イスラエル育児日記


11月30日(火曜日)

今日も朝の10時には公園に出て、衣と遊ぶ。 と、突然、駐車場に大きな車が到着。 中から、東洋人が次々に降りてくる。 あっ! 今日到着予定の、新しい日本人家族がついにレホボトに到着したのだ。 今、公園に来たばかりなのに、さっさと帰り支度を始める母親を 見上げて不審そうに眺める衣をせかし、駆け足で挨拶に行く。

新しい日本人家族は、3歳と5歳の男の子2人と両親の4人家族。 我々と同じ宿舎の、隣の階段に住むことになった。 早速自己紹介をし、午後は、子供達と公園で沢山遊ぶ。 下の子は、「ぼく、おちゅなで、あちょびたいのー。」という 喋り方で、なんとも可愛らしい。

3階の日本人の家族は、受け入れ体制も万端で、 家中で、後任の家族の為に一生懸命にお世話をしている。 やはり見知らぬ土地では、知った顔が、親切に世話をしてくれる事ほど、 ありがたく、また、頼もしいことはない。 我々も、4月にテルアビブのベングリオン空港に、アンデルマンが迎えに来てくれ、 物理的にも精神的にも助かった。

夕方は、思いつきで、夫と一緒に散髪をする。 同じ美容院で、最初に夫、次に私と、2人で1時間もかからずに済んでしまった。 私は、かなり長くなっていた髪を、あごのラインのボブにしてもらおうと 思っていた。 それと同時に、少し冒険して、美容師の好きに任せてみても良いかなとも 思っていた。

「この位のボブ。」と、私。
「そうですねー、こうやって、 下の方ですぼむ感じが良いのではないでしょうか。」美容師
「えっ、どういう風ですか?」私。
「後で、お教えします。」彼。
「後ろ、この位で良いですか?」彼。
「ええ。」私。
「ジョキジョキ。シュシュ。」威勢良く切り始める彼。
「バタバタ。トスントスン。」同じく威勢良く床に落ちる黒髪。

おもむろに引き出しから剃刀を取り出す彼。
「?!」一瞬、焦る私。
「ジョリジョリ。」何のためらいも無く、どんどん剃刀で下半分をすいていく彼。
「あー、そーじゃないのよー。ボブよボブ・・・。」心の中でつぶやく私。
「ジョリジョリ。ジョリジョリ。」どんどん作業を続ける彼。
「まあ、久しぶりに、こういうのも良いか・・・。」肩の上で揺れるボブを イメージしていた私は、急遽イメージを変更。
こういう場合、潔さも必要である。

あっという間に、20前とは全く違う髪形に変身。 しめて3800円也。 思わぬ、イメージチェンジで、気分も爽快。 軽くなった頭に夜風を受け、足取りも軽く帰宅。


11月29日(月曜日)

お母さん、復活。 午前中に公園に行く。 衣は、いそいそとバケツを手にかけ、 鼻の下を伸ばして、足取りも軽く公園へと向かう。 と言っても、廊下を数メートル歩くと、 抱っこになり、公園の手前の砂地に着くと、 自分で歩き始める。 こういうことも、こだわるのである。 こだわり派の衣である。

公園では、デビと2人の子供、そして、ステファニーとデービッド君が 既に遊んでいる。 なんと、デビは、長いもしゃもしゃの髪を、肩くらいまで切って、 すっきりとしている。 以前から、2人で美容院に行きたいねーと話していて、どこに行こうかと 迷っていたのである。 彼女に先を越された! 「よーし!」と、私の闘争心がめらめらと燃え上がる・・・。

午前中でも、家の中は寒く、タイツに長いスカート、長袖シャツにセーター といういでたちだったが、日のさんさんと当たる公園は、 ぽかぽかと暖かく、衣も1枚服を脱がせて遊ばせる。

最近、デビと話す機会が多くなったが、 彼女の大学での専攻は生物で、教師の免許もあるそうである。 子供達がもう少し大きくなったら、高校で生物でも教えようかしら と言っている。 普段は、「何々ちゃんのお母さん」として接し、話題は子育てのことが多いのだが、 こうして、彼女のバックグラウンドを知ると、一気に付き合いが一段と楽しい物になる。結婚してから、大学の英文学のコースにも通ったそうで、 なかなかアカデミックな人であることが判明。

今日、嬉しかったのは、彼女が私と同様に、今、 子育てを楽しんでいるということが分かったこと。 こちらに来て、まだまだ小さい1歳の子供を、 幼稚園や、ベビーシッターに預けて 母親達が、勉強なり趣味なりの時間を確保するケースを沢山見てきた。 純日本的、かつ、保守的な考えの持ち主である私は、 彼女達の自由で、積極的に自分の生活を確保する考え方や やり方を、理解しようと努力しながらも、驚きの目をもって眺めてきた。

そういう中で、西洋人の母親の中にも、私と似たような考え方を持った 女性がいること自体が、新鮮に思えてしまったのである。 なんだか、10年前くらいに、外国生活をした人のような感想になってしまったが、 現代の日本で暮らしながら、結局は、かなり保守的な感覚を持っている自分に 改めて気付き、それ自体に驚くことが最近多い。


11月28日(日曜日)

