今朝はいつもより少し早く起きる。 夫は9時より研究所内での安全の講習会。 私と衣は9時半より、3階の日本人の奥さんに、 レホボトの町のお買い物ツアーに連れて行っていただく。
このお買い物ツアーは引越した当初から企画されていたのだが、 色々な事情により延ばし延ばしになっていたものだ。 彼女がここに越してきたときに、やはりお買い物ツアーに連れて行ってもらい、 とても助かったということで、親切に誘って下さった。
あちらは一番下の3歳の男の子をベビーカーに乗せ、こちらは衣を乗せての出発。 まずは保健所の場所を教えてもらい、町の大通りへの裏道を教わる。 こちらでは、前にも書いたように豚肉は普通の肉屋やスーパーには売っていない。 そこで豚肉が買える肉屋を教えてもらう。 その店では、ベーコンやソーセージ(もちろん豚肉)も売っている。 店の半分は色々な国の珍しい調味料や食品が置いてあり、 ごま油、醤油、みりん(日本製)、そうめん、イギリスのカレーペースト、 などが売っている。
道に出て、少し歩くと美味しいと評判のケーキ屋、文房具屋、などがある。 小さな雑居ビルの2階に健康食品屋があり、ここがとても面白かった。 というのは、のり、みそ、麦味噌、八丁味噌、醤油、みりん、ごま油、豆腐、 豆乳(イチゴ味、バナナ味など味付き)、ゴマせんべい、醤油せんべい、 切干大根、わかめ、昆布、ほうじ茶、煎茶、中国茶の類、梅干、粉わさび、 練り梅、こんにゃく畑(こんにゃくから作ったゼリーの商品名)、そば、 干し椎茸、春雨、天ぷら粉、米酢、インスタントラーメン、小豆、 などが揃っていて2人で興奮状態におちいってしまった。
中でもうけたのはやはり、こんにゃく畑である。 値段を見ると、なんと1袋900円くらいもする。 これだけ、揃っていれば怖いものなしである。 今日のところは、豆腐とごま油を1ビン買うことにする。 彼女の話だと、ごま油は当たりはずれがあるらしく、今日は 彼女も買ったことのないメーカーの物を試しに買ってみることにする。
2ヶ月間イスラエルで生活して日本食に関して分かったことは、 醤油はどこのスーパーでも手に入る。 豆腐もかなり多くのスーパーで買うことができる。 自然食品屋や外国の食品を売っている店に行くと、ごま油、みりんなども 入手可能。 加えて、今日行ったような充実した自然食品屋で は、かなりの日本食品を買うことができる。
以前英国で暮していた時は、このように簡単に日本食が手に入らず、 ロンドンの日本食品屋まで買いだしに行った事を思い出す。 それに比べてなんと楽なことか!
子供達が少し疲れたので、地下1階のテーブルのあるベンチで おやつタイムにする。 衣は動物クッキーとオレンジジュース、 3歳の男の子は豆乳とパン。 隣には日本で言えば私の大好きな100円ショップのような店がある。 いつか衣用に、プラスチックのコップでも買うことにしよう。
帰り道に、ロシア系の肉屋でも豚肉が買えることを教わる。 他にも布屋、電気屋、雑貨屋、お菓子屋、惣菜屋、パン屋、カメラ屋、 手芸屋、などを通りすがりに示してもらう。 こちらでは、ジッパーがなかなか手に入らないそうだ。 彼女は去年ギンガムチェックの布を、 どうしても見つけることができなかったそうである。 意外な物が入手しにくいらしい。
楽しい探検を終え、帰宅したのは丁度12時。 これでようやく私も、レホボトデビューを果たした訳だ。 これから、少しずつ自力で探検して行こう。
夕方、夫より電話があり、日本食の船便が研究所に届いたので 取りに行くことにする。 日本で送ってから、丁度2ヶ月半かかったことになる。 ウェンディーさんも日本の丸善から船便で本を送って、 丁度2ヶ月半かかったそうだ。 かばんやビニール袋を沢山持って出かける。 途中、ウェンディーさんの家に寄って借りていた物を返す。 日本式に言えば「玄関先で失礼する」予定だったのだが、 ついつい上り込んでお茶までいただいて、丁度遊びに来ていた 子供達と衣も遊ぶはめになる。
夫の研究室に届いた見慣れたダンボールから、 手当たりしだいに醤油、みりん、酒、味噌、鰹節、ゆかりなどを詰め込み 肩がはずれそうな思いをしながら帰宅。
今晩は、肉じゃが、キャベツのごま油醤油かけ、豆腐とワカメの味噌汁、 ご飯というメニューにしたら、夫が「ははは、今日は純日本メニューだねー」 と嬉しそうだった。 予想通り、彼は食べ過ぎた。 なんと単純な我が夫!
午前中にレンタカーを返しに行く。 私もどんな店だか見てみたかったので、一緒に出かける。 どのスタッフも英語が話せて安心だ。 帰りは家まで送ってくれるサービスは気が利いていると思う。
帰宅後、山のような洗濯物を抱えて廊下に出ると、 2階のブラッハが「順番待ちよ!」と教えてくれ、 くるっと向きを変えて帰ってきた。 洗濯は午後にゆっくりとすることに予定変更し、代わりに掃除をした。 やはり、皆考える事は同じだ。 週末明けの午前中は、余程早起きをしないと洗濯はできないかもしれない。
そうこうしているうちに3階の日本人の奥さんから電話があり、英語の質問を 幾つかされた。 2人で知恵を絞りあって、なんとか解決した。 彼女は「英語ができないできない」と言いながらも、 子供達を小学校と幼稚園に通わせ、 日々の教育の現場での問題を一生懸命解決しているので、 大変に偉いと思う。 ただでさえ3人の子供を外国で育てるのは大変だと思うが、 彼女は「自称」苦手な英語で勇敢に、 お母さん役を立派に果たしていると思う。
彼女との付き合いは、つかず離れずで気持ちが良い。 せっかく外国にいても、日本人の社会でかたまってしまい そのまま帰国するという話をよく聞くが、彼女は そういうことも意識している賢い人である。 そもそもこの研究所には、日本人がほんの一握りしかいないので そのような心配も無用なのだが…。
この数日、珍しいことに雲が出ている。 一面の青空がこちらの定番なのだが、昨日も今日も青空に 幾つか雲が浮かんでいる。 こういう空を見上げていると、日本の空を思い出す。
今日は町の南の方のショッピングセンターに行ってみる。 レホボトの町を抜けて、南下した所に大きなショッピングセンターが あった。 今日は安息日なので普通の店は閉まっているのだが、ここは 大変に賑やかである。 ショッピングセンターといっても一つのビルではなく、広い敷地内に 幾つもの店があり、その中心が駐車場になっている。
衣料品屋、雑貨屋、本屋、カフェ、セルフサービスの飲食店、 食料品屋、眼鏡屋、靴屋、おもちゃ屋などなど一度にはとてもまわれないほど 沢山の店が並んでいる。 セルフサービスの中華料理を食べ、おもちゃ屋で衣にマラカスを買った。 中華は、ヤキソバ、野菜炒め、春巻き、コーラで1000円くらいだ。 先日の中華料理屋でも感じたが、こちらの中華は高く感じる。 久しぶりのヤキソバは美味しかった。
子供連れが多いのを良い事に、小学生くらいの子供が次々に赤ちゃん連れの 親に「あなたの赤ちゃんをテレビのコマーシャルのモデルにしませんか。」 と聞いまわっている。 我々のところにもやって来た。 最初から追い返すつもりなのだが、暇にまかせて耳を傾けてみた。 話を聞いて「ははーん。」 と思い、「うちはいいです。興味ない。」 と言うとすかさず、「沢山もうかりますよ。」 成る程、そうくるのかと笑ってしまった。 「いいのいいの、結構でーす。」と追い返した。 きっとアルバイトなのだろう、断っても特に落胆もせず、 振りかえるともう次の親に話しかけている。
お向かいの家族連れは、さっきから食事はとうに終っているのに、ゆったりと腰掛けて なにやらしきりにぱりぱりと口に運んでいる。 良く見ると、ひまわりの種を器用に片手でむいて食べているのである。 こちらでは木の実やドライフルーツ、種の類をスナック代わりに食べる様だ。 安息日でも開いている雑貨屋(アイス、ジュース、水、お菓子、タバコなどが売っている商店)の店先にはどこでもこの種、ナッツ類が売っている。 この様な光景は、私が訪れたことのある 他のヨーロッパの国々では見たことがないので珍しく思う。 研究所の正門の守衛のおじさんたちも、コップにひまわりの種を入れぽりぽりやっているらしい。 地面を良く見ると、インコやオウムの鳥かごの中の状態なのだ。 今度私も試してみようかしら。
衣はこの数日で、かなり歩く事が上達した。 やはり床で自由に遊ばせるようになってから、歩く事に興味を持ち始めたようだ。 物を持って歩いたり、人に手を引かれて歩いたり、速度と距離も日に日に増す。 特に夫は、衣が歩く事が嬉しいらしい。 衣の相手をしている夫は、子供と同じくらい楽しそうに笑っている。 楽しそうな父親と子供の姿を遠くから見るのが私の幸せなひとときである。
お昼前に夫が車を借りに行く。 3階の日本人のお医者さんが一緒に行って下さる。 町の中心のヘルツェル通りの南の端にあるレンタカー屋まで、 2人は徒歩で行ったらしい。 お昼過ぎに韓国製の車を借りて帰ってくる。 この韓国製の車は、こちらでは大変に良く見かける。
さっと昼食を済ませ、3階の日本人のお医者さんとその長男と我が家の3人で 案内をしてもらいながら買い物に行く。 先日、ウーリックに連れて行ってもらった巨大スーパーに行ったのだが、 3時まで開いているはずなのに、何故か今日に限って1時で閉店してしまっている。 仕方なく、バスセンターのスーパーに行く事にする。 空になった冷蔵庫を満たすのに充分な買い物をして、2件分の食品を積み込み 帰宅。 車があると宅配も頼まないで済むし、好きな時間に好きな所に行く事ができて 便利である。
夕方にもう一度車に乗り込み、北の隣町ともう一つ先の町まで行ってみる。 行って帰って来るまで30分の道のりである。 あっという間の距離である。 夕食は、せっかく車があるのでどこかで外食をしようということになり、 研究所の北にある、幾つかの会社がある辺りのビルに入っている シシカバブの店に入る。 子供連れが何組か来ていて、ファミリーレストランのような雰囲気で 子供がいても気楽に入る事ができる。
アラブのサラダ(トマトときゅうりとハーブの刻んだもの)、ラムのシシカバブ、 ビーフシシカバブ、シシリク、オレンジジュースを注文。 肉類は全て1本の単位で売っている。 これに巨大なピタパンが2枚ついてくる。 今日はやや少なめで、丁度良い分量になった。 サラダは単にきゅうりとトマトのサラダなのだが、肉類の塩味と一緒に食べると さっぱりとして美味しく感じる。 我々が食事をしている間に次々にお客が増えてきて、あっという間に 賑やかになっている。
こちらは夕食の時間がかなり遅いようである。 日本では7時くらいに外食をすると思うが、こちらは8時、9時にやってきて それから食べ始める。 イスラエル人家庭の夕食時間はまだ分からないが…。
衣はピタパンを自分で食べるのが嬉しいらしく、満面の笑みを浮かべて パンをかじっている。 おかげで、おなかもぱんぱんになった。
最近は、朝食後にまず床の掃除をしてしまうことにしている。 そして衣を遊ばせる。
午前中にレンタカーのことで3階の日本人の奥さんに電話をする。 末っ子が退屈をしているということで、遊びに行くことになる。 7歳の長男は、昨日学校のパーティーで転んで歯を折ってしまい、 今日は学校はお休み。 頬に痛々しい傷ができている。 男の子は遊び方が激しいので大変だ。 衣は沢山のおもちゃと友達がいるので、大喜びで遊んでいる。 末っ子は早速、寄ってきて「遊ぼー」モードに入る。
このお宅には沢山のガイドブックや地図があり、少し見せてもらった。 ヘブライ語の本とカセットを貸して下さった。 偶然だが、日本に居る時から夫と読んでいた、「ありのままのイスラエル」 の著者の栗谷川福子さんの本だった。 この本は、高価過ぎて我々は購入を諦めた本だったので嬉しい出会いだ。
奥さんとお互いの大学時代の話や、子供の英語教育についてなど 楽しく1時間程話す。 丁度お昼になったので、おいとまをする。 食器が少ないと言うと、余っているコップを下さった。 なんでも、スーパーでおまけでもらった品らしい。
夕方、夫の帰宅時間に研究所に散歩に行ってみた。 夫はたまたま違うルートで帰ったようで、会わずに帰宅。 早めに食事、衣の入浴を済ませ、夫は8時半から研究所内での ジャズのライブに出かける。 今晩は私と衣は留守番である。 今度クラシックの演奏会の時には、逆に夫に留守番を頼んで、 私が行く事になっている。 「持ちつ持たれつ」の法則である。
衣は早くに寝てしまい、ゆっくりとメールを書いたり、日記を書いたり、 読書をしたり、テレビを見たりして時間を過ごす。
明日は、初めてレンタカーを借りてみる予定だ。 楽しみである。
午後にウェンディーさんから電話がある。 3時半に研究所内で待ち合わせ、 彼女の4歳の娘さんアビバちゃんを保育園に迎えに行く。 保育園は、研究所内の職員の宿舎がかたまってあるところにある。 小さな庭の奥に建物があり、 中に入ると子供たちが5人くらいと保母さんが2人いる。 アビバちゃんはご機嫌ななめで入り口の所に座り込んでいる。 帰りの道中ずっとだだをこねている。 ウェンディーがしきりに説得をしているのだが、 不意の来客(我々)も気に入らなかったらしい。
家に着いて、おやつを食べているうちに段々ご機嫌が良くなってきて、 衣にお気に入りのお菓子を2つもくれたり、抱っこしてみたりと 普段の彼女に戻った。 あとは、彼女はずっと機嫌良くコンピューターで遊んでいる。
私とウェンディーさんはスイカ、ケーキ、ベルギーチョコ、お茶と沢山の おやつを食べながら色々とおしゃべりをして楽しい一時を過ごす。 彼女はフルートを専門的に演奏した人なので、家にもオーディオセットがあったり、 ご主人は理論化学の研究者なので、コンピューターやプリンターがあったり、 日本関係やその他の本が沢山あったり、電子ピアノがあったり、私にとっては とても居心地の良い好感の持てる住まいだ。 彼女は4歳のお母さんにしてはだいぶ年が上らしく、多分40歳そこそこだと 思う。 そのようなこともあってか、子持ちでも落ち着いた雰囲気の家に住んでいる。
たっぷりとおしゃべりをして、アビバちゃんのご機嫌も良くなり、逆に 衣の機嫌が悪くなり始めた頃、散歩を兼ねて我が家のある宿舎まで 皆で歩いてきた。 その足で、彼女たちは3階の日本人家族の家に遊びに行った。 やはり子供連れの外国生活は、 このように子供を通じた交流があるので楽しい。
彼女とはこれから色々一緒にできそうで楽しみだ。 音楽会、映画、観劇なんかも一緒にできそうだ。 勿論、ご主人達がその間はベビーシッターです!
昨日は張りきって社交をして少しくたびれたので、今日はゆっくりと家で過ごす。 夕方に、衣を連れて宿舎の前の芝生に出ると、丁度皆が帰ってくるところだった。 「あー、帰っちゃうんですかー?」 と言うと、 「夕食の時間なので。いつも大体4時〜6時くらいに、 ここか公園で遊んでいるのよ。」と教えてくれた。 昨日の集まりに出たので、顔見知りのお母さんたちばかりで話しやすい。
2階のカナダ人は3人目を妊娠中で、9月が予定日で7月に帰国するということだ。 落ち着いた雰囲気の、とても感じの良い人なので残念だ。 2人子供のお母さんのドイツ人とは、子供達の寝る時間のことについて話した。 衣が夜型で困っていると言うと、彼女の娘さんも小さいときは随分遅くまで起きていて 困ったそうだが、今はちゃんと早くに寝る様になったと言って励ましてくれた。 彼女も気さくで話しやすい。
皆帰ってしまったので、仕方なく衣と2人で30分くらい遊ぶ。 6時半になると涼しく感じる。 数日前の暑さはやはり異常なのだ。
帰宅すると、夫より今から帰るとの電話があり、 散歩がてら迎えに行く事にする。 物理の建物の前辺りで夫と合流する。 衣は夫の姿を見つけると、手を振って嬉しそうにする。 芝生に少し座り、涼しくなったので帰る。
今晩の11時から朝方の4時まで断水なので、バケツやたらい、 鍋、そして一応浴槽にもたっぷりと水を汲む。 10時56分に最後のトイレに行って休む。
10時から奥さん達の集まりがある。 今週は我が家の上の部屋なので、暑い中を遠くまで歩いて行く必要がなく助かる。 会場となる家の住人は、奥さんはカナダ人、ご主人はフランス人の敬虔な ユダヤ教徒である。
10時過ぎに衣と行くと、まだ人が余り集まっていなく2番だった。 もう一人の人はニュージーランドからの人で、11ヶ月の女の子と一緒だ。 ご主人は夫と同じセクションで働いている。 居間を開放して、部屋の隅に置かれたテーブルにはきれいなクロスが敷かれ、 見事にセッティングされている。 スティックサラダとディップ、クラッカー、ホームメードのケーキ、パン、 クロワッサン、チーズとトマトのサラダ、スイカとメロンの盛り合わせ、お菓子、 お湯と紅茶・コーヒー、あとは冷たい飲み物(コーラ・ジュース・水・ソーダ)が ボトルごと置いてある。 食器類は紙コップや紙皿を使用。
次々に参加者は増え、最終的には13人くらいになる。 13人といっても大人が13人なのである。 それぞれが殆ど子供連れなので、まるで幼稚園のようである。 今の時期はたまたま小さな赤ちゃんが多く、衣くらいの子が殆どだった。 国籍もまちまちで、フランス人、インド人、ドイツ人、中国人、ロシア人、アメリカ人 そして日本人の我々といった感じである。 私は今回が初めてだったのだが、特に紹介されることはなく、全て自力で自己紹介しあって知り合いを作っていく方式である。 エドナさんが皆の中をまわって話し掛けたり、もう皆と話したかと尋ねたりと さりげなく気を遣っている。
2時間の間に全員と話すことができた。 とにかく小さな子供達がいっぱいなので、賑やかで楽しい。 子育ての相談などもできて丁度良い。 エドナを中心に、各部屋にカーテンをつけるとしたらどのような物が良いかなど 話し合ったりもする。 ウェンディーさんが、日本のすだれの良さをエドナに説明する。 昨晩お湯が出なかったが他の家はどうだったのか、とか、オーブンの使い方など 聞くことができた。
衣もたっぷりと遊び、私も久しぶりに脳みそを使った2時間だった。 今日のホスト役の彼女にお礼を言って帰ってくる。 あー楽しかった! 次回からは、火曜日の夕方5時から庭で行うことになる。 ご主人達も参加しても良いらしい。 次回が楽しみだ。
昼食後、3時過ぎに3階の日本人の奥さんから電話がかかってくる。 エアコンについての質問だったが、おしゃべりに行く事にする。 子供達もそれぞれ小学校、幼稚園から帰宅していて3人共在宅。 沢山のおもちゃを出して下さり、衣は大喜び。 先日の会食の時は、お互いにゆっくりと話せなかったので、 色々とおしゃべりをする。
しばらくすると、7歳の長男の友達が次々に遊びに来て、 気がつくと家の中で大騒ぎになっている。 しまいには、ウェンディーさんも4歳の女の子を連れてやってきて まさに託児所状態になる。 しかし、毎日こんな感じらしい。 やはり3人子供がいると、その友達も増えるのでかなり賑やかな暮し になるようだ。 私は、もっぱら3歳の男の子のお相手で、機関車トーマスの絵を画用紙に沢山 描いてあげた。 衣はその上をどかどか歩いたり、色鉛筆の箱をひっくり返しては また戻したりと、はっきり言って「じゃま」なのだが、 彼女は彼女なりのペースで遊んでいる。
この3歳の男の子はやさしい性格らしく、乱暴な 男の子っぽい遊びの輪には入らず、私にぺったりとくっついて お絵描きをして遊んでいる。 面白いと思ったのは、衣は自分よりも 小さいので、衣に対しては「だめー」といってみたり、 ちょっと意地悪をしてみたりと、普段お兄ちゃんにやられっぱなしの彼も 衣を相手に頑張っているのだ。 彼にとってもようやく子分ができたという感じなのだろう。
6時くらいに、お腹が空いて不機嫌になりつつある衣を抱えて 失礼してきた。 はー、今日は沢山社交をしたわー。
夫の方は、引越して来て初めてテルアビブに行ってきた。 暑いので、電車の駅まで歩いて行くのは難儀なので研究所前から、 テルアビブ大学の門まで直通のバスで行ったそうだ。 今日のニューズは、アンデルマンがこの夏に、 24日間兵役に行かなければならない ということが急に決まったということ。 夏の予定が狂ってしまい、ショックを受けているらしい。 この兵役は、10代の時の3年間の兵役とは別のもので、その後にこうして 短期間の勤めとしてまわってくるものである。
昨日と同様に暑い。
日中、床で遊ばせるようになってから、衣の朝はゆっくりになった。 衣が寝ている間に朝食ができた!
午前中に洗濯をする。 廊下で、ビジティングサイエンティストの係りのエドナさんに会う。 彼女とは電話で何回か話したことはあるが、直接会うのは初めてだ。 50代後半くらいの気さくな女性だ。 誰に聞いても彼女の評判が良いように、確かに気配りが細やかで感じの良い人である。 今日も、何か困った事はないか、子供は大丈夫か、 ご主人は大丈夫かと聞いてくれた。
衣は1日中床で遊ぶ。 たらいにブロックを入れたり出したり、引出しを開けたり閉めたり、 ブロックをソファーに並べて喜んだり、色々な遊びを楽しんでいる。 ベッドに入れている時よりも、衣を監視していなくてはならないので、私の 自由は少しなくなるが、伸び伸びと遊んでくれた方が欲求不満もたまらないようで こっちも楽な点もある。
午後は衣がダンボールから出して床に散らばった日本食を、 台所の棚にしまうのを手伝ってもらった。 一つ一つ持ってきて、棚にしまうという作業の繰り返しを楽しんだ。 洗濯物も、たらいの中から一つ一つ出しては渡してくれる。 こういう単純作業の家事は、彼女にとって遊びの一つになり、私も彼女の 相手をしながら家事ができるので2人にとって好都合である。
夕方、涼しくなってから(というのは6時くらいのこと)、 宿舎の前の芝生の庭で遊ぶ。 買い物をして帰った夫も途中から加わり、夕涼み?を3人で楽しむ。 庭では小学生くらいの男の子達がサッカーをしている。 この国ではサッカーが盛んなようだ。 テレビでもサッカー中継が一番多い。
夕食は、昨日の中華料理の残りで済んでしまう。 それでも余るほどの量だ。
今晩は、何故かお湯がぬるく、初めは使えずにしばらくしてから使うことになった。 何件かが同時に使っているからかなのか、何か問題があるのかはまだ不明だ。 明日まで様子をみることにする。 明日の奥さん達のミーティングの時に、聞いてみよう。
今日も暑い。
お昼の仕度をしていると、ウェンディーさんから電話がある。 暑中お見舞いの電話である。 「好村さんはこの暑さは初めてなので、 どうしていらしゃるかと思って電話しました。」 なんでも、この熱風はアフリカからの風らしい。 どうりで暑い訳だ。 とにかく暑いので、日中は決して外に出かけようなんて思わずに、 家の中で過ごすようにとの忠告をわざわざしてくれたのだ。 3連休だったが、余りの暑さに1歩も外に出ないで家の中でパソコンをしたり、 テレビを見たり、読書をして過ごしていたわけだが、 「そうそう、それで良いのです。」 と言われた。 それにしても、彼女の心遣いの細やかさには脱帽である。
テレビの「世界の天気」で、テルアビブ36度とあった。 うひゃー!
夜は延ばし延ばしになっていた、研究所の日本人での会食がようやく実現した。 参加者は3階の日本人のお医者さんの家族、 ポスドクの男性と我々の家族の計9人、 大人5人、子供4人だ。 本来はもう一人研究者が居るのだが、今回は連絡がつかずに欠席だった。 皆で町の中心にある中華料理店に行くことにした。 そういえば、この店の前を昨日の散歩の時に偶然通ったな。 レホボトにはこの店を入れて2件の中華料理店がある。 もう1軒は研究所の正門前にある。
イスラエルでの初めての中華料理だったが、なかなか美味しかったと思う。 お医者さんのところには、上から7・5・3歳と3人の子供たちがいる。 3人共元気一杯で、素直で性格の良さそうな子供たちだ。 ご両親が共に、大らかで人が良さそうな方たちなのでそうなるのだろう。 イスラエル生活の先輩達に、レホボトでの生活のノウハウなどを伝授してもらう。
7月8月はとにかく暑いそうだ。 昨年は、イスラエルとしても記録的な暑さだったらしく、 余りの暑さに宿舎の住民が運動を起こして、 各部屋にエアコンを設置してもらったらしい。 エアコン設置後に到着した我々はラッキーである。
食事が沢山残ったので、持ちかえり用に詰めてもらう。 皆、遠慮しているのか持ちかえらないので、我が家が全て戴いてきてしまう。 明日は夕食を作らなくても良い。
衣は昼間、たっぷり遊んだので入浴後、すぐに寝入る。 やれやれ。
シャブオットで休日。
珍しく一日中、うっすらと雲がかかりとても暑い日だった。 気温が高く、温かい風が吹くので乾燥して手ががさがさになったり、 台所の台拭きがからからに乾く。 意識して水分を多めにとるようにする。
イスラエルに来た当初は、衣を床で遊ばせるのは日本の感覚からすると、 汚くて抵抗があった。 しかし、こちらの人達は全く気にせず遊ばせているのを見て、 そして、何よりも衣の欲求不満がたまりにたまってきたので、最近は 自由に床で遊ばせている。 さっきまで「あーあー」言って私を困らせていた衣が、 とたんにニコニコして、生き生きと床を動き回り満足げに私の 顔を見上げる。
夕方、町の中心の方まで散歩をしてみる。 30〜40分歩いて中心の市場やショッピングセンターがある辺りにたどり着く。 この町は起伏が激しく、かなりのアップダウンがある。 休日なので、町には殆ど人がいなく静かな散歩となった。 大きな道には、ことごとく両岸に大きな木が植わり立派な並木道になっている。 日差しの強いこの国では、うっそうと茂った並木は涼を与えるオアシスとなる。
メイン通りのヘルツェル通り沿いに帰ってきたが、気のせいか靴屋が多いと思う。 飲食店は意外に少なく、洋品店、貴金属店、靴屋などが多い。 勿論、今日はどの店も閉まっている。 唯一開いているのは、2〜3軒のカフェと雑貨屋だけだ。
研究所の正門を通って敷地内に入る。 今までは余り気がつかなかったが、こうして町の雑踏から研究所に 入ると、いかにここの環境が特別であるかを実感する。 町の方は、ほこりにまみれた新旧の住居が建ち並び、 人々の生活が雑然と存在し、その間を車が落ち葉やほこりを 巻き上げながら勢い良く走っている。 それに対して、研究所内は楽園の様に平和で、木々の緑と花々の赤・黄色で 豊かに潤っている。 この町の人々が、公園代わりにここに散歩に来る訳が良く分かった。
今日の乾燥した風のせいで、昼間に掃除をした床はもう既に砂っぽい。 きっと、このほこりっぽさ、砂っぽさがこの国の特徴なのだろう。
半休日。
午前中に洗濯機を2つ同時に回す。 昨日洗濯をするつもりだったが、停電の為できずに今日に残した。 管理人のヨセフさんに会い、挨拶をする。 彼はヘブライ語オンリーなのだが、到着当時に洗濯機の説明や、彼の名前のことなど 親しげに話してくれ、しばらく彼は英語で話しているという錯覚をしていた。 しかし、洗濯機のコインを何処で買えるのかと聞く段階になって初めて、 彼はヘブライ語で話し、私は英語で話していたことに気が付く。 つまり、彼は愛想が良いのですっかり話が通じているつもりになっていたのだ。 実際、手振り身振りと限られた単語で通じる内容だったのだが…。
2台の洗濯機の中身をいっぺんに乾燥機に入れ、シーツとデニムのジャンパースカートは洗濯干しの針金に吊るす。 針金がかなり高い位置に張ってあるので、そこに洗濯物を干すのは、 身長156cmの私にとっては至難の技である。 シーツを針金目掛けて投げ、背伸びして引っかかった端をつかみシーツを広げる。 外国人は背が高いのねーと実感するひととき。
昨日のスーパーで買ってきた菓子パンを食べてみる。 しっとりとしたパイ生地でパンのようだ。 中身は少しすっぱい白い物なので、ヨーグルトかな? そして、1個につき1粒の緑色の干しブドウみたいな物が入っている。 12個で360円という安さに感激して、夫が買ったのである。
夕方に、研究所内を散歩する。 衣を芝生で遊ばせる。 彼女は、新しい環境に慣れるのに時間のかかる。 今日も最初はどっかりと芝生に座って辺りを観察し、しばらくすると 立ち上がり、周りをキョロキョロして空に向かって指をさしたり、 段々声も出るようになる。 そして30分位すると、ようやく動き出すというのんびりとしたペースだ。 最後にはベビーカーを我々の所に引っ張ってきて、芝生に落ちた帽子を 拾って持ってきてくれた。 近くのベンチには、子供連れのロシア人が7〜8人夕涼みをしていた。
帰りは研究所の正門から外に出て、町の中心の道ヘルツェル通りを歩いて帰る。 正門の前には中華料理屋があり、持ちかえりのサービスもあるようだ。 いつか利用してみても良いと思う。 このレストランは、半休日の今日も営業していた。 テルアビブでは、金曜日や土曜日でも営業しているレストランが 沢山あったが、ここレホボトでは都会のテルアビブとは違い、 休日の営業はもう少し厳しいそうだ。
乾季に入りつつある今の季節、イスラエルは殆ど毎日快晴なので、夜空もきれいだ。 今は、細い細い三日月が白く光る。 ヤッフォの海辺で見た星空は格別にきれいだった。
昨晩、入浴時に衣の散髪をした。 驚かれるかもしれないが、彼女が生まれて初めての散髪だ。 といっても、最近目だって伸びてきた前髪を切り揃えただけなのだが…。 髪をすすぎ、タオルで拭いて櫛でとかしたらナント… おかしな顔になってしまった! もともと3枚目のキャラクターの子だが、散髪後は親でさえ、 思わず吹き出してしまうひょうきん顔になってしまった。 まあ、家庭が明るくなって良いのだが…。
髪を切ったら、とたんに子供らしくなった気がする。 赤ちゃんの表情から子供の表情に変わった。
昼は今日も夫と待ち合わせをして、研究所内の食堂で昼食を共にした。 というのも、今日は宿舎全体がメンテナンスのため、朝の7時から夜の8時まで 完全に停電しているのだ。 照明もつかない、ガスレンジの着火スイッチも作動しない、一番困るのは冷蔵庫も 冷えなくなってしまうことだ。 数日前の張り紙を見た日から、計画的に食事をして冷凍庫の中身は殆ど空にしたので 被害は無い。 フィリピンで暮した経験のある友人が、停電の多いフィリピンでの生活の知恵を 以前に教えてくれていたのでそれが役立った。 停電だけではなく、色々なメンテナンスも同時にやっているらしく、 古くてがたがきている椅子も新品できれいな布張りの椅子に交換してくれた。
今日の昼食は、肉を食べさせるサン・マルチンという食堂にする。 混んでいるのを覚悟して行ったのだが、予想外に空いている。 ご飯と煮野菜、それにチキンを頼む。 食後にフルーツサラダを買う。 肉で重たい食事かと思っていたが、控えめに注文したこともあってか2人共 食べ過ぎることなく満足した。 食堂も、広々として開放感がある。 隣のテーブルには中国人が数人集まって食事をしている。 一人の女性と目が合ったが、きれいな微笑を返してくれた。 そういえば、こちらに来てから目が合って笑みを返してきたのは彼女が初めてだ。 この点は英国とだいぶ違う。
夜、ドイツ人のウーリックが車で買い物に連れて行ってくれる。 我々は行ったことのない、町の北にあるスーパーだ。 驚いた事にこのスーパーは倉庫のような建物の中に、衣料、電気製品、日曜雑貨、 食器、台所用品、食品、おもちゃなどがそれぞれ豊富に並んでいるのだ。 こんなに大きく、品物が豊富な店は今までに見た事がない。
それぞれの買い物を済ませて20分で彼と合流する予定だったが、 結局30分弱かかってしまう。 シャブオットの前なので買い物客でごったがえしている。 パン売り場の前では、大きなカートを押す人々が渋滞を作っている。 どの人のカートも買い物で溢れんばかりだ。 どの食品も豊富で、この短時間の買い物ではとても 品定めすることはできない。 その割には、しこたま買い込んだ。
夜に停電が終り、メールのチェックをすると、 メールが9通も届いていた。 昨日はプロバイダーの都合でメールが使えなかったことも あるのだが、こんなに沢山のメールを受け取るのは初めてだ。 中には、全く見ず知らずの人からのメールもある。 この日記を読んで、メールを下さったのである。 公表しているのだから当然の事なのだが、 実際にこうしたメールを受信すると、嬉しいのと同時に緊張する。
お昼に、研究所内のホールで行われるランチタイムコンサートに行く。 張りきって衣と出かけるが、子供連れは入場禁止と言われてしまい すごすごと出てくる。 夫と待ち合わせをしていたので夫に事情を説明し、代わりに昼食を 一緒にとる事にする。
なんとなく、ホームコンサートのような気軽なコンサートを勝手に想像していたが、 すっかりクラシック界の厳粛なしきたりを忘れていた。 そういえば日本でも、コンサート中に咳ばらいすると睨まれ、 プログラムをカサカサいわせただけで睨まれ、 プログラムを不覚にも床に滑り落とそうものなら犯罪者のような目で見られる。 衣の誕生後の音楽鑑賞は、お気楽なジャズやアフリカンドラム、クラシックにしても 子供同伴で聴く事のできる「親子室」がいつもあったので、うっかりしていた。
夫と、「そうだよねー、良く考えてみれば、だめに決まってるよねー。」 と言いながらコンサートホールの向かいの建物に移動する。 1階にカフェがあるのでそこで昼食を食べる事にする。 サンドイッチとサラダだけの簡単なメニューだ。 どれにしようかと、係りの人に挟んである物の説明をしてもらっていると、 後ろから、ウェンディーさんに声をかけられた。 彼女も友人と一緒に昼食を食べに来たらしい。 夫を紹介する。
今週末はシャブオットという休日があるので、店などがいつもと違う営業時間になる。 気になっていたのだが、彼女がカフェの人に詳しく聞いてくれた。 彼女は良く気が付く人だ。 水曜日は平常通り、木曜日が半日、金曜日は完全に休日になるそうだ。 つまり、普段の週末より1日早く休日に入ることになる。 木曜日から数えて3連休だ。
結局、サーモンサンドと卵サンドにコーヒーを注文する。 こちらのサンドイッチは、食パンのサンドイッチではなく、 フランスパンのような固いパンか、木の実などが沢山入った どっしりとしたパンに具が挟まっているのでかなりボリュームがある。 ここのカフェは、明るく清潔で広々として気持ちが良い。
この建物の2階は総合図書館だが、1階はビジター用の施設になっていて、 お土産コーナーや、ワイツマン研究所のビデオを見せる部屋などもある。 今日も丁度バスでやって来た観光客の団体が、ビデオを見ている最中だった。 お土産コーナーには、研究所のロゴの入った絵葉書、マグ、トレーナー、ペン、 かばんなどが売っている。 絵葉書を買おうと思ったが、運悪く係りの人が不在で、 レジに居たのは臨時の留守番だったので今日は買う事ができなかった。 そのうち又、寄ってみれば良い。
夫と別れ、衣と帰宅。 暑かったので2人で水分補給をし、衣はぐっすりと昼寝をする。 おかげで、自由な時間がたっぷりとできた。 最近、ウォルター・ワンゲリン著、仲村明子訳『小説「聖書」』(徳間書店) という本を読んでいる。 とても面白く熱中してしまう。 翻訳本なのだが訳者の技量が高く、大変に読みやすい。 原作の著者の文章力も素晴らしいのだろうが、訳者の日本語が 優れていると思う。 翻訳をするためには、外国語の能力や内容のバックグラウンドの知識が 大切だが、それと同様にもしくはそれ以上に、 豊かな日本語を使いこなせることが必須だと大学時代に教わった。 その良い例に出会ったような気がする。
キリスト教系の学校で教育を受けた割には、旧約聖書の知識は無に等しい 私にとって、大変勉強になるだけではなく、聖書の現場に今現在自分が居ると 思うと、なんとも言えない親しみと興味をもって読むことができる。
以前、デンマークの田舎で暮していた母が、 「北欧の冬は暗くて寒くて何もする事ができないので、 おかげで読書が沢山できた。」 と言っていたのを思い出した。 外国での生活は日本での日常の雑事や雑念から開放され、気分的にも余裕ができて 読書をじっくりとできる。
選挙の日。
研究所はお休み。 研究所内の図書館やレストランも今日は閉まっている。 この日の為に買ったとも言えるテレビを朝からつける。 日本と同じように、ろくぼくのある学校の体育館などが投票場に使われている。 ネタニアフとバラクの2人の候補者が、 それぞれ奥さんと一緒に投票する様子が報じられる。 投票箱に投票用紙を半分差し込んだままで、ニコッとするお決まりのポーズだ。
夕方研究所に散歩に行くと、中国人のグループが芝生でバレーボールをしている。 彼らは休日になると決まった芝生で熱心にバレーボールを楽しんでいる。 中国人の留学生や研究者がけっこう居るようだ。 2人の女の子を連れた中国人の女性が中国語で話し掛けてくる。 少しおしゃべりをして別れる。
彼らの試合を眺めながら衣を芝生で遊ばせていると、 ドイツ人のウーリックがやってきた。 彼は、昨日遊びに来てくれたデービッドのお父さんで、 プールで泳いできた帰りだと言う。 研究所内にはレクリエーションセンターがあり、プール、サウナ、ジム、 卓球、バスケットボール、テニスなどができる施設がある。 ウーリックの話だと、この施設は研究所の所有ではないので会員になる 必要があるそうだ。 入会金が少し高いらしいが、他に娯楽施設がないレホボトの生活では 会員になるのも悪くないねと夫と話す。
ウーリックは夫としばらく研究の話をしてから、今晩 我が家に選挙のテレビを見に行っても良いかと聞いてきた。 彼の家には昨日の日記にも書いたように、奥さん(ガールフレンド) の方針でテレビはないのだ。 選挙の特別番組は9時半頃から始まるようなので、 その頃来ることになった。
お風呂(シャワー)と夕食をさっさと済ませ、私は衣を寝かせる努力をした。 10時前にウーリックがやって来た。 3人でテレビの前に座り、現地のチャンネル、CNN、 BBCなどを交互に見る。 ヘブライ語の番組は内容ははっきりとは分からないが、映像は豊富なので、 視覚に訴えるものがある。
日本でもニュースになったと思うが、結局バラクが圧勝した。 公式の開票結果が出る前に、ネタニアフ首相が敗北のスピーチをした。 ヘブライ語だったので、これこそ内容ははっきりとは分からなかったが、 彼があることを言った瞬間に、支持者達が頭を抱えて嘆き悲しむ様子が 映ったので、ウーリックと「きっと辞任だね」と予想した。 選挙期間中は他の党の政見放送で、ボロクソに言われていた悪役ネタニアフ なのだが、今日のスピーチでは強靭なイメージの彼の目も潤み、 自身の弱さを知った人特有の表情をしていて少し好感が持てた。 なんて、大きな声では言えないけれども…。
一方、バラク支持の人々は若者を中心にテルアビブのラビン広場に集まり、 その熱狂的な様子がどの局でも流された。 バラクは、故ラビンの党である労働党ということで、ラビンの大きなポスターを 掲げた人々も映っている。 当事者のバラクは夜中の1時・2時にラビン広場に到着予定らしく、残念ながら 彼の勝利スピーチをライブで聞くのは諦めて寝床についた。
自国の首相を国民の選挙で直接選べるシステムというのは、 なかなかエキサイティングで面白いと思った。 又、今日は世界中の報道がイスラエルに注目している様子が手に取るように分かり、 イスラエルだけではなく、ある意味では世界にとって大事な瞬間を 「その土地」で「見た」ことに満足した。
朝から上の部屋のエアコンの工事で、「ガーガ―、ドドドドッ、グリグリ、ビュルーン」とドリルやその他諸々の電気器具の音が機関銃のように鳴り響いている。 その喧騒の中で、衣は2時間程昼寝をした。 すごい度胸だと感心してしまう。
昼は夫と待ち合わせ、研究所の中のレストランで昼食を一緒にする。 丁度昼時なので日差しが強く、 パールマンの建物にたどり着くまでに汗をかいてしまった。 チャーリーズ・プレイスという名前のレストランで、研究所内の幾つかある レストランの中でも魚を食べさせる所だ。 1時だったが建物の外まで列ができていた。 入り口に夫の研究仲間の家族がいたので、一緒に食事をすることにする。 彼らはドイツ人の家族で、来月1歳になる男の子がいる。
魚のムニエルとサフランご飯・野菜の付け合わせ、それと、肉無しのラザニア(ホワイトソース・パスタ・マッシュルーム)と野菜の付け合わせ、サラダを頼んで30シェケル (1000円くらい)だ。 2人で1000円の昼食なので、高くもなくとびきり安くもなく手ごろな値段だろう。 お味は悪くはなく、ボリュームはたっぷりだ。 今日は庭のテーブルのパラソルの下で食べた。
食後は男性陣は仕事に戻り、奥さん(正確にはガールフレンド)のステファ二と 赤ちゃんのデービッドと一緒に帰ってきた。 隣の宿舎に住む彼女に、午後にでも遊びにいらっしゃいと誘う。 ただし、隣と言っても数百メートルは離れている。
夕方5時過ぎにステファにとデービッドが遊びに来る。 最初は固まっていた衣も、じきに活発なデービッドと 一緒に床を這いずり回って元気良く遊ぶ。 衣はかなり元気な子供だと思っていたが、やはり男の子は 動きが機敏で力強い。 少しは衣が女の子らしく見えた。
ステファ二は子育てをしながらPhDの論文を書いている。 週の2〜3日は午前中にベビーシッターを頼み、研究所の図書館で 勉強をして、昼にご主人(正確にはボーイフレンド)と、ベビーシッターが 連れてきた子供と合流して昼食を研究所でするというのが慣習らしい。 この夏までには仕上げたいと言っていた。 偉いなー。
明日は選挙だが、5人いた候補者のうち3人が辞退してついに、 ネタニアフとバラクの2人になる。 明日で決まらないと、6月1日にもう1回選挙が予定されているが、 こうなるとバラクが一発で勝つかもしれない。 ヘブライ語のニュースは選挙のニュースばかりである。 字幕が欲しい! 辞退した候補者の記者会見が次々に行われている。
明日は休日のような一日になるようだ。 研究所も閉まる。
イスラエルに来て、記録的な寝坊。 日本での休日のような、ゆっくりとした午前中を過ごす。
洗濯機を2つ同時に回して、衣類とシーツ類の洗濯をする。 衣類は乾燥機で乾かし、シーツは外の共同洗濯干しの針金に干す。 毎日天気が良いので、日本に居るときのように 「今日は洗濯できるかなー」と空を仰ぐ必要がない。
洗濯機を回している間に、掃除をする。 掃除の話はしただろうか。 まず、ブラシとちりとりを持って家中をざっと掃く。 そんなにごみはないのであっという間に終る。 そのあと洗濯桶(バケツがない)に水を汲み、雑巾を絞り、 モップような長い柄の付いた水きりの先に雑巾を巻きつけ、 それで床を拭くのである。 なんとも簡単な掃除方法である。 最初の日は、水きりに雑巾をいちいち結んでやっていたが、夫が「こちらの人は ただ巻きつけていただけだよ」と言うので、 半信半疑で次の時から巻きつけるだけで試したら、大変に上手くできた。 最初の日は、「うへ〜」と思った掃除だが、 今は鼻歌交じりにスイスイである。 こんなに簡単で良いのかしらー? と人生、得した気分だ。 またまた、「損だの得だの」は禁物なのに…。
昨日買ってきたテフロン加工のフライパンで、昼はチャーハンを作る。 さすがテフロンだ。 とてもきれいにできた。 このフライパンと、夫が買ってきてくれた立派なお玉じゃくしは、 何があっても日本に持って帰ることにしよう。 料理好きの主婦にとっては、どちらも宝物だ。
午後、静かに過ごしていると、お隣から例のバイオリンの音色が聞こえてくる。 どうやら、お父さんが熱心に子供に教えているようだ。 お父さんの大きな声や、「ふにゃ〜ふにゃ〜」という頼りないバイオリンの音などが 聞こえてくる。 今日のお父さんは、けっこう短気になっていて声の調子がいつもより厳しい。 お父さんの大きな声に対抗して、 子供のバイオリンは怒ったようにトゲのある音を出す。 私も小さい頃バイオリンを習っていたので、壁の向こうの情景がありありと 想像できて可笑しい。 青筋たてて必死のお父さん、口をとんがらかしてふてくされた子供…。
夕方は3人で研究所内を散歩する。 緑が多くて、何処を歩いても気持ちが良い。 休日の夕方ということもあってか、散歩をしている人がとても多い。 家族3人でこのように恵まれた環境で、 気持ちの良い散歩ができるのは幸せだと思う。 この恵まれた日々を共に過ごすという経験は、 我々家族にとって、これからの長い生活の活力となると思う。
ヨム・シシーン(第6の日)。
今日から「エルサレム・ポスト」の金曜版が配達されるはずで楽しみにしていたが、 午前中に来なかったので電話をして催促をした。 午後におばさんが、わざわざチャイムを鳴らして届けてくれた。 予想通り、新聞は月曜日の選挙関係の記事が盛り沢山である。 週末にかけてゆっくりと読もう。 1面には、現首相のネタニアフの再選が危ういという記事が載っていた。
午前中にバスに乗って、市の中心のショッピングセンターに行ってみた。 バスは30〜40分に1本という「ちょーローカル線」だ。 バスに乗ってしまえば、バスセンターまでは7〜8分で着いてしまう。
バスセンターが2階建てのショッピングセンターになっていて、衣料品屋、スーパー、 本屋、靴屋、眼鏡屋、電気屋、写真屋、お菓子屋、ファーストフード、カフェなどなど 何でも揃いそうである。 今日はスーパーで沢山買い物をして、初めて配達をしてもらうことにした。 こちらのスーパーでは、ある程度の買い物をすると、有料で家まで配達をしてくれる サービスがある。 水や米などの重いものや、トイレットペーペーや紙オムツなど のかさばる物を重点的に買い込んだ。 美味しそうなパンや菓子パン、干し杏なども買ってみた。
レジで英語の通じそうな若い人を探したが、皆おばさんだった。 仕方ないので、比較的感じが良さそうなおばさんのレジに並んだ。 英語で話すが通じなく、あらかじめ聞いておいた「配達」という単語 「ミシュロハ」と言ってみるがまだ通じない。 気長に話し続けていたらようやく「あー #%*$& !」と分かってもらえたようだ。早速、準備しておいた住所を書いた紙を見せる。 大丈夫! おばさんが赤いプラスチックの箱を3個持ってきてくれ、レジを済ませた 品物をその箱に入れていく。 会計をカードで済ませ、配達用の用紙に住所を書いてもらう。 ヘブライ語で書かなくてはいけないので、さっきの紙を参考に彼女に書いてもらう。 何時頃届けてもらえるかと聞くと(英語が通じないので、腕時計を指差しただけ) 1時(指1本)〜2時(指2本)ということらしい。 「トダー」(ありがとう) やれやれ、初めての配達もどうやら上手くいきそうである。
急いで衣の帽子とフライパンを買って、バスに乗って帰宅。 昼食を食べ終わった頃に(2時半頃)「ビー」(玄関ベルの音)。 配達が届いた。 たくましいお兄さんが、ずかずかと家の中に入ってきて、おもむろに リビングにさっきの赤い箱を置き、床に全ての買い物をパッパカパッパカ置いて 帰って行った。 彼の帰った後には、ピーマン、蜂蜜、杏、 ズッキーニ、水なんかが床にごろごろしていた。 なんだかおかしくて、夫と笑いながら床に散在した野菜などを台所に運んだ。
おやつに今日買った菓子パンを食べた。 カスタードクリームが入ったロールパイのような感じで美味しかった。 夫曰く、こちらの菓子パンはドイツに比べて美味しいそうだ。 そうそう、夫はこちらのムースのようなお菓子がお気に入りである。 1個60円という安さに半分感動し、あとの半分はその美味しさに感動しているらしい。カスタード、イチゴ、チョコ、コーヒーと既に4種類の味を試食してみた。 夫はカスタード、私はチョコがお気に入り。
午前中、父親に遅くなった誕生日カードを書いていたら、 ウェンディーさんから電話があった。 散歩の誘いだった。 ちょうど衣も、家の中だけでの生活に飽き飽きしていたので 喜んでオーケーした。
衣にとっては久しぶりの散歩なので短時間にすることにして とりあえず、彼女にワイツマン研究所の中を案内してもらった。
我々の住居から出てごみ置き場の裏に、ワイツマンの敷地に入る裏門がある。 鉄の大きな門で、関係者だけに与えられている鍵で開ける。 数十メートルさら地の中の道を歩くと、感じ良く手入れがされた研究所の中に入る。 教授達の住居がそこここにあり、大きな木が覆い茂っている。 彼女のご主人もここのスタッフなので、彼らの住居もこの敷地の中にある。 夫が日頃から言うように、まるで公園のような雰囲気である。
少し歩くと、木陰の中に初代大統領のワイツマンの住居跡が見えてくる。 普段は見学が可能なのだが、今はあいにく修理中で中には入れない。 建物の脇に、ワイツマンと夫人のお墓があった。 墓石には、ワイツマン研究所のロゴマークの木の絵が彫り込まれていた。 このマークの意味をいつか知りたいと思っている。
彼の住居は、メンデルスゾーンという有名な建築家が設計した、建築学的にも 価値のある建物らしく、ワイツマンハウスがデザインされている記念切手が、 今ちょうど出まわっている。 ウェンディーの解説によると、建物は素晴らしかったが彼の夫人が持ってきた 家具は、中流階級のごく庶民的な家具で、せっかくの素敵な建築に 全然マッチしなかったとのことである。
並木道の木陰を少し歩くと、次々に研究所の建物が道沿いに見えてくる。 道端に生えている植物に気をとられているうちに、夫が働いているパールマンという 建物に到着した。 彼女のご主人は理論化学の研究者で、隣の近代的な緑色のガラス張りの建物で 働いているそうだ。 せっかく来たので、建物の入り口だけにでも入ってみる事にした。 階段の真中の吹き抜けに、フーコーの振り子が吊る下がっていた。 振り子は英語でなんというかと尋ねると、pendulum と言うそうだ。 「ペンダントと同じ語源よ」と教えてくれた。 なーる程。 そう言われると覚えやすい。
入り口を脇に入ると、ごちゃごちゃと実験器具や、ダンボールが狭い廊下に 散在している。 壁にはべたべたとポスターやメモが貼りつけられている。 「あー、これを見ると研究所っていう感じがしますねー。」 と言うと、 「そう、外はきれいだけど、中は『現実』ですよ。」 と、彼女も同意してくれた。
そろそろ衣も眠くなってきたようなので、帰ることにした。 入り口の扉を開けながら、彼女は 「イスラエルでは、子供が研究所に居ても全く問題ないんですよ。 この国では子供は大切にされています。なぜなら、子供は将来の担い手 ですからね。」 「アメリカでは、こうはいきません。 子供がちょっとでも声でも出そうものなら、すごい目で睨まれますよ。」 と嘆いていた。
日本でも、職場に子供連れで散歩に行くなんて、ちょっと考えられない光景だ。 ここは、特別の環境だと思うが…。 殆どの研究者は研究所の中、もしくはごく近所に住んでいるし、研究所自体も 一般の市民に公園のように開放しているので、本当に子供連れが沢山遊んでいる。
40〜50分の心地よい散歩で気分転換にもなったのだろう、衣も良く昼寝をした。 私まで不覚にも昼寝をしてしまった。
夕方、夫の帰宅後に買い物に出かけた。 いつものスーパーに行くと、豆腐を見つけた。 最初は、「トウフスプレッド」という怪しげなものを見つけ、試しに買ってみるかと 手に取った。 ふと横を見ると、何種類もの豆腐が並んでいる。 可笑しいのは、ディル(ハーブの一種)入りの豆腐やガーリック入りの豆腐が あることだ。 ふーん、チーズみたいな感覚で食べるのかなー。 私は純日本人なので、混じりっ気のない白い豆腐を買ってみる。
もう1軒の小さな雑貨屋に寄ってみたら、「ジャスミン茶」と日本語の表示が書かれた お茶が売っているではないか。 この所紅茶ばかり飲んでいるので、久しぶりにジャスミン茶が飲みたくなり、早速 買ってみることにする。 そうそう、散歩中にジャスミンの花が満開で 独特な香りが辺りに立ち込めていた。
夕食は先日のトマトソースにソーセージを加え、スパゲッティ―にする。 とーても美味しくできた。 食後にさっき買ったジャスミン茶を飲んでみたが、さっぱりとして美味しい。
こちらでは日曜日に1週間が始まるので、火曜日にして既に週の中日となる。 昨日からパソコンが復帰したので、メールのやり取りが再開した。 毎日の楽しみの日記も更新できるようになり、また楽しいパソコンライフが 戻ってきた。
この数日間、こちらにしては珍しく、雲なんかが青い空に浮かんでいる。 そのせいか多少涼しい日が続いている。 私は殆ど室内で生活しているので長袖のシャツを着て、肌寒い時は ポロカーディガンを羽織っている。 夫は長袖のシャツで出かけている。 レホボトに到着した日は特別に暑かったようだ。 しかし、じきに暑い日々がやってくるのだろう。
こちらに来てからポロカーディガンが大活躍している。 日本を出発する前日に、生協で購入した物だが、黒い木綿の薄地でできている。 4月いっぱいも、出かける時にはいつも持参した。 日陰や夕方には、肌寒くなるのでちょっと羽織るのに最適だ。 薄地なので荷物にもならないし、黒いので日光を吸収して温かい。
今日も一日家で過ごしたが、衣は靴を履いて家の中で歩く練習をした。 先日ウェンディーさんから借りた手押し車で嬉々として遊んだ。 日本から持ってきた絵本をじっくりと見たり、空き箱などで飽きずに 遊ぶ。 飽きて退屈になると、家中に響く大きな声で「あ〜あ〜」言って、 自己主張する。 こちらの家は石のタイルの床張りなので、衣の声がよく響く。 多分彼女にとっては、それも面白いのだと思う。 以前、美術館に連れて行った時にも、音が良く反響する部屋で、 わざと声を出してはエコーを楽しんでしまい困った経験がある。
今晩は、親子どんぶりにした。 これでストックの鶏肉はおしまい。 お米は近くの店で買える事が分かった。 夫が仕事の帰りに、少しずつ水や米を買ってきてくれるので助かる。
衣は今日は早くに休んでくれて助かった。 衣が静かだと、平和な気持ちで寝床につくことができる。
長い間、日記が更新できなくて、愛読者の皆様にはご迷惑をおかけしました。 (果たして、「愛読者」たる方は存在するのでしょうか?) 実は、1週間ほど前から、テルアビブ大学の職員がストライキをしていて、 大学が停電だったのです。(驚くべきことに、現在進行形です) というわけで、パソコンが使用不可能の状態でした。 今日、めでたく、新しい研究所に接続することができたので、又、 こうして日記を書く事ができるようになったという訳です。 又、宜しかったらお付き合い願います。
やはり午前中の奥様の集会(昨日の日記を参照)は欠席して、その間に洗濯をした。 洗濯は、1階の端に洗濯室があり、共同の洗濯機が2台と乾燥機が1台ある。 コイン式で、隣の建物の事務係りからコインを買って、それを1回毎に使う。 コインは1枚3シェケル(90円位)だ。 洗濯機の使い方はいたって簡単で、洗濯物の汚れ具合や品物によって、洗剤洗いの回数 やお湯の温度を変える。 とりあえず「水で1回洗い」という、かなり控えめのボタンを選んだ。 20分くらいで洗濯は終り、今度は乾燥機に入れる。 乾燥機はとてつもなく大きく、人間が3〜4人は入れそうな巨大乾燥機だ。 それが、30分くらい回って90円とは得をした気分になる。 人生、損だの得だのと言ってはいけないのだが…。
午後には、3時きっかりにケーブルテレビの業者がやってきた。 なんとも簡単な手続きであった。 彼が持ってきた、1メートル程のケーブルを壁の穴に差し込み、 テレビのスイッチを入れ、あとは自動的に1チャンネル毎にインストールされるのを じっと待つだけ。 ものの10分程で終ってしまった。 あとは、契約書にサインをしておしまい。
わーい、テレビが見れる! 早速、BBCのニュースを見る。 NATO軍が、ユーゴの中国大使館を誤爆したニュースで持ちきりである。 この数日はパソコンも接続できず、重ねて、衣の発熱騒ぎと引越しとで、ばたばたして 世の中の動きから遠ざかってしまっていたので不安だった。 とりあえずテレビが繋がったので、これで安心だ。 あとは週末の新聞が届けば完璧だ。
一通りニュースを見てから、チャンネルを変えて、ミスター・ビーンズ (英国のコメディー)を見て、一人でげらげら笑ってしまった。 日本では大流行していたが、こちらでも流行っているのかしら。
夕食は、昨日買ってきたトマト缶を使って、チキンカチャトーレ(私の大好物) を作った。 あとは、マッシュポテト、レタスのサラダ。 トマトソースが沢山できたので、明日はスパゲッティ―にしよう!
衣は、1週間ぶりにお風呂に入ってさっぱりとした。 つるつるの顔で、機嫌良く布の絵本で遊んでいる。
午前中に新聞の営業所に電話をして、毎週末、 英字新聞「エルサレム・ポスト」を配達してもらうように頼む。 ケーブルテレビにも電話をして入会の手続きをする。 最初に応対してくれた女性は、大変分かりにくい英語を話し、 四苦八苦したがなんとか話をつけ、夫のクレジットカードの番号を調べて 折り返し電話をするところまで漕ぎつけた。 再度電話をかけると、今度は目の醒めるような完璧な英語を話す女性が 出てきて救われた。 非常にスムースに話はつき、明日の午後に業者が来ることになった。 今後の為に彼女の名前を聞いておいた。 ケーブルテレビは契約に145シェケルかかり、1月の料金は約147シェケルなので、約3000円〜4000円ということになる。 決して安くはないと思うが、ケーブルテレビと契約しないと、 たったの2チャンネルしか見る事ができない。 ヘブライ語が分からない我々にとっては、CNNやBBC等の英語の放送が唯一の 情報源になるので、テレビは絶対的に必要となってくる。
昼前に、ウェンディーさんという人から電話がある。 3階の日本人が紹介してくれた、日本語が堪能なアメリカ人女性だ。 本来ならば今日あたり、買い物に一緒に連れて行ってくれようと思っていたらしいが、 衣が病気なので、とりあえず様子を見に来てくれた訳だ。 確かに日本語がとても上手で、はつらつとした女性だ。 ベルギー人のご主人が研究所で働いていて、4歳のお嬢さんがいるそうだ。 イスラエルには4年前から住んでいて、日本には9年間住んでいたということだ。 成る程、日本語が上手な訳である。 彼女が居た30分間、全て日本語で済んでしまった。 「これから、プールに泳ぎに行きます。」と、元気良く部屋を去っていった。 良い友達になれそうだ。
午後には、「ビジティング・サイエンティスト」の係のエドナから電話があった。 彼女は研究所専属の、海外からの短期・長期滞在の研究者の世話係である。 彼女と、彼女の同僚の仕事振りはさすがに手馴れたもので、実に行き届いている。 全ての事は、彼女がアレンジしてくれ、解決してくれる。
今日の電話の用件は、明日の午前中に研究者の奥さん達の集まりがあるので、 どうぞいらして下さい、というお誘いだった。 顔見知りを作るために行きたいのは山々だが、衣がまだ病み上がりなので、 今回は欠席させてもらうことにした。 この奥様の集まりは2週間に1度の割合で、それぞれの家を順番に会場として 使って開かれているようだ。 ということで、まだまだチャンスは沢山あるので、何も焦る事はない。 今は、一日でも早く衣に元気になってもらわないことには、何も始まらないのである。 衣の健康が第一である。
夕方、夫が帰宅してから、買い物に出かけた。 昨日よりも、店までの距離が短く感じた。 卵、チーズ、パン、りんご、レタス、葱、チョコ、スパゲッティ―、トマト缶、 冷凍グリンピースなどを買った。
夕食は、かき玉汁、ひき肉とピーマンの炒め物、ツナサラダ。 衣も、沢山食べた。 夜、夫が研究所でダウンロードしてきてくれたメールを読んだ。 友人や実母から、数通届いていた。 しばらくはメールが使えないので、葉書でも書くことにしよう。
衣は、だいぶ普通の顔になってきた。 食欲もあり、ばりばりと食べている。
レホボトでの初めての安息日を過ごした。 2階からは不思議な歌声と、それに合わせたかたかたという音が、日中ずーと聞こえた。彼らはユダヤ人らしいので、安息日のお祈りか何かをしているのだろうか。 テルアビブではユダヤ教に触れることは殆どなかったので、わくわくする。 別の話だが、2階からは平日の日中には、バイオリンの様な音(バイオリンとは 確信が持てない、バイオリンにも聞こえるし、 オルガンにも聞こえる)が聞こえてくる。
衣は湿疹が出てきて、いよいよ突発性発疹らしくなる。 お昼過ぎに上階の医者に診てもらい、案の状「突発性発疹でしょう」と言われる。 あとは、静かに家で過ごしていればじきに治ってしまうということだ。 ほっ。
衣は、ようやく心置きなく眠れるという感じですやすやとよく眠る。 この家も、広々として明るく風通しが良いので、昼寝には最適の環境だ。 病後の静養にはうってつけだ。
夫が、バスで市内のバスセンターに偵察に出かける。 昼過ぎに夫が帰宅。 バスセンターは大きなショッピングセンターのようになっていて、 基本的には何でも揃うらしい。 早速、テレビ、CDラジカセ、帽子、サングラス、米、肉などを仕入れて来て くれた。 午後には、テレビとラジカセが配達された。 笑ってしまったのは、ジャズ好きの夫は、ちゃっかりとタワーレコード(CD屋) があることも確認して来たそうだ。 どおりで安心した表情をしている訳だ…。
晩は、昨日のポトフの具でポテトサラダを作り、スープで洋風おじやを作った。 今晩も、皆で美味しく食卓を囲んだ。
衣の熱が完全に下がった。 一日中座薬を使わなくても平熱に戻った。 熱が下がったので、楽になったのか、ようやくまとまった睡眠をとることができる ようになった。 少し、湿疹が出始める。 突発性湿疹の可能性が高くなる。
昨日に比べてとても涼しいので、衣もゆっくりと気持ちよさそうに 昼寝を沢山する。
少しずつ荷物の整理を始める。
夕方夫が帰宅した後に留守番を頼み、買い物に行く。 テルアビブの時よりは、最寄の店が多少遠いが、7〜8分も歩けば、小さな スーパー、文房具屋、薬屋、雑貨屋などがある。 文房具屋でメモ用紙を買い、スーパーで野菜、牛乳、ビール、雑巾、ハム、卵 等を買う。 帰り道は下り坂なので、荷物を持って帰るのには具合が良い。
夕食は、鶏肉のポトフを作った。 お玉じゃくしがないので、スープスプーンで何度もすくった。 ちょっと笑える不便さだ。 お味は最高に美味しかった。 以前も書いたが、こちらの鶏肉は美味しいと思う。 さっぱりとしていて、かつ、柔らかくジューシーだ。 と言っても勿論、血が滴ってジューシーな訳ではない。 ジャガイモは、茹でるとぽってりと柔らかくなり、玉葱は透明になって あまーくなる。 ポトフは主婦にとっては超手抜き料理だが、 美味しい肉と野菜と塩、そして鍋さえあれば、たとえ台所用品が揃っていなくても 素材の美味しさで、充分楽しめる料理だ。 ということで、現在の我が家の台所にはうってつけの献立だ。
この家の台所用品は、思ったよりも軽装備だった。 スープ鍋(大)3個、スープ鍋(小)1個、 ガラスの大皿数枚、ボール1個、サラダボール3個、コップ2個、マグカップ2個、 陶器の皿3枚、ナイフ、フォーク、スープスプーン、スプーン、まな板、包丁3本、 フライ返し、皮むき、おろし金、缶切り、栓抜き、電気やかん等だ。
こう書くと結構あるのかなー、とも思える。 まあ、とりあえずはなんとかやっている。 不便な外国生活をすると、頭が結構柔軟になる。 以前、英国に住んだ時、やけに乾燥するからと、母が顔にサラダ油を塗って すましていたことを思い出す。 昼にチャーハンをスープ鍋で作ったら、ご飯が全部鍋底にこびりついてしまい、 鍋の中には何もなくなってしまった。 そこで、水を入れて少し煮たら、なんと美味しいリゾットになった! 我ながら、良い思いつきだと思った。 アバウトな主婦の作った食事を、アバウトな夫と子供は 実に美味しそうにぱくついてくれる。 なんと、アバウトな家族!
テルアビブを出発する日。
6時半に起床。 衣が寝ている間に朝食を済ませ、荷造りの仕上げと掃除をする。 7時半に衣、起床。 熱は38度4分。 朝食。 病気の割には、食欲が衰えないのは良い。 移動中に体温が上がると困るのでタイミングをはかり、8時15分に座薬を入れる。
アンデルマンと2人の学生が引越しの手伝いに来てくれる。 3台の車にベッド、ダンボール7箱を積み込みいざ、レホボトへ。 さようなら、テルアビブ! 毎日のように散歩に来たヤルコン公園が、もう既に懐かしの場所となりつつある。
しばらく走ると、風景が変わり、ほこりっぽくなってくる。 緑は多いのだが、ほこりっぽい。 30分足らずで、今日からの居住地となるレホボトの町に到着。 ワイツマン研究所は、町の端にあるのですぐにたどり着く。 門で家の鍵を受け取り、住居へ向かう。
3階建ての1階の1戸を借りることになった。 その広いこと! 20畳くらいあるリビングに台所、洗濯室、メイン寝室、予備寝室、風呂場、 トイレ、それにベランダという豪華な間取りだ。 3人家族にはもったいない程、広くてゆったりとしている。 早速、荷物を運び入れ、ベビーベッドを組み立てる。 アンデルマンと学生にお礼を言って別れる。
夫は、午後に早速研究所に出向く。 歩いて20分位の距離だ。 その間に衣と休憩をする。 夕方に夫が帰宅し、6時過ぎに紹介してもらった小児科に行く。 所見は同じく、ウイルス感染。 耳の薬と抗生物質はもう必要ないので止める。 便の様子もみてもらったが問題は無く、 欲しがるものを何でも食べさせて良いらしい。
夜に、同じ建物に住んでいる、日本人の研究者が尋ねてきて下さる。 研究所で、衣が病気と聞いてわざわざ様子を見に来てくれたのだ。 彼は産婦人科医なので、衣の様子も見てくれた。 脱水症にならないようにと指示される。 夕方、買い物もしてきてくれた。 大変に助かった。
親も衣も疲れて早くに寝る。
衣、6時半に起床。 熱は38度5分。 8時半にタクシーを呼び、夫と3人で医者に行く。 小児科の場合、大体患者は眠れない夜を過ごすのだろうから、 朝早くに受診してくれるのはありがたい。 問診、診察の手順で行われる。 右耳が炎症を起こしていて、喉が赤いらしい。 今の段階では、扁桃腺炎、中耳炎等が疑われるということで、 抗生物質と耳の薬を処方してくれた。 抗生物質がもし効かなければ、細菌性の病気ではないという ことになるので、血液検査、尿検査をすることになるらしい。
明日の午前中に、レホボトに引っ越すと言うと、明朝8時に 診察をしてくれると言ってくれた。 保険会社と、レホボトでの医者に見せるようにと、丁寧な診断書と 経過報告を英語で書いてくれた。 向こうから、引越し先の電話番号を聞いてきて、何かあったら連絡をしなさい、 経過報告をしてくれと言われた。 大変に親切でこちらが分からない事は、何度も説明をしてくれる。 本日の診察料100シェケルを払い、処方箋を持って薬局に行く。
今日の薬局は隣にクリニックがあるので、かなり大きな薬局だ。 早速、処方箋を見せ、抗生物質と耳の薬、座薬をもう一箱とベビーフードを買う。 薬の使い方を説明してもらい、支払いをカードで済ませる。 しめて1000円位にしかならない。 昨日座薬を買った時にも感じたが、イスラエルは薬が安いと思う。
タクシーを拾い、夫を大学で降ろし我々は帰宅する。 帰宅して、早速買ったベビーフードを食べさせ、水分補給をして耳の薬を使ってみる。 ベビーフードは2ヶ月児用のドロドロ状の物なので、 喉越しが良く食べやすいようでかなり食べてくれた。 こちらでは、アメリカのGerber社のビン入りのベビーフードが主流で、スーパーや 薬局で売っている。 衣のように1歳を過ぎた子供でも、 今回のように病気をした時などは便利だと思った。
おやつの後、1時間ほど眠ってくれた。 座薬が効くと少し楽になって眠ることができる。 昼食の前に、抗生物質を飲ませる。 薬局で子供用に、プラスチック製の小さな注射器をくれたので、それで飲ませる。 上手に飲んでくれた。 昼食時は37度9分に下がっていた。 しかし、昼過ぎには薬が切れるのでまた、熱が上がるだろう。
案の定、1時半には39度になる。 座薬を入れ、休ませる。 ついでに耳の薬も使う。 1時間程寝て、汗を少しかいた。 おやつを食べさせ、体と頭の清拭をして着替えさせる。 さっぱりとしたようで、機嫌が良い。 熱は37度9分。
全般的には昨日よりも睡眠をとることができている。 昨日は、熱でだるくて殆ど継続して眠れないようだったが、今日は 1時間位ずつ寝ては起きて、飲んだり食べて、薬を使用して、又寝る。 というパターンを繰り返している。 即席に作った水枕も重宝している。 ビニール袋を3重にして氷水を入れ、タオルに包んだものを 巾着袋に入れて頭のそばに置いている。
この2日間で一気に病気関係の語彙が増えた。 高校時代に英国で生物を専攻したことが、多少なりとも役立っている。 子供の病気は、子育て中の親は必ず通らなければならない試練だと思いながらも、 避けたいと思っていたが、とうとう我が家にも訪れた。 いよいよ、子育て本番という感じである。
夜には、誰に聞いても勧められるぬるめのお風呂に入れてみることにする。 日本から持参した小児科の医学書にも、「まだ日本では一般的ではないが、 高熱の子供を、体温より5度低い温度の風呂に入れて体を冷やす方法は 大変に効果的である。 害は無い。」 と書いてあったので、早速試してみる。 始めはぎゃーぎゃー泣いていたが、しばらくすると気持ちよさそうに、手足を ぱちゃぱちゃし始めた。 体のほてりは確かに取れる。 しかし、もう少し長く漬けていなくては効果は無いようだ。
7時半に38度6分だったのが、8時半には一気に39度7分まで上昇。 6時15分に前の座薬を入れたので、まだ2時間程しかたっていなく、次の 座薬を入れるわけにはいかない。
医者に電話をして、指示を仰ぐ。 冷たい風呂に入れろと言われ、もうやってみたが熱は下がらなかったと言うと、 病院に連れて行って血液検査と尿検査をするように言われる。 病院の名前を教えてもらう。 一応、アンデルマンに報告の電話をする。 これから行く病院は、彼の奥さんが働いている病院の中の子供病院ということが 分かる。 タクシーを呼んで、いざ病院へ。
衣を急患に連れて行くのはこれで3回目だ。 去年の暮れのインフルエンザの時は、ぐったりとしていて、心配をしたが、 今回は熱の割には元気が良い。 確かに、病気によって同じ熱の高さでも機嫌が異なるものだ。
子供専門の病院の急患なので、それほど患者は多くはない。 まず、受付で、支払いをするかを聞かれ、子供の名前、生年月日、親の名前、 住所、電話番号を聞かれる。 用紙を受け取り、処置室へようやく入る。 ナースステーションに行くと、「そこのベッドで待っていてください。」と 言われ、示されたベッドに衣を乗せ、ひたすら待つ。 この待ち時間が恐ろしく長い。 ようやく、看護婦が来て、症状と予防接種のことを聞かれ、肛門で検温をする。 最後の座薬を入れた時刻を聞かれ、医者が来るまで待つように言われる。 この待ち時間が、またとんでもなく長い。
病院に到着して1時間程して、ようやく医者に診てもらう。 女医だ。 見渡すと、ここは女医だらけだ。 看護婦に話した事と同じ事を聞かれ、又説明する。 衣は、相変わらず医者に触られると大声で泣き叫び、満身の力で抵抗する。 水を飲ませるように指示され、(後で分かった事だが、尿検査の為だった) 無理やり飲ませる事になるので、これでまた大騒ぎ。
またまた、待って待って、血液検査。 衣は採血が難しい子らしく(インフルエンザで入院した時も、看護婦が苦労していた) 今回も、1回では済まなかった。 ここでも、大騒ぎ。 看護婦がびっくりしていた。 しかし、この看護婦、どんなに子供が暴れても力でねじ伏せることができるだけの、 たくましい肉体の持ち主だ。
採血を終え、採尿パックをおしりにくっつけ、 待合室で血液検査の結果を待つことになる。 ここからが、本番だった。 11時頃、待合室に移ったのだが、血液検査の結果が出てからも、衣の おしっこがなかなか出なくて、1時過ぎまで待つことになる。 こんなことなら、始めに採尿パックを付けてくれれば良いと思う。 ここに来てから、もう既に沢山おしっこをしてしまっているのである。 それに相当泣き叫んで、汗も涙も出てしまった。 その状態で、これから採尿だなんてナンセンスだ! 時計を見る度に明日の早朝の引越しのことが頭をよぎる。 なんで、こーなるのぉー! もうこうなったら、引越しの事を考えると疲れるだけなので、 しばし頭から消しておこうと夫と話す。
ようやく、おしっこがでたと思ったら、採尿パックからはみ出してオムツに 吸い込まれてしまっている。 あー、あー、あー、あー、あー、あー、あー!!!!!!!! 一応、微々たるおしっこで検査をした。
結局、血液検査でも問題はなく、診察でも問題はなく、今までの薬を続けていて良い、 と言われる。 所見は、ウイルス性の感染ということだ。 この点では、前の医者と一致している。
支払いは急患ということもあってか、非常に高く、900シェケル(3万円) 程した。 勿論、保険で返ってくるが…。 不幸中の幸いで、カードで支払いができた。
ナースステーションでタクシーを呼んでもらい、タクシーに乗りこむ。 車のドアが閉まった瞬間、夫と私が同時に「はぁー」とため息をつく。 衣も私の腕の中で、脱力したのがはっきりと分かる。 衣はすぐに寝てしまう。 相当、疲れた事だろう。 ようやく帰宅。 もうすぐ2時だ。(念の為言っておくが、午前2時である) そういえば今晩は、子供達が楽しみにしていた、焚き火のお祭りの日だった。 どんな、お祭りだったのだろうか。
今晩、やるはずだったベビーベッドの解体は明日に移行。 さっきは、夕食の片付けもしないままに飛び出したので、 片付けからスタートして、荷造りの仕上げを済ませ、 3時に床に入る。 こういう日に限って、蚊が出没して1時間毎に目を覚ます。 はぁー。 なんという、テルアビブ最後の晩だったこどだろう!
朝起きて、衣を抱き上げたときに体が熱いと思った。
食事をさせて、熱を測ると37度7分ある。 食欲はあるが、満腹になってもいつものような満面の笑みは見えない。 鼻水も出ていないし声も普通だが、熱があり少しだるそうでいつもより ぐずる。 9時半には38度1分になる。 熱のせいでなかなか眠れないようで、30分も寝ると起きてしまう。
大学でアンデルマンに小児科を紹介してもらったと、夫から電話がある。 いざという時の為に、荷物をまとめる。 えーと、おむつ、着替え、食料、水、お金、パスポート、母子手帳、辞書、 筆記用具、手帳、おもちゃ、絵本、タオル、ちり紙、ビニール袋、防寒着、 これで、何とかなるかなー。 あとは、既に済ませた予防接種や必要と思われる単語を辞書で調べて、 簡易単語集を作る。
午後1時、夫が2時まで研究室を留守にしている間に、衣の熱が39度まで 上昇。 夫と連絡がとれないが、さっき、小児科の電話番号と住所を聞いておいたので 自力で連れて行く事に、即決断。 急いで大家さんの家に飛んで行き、娘が高熱を出して医者に行きたいので、 タクシーの電話番号を教えてくれと言う。 タクシー会社に電話をするが、「ノー イングリッシュ」と言われて、 「えー!」 と思った瞬間に大家さんが来て、「良かったら車で連れて行ってあげる。」 と申し出てくれる。 ありがたい! すぐに衣とかばんを抱えて車に乗りこむ。
医者の家はすぐに見つかった。 大家さんにお礼を言って別れ、診療所に入った。 医者は夕方の6時に予約をしていたのだが、休み時間中にもかかわらず快く診てくれた とても分かりやすい英語でゆっくりと話す医者なので、 問診をしているうちに落ち着いてきた。 使いそうな単語を下調べしてきたメモと、今日の衣の経過を記録したメモを 握り締めての問診だ。 問診が終ると、診察台に衣を寝かせいよいよ診察だ。 聴診器で胸、背中を丁寧に聴いて、両耳、喉、首、全身を診てくれた。 高熱意外には、喉が少し赤い程度で他の症状が見られないので、座薬を 入れて熱を下げ様子をみることになる。
初診料として、200シェケルを現金で払う。 日本で加入してきた旅行者用の保険の請求の為に、とりあえず領収書を書いてもらう。 あとは保険会社に必要書類を尋ね、後日揃えてもらうことにした。 38度以上熱が上がったら又、座薬を入れるように言われる。 夕方の5時に経過を電話連絡する約束をして、タクシーを呼んでもらう。
「診察が終ったら電話をくれれば迎えに行く。」と言ってくれていた大家さんに お礼と報告をしに行く。 帰宅すると丁度、夫と連絡がとれる時間になっていたので、報告をする。 早めに帰宅してもらい、約束通りに医者に電話をする。 他に症状の変化はないか、湿疹は出ていないか、咳、下痢はないかなどを聞かれる。 熱が又上がっているので、次の座薬を入れ、水分を十分に与え、 着せ過ぎないようにと指示される。 様子を見て夜中に熱が下がらなければ、もう一度座薬を入れて、明朝 8時半から10時の間に受診するように言われる。
夫に留守番を頼み、衣の薬や食料を入れ替わりに買いに行った。 薬局に行くと偶然、顔見知りのアパートの住民がアルバイトで働いていて、 彼女が丁寧に対応してくれて心強かった。 買い物から帰ると熱が39度7分あり、夫の心配は極地に達していて、衣も 非常に苦しそうだ。 荷物を床に投げ出して、急いで買ってきた座薬を入れる。 大体、座薬を入れてから1〜2時間で効果が現れる。 4時間以上の間隔をあけて使う、 AKAMOLIという日本語のような名前の子供用の座薬だ。
夜には、アンデルマンが心配をして電話をくれた。 何か必要なものがあれば持って行くと言ってくれ、 発熱の時の処置の方法を幾つか教えてくれた。 彼のゆったりとした英語を聞いていると、 なんだかほっとしてしまい、べらべらとしゃべってしまう。 あー、皆がとても良くしてくれるので外国での初めての子供の病気でも、 本当に心強い。
夜は、11時半にもう一度座薬を入れ、時々様子をみながら一夜を過ごす。
今日も一日暑かった。 最近は、洗濯を夜にして干しているのだが、午前中には殆ど乾いてしまう。 最後のタオルとシーツ類の交換をして、11時に大家さんの所に持っていく。 初めて奥さんが出てきた。 遠くから見ると若く見えたが、近くで会うと、60歳位の 大家さんの奥さんとして納得できる年齢に見える。 昼過ぎには大家さんが、さっきタオルと一緒にお願いした ズボン2本を持ってきてくれる。
しあさっての引越しに備えて、荷造りを始めた。 といっても大した量ではないので、あっという間にめどはついてしまう。 スーツケース2個に、ダンボールが6〜7箱、それに衣のベッドである。 ここでの生活では、、食料品とベッド意外は何も増えていない。 一方、日本から送ったレトルト食品などを消費しているので、 減った分もある。
夕方、衣が昼寝から起きてから公園に散歩に行った。 ぐるりと南側を一周してから、ミニ動物園に行った。 衣はしきりに指を指しながら、ヤギやアヒル、ガチョウの様子を眺めている。 ここは、公園の中でも子供達の人気スポットで、何時も何組もの子供連れが 鳥にパンや野菜を与えている。 子供達は大はしゃぎで歓声をあげている。
帰る前に、少し芝生で遊んだ。 葉っぱを拾ったり、草をむしったり、歩いてみたりと楽しそうである。
テルアビブで過ごす最後の安息日。
テルアビブ美術館に行ってみることにした。 安息日にはバスは走っていないので、タクシーが足代わりになる。 前にも書いたように、こちらのタクシー料金は日本に比べて安いので、 安心して利用する事ができる。 市内まで行くのに大体400円〜600円で済んでしまう。
安息日といっても、午前10時〜午後2時まで開いている美術館や博物館も あるので観光もできる。 テルアビブ美術館は近代的な建物に、現代のテルアビブの画家達の作品を始めとして、 モネ、ピカソ、シャガール、ミロ、カンデンスキー、 ゴッホ、セザンヌ、ドガ等の作品、17世紀のオランダ絵画、宗教画、などなど 寄付した人のコレクションごとに部屋が分かれていて、小さな画廊を幾つもつなげた ようなスタイルで展示されている。 従って、 モネはモネ、セザンヌはセザンヌ、というようにまとまっていない。 あちこちの部屋に同じ画家の絵が点在している。 こういう形式も良いと思った。
今まで他のヨーロッパの国々の美術館を幾つか見学してきたが、 それらの美術館と最も異なる点は、 器となる建物自体である。 ヨーロッパの美術館の多くは、建物自体が歴史的価値を持つ古い建築物で、中世の絵画が絵の中に描かれているようなインテリアに展示されているといった感じであるのに対して、この美術館では、近代的な明るく広々とした空間に色々な時代の絵が展示されているのだ。
ヨーロッパでは床も壁も天井もじゅうたんやタペストリーで厚く覆われたような、濃い赤や緑の部屋に所狭しと大小の絵が飾られていたのが印象的だが、 今日訪れた美術館は、床も壁も天井も真っ白で大変に明るく、広い壁にたっぷりと 間隔をとって展示してあった。 床も壁も天井も部屋の空間も、何処をとっても息苦しくないのだ。 コレクションの規模もフランスやイタリアそしてイギリスのように、一つの美術館をくまなく見ようと思ったら、何日もかかるような莫大な規模ではなく、数時間あれば 満足できる量のコレクションのようだ。 違った環境で鑑賞をすると、今まで見てきた画家の作品も違った印象を受け、 面白いと思った。
休日ということもあり、子供連れが多く来ていた。 数人の子供達が床にスケッチブックを広げ、鉛筆で模写をしていたり、 お父さんと男の子が、彫刻を見ながら「何かなー?」「○○かなー?」 なんて会話をしていたりと、絵の鑑賞もさることながら、美術館に来ている人々 を観察しても面白い。
私が楽しく鑑賞したのは、イスラエルの現代のアーティスト達の作品群で、 テルアビブの日常生活描いた油絵、写真、切り絵などで、テルアビブで少し生活した 私には、どの作品にも親近感が涌いた。 夫はウクライナ出身の画家の、油絵と彫刻と合体させたようなユニークな作品が 気に入ったそうである。 衣はといえば、ミロの絵に釘付けだった。 きっと、絵本の挿絵のようで面白かったのだと思う。
さらりと鑑賞を終え、地下に降りてみると子供達が遊べる部屋があった。 画用紙と色鉛筆が用意され、子供達が思い思いの絵を描いていた。 大きな積み木やミニチュアの家などもあり、楽しそうだった。 こういう所が、行き届いていると思う。
カフェで一休みをして、もう一つ美術館を見学しようとしたが、 生憎、今日は特別に閉館していた。 お腹も空いてきたので、近くの店で昼食にした。 シシカバブ、シシリクを食べさせる店で、こちらの料理を食べたいと思っていたので 丁度良かった。 シシカバブとは、牛肉とラムのひき肉を細長く丸めて、40センチくらいの長い 金属のくしに巻きつけ焼いた物だ。 味付けは塩味がきいていて美味しい。 シシリクとは、肉を角切りにして、同じくくしに刺し焼いた物だ。 どちらもシンプルで、少しだけ焦げたところが香ばしくて美味しい。 肉を注文すると、子供の枕のように大きいピタパンがついてくる。 くし1本につき、ピタパンが1枚。 これも、焼きたてで美味しい。 もう一つの特徴は、数種類のピクルスやオリーブなどが、小さなお皿に幾つも 出てくることだ。 ぴり辛いものばかりではなく意外と食べやすく、 日本の漬物といった感じである。
途中から衣も寝てしまったので、ゆっくりと落ちついて食事ができた。 安息日に開店している飲食店は多くはないので、我々の入った店は大繁盛だった。 皆、何本も注文し、山盛りのポテトフライとピタパンをばくばく食べている。 お腹も一杯になり、少し散歩をした後、再びタクシーで帰った。
長時間の外出ではないがこの数日、日差しが結構強くなってきたので多少疲れて、3人で昼寝をした。 今日は半袖で外出をした。 こちらの男性は、既にだぼだぼの半ズボンにサンダルというスタイルだ。 女性は、半袖やノースリーブのシャツを着ている。 意外と帽子を被っている人は少ないが、皆サングラスをしている。 この2点に加えて携帯用の飲み物は、こちらでの外出に欠かせない3点セットだ。
美術館に3人で行く事ができて私は大満足である。 夕食は、昨日の残り物を食べたので何も作らなくて良かった。 あと、3日で引越しなので冷蔵庫も空にしなくてはいけない。