イスラエル育児日記


以下、2月22日以降の日記を、「取りあえず」更新しました。 以後、もう少し書き足す予定なので、少し経ってから、再度ご覧下さい。


3月1日(水曜日)

帰国当日。

イスラエルにしては、珍しい「激しい」天候。 大雨、雹(ひょう)まで降る有様。

その中を、次々に隣人達がお別れに訪問してくれる。 隣の階段の日本人家族は、大雨の中をご主人がわざわざ研究所から 帰って下さり挨拶に来て下さる。 折り返し、奥さんが焼き立てのお好み焼きとお味噌汁の差し入れをして下さる。 実に心がこもったお別れの仕方に、身も心もほかほかに温まる。

1時15分、いよいよタクシーが到着する時刻になると、 隣のシャロンさん一家と、タルーン君のお母さんとタルーン君が皆で 揃って見送ってくれる。

彼等を降り返り振り返り駐車場に向かうと、 朝にも挨拶に来てくれた円円ちゃんのお母さんが、わざわざ雨の中、 見送りに出てくれる。 待てども暮らせどもやって来ないタクシーを、辛抱強く一緒に待ってくれた。 ようやく来たタクシーに乗り込んだ我々を、手を振りながら見送ってくれた。


2月29日(火曜日)

円円ちゃんのお母さんに、久し振りにばったり会う。 今がチャンスとばかりに、プレゼントを渡したり、最後のお別れをする。

アンゲリカと「お別れの写真撮影大会」を行う。

衣の昼寝中、冷蔵庫の残り物を持って、ギッダの所に最後のお別れをしに 行く。

軽く夕食を済ませ、7時半に隣の宿舎のウーリック、ステファニー宅に 招待されて行く。 ステファニーお手製のキッシュとサラダ、白ワインで乾杯。 実は、このワイン、昨年末に帰国した日本人家族からのお下がりが、 我が家を経由してステファニーの所に行ったのである。 このパターンの食品、玩具、衣類は数知れず。 おかげでハッピーになっている人達がどんどん増加中。


2月28日(月曜日)

早起きをして、最後の荷物を出しに郵便局に行く。 EMS便と、航空便等4箱を送る。 郵便局員とも仲良くなる。

最後の「奥様集会」。 今日のホスト役は、デビ。

今日は、折り紙講習がメインイベントの「奥様集会」となる。

夕方4時から、隣の階段の日本人奥さんのお宅にお邪魔し、 今晩の「日本人パーティー」の準備のお手伝い。 2人で、いつものようにめまぐるしく働いているうちに、 ベールシェバよりドラえもんくん、会場宅のご主人、 レホボト在住の日本人女学生、我夫とヨセフ・アダンさんが次々に到着。


2月27日(日曜日)

午前中にウェンディーさんの所に、最後のお別れに行く。

お昼近くになっても、レンタカー会社が車を引き取りに来ない。 ようやく取りに来たかと思うと、燃料が満タンでないだの、 レンタカー料金が未支払いだのと色々と予想外の展開が繰り広げられる。

車関係のごたごたを、ようやくクリアし、 アンゲリカの所に遊びに行く。

彼女、例のお母さんの秘伝のレシピのチョコレートブレッドを焼いておいてくれ、 皆でばくばくと食べる。

夕方、久しぶりに研究所に夫を迎えがてら散歩に出かける。

帰宅後、6時半に、ギッダ宅に最後の夕食に招かれて行く。


2月26日(土曜日)

テルアビブの日本食屋で、アンデルマン家族と最後の会食。


2月25日(金曜日)

レンタカーを借り、夫の念願の「最後の嘆きの壁」見学に出かける。 その後、テルアビブまで車を走らせ、地中海に沈む夕日を拝み、 ホテルに泊まる。 夫は、アンデルマン夫妻と一緒に、ジャズのコンサートを聴きに、 テルアビブ美術館に行く。


2月24日(木曜日)

午前中にアンゲリカと、隣の階段の日本人奥さんがやって来る。 アンゲリカには玩具を選んでもらい、 日本人同士では、来週の月曜日の「奥様集会」の折り紙の相談をする。

アンゲリカは、遠慮しながらも気に入った玩具を選んでくれたようだ。 中でも、アンパンマンのハンドル付きの玩具は、 ベンヤミン君がかなり気に入った様子。

日本食にも興味がある彼女には、海苔と緑茶のティーバッグをあげる。

夜は、6時にサフラン宅を訪問。 今晩は、彼等に夕食に招かれているのだ。


2月23日(水曜日)

夫がテルアビブに出かける。

昨晩、あれ程、あーだこーだと策を練った「日本人奥様テルアビブ行き」計画は、 衣の不調と悪天候により中止。

午前中、ウェンディーさんより電話があり、どこかにドライブしませんかとの誘い。 今日は外出は自粛したいので代わりに我が家に来ませんかと、 誘う。 急遽、我が家でウェンディーさんと、隣の階段の日本人奥さんと一緒に 午前のお茶会を催すことになる。

ウェンディーさんが、以前絶賛してくれたズッキーニケーキと、 アメリカ人の彼女の為に、コーンブレッドを急いで焼き始める。

ケーキ2本を同時にオーブンに入れたその瞬間、ベールシェバのドラえもんくん からイスラエルに今朝戻ったとの電話が入る。


2月22日(火曜日)

