10月最後の日。
昨日は、夫が東京の実家に電話をした。 別に急用があった訳ではないが、ご機嫌伺いの電話である。 この宿舎では、国際電話は、あらかじめ研究所で買い求めたテレフォンカード でかけるので、限りなくおしゃべりができる訳ではない。 そもそも、男性の電話なので長電話の心配はないのだが・・・。 ほんの10分程話して電話を切ると、多分自分では全く無意識だと思うのだが、 夫にしては珍しく、鼻歌なんて歌っている。 なんだかんだ言っても、やはり両親と話すのは嬉しいのであろう。
私が実家に電話をすると、とんでもないことになる。 話しすぎてはいけないと思い、時計を電話の横に置き、 時間を気にしながら話しても、あっという間に時間が経ってしまう。 女性の場合は、わざわざ電話で話さなくても良いような事まで、 ついついべらべらと喋ってしまうのである。 いかんいかんと思いながら、 「そーよねー、えっーホントー? やーねぇー! わはっはっ・・・。」 内容のない会話をしているうちに数10分が経過。
私は自分のお喋りなことを、潜在的に気にしているのか、 先日は、3階の日本人の奥さんと長話をしてしまい、 ご主人に叱られる夢を見た。 また、外で油を売って帰宅が遅くなり、何故か実父に怒られる夢まで見た。
午後から、ふと思い立ち、ネゲブのベールシェバまで車を走らせる。 以前は、「ベールシェバは砂漠の向こう、行くのには相当の決心が必要。」 と感じていたのだが、実際に車に乗ってしまうと、なんのことは無い、 1時間強で到着してしまう。
道中は、想像していた風景とは全く違い、農業用地が延々と続く。 さすがにベールシェバの町に入る寸前になると、多少荒れた地面がみられるが、 砂漠というのには程遠い景色を車窓から望む。
先日、我が家を訪問してくれた、 ベールシェバのベングリオン大学の日本人学生に 突然電話をし、下宿を突撃訪問してしまう。 学期が始まり、かなりハードな毎日を送っているようだが、 彼の持ち前の前向きな姿勢で、 意欲的に充実した日々を過ごしている様子が伺え、ほっとする。
彼の部屋からの眺めは絶景で、「あの丘の向こうが、本物の砂漠ですよ。」 という言葉に、怖いもの見たさの好奇心がくすぐられる。 砂漠を、これほど恐れることはないのだろうが、 私はこの国に来て最初に、緑の無い風景を目にして、 息苦しさを覚えたので、 すっかりと用心深くなってしまった。
久しぶりに車を借りて、ヤッフォにドライブする。 ヤッフォは、イスラエルに到着して最初の週末に、 アンデルマン夫妻が案内してくれて以来、2度目である。
車で行けば、1時間程で着いてしまう。 6ヶ月前と全く同じ駐車場に車を停め、 芸術家のギャラリーを見て回ろうという計画だったのだが、 午後だった為、ギャラリーは皆閉まっていて、閑散としている。 残念!
まあ、ここは気軽に訪れることができる所なので、 叉出直そうということで、風景を楽しむことにする。
見晴らしの良い高台の公園に行くと、眼下に地中海が広がる。 右手には、海岸沿いのテルアビブのビル群が遠望できる。 ここの風景は、大変に気持ちが良い。 衣も、以前訪れた時は、芝生に降りるのが怖く、私の体にしがみついて めそめそしていたものだが、今回は、私の手をぐんぐんと引っ張り、 「海、海、船、船!! わー、わー、わー!!」と大喜びである。
最近、すっかりと出番が少なくなっていた ビデオとカメラが、久しぶりにフル活動の午後だった。
2時にアンゲリカと待ち合わせをし、研究所の物理の建物の前の芝生で 子供達を遊ばせる。
道中の話題は、最近彼女が新聞で目にした、 公害・汚染について書かれた日本のベストセラーについて。 ここ数年、一気に注目されている日本でのダイオキシン問題など、 特に台所を預かる母親の感心が高いことなどを説明する。 さすが、環境問題の大御所、ドイツの人間だけある。 イスラエルでは、無農薬・有機栽培の野菜や果物が買えないと 嘆いていた。 ドイツでは、1つの町に少なくても2件は、有機栽培の品物が置かれた店が あるらしい。
いつものごとく、育児の悩み相談から始まり、お互いの時間の使い方、 ドイツに帰国してからの仕事のこと、お互いの家族のこと、などなど 話しはつきない。 結局、転々と場所を変えながら、2時間たっぷりと話し込む。 最後は、宿舎の階段で、ヘブライ語のレッスンは、先生の気分を損ねる前に タイミング良く終了した方が良いね、とか、今度一緒に料理をしよう、 とか相談する。
帰宅後、衣とおやつにする。 今日のおやつは、グレープフルーツ、バナナケーキ、くるみ、牛乳。 最近、衣は、食事やおやつが終わると、空のコップをお皿に乗せ、 自分のお皿を、左側に座っている私のお皿の上に重ね、 下膳しているつもりらしい。
面白いのは、おやつの時に、数種類の食べ物を、 順番に少しずつかじっては、お皿に戻し、 まんべんなく食べるのだ。 だから、おやつの途中の彼女のお皿の上には、 数ミリのかけらの、くるみやレーズン、りんごやグレープフルーツ、 クラッカーやお焼き、きゅうりなどが散在する。
今日のように、好物のケーキがある時は、ケーキを最後まで残し、 最後に満足気にほおばって食べる。 そして、私にも食べるようにすすめる。
夕方は、1週間ぶりにバスセンターに買い物に出かける。 今日は野菜が新鮮な物が多く、購買意欲をそそられる。 柿を数個買ってみる。 夏の間は、すっかり姿を消していたグレープフルーツが、 最近お目見えし出した。 日本にいるとグレープフルーツは、季節の果物という認識がないが、 こちらではどうやら冬の果物のようだ。 果物売り場には、正体不明の果物が幾つも並んでいる。 興味津々ではあるが、今一つ籠に入れる勇気が出ない。 そうこうしているうちに、正体を知らぬまま帰国してしまうような気がする。
夕食は、初めてマクドナルドに挑戦してみる。 標準のハンバーガーと飲み物、フライドポテトのセットを一つ注文する。 料金は日本と変わらず、ファーストフードにしては高めなのだが、 ハンバーガーの大きさがかなり大きい。 そしてレタスやトマト、ピクルスなど日本のそれに比べて、かなり良心的に 挟んでくれている。 なかなか満足度の高いハンバーガーだった。
帰りのタクシーは、運転手に無理やり相乗りを強いられ、 制服姿の兵隊さんと一緒に帰宅。 兵隊さんは特別料金で、我々よりも1シェケル安かった。 他にも、彼等が金銭的に優遇される場面は幾つもある。
アンゲリカより電話があり、明日の午後に一緒に遊ぶ約束をする。
午前中に郵便局へ行く。 日本への葉書用の切手20枚と、花模様のレターセットを購入。 レターセットは、4月にテルアビブで購入したものと同じデザイン。 以前にも感じたが、こちらの郵便料金は、日本に比べると信じられないくらい 安い。 例えば、日本までの葉書の切手は1.40シェケル(30円弱)。 このように安いと、じゃんじゃん手紙を書こうという意欲が湧いてくる。 これって、貧乏性の証拠?
郵便局では、「まー、可愛い! 男の子? 女の子? えっー女の子? 本当に 可愛いわねー、食べちゃいたいくらいねー。」と、 やけにテンションの高いおばさんに 賑やかにあやされ、衣はといえば、お得意の仏頂面にも益々凄みが増し、 かなり怖い顔で睨みつけている。 どうして、もっとにこにことしないのでしょう、この子は・・・。 これも私の責任なのかしら・・・と、小心者の母親はいちいち気になる。
私は、特ににこやかな人間ではないが、別に常にしかめっ面をしている 人間でもない。 衣に対しても、怖い顔を向けることもあるが、勿論、機嫌良く笑顔で接していない 筈はない(母親がそう思っているだけであり、実は、いつも不機嫌な顔で 接しているのかも知れない・・・。怖いわー)
今日のヘブライ語のレッスンは、 アンゲリカ(これから、彼女の名前はドイツ読みで、アンゲリカとする) の家で行われた。 色々と、子供達の為に改善策を練ったのにもかかわらず、 今日も一段と騒々しさは増し、参加者全員のストレスはピークに達する。 中でも、衣の状態が悪く、今回から夫が参加を辞めたので、 益々衣を押さえつけるのに手を焼く。
私なりに色々と考え、衣と一緒に、 「衣の更正週間」をスタートすることに意を決する。
今朝のレッスンで私はかなり気分を害し、 実に 大人気無いのだが、帰宅後数分間、衣と口をきく気がしなかった。 このように、子供に気分を左右されるようではいけないと、 分かってはいるのだが、今日はさすがの私も「ブチッ」。
相当、頭にきているらしく(私自身が)、今日は友人や家族宛てのメールも、 知らないうちに衣の事でいっぱいになってしまう。
が、夜、友人から、「衣ちゃんのご機嫌はなおりましたか? とてもほほえましい 光景を想像して云々・・・。」というメールが届き、 一気に力が抜ける。 これしきの事で、一日中くさくさしていた自分が可笑しくなる。 夕方には、アンゲリカから電話があり、「衣ちゃんのことで大変ね。 でも、誰もが経験することだと良いわね。木曜日に一緒に遊びましょうね。」 と慰めてくれる。 夕食時には、衣より3ヶ月小さいデービットが、やはり難しい時を過ごしているらしい と夫から聞かされる。
衣の性格や気分、母親の接し方、成長の過程、 など色々な要素が混ざり合っての結果なのであろう。 げんに、数ヶ月前に悩まされた、「きーきー叫び」も、 今ではすっかりと鳴りをひそめている。 余り、一喜一憂し過ぎず、しかし、ポイントは押さえて冷静に・・・とは、 自分へのメッセージである。 今こそが、しつけの時期なのであろう。 あー、緊張、緊張。
夜、シャワーから上がると、ゴロゴロドカーンと物凄い物音。 何事かと思えば、雷だ。 雨! 雷! 稲妻! すっかりと忘れていた「快晴」以外の気象現象が、 次々にイスラエルの空に登場する。 衣はびっくりして、棒立ちになり窓を見上げている。
10月に入り、数回雨は降ったものの、ものの数分間の雨で、「お湿り」 にすら程遠いものだった。 が、今日の雨は迫力がある。 実に、7ヶ月振りの雨である。
日本に住んでいると、雨のありがたさは、なかなか日常的には感じられないのだが (無論、農業に携わっている人にとっては、死活問題であろうが)、 イスラエルに来て、雨がとても特別のものに感じられるようになった。 もともと、雨は嫌いではないのだが、7ヶ月ぶりの雨の音は耳に心地よい。 イスラエルの土地にとっても、イスラエル人の心にとっても、 まさに「恵みの雨」である。
今年の冬には、たっぷりと雨が降らないと困るのである。 昨年は、雨季の冬に、充分な降雨がなかった為に、イスラエルの水瓶 ガリラヤ湖は、異常に水位が下がってしまった。 以前、日記に「こちらでは、節水の呼びかけが聞かれない。」と書いたが、 現地のテレビ局では、さかんに、節水を呼びかける放送が流れているそうだ。 加えて、エルサレムポスト上にも、 イスラエルの下に蛇口がついたイラストで、節水のキャンペーン広告が 載っていることに気付いた。
ヘブライ語の先生のハユタさんに電話をする。 最近、目立って、授業の進行が難しくなってきている為(子供達の問題)、 生徒で改善策を練ったので、その旨を伝え、彼女の承諾を得る為である。
○授業を今迄の1時間半から1時間に短縮。(最後の30分間が、子供達に
とっても、母親達にとっても、先生にとっても魔の30分になっている)
○このメンバーでの授業は、12月の終わりで終了する。
(そろそろ、帰国モードに入るメンバーが増えてくる為)
○授業の内容として、イスラエルの文化、ユダヤ教の事など、「おしゃべりサロン」
風の授業スタイルにしてもらう。
以上、ハユタ先生は快く、引き受けてくれ安心する。
最近、めっきりと涼しくなった。 気温はテルアビブで、最高が28度、最低が18度、標高の高いエルサレムになると、 最高は27度だが、最低は12度まで下がる。 1階の我が家は、日中でも室内はひんやりとしていて、 長ズボンに長袖でも暑くはない。 室外では、日中はまだ半袖だが、夕方にはカーディガンなどの羽織る物が 必要な季節になった。
今日はとても嬉しいことがあった。 というのも、中学時代の友人からメールが届いたのだ。 先日、クラス委員をしている彼女から、夏に開かれたクラス会の報告が 当日の写真を添えて送られてきたのだ。 懐かしい顔ぶれに加え、友人達の近況報告も同封されていて、 心は一気に10代へ舞い戻る。
結婚して子育てに追われている人、独身で充実した日々を過ごしている人、 勉強をしている人、仕事をしている人、 病気や身内のご不幸を見事に乗り越えた人、 趣味の腕を磨いている人、それぞれ様々なバックグラウンドを持ちより、 とびきりの笑顔で写っている。 彼女達と入学式で出会ってから、早くも20年が経とうとしている。 ああ、なんと時の経つのは早いものか!
小人数の学校だった為、当時は、彼女達との関係が私の全てであったと 言っても過言ではない。 友人の笑顔に喜び、曇った顔に心を痛め、 若々しく活き活きとした日々であった。 高校から学校を辞め、英国に引っ越した私を、遠くから支えてくれたのも、 彼女達である。 この10数年間、すっかりとご無沙汰してしまっていたのにもかかわらず、 こうしてクラス会のお知らせを送ってくれたり、メールをくれたりする 彼女達の懐の深さに改めて感謝する。
11時から、グレゴーとその仲間達との合奏。 バイオリンのロッホスさんが、来週末にドイツに帰国するので、 このメンバーでの四重奏は、今日が最後となる。 今までのベートーベン、モーツァルトに加え、今日はシューベルトのロザムンデ、 メンデルスゾーンなど、新しい曲にも挑戦した。 が、特にメンデルスゾーンは難しく、なぜか、 所々バルトークのハーモニーのようになってしまう。
ロッホスさんは、久々に会った「真面目くん」で、 姿勢が良く、話し方は早口で「せかせか」、 その生真面目さが演奏にも現れ、愉快な人物だった。 最後の合奏だったので、上手に弾いて、気持ち良く送別してあげたかったのだが、 せっかくのメロディーも抜けてしまったり、 臨時記号をぼろぼろと落としてしまい、 へなちょこ調のビオラパートを奏でてしまった。
そう言えば、昨日は夫が例のロシア人の理髪店で、久々に散髪をした。 衣と一緒に待合の椅子に座り見物をした。 夫の担当になったのは、新顔の、極めて手元が怪しい年配の店員。 丁寧なのかもしれないが、いつもの倍の時間がかかる。 前の客の耳をハサミで、少々削り取ってしまったようで、 待ち時間の間に、既に、夫の緊張感はピークに達する。
隣りでは、馴染みの客が洗髪をしてもらっている。 なんと、椅子に座ったまま、前向きに洗面台に頭を入れる。 ジャージャー、ぴちゃぴちゃと洗い、タオルで頭も顔もぐるぐる巻きにして 洗髪終わり。 洗った髪は、お客が自分でごしごしと拭く。 あれよあれよという間に、予期せぬ展開になっていくので、 可笑しさが込み上げてきてしまい、一人、笑いをこらえるのに、必死だった。
これこそまさに、「ビビリア」の理髪師である。
朝9時に、デビ宅を訪ねる。 ヘブライ語のレッスンの時だけではなく、 他の日にも子供達を遊ばせましょうということで、 早速、今朝デビの家で試みる。
我々の他に、アンジェリカとベンヤミン、ターニャとアール二等がやって来る。 沢山のおもちゃと絵本に、衣は心を動かされたようだ。
中から、「テレタビー」という、 英国のBBCの子供番組のキャラクターのぬいぐるみを見つけ、大喜びである。 この番組は、英国を始めとし、英語圏の国々、そして日本を含む非英語圏の国でも、 大ブレークをしているらしい。 私は、ここに来るまで、その存在を知らなかったのだが、とたんに 衣が大好きになり、すぐに、 玩具屋や本屋でその人気振りを目の当たりにすることになった。
言ってみれば、ごく小さい年齢を対象とした、ポンキッキのような番組である。 私は個人的には、キャラクターが少しグロテスクなのと、内容が のんびりとし過ぎていて、物足りなさを感じ、特に気に入っている訳ではないのだが、 とにかく、子供達には大人気である。
テーマソングを、玩具の鉄琴でたたいてやると、衣は大喜びである。 衣は、「ムーミン」の歌も好き。 ただし、ムーミンの歌は、例の「ねえ、ムーミン、こっち向いて、 はーずかしがーらーないで・・・」ではない。 ムーミンのアニメの道場人物の中では、ミーが気に入っているようである。 ちなみに、私は学生時代「ミー」と友人に呼ばれていたことがある。 つまり、私は、意地悪「だった」のです。
今年は、故ラビン首相の暗殺から4年目に当たる。 ということで、この数日、故ラビン首相を偲ぶ番組や記事がテレビや新聞で 目につく。
ちなみに、私が好んで見ている子供番組でも、今日はラビン首相特集を組んでいて、 いつもは、ラフでカラフルなティーシャツ姿の司会のお姉さんも、 白い清楚なブラウスに身を包み、 出演している子供達も黒い服を着ている。 ゲストは、故ラビン首相のお母さんらしき、白髪の老婦人。 沢山の写真を持参して、「イツハクは、何とかかんとか・・・。」と しきりに話している。 なにせ、全部ヘブライ語なので、内容は分からないのだが、 イツハクという彼のファーストネームだけは分かる。
この白髪の老婦人、夕方の、政界の要人が参加した記念式典にも、 故ラビン首相の奥さんと一緒に出席していたので、「きっと」 彼のお母さんだと思うのだが、本当のところは「だーれ?」
私の記憶が正しければ、彼が暗殺されたのは、確か11月だったと思うのだが (調べたら11月4日だった)、 まだ、11月4日には程遠い。 にもかかわれず、なぜ、今、追悼のムードがこんなにも盛り上がっているのだろうか。 夫と話した結果、ユダヤ暦で数えると、今が丁度、4年目に当たるのではないか、 という結論に達した。 もう少し、調査を進め、分かり次第ご報告します。
公園で遊ぶ。 衣は、汽車の乗り物が大好き。 鼻の下を伸ばして、運転席に座り、ハンドルを握る。 ショッピングモールの乗り物の中でも、やはり、ハンドルのついた乗り物が お気に入り。
3階の日本人の家族が、もうすぐ日本に帰国されるので、 そろそろ荷物の整理が始まったようだ。 子供服のお古やおもちゃなどを沢山持ってきて下さる。 ちょうど、衣の冬服が足りなくて、買い足そうと思っていたところなので、 グッドタイミングである。
毎日、3階の子供達のお古を着ていると、外で、「可愛いねー」と言われる。 「彼等のお古なの。」「今日もそう。」と連日言うと、 「日本の服は可愛いね。」と言われる。 確かに、日本製の子供服は、良い製品が多い。 デザインもしゃれているし、縫い方もしっかりとしているし、 色合いなどが微妙でおしゃれである。
衣は、服もおもちゃも全て、「お古」で済んでしまうので、 親としては楽をしている。 3階の奥さんに感謝。
ヘブライ語のレッスン。 3階の日本人の奥さんは、体調が悪くお休み。 1週間ぶりのレッスンだ。 すっかりと、錆付いてしまっている。 といっても、錆びが付くほどの知識ももともとないのだが。
今日は、子供達が最初から、床中におもちゃを広げ、大いに活発に遊ぶ。 その中で、どうもヘブライ語のメンバーが揃うと、 気分が急下降する傾向にある衣は、満身のエネルギーをフルに使って、 大いに「主張」する。
前半は、他の子供達と交じわって、幾分おとなしかった彼女も、 後半、お菓子が誰かの手にあるのを発見するのと同時に、 一気に「クッキーモンスター」に変身。
この衣の状況を目の当たりにし、夫はかなりショックを受けたようで、 夕方、衣と一緒に迎えに行った時にも、衣に「ぶつぶつ」と小言を言っている。 結構、根に持つタイプなのかしら?
