イスラエル育児日記


6月30日(水曜日)

アンジェリカに電話をして、ヘブライ語のレッスンの延期の話を伝える。 来週くらいに一緒に子供達を遊ばせようと約束をする。

衣は今日は珍しく昼食の前に昼寝を開始して、11時から1時過ぎまで寝る。 最近は昼食の後に、2時間から2時間半昼寝をするのが習慣になっている。 昼寝はいつのまにか、その1回だけになった。 私もその間に少し休んだり、読書をしたりと静かな時間を過ごすことができる。

庭に衣と散歩に出る。 今日は珍しく誰もいない。 仕方がないので、芝生に沢山落ちている木の種のプロペラで遊ぶ。 衣と拾っては宙にパッと投げて、くるくると落ちてくるのを楽しむ。 衣はキャッキャッと言いながら大喜びである。

そのうちにアンジェリカとステファニーがやって来る。 ステファニーは明日から2ヶ月ドイツに一時帰国するので、その話をする。 帰国中に子供のデービッドを親に預けて、 ウーリックと一緒にイタリア旅行をするらしい。 子供が生まれて初めての2人だけでの旅行なので、どんな感じかしらと言っていた。 外国人は、日本人に比べて簡単に子供を預けて、自分のしたい事をする。 しかし、良く観察をしていると、その傾向はドイツ人に多いような気がする。 少なくとも、この研究所内ではそのようだ。 従って、モニカというベビーシッターを引き受けている女性は、ドイツ人の間で 引っ張りだこである。

夕方夫から電話があり、昨日と今日の2日間研究所内で行われていた研究会に 参加していた日本人を紹介してもらうことになる。 途中で先日ウェンディーさんのところで一緒だったアメリカ人に会う。 子供と一緒にプールに来たそうである。 物理の建物の前の芝生で、さっき別れたばかりのアンジェリカと、 ウクライナからの女性を見かける。

日本人研究者は30代くらいの女性で、 1年間の予定でエルサレムのヘブライ大学に滞在している。 たくましいなーと思う。 今日は先約があるそうなので、又、改めてゆっくりとお会いすることにする。 久しぶりに日本語を話しましたと言っていた。 いつか味噌汁でおもてなしをしましょうね、と約束をして別れる。


6月29日(火曜日)

昼間にヘブライ語の先生のハユタさんから電話がある。 なんと昨晩遅くに、彼女のお父さんが突然入院してしまったそうである。 ということで、来週の初めてのレッスンはとりあえず中止ということになる。 お父さんは96歳の高齢で、病院もテルアビブの病院に入院しているので、 少し落ち着いてから来週くらいに、先生の方から連絡をしてもらうことにする。

早速メンバーに連絡をする。 アンジェリカは留守中。

折角ここまでアレンジしたのに、なんという大どんでん返し! まあ、ご病気なら仕方がないが…。 かなり、がっくりである。

西日本では大雨で、広島と福岡でかなりの被害が出ているようで心配をしている。 こちらのニュースでも映像が流された。 イスラエルでは今年は水不足になるかもしれないと言われているのに、日本では大雨。 なんとも皮肉な話である。 イスラエルでは冬の間に雨が降り、春から夏にかけては乾季で、 10月頃まで雨は全く降らないそうである。 去年の冬に充分な雨が降らなかったのがいけないらしい。


6月28日(月曜日)

衣はエルサレムに行って、子供達と1日過ごした日を境に、 気のせいか一段成長したような感じがする。 他の子供達とも今までよりもすぐに馴染めるようになったり、1日中かなり活発に活動をするようになった。 従って、表情も随分豊かで相手をするのが楽しい。 やはり子供というのは、色々な刺激の中で成長して行くものだと改めて思う。

今日は半日かけて、宿舎の周りの草や藪を機械で刈っていた。 物凄い音が相変わらずガーガ―と鳴っている。 草を刈った匂いが、開け放った窓から香る。 エアコンの室外機がある辺りも、刈ってくれたようだ。 これで、我が家の室外機の中に草が生えてくることも、しばらくはないだろう。

夕方衣を連れて散歩に出ると、私のお気に入りのザビーナが 2人の子供を連れてプールから帰ってくるところだった。 子供達は家にいるとけんかばかりして困るので、 殆ど毎日プールに連れて行くと言っていた。 エルサレムに行った話や、イスラエルにはなんでこんなに色々な虫がいるのだろう という話になった。

驚いた事に、彼女の娘さんはこちらに来て、お腹に「虫」がいたそうだ! ザビーナも医者でそう言われて飛び上がってしまったそうである。 しかし、医者は別段驚いた様子もなく、涼しい顔で 「ここでは良くある事ですよ。」 なんて言ったらしい。 2人で「信じられないよねー。」 とハモッテしまった。

大人が話し込んでいる間、彼女の娘さんが衣と遊んでくれた。 衣も嬉しそうