イスラエル育児日記


4月30日(金曜日)

テルアビブでの最後の週末である。

お世話になったアンデルマン一家を夕食に招いているので、その準備の 一日だった。 午前中に、衣の散歩も兼ねて買い物をする。 パン、肉じゃが用のひき肉、ピスタチオナッツ、ミルク、 食後のアイスクリーム用のウエハース等を仕入れる。

さて、今晩の献立は、スモークサーモンの押し寿し、豆腐・わかめ・葱の味噌汁、 肉じゃが、ナス・きゅうり・ゆで鶏のゴマソースかけ、炒り豆腐、たたききゅうり、 きゅうり・キャベツのゆかり合え、だし巻き卵、照り焼き。 デザートはイチゴアイスとウエハース、ほうじ茶である。 来客の時は、大体前日から仕度をするのだが、今日はそれ程大掛かりではなかったので、当日の午前中から仕度にかかった。 途中、1時間半くらい休憩をする時間もあり、準備は順調にできた。 現地の食材で何の問題もなく、上記のような日本の家庭料理が簡単にできてしまうので、主婦としては非常に楽をしている。

約束の7時に少し遅れてアンデルマン一家が到着。 衣の為に、かわいらしいカバのぬいぐるみをお土産に下さった。 危険のないようにとボタンが使用していない物、 衣が舐めても大丈夫なようにと洗える材質を選んでくれた。 娘さんのミハエルが、彼女が小さい頃に持っていたぬいぐるみの話をしてくれた。 スーパーで買ったイスラエルの白ワインで乾杯をした。 ヘブライ語表記なので、甘口か辛口か分からなかったが、辛口で美味しいワインだった。ラベルにランプの絵の付いた、YARDというワインだ。

ミハエルに手伝ってもらい、料理の仕上げをし、居間の机に料理を運んでもらう。 彼女は10歳にしては、大変気の効く子だ。 彼女は料理を両方のおばあさんから習ったそうだ。 女の子は台所仕事が一緒にできて楽しいと思った。 衣も大きくなったら手伝いをしてくれるのだろうか。 ただし、女の子でも料理が好きではない子もいるだろうが。

好評だったのは、味噌汁とだし巻き卵だった。 ここの家のフライパンは大変に使いやすく、卵焼きをきれいに作ることができる。 アンデルマンは好奇心の旺盛な人で、本を見ながらだし焼き卵に挑戦をしたことが あるらしいが、 彼には難しかったらしく、ほめられて少し気分が良かった。 まあ、一応私も日本人主婦歴4年半だからねー。

ミハエルは今日は、学校の後にスカウトの活動が6時まであったそうで、 かなり疲れている様子だった。 楽しい3時間ほどを過ごし、10時過ぎにお開き。 この1ヶ月はあっという間に過ぎてしまったが、彼らのおかげで楽しく また、スムースにイスラエルでの生活をスタートすることができた。

片付けをして、ワインの残りを飲んで心地よく眠りについた。 明日は休日なので寝坊ができる! ヨッフィ―!(やった!)


4月29日(木曜日)

夕方、フランス人の物理学者の家族とお茶をする。 ヤルコン公園の中のカフェで5時に待ち合わせをする。 間に合わないかと思い、がんがん乳母車を押してうっすらと汗をかいた状態で 待ち合わせ場所に到着。 慌てる事はなかった。 彼らは私が駆け込んだ5分後くらいに到着した。 思わず、せかせか日本人をしてしまった。 学生時代、アイルランド旅行からの帰国後、旅行仲間と夕食を共にした晩、 やはり待ち合わせ時刻に遅れてしまい、走って行ったことがある。 旅行の随行をしてくれたアイルランド人の先生に、すかさず 「あー、アイルランドで学んだことをもう忘れてしまったのー?」と指摘されて しまった。

以前、コペンハーゲン空港で乗り換えの時間が殆どなく、 これまた、空港内をマラソンしてしまったことがある。 「あれ、日本人してるよー」と、日本語が耳に飛び込んできた。 外国の公共の場で走ると、目立つ。

今日会ったフランス人の家族の息子さんと娘さん(8歳)は、なんと フランスの学校で外国語として日本語を勉強しているそうである。 そんなこともあって、我々とあちらの子供達が会う機会を設けたのだ。 息子さんは15歳くらいだが、その年齢にしては恥ずかしがる事もなく、 積極的に日本語で話していた。 我々日本人が、日本で殆ど英語を使う機会が無いのと同様に、彼もまた、 フランスでは日本語を使う機会が殆どなく、ご両親の話によると 今日は随分張り切っていたらしい。


父親と遊ぶ衣

衣は、完璧に内弁慶である。 さっきまで、ベッドの中で「ぎゃーぎゃー」言っていた筈なのに、 外に出て人に会うと、とたんに良い子になる。 今日も、子供達とすっかり仲良しになり、たっぷりと遊んでもらって ご機嫌だった。


4月28日(水曜日)

私は朝に弱い。

すっかりこちらのペースになった私の体は、朝、全く使い物にならない。 7時の目覚ましで、ぱっと潔く起床する夫にすら気づかない程だ。 隣の部屋でシャッターを開け、テレビをつけ、妻が起きてくるのをぎりぎりまで 待つ夫も、さすがに7時15分になるとしびれを切らし声をかけてくる。 にもかかわらず7時20分までは布団にしがみつき、 ようやく意を決し、重力に身をまかせ、ベッドから落ちるように這い出す。 そして、スリッパを引きずりながら台所に向かう。 途中、ソファーに座りテレビを見る夫に「大丈夫?」と声を掛けられるが、 心の中では返事をしているが、多分、音声は出ていないと思う。

冷蔵庫から、ハム、チーズ、トマト、きゅうり、牛乳、パンを取り出し、 それらを抱えて食卓に無造作に「放置」する。 電気やかんに水を汲み、スイッチを入れ、マグカップにティーバッグを入れ、 お皿を2枚並べ、「ど〜ぞ〜」と夫を呼ぶ。 夫がやってくるまでに、ハム、チーズをそれぞれのお皿に置き、野菜を切る。 衣の朝食をマグの中でぐちょぐちょと混ぜ、「ありがとう」と台所に 入ってきた夫と入れ替わりに寝室に戻る。 数秒、ベッドに仰向けになり、ようやく身支度を始める。 長年の経験から夫は、むやみに私に話し掛けない。 会話が成立しないと分かっているのだ。

私の夢。 いつの日か、夫よりはるかに早く起床し、 きりりと真っ白い前掛けをして、家の前を掃除し、新聞を取り、「とんとんとんとん…」とリズミカルに包丁を使い、温かいご飯にできたてのお味噌汁の湯気の向こうから、 ようやく起きてきた夫に「おはようございます。良くお休みになれましたか?」 と、テレビドラマの「良き妻」のように上品に声をかけてみたいのだ。 どう考えても、かなわぬ夢のようだ。

午前中にスーパーに行った。 野菜を並べ終わった直後だったようで、きゅうりやトマトがきれいに山積みに なっている。 野菜や果物は何一つとしてパックされた物はなく、全て好きな物を好きなだけ 袋に入れて量り買いをするシステムだ。 皆、真剣にきゅうりなどの品定めをしている。 アンデルマンに伝授してもらった良いきゅうりの目安は、長すぎずスリムで小振りの きゅうりだそうだ。 彼が自慢するだけあり、イスラエルのきゅうりは美味しい。 イギリスでは、こん棒のように太くて長いきゅうりだったが、 味が大味で身の締まった日本のきゅうりが恋しくなったものだが、 イスラエルのきゅうりは日本人の好みに合うと思う。 他にも、金曜日の来客用の買い物をした。

午後の散歩は、ヤルコン公園の中の花壇に行った。 独立記念日に夫と行った花壇だが、今日も色鮮やかな花が満開だ。 衣は、レモン色のマーガレットのようなキク科の植物が好きなようである。 実は、私もそのコーナーが最も好きなのである。 柔らかなきいろが、花と共に盛り上がって見える。 キク科の花は、花の構造がシンプルでいかにも「花」という感じで、 一つ一つの花は可憐で可愛らしく、 群生していると迫力が加わり、又違った美しさを演出する。

先日は閉まっていた環境センターに入ってみる。 写真の展示や、ヤルコン地域の空からの写真、模型などが展示してあった。 夕方から何か会が催されるようで、受付を設置したり、飲み物のグラスを 並べたりとスタッフが準備をしていた。

一回り見学をして、庭に出て衣を芝生で遊ばせる。 ここの芝生は、公園の他の場所と違いきれいなので、安心して衣を遊ばせる ことができる。 衣は大喜びでハイハイをしたり、立ち上がって伸びをしたり、手を振ったり、 階段を昇ったり降りたり、歩いたり、と大忙しだ。 先日ここで遊んだ時は、芝生に慣れずに怖がって泣きべそをかいていたが、 今日は大はしゃぎである。 たっぷり遊んだので、帰宅後おやつを食べてしっかりと昼寝をした。

夕方、いつもより少し早く帰宅した夫と一緒に、近所の高台にある公園に 散歩に行った。 7時過ぎでも明るいためか、まだ小さな子供達が滑り台やブランコで遊んでいる。 丘の上に位置する公園なので見晴らしが良い。 周囲のアパートの屋上が辛うじて見えるくらいの高さだ。 初めて気がついたが、アパートの屋上にも植物を植えている所が何箇所も見られる。 個人のベランダには、思い思いにプランターや鉢植えを飾っている。 公園の脇に建つマンションの1室のベランダには、見事な ブーゲンビリアが見られた。

イスラエルに来て印象的なのは、珍しい花が多いということだ。 その多くは、私の知らない品種であるが、 中でもブーゲンビリアは辛うじて名前の分かる花の一つだ。 赤、黄、オレンジのブーゲンビリアの「藪」が、あちらこちらに見られる。 花のアーチを作ったりして実に見事である。 家の近くに、背の高い杉の一種にブーゲンビリアが添って生えている所がある。 アパートの4階の高さから地面近くまで、 赤紫のビビッドカラーの花がまるで滝のように咲いている景色は、 異国情緒満点である。 植物を余り知らない私でもこれほど感激するのだから 花に詳しい人ならば、私の何倍もこの国を楽しむことができると思う。


4月27日(火曜日)

カレンダーを持ってこなかったので、日にちをすぐに確認できなくて不便をしている。 台所の壁にでも、手製のカレンダーを貼ろうかと思っているうちに、もう来週は 引越しである。

午後に、久しぶりに公園に行った。 衣にも靴を履かせて、芝生で遊ぶことにした。 自由に歩く練習でもしたら良いと思ったが、 当の本人はもっぱら草むしりに精を出している。 それに飽きると、今度はむしった草を口に持って行く。 「やめてー!」と手を払いのけると、かえってそれが面白いらしく、 わざとやっては笑うようになる。 「やめてー!」「あはは」「やめてー!」「あはは」「やめてー!」「あはは」…。 子供の相手は「繰り返し」を強制される。 その点、もともと単純作業が好きな私は恵まれている。