今日も寒い。 良い感じ。 私は、個人的には寒い冬が好き。

が、夏でも午前中は寒いくらいだった我が家は、冬は それなりに寒い。 ということで、夜はエアコンを少しつけることにした。 戸棚の中から、夏の間追いやってあった電気ヒーターを出してきて、 試しに使ってみる。 小さなヒーターでも、あるのと無いのとでは大分違うことを発見。

今日は、昨日の外出で少々疲れたので、 休養の1日とする。 母親が、だらーとしている日は、衣は彼女なりに考え尽くせるだけの 遊びを全てやる。 そして、夕方には、すっかりと全てのことに飽き飽きして、 あとは、ひたすらお父さんの帰りを待ちわびる。


11月27日(土曜日)

今日は、テルアビブ大学の、夫のホストが、 1日我々の相手をしてくれた。

彼等は、我々がテルアビブにいた頃から、 何かと気を遣ってくれ、研究室でイベントをする際には、 声をかけてくれたり、夫妻でヤッフォを案内してくれたりと、 至れり尽くせりのケアをしてくれている。

レンタカーを借り、12時に彼等のマンションを訪ねる。 久しぶりに訪問したご自宅は、 家中の窓という窓、ドアというドアを、 彼等の好みのイタリア製に取り替える作業がようやく 終わったところだった。 ゆうに、半年はかかった大工事だったようだ。

色々と考えた挙句、雲行きも怪しくなってきたことなので、 本日は遠出をせずに、テルアビブ内を散策することにする。

懐かしい風景を車窓から見送りながら、テルアビブの文化の中心地に行く。 イチロフ病院、日本大使館、テルアビブ博物館、オペラ座等が建ち並ぶ 地区に車を停め、まずは、衣の為に公園でしばらく過ごす。 彼等は、いつも衣の事まで念頭に置いて行動してくれる。

新しいオペラ座を、外から覗き、彼等のお勧めのフランスレストランに 予約を入れる。 子連れで大丈夫かしらと心配するが、 まあ、試してみましょうということになる。

予約の時刻まで、時間があるので、しばらく周辺を散歩する。 今日は、この冬一番の冷え込みのようで、 風が強く、ようやく「冬」を感じることができる。

途中、ルーマニアレストランの前を通る。 議論の結果、今日の昼食はここで取ることに変更。 ご主人がもともと、ルーマニアの出身ということもあり、 彼もお勧め、我々も初めての体験、ということで中に入る。

お勧めの、肉団子入りの酸っぱいスープ、カバブ、を戴く。 スープは温かく、寒かった散歩の後には最高の選択。 前菜が変わっていて、アラブ料理の様に、数々のペースト状の物が、 少しずつお皿に盛り合わせてある。 それを、ハラーという安息日のパン(日本の食パンのような物) に付けながら食べる。

魚の卵のペースト、白豆とにんにく、パプリカのペースト、 レバーペースト、どれも珍しく美味しい。 ルーマニア料理の特徴は、にんにくを沢山遣うことらしい。 さぞかしきつい香りかと覚悟をしていたが、それ程驚くことはなく、 意外とマイルドな食事だった。

こうしてゆっくりと、レストランで食事をするのも久しぶりで、 ゆったりとした気分になれる。 食後は、トルココーヒーを戴き、ルーマニアの典型的な揚げ菓子を 皆で分けて食べる。 アットホームな雰囲気のレストランで、 気持ちの良い家族と一緒の食事ほど贅沢なものはない。

食後は、大風の中を、ラビン広場まで歩く。 ラビンの暗殺現場は、以前訪れた時にはなかった、 彼の年賦がアラビア語、ヘブライ語、英語で記されていた。

途中、彼等の長女がしきりに、自分は日本の柴犬が好きで、 大きくなったら絶対に柴犬を飼いたいと言う。 そして、彼女の夢は、獣医になることだそうだ。 賢い彼女は、きっと良い獣医になれると思うので、 その旨を伝える。

その脇で、今は医者の奥さんが、自分は子供の頃は、 英語の教師になりたかったと言う。 そういうなんでもない会話をしたのが、とても久しぶりのような気がして 懐かしかった。

最後、駐車場で今日のお礼を言って分かれる。 長女は、すっかりと仲良しになった衣と、 最後の別れを惜しんでいる。 彼女、別れ際に、私の頬にキスをしてくれた。 このような挨拶は、イギリスにいた頃は頻繁に経験し、 なかなか慣れずにいつも戸惑ったものだが、 イスラエルに来てからは、初めての経験で、驚くのと 同時に嬉しかった。

彼等と一緒の時を過ごすと、いつも温かい気持ちになる。 何故だろう、といつも考える。 一つには、かれらの気配りの良さ、そして、かれらの会話や行動のペースが ゆったりとしているということ、そして、かれらが色々な面で大人だということ が大きな理由だと思う。

今日、感じたことは、私はもう少し、 衣を素直に可愛がっても良いのかな・・・と、 いうこと。

今日は、何となく「母親」ではない自分が、久々に顔を出していたようね気がする。


11月26日(金曜日)

昨日はクララちゃん、今日はベンヤミン君と遊び、 衣はご機嫌である。 一番気が合うのは、どうやらクララちゃんのようだ。 同じおもちゃを両端から握り合い、睨み合っていたかと思うと、 一緒に地図や絵本を眺めたり、 お互いの洋服のボタンを押し合ったり、ソファーに並んで座ったりと、 仲の良いところもあるのである。

最近衣は、大人の仕草や言葉を、そのまますぐに真似をするようになってきた。 夫と話している横で、身振り手振りも派手に、話に割り込んでくる。 その様子が可笑しくて、思わず吹き出してしまうことも多い。

この子は、お喋りな女の子になりそうだ。


11月25日(木曜日)

夕方、3人で買い物に出かける。 スーパーでいつもの買い物を済ませ、 いつものおばさんのレジに並ぶ。 彼女は英語が全く通じないのだが、顔見知りになった為、 大変に親切にしてくれる。 どうしても、英語が必要な時は、レジで並んだ次のお客などが 助け舟を出してくれる。

先日、ヘルツェル通りの、同じ系列のスーパーのレジで、 彼女がいて、お互いに笑ってしまった。 おばさん、すかさず、近くの客に「ここでは、週に1日だけ働いているのよって、 英語で言って。」と頼んでいる。 「なーるほど!」と大きく頷いて、ニコニコしてみた。 スーパーのおばさんと、顔なじみになることも楽しいものだ。

買い物の後は、夕食。 そして、私の服を買う。 なるべく荷物を少なくしようと、 長袖のシャツを3枚しか持って来なかったのだが、 さすがに少な過ぎて、1枚購入することにする。 夏にティーシャツを買った店で、1枚2000円のシャツを買う。 サイズは3を買ったのだが、帰宅して試着してみると、 少々ぶかぶかなので、来週交換してもらうことにする。 ちなみに私は、日本では9号サイズである。 多分、日本の9号が、こちらの2号に相当するのだと思う。

帰りに、本屋で「ハヌカ」のカードを仕入れる。


11月24日(水曜日)

3階の日本人奥さんと久しぶりに会う。

彼等は、永遠の帰国を1ヶ月強後に控え、いよいよ帰国準備に 本腰を入れ始めたそうである。 日頃から親しくして頂き、 そして困った時には適切な手助けをして下さった彼等なので、 お別れが寂しい。

今日も、箱いっぱいの子供用の雑誌や衣類を譲って下さる。 以前、日記でも紹介した、英国BBC局の「テレタビーズ」という子供向け 番組が、なんと日本でも流行っているらしく、 日本の幼児雑誌にも、テレタビーズのキャラクターが載っている。 衣は、もう有頂天である。

午後、ゆっくりと雑誌をめくっていると、 衣がまだ、お腹にいた頃、出産準備品の雑誌カタログなどを、 楽しく眺めて過ごしたことを思い出した。 ほんの400円くらいの雑誌だが、実に良くできていて感心する。 やはり、日本の製品は心配りがきめ細かい。

一瞬、頭が日本に行ってしまった。


11月23日(火曜日)

日本では休日。 実家の母より、アルツハイマーの父が、 日頃お世話になっている地元のデイケアセンターの、 秋祭りに行ったとのメールが届く。

スタッフの人達とも、 気持ち良く交わることができた様で、 とても楽しかったらしく、母親も「将来は『かわいいおばあさん』になって、 ここのデイケアセンターにお世話になりたいわー。」と締めくくっていた。

日頃、夫と、遠く離れて暮らす双方の両親のことを話合うことが多いのだが、 子供ができると、果たして自分達の老後は、どのように暮らそうかという、 新しい話題も加わり、考えはとめどなく枝分かれし、様々な方向へと発展する。


11月22日(月曜日)

明日の晩は、 フィンランド人の男の子、アールニ君の4歳の誕生日に招待されている。 ということで、昨日に引き続き、日中に買い物に出かける。

3時のおやつの後に出発すると、 ヘルツェル通りの店は、ことごとく閉まっている。 あれっ、今日は火曜日だったかなと、一瞬戸惑う。 (火曜日は、午後は店が閉まる) が、午後の休み時間だということが、すぐに判明。 4時近くなると、ぽつぽつと店が開き始め、 文房具屋の前では、小学生の女の子が2人、 開店を待っている。 その脇を、腕時計を見ながら若い女性が通りすぎる。

今まで夏の間、殆ど町に出ていなかったので、このような 基本的なイスラエルの習慣に、今頃になってぶつかり、 「外国にいる」ことを改めて実感する。 なんとも、情けない主婦である。

思いがけず発見した玩具屋で、良いものを見つけた。 イスラエルの地図のパズルである。 本日の目的ではないが、もうすぐ日本に帰国する、 3階の日本人家族の子供達に、 イスラエルの思い出としてプレゼントすることにする。 早速あげてしまわないと、自分で欲しくなってしまう悪い癖が 出てきそうである。

町を歩くと、面白いことが沢山ある。 研究所の中は、俗世から隔離された「極楽」という感じだが、 一歩町に出ると、そこには、日常の生活が繰り広げられている。 あと数ヶ月の間に、今まで吸収できてこなかったイスラエルを、 慌ててかき集めなければ、と気持ちが焦る。


11月21日(日曜日)

日曜日が週の頭という概念が、ようやく馴染んできた。

午前中に張り切って、衣と一緒にヘルツェル通りに散歩に出かける。 目的は私の靴下を買うこと。 安い衣服が売っている店を目指す。 靴下は、女性物か男性物か分からない上に、サイズも分からず、 当てずっぽうに1組買ってみる。

衣に、オーバーオールでも買ってやろうかとも思ったが、 私のセンスは悪いことを思い出し、夫と一緒の時にしようと考え直す。 私が服を買うと、どうしても、優先順位が、@値段、A機能性、B耐久性、 と来て、ようやく、Cデザインとなるので、 どうしても「ださーい」物になってしまう。

帰りに、本屋できれいなカードを数枚仕入れる。 私は、昔からカード類に目が無い。 結婚してからというもの、一般的な購買意欲は相当抑制できるようになったが、 カードに関してだけは、まだまだ食指が動く。 イスラエルでも、良いカードを数枚見つけた。 こちらの、Turnowsky という会社の製品は、なかなか芸術性が高いと思う。


11月20日(土曜日)

スウェーデン在住の従妹よりメールが届く。 あちらでは、もうすでに雪が降っているそうだ。 今週末のイスラエルは、暑さがぶり返している。 ベランダに干した洗濯物が、1日出しておくと良い具合に乾く。

午後に、3人でおやつを食べた後、少し気分転換にと、 研究所内を散歩する。

先日の創立50周年記念事業の一環で建設された、カフェテリアの方に行ってみる。 新しい建物と、その周辺の花壇やオブジェ周辺は、誰にとっても珍しいことは 共通のようで、目新しい一角で週末の散歩を楽しむ人々がかなり見られた。

衣は、真っ赤なサルビアや、 黄色のパンジーが植わった花壇のふちを、注意深く歩く。 花にそーと指を伸ばして、「だーめ!」と母親に注意されては、 指を引っ込める。

帰りに、物理の建物で休憩をする。 廊下には、世界中の物理学者の、デッサンによる肖像画がかかっている。 今迄気が付かなかったが、湯川さんの肖像画もかかっていることを、 本日発見。 日本人として、誇らしく思う。 ということは、朝永さんの肖像画もあるかなー、今度探してみよう。

夕食は、先日従姉と一緒に研究所のレストランで食べた、 珍しい野菜の料理に挑戦してみる。 見かけは、まるで瓢箪。 中身は、南瓜色の瓜系の果肉。 料理としては、「瓢箪もどき」の下半分を使う。 中をくりぬき、残り物の野菜、冷や飯、鶏肉、チーズ、ホワイトソースなどを 適当に調理し、「瓢箪もどき」に詰める。 それをオーブンで焼く。

出来上がりは、レストランで食べた物そっくりだったが、 やはり、心配したように、「瓢箪もどき」自体に火が通りきらなかった。 仕方が無いので、中身だけ今晩は食べることにする。 器は、明日の夕食へ。 さて、どうやって調理しようかしら。 南瓜のように煮たら美味しいかもしれない。 薄く切って、フライパンで焼くのも良いかしら、 味噌汁の具にもなりそう・・・と色々と創作意欲が湧いてきた。

たまに外食をすると、色々と勉強になって面白い。 よーし、あと数ヶ月の間に、色々と挑戦しよう!

そうそう、従姉がいる間に、サボテンの実を食べてみた。 以前から、スーパーで見かけて気になっていた物の一つである。 新物に弱い夫を誘う気にはならず、でも、興味は毎週膨らむ一方で悩んでいた。 そこに、タイミング良く登場した従姉が、実験台となる。

とあるお昼過ぎ、2人でサボテンの実の解剖を始める。

緑色のごつごつとした外皮を剥くと・・・。

その中身、味覚については、後日の日記に公表することにしよう。 それまで、大いに想像力を働かせていただこう。


11月19日(金曜日)

今週は、週末の買い物はしなくても良い。 というのも、水曜日の夕方に、従姉の最後の買い物を兼ねて、 バスセンターのスーパー「ヒパコール」で、 1週間分の買い物を済ませているのである。

従姉は、なかなか目が鋭く、スーパーで掘り出し物のお土産を見つけて行った。 豊富なナッツ類と、ハーブ茶、そして珍しいスパイス類である。 数ヶ月後の帰国時のお土産に、大いに参考になる。

それにしても、彼女のベングリオン空港での、出国検査は相当のものだったらしい。 前日に1日かけて、きっちりと荷造りした荷物が 全て開けられ、丁寧に衣類で包んでいた壊れ物等も、 ことごとく荷解きされたらしい。 早朝の7時に空港に到着し、全ての手続きが終了したのは8時半だったそうだ。 やはり出国時は、飛行機の出発時刻の3時間前に空港に到着していることは、 必須のようである。

勿論、係りの人は悪気があるわけではなく、仕事としてやっているので、 最後には、さんざんぐちゃぐちゃにしておきながら、「アーユーオーライト?」 なんて言いながら、カバンに荷物を詰めるのを手伝ってくれたらしい。 「帰国の時は覚悟していった方が良いよー。」と忠告された。


11月18日(木曜日)

早朝、従姉がタクシーでベングリオン空港へと旅立つ。

10日間の滞在は、本当にあっという間だった。 彼女が来たらあれをしよう、これをしよう、あの人を紹介しよう、 一緒にあそこに行こう、一緒にあれを食べよう・・・等と、 色々と考えていたが、結局、大きな予定をクリアするだけで精一杯で、 毎日が飛ぶように過ぎてしまった。

