な状態である。 不定期にするか、それとも止めてしまうか、しばらく考えてみる。
原稿執筆。 学生の発表の練習。
いよいよブラッド・メルドーのソロピアノコンサートの当日である。 すみだトリフォニーホールにて、夕方5時から。
今回は、メルドーが凄い(表現が稚拙)ことを確かめに行くというようなもので あり、実際に凄かったわけで、その意味では十分に満足した。 ただし、しっかりと予習をしていたので、2年前の同じ場所でのコンサートの時 のような衝撃はなかった。 涙も出なかった。 とは言え、メルドーの演奏では、邪頭としては余りにもうまく曲全体が構成されて いるので、どこまでが準備されていて、どこからがアドリブか判然とせず、一体、 彼の頭の中はどうなっているのかと、興味は尽きない。 相変わらずのいらいらするメルドー節の中で、時々、ど真ん中のストライクを投げて きたり、会場が凍りつくような美の瞬間を作り出すたびに、思わずにんまりとして しまうのであった。
結局、娘は今週一杯、インフルエンザで小学校を休んだ。 大学の研究室内でも感染が広がり始めている。 昨日からはついに同居人もインフルエンザで倒れてしまい、明日は我が身か。
お茶大で行われている結び目のワークショップに出席。 数学者はすばらしい。 夜は知り合いとインドカレーを食べる。 「富豪刑事」を読みながら帰宅。
原稿執筆。 教授会。 学生の発表の練習。
原稿執筆。 あとは学生の発表の練習。
今月末締め切りの原稿(翻訳)を一つ抱えていて、これが精神的な重荷になっている。 来週はどうせ時間がとれないので、他のことは一切忘れて、ここで一気に仕上げて しまうことにした。 しばらく我慢である。
当然ながら、たまっている仕事の片付けから始まる月曜日。 時差のせいで、午後に非常に眠くなる。 今月はずっと時差が続いている感じだ。
帰国早々に娘が発熱する。 家人が病院へ連れて行ったところ、インフルエンザと診断された。 娘は私の出張中にすでに一度インフルエンザのA型にかかったそうなのだが、 今回はB型ということだ。 予防注射をしていたにもかかわらず、二度もかかるのはよほど不運である。 これから家族が順番に感染していく可能性が大きい。
入院してたいたMURAMASA君に退院許可が出たので、受け取りに行ったら、 マザーボードを交換したということで、かなりの重症だったのね。 まあ、治療費がタダだったので、しっかり直ってもらって良かった。
悪天候のために、デュッセルドルフからフランクフルトへの便が一時間ほど 遅れたという以外には、特に何も問題なく成田に到着。 成田エキスプレスと京王線を乗り継いで順調に帰宅。 子供の顔を見るとさすがにほっとする。 午後は昼寝。
デュッセルドルフからフランクフルト経由で成田へ飛ぶ予定。 長い一日が始まる。 機内の新聞でジミー・スミスの死去を知る。 これでまた一つの時代が終わった。
研究所がアレンジしてくれたタクシーで、ユーリヒから今晩泊るホテルへ移動する。 見かけは良くないが、中身はアットホームで清潔なホテルだ。 ホテルから再びタクシーを使って、近くにあるデュッセルドルフ大学にたどり着く。 建物がたくさんあって極めて複雑な構造。 この時点で9時半頃だったが、来るのが少し早すぎたようで、秘書以外にはまだ誰も いなかった。 しばらくしてLoewenが現れる。 ヘルペスで調子を崩しているそうだ。
たまたま今日は私以外にもう一人ビジターがいて、グラーツ大学のvon Gruenberg という人と初めて会った。 彼は11時からコロイドの三体相互作用についてセミナーをした。 昼食をはさんで、14時からの私のセミナーでは再び弾性殻の話をする。 今回も途中でいろいろと質問してくれたので、まずまずだったということだろう。 von Gruenbergはなかなか鋭い質問をしてきた。
セミナーの後はKoniecznyというドクターの学生と、Wensinkというポスドクに それぞれの研究の説明をしてもらった。 ユトレヒトからきたWensinkの博士論文の内容は非常にしっかりしていて驚いた。 残念ながらLoewenの家族も全員病気のため、夕食を一緒にすることはできなかったが、 ホテルまで送ってくれた。 薦められたレストランで一人でゆっくりとシュニッツェルを食べる。 すべての予定をこなしたという心地良い解放感に浸る。 ホテルでこの日記を書きながら、最後の荷造りをする。
今朝もGompperが車でピックアップしてくれる。 午前中はメイルをチェックしてから、11時からのセミナーに臨む。 今回の出張では二種類の話を用意していて、今日はラフトの話をした。 講演中も講演後もかなり色々と質問を受けたので、内容はそこそこ伝わったのだろう。 質問に答えようとする時には、Gompperがかなり助けてくれた。 すっきりとした気分で昼食へ行く。 セミナーをすると、わざわざ自己紹介をしなくても周囲の人達と知り合いになれるの がよい。