公園についたのは3時過ぎだったが、 丁度スプリングクラ―で水遣りをしている最中であった。 こちらでは、公園や庭にスプリングクラ―が設置されていて、定期的に水遣りをしている。こうでもしないと干上がってしまうのだと思う。 そのおかげで、人の手の入った緑地は何時も青々としていて、花々も色鮮やかに 咲いている。 毎日どこかで、芝刈り機をブンブンいわせて芝を刈り、植え込みも大きな電動 のこぎりでガーとやっている。 一般的に庭は、きれいに手入れをされている。

例のミニ動物園にも行ってみた。 気のせいか、衣は以前来た時よりも熱心に水鳥やヤギを見ているような気がする。 道端にいる鳩にも興味を示す。 くるっとカールした大きな角を持ったヤギは、少し怖いらしく、ヤギが 近づいてくると顔がこわばり、身を引いている。 我が娘は、気が強いが小心者である

ベンチには小学校低学年くらいの年頃の子供達が10人ほど、引率者に連れられて 写生をしている。 学校はもう終っているはずの時間なので、お絵描き教室の生徒達かしら? 他にも、活動を終えたらしいスカウトの制服を着た男の子、 女の子達が、黄色いスカーフとベージュの制服を着崩して公園にくりだしてきている。 相変わずのどかな風景である。

昨日から、テレビで政権放送を流し始めた。 5月に首相選挙が控えているのだ。 どんな放送か楽しみに見たが、政党ごとに製作したビデオを 繰り返し流すだけのものである。 候補者が出てきて、公約についてなどまくし立てるのかと思っていたので、 少々期待はずれだった。 それにしても、沢山の政党がある。 日本は、やけに政党が多い国かと思っていたが、イスラエルも負けてはいない。 どの政党も大概、ヘブライ語の放送にロシア語の字幕スーパーがついている。 この国はロシアからの移民が非常に多い。 従って、彼らの票を集めることが勝敗の分かれ目になるのだろう、と勝手に 解釈しているが、実際はどうなのだろう。 日本と同じなのは、手話通訳が画面左下の○の中で頑張っている放送も 見られることだ。

夫は今日はハードな一日だったらしく、疲れた顔をして帰宅した。 しかし、やはり外国にいる利点で、 新しい研究者と知り合いになる機会が多いらしい。

衣は寝る前に、大人のベッドでひと遊びをするのが大好きである。 さっきまで眠そうにしていたのに、俄然ハッスルしだす。 父親と母親の両方が相手をしてくれるので、嬉しさがはじけてしまうのだろう。 その後、自分のベッドに戻され数秒ぐずるが、そのうち寝てしまう。 そしてそのまま朝まで熟睡する。

本日も、慣習どおりに寝たようだ。


4月26日(月曜日)

一日中、うっすらと雲がかかっていた。 でも、半袖で過ごせる気温だ。

3時過ぎにスーパーまで行く。 買い物客が極端に少なかった。 午前中は、老人が多く、夕方はかごがなくなる程の混みようだ。 早い午後は、子供連れの私にはゆっくりと買い物ができて好都合かもしれない。 ただ、もう少し暑くなったら、あの時間帯に外出するのは苦になりそうだ。

先日買ったグレープフルーツジュースがとても美味しかったので、 違う種類のグレープフルーツジュースを買ってみた。 他には、ハム、チーズ、水に入った豆腐のような真っ白のチーズ(塩辛い)、 トマト、グレープフルーツ、ネクタリン、パン、 えたいの知れない菜っ葉などを仕入れた。 買い物客の一人に聞いて、ゴマのペーストを買った。 こちらでは、よく食べるイスラエル独特の食品だ。 ゴマのペーストとオリーブオイルが混ざっていて、今日私が買ったものには にんにくも入っているようだ。

今週末に、お世話になったアンデルマン一家を夕食に招くことにした。 金曜日の7時に、4人で訪問してくれるとの連絡が入った。 親日家の彼らなので、何か日本食を作ってみることにした。 今晩はその予行練習として、押し寿司を作った。 先日スーパーで買った酢を使って寿司飯を作る。 スモークサーモンを具にすることにした。 正方形のハムが入っていた空容器を型にして、ラップを敷き、ディルを散らし、 サーモン、ご飯、サーモン、きゅうり、ご飯という2段重ねにした。 余った寿司飯で茶巾寿司も作ってみた。 押し寿しは、2段にすると取り分ける時に崩れてしまうことが分かったので、 1段にすることにした。 味の方は、スモークサーモンなので、勿論美味しくできた。

衣は、布団で遊ぶのが好きだ。 ベッドの柵に、布団を屋根に見立てて被せてやると大喜びだ。 上機嫌でかくれんぼを楽しむ。 一人で、出てきては「あはあは」と笑い、又、隠れに行く。 絵本にしても、最近は自分でページをめくっては、特定の絵を 指差し、何やら「もごもご」言っている。 一人前に、読んでいるつもりなのだろうか。 昼寝をするときは必ず、半分に畳んだ描け布団を枕にして寝るのが習慣になっている。 ふわふわして、気持ちが良いのだろうか。

今日は、夫がセミナーで発表をした。 それなりに緊張をしていたのだろう、無事に発表を終えて、すっきりとした 顔で帰宅した。 小グル―プでの発表だったので、ゆっくりと時間をかけて議論が行われたらしい。

東京の友人よりメールが届き、こちらから送った葉書が5日間で彼女の手元に 無事に届いたと連絡があった。 以外に早く届くようだ。 それに比べて、イスラエル国内の郵便事情は悪いようだ。 かなり前に投函したテルアビブ市内の日本大使館に出した郵便の返事が、 今日ようやく届いた。 余りにも返事が遅いので、今日辺り大使館に電話をしようと思っていたところだった。 書類の日付が20日とあったが、 役所内での事務手続きに時間がかかったのか、 郵便に時間がかかったのかは定かではない。 もしかしたら、双方にそれぞれ時間がかかるのかもしれない。 イスラエルに居住する場合、 在留届けの用紙は日本から忘れずに持参することを勧める。 我々は、日本でのパスポートの申請時に用紙をもらったのだが、 うっかり忘れて来てしまったのだ。 大使館によると、在留届の提出は義務付けられているそうだ。


4月25日(日曜日) イスラエルに到着してから3週目が始まる。 なんと、色々なことがあった3週間だろう。 飯塚での静かな暮らしの1年分くらいの刺激だ。 衣は昨晩の興奮からか、昼寝をたっぷりとした。 夕方の散歩に時間に丁度寝てしまったので、今日は散歩はできなかった。 衣の最近の食事内容を紹介しよう。 固くなったべーグルをお湯でふやかし、ブロッコリーやジャガイモをつぶしたもの、 鶏肉や牛ひき肉・ツナ缶などのたんぱく質をティーカップの中で混ぜたもの。 牛乳をストローで飲む。 グレープフルーツもしくは、バナナとヨーグルトを混ぜたもの。 こんな食事をしている。 他に彼女の好物は、パンをオレンジジュースに浸したものだ。 これを大きな口を開けて、美味しそうに食べる。 和風の食事としては、 味噌汁の残りに、お湯でふやかした残りご飯とツナ缶を入れたものも食べたりする。 こうして書いてみると、まるで犬のご飯である。 こんなに大雑把な食生活をしていて、どんな味覚を持った子供に育つのだろう。 でも、大概のものは美味しそうに大口を開けて食べてくれるので、大変助かる。 こうしてみると電子レンジが、いかに便利だったかを痛感する。 ごく少量の物の為に、いちいちガスコンロを開けて、マッチで火をつけて…というのも 面倒なので、熱湯で温める技を使っている。 固くなったパンもふやけて、赤ちゃん食特有のドロドロの食感も出て具合が良い。 最近、衣はつたい歩きの他に、少しだけ一人で歩くことがある。 お気に入りのガーゼを片手でつまみ、もう片方の手をしゃぶりながら、 えっちらおっちらと歩くのである。 その光景が非常に可笑しい。 もしくは、お気に入りの絵本を読んでもらおうと、片手に絵本を掲げて バランスを取りながらやってくる。 表情もかなり豊かになり、こちらの表情や動作に反応を示すので 相手をするのが楽しい。
4月24日(土曜日)

安息日。

夕方から、アンデルマン宅で、大学関係者のパーティーがあった。 6時15分に、アンデルマンの学生が奥さんと車で迎えに来てくれた。 昼間に電話があり、迎えに来てくれると申し出てくれたのだ。 多分、アンデルマンが気を利かしてくれたのだろう。 相変わらず、行き届いている。

6時半にアンデルマンのマンションに到着。 次々に訪問客が到着する。 彼の学生3人とその奥さん達(一人は独身)、ロシア人の教授夫妻が2組と我々の 合計12人、アンデルマンの家族を加えると16人と1匹(犬)の大人数だ。 といっても、全く狭く感じない。 リビングがとても広い家なのだ。 しばらく談笑をして、間もなくシャンペンが配られた。 一人のロシア人が最近、教授に昇格したお祝いと、 我々を歓迎する為に乾杯がされた。

キールやワインが回され、程よく食事となる。 到着した時にはすでに台所にきれいに準備されていた 幾つものお皿が、リビングのテーブルに移された。 数種類のハム、ソーセージ、鮭のムニエル、キッシュ、ニシンの酢漬け、 サワークリーム、ナスの料理、ギリシャのオリーブ、中近東のオリーブ、 2種類のサラダ(お嬢さんのミハエル作)、赤ピーマンのマリネ、 スタッフドエッグ、パンとバター、 数種類のチーズ等がカラフルに並んでいる。 温かいものは抜きの、ビュッフェスタイルの軽い食事だ。

外国の家庭に招待されて感心することは、食事の仕度は来客が到着するまでにきっちりと終っていて、主婦も食事に参加してお客を会話でもてなすということだ。 私もそのスタイルを試みているが、なかなか上手く行かない。 どうしても、台所にへばりつかなくてはならない時間が多くなってしまう。

そうそう、招待された時の手土産については、大概、ワインか花だろうと夫と 予想していたが、案の定学生も含め、皆ワインを1本携えて来ていた。 年配のロシア人夫婦は、立派なカーネーションとバラの花束を持参していた。 我々はワインの知識はないし(アンデルマン夫妻は揃ってワイン講座に参加する位 のワイン通なのだ)、花屋は当日は安息日で休みで使えないので 何を持って行くか思案した。 結局、日本のお菓子を1袋とジャズのCDにした。 彼らはジャズが好きなので、喜んでもらえたようだ。 早速、プレゼントしたCDをかけてくれた。 彼らしいサービスに嬉しくなる。

衣が、大人のパーティーの雰囲気をぶち壊さないか多少心配したが、 前半は緊張した様子で、私のスカートの裾をつかんで静かにしていて、 後半はかなりリラックスして、彼女にしては珍しく、しきりに 愛想を振り撒いていた。 大きな声もあげず、又、泣く事もなく、機嫌良く「良い子」を演じていたので 助かった。

11時ごろお開きとなり、又、学生が家まで送ってくれた。 穏やかな人達の集まりで、気持ちの良いひとときを過ごす事ができた。 印象的だったのは、どの奥さんも仕事を持っていたことである。 高校の数学の教師、小学校の美術の教師、美術館の学芸員、心理療法士、 建築関係の仕事などが彼女達の職業だ。 働く女性が多い国なのだろうか。 私は子育て中ということで、仕事をしていなくても充分忙しいだろうと理解 を示してもらえたようだが…。

食後に飲んだコーヒーのせいか、パーティーの興奮のせいか、 英語で上手く表現できなかった点を思い起こしてしまったせいか、 今晩はなかなか寝付けなかった。


4月23日(金曜日)

第6日。

午後、3時過ぎにスーパーの近くのタクシー乗り場でタクシーに乗り、 海岸まで行ってみる。 海岸とは、地中海のことである。 ほんの10分ほど西に走れば、すぐそこが地中海である。 以前にも書いたように、テルアビブは地中海に面した街なのである。

家を出た時には気がつかなかったが、海岸はかなり強い風が吹いている。 真っ白い細かい砂が風で舞い、遠くが霞んで見えるくらいだ。 まだ4月であるが、人々は浜辺で思い思いに日光浴を楽しんでいる。 風が強いために波もある程度あり、水に入るのには抵抗があるらしく、ほとんどの 人が浜辺に散乱した白いプラスチックのデッキチェアーに寝そべっている。 ウインドサーフィンを楽しむ人達には格好の風のようで、色とりどりの帆が青い海に 点在している。

例によって、人々の様子を観察すると、チェスボードやバッキャモンを持参して、 ゲームを楽しんでいる。 しかし、この風の中によく何時間もいられるなと思うほどの風だ。

タクシーを降りたのは、海岸の最も北の端なので、少し南下して、 もう少し賑やかな方へ行ってみることにした。 海岸沿いは砂が舞っているので、一本内陸に入った大通り沿いを歩いた。 少しは風が穏やかに感じられる。

海岸沿いは名の知れた有名なホテルが沢山建っている。 大きなホテルに混ざって、各国の大使館も次々に現れる。 市内の中でも、良いロケーションなのだろう。 しばらく歩くと、右手にたいそう立派なヒルトンホテルが出現した。 ホテルの周辺がきれいな公園になっていたので、 そこでしばし地中海を展望することにする。 高台から見下ろす感じになるが、真っ青な地中海、雲一つ無い青い空、そして 左手遠方には先日訪れたヤッフォの街が霞んで見える。 素晴らしい眺めだ。 なんと、開放的な景色だろう! 水平線が端から端まで見える。 視界を遮る物が何も無く、どこまでも、どこまでも見渡す事ができるのである。


地中海

更に、海を見下ろしながら海岸線を南下すると、テルアビブのプロムナード と呼ばれる、整備された散歩道に出る。 この海岸沿いのプロムナードをずっと歩いて行けば、ヤッフォにたどり着く。 全長5キロの道のりだ。 先日、車でこの道沿いを走った時に、ヤッフォまで歩くプロムナードは、 丁度良い散歩コースだと説明され「そんなに歩くなんて、やっぱり 外国人はタフだわー。」と驚嘆した。 しかし、我々が今日歩いたのは、ヤッフォまでの道のりの約半分である。 ゆっくり、のんびり歩いていると、ヤッフォがどんどん近く見えるように なってくる。 確かに、美しい海と、すれ違う人々や浜辺でスポーツに興じる若者達の 姿を目で追っているうちに、楽々と数キロは歩くことができる。 疲れたならば、カフェで休むも良し、道端で売っている絞りたての オレンジジュースで喉を潤すも良し、なにしろプロムナードのあちこちに 椅子が置いてあるので、どこで休憩することも可能だ。

2キロほど歩き、お腹も空いてきたので、オペラセンターで休憩することにする。 金曜の午後は商店は閉まっているはずなのだが、ここに入っている飲食店や タワーレコードは営業している。 早めの夕食をピザハットでとり、タワーレコードで、明日のアンデルマン宅訪問の お土産を買う。 ピザは、トッピングのオリーブが美味しかった。 オレンジジュースとグレープフルーツジュースを注文したが、 グレープフルーツジュースはオレンジジュースの倍額もした。 というよりは、オレンジジュースが安いのである。 そういえば、道中に寄ったお土産屋で「ジャッファオレンジ」の 古びた絵葉書を買った。 弟にでも送ったら喜びそうな趣味の悪さだ。

帰りも、タクシーで一走りで簡単に帰ることができた。 500円〜600円で市内を行き来できる。 ただ、気を付けなければならないのは、こちらが指摘しないと メーターを使わないで、最初から少し多めの額で交渉してくることだ。 一言「メーターを走らせてくれ」と言えば、難なくメーターを使ってくれるのだから、 やはり、観光客だと思って少しずるをしようとしているのだろう。

潮風にさらされたので、シャワーを浴びてさっぱりとして3人とも熟睡をした。


4月22日(木曜日)

朝は少し雲があったが、しだいにからっと晴れてきて、 昼にはいつもの日差しになった。

衣は今日は良く昼寝をした。 従って、私も休むことができた。

昼食の仕度をしていると、上の部屋の住人が訪ねてきた。 何事かと思えば、これから洗濯を干すので、うちの洗濯物を取り込んだほうが良いと わざわざ言いに来てくれたのである。 先日来の「局地的な」雨は、これからは予告されるのだろうか。 何とも、親切な話である。 彼女の株が、私の中で一気に上昇した。 私って、単純かしら?

午後の衣の昼寝の後、2人でスーパーに買い物に行った。 4時過ぎだがまだ日は照るので、衣も私も帽子を被っての外出だ。 衣は日本から持参の帽子、私は先日、ラビン広場の近くのショッピングモールで買った 600円の帽子だ。 600円といっても、結構素敵だと思って被っている。 ひさしが広いので、顔がすっぽりとひさしの陰に入る点が良い。

今日は、鯖の燻製、クロワッサン、焼き立てのパン、チョコレート、パウンドケーキ、 米ナス、きゅうり、バナナ、ツナ缶、ねぎ、鶏肉などを買いこんだ。 米ナスは何と言っても巨大で、長さが30センチくらいで、直径は10センチくらいの おでぶちゃんである。

スーパーのレジは幾つもあり、はじから1番、2番と番号がついている。 1番レジは、買い物の少ないお客専用のレジで、今日はそこに並んだ。 カート又は、かごの中身をレジのベルトコンベアに自分で乗せる。 空いたカート、かごはその辺に放置する。 (これが、結構マナーが悪いと思う。だって、次の人の邪魔になるんですもの) まず、店の会員カードがあるかと聞かれ(多分、そう聞かれているのだと思う) 、レジ係がレジを通した物を、自分で袋に詰めていく。 この国は袋は無料でもらえる。 イギリスでは、1枚いくらと、お金を払わないともらえない。 イスラエルはその点便利だが、逆に言えば資源のリサイクルなどに関して、 まだまだ無関心だと言える。 支払いは、多くの店でクレジットカードが使える。 近くの小さな商店「デケル」でさえ使える。 サインは、レシートの端にちょこちょことして、店員が「びりっ」と 破いてレジ箱に入れて、はいおしまい。 日本でカードを持っていないので、カードに関しては初心者なのだが、こんなに簡単で良いのかしらと不安になる程シンプルだ。

夫が帰宅した後、衣が1メートル程歩いた。 今までは、2〜3歩歩いてはどっしりと尻もちをついていた彼女だが、 今日は何故か、するすると歩いていた。 その姿が非常に滑稽で、可笑しいのと、親として嬉しいのとで、 夫と二人で大笑いをした。


4月21日(水曜日)

独立記念日。 今年で建国51周年なので、実に新しい国である。

すでに一週間以上前から、車には国旗の小旗がはためき、家々の窓からは大きな 国旗がさがり、独立記念日を待ちに待っていた感がある。 スーパーの近くの道には、国旗とテルアビブの市の旗が交互に並んだ長い紐が吊るされ、 人々の気分を盛り立ててきた。

昨日のお祭りでエネルギーを使い果たしてしまった私は、ゆっくりと 昼寝をさせてもらう。 夕方、日差しがやわらかになった頃、3人でヤルコン公園に散歩に出かけた。 独立記念日ということで、なんとまあ、人の多いこと! 面白いのは、皆それぞれに椅子やテーブルを持参でピクニックをしている ということだ。


独立記念日のヤルコン公園・花壇

その多くはバーベキューを楽しんだ様子で、あちらこちらから 白い煙が立ち昇っている。 お腹も一杯になったのだろう、遅い午後の日だまりで、 思い思いにサッカーやお喋りをしている。

突然、5歳くらいの少年がやってきて、「シャローム!」と 挨拶をして夫に握手を求めてきた。 良く見ると、中国人を漫画化したかわいいTシャツを着ている。 ヘブライ語で何やら話し掛けてくる。 「ごめんなさい、ヘブライ語は分からないのよ。英語は話せる?」 と聞くと、「うん、少しだけなら。」 どうやら、Tシャツに書いてある漢字を読んで欲しいらしい。 しばらくやりとりをしていると、母親らしい女性がやってきて通訳をしてくれた。 やはり、漢字を読んで欲しかったのだ。 残念ながら、我々には読めなかったのだが、 少年は人なつっこく、「名前はなんていうの?」 「あいのよ。君は?」 「ベン!」 目がくりくりとして、大変にかわいらしい少年だった。 やはり、ヘブライ語を少しでも使えるようになりたいものだ。

帰宅後、夕食の準備をしていると、大家さんが訪ねてきた。 見ると、マーガリンの空き箱に山盛りの枇杷の実を持っている。 下の庭でとったそうで、お裾分けである。 洗濯を干している窓の下に、大きな枇杷の木が生えていて、たわわに実を付けている。 普段、一週間分のタオルなどを渡したり受け取ったりする時は、 余計な言葉は何も言わずにドライで、どちらかと言えば、少々 つっけんどんな感じの人物だが、今日は満面の笑みをたたえて にこやかだった。 食後に幾つか戴いたが、小振りの実は皮を剥くと、きれいな黄色の果肉が顔を出し、 口に含めば、小粒でも淡い甘味の果汁をたっぷりと楽しむことができる。 東京の実家の庭にも枇杷の木があり、毎年枝一杯に黄色い実を付ける。 子供の頃、弟と一緒にその枇杷の木に登ったり、竿で熟れた実をつついて取ったりした事を懐かしく思い出した。

昼間テレビで、私の大好きなイスラエルのビオラ奏者、ピンカス・ズッカーマンの演奏 見ることができて、その潤いのある音色を聴いて豊かな気持ちになった。 イスラエルには優れた弦楽器奏者が多いので、こうして身近に彼らの演奏を聞くことも イスラエル滞在の楽しみの一つだ。


4月20日(火曜日)