でも、久しぶりに大きな声で大いに笑い、昔、 よく彼女達とお腹がよじれるほど笑って、 楽しかった日々を思い出すことができた。

何をするのにも、衣のことが足かせになってしまい、 彼女の為に100パーセント気を遣ったり、 時間を提供することができなく、 限られた時間しかない、観光客の彼女には気の毒だったが、 こうして、はるばると訪ねてきてくれたことは、 とても嬉しかった。


11月17日(水曜日)

まだ、断水。(水の休暇)

衣と2人だけの生活ならば、なんとか過ごせるが、 来客中に断水というのも、困る。

昼食は、冷蔵庫の残り物で済ませ、 食器は、プラスチックの使い捨ての物を使う。 従姉の滞在中に、我が家で盛大におもてなしをしたいと思っていたが、 これでは、料理一つできない。 野菜を洗うこともできないのだから・・・。 今晩は、彼女の帰国前の最後の夕食なので、 丸ごとチキンのローストでも作ろうと、 昨日よりチキンを解凍してあったが、断念。

衣が昼寝から目覚めてから、ヘルツェル通りへとくりだす。 最後のカフェでのコーヒー。 大のカフェ好きの彼女につられ、 この数日間に何度もカフェに通った。 結婚し、子供が生まれてからと言うもの、日常生活の中で、 余分な部分を極力殺ぎ落とした生活をしてきたので、 このように、日常にカフェで一服という発想がまるで、 私の思考回路の中から消え去っていた。

彼女のお陰で、いかに普段、 自分が精神的にも肉体的にも、余裕の無い生活をしているかを、 改めて認識した。

叉、最近3児の母になった従姉の話しを聞く。 彼女は非常に手際良く家事と育児をこなし、 普通の人の3分の1の時間で全ての仕事が終わってしまい、 「さて、次は何をしようかしら・・・?」と、余裕の育児をしているそうだ。 確かに、彼女を幼い頃から良く知っているので、 彼女の手際良さや賢さは、既に承知ではあったが、 やはり、たった一人の子供の育児にすら ひーふー言い、不満たらたらの自分と比較ぜずにはいられない。

育児というのは、母親の力不足、未熟さを日々記憶させられる 厳しい修行である。


11月16日(火曜日)

夜、従姉が元気に帰ってくる。 お土産話をたっぷりと聞き、さあ、 シャワーでも浴びて来てちょうだいという時点で、 断水。 全く、従姉が来てからというもの、 この宿舎で起こり得る全ての悪条件が揃ってしまったようである。 あとは、停電だけが残っている。

日本での水不足時に行う処置、トイレの水洗タンクに、 ペットボトルを沈め、水位を上げるという技を利用。 ペットボトルに汲んでおいた水を、トイレに並べる。 はあー。

従姉のバスツアーは、予想以上に楽しかったようだ。 まあ、彼女の性格が大きく作用しているのであろうが・・・。 ツアー仲間達と仲良くなり、諸々の話しから宗教談義に至るまで、 しっかりと交流してきたそうだ。 彼女のように、好奇心と人懐っこさを持って生活していると、 友達も多くできるだろうし、人生も色彩に富んだ豊かなものになるのだろう。 保守的で親密さに欠ける私には、なかなかできない技である。 感心しながら、彼女の話しに耳を傾ける。

可笑しいのだが、その時、ふと、年老いた自分が、 活き活きとした孫の話しを聞いているような錯覚に陥った。


11月15日(月曜日)

昨晩、ゴラン高原のキブツに宿泊していた従姉より、 電話が入る。 とりあえず、楽しんでいるようで安心する。 子供がいるので、今回のガリラヤ湖・ゴラン高原は、 強引に、自力で観光してもらうようにしてしまった為、 果たして、彼女が満足してくれるか非常に気になっていたので、 少しほっとする。

ニュージーランド人のデビ一家が、今週、北の方を旅行するということで、 宿泊先を紹介して欲しいと頼まれ、 インターネットのホテル・キブツ・ユースホステルのサイトを教える。 便利な世の中になったものだ。


11月14日(日曜日)

木曜日から不通となっていた電話が、ようやくお昼過ぎに復帰する。 木曜日の隣の宿舎での火事は、思ったよりも被害が大きかったようで、 あちらの建物では、まだ電気が復旧していなく、発電のモーターが 大きな音で1日中ぶんぶん唸っている。 電話の不通も、火事が原因らしい。

従姉は午後に、タクシーでエルサレムへと旅立つ。 今晩、エルサレムに宿泊し、明朝早くにバスツアーで ガリラヤ湖・ゴラン高原1泊の旅に出かけるのだ。

ということで、今日は半日、のんびりと過ごす。


11月13日(土曜日)

イスラエルにての初めての宿泊旅行で訪れたガリラヤ湖では、 「クワイエット・ビーチ」という名のホテルに泊まった。 しかし夜通しホテルの庭で、大音量による催し物があったため、 ホテルの名とは程遠い、賑やかな夜を過ごした。 それに比べ、昨晩のベールシェバでの1泊は、大変に静かで心地よいものだった。