今日は、ヘブライ語をお休み。 というのも、先日、不覚にも無くしてしまった玄関の鍵の付け替え工事の為に、 大工が午前中やって来たのだ。

工事は非常に簡単で、しかも、ずっと具合の悪かった鍵を完全に付け替えてもらった 為に、大変に都合がよくなった。 こんなことなら、もっと早くに鍵を無くせば良かった・・・。

その足で、合鍵を作りに行き、ついでにヘルツェル通りに買い物に出る。 本屋で地図を買う。 ビデオも物色する。 ゲウラに鍵を渡し、その帰りに公園で少し遊ぶ。

入れ違いにブラッハに会う。 今朝のヘブライ語の話を少しする。 なんと、彼女もポストの鍵を無くし、これからゲウラの所に行くそうだ。

夕方、ステファニーより電話がある。 先日のパーティーで出したタマルのタルトのレシピを教えて欲しいとの用件。 私も渡したいものがあるので、じゃあこれから遊びに来ないかということになり、 しばらくすると、デービッドと一緒にステファニーが現れる。

久し振りに彼女とゆっくりと話し、帰りには、 食品類、玩具、子供服を色々と持って行ってもらう。 お菓子作りをする彼女には、お菓子の材料を中心に持って行ってもらう。


2月21日(月曜日)

午前中、久しぶりにギッダがマヤちゃんと遊びに来てくれる。 マヤちゃんはぐんぐん成長している。 クララちゃんに比べ、ふっくらとした赤ちゃんだ。 おもちゃ、子供服、食料品、ビールなど、好きなだけ持ち帰ってもらう。

午後は、生まれて初めて、シフォンケーキを焼いてみる。

きっと、シフォンケーキの命であろう、卵白の泡立ても、 2本のフォークで、かなりしっかりと泡立った。 この1年間で、フォークでの泡立ての達人になったと我ながら思う。 よしよし、と機嫌良く卵白と他の種を混ぜる。 まず、「犠牲の卵白」と呼ばれる、半分の分量の卵白を混ぜる。 これは、多少泡が消えても仕方がなく、他の種としっかりと混ぜる。 ・・・といつかどこかで読んだような気がする。 そして、いよいよ、残り半分の卵白を混ぜ込むが、 シュワシュワ〜と、泡が無残にも消えて行く音がする。 一気に私の血圧が上がる、というか、下がるというか・・・。

急げ、急げ! イチマツの不安を抱きながら、冷や汗をかきながら、 種を型に流し入れ、オーブンに投入。 ところが、私の不安をよそに、種はみるみるうちに膨らんでくる。 やった、やったと気を良くしていると、表面が少し焦げ始める。 温度を少しだけ下げる。 その間、事務的な電話を1つ済ませる。

電話を終え、オーブンの様子を見に行くと、 なんと、さっきまであんなに膨らんでいたケーキが、 無残にも半分の標高に縮んでいるではないか!!!!!

・・・と、結果的には、 シフォンケーキと呼ぶには、余りにも無骨なできになってしまったが、 これを食べてもらいたかった人は、「美味しい、美味しい。」と、 笑顔で平らげてくれた。

良かった!

午後は、衣と隣の階段の日本人のお宅に遊びに行く。 ターニャさんと、アーニ君、ピフラちゃんもいて、 皆で賑やかに遊ぶ。 衣は、このお宅を訪ねるのが大好きで、 生憎、留守だったりすると、ドアの前で、かなり落胆してしまう。 たっぷりと遊べた衣は、大満足で帰宅。

その後、ヨルダンから帰って来たアンゲリカの所に、 金柑の甘露煮を届けがてら、様子伺いに行く。 又、後日、ゆっくりと話すことにする。

ああ、今日1日の日記の登場人物達と別れるのは、惜しい、惜しい。


2月20日(日曜日)

午前中に車を借りて、郵便局に船便を出しに行く。 全部で5箱。

こちらの郵便局員は、荷物には指1本触れない。 客が箱を持って、カウンター内に入り、局員の椅子の脇の秤に乗せる。 そして、その箱を下ろし、次の箱を又持ってきて、カウンターの中にな入り、 秤に乗せて・・・の、繰り返し。

思ったよりもさっさと手続きは済み、 5箱で25000円位。 つまり、1箱(蜜柑箱位の大きさ)で12キロ位、 約5000円程度の計算になる。

スムースに仕事がはかどったのを良いことに、夕方に、 再度、船便1箱、航空便2箱を追加で送る。

これで、おおかたの荷物は発送済みということになる。 あとは、帰国真近まで使う物などを詰める予定の、 数箱が残るのみである。

週末のパーティーが済み、荷物の発送が済み、夫はかなり気分が楽になったようだ。 私と夫とでは、ストレスの原因となるものと、その度合いが少しずつ異なる。 荷物の発送が、これほど彼にとって大問題となっていたとは、 発送後の彼の伸び伸びとした様子を見るまで、気がつかなかった。

夕方の郵便局での用事の後、隣町のネスチオナまで車で行き、 衣の靴を買う。 昨年の夏に買ったサンダルと同じ会社の製品である。 少し大き目なので、来年くらいに履けるようになると思う。 嬉しい買い物だった。


2月19日(土曜日)

ひたすら休息。

昨日の残り物を、昨晩のパーティー後に、 近所中に配って歩いたが、まだまだ残っている。 ということで、これから数日間は料理を放棄してもオーケー。 ラクチン、ラクチン。

明日の午前中に、荷物のおおかたを発送する予定なので、 荷造りを本格的にする。

船便5箱ができあがる。

奥の部屋から、半ば荷物が詰まったダンボール箱を、 夫と一緒に運び始めると、即座に衣が箱の側面に立ち、 一緒に「うーんと!」とかいう表情で、運ぶのを手伝ってくれる。 傍から見れば、まるで3人で運んでいるように見えるその姿が、 非常に可笑しい。

両親が忙しいと、衣も忙しい。 何やらぶつぶつ言いながら、真面目な顔つきで、 箱から出したり、入れたり・・・。 箱にしまってあった装飾品を、何時の間にか取り出して、 今まで飾ってあった所にちゃんと戻してあったのには 驚いた。


2月18日(金曜日)

パーティー当日。

7時半起床。

まず、お米3合を2つの炊飯器で同時に炊き始める。 (昨日、隣の階段の日本人宅から、台所用品をしこたま借りてきた。) その間、着替えを済ませ(普段着)、朝食。

6合分のちらし寿司を作り、サラダの準備、 チョコレートケーキ用の角切りフルーツサラダを作る。 昨晩焼いたタマルのタルトに杏ジャムを塗り、 フルーツサラダ用の缶詰杏の汁と杏ジャムで、 肉ボールの杏煮込みを煮る。

ミニお握りを6合分握る。 脇で朝食中の衣は、良いものを見つけたとばかりに、 目がハート型になる。 (お握りは彼女の大好物)

夫はその間、衣と一緒にテーブルセッティング。 隣のインド人、シャロンさん宅から椅子を借りてきてもらう。 会場設定は全て夫に任せる。

天気が良いので、ベランダに出る可能性もあるので、 簡単に掃き掃除。

昨日買ってきた大きな花束をバラし、 茎を短く切り揃え、マグカップにこんもりと生け、 テーブルフラワーを2つ作る。 1つは食卓に、1つは洗面所に。

夫のリクエストで味噌汁の準備。 具はシンプルに豆腐、わかめ、青葱。

パーティーは1時からとしているが、 案外、遅くに来る予定の人が多いため、 食事はせいぜい2時半位からか・・・。 お客さんの集まり方を見て決めることにする。

ホスト役の我々は食事は殆どできないだろうからと、 味見を兼ね、早めの昼食代わりに、 出来あがった料理を3人でつまむ。

1時ぴったりに学生1人が到着。 さすが、礼儀正しい真面目な彼らしい到着の仕方。 「日本では、客として招待されたら、時間通りに行くか、 早めに行くか、遅れて行くか。」との質問をされる。 そういうことを考えながら、腕時計を見い見い、 道中歩幅を調節して来たのだろう。

少しして、メインゲストの1人、サフラン夫妻が到着。 彼等は敬虔なユダヤ教徒。 今日の金曜日は、 日没から始まるシャバットに備え、色々と準備があるらしく、 早くに帰らなければならない。 手土産に、コシェルのチョコレートリキュールを頂く。

到着した人から順に、早速、 夫が考案した「ひらがなの名札探しゲーム」を始める。 ローマ字併記のひらがな表を各自に渡し、 あらかじめ壁に貼っておいた 各自のひらがなの名札を読み当ててもらうという趣向である。 いかにも研究者が好きそうなゲームである。 これは大好評だった。

さすがサフランは、数分とたたない間にぱっと見つけてしまう。 偉い物理学者が、ひらがな表をじっと見ては壁の名札群を眺め、 又、ひらがな表に目を落とし・・・と、一生懸命にゲームに興じる姿は、 感動を誘う。 そして更に、ご存知の方も多いであろう 夫の下手くそな字で「さむ さふらん」なんて書いた 名札を無造作に胸につけ、パーティー中機嫌良く過ごしてくれる姿に 再度感動。

しかしホステスは、感動ばかりはしていられない。

次第に集まり始めるお客を迎えながら、 オーブンで焼き鳥を温め始める。 肉じゃがと、朝作った肉ボール煮も温め、夫の指示を待つ。 味噌汁も極弱火にかける。

なかなか始まらない食事に、お腹を空かせている人もいるだろうと、 急遽カナッペを2皿作る。

ようやく、食膳の第2の余興「お箸で豆・米をつまむゲーム」が始まる。 これは、私が小さい頃、 近所のパーティーに招かれた際教えてもらったゲームである。 これも、皆、結構面白がって参加してくれた。

お箸の使い方講習会の後、いよいよ食事開始。 ちらし寿司に、皆の好奇心が集まったようだ。 ミニお握りも面白いようだ。 結果的には、思ったよりも、皆小食でかなりの料理が残ってしまった。 結局、遅く来た組の人達は、それぞれで昼食をすでに食べてきているので、 それ程食べられる訳ではない。 私も張り切り、調子に乗って沢山作り過ぎたのだろう。