私は、衣の本性をこの1年7ヶ月の間に、嫌という程見せ付けられているので、 別に、今更驚きはしないのだが、夫は、突然「しつけ、しつけ」と、やる気が めらめらと燃え上がったようだ。 これで多少、私と夫の、衣に対する認識が近くなったかな。 良い傾向である。
公園で、フィンランド人のベビーシッターのターニャさんに会う。 彼女の今の仕事の状況や、これからの話を聞く。 今は、住みこみでベビーシッターをしているが、 8時間労働、結構大変らしい。
そうこうしているうちに、雇い主のアンネさん(子供達のお母さん) がやってくる。 彼女は、聾者の教育の研究をしていて、 修士の学位を取るために毎日研究所の図書館で勉強している。 フィンランドとイスラエルの聾教育の比較がテーマらしい。
私は、大学生のころに東京で開催された「世界聾者会議」に、 語学ボランティアとして参加したことがある。 それをきっかけに、日本赤十字社の語学奉仕団というグループに参加し、 週末を中心に、活動をしていた。 この団体や活動を通して会った人や出会った事柄は数多く、 私の20代の精神活動の中心の一つである。 今思えば、そのきっかけが、上記の「世界聾者会議」なのだ。
あの頃、多くの人々に大変にお世話になったのだが、 今ではすっかりと、ご無沙汰をしてしまっている。 一緒に活動をした彼等、彼女等は、今頃、 どこで何をしているのだろうか・・・。
週末が終わり、再び一週間が始まる。
日本の従姉より電話がある。 超忙しい彼女が、何故か長期の休暇が取れたそうで、 来月に イスラエルを訪問してくれるらしい。 2週間強の滞在になりそうだ。 身内の訪問は、彼女が初めてなので、とても楽しみにしている。
週末に衣用に、念願の色鉛筆とノートを買った。 描いて描いてとひっきりなしにせがまれる。 「お絵かき」が嫌いではない私は、結構自分でも楽しんで、 ノートの白紙を埋めている。 そうすると、衣も、参加してくる。 合作のページが、日々増えて行く。
衣の最近のお気に入りの言葉。
「かっ」=おかわり
「みみ」=耳、もしくは、耳の掃除をして!
「もも」=桃
「まめ」=豆(「ま」にアクセントがある)
衣の最近のお気に入りの食べ物。
豆 海苔 バナナ
夫の日記は、九工大のサーバーが、再びダウン中なので、 こちらで公開中。
昨晩宿泊した「ベールシェバの彼」が、お昼前に帰る。 レホボトのバスセンターから、ベールシェバ行きのバスで、 1時間半ほどで到着したとお礼のメールが届く。 彼はとても礼儀正しいのだ。 見習わなくては・・・。
昼間、1号室の庭で、ネゲブのベドウィンの女性達の、 手織りの作品の展示即売会が開かれているので、覗きに行く。 大小様々な大きさのカーペット、かばん、クッションカバー、など、 色とりどり、デザインも豊富な品揃えで、かなりはやっている。 ベドウィンの女性達の技術を残し、彼女達の生活の自立を助ける 非営利組織が、こうして彼らの作品の展示即売を行っている。
羊毛を紡ぐところから始まり、染色、織りと、 全ての工程の写真がファイルされている。 ホームスパンが趣味の実家の母が見たら、歓声をあげそうな展示だった。
帰宅すると、予告なしに断水している。 叉か!
ミネラルウォーターの買い置きのないデビに、1パック水を売る
夕方、ベールシェバから、はるばる日本人の学生が遊びに来てくれる。 彼は、この秋からベールシェバのベングリオン大学で、 文化人類学を研究する、言ってみれば「研究者の卵」である。 彼とは、この日記を通して知り合った仲である。
イスラエルとは、かなり昔から強いつながりがある彼は、 我々よりも若いとはいえ、イスラエルに関しては大先輩である。 初対面であることもすっかりと忘れ、夜遅くまで話が弾む。 経験が豊かなせいか、研究者の道を歩んでいるからか、 大変にしっかりとした青年で、かつ、夢も大きく、好感が持てた。
中でも衣は、彼のことがすっかりと気に入ってしまったようだ。 この日記にも再三書いているように、人見知りが激しい衣が、 全く初めてと言って良いのだが、今回、彼に対しては、玄関で出迎えた時から、 一度も泣かなかった。 それ以上に、自分の方から彼にアプローチし、一緒に遊んでもらったり、 2人だけで遊んだり、しまいには抱っこまでしてもらい、 彼女のパワーは全開になっていた。
やはり、「若い男性」が良いのだろうか。
あれ、でも、同じ「若い男性」でも、 はっきりと拒んでいた相手もいたような気がする・・・。 勿論、誰とは明かしませんが。
午前中に、久しぶりにウェンディーさんの訪問を受ける。 アメリカ人の友人も一緒。 彼女はレホボトで空手道場を開いている。 生徒さんにあげる表彰状の作成の手伝いをすることになる。 日本語と英語を同時表記した表彰状なのだが、 その日本語の部分を書くことになる。
昨晩、張り切ってウェンディーさんの為に、 人参ケーキを焼いたのに、すっかり出すのを忘れてしまう。 残念・・・。
明日は泊り客がある為、夕方に買い物を済ませる。 最近めっきりと寒くなってきたので、布団を購入。 これで、ぬくぬくと眠ることができるだろう。
明日の来客の為に、ちらし寿司の具を煮る。 中身は、干し椎茸、高野豆腐、人参、かにかまぼこ。 日本から送ったみりんや料理酒、醤油、ダシの素がだぶつき気味なので、 これを機に、惜しみなく調味料を使う。 明晩の献立は、ちらし寿司、肉じゃが、味噌汁、中華サラダ。
夫の日記は、九工大のサーバーがダウン中なので、 こちらで公開中。
洗濯用のトークンが切れていて、久しく洗濯機で洗濯をしていなかったのだが、 午前中にゲウラの所で、しこたま買い込む。 ついでに、物干しがないので、欲しいと伝える。 今注文中なので、入り次第知らせてもらうことになる。
午後は、アンジェリカとプレーグランドで遊ぶ。 1週間義理の両親と、ヨルダン、エジプトの旅に行っていた彼女から、 旅の話を聞かせてもらう。 かなりハードなスケジュールだったようだが、60代の彼女の義理の両親は 大丈夫だったのだろうか。
遊んでいると、雨がぽつぽつと落ちてくる。 昨晩も2回ほど、短く雨が降った。 今日も、涼しい上に、雨雲が浮かび、なかなか良い感じである。 しかし、アンジェリカは真っ青な空、強い日差しの方を好むということで、 私は、「青空も良いけど、もうそろそろ雨が恋しいわー。」と話す。 夜中に雨の音がすると、生きた心地がする。 と言っても、今までの数ヶ月の間、 生きた心地がしなかったという訳ではないが・・・。 とにかく、「ほっと」する。
ドイツ人の彼女は、一度エルサレムの、 ヤド・バシェム博物館(ホロコースト博物館)を訪ねたい、というよりはむしろ、 ドイツ人として、訪ね「なくてはならない」、と思っているらしい。 かなり、この国で暮らすにあたって、ドイツ人であることを意識しているようだ。
日常的な会話で、 どこから来たかという質問に、「ドイツから」と答える度に どきどきしてしまうと言う。 幸い、ドイツ人だからといって、嫌な経験をしたことはないらしいが、 私が思っている以上に、本人は意識している。 ここにいるドイツ人が皆、彼女と同じようなメンタリティーを持っているかは 定かではないが、少なくとも彼女は、 かなり気を遣って暮らしているということが判明した。
真面目な彼女は、子供を置いて、一人で厳粛な気持ちで、 博物館見学をすると言っていた。
日本の従姉よりメールが届く。 明日は10月10日、娘の幼稚園の運動会に張り切って行くと書いてある。 そうか、日本では明日は体育の日か・・・。 日本では運動会に「雨天順延」はつきものだが、ここイスラエルでは 「雨天順延」などという概念が存在しないのではないか、 とここ数ヶ月間は思っていた。
が、この数日、めっきり涼しくなり、しかも雲がもくもくと湧いてきて、 この週末には、北部では雨が降ると予報されている。 ついに雨季到来か! と高温多湿の日本の気候に慣れている私は、 雨がそろそろ恋しくなり始めた。 日中に辞書をぱらぱらとしていると、「10月・11月の雨季最初の雨」 という特別の単語がヘブライ語には存在することを発見。 やはり彼らも、雨の到来を待ち焦がれているのだろう。
特に今年は水不足が激しく、重要な水源のガリラヤ湖の水位がレッドライン(危険) に今日達するか、明日達するかと、毎日新聞に関連記事が載っている。 なんでも、昨年の雨季に充分な雨が降らなかったのが原因らしい。 しかし、日本のように節水を呼びかける張り紙も見られず、 勿論、町を走るキャンペーンカーもお見かけしない。 全体的に意識が低い印象を受ける。 人口が少ないので、余り危機感がないのだろうか。 でも、農業で使用できる水が減らされたりと現実は深刻なのに、 人々の日常生活に、何の変化も見られないのは不思議である。