身支度をして、食堂に向かう。 セルフサービスのバイキング式の朝食。 温かい卵料理に始まり、数種類のクリームチーズ系の物、 ハム(勿論、豚肉ではないが)、果物、ヨーグルト、パン、サラダ、ゆで卵、 ジュース、コーヒーとメニューは豊富である。

中でも珍しかったのは、白い牛乳らしき物がゼラチンで固められ、中にあさつきの 小口切りが入っているものである。 さっぱりとして美味しかった。

たっぷりと腹ごしらえを済ませ、清算をし、ホテルを後にする。 さんざん迷った挙句、 本日は、アラッド経由で再び死海を目指すことにする。 砂漠が苦手の私への配慮で、南のミツペラモンにクレーターを見に行く計画は 急遽中止とする。

1度通った道なので、昨日よりは気分的に早く死海に着く。 やや雲が多かった昨日に比べ、今日は青天で、 死海の色が益々不思議な青色に輝いている。 乳白色がかった水色とでも言うのだろうか。 銅にかかった、ロクショウの色である。 この不思議な色彩も、 死海に多く含まれると言われるミネラルのなせる技なのだろうか。

浮遊体験をする人々を見学しようということで、 北のエン・ゲディを目指す。

いるいるいる、本当に体中に真っ黒の泥を塗った人がいる! いるいるいる、本当に手足をラッコのように上げ、ぷっかりと浮かんだ人がいる! 観光書やパンフレットで見慣れた光景を、目の当たりにすると、 こちらが「本物」なのだが、なんとも不思議な気がするものだ。

死海の水に手を入れると、水がねっとりと手にまつわりつく感じかする。 それだけ塩分が濃いということだろうか。 アクセサリー類ははずすようにという注意をすっかりと忘れ、 しっかりと指輪をはめた方の手を水につけてしまった。 が、別に何事も起こらなかった。

衣は、長いドライブで、すっかりと退屈しきっていたので、 ようやく開放され、もう嬉々として死海のほとりで遊んでいる。 どっかりと、じゃりの上に腰を落ち着かせ、次々に小石を拾っては、 とんとんと、火でもおこすかのように打ち付けている。 時々誤って自分の手に当て、「あいたーっ!」と言っては、 叉、黙々と作業を続けている。

死海の底は泥かと思っていたが、水は透明に澄み、 底には丸い小石が横たわっている。 所々に塩の結晶が白く乾いている。


11月12日(金曜日)

いよいよ死海を目指し、出発! 砂漠、砂漠、砂漠、砂漠、砂漠・・・・・・。

この数ヶ月間のイスラエル滞在で、実は、私は自分が緑と水気の無い 砂漠の風景が苦手らしいということを、薄々感じ始めていた。 その予感は正しく、ベールシェバを過ぎ、本格的な砂漠に突入したとたんに、 一気に気分は下り坂。

しかし、その風景は、今までに見たこともない不思議な世界である。 それだけに、心を捉えるものもあるのだが・・・。 今、こうして無事に帰宅し、心地よい我が家でパソコンに向かっていれば、 なんでも好きなことが書けるが、 「当時」つまり、砂漠の真っ只中に居た時点では、1分1秒がぎりぎりの気分で、 間違っても、「ワンダフル!」なんていう、感嘆詞は私の口から出てこない。

気の毒なのは、観光モードで来ている従姉と運転手の夫である。 見るからに精神的にも肉体的にも、直実に下り坂を歩んでいる私を励まし、 気遣ってくれる。 悪いと思いつつ、口から漏れるのは、「はぁ〜」という、余りにも気分に正直な 溜息と、ネガティブな形容詞ばかり・・・。 こんな自分が情けないと思い、せっかくだからと思いビデオを撮ると、 車酔いが始まる。

わーわーと騒ぐ衣を黙らせようと、かばんをごそごそとしていると、 益々気分が悪くなる。 あー、最悪。

と、突然、視界が開け、死海が見える。 「ああ、目的地が見えた!」 と励まし励まし、車を走らせる。 が、そこで安心したのが、甘かった。

続く・・・


11月11日(木曜日)

夕方より、ヤッフォにドライブ。 青々とした地中海を見せてあげたいと思って出発したものの、 予定外に到着時刻が遅れ、道中気をもんだ。 しかしすぐに、ヤッフォは夕暮れ時・夜景も美しいことを発見し安心する。

彼女が来たら入ってみようと、以前から夫と目星を付けていた海辺のカフェで、 テルアビブの光を遠景に、美味しいケーキとコーヒーで一服。

その後、ギャラリー街を散策し、シルクスクリーンのお店に吸い込まれるように入る。 日本人好みのシンプルなデザインが、我々の心を捉える。 我々も、嘆きの壁の小さな作品を1つ購入。

夕食は、バーナード・ショウというレストランで、魚を食べる。 隣の席のベルギー人の耳鼻科の医者と、ポツポツと会話を交わしながらの食事。


11月10日(水曜日)

休息日。 レホボトでゆっくりと過ごす。

午前中は、日曜日に新生児を連れて帰って来たギッダを訪ねる。 実は、昨日も今朝も、「来な〜い?」との催促をもらっているのである。


11月9日(火曜日)