午後はポスドクのSchneider、Ripoll、Cherstvy、遠藤さんとそれぞれ一時間ずつ 話す。 Cherstvyはベラルーシからのポスドクで、強烈な個性の持主だ。 残念ながら、野口さんとは話す時間がなくなってしまった。 夕食はGompperがユーリヒのイタリアン・レストランに連れて行ってくれた。 Schneider、Ripollと野口さんも付き合ってくれる。 Ripollがスペイン人なので言語の話題で盛り上がる。 楽しい二日間だった。
ユーリヒの予定はこれで終わり。 明日はデュッセルドルフに移動して、最後のセミナーをする。
7時起床。 ようやく体内時計の時差が解消されてきたところだが、今週末には帰国するので再び リセットしないといけない。 9時前にGompperが車でホテルへ迎えに来てくれる。 研究所には原子炉があるので、入口で厳重な入所手続きを行う。 Gompperの部屋で私の近況や、最近の彼の研究の話をする。 両親媒性ブロックの話は私も関心を持っているので、いろいろと情報交換ができて 良かった。 久しぶりにネットワークの接続をして、先週末から今日までの多数のメイルを整理する。
昼食はGompperグループのメンバーが集まってカフェテリアへ行く。 食事中に高分子で有名なEisenrieglerと話せたのは運が良かった。 一息ついてから、院生だった頃に大変お世話になったBaumgartnerの部屋を訪れて、 色々と話をした。 彼と会うのは昨年のケンブリッジでのワークショップ以来である。 彼の最近の研究は大きく生物物理(のシミュレーション)にシフトしているので、数日前にこの 日記に書いたような根源的な質問をしようとしたが、どうも英語でうまく表現できなくて、 あまりすっきりとしなかった。
それからDhontのグループにいるSagerにメイルで連絡をとって会いに行った。 マイクロエマルションのある論文で認識していた人だが、実際に会ってみると彼女自身は 実験家で、最近の仕事は少し私のイメージとずれていた。 まあ、それでも新しい人と知り合いになれて良かった。 それから少しの時間を割いて、Gompperに弾性殻の座屈の話題を聞いてもらった。 帰りも彼に街中まで送ってもらった。 晩は一人でおとなしく中華料理屋で炒飯を食べて緊張を解く。 明日から続くセミナーが最後の山場だ。
遠藤さんからケルンのカーニバルに誘われたが、今日は滞在中の唯一の休日であったし、 昔に自分が住んでいたアパートなどを見に行きたかったので、ユーリヒに留まること にした。 今日は「ローゼンモンターク」という休日で、店もほとんど閉まっているし、研究所も 閉鎖されている。 テレビではケルンのカーニバルのパレードの様子を、朝から晩まで生中継している。
午前中はセミナーの準備をして、午後からユーリヒの町の中を歩き回る。 ユーリヒのカーニバルは昨日だけだったようで、人出はほとんどなく、ひっそり 静まりかえっている。 町の構造は基本的に30年以上前と比べて何も変わっていない。 私が住んだアパートもそのままだ。 建物の老朽化が目立たないのは、常に手入れをしているからだろうか。
自分が通った小学校の前に来た時には、懐かしさで胸が一杯になった。 当時の友達の名前や顔が頭に浮かんできて、タイムスリップしたような不思議な 感覚を覚えた。 再び記憶にしっかりと留めるために、たくさん写真を撮った。 3時間以上歩いて足が疲れたので、ホテルで少し休憩する。 「富豪刑事」を少し読む。
夜はケルンから戻ってきた遠藤夫妻と野口さんと再び合流して、ホテルのレストラン で食事をする。 典型的なドイツ料理であるシュニツェルを食べる。 今日もいい気になって、べらべらと3時間ほど喋り続けた。
6時半起床。 出発まではまだ5時間以上ある。 来週のセミナーの準備や、荷物の整理をする。 一旦、オフィスに行き、日本のオンライン・ニュースを読む。 今週末は都立大のネットワークが停止中で、メイルが使えないのが困る。 正午に宿舎を出発し、40分ほどでテーゲル空港に着いた。 空港で筒井先生の「富豪刑事」(新潮文庫)を読もうとしたら、睡魔が襲ってきた。
今日も雲一つない快晴で、デュッセルドルフに着くまでの機中から地面の景色を楽しむ ことができた。 出口で迎えのタクシーの運転手が見当たらなくて、しばらく途方に暮れていたが、 少し歩き回ったら研究所のロゴを持った人を発見して事なきを得た。 運転手も私を放送で呼び出そうとしていた。 車が少なかったおけげで、40分もかからないで懐かしいユーリヒに到着した。 これからは「アム・ヘキセントルム」というホテルに宿泊する。