夕方、衣とプレイグランドに行く。 円円ちゃんたちと、もう一組、中国人らしき母子が遊んでいる。 初めて会った彼女は、一玲(イーリー)さん。 イギリス人と結婚しイスラエルに住んでいる中国人。 研究所とは関係のない地元の人、ということになる。 娘は、2歳半の泰力(タイリー)。
研究所には大勢の中国人がいて、大きな中国人社会を形成し、 かなり目立っているのだが、彼女は何故か彼らとは交わろうとしない。 その証拠に、今日も私達がプレイグランドに行った時、 円円ちゃんのお母さんと一玲さんは、公園の両端に離れて座っていた。 何か不自然だなーと思いながら公園に入っていったのだが、 そういう事情があったのか。
しかしながら一玲さんは、私には友好的で、「いつか良かったら一緒に テルアビブや、隣町に子供を遊ばせに行きましょう。」などと言う。 私はまるでコウモリのように、少し一玲さんと話しては、円円ちゃんのお母さんの 所に行って話し、又、少し一玲さんと話し、てなことを、 一応気を遣いながら、我ながら器用に演じた。
彼女の英語はペラペラと早く、かなり上手である。 ペラペラスムース英語も良いが、円円ちゃんのお母さんのような、 モッタリのんびり英語も気が急かなくて良い。
午前中に宿舎の中を衣と散歩していると、2階のフィンランド人のベビーシッターと 下の息子に会う。 (2階のフィンランド人夫妻は、共働きの為、フィンランドからベビーシッターを 連れてきている) 立ち話をし、家に遊びに来てもらうことにする。
少しして、彼女と3歳の男の子がやってくる。 彼女の名前はターニャ、26歳。 息子はアールニ、3歳。 彼女はフィンランドでは看護婦をしていて、今年は彼女のサバティカルなので、 このようなことができるらしい。 この仕事は新聞・メール広告で知ったので、 この家族とはもともとは面識はないそうだ。 むっちりとした体格の、健康そうな女性である
アールニには、小学校に通うお姉さんがいる。 午前中はお姉さんは学校なので、彼は一人ぼっちになる。 同じ位の年齢の子供達は皆、幼稚園に行っているので遊び相手がいなく、 「ロンリー」なのだそうだ。 衣ではお相手にならないだろうが、これを機に時々一緒に遊ぼうと約束をする。
ターニャは、1日8時間子供の世話をするという契約らしく、 4時にお役目が終わりフリーになると話していたので、 朝の8時から仕事が始まるのだろう。 彼女のおばあさんが「アイノ」というそうで、 私の名前を初めて会った時に覚えてくれたそうだ。 私を「アイノ」と名づけた父親が聞けば、大喜びするだろう。
隣の部屋のペンキ塗りが始まった。 朝早くから、家具を動かしての大仕事だ。 間もなく新しい家族が引っ越してくるのだろうか。 楽しみである。
義父の誕生日。 コレマタ、メールカードを送る。 夫は、私がせっせとメールカードを送る姿を、 半ば呆れ顔で眺めている。
3階の日本人の奥さんに、海苔1缶、かっぱえびせん、 死海の石鹸、衣(娘の名前)の上着、衣の靴下を大量に頂く。 いつも重宝する物を沢山頂き、助かっている。
衣は昼寝から起きて、早速靴下の入った袋を見つけ、 中を覗き、ご丁寧に靴下を一足づつ取りだし、一つ残らず ソファーの上に並べ、目を輝かせていた。 女の子用の靴下なので、花やハート、ウサギの模様が入っていて 楽しそうである。
夜、テレビで、"Sense and Sensibility" という映画を、 「フランス語」で「途中から」見る。 この様な条件では、さっぱりと内容が分からない筈なのだが、 幸運にも、日本で既に見たことがある映画だったので、それなりに 楽しむことができた。
思ったこと。
英国には緑が多い。
英国では雨が降る。
英国には霧が出る。
ヒュー・グラント(俳優)には、あの格好は似合わない。
実家の両親の結婚記念日。 最近気に入っている、メールカードを送る。
ヘブライ語のレッスンの後、3階の日本人の奥さんと 話し込んでしまい、気が付くと、もうお昼だった。 いつも2人で、話す時には色々と思いついたことを手当たり次第に話すので、 お互いに肝心な用件をすっかり忘れてしまうことが多い。 そして、後から思い出して、電話をかけたりするケースが異様に多い。 うっかり屋の2人である。
午後は、衣を連れてプレーグランドに行く。 衣は、お気に入りのバケツとシャベルの「お砂場セット」を 片手に通し、お出かけスタイルでどんどん歩いて行く。
最近、プレーグランドが大変に気に入っている様子で、 砂で遊んだり、滑り台、ブランコ、汽車、 はしごなど端から試してはニコニコとしている。
中でも汽車の乗り物が特に好きで、運転席に陣取り一人でハンドルを 握ってご満悦である。 この頃彼女は、気に入ったことをやる前や、嬉しくてわくわくしたりする時に、 鼻の下を伸ばしてにこーとする癖がある。 どちらかと言えば、喜びを爆発させると言うよりは、 喜びを噛み締めているという感じ。 これは結構、見る者を笑わせる表情だ。 こういうことが嬉しく思えるのは、まさしく「親ばか」?