よくうれたのは、数日前から漬けておいたきゅうりのピクルス。 比較的うれたのはミニお握り、ちらし寿司、焼き鳥、 金柑の甘露煮、白豆の甘煮、 中国人の手土産の牛肉と卵の醤油煮、 デザートのケーキ類、フルーツサラダ。 意外だったのは、食後に出したほうじ茶が大好評だったこと。 ポットに4杯くらい作り直した程である。

逆に、殆ど残ったのは、キッシュ2種。 良く理解すれば、今日は日本食が人気があったということ。 悪く理解すれば、美味しくなかったということ・・・。

ベジタリアンの人がいたのだが、偶然、ちらし寿司やキッシュ、お握り、 豆など、彼女の食べられる物もあったので良かった。 次回は、そういうことも念頭において献立をたてるべきだと反省。

かなり残ってしまったことを考えると、 昼食会にしてはメニューが重過ぎたのかもしれない。 肉じゃがや鮭の南蛮漬けなどの、汁気のある温かいメニューは、 着席式の食事会向けかもしれない。 やはり、今回は牛肉が無かった為に作れなった、 牛肉の醤油煮の薄切りなどが軽くて適当だと思う。

勿論、外国人のパーティーはお喋りがご馳走で、日本人のパーティー程、 招かれる側も招く側も食べることに重きをおかない、という傾向は 念頭においてはいたが、ここまで余ってしまうと、 料理人としては、「美味しくなかったのかな」 という不安は隠せない。

外国人は甘い物が好き。 デザートに関しては正解だったと思う。 フルーツサラダは、倍の分量あっても良かった。 (今日は小さ目のボールに1杯)

食後が一段落し、中だるみした頃、折り紙大会を始める。 夫は、日本人のくせに鶴が折れないと言うので、 私が講師を努める。 奴さん、袴を折り、しめはやはり「鶴」。 これも、楽しんでもらえたと思う。

夫の仕事関係でお世話になった人達は、殆ど招くことができ、 招待した人達も、週末で色々と忙しいであろうが、 快く参加してくれ、大変に嬉しかった。

外国では、夫婦・家族単位の付き合いが比較的多いので、 最後に、この1年間で知り合うことのできた彼等と、 こうして我が家で再会でき数時間を共有できたことは、 良い思い出となった。

はぁ〜、それにしてもくたびれた〜!


2月17日(木曜日)

午前中、夫に衣を預け、スーパーソルに買い物に行く。 牛肉の醤油煮を作る予定なのだが、こういう時に限って、 どこの店にも牛肉の塊が売っていない! 無い物は無いのだと、仕方なく諦める。

こまごまと買い物をし、隣の花屋で明日の為の花束を買う。 いつも新鮮できれいな花が溢れているイスラエルの花屋に、 到着当時から非常に魅力を感じていたが、 花瓶もなく、私の中で、花は贅沢品の部類とされているので、 今迄我慢してきた。 が、いつも「帰国直前のお別れパーティーの際に、花を買おう!」 と心に決めていたので、ようやくその時が訪れたという訳だ。

数々の色鮮やかな花の中から、紫と赤のアネモネ、白と黄の小さな水仙の 花束を選ぶ。 大きな花束が荷物運び用のベビーカー上でゆさゆさと揺れる。 帰路の足取りも軽やかに!

帰宅後、半解凍状態の鶏肉5枚分を切り分け、焼き鳥を作る。 味付をし、オーブンで一度に焼く。 火が通ったらフライパンで焦げ目を付け、 同じく焦げ目を付けた青葱と一緒に串に刺す。 (竹串は、隣の階段の日本人奥さんのアイデアで、 イスラエル料理用の長い竹串を鋏で3等分に切ることにする。)

残りの鶏肉2枚とジャガイモ、玉葱、人参で肉じゃがを煮る。 こちらの牛肉は臭みがあり、当たり外れが激しいので、 鶏肉を使った肉じゃがを作る。

鶏肉に下味をしている間に、 キッシュを作る。 今回はキッシュ2種類。 まず、リークとハムのキッシュ。 続いて、先ほど、隣の階段の日本人奥さんからの差し入れの きのこを使い、きのことズッキーニ、胡桃のキッシュを焼く。

夕食後、サワークリームチョコレートケーキを焼き、 念願のタマル(なつめ椰子の実)のタルトに初挑戦。 初挑戦のお菓子ほど、怖いものはない。 タルト皮に生地を流しこむと、なんとかさが半分しかないではないか! あー、失敗かな・・・と思いながら、タマルを飾りオーブンに入れる。 ・・・と、不思議なことに、焼いているうちに生地が膨らんできて、 立派なタルトに変身してくれた!

お菓子2種と花束は、寒いスペア寝室に移動。

私がデザート作りにはげんでいる間に、夫が、 会場作りをすっかりとしてくれる。

夜、寝る前に、ちらし寿司用に海苔を細く切りながら、 明日の午前中のミニ握り寿司の準備を考え、 緊張感が高まりぴりぴりし始める。 それを察知した夫が、なんだかんだと相談にのってくれ、 結局、ミニ寿司は手間の割にはあっという間に無くなってしまう ということで、ちらし寿司を中心に、「奥様集会」で 好評だったミニお握りを作ることに変更。

この日の為にとっておいた寿司のたねの事を考えると、 後ろ髪を引かれる思いがしたが、もともと、私自身、 パーティー当日に料理をしなければならない献立は、 好まないので(忙しくなるので)、気分が少し楽になる。

掃除を済ませ、目覚ましをセットし寝床に就く。


2月16日(水曜日)

1日かけて料理をする。

今日作った物。 白豆の甘煮。 鮭の南蛮漬け。 チキンボール→冷凍。 バナナケーキ1本。

午後、ターニャさんがピフラちゃんを連れて現れる。 3月のピューリム祭の為の衣装をピフラちゃんが買ってもらったそうで、 それをご披露に来てくれたということ。

淡いピンクのお姫様のようなドレスに、おそろいのピンクのとんがり帽子、 コメットさんのような星型が付いた棒を持ち、大変に可愛らしい。 余りにも「キュート」なので、ビデオに撮らせてもらう。

ターニャさんに、「今週末パーティーで、もう私、たいへんなーの!」 と訴える。 髪を振り乱し、しみだらけのエプロン姿の私を見て、 彼女は私の精神状態を正しく察知したことだろう。


2月15日(火曜日)

午前中買い物に行ってきゅうりを買う。 ピクルスを仕込む。 新鮮な金柑が売っていたので、1パック買い 金柑の甘露煮を作る。

夕方、センターにお客様の準備の買い物に出かける。 カート一杯に食料品や紙コップなどを買い込む。 これで、明日から本格的に準備が始められる。

夜、ミシュロハ(スーパーの配達)の品が届いてから、 ラザニア用のミートソースを作り冷凍。 白豆を洗い(イスラエルの豆はかなり念入りに洗わないと 汚い。が、味は上々) 水に漬けて寝る。


2月14日(月曜日)

午前中にギッダの家で「奥様集会」。

今週の金曜日に、夫の仕事関係の人達とその家族を招き、 お別れパーティーを予定している為、少しずつその準備を始める。 午後、ちらし寿司の具を煮て冷凍する。

夕方に、ウェンディーさんと一緒に空手道場を見学。


2月13日(日曜日)

午前中、荷物の整理をする。


2月12日(土曜日)

3人でぐっすりと眠ってしまい、大寝坊。 朝食を逃したと思い、外に食べにでかけようとしたところ、 食堂で食事をする人影を見つけ、我々も仲間に入れてもらうことにする。

今日は朝からついている。

今日の観光はバハイとアッコ。 (詳しくは夫の日記を参照して下さい)


アッコ


2月11日(金曜日)

レンタカーをして、泊りがけの家族旅行をする。 目的地は、3度目の正直・・・ハイファである。

宿泊先のホテルは、ハイファのカルメル山の上に位置し、 部屋からの眺めは素晴らしい。 ガリラヤ湖でも、湖に面した絶景を楽しむことができたが、 ここでも、地中海を眼下にすることができ、満足のいく眺めを 得ることができた。


バハイ神殿

夕方、高台から海を見下ろしながら、整備された遊歩道を散策する。 シャバットでほとんど閉まっている飲食店街の中から、 雰囲気の良いカフェを偶然見つけ、 楽しい夕食を摂る。

3人ともお腹がぺこぺこだったので、 イスラエル風に盛られた大盛りの食事もぺろりと戴く。 初めて注文したオニオンスープが、最高に美味しく、 洗面器のような大きさのお皿に入っていたのにもかかわらず、 ほとんど食べてしまったのには、我々ながらびっくりした。

衣は、大好きな海の見える部屋での宿泊なので、 興奮してしまい、一人前に夜景を見てうっとりしていた。

夜になり、山の上は大風が吹く。 強風は一晩中吹き荒れる。

これが、イスラエルでの3度目で最後の旅行であろう。


2月10日(木曜日)

昨晩のアビゲイルちゃんの誕生会から帰ったのが遅かった為、 朝寝坊をし、朝市には行くことができなかった。 帰国までに、果たして、 マッシュルームを自分で買ってみることはできるのだろうか・・・?

仕方なく、スーパーソルにて買い物をする。 本屋で、以前ハユタさんのヘブライ語のクラスに、 一度だけ来た女性にばったり会う。 彼女、ウルパンに通っていたのだが、先月で終了してしまい、 只今先生募集中ということ。 そういえば、この本屋の店員が、以前、 「ヘブライ語の生徒を募集中なの、誰か紹介して。」 と言っていたことを思い出し、 レジで2人を引き合わせる。 1週間に何度も寄るので、衣はすっかり店員と仲良しになった。

午後にキッシュを焼く。 予定では、新鮮なマッシュルームをふんだんに使った、 マッシュルームキッシュを作る予定だったのだが、 リークのキッシュに変更する。

昨年の11月に従姉妹が訪問した際に習って以来、 少なくとも4回は作っているのだが、なかなか自分の物にならない。 キッシュが上手にできる人は皆、口を揃えて「簡単よー!」 と言うのだが、私には手ごわいメニューの一つである。

しかし、今回は今までの中では、満足のいく出来だった。 さすがに5回も作れば、色々な失敗を繰り返し、コツがつかめてくるのも 無理はないのだが、実は、まだまだ自信はない。 出来あがるまで、どうなるか分からないという事ほど、予定がたたないことはない。 来週末のお客様料理のメニューに加えたものか、迷うところである。