ドイツ国内は今日と明日がカーニバルで、ライン川沿い各都市でお祭り騒ぎをしている。 ユーリヒでも仮装した大人や子供がはめを外している。 暗くなる前に市庁舎の周辺を30分ほど散歩をする。 6時半にユーリヒ在住の野口さんと遠藤夫妻がホテルに来てくれて、ステーキ料理店へ 行く。 一週間ぶりに日本語を話すことができて、かなり気分がすっきりした。
食後に遠藤家にお邪魔して、ワインを飲みながら夜中の12時過ぎまで話し込む。 ユーリヒの研究事情をいろいろと聞かせてもらう。 本日の結論は、ソフトマターの分野で日本は十分に国際的に戦えるということであった。
7時起床。 8時半にSchwarzが宿舎に迎えに来てくれて、ポツダム市内の彼の自宅で朝食を ご馳走になる。 ブロートヒェン、シンケン、チーズといった典型的なドイツの朝食だ。 イスラエルで同じ時期を過ごしたSchwarz家は、3歳の男の子が一人増えて 一層賑やかになった。 たまたま長男のダビットが足の指の怪我をしていて、母親のシュテフィが病院に 連れて行っている間に、次男とSchwarzと私の三人で近くの市場へ買い物へ行く。 ドイツ人の日常生活が垣間見えて面白い。
12時過ぎに、今度はLipowskyが車でSchwarzの家に迎えに来てくれる。 途中、ベルリン郊外の彼の自宅で奥さんをピックアップして、ドイツ連邦議会議事堂 (帝国議会議事堂)にある新しいレストランへ招待してくれた。 二時間近くの食事をしながらの会話は少し緊張したが、とても楽しいものであった。 おいしい昼食をご馳走になった後、屋上にあるガラス張りの中央ドームにも案内してくれる。 運の良いことに今日の天気は快晴だったので、首都ベルリンの圧倒的な景色を眺めること ができた。
今思えば、私が修士の学生だった頃に、Lipowskyの非束縛転移の理論にあこがれてこの 分野に入ってきたわけだが、その当人とこうして時間を共有するこことができたのは とても貴重な経験であった。 Lipowskyにこれだけのことをしてもらうのは申し訳ないような気がすると同時に、心から 感謝の気持ちが湧き上がってきた。 とても良い気分に浸りながら、電車とバスを乗り継いで、ゴルムの宿舎に戻る。 今週は濃密な時間を過ごすことができた。 明日はゴルムを離れてユーリヒへ向かう。
5時半起床。 日記を書いたり、昨日もらった論文をつらつらと眺める。 朝食の時間になっても食堂で何も準備されている様子がないので、仕方なく秘書に 事情を調べてもらったところ、40分ほど遅れて用意ができた。 事務的な連絡ミスらしい。
午前中はメイルを整理してから、KruzeとEveraersとそれぞれ1時間以上話す。 彼らはグループリーダーなので、さすがにしっかりしている。 日本で言えば助手か助教授に対応する立場だろう。 Kruzeは量子カオスで学位を取得してから、生物物理に転向したらしい。 がつがつ論文を書いているようだ。 EveraersはKremerの弟子で、高分子のチューブモデルをシミュレーションで 検証している。 彼らとはまともな議論ができたので、昨日のフラストレーションは解消した。 昼食は、Juelicherと一緒に昨日と同じメンバーで行く。
昼食後に研究所を離れて、ドレスデンの旧市街を一時間ほど散策する。 まだ旧東ドイツの名残があちこちで見られる。 エルベ川沿いで写真を撮る。 16時の電車に乗り、ベルリン経由でポツダムに無事たどり着く。 移動中に論文の校正。 ポツダム駅で買い物をして、軽い夕食をとる。 ゴルムの宿舎に到着すると、自分の居場所に戻ったような気がしてほっとした。
6時半起床。 秘書が準備してくれた通りに、まずタクシーでシェーネフェルト駅まで送って もらい、そこからEuro Cityの電車に乗る。 2時間弱で無事にドレスデン駅に到着。 駅からマックス・プランク研究所(正式な名称は"Max-Planck-Institut for the Physics of Complex Systems")までは5分程の近さであった。 早速、Juelicherと会って握手をする。 昨年ケンブリッジであったワークショップ以来である。
ちょうど昼食の時間になり、Juelicherと彼の学生のBollenbachの三人でカフェテリア へ行く。 研究所のすぐ裏にある宿舎に荷物を置いてから、しばらくJuelicherと話をする。 彼はこの研究所のディレクターなので、とても忙しそうである。 その後は、ZumdieckとNadrowskyという学生にそれぞれ1時間ずつ話を聞かせてもらう。