先週はヘブライ語のレッスンが、スーコット祭りのために休みだったので、 すっかりと中だるみしてしまう。 横で「あー、アレフ・ベート(ヘブライ語のアルファベットのこと)も 忘れちゃったよー。」と頭を抱える夫に、 冷たい視線を浴びせながら、 実は自分はもっと「激しく」後退してしまっている。
明日のレッスンが、こ・わ・い。
日曜日の新聞には、「サンデーコミック」という、 カラーの漫画のページがある。 衣は、早速スヌーピーを見つけ、しきりに指をさしている。
昨日より、グレゴーの両親がドイツより来ていて、 南部、ヨルダン、エジプトへと旅立って行った。 昨晩、アンジェリカより電話があり、 新聞を止めるのを忘れたので、毎朝新聞を拾っておいてくれと頼まれる。 早速、衣と新聞の回収に出かける。
こちらでは、新聞はポストではなく、玄関の扉の外に 無造作に投げられる。 案の定、アンジェリカの家のドアの前に、新聞が転がっている。 その足で、ポストに行き、 デンマークに帰国中のギッダのポストの中身を確かめる。 数枚のヘブライ語の広告が入っているだけである。
昼寝のタイミングが遅かった衣と、遅いおやつを食べ、 6時前に、研究所に夫を迎えに行く。 最近は5時になると薄暗くなり始め、6時にはすっかりと暗くなる。 イギリスでは、冬は4時、5時には真っ暗だったが、 イスラエルではどうなるのだろう。 夏の明るさも好きだが、冬の暗く寒い夕刻も好きなので、 電灯のついた研究所の並木通りを歩きながら、 英国での学生生活を、ふと思い出した。
高校の授業が終わってから、夕方、寮の近所の英語の先生の家で 週に一度レッスンを受けていた。 レッスンが終わる頃になると、夜道を一人で帰るのは危ないと、 寮母さんが気を利かせ、必ず寮生2人を迎えによこしてくれた。 3人並んで暗い歩道を、襟巻きに鼻をうずめて寮まで帰った。 冷たく湿った枯葉の、酸っぱい匂いが蘇ってくる。
今週は、思いもよらずイベント続きの日々になったので、 今日は何もせず、どこにも行かず、ひたすら休養の日とした。
夜、ベールシェバのベングリオン大学で勉強する日本人に、 初めて電話をしてみる。 彼とは、インターネット上で知り合い、時々メールをやり取りしている。 しかし、 良く考えてみたら、同じイスラエル国内で、 なにもいちいちメールでやり取りしなくても、 電話で話せば良いのではないかということに、 ようやく気付いたのだ。
こちらで学位を取得しようというくらいなので、 我々とは、意気込みの入れ方が違う。 しっかりと、地に足のついた彼の生活振りに刺激される。
こちらに来て初めて分かったことは、意外と イスラエルで勉強している人が多いということ。 ベングリオン大学、ヘブライ大学だけでも、 この地で、それぞれの分野で頑張っている日本人を確認。
一体、イスラエルには、 日本人はどのくらい住んでいるのだろう。
こちらの人と結婚して、永住している人もいるようだ。 先日も、そのような人に会った。
いよいよ10月突入。
デンマークに、出産の為に一時帰国しているギッダよりメールが届く。 9月23日に無事に2670グラム、49センチの女の子を出産したそうだ。 クララちゃんに続き、女の子が2人ということになる。 彼女は帰国してから、胎盤の位置が悪いことが判明し、 出産まで入院を強いられ、出産も帝王切開となってしまったのだが、 とにかく、母子共に無事で一安心である。 早速、お祝いのメールを送る。
午後3時前に、ウーリックとステファニーの車に乗せてもらい、 テルアビブのハヤルコン公園で企画されているパーティーに行く。 テルアビブ大学のアンデルマンの学生のハイムが、奥さんを連れて アメリカに旅立つので、周辺の人達で送別会を催すことになった。
いわゆる「持ち寄りパーティー」のピクニックである。 4時から6時まで、総勢20人近くが集まり、楽しい会となる。 とっぷりと日の暮れた6時過ぎに、公園の中をそぞろ歩きながらおしゃべりの 続きをする。
息子のデービッドの就寝時刻があるからと、ウーリック達は先に帰宅したので、 ロシア人のコズロフ夫妻が車で家まで送ってくれる。 彼らは、テルアビブより更に 北の町に住んでいるのにもかかわらず、 テルアビブの南のレホボトまで快く送ってくれた。 なんとも親切な夫婦だ。
私が彼らと会うのは、4月にアンデルマンの家で、 今日とほぼ同じメンバーで、コズロフ氏の就任祝いと、 我々の歓迎会を兼ねたパーティー以来だ。 コズロフ氏も奥さんも大変に感じが良く、ユーモアと温かみを持ち合わせた 人達である。 そんな彼らと再会し、ゆっくりと話す機会に恵まれたことはラッキーである。
それにしても、アンデルマンの周辺の人達はいつ会っても、気持ちが細やかで 愉快な人達である。 今日も、大変に楽しく満たされた気分で帰宅した。 自分は果たして彼らのように、お客さんを楽しませたり満足させてきたかと、 ふと過去を振り返ってしまう。
衣はといえば、アンデルマンの11歳の娘のミハエルちゃんに、 ずっと相手をしてもらっていた。 ミハエルちゃんが、賢い子供であることは確かなのであるが、 衣も彼女によくなついて、2人で仲良く手などつないで、 顔を見合わせては笑い、 実に楽しそうだった。
散歩中に靴底が取れてしまい、サンダルが壊れてしまった。 といっても、飯塚のミスター・マックスで1900円くらいで買った代物なので、 壊れても当然なのではあるが・・・。 近いうちに、有名なイスラエルのサンダルでも購入することにしよう。