戦没者追悼記念日。

昨晩8時のサイレンはやはり、戦没者追悼記念日に大いに関係があった。 昨日の日記を書いた後に、エルサレム・ポストを読んでいたら、 「今晩8時から戦没者追悼記念日始まる」という見出しが目に入った。 記事によると、8時にサイレンが1分間鳴り、戦没者追悼記念日が始まる、 とある。 こちらのユダヤ暦は日の入りで新しい一日が始まり、次の日の入りに一日が終る。 つまり、昨晩の8時にすでに、今日のメモリアルデーが始まったのである。 今日は、かなり特別の日だった。 テレビでは一日中戦争関係の番組、戦死した兵士の思い出を戦友が語る番組、 そして戦死した人々の名前と亡くなった日を一人分づつ一日かかって流す局、 など、戦没者関係一色だ。 ラジオでも、エレジー(哀歌)、イスラエルにちなんだ曲、ベートーベンの エロイカ「皇帝」(2楽章が葬送行進曲)などが放送されていた。

朝の11時に、再びサイレンが鳴り響く。 今回は2分間。 人々は何をしていても手を休め、起立して黙祷をする。 今日は朝からレホボトのワイツマン 研究所で人と話をしていた夫も相手に言われ、 やはり起立して黙祷したそうである。 話によると車も止まり、外に出て黙祷を捧げるらしい。 実際、我が家のお向かいのアパートで、毎日朝早くから働いている 内装工事の職人達も、サイレンの音と共に仕事の手を休め 頭をうなだれ、黙祷をしていた。

考えてみると、この国はつい最近まで戦争があった国である。 (1977年・第4次中東戦争) そして、国民皆兵制が強いられている国でもある。 18歳から男性は3年間、女性にも期間の差はあるが服役の義務はある。 従ってイスラエル国民にとって、戦争・戦没者は大変身近な存在なのだと思う。

30代の日本人の私は、祖父、祖母、そして辛うじて父親が 戦争を知るという世代である。 つまり正直に言って私にとって戦争は、それ程現実的ではなく、 むしろ「歴史上の出来事」といった感が強い。 それに対して、イスラエルでは私の年齢の人々にとって、 戦争とは、「今、もし戦争が起これば自分が戦う。」 という、正に現実的なものなのであろう。 平和な日本と比べて、戦争に対する感覚の違いを強く感じた一日だった。

そして、夜の8時にはまた、次の日がやってくる。 今度は独立記念日である。 昼間の厳粛な雰囲気とは打って変わり、賑やかなお祭り騒ぎが 始まる。 今度はサイレンは鳴らない。

夜、アンデルマンの住むマンションの一帯の 言ってみれば「○○町内会独立記念日祭り」 に行ってみた。 マンション街の中央にある芝生の広場に、仮設の ステージが組まれ、照明、音響がセッティングされている。

夜8時、いよいよ開会である。 地元の小学校がスポンサーをしているだけあり、主役は子供たちである。 まず、短い市長の挨拶があり、子供達が次々に練習を重ねてきた踊りや合唱を 披露する。 途中、プロのバンドの演奏もあり、いよいよお待ちかねの アンデルマンの娘、ミハエルの登場である。 彼女の所属するダンスグループの発表である。 残念ながら、大勢の子供達の中から、彼女を探し当てることはできなかった。 しかし、さすがに父親である。 アンデルマンは、ちゃんと娘の晴れ舞台を見届けたそうだ。 彼は、夫の研究分野では、かなり優秀な研究者なのであるが、 私が接している時の彼は、娘の成長に目を細める一般的な「お父さん」である。、 冴えた頭脳を持つ彼の、 別の「人間性」に触れることができて微笑ましく思うことが多い。


独立記念日のお祭り

日本で言えば、学芸会のような雰囲気である。 子供達の出演を見るために家族が集まってくるわけである。 それにしても、その人数はかなりのもので、数百人は居ただろう。 警察も巡回していた。 子供達は、この晩の為に特別に用意された泡スプレーをかけあうのが 楽しみらしい。 駐車された車は格好の獲物で、通行人、 電話ボックス、壁、ショウウィンドウなど、所構わず「シューシュー」だ。 子供のお祭りにしては、随分遅くまでそのドンちゃん騒ぎは続く。 我々は、ミハエルの出番を見届けてお先に失礼した。 帰宅したのは10時過ぎだった。 お祭りのハイライトの花火の迫力に 半分べそをかいていた衣も、シャワーを浴びて早々に眠りについた。

今日は、初めてタクシーを使ったが、どうやら行きがけは料金を多く取られたらしい。 といっても、ほんの150円くらいの話だが。 こちらはメーターを使わないのは違反らしいのだが、そのタクシーは乗る前に 料金を提示してきた。 その額が、我々日本人には妥当な値段に思えたので承諾して、乗り込んだが、 後でアンデルマンに話したところ、「これからは、決してしてはいけない」 と言われてしまった。 何事も経験である。

お祭りの間、1時間半程衣を抱いて立っていたので、かなり疲れた。 外国生活は、体力が勝負だ。


4月19日(月曜日)

「第2日」月曜日である。 一週間が日曜日にスタートする暦にも慣れてきた。

一日中雲が空を覆っている。 日差しが遮られるために、多少は涼しい。 しかし、天気予報では最高30度、最低16度となっている。

午前中に郵便局に行く。 11時前だったが、やけに人が多かった。 3つある窓口のうち、2つが開いていたが、どちらも時間のかかる お客だった。 一人、何十通という封筒の束を抱えている。 ようやく私の番になったかと思えば、局員が何やらヘブライ語で言うと 私の後ろに並んでいた数人のお客が、次々に私を抜かして窓口へと向かう。 それも、誰一人として悪びれた様子が無い。 「お先に」の一言もない。 良く観察すると、皆同じような紙切れを持っている。 まあ、いいや。

ようやく私の番になる。 先日と同じ女性の局員だ。 「この封筒用の切手2枚、日本への葉書用の切手20枚、航空書簡5枚、 そして、あそこのレターセットを下さい。」 日本への葉書は1.40シェケル(30〜40円位)で送れることが判明。 ん? 安いではないか! レターセットとは、郵便局の中にガラスケースがあり、封筒や便箋、記念切手、 カード類と一緒にあった物だ。 花のカードと封筒が5枚づつ入って、7シェケルちょい(230円位)だった。

日本と同じように郵パックに値する小包用の、大中小の箱も、これも 日本と同じく、天井からぶら下がっていた。 先日行った時もそうであったが、新品の大量の電話帳(だと思う)が 山積みになっている。 きっと、変更の時期なのだろう。 帰り際に、1冊脇に挟んでいく人が多い。

8枚の絵葉書に切手を貼り、外のポストに投函する。 ポストは黄色と赤と2種類ある。 黄色はテルアビブ市内用、赤はその他用である。 日本へは海外郵便なので、赤のポストに入れる。 と言っても、入れるのが少し難しい。 普通のポストのように、ひさし付きの口が開いているのだが、 口の開き方が極端に狭い。 大げさではなく、封書は1度に1通しか入らない。 2通重ねて、なんて無理である。 更に難関が待っている。 口が上向きに開いているのだ。 従って初心者の私は、覗き込んで上向きの角度に郵便物を ポストに「押し込む」必要がある。 きっと熟練したら、目を閉じても手紙を 投函できるようになるのだろうが…。 その域に達したら、私も生粋のイスラエリーといったところだろうか。

せっかく、外に出たのだから散歩もしようと予定を変更し、 公園の中を通って、少し遠回りをして帰る。 衣は最近は、帽子を嫌がらずに従順に被っていてくれるので助かる。 この気候では帽子は必需品である。

公園内では、相変わらずベビーカーが目立つ。 午前中は比較的、お年寄りがベビーカーを押している姿が多い。 きっと、働くお母さんのために、おばあちゃんがベビーシッターをして くれているのだろう。 少し行くと、芝生の中の木陰で、5〜6人のおじさん達が何やら大声で やりあっている。 すごい迫力だ。 何が原因かは全く見当がつかない。 観察すれば、多少はヒントも見つかるかとも思ったが、 余りの剣幕でびびってしまい、見て見ぬ振りをして、 何気ない顔で通り過ぎてきた。

こちらの人は声が大きい。 声ばかりではない。 一般的に「音」に対して寛容な国だと思う。 最初に大家さんに、夜のシャワー使用の是非について尋ねて 笑われた話は以前にしたと思う。 それ以外にも、個人の家でのテレビ、ラジオ、音楽のボリュームの 大きさには度肝を抜かれる。 週末に散歩をしていると、 窓をいっぱいに開けて、まるでトレンディーなジーンズショップのように、 ビートのきいた音楽をびんびんにかけている。 かと思えば、安息日の夜、隣から何事かと思うような大音響で 音楽が鳴り始めた。 それも夜の10時、11時の話だ。 そのボリュームの大きさときたら、半端ではない。 思わず、英国の高校や大学の寮生活を思い出した。 余り大きな音を出すと、階下からは床を、隣室からは壁を、向かいの部屋からはドアを 「どんどん!」とやられる。 ドイツで、音に関してはとにかく窮屈な経験をした夫は この国の音に関する大らかさは、たいそう気に入ったようである。

さっき、隣の住民とすれ違ったが、若い青年だった。 「ははー、この若造が例のディスコ音楽をかけていたのかー。」 と思ったが、実は「大きな音」と年齢は関係無いらしい。 50代後半位の、向かいの大家さんの家からも、 大音響でモーツァルトが聞こえてくるのである。 なんとも賑やかな国である。

夕食中、8時にサイレンが鳴る。 明日は戦没者慰霊の日なので、それに関連してのサイレンだろう。 テレビでも、前夜の式典の様子が放送されている。 大学は、明日は授業が休みということだ。 夕方、夫より電話があり、明日店が休みかもしれないということで、 慌ててデケルに行って、牛乳、ヨーグルト、オレンジジュース、アイスクリーム 新聞などを買いこんできた。


4月18日(日曜日)

一週間の始まりである。 ヘブライ語では日曜日のことを「第一日」という。

朝一番で衣の紙オムツを買いに行った。 日本のパックは50〜60枚くらいのジャンボパックだが、 こちらは20枚くらいの小ぶりのパックだ。 ヘブライ語の表示だが、大体は見当はつく。 数字を見れば、6キロ〜11キロ(体重)のことだと分かるし、 オムツの性能を図解説明しているので、どんな形態のものか一目瞭然だ。 いざとなれば、日本でも売っている「パンパース」(商品名)が売っているので 奮発すれば良い。(値段が高い) オムツの値段は日本と変わらないか、もしくは少々高め。 今日はとりあえず「本日のお買い得」らしき製品を買ってみた。

衣は昨日、殆ど昼寝をしなかった反動で午後に3時間ほどたっぷりと 昼寝をした。 おかげで、私もゆっくりと自由な時間が過ごせた。 子供が寝ている時が、一番幸せなひとときである。 これって、薄情な母親かしら?

午前中に大家さんに、一週間分のタオルやシーツ類を持って行く。 夕方、衣に食事を与えていたら、もうきれいに洗濯して返してくれた。 働き者の奥さんらしい。 実は、未だに奥さんにはお会いしていない。 もっとも、洗濯を干す時に、窓からちらっとその姿は目撃してはいるが…。

夕食は、朝に買ってきた冷凍のチキンを醤油味で炒め、サラダに乗せた。 それに、じゃがいも、人参、ブロッコリーを茹でたもの。 こちらの鶏肉は脂肪がついていなく、ジューシーで柔らかくて美味しい。 今日のは地鶏のような美味しさだった。

衣は、眠いのになかなか寝付かず、さっきから船を漕いでいる。 かと思えば、ベッドの柵の間から足を突き出し、ぶらぶらさせている。 女の子にしては、なんとも大胆なポーズである。


4月17日(土曜日)

安息日。商店は一日中休み。 午前中から午後2時まで開いているエレツ・イスラエル博物館に行った。 家からヤルコン公園を突っ切って、北上したところにある。 古くダビデ王の時代の遺跡の上に、幾つかのパビリオンが点在する いわゆる歴史博物館郡だ。 ガラス館、陶器館、貨幣館、伝統工芸館、郵便館、 などに分類されてそれぞれ別のパビリオンになっている。 一つの巨大な博物館をたっぷりと鑑賞するのとは違い、細切れに見ることができて 疲れない。 このような展示方法も悪くないと思った。 特に子供連れの場合には、好都合である。


エレツ・イスラエル博物館にて

広い敷地の割には見物客が少なく、意外だった。 殆どが子供連れで、ここでもベビーカーラッシュである。 おかしかったのは、奥さんが涼しい顔で先を歩き、 少し遅れて、汗を流して荷物と赤ちゃんを乗せたベビーカーを 押しているご主人の姿<を目撃したこと。p> これは、どうやら万国共通の風景のようである。 我が家の場合は?  それは、ご想像にお任せする。

博物館内のレストランが閉まっていたので、 とりあえず、ベンチで衣に昼食を与える。 ペットボトルの水、グレープフルーツ、パン、 レトルトのベビーフード、バナナである。 大人も水分補給をした。 やはり、暑く乾燥しているので、ペットボトルとフルーツを 持参で散歩に出かけるようにしている。 少しリフレッシュされた。

博物館を出発して、坂を南下する。 ヤルコン公園では、休日ということで子供達が風船を 沢山飾って、誕生日会を催しているようだ。 普段日と違って、賑やかな公園も又、良いものだ。

結局、先週末にも行ったカフェで大人の昼食をとることにする。 店員が、我々の事を覚えていてくれて嬉しかった。 前回は分量が多すぎて大変だったので、今日は控えめに注文した。 レギュラーサイズのローストビーフサンドイッチを一人前と飲み物だ。 逆に今度は、少し足りないくらいだった。 まあ何事も、少し足りないくらいの方が良いのだと思う。

それまで、ぐーぐー昼寝をしていた衣も、またまたタイミング良く目を覚ました。 「あれー、お母さん達、何食べたの?」と言いたげな 目で、空のお皿を鋭い目つきで凝視している。

帰宅後はゆっくりと、休日の午後を過ごした。 安息日に店が閉まったり、バスが止まったりして不便ではないかと 思うかもしれないが、「郷に入れば郷に従え」で、 安息日には、我々も「安息」をすれば何の不自由もなく 快適な休日を過ごす事ができる。

久しぶりに、日本のそれぞれの実家に電話をした。 遠いはずなのに、簡単に電話がつながり、懐かしい声が聞けるのは やはり不思議な感じがする。 少々心細そうな声に、不自由な生活をしている親をさしおいて、 海外留学をしている現実を再認識したが、 夫の実り多い留学生活ができるように3人で協力している姿を 報告する事で、若い家族のわがままを許してもらおう。

夜には、待ちに待った親友からのメールがようやく届いた。 毎日のメールチェックが、何よりもの楽しみである。 先日のディアスポラ博物館で購入した絵葉書で、沢山の便りを書いた。 ヘブライ語のアルファベット(アレフべート)が、一枚づつカードになっている楽しいデザインだ。 明日にでも、郵便局に切手を買いに行こう。 そうそう、衣の紙オムツが、知らない間に底を尽きてしまった。 明朝一番で買いに行かなければならない。 そういう時に限って衣は、3回目のウンチをしてくれた。 今日は、もうしないでね。

夕食は鮭の蒸し焼き、巨大マッシュルームとズッキーニの炒め物、 レタスと人参のサラダ。


4月16日(金曜日)

安息日の前日で、人々は休日モードに入る。 午前中に早々と家を出発して、夫にテルアビブ大学を 案内してもらう。 夫が毎日感心して帰宅するだけあり、成る程、立派な大学である。 何と行っても開放的である。 ここでも青い空、白い建物、大きな椰子の木が、毎度の3点セットで印象的だ。 大学はラマットアビブという、小高い丘の上に位置しているので、 地中海を一望することもできる。 その景色の良さは抜群である。


テルアビブ大学構内

正門近くの生協のような店で、衣にヘブライ語の絵本を買う。 衣は絵本売り場で興奮してしまい、おんぶ紐から飛び出さんばかりだ。 そういえば、ここでもおばさんに「男の子?」と、聞かれてしまった。 あー。

今日の目的は、大学の構内にあるディアスポラ博物館だ。 つまりはユダヤ人の離散に関する博物館である。 ユダヤ人の歴史、文化、宗教、日常生活、などなど大変工夫されて展示してある。 以前、ノルウェーのバイキング博物館を訪れた時も、日本では見られないような 展示のスタイルに感心したものだが、今日も感心してしまった。 模型を効果的に使って展示してあるのが特徴だと思う。 まともに見学をすると、5時間〜6時間もかかると、入り口に書いてあったが、 今日は超特急で見学した。 丁度、衣が眠くなったり、お腹が空いたりしてくる時間帯でもあったため…。 子供連れの見学は、エレベーターを特別に使用させてもらったりと、特典もあるが、 子供のペースにどうしても合わせねばならない事もあり、 一長一短といったところだ。

帰りも豪快に走るバスに、文字通り「揺られて」帰宅。 昼時で、暑い時間だったので少々くたびれた。 ミント入りの熱い紅茶(アラブ風紅茶の飲み方)とアイスクリーム、ジューシーなグレープフルーツで生き返った。

夫は隣りで、今朝デケルで買ったイスラエル唯一の英字新聞「エルサレム・ポスト」 を読んでいる。 衣は、今日は早々と寝てしまい、相変わらず布団を蹴り上げ、豪快に寝ている。


4月15日(木曜日)

今日も一日、快晴。 午前中に郵便局に行く。 日本大使館に、在留届け用紙の請求をする。 書き留めにするか聞かれるが、普通郵便にする。2.15シェケルだった。 帰りに、またまたフィリピン人のお掃除おばさんに会う。 今日は、はだしの衣に向かって、いつもの甲高い声で「靴はどうしたの?」

日差しの強い昼の時間をさけ、夕方4時過ぎに衣をおんぶ紐で、括り付け スーパーに買い物に行く。 スーパーは久しぶりだ。 筒切りの冷凍鮭、旬のグレープフルーツ、チーズ、べーグル、ミントなどを買う。 夫はべーグルが気に入ったようだ。 衣はグレープフルーツがお気に入り。 舌鼓を打ちながら、美味しそうに食べる。

夕方6時頃、夫と3人で24番のバスに乗り込み、 市の中心に行ってみる。 バスはものすごい勢いで走っている。 まだ、乗るか乗らないかのうちに発車する。 それも、お客を座席から振り落とさんばかりの勢いである。 夫の勧めでおんぶ紐を使ったが、正解だった。 衣は珍しそうに窓を触ったり、座席を丹念に調べたりとご機嫌である。

バスでは、日本のような親切な車内放送はない。 良く場所を覚えていないと停車のブザーが押せない。 2人で、必死に外の景色を見て、この辺かなと思うところで降りてみた。 テルアビブ滞在の初日に、アンデルマンが衣のベッドを買うために 中心のショッピングモールに連れてきてくれていたので、大体の様子が分かっていたので助かった。

まずは、こないだは余りゆっくり見学できなかったラビン広場に行ってみた。 これは、市庁舎の横の一角で、1995年の11月4日、市庁舎前広場で 開かれた平和集会からの帰りに、ラビン首相が暗殺された場所のことだ。 その現場にはメモリアルのモニュメントがあり、今もろうそくの火が灯され、 花輪と花束が捧げられていた。 周辺は、当時落書きでいっぱいだったそうだが、一部は記念に残されていた。 大きく、ラビン首相の似顔絵が描かれていたのが印象的だった。 以前ラビン首相夫人のドキュメンタリー番組で、この場所を 見ていたので、実際にその場所に自分がいると「どこでもドア」で一気に 来てしまったような不思議な気がした。 この国の大きな事件の現場に立っているのである。 彼がまだ生きていたら、今のイスラエルはどのようになっていたのだろう。

ショッピングモールに入ってみる。 やはり、入り口での荷物のチェックは行われている。 私の場合は子供連れだからか、いつもろくに見もせずに通してくれる。 子連れの特権その1。

帰りは、そのつもりではなかったが結局家まで歩いて帰って来てしまった。 つまりは、市の中心から家まで歩ける距離ということだ。 しかし疲れた。50分くらいかかったかと思う。 途中、家の近くの例のレストラン街で、シーフードの店に入る。 夫曰く、「舌を噛みそうな」英語を話すウェイトレスが丁寧に 接客してくれた。 久しぶりに美味しい魚を食べた。 マスのムニエル、スズキのグリルを注文した。 どちらも巨大な魚たちだったのだが、 焼き加減や味付けの繊細さに惹かれ、ついうっかり 食べ過ぎてしまった。 ついでに、ローカルビールの味見をした。 衣はすやすやと寝ていたのに、ちゃっかりと途中で目を覚まし、 魚をぱくついた。 さすが、鼻がきく。

満腹のお腹をさすりながら、明日のお楽しみに備えて早々に休んだ。


4月14日(水曜日)

晴れ。 午前中に公園へ散歩に行く。 途中、道を尋ねられた。 住民に成りきって見えたのかなー。 まあ、乳母車を押して歩いていたら、観光客には 見えないか…。

午前中は、夕方の公園に比べたら空いている。 でも、ちらほら乳母車を押す人がいる。 又は、老夫婦が仲良くベンチに腰掛けている。 さすがに、この時間帯にジョギングをしている人は いない。 面白かったのは、数十人の群集が(多分現地の人達) 太極拳をしていたこと。 素人の私の目から見ても、余り上手ではなかった。

日記についてだが、毎日余り長いと読む方では 億劫なのではないか、と夫に指摘され、短縮化を試みることにする。 と、決めた矢先から既に長くなりつつある。

夕食は鳥のひき肉を使って、ミニハンバーグと白菜のスープ煮、ブロッコリー とジャガイモ。 お茶漬け。 とっても、美味しかった。 鶏肉が美味しいと思う。


4月13日(火曜日)

少し雲がかかった一日だった。 今日は、ホロコースト記念日だ。 日にちが決まっているわけではなく、先日の過ぎ越しの祭りの最終日の 一週間後、そして、独立記念日の一週間前と毎年決まっている。 祝日ではないが、大学では昼に記念式典があったそうだ。 午前10時には5分間、サイレンが鳴った。 夫からあらかじめサイレンの事を聞いていなかったら、さぞかし慌てただろう。 ちょっとびっくりするような、大きな音のサイレンが鳴り響く。

一日中、テレビでは関係番組が放送されていた。 当時を知る人が語っているもの、ドキュメンタリー番組、エルサレムでの記念式典の 中継などである。 殆どがヘブライ語放送だったので、詳しくは分からなかったが、記念式典の様子は、 日本の原爆記念日の式典の様子にかなり似ていた。 遺族代表のような人々が、大きな花輪を持って祭壇に行き、一礼をして花輪を捧げる 様子を見た。花輪は鮮やかな黄色と赤の花を飾ったものだ。

夕方、いつものように散歩に出かけた。 まずは、大きなスーパーの近くのパン屋に寄った。 何回か道を横断するが、まだ右側通行になれないので、 ひやっとする。 やはり、朝よりも夕方の方が交通量が多いようだ。

パン屋では、美味しそうなパンが何種類も棚に並んでいる。 ここのパンは、どれも白いパンではなく、たっぷりと穀物の入った 黒いパンだ。 さんざん迷ったあげく、とりあえず9シュケル(270円位)のパンにする。 選んだ基準は、安かったから。 以前、友人に「あなたは貧乏性だ。何故かと言えば、いつも一緒に 外食をする時に、あなたの選ぶ物はメニューの中で一番安いものだから。」 と言われた事があるが、無意識のうちにそうなってしまうのは、根っからの 貧乏性なのだろう。 おやつに一切れ食べてみたが、なかなか美味しかった。

その後、いつものように公園に行く。 今日は衣は結構ご機嫌で、公園までの道すがら一人で何やら しゃべっている。 曇ってきて少々肌寒くなってきたので、早々に引き上げた。 帰り道、昨日のフィリピン人のお掃除おばさんにばったり会った。 我々の家がどこかに興味があるらしく、昨日からさかんに「あなたの 家はどこか?」と、聞いてくる。 悪いけど、少々うさんくさいので、いつも適当に{あっちの方。」 と、曖昧にしている。

デケル・マーケットに寄って、トイレットペーパーを買う。 「この BOY は何歳?」と聞かれてしまった。 衣はイスラエルでも男の子に間違われる。 理由ははっきりしている。 服装がいつも男の子っぽいのと、1歳を過ぎてもまだ 一度も散発をしたことがないくらいショートヘアということだ。

夫は8時頃帰宅。 今日は、少し余裕のある表情をしている。 夕飯は、鶏肉ときゅうりのマヨネーズあえ、炒り豆腐という軽めの献立。

衣は、夕方の散歩の後たっぷりと昼寝をしたせいか、なかなか寝つかない。 まあ、その分、朝ゆっくりと寝ていてくれるので良いのだが…。


4月12日(月曜日)

午前中は曇っている。 構わず、洗濯をして盛大に干す。 最近気がついたが、洗濯をこんなにまめにしているのは、このアパートでは我が家 くらいである。 他の家の洗濯ロープは、今日も空しく洗濯物無しで、ぶらさがっている。 洗濯の事では一つだけ気になる事がある。 というのは、我が家上の部屋の人が、びしょびしょの洗濯物を干すということだ。 一瞬、雨かと思うくらいの滴りようだ。 運が悪いと、せっかく乾きかけた洗濯が、「局地的な」雨のせいで再び 濡れてしまうことがある。 まあ、これもここの生活ならではのハプニングなので許せるが…。

今日は衣も私も沢山昼寝をした。 突然ドアをノックする音で飛び起きた。 大家さんが、昨日頼んだ洗濯物を持って来てくれた。 ズボンはまだ乾いていないので、自分で干してくれとのこと。 なんと早いことか!

日本大使館に電話をして、在留届について質問をする。 日本でパスポートを申請した際に、在留届用紙をもらい こちらで提出するように言われていたのだが、うっかり 用紙を忘れてきてしまった。 返信用の封筒に切手を貼って、大使館に送れば新しい用紙を 送ってくれるそうだ。 提出も郵送で良いということだ。 明日にでも、夫に大学の生協で封筒や便箋なんかを 仕入れてきてもらわねばならない。 大使館には、勿論日本人のスタッフがいるので話は簡単だ。

4時頃から2時間程、ヤルコン公園に散歩に行く。今日は川の南側を 東から西までずっと歩いてみた。 不思議なのは、この時間帯でも夫婦で子供の散歩に来ていたり、 お父さんが子供の散歩に付き合っているということだ。 日本では、世のお父さん達はまだまだ会社で頑張っている時間なのに。 こちらのオフィスタイムは何時で終りなのかしら? 全く羨ましい風景である。

途中、アジア系のおばさんに声をかけられる。 フィリピン人だ。 ひとしきり話した後、家の掃除はやってもらっているかと尋ねてきた。 ははー、つまりはこの人は掃除を仕事としているのである。 手持ちの紙が無いので、トイレットペーパーに名前と電話番号を 書いて渡してくれた。 「なんか、鼻をかんじゃいそうねー。」 と言いながら、ポケットに入れようとしたら、 「明日、忘れてそのまま洗濯しないように!」 と言われた。 でも、悪いけど電話をかけるつもりは無いのよ…。

今日も、ミニ動物園の前で少し止まった。衣は大変珍しそうに アヒルや水鳥、やぎ(?)を見ている。 衣は公園を散歩中は緊張しているのか、又は余りにも 興味をひく物が多すぎるのか、殆ど一言も発しない。 でも、嬉しいことは確かで、ベビーカーの上で 体をがたがたと揺らして喜んでいる。

帰りに角の、デケル・マーケットに寄って行く。 店内が狭いので、店先にベビーカーを置いて、衣を抱いて 買い物をする。 ヨーグルトだけのつもりが、なんと豆腐を見つけてしまった! 「自然」と日本語で書かれたその物体、豆腐なのである。 びっくりしてしまった。 大きなスーパーに置いてあるのなら納得できるが、ここは、住宅地の中の ほんの小さな店である。 とにかく、試しに一つ買ってみた。 今晩は、魚のムニエルと豆腐入りの味噌汁。 毎日こちらの食材で、無理なく日本食を料理することができる。 そー言えば、デケル・マーケットには、キッコウマンの醤油も売っていた。

昼間にメールチェックをしたら、北欧に在住のいとこ、大学時代の友人 2人、そして弟からメールが届いていた。 海外に居ると、知人からの便りはどんな形でも嬉しいものだ。

8時半頃、夫が帰宅。帰る寸前に大学で閉めだしを食らわされたそうで、てこずった らしい。 なんでも、最近大学内でコンピューターの盗難が多く、夫の部屋のある階は 職員や学生が皆帰った後に、セキュリティーロックをする事になっているらしい。 たまたま、他の階に行っていて、部屋を留守にしていたもので、もう帰宅したと 思われて、閉め出されてしまったらしい。 アンデルマンの所に行ったり、守衛の所に行ったりと、結局40分位かかってしまった そうだ。 全く、毎日何かハプニングがあるものだ。

今晩は、衣は早々と寝てしまった。 夕方の長い散歩が良かったのだろうか。 我々の夕食中は、彼女は既に夢の中。 うさぎの指人形と仲良く寝ている姿はなかなか可愛い。 こういう時は、さすがに女の子に見える。


4月11日(日曜日)

今日は日曜日だが、本質的には月曜日だ。 夫も普段通りに出勤。今日は初めてバスで出勤。 長い休暇を楽しんだ子供達も、今日から学校だ。

今日で、イスラエルに滞在して1週間になる。 ということは、大家さんに、使用したベッドリネンと タオルを持って行って洗ってもらう日だ。 一週間ごとにベッドリネンとタオルを大家さんが 洗ってくれる。 洗濯機が無いので、ズボンなどの大物も 一緒に頼んだ。

朝食を済ませ、洗濯をした後、衣と買い物に出かける。 スーパーのペサハ関係の品物が並んであったコーナーがきれいに 片付けられていた。丁度、各セクションで品物の並べ替えと食品の補充をしていた ようで、少し品薄だった。

こないだ美味しかったべーグルを、欲張って3個も買った。 白菜も買ってみた。おやつに御菓子を2〜3買った。 帰りに個人のパン屋を覗いてみた。 こちらは、穀物入りの美味しそうなパンが数種類かごに入って並んでいる。 次の機会に試してみよう。 その足で、角の小さな店に寄り、オレンジジュースを買う。

衣は帰宅後すぐに昼寝。私もすかさず昼寝。 午後は家で過ごし、2度目の昼寝から覚めた衣と、 夕方に郵便局と公園に行ってみる。 郵便局では航空書簡を5枚買った。7シェケルだった。カードは使えない。 英語は通じる。

夕方、実家より電話がある。 8時ごろ夫が帰宅。 疲れた様子。 今晩は親子丼を作った。 美味しくて二人とも少々食べ過ぎ。 衣は何故かなかなか寝なくて、結局、我々が休んだ11時頃 ようやく眠った。


4月10日(土曜日)

今日も一日中快晴で、雲一つ無い。 昼にアンデルマンから電話ががあり、午後にヤッフォに連れて行ってくれるとのこと。 3時に奥さんと一緒に車で迎えに来てくれた。 衣の食料や、オムツをパンパンに詰めたマザーズバッグをたずさえ、5人で車に 乗り込む。

ヤルコン公園沿いに西に一気に走ると、もうそこは海である。 海が眩しいくらいに輝いている。 海にぶつかって左折し、今度は海沿いに南下。 右手は海、左手は大きなホテルやファッショナブルなビル、大使館などが建ち並び たいそう賑やかだ。土曜日の午後ということもあり、車の渋滞も日本並。

テルアビブからよヤッフォまでの海岸線は、5キロ余りの散歩にうってつけの コースになっている。若いカップルや家族連れ、そしてベビーカーを押しながらの 赤ちゃん連れも案外多く見かけた。 この季節は散歩には最適らしい。というのも、もう少し暑くなったら、とても長時間の 散歩は無理ということだ。

途中、ネべ・ツェデク地区に立ち寄った。 ここは、今まで見てきた近代的なイスラエルではなく、歴史を感じさせる 家々が建ち並ぶ。 今世紀始めに建てられた建築物が、上手く残されている。 この地区の建築の特徴は、れんが色の赤茶色の屋根と黄色がかったクリーム色の 壁だ。この壁の色がなんとも温かみのある美味しそうな色(バニラアイスみたい) なのだ。 現在はイスラエルを代表する、バレエ団「バット・シェーバ・ダンス・カンパニー」や スザンヌ・デレール・センター、インバル・フォークロア劇団など芸術の香りが高い。 感心したのは、それらが全て、当時の建物を利用していることである。 従って、この地区は家並みのスタイル、色が統一されていて独自の温かみのある 雰囲気を作り出している。

再び車に乗り込み、ヤッフォを目指す。 と、突然町並みの雰囲気が変わる。 どう表現したら適切かしら。 簡単に言えば、ごちゃごちゃとした印象である。 町並みの古さも感じる。 それもそのはず、ヤッフォの歴史はなんと紀元前18世紀まで さかのぼると言う事だ。

町に入って間もなく、渋滞に巻き込まれる。 左手にあるパン屋に長蛇の列ができていて、この渋滞を引き起こしているのである。 このパンやは、いつもこうらしい。

駐車場に車を停め、いよいよヤッフォの散策を始める。 衣が長い車の旅で疲れたらしく、余り機嫌が良くない。 そこで、まず芝生のある公園で一休みをして、 衣にエネルギーを発散してもらおうことにする。 アンデルマンの奥さん、ファ二の提案である。 さすが、2人の子供を育てただけある。

公園は小高い丘の上にあり、素晴らしい見晴らしである。 遠方にテルアビブのビル郡が一望できる。 もちろん青い海、でっかい青空もよく見える。 なんて美しい景色でしょう! 今日、実感したのはイスラエルは海と空がきれいな国だということ。 パリからの飛行機でおしゃべりをした、イスラエル人が 「もし、海と太陽がお好きなら、イスラエル滞在を楽しむ事が できますよ。」と言っていたが、正にその通りだ。

芝生の上でのんびりと語り合う。 こうやって、芝生の上で日光を浴びながら のんびりとした時間をすごしていると、 英国での生活を思い出した。 衣はひたすら、私によじ登って、それに飽きると バナナ、パン、ベビーフードと食べまくる。 そういえばこの人は、初めての外国なのに お腹も壊さず、食欲も旺盛だ。 現地の食品も彼女の体にはなんの抵抗もなく吸収されているようだ。

少し、風が強くなってきた。 公園を後にして、海岸の方まで降りてみる。 この辺りは漁港らしく、漁船や漁の網がそこここに見られる。

テルアビブではほとんど見かけない白い布を被った 女性が目につく。「アラブ人よ。」とファ二が教えてくれる。 青いギリシャの国旗がはためくギリシャ正教の教会、カソリックの教会、 それにモスクがこの狭い地区に同居している。 イスラエルならではの風景か? 「エルサレムに行けば、もっと複雑な環境よ。」とファ二。

潮風にあたり少々疲れた我々は、一休みするカフェを探すが なかなか手ごろな所がない。 結局、駐車場のある丘の上まで登る。 9キロの衣を乗せたベビーカーを押しながらの上り坂は結構ハードだ。 日頃、運動不足の私には丁度良い運動になった。

この町は、多くの芸術家が住み、沢山の小さなギャラリーが あることでも有名らしい。 アンデルマンが、その幾つかに案内してくれた。 石造りの迷路のような小道の両側に、思い思いの看板が下がった ギャラリーがある。 フランク・マイスラーという、錫や金を材料とする彫刻家のギャラリーに入った。 宗教や歴史をテーマにしたものから現代的な作品まで、 幅広い内容だ。 イスラエルらしいのは、モーセの十戒やエルサレム、トーラーなどの作品が 多い事だろうか。 結構、有名人らしく、クリントンからのお礼状なんかも飾ってあった。

たっぷりとヤッフォの町を堪能して、車に乗り込む。 さっきのパン屋の周辺は相変わらずの渋滞で、しまいには 警察がきて、交通整理を始めた。

海岸沿いのレストランで軽い夕食を摂ることにした。 こちらで「軽い食事」というのは「肉・魚」のない食事 を指すとのこと。 従って、「軽い」と言っても、必ずしも量が「軽い」 訳ではない。

丁度7時ごろで、日没を見る事ができた。イスラエルは西が海なので、 夕日は海に沈む。 その美しい事といったら表現のしようが無い。 日没の美しさはつかの間で、メニューを研究している間にすっかりと 辺りは薄暗くなった。

サラダやチーズ、オリーブを勢い良く食べながら、賑やかな店内で会話を するのはなかなか難しい。 会話の方はとりあえず夫に一任して、私は衣に食べさせる。 1歳にして、ギリシャ風前菜なんか食べているのだから、 全く生意気な子だ。 日本での、離乳食時代は毎日「おじや」ばかりだったので、 大した変化だ。

衣に食べさせ、彼女が落とすものを拾って、 彼女が口から出すものをキャッチし、口に入れなおし、 会話にも多少参加し、自分も食べ、とやっていたら、 混乱してきて、気がついたら手でサラダを食べていた! はたまた、パン用にお皿に取ったバターの塊を チーズと間違え、一口で食べてしまった! はー、食事時間はいつでも戦いだ。

食事を終えると、外は真っ暗だ。 静かな波の音と星を楽しみながら、車まで歩く。

今日も、アンデルマン夫妻のお陰で、とっても楽しい一日だった。 衣もすぐに、仰向けで両手を万歳の、熟睡スタイルで寝入った。


4月9日(金曜日)

今朝はゆっくりと休んだ。といっても起床は8時半。 日本での我が家の「ゆっくり」とは大分ちがう。

今日は金曜日、安息日の前日なので商店が半日で閉まる。 朝食後に3人で張り切ってスーパーまで買い物に行く。 今日は天気が良く、午前中はさらっと涼しく大変気持ちが良い。 スーパーは大入り満員で、入り口にあるはずのカートが見当たらない 程だ。 入り口の荷物検査のおじさんも最近は、カートを渡してくれたり、 ゲートを開けてくれたりとなかなか気が利く。

今日のパンの棚は半端ではない。昨日は棚の半分位に2種類位のパンが ごろごろしていただけだが、今日は棚いっぱいにぎっしりと6〜7種類の パンが「詰まっている}。 馬鹿の一つ覚えのように、夫に「べーグルっていうのは、ジューイッシュのパンよ」 と教えてきた「べーグル」もあった。 本場のべーグルだ! 早速1個袋に入れてみた。 こちらはパンは殆どがむき出しで、棚に並べてあり、横につるしたビニールに自分で 入れてレジに持って行くというシステムだ。 あらかじめビニールに入ってスライスしてあるパンもあるが、 それはほんの一部である。 スーパーの入り口にパンのスライサーが置いてあり、自分で帰りがけに スライスしていくわけ。徹底したセルフサービスだなー。

莫大な種類のハーブティーの中からハイビスカス&ローズヒップという 種類を選んだ。 お茶好きの親友がこの棚を見たら感激するだろうなー、とふと思った。 肉は今日は鳥ひき肉を試してみる。鳥の絵が描いてあるので多分鶏肉だと 思う。これも冷凍。冷凍肉のコーナーを端から端まで見てみたが多分 豚肉はなかったと思う。 豚肉はユダヤ教では食べてはいけない肉だから、置いていないのだろう。

それにしても、地中海の魚を楽しみにしていたのだが、こちらでは余り 海の魚は食べないようだ。少々残念。

買い物で得した気分になったのは、ディル(ハーブの一種)の安さだ! マルチーズのしっぽ位のたっぷりとした束で、なんと60円! 先日アンデルマンのお宅でのディナーでも、ポテトとディルが出てきたが、 フレッシュディルがふんだんに使ってあったので、ずいぶんのおご馳走だなー と感激した。 こんなに安いのなら、我が家でも毎日でも食べられることになる。 フィンランドで、この味に出会ってから、大好きになった食品一つなので 嬉しい。 こんな事で嬉しくなってしまうのは、まさに食いしん坊の主婦の感覚である。 私って、得な性分だわ。

帰りに、家のすぐ目と鼻の先にある、小さな商店に寄る。 ここで、水、ミルクなどの重い物を買う事にした。 この店は、主人も奥さんも英語が話せるので安心して行ける。 衝動買いでアイスクリームを買った。

昼食はパンと残り物にした。 さっき買ったべーグルを早速食べてみたが、これがとても美味しい。 日本で何回か食べてきたべーグルとは大分違う。 ぱりぱりとして、香ばしい。

午後は、衣と夫は昼寝。私も昼寝の甘い誘惑に誘われはしたが、 日本にメールを送ってみようと悪戦苦闘した。 なかなか上手く行かずに疲れきってしまった。 結局、昼寝から起きた夫に処理してもらう羽目になった。 これ、いつものパターン。

夕方、3人で散歩に出かける。 徒歩4分のヤルコン公園に行ってみる。 午前中に引き続き、天気がとても良いので、 思わず「日本人」をしてしまう。 つまり、カメラやビデオを使いまくるということ。 ヤルコン公園とは、ヤルコン川の両岸が公園として整備されている 地帯の事を指す。散歩やジョギングに格好の道がきちんと整備され、 所々にベンチや遊具、小さい動物園まである。


ヤルコン公園南川

今日は川の北側を1キロ程っくりとゆ歩いたが、こちら岸はかなり広い スポーツフィールドになっている。 若者達が活発にサッカー、ラグビー、スケートボード等に興じていた。 公園の向こうに見える高層のマンション郡はどれも白く、単純な 箱型ではなく、レゴブロックで組み立てた家のように、でこぼことしていて 「ビル」というと、真四角な建物をイメージする私には、新鮮に見える。 のんびりと、家族揃ってこんなに良い環境で散歩をしていると、しみじみ 幸せだと思う。

帰りは橋を渡り、反対岸の住宅街を通った。ここから、家の近くまでは、 レストランや、おしゃれなカフェが並ぶ賑やかな通りが続く。 家の近くに、こんなおしゃれな所があったなんてちっとも知らなかった。 何事も経験と、カフェの1つに入ってみた。 お茶をするつもりだったが、メニューを見ているうちに、少し早いが 夕食も食べて行くことに予定変更。 スパゲッティーとヌードルを頼んだ。 どちらも美味しかったが、その分量の多さに度肝を抜かれた。 日本の「カプリチョーザ」というイタリアンレストランでは、3〜4人分を一皿にまとめて盛り付けてくるが、丁度あんな感じの量が1人前だ。 こういう食事の分量の多さに出くわすと、「あー外国に来たなー」と 実感する。


レストラン


4月8日(木曜日)

今日から夫は出勤。いよいよイスラエルでの本当の目的を果たす生活が始まる。 7時に起床して、朝食を摂り、夫は8時に家を出た。 今日は大学まで30分くらい歩いて出勤した。 朝は天気が不安定で、雨が降ったりやんだりの余り良くない天気。

昨日の散歩で泥だらけになったベビーカーをきれいに拭いて、洗濯、床の拭き掃除 をした。これで、衣を安心して床に下ろすことができる。

9時半過ぎに衣をおんぶ紐でくくりつけ、近くのスーパーへ出かけてみた。 天気は良く、朝の雨のせいか気温も低くとても気持ちが良い。 道中、買い物帰りの人や、これから買い物に行くらしい人達が点々と歩いてる。 何度も道を横断するが、その度に車が止まって先に通らせてくれる。 けっこう親切じゃん。