Juelicherとの雑談では、生物物理の理論的アプローチについて少し議論した。 彼はこの分野でPRLやその他のメジャーな雑誌に次々と論文を発表しているが、正直なところ 私には彼のスタンスがよく理解できない。 別の言い方をすれば、複雑な生命現象を(少し複雑な)時間発展方程式で表現していいのか、 という疑問である。 このような方程式は考える因子を増やせばいくらでも複雑になり、却って何が何だかわから なくなる。 実験と一致すればそれでよい、という主張があるかもしれないが、多彩な生命現象の 一つ一つに異なる方程式が対応するのではやはり困るし、実際にそうなりそうなのだ。 そうだとすると、生物を理解するにはまだほど遠いと言わざるを得ない。 しかし、控えめに考えて、生体物質を対象とした物性理論を展開することは意味がある だろう。
研究所の建物は極めてモダンで、壁にはたくさんの現代絵画が飾られているなど、大変心地 よい研究所であるが、研究の方向性については少し違和感が残った。 Juelicherの学生に私の研究の説明をしても、あまり大した反応はなかった。 ボスの影響は恐るべしである。
時差で3時半に目が覚めてしまう。 まあ、最初の一週間は仕方ないだろう。 セミナーの確認をしたり、秘書が準備してくれたドレスデン行きの旅程を 検討したりする。
研究所に顔を出してからは、ほとんど息をつく暇もない一日であった。 10時過ぎからLipowskyと会って、グループの説明や一般的な打ち合わせをする。 こちらも、昨年、都立大に来てくれたお礼をする。 11時から自分のセミナーで弾性殻の話をする。 結構たくさんの人が質問をしてくれたので、恐らく、内容は伝わったのだろう。 再びLipowskyの部屋に戻って、セミナーについてコメントしてくれる。 それが一段落して、Weikl、Gruhn、Klumppと一緒に昼食へ行く。 Weiklとは5年振りの再会である。 昼食後、引き続き彼らがセミナーについて議論してくれる。 ありがたいことだ。
その後、実験グループのFeryと2時間近く話す。 彼は新しいマイクロカプセルの力学測定をしている人で、彼の方から秘書を通じて私と議論 できるように申し出てくれていた。 新しい実験結果を紹介してくれるとともに、今後の共同研究の道筋をつけたのは大きな 収穫であった。
次にGruhnと1時間、Klumppと1時間半ほど話をして、彼らの研究内容を聞かせてもらう。 Gruhnは説明の仕方が不器用で面白い。 ポスドクのKlumppは頭の回転が速く、しかも気遣いが細やかな人だ。 彼は私を夕食に誘い出してくれて、一緒にポツダム市街のタイ料理へ行くことにした。 ビールを一杯飲みながら、ドイツ物理界の裏情報を色々と教えてくれる。 明日はドレスデン。
夜中に何度か目が覚めたが、結局、朝の6時まで寝たので、旅の疲れはとれた。 洗濯をしつつ身の回りを整える。 太陽が昇り始めた頃、研究所内の敷地を散歩してみる。 天気は快晴。空気は刺すように冷たい。 カフェテリアが7時半から開いているようなので、朝食の心配はしなくても よくなった。
9時過ぎに研究所へ行き、秘書に鍵をもらったり、部屋を案内してもらう。 午前中はパソコンをネットワークにつなぎ、昨日に届いた50通ほどのメイルを整理する。 セキュリティでFTPが使えないので、WinSCPをインストールして日記も更新。 しばらくして自宅にいるLipowskyと電話で話す。 オフィスに置いてあった地図で、研究所の周辺には何もないことを確認。 昼食はKierfeldに誘われて、理論グループのメンバーと一緒に再びカフェテリアへ行く。
午後はKierfeld、Zhou、Haluska、Schwarzらと順番に話をする。 Kierfeldは2時間近くかけて、セミフレキシブルポリマーの理論とシミュレーションの 話をしてくれた。 Zhouは蜘蛛の糸の弾性、Haluskaは細胞膜融合の実験についてそれぞれ説明してくれた。 Schwarzとはヴァイツマン以来の5年ぶりの再会だ。 互いの近況を1時間ほど話す。 彼は明日からの出張の準備で忙しいので、土曜日に再び会う約束をした。
夜は歩いて15分程度の「ラントホテル」というところで一人で夕食をとる。 他の客は全くおらず、百席程度あるレストランで、日本人がたった一人で食事をして いるのは異様な光景であった。 ドイツ料理は味付けが強烈で、早速、胃腸がやられてしまいそうだ。 明日はセミナー。
2005年1月〜2月:
ゲルマン的ソフトマターの旅編
2004年1月〜2月:
ケンブリッジ滞在編
2002年8月:
リーズ滞在編
1998年12月〜2000年3月:
不安なイスラエル日記