エルサレムを訪ねる。


11月8日(月曜日)

衣は、お客さんの到来に、多少緊張しているようだ。 相変わらず愛嬌がない。

今日は、研究所見学とレホボト見物の1日。 積もる話しに花を咲かせながら、ようやく家を出発したのが12時前。 研究所で夫と合流し、研究所内のレストラン「チャーリーズ」にくり出す。 衣が騒ぐからと、久しく足が遠のいていたので、私も実に久しぶりの 「チャーリーズ」である。

3人でそれぞれ違う品を注文し、戸外のパラソルの下に陣取り、 食事を始める。 どれも珍しい料理で、観光客の彼女と一緒になって、 「美味しーい!、美味しーい!」と、大いにはしゃいで食する。

夕方は、ヘルツェル通りをそぞろ歩き、市場とバスセンターのスーパーに行く。 実は、レホボトに来て、7ヶ月目にして、本日初めて市場で買い物をした。 極端に臆病で、不精者の私は、普段、市場で買い物をする気分的余裕が全く無いのだ。 今日は、来客を案内しているという立場が、何故か私に購買意欲を与えたようで、 真っ赤に熟れ、香りが「きちんと」するトマト2枝(茎についたまま売っている)と、 ディルの束を買う。


11月7日(日曜日)

日中にメールのチェックをしていると、 里帰り出産のために、 デンマークに一時帰国しているギッダよりメールが届いている。 なんと、今晩イスラエルに戻って来るというではないか! それも、偶然、私の従姉がテルアビブ入りする航空便と同じ便なのである。 偶然は重なるもので、その当の従姉より、 搭乗する前に電話が入る。 ギッダの説明をし、分かったら声をかけてみるように勧める。

昼間は、3階の日本人の奥さんの所にお邪魔し、 死海方面の観光スポットの説明をしてもらい、パンフレット、 資料をごっそりとお借りする。

従姉の到着は夜の便なので、私と衣は留守番をし、 夫に空港まで、出迎えに出てもらう。 しばらくすると夫より、「ギッダ達には会ったけど、 彼女はまだ出てこないよ。」との電話が入る。 結局、同じ時間帯に数本の到着便があったらしく、 入国審査のデスクが異常に混雑していたらしい。

待ちに待った、来客到着! 親しい笑顔が玄関に現れ、慣れた者同士の会話を交わすと、 ここがイスラエルであるという事実が、すーっと忘れ去られて行く。

彼女は、色々な人達に頼まれたお土産を、かばんいっぱいに詰めて運んでくれた。 忘れないように、マジックで「誰々から」と書いてある。 彼女らしい思いつきに、思わず嬉しくなる。

これからの大雑把な予定を立て、いつもより少し遅い就寝。


11月6日(土曜日)

明日より従姉が、イスラエルを訪問してくれる。 私と同年代ということもあり、幼い頃から大変に親しくしているので、 とても楽しみにしている。

普段は物置兼、私の昼寝部屋として使用している部屋を、 彼女に使ってもらうため、いつもより念入りに掃除をする。

衣も忙しそうに、私の後をついてまわる。 2人で、わくわくそわそわと過ごす。 この数日、朝食の際に、カレンダーを指差しながら「あと○回寝たら、 お客さんよ。」と楽しみに数えているので、 今朝も席につくなり、早速カレンダーを指差し、私に説明を請う。


11月5日(金曜日)

今週は車を借りていない。

車を借りて遠出する週末も楽しいが、 夫は家で勉強・仕事をし、 その横で衣が機嫌良く遊び、私は、ソファーをベランダに向けて、 外の小鳥のさえずりをぼんやりと聞く・・・。 3時には、3人で仲良くおやつを食べ、その後、のんびりと散歩に行く。


八重咲きのハイビスカス

このような、何も予定のない、穏やかな週末が私は大好きである。 俗に、こういう人間のことを、出不精というのだろう。 確かに私は、出不精である。 それに比べ、夫は出たがり屋である。

面倒くさがり屋の私は、夫のおかげで新しい経験ができ、 夫は、怠慢な妻のおかげで、休息がとれる。 うーん、なんて理想的な夫婦!

ん・・・? 内容の無い日記。


11月4日(木曜日)

朝、アンゲリカより電話。 散歩に行かないかとのお誘い。 二つ返事で同行。

研究所の、物理の建物の前の芝生で遊ぶ。 「いつもいつも、こんなこと質問して気を悪くしないでね。」 と慣例の前置きがあって、 育児に関する話をひとしきりする。 子供が起きている時間に、 自分のことをどれだけやっているかとの質問。 勿論、じっくり読書や、じっくり手紙書きなどは不可能。 その旨を伝えると、非常に安心した様子。 自分だけが、時間の使い方がまずくて、自分のことができないで いるのかと思っていたらしい。

何事も同じような立場の人に、気がねせずに聞いてみるものだ。

帰り道は、ヘルマン・ヘッセの話し。 彼は、日本で大変に有名だと言うと驚いていた。 10代の頃、片っ端から高橋健二訳のヘッセを読み漁ったことを 思い出す。 あの頃は、「こういう文学をドイツ語で読みたいなー。」 などと真面目に考えていた。 ヘッセの作品に描写されている、ドイツの風土にあこがれたものだ。

『赤毛のアン』を読み、アンの世界と自然にあこがれるのと同じである。 私は、この年代の女性にしては珍しく、 『赤毛のアン』に親しまずに、成人してしまった。 大学時代の友人が、アンを紹介してくれ、20代の夏休みに、近所の本屋で アンシリーズを買い占め、畳にへばりついて読んだ。 この時は、「しまった!」と思ったものだ。 勿論、自分の過ごした青春時代を後悔はしないが、 アンと一緒に青春時代を過ごしていたら・・・と、どうしても 思わずにはいられなかった。

つまり、アンの成長が、全て自分が終えてしまった年齢なのだ。 どこを読んでも、全てが「これから」のアンが、羨まし過ぎた。

ということで、衣には、是非、10代でアンと出会い、 等身大の彼女と一緒に夢を見、悩み、勉強し、恋をし、泣き、 笑い、友情を育んで欲しい。 そして、賢く明朗な女性に成長して欲しいと思う。 ・・・というのは、全ての母親が娘に期待することでしたね・・・。


11月3日(水曜日)

文化の日。

↑夫に言われるまで、忘れていました。 日本も文化的な1日だったようですが、 ここワイツマン研究所も、文化的な日々が続いています。

今年で創立50周年を迎えたワイツマン研究所。 この数日間に、世界各国からドナー(臓器のドナーではなく、お金のドナー) を招待して、イベント尽くしの日々です。

創立記念日自体は、昨日の11月2日。 昨晩は、研究所の庭で、記念セレモニーがあった。 研究所の50年の歩みを特別に編集した映像を、巨大スクリーンに 映写し、地元のアカペラグループと、ジャズバンドの演奏を交え、 カッコウ良く演出してある。 ワインやジュースも振舞われ、最後には建物の屋上に設置した花火が 点火され、華やかなフィナーレで、50周年記念セレモニーは幕を閉じる。


ワイツマン研究所創立50周年セレモニー

今日は、会う人会う人に、「昨日のセレモニーに行った? 感想は?」 と尋ねられる。

「うーん、莫大なお金を投資していたこと『は』、良ーく分かった。」


11月2日(火曜日)

7月から続けていたヘブライ語のレッスンが、いよいよ閉幕となる。

この数週間、子供達の成長と共に、レッスンの続行が極めて難しい状況に なってきていた。 つまり、今まではおとなしく座っていたり、じっとしていた子供達が、 かなり行動範囲を広げ、活発に動き回るようになり、同時に自己主張もはっきりと するようになってきたのだ。 それに従い、生徒兼母親の我々にとってのレッスンは、楽しみであったはずが、 次第に重荷となってきたのだ。

折角ここまで続けてきて、終わりにしてしまうのは、残念ではあるが、 どう考えても限度である。(我々にとっても、先生にとっても、子供達にとっても) ということで、今日は、先生に今までの御礼を、という意味あいで、 ささやかなお茶会を催した。

最後に、寄せ書きのカードと、御礼のチョコレートを渡し、 お開きとなる。 先生が帰った後、なんと、他の生徒達から、私にもチョコレートを頂く。 「色々とありがとう。」ということらしい。 勿論、そのように気を遣ってもらう必要はないのだが、 ありがたかった。

振り返れば、随分と独裁政治的に、事を運んでしまったのだが、 皆、文句一つ言わずに良く協力してくれたと思う。 こちらこそ、彼女らに感謝すべきだろう。

さーってと、今度は何を企画しようかなー?


11月1日(月曜日)

もう11月である。 我が家には、数日前から大きなシクラメンの鉢植えがある。 鉢植えは大きいのだが、花自体は小さく、可憐である。 赤、薄紫の花が下を向いて咲いている。

2週間程前に、空手を教えるアメリカ人女性に、賞状の作成を頼まれた。 つい最近出来上がり、その御礼にと、大きな籐籠に入ったシクラメンの 鉢植えを持ってきてくれたのだ。 シクラメンはイスラエルの花。 今まで、全く気が付かなかったのだが、シクラメンはとても良い香りがする。 有名な歌謡曲にもなるくらいだから、今思えば当たり前なのだが・・・。

全く、花っ気がなかった我が家なので、嬉しい贈り物である。 シクラメンを眺めていると、日本のお歳暮の季節を思い出す。 これから、毎年、暮れに見かけるシクラメンは、私にとって、 イスラエルを思い出す懐かしい花となりそうだ。

早速、衣は昼寝から覚めると、シクラメンを発見し、 「あーっ!」と指差し、窓際に駆け寄る。 窓の所にぺたんと座り、既に鑑賞会を始めている。 私にも、横に座って一緒に見ろと、自分の隣の床をたたき、 私を呼ぶ。 はいはい、分かりました。

明日の来客の為に、チョコレートサワークリームケーキを焼く。 夕方、研究所の中を歩くと、明日の創立記念日の為に、 ライトアップされ、大変に美しい。

夫は、本日は大変に特別な1日を過ごしたらしく、 活き活きとした表情で帰宅。 その日がどのような日だったか、おおよそ帰宅時の表情で想像ができる。 血液が、ぐんぐんと頭と体を廻っているようだ。 詳しいことは、夫の日記をご覧下さい。


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