夕方、キッシュの一部と、スーパーで押し売りされたギリシャ菓子(超甘い!) 数個と、八百屋で発見したミニレモン数個を持って、 隣の階段の日本人奥さんを訪問。 彼女、最近になって風邪をひいてしまい不調気味。 加えて、2人の子供が代わりばんこに熱を出し、休まる暇がない。 まったく母親業は大変だ。

ポストでアンゲリカに会う。 明日の昼に、ドイツからお父さんと双子の妹さんが到着するそうで、 楽しそうだ。 歓迎の食卓に、私のレシピ集から、 人参ケーキときゅうりのピクルスを作るそうで、 再度、作り方のチェックをされた。 あさってからは、全員でヨルダンに旅行するそうだ。 元気な人達である。


2月9日(水曜日)

夜7時半、隣のインド人宅に娘さんの1歳の誕生日に呼ばれる。 衣は、娘さんのアビゲイルちゃんがお気に入りで、 隣で物音がする度に、「アビタ(アビゲイルちゃん)!」と敏感に反応する。

衣がこの1年間、大いに楽しんだイスラエルの絵本を、お祝いにあげる。 我々は最初の客だったようだが、部屋一杯に並べられた椅子が満席になる程、 大人数の招待客がやって来た。 顔ぶれを見て、合点したのだが、多くは彼等の教会仲間のようで、 子供の誕生日会というよりは、教会関係の集会という感が強い。

まずお祈り、次にお祈り、そしてお祈り・・・。

ノンクリスチャンの我々と、アンゲリカと、タルーン君一家(インド人)だけが、 お祈り中に目を開けている。 お説教、ユダヤ教からキリスト教に改心した人の体験談などを交え、 誕生ケーキのろうそく消しもこなし、シャロンさんお手製の実に美味しいインド料理も 振舞われた。

子供の誕生日会にしては夜遅い理由が、行ってみてようやく分かった。 まあ、こういうのも、経験として「は」面白い。 勿論、最後に誘われた週末の集会には参加しないけど・・・。


2月8日(火曜日)

明日の晩は、家族揃って、 隣のアビゲイルちゃんの1歳の誕生日会に招かれている。

ということで、午前中に衣とプレゼントを買いに行く。 ベンヤミンにもあげた衣のお気に入りの、イスラエルの有名な絵本作家の 食べ物のお話の絵本を買う。 これは、数冊のシリーズの中の1冊で、我が家には他に、 おまるでおしっこの本がある。

どれも、ナフタリーちゃんという男の子が主人公で、 ナフタリーちゃんとお母さんが登場し、なんでも食べて元気な良い子、 おまるでおしっこ、おやすみなさいの本、死ぬってなあに? といった感じの 内容のシリーズである。

去年の4月、テルアビブに住んでいた頃、初めてのテルアビブ大学訪問の際、 夫が大学生協で衣にたまたま選んだのが、ナフタリーちゃんの食べ物の本なのである。 それ以来、衣の大のお気に入りになっている。 私のつたないヘブライ語でも、最初の数行は読める。


2月7日(月曜日)

待ちに待った音楽会の日。

早めに衣の入浴と食事を済ませ、衣を夫に預け、 アンゲリカ、デビ、アンナちゃんのお母さんと一緒に、 レホボトのカルチャーホールでの音楽会に出かける。 プログラムは、オペラのアリア集。

辺りを見まわすと、我々以外は皆、おじいさんやおばあさん達である。 我々は、かなり浮いた存在のようだ。

待ち時間の間に、皆でヘブライ語のプログラムの解読に挑む。 作曲者名は、そのまま読めば分かる。 モーツァルト、ベルディ、ガーシュイン、ビゼー、 ドニゼッティなどなど。 後は、アリア、デュオなどという単語も分かる。 その他は、ちんぷんかんぷん。 幸いにも、アンナちゃんのお母さんは、ウルパンに通った経験が在る為、 ある程度はヘブライ語が分かる上に、ロシア語が母国語の彼女は、 ロシア語版のプログラムを見つけてきて、我々に説明をしてくれた。

最初は「オペラ」という特別な芸術の世界に慣れるのに、 数分間を要したが、段々にその「不自然さ」にも慣れ、 音楽として楽しめるようになった。 2人のソプラノを含む5人のメンバーが、 交代でそれぞれ、ピアノの伴奏で有名なオペラからの抜粋を披露する。 高校時代の親友が、声楽を専攻していたので、 あの頃は、このような場面によく居合わせたものだ。 そんなことを、懐かしく思い出しながら充分楽しむことができた。 休憩時間には、お互いに、好き勝手に批評をし合ったり、 それぞれのオペラの知識を寄せ集めながらの会話を楽しんだ。

子供の手を引かずに、自由に闊歩できる物理的・精神的な自由時間を 4人で大いに楽しむことができ、かなりリフレッシュされた。 そうそう、入場料がたったの40シェケル(1000円)というのも、 良いでしょう?


2月6日(日曜日)

9時に待ち合わせをし、隣の階段の日本人奥さんと、ウェンディーさんと一緒に キブツ・レビディームに行く。 以前、我が家の3人で訪れた時には、休日の為、人気もなく寂しい印象を受けたが、 今日は、目的のジュエリーショップに行くことができ、 以前とは全く異なった印象を持つことができた。

このキブツは、ローマングラスのアクセサリーで有名らしく、 研究所の観光案内のパンフレットにも登場する。 確かに、地味ながら、なかなかきれいな品が多く、我々「婦人会」のメンバーは、 それぞれガラスケースに釘付け状態になる。

記念の品を幾つか購入する。 将来、年頃になった衣にプレゼントしようと、1つ彼女の為にペンダントを買う。 このペンダントを身に付ける頃の衣は、どんな女性に成長しているのだろうか。 今は、全く想像がつかない。


2月5日(土曜日)

3人揃って、午後の散歩に出かける。

今日は、いつものコースではなく、宿舎の裏の方を歩いてみる。 少し歩くと、一面黄色い花が咲いた花畑に出る。 つい最近までは、どこもかしこも白くほこりっぽかったイスラエルの土地が、 冬の間に降った雨で潤い、何時の間にか緑の大地に衣替えしている。 そして、この数週間のうちに、春の兆しとも言える、黄色い花があちらこちらに 咲き始めた。

やはり、私は個人的には、砂漠の風景よりも、生命の存在が「簡単」に感じられる、 緑の在る風景の方が好みのようだ。 こちらに来て、皆口を揃えて「アイ ラブ デザート(砂漠)!」と言うので、 肩身が狭かったのだが、先日、デビも「どちらかと言えば、私も砂漠は苦手。」と 言うのを聞き、「オゥ! アナタモ デスカァー!」と、 思わず手を握りそうになった。

この国にいて、砂漠の神秘を愛することができたら、それはそれは楽しいだろうとは 思うのだが、駄目なものは駄目なのだ。 イスラエルに憧れつつ、日本で真面目に暮らしている人達には、 つくづく悪いと思う。


2月4日(金曜日)

午前中に旅行会社に行き、帰りのチケットの手配をする。 途中、久しぶりにモニカとご主人に会う。 彼女のお腹が、セーターの下からふっくらと突き出ているように見え、 「もしかして、赤ちゃん?」と聞くと、やはりそうらしい。 5月に出産予定なので7ヶ月目に入ったところだそうだ。 彼女の年齢を聞いたことはないのだが、多分、私よりも数才年上だと思うので、 喜びもひとしおだろう。

衣のベビーベッドを使わないかと一応聞いてみる。 彼女、なんとイスラエルで出産を計画しているそうだ。 家族から遠く離れての出産なので、どうするのかと 色々と話し込む。 私は、日本での出産の時、里帰り出産ができなかった為、 ホームヘルパーを頼んだことなどを話す。 おめでたの話は、いつ何処で誰の場合も嬉しい話題だ。 他人ごとにもかかわらず、嬉しくて嬉しくて、始終ニコニコしてしまい、 1日中、思い出しては、「はぁ〜。」と溜息が漏れてしまう。

お土産の買い物を済ませ、ピタパン屋でパンを買い、 研究所でピクニックをすることにする。 いつもは、おじさん2人のピタパン屋が、若い男女も数名加わって、 かなり活気に満ちている。 丁度、ピタを焼いている最中で、台の上に型抜きした生地がずらりと並び、 それをお兄ちゃんが細長い板にするっと乗せ、一気にかまどの中に入れる。 すっと板を抜き、ほんの2〜3分で、又板を入れ、器用にピタを取り出す。


ピタパン屋

かまどから出てきたピタは、ぱんぱんに膨らみまるで風船のようだ。 それを脇の木箱にどさっと無造作に入れ、次の列を焼く。 この作業を手際良くこなすうちに、ピタはどんどん焼かれていく。

今日の我々のお昼のメニューは、ピツァ、ポテト入りパン、 ピタ、アップルパン、蜜柑。 お腹が空ききった衣は、ピタパン屋から研究所までの道中、 ずーと大きな声で「ピタ!、ピタ!、ピタ!、ピタ!」と言い続ける。 金曜日の午前中は、衣の大声も車の音や、街の喧騒にもみ消される。


2月3日(木曜日)

研究所のゲート近くで、毎週木曜日に開かれる朝市に出かける。 今まで、その噂は何回か聞いていたが、ついに一度も試さずにここまで来てしまった。 先週行った人から、「とても新鮮なマッシュルームとアスパラがあった。」 との前評判を聞いていたので、大きな期待を胸に抱きながら足を速める。 しかし・・・、行くのが遅すぎたようで、お目当てのマッシュルームは 既に姿を消していた。 気を取り直し、大きなビニール袋に一杯の蜜柑、サニーレタス、ミニトマト、 こちらに来て初めて見たパセリを一箱買う。

朝市とは、バンの荷台に思い思いの品を積み込み、ここで店を開いているようだ。 今日の品物は、蜜柑、レタス、ミニトマト、パセリ、切り花、鉢植えの花、 ジャムや蜂蜜、菓子パン類、卵などなど、きっと9時の終了前には、 もっと沢山の品があったに違いない。

ベビーカーに蜜柑や野菜を積み込み、折角朝早くに出てきたので、 ヘルツェルの旅に出ることにする。 9時半近くだが、まだ開店していない店もあり、 今、開店準備が始まった、という感じの店が多い。 10時から店は開くのだろうか。 帰国真近だというのに、こういう基本的なことすら知らない のだから恐ろしい。 なにせ、この時間帯にショッピングに出ることは今までなかったから・・・。 夏は暑かったし、子供がいるし・・・言い訳、言い訳。

以前から気になっていたカバン屋を見て、いつも行く本屋とは違う側の本屋を覗く。 同じチェーン店だが、こちらの方が英語の本が多いような気がする。 以前から気になっていた、英国の著者が書いたベストセラーを買おうと思うが、 あいにく品切れ中。 衣に、ヘブライ語の図鑑を1冊記念に買いたいのだが、 衣と一緒だと、本屋で本を吟味するのはとうてい無理。

いつもの様に、後ろ髪をぎゅうぎゅうと引かれながら店を後にする。 最近見つけたお土産屋を覗く。 いまいち。 道を渡り、アンゲリカに教わったパン屋を訪ねる。 確かに美味しそうなパンが棚に幾種類も並んでいる。 そろそろお腹が好き始め、さっきから「おうち、おうち。」を連発している 衣の目にも鼻にも毒と判断し、さっさと退散。 世のお母さん達は、子連れでよく買い物ができるなーと、いつも感心してしまう。 私の場合、かなり身も心も疲れる。

帰宅後間髪を入れずに、アンゲリカより電話。 来週の音楽会についての話。 結局アンゲリカとデビ、私の3人で行くことに決定。 うーん、楽しみ! 殆どフォーマルな付き合いがなかった今回の滞在なので、 ほんの1〜2回しか手を通さなかったワンピースを最後に着て行きましょう。

夕方は週末の買い物に出かける。 行きがけに子供服屋で、衣に赤いオーバーオールを買う。 これで、少しは女の子らしく見えるだろうか。 市場で白菜、きゅうり、ディルを買う。 白菜は、最後の白菜になるだろう。


レホボトの市場

行くのは12月以来のスーパーで、久々の買い物をし、 他数件を覗いた後、初めてカフェで食事をする。 オムレツとフェットチーネ(というのですか? イタリア版きし麺)を注文するが、 どちらも美味しかった。 いつもは、地下街のファーストフードで済ませるので、 久しぶりに落ち着いた店で、少しだけ気取った食事になった。

どこに居ても、行動が極めてワンパターン化してしまう我々夫婦だが、 今日は、我々にしては、少し変化のある時間を持てた。


2月2日(水曜日)

髪を切る。 と言っても、美容院に行った訳ではない。 隣の階段の日本人奥さんが、家族の散髪で磨いた腕を振るってくれたのである。 ぺちゃくちゃとお喋りをしながらの2時間、さっぱりときれいにカットしてもらい、 気分もすっきり。 お茶までいただき、本物の美容院のようなサービスだ。

午後、アンゲリカと誘い合って公園に出る。 ステファニーとデビもいて、賑やかな時間を過ごす。

アンゲリカの提案で、来週、皆で音楽会に行こうという話しになる。 しかし、行こうと思う音楽会の曲目が、オペラからのアリア集で、 アンゲリカはオペラは余り好まないらしく、それ程乗り気ではない。 逆に、デビは「アイ ラブ オペラ!」、ステファニーは、 「オペラは耐えられない」人種。 私の場合は、 日本に帰れば、音楽会など、しばらくは行くことができないだろうから、 どんな曲目でも大歓迎である。 それに、チケットの安いこと!! 40シェケル、2000円もしないのである。 行かなきゃ損々。

結局、アンゲリカが詳しい情報を調べて、又話し合うことになる。 最後の月は、お楽しみが降って湧いてくるものだ。


2月1日(火曜日)

今日から2月。 帰国まで、いよいよ1ヶ月となる。

幼稚園のストの為、2週間休んでいたブラッハのヘブライ語教室が再開する。 風邪の為、第1回目を休んだ私にとっては、初めてのレッスンである。

我々と入れ替わりにご主人のデービッドが、マルカちゃんを連れて出勤。

今日は、前回の数の復習と、店での会話をした。 私は、衣の相手をするので、殆ど参加できない。 しかし、「幽霊学生」であっても許されるレッスンなので、 以前、我が家でやっていたヘブライ語レッスンの時に比べると、 精神的ストレスは殆ど無い。

1時間半のレッスンを超過して、最後は、ブラッハにユダヤ教についての 質問などもでき、非常に有意義な時間が持てた。 今まで、色々と聞いてみたかったのだが、なんとなく、 悪いような気がして遠慮していたので、最後にこのような機会に恵まれたことを、 嬉しく思う。 持つべきものは、このような機会を与えてくれた積極的な隣人。

午後は、昨日から仕込んであったロールパンを焼いてみる。 初めての挑戦で、又、失敗することを覚悟していたのだが、 思ったよりは美味しくできた。 不思議な作り方で、粉、イースト、バターを混ぜ、生地を冷蔵庫で24時間寝かせ、 翌日に形を作り、焼くというレシピ。 半信半疑で試みたのだが、パン作りの経験の無い私にも、 ロールパンが作れたのは驚きである。

ブラッハの話しは、もう少し情報を整理してからご紹介しましょう。


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