やっぱりペサハ開けなので、買い物客が多い。 例の白いシートはすっかりとはずされている。 シートの中身はパン、麺類、シリアル、クッキー、ケーキ等だったことがようやく分かった。 さて、今日は何を買いましょう? ハム、チーズ、冷凍の鶏肉(多分)、スパゲッティー、バナナ、トマト、きゅうり、 ズッキーニ、ブロコリー、ヘブライ語のアルファベット(アレフベート) のクッキーなどを買う。

帰宅後、衣は一人で機嫌良く遊んでいる。その間に洗濯。 衣が寝たので、シャワーを浴びる。 やっぱり、衣は外の空気を吸うと気分転換にもなるし、適度に刺激も受けて 昼寝がしっかりとできるみたい。 今日も何回も雨が突然降った。 こちらの雨は、土砂降りが突然やってきて、数分後にはやんでしまう。 もっと毎日かんかん照りで乾燥した気候かと思っていたが、到着して5日目になるが、 初日以外は雨が一日に一回は降っている。 今は丁度季節の変わり目で、天気が不安定らしい。 涼しくて良いのだが、私の衣類は暑いつもりで荷造りをしてきたので、 数少ない長袖の洗濯が強いられる。

今晩の献立は、今朝買った冷凍の鶏肉で照り焼き、マッシュポテト、 ブロッコリーと人参のゆでたもの、ごはん、卵スープ。 夫から7時頃電話があり、これからバスで帰宅するとのこと。

30分後に予定通り夫が帰宅。結構疲れた顔をしている。 報告が山のようにあって、お互いにずーとしゃべっている。 勢いに乗ってしゃべりながら食べたこともあり、二人とも 少し食べ過ぎた。 明日は何かお酒類でも買ってみよう。 イスラエルはワインが美味しいそうで楽しみ。

初めてメールのチェックをしてみたら、実母と大学の友人から 届いていた。嬉しいもんだ。 早速返事を送ってみた。

明日、あさっては夫は仕事は休み。 こちらは金曜日が日本の土曜日にあたり、土曜日が日曜日のように 一日中休みである。

衣は最近食べ物を口に入れると即座に手を突っ込み出してしまう 困ったくせがある。食事時間は戦争だ。 私が疲れているとものすごくいらいらするので、 今日は衣が昼寝をしている間はできるだけ私も 昼寝をしていらいらしないですむように工夫した。 でも何回も怒鳴ってしまった。 こんなことではあと何年間もの育児なんかできないなー。 もっとアバウトにしないとねー。


4月7日(水曜日)

今朝は7時頃に起床。

今日はペサハの最終日でホリデーで、商店も大学も休み。

衣は熱はすっかり下がった。鼻水は相変わらず出る。拭こうとすると ぱっと顔をそむけて抵抗する。 従って、顔中鼻水だらけでがびがび、てかてかである。

朝食を摂っていると、急に土砂降りの雨が降ってきた。 慌てて洗濯物を取り込む。イスラエル人達は、窓を閉めるだけで 洗濯物は濡れるがままに、だ。きっと、又すぐに晴れて乾くのだろう。

午前中にもうれつに眠くなって1時間ほど昼寝をした。 夫は昼食後に3時間昼寝、衣は30分しかしなかった。 どうも衣は自由に床を歩き廻れなかったり、環境の変化で 落ち着かず、一日中泣き喚いている。 私はへとへとである。


4月6日(火曜日)

今日はハーフホリデーで、店はお昼過ぎには閉まってしまう。 午前中にでも買い物行こうかと思っていると、エウッドさん(大家さんのファースト ネーム)が8時頃訪ねてきた。税関から手紙が届いているそうで 、ヘブライ語で書かれているから読んでもらう。 日本から送ったSAL便を税関で預かっているので、身分を証明する物を 持って来いとのこと。今日はハーフホリデーなので、12時で閉まってしまうので エウッドさんに車で連れて行ってもらう。 私と衣は、衣が具合が悪いので留守番することにする。

洗濯をして、衣が昼寝をしている間に私も昼寝をした。 大きなベルの音で飛び起きる。1時間前に出かけた夫が荷物を持って もう帰ってきた。 CDプレーヤーやパソコンのCDーROM等が使用済みでないのではと 疑われたらしい。おかしいのは新品のビニールに入ったワイシャツ にも、いちゃもんをつけられたそうだ。 エウッドさん曰く、こういう荷物がないと、彼らの仕事がなくなってしまう ということだ。確かにそうである。

衣は一日中鼻水をたらし、少し熱っぽい。でも食欲はある。起きている時は 元気に遊んでいるのでまだ大丈夫だと判断する。いざとなったらテルアビブの 大きな病院で働いているアンデルマンの奥さんに相談しよう。

暇をみては少しずつ洗濯をするが、一向に洗濯物の山は減らない。 2人共、意識的に服を倹約して着るようになった。 そういう時に限って、にくじゃがの汁なんかをブラウスに垂らす。あ〜。 昼は、レトルトのご飯を食べてみる。

夜は初めて炊飯器でイタリアのリゾット用のお米を炊いてみる。 充分に美味しく食べられる。これなら近くのスーパーで簡単に手に入るので 安心。ちょっと贅沢をして、ふりかけなんかも使った。

衣は夕方の昼寝でかなり汗をかき、夜は早々と7時頃から熟睡モードに入る。 熱は下がったようで少し安心。


4月5日(月)

イスラエルでの初めての晩を過ごす。緊張しているのか、時差の影響か、この天下の 大寝坊魔が現地時間の5時にパッチリと目が覚めてしまった。居間で寝ている衣は案の 定、布団から飛び出している。 外はまだまだ暗い。さすがのイスラエル人も起きている部屋は少ない。

朝食は、昨日スーパーで仕入れたMatzosというクラッカー、炒り卵、ミルクティー、 きゅうり、トマト。Matzosは小麦粉から作られた薄焼きクラッカーである。1年中あるそうだが、ペサハ(過ぎ越し)の期間に数少ない食べても良い炭水化物である。 蜂蜜味、エッグ・ガーリック味、等種類も豊富だ。

食卓の上に置かれた蓋付きの四角い物体、一体何かと思えば、ガス コンロだった。早速、元栓を開け、つまみを恐る恐る回してみるが何も起こらない。何 回かやっているうちにガス臭くなってきた。これは大変!ふと横を見るとマッ チがある。なるほど!3本しかないマッチの1本目は失敗。2本目でようやく点火に成功。 美味しそうなスクランブルエッグができあがった。やれやれ。 衣はアンデルマン推薦のツナ缶とヨーグルト、昨晩の硬くなったナン を牛乳に浸した物。

早起きをすると午前中がたっぷりある。 フィンケルシュタイン(大家さん)の書類を2人で読 み、1ヶ月分の家賃の1405ドルを支払いにお向かいの彼の部屋を訪ねる。 ベルを押しても、ノックしても出てこないが、ドアの向こうからはテレビ の大きな音がする。 ようやくドアが開き、結局我々の部屋で話す。 お土産を渡す。 飯塚で買ったお箸のセットと、福岡で買った日本手拭い。 幾つかの質問をついでにする。 夜遅くにシャワーを浴びても良いかと聞 いたら、不思議そうな顔をされた。 ドイツでは夜10時以降の入浴は近所迷惑なので云々と説明をした。

午後は3人で、初めてのおつかいに挑戦。まず、袋満杯の洗濯物を抱えて教わったランド リーへ行く。「コインランドリーではなく、人にお金を払って洗濯をしてもらう所」と いう説明から、「洗濯屋ってことかなー」なんて話しながら店を探す。 なんのことはない、普通のクリーニング屋である。 慌てて店の前で、こっそりと下着なんかを袋の中から引っ張り出し ポッケトに突っ込む。 前の客は、前身黒づくめでサングラスをしたハイカラなマダム。 白いモップのような犬を同伴。この辺りの犬は皆おしゃれな小型犬である。 もっぱら大型犬が主流の飯塚とはかなり違う。 ズボンは幾ら、シャツは幾ら、たたむと幾らと英語で説明をしてくれる。 ただ、今はホリデー(過ぎ越し)なので時間がかかるそうだ。 とりあえず、今日のところは頼まずに帰る。洗濯物1枚にいちいちお金を払っては いられない。せいぜい利用するとすれば我が家の洗面台で洗うのが 困難なズボンか?

その足で、昨日のスーパーに行く。又、入り口で荷物検査。この習慣には、いつ 慣れるのだろう。 昨日は閉じていた肉のコーナーが開いている。しかし、全て鶏肉である。 パン、等の棚は相変わらず白いシートで覆われている。 ツナ缶、過ぎ越し用のケーキ(小麦粉の代わりにジャガイモの粉、とうもろこし粉 を使用したくるみケーキ)、牛乳、ヨーグルト、チーズ、ソーセージ、ハム、キャベツ 等を購入。クレジットカードでしてみる。レジで「カードで支払いたい」 と言ってみるが、何やらヘブライ語で言ってがんとしている。数分後、やっと状況が 飲み込めた。「私は英語は分からない」とレジのおばさんは言っているのだ。 「うっそー!」しかし、すかさず隣りのレジの若いお客が通訳をしてくれる。 フィンランドでも同じような経験をした。若い人は英語が話せるらしい。

午後は、夫が初めて大学に出かける。と言っても本格的な仕事の為ではなく、 コンピューターの設定の事などの用事である。 衣と留守番をしながら、洗濯や荷物の整理をする。

夜は、アンデルマンが彼の家に夕食に招待してくれた。 11歳のお嬢さん、ミヒャエルも一緒に迎えに来てくれた。 彼女は英語、フランス語、ヘブライ語の3カ国後を使いこなす。 衣にヘブライ語版「長くつしたのピッピ」を読み聞かせてくれた。 お兄さんのガイ(16歳)は筋金入りのシャイな男の子で、 食事の時だけ部屋から出てきた。コンピューター少年らしい。

アンデルマンの家は近代的な高層マンションの一室である。エントランス までの道には、体裁よく植物が植わっていて、その気の利きようには脱帽する。 我が家のアパートの玄関周りにもきれいに植物が植えてあり、照明も体裁よく 木々の間に配置してある。植木には頻繁に水やりをしている形跡がある。 彼の家の室内は、びっくりする程モダンでハイセンスだ。どこもかしこも ぴかぴかに磨き上げられ鏡もくもり一つない。 衣は後半は自由に床を這わせていたが、驚いたことに服がほとんど汚れなかった。

食事はおおきなダイニングテーブルにきれいにセッティングされていた。 メニューはノルウェー産のサーモンのムニエル、ジャガイモのディル風味、ブロッコリーのソテー、サラダ、スタッフドエッグ、パン、イスラエル産の白ワインという豪華な 食卓だ。メインがサーモンのせいか、味付けや食器が全て白ということなど、 どことなく北欧のセンスの良い食卓を思い出した。

衣の鼻かぜを心配しながら、11時過ぎに帰宅。今日も密度の濃い、 楽しい一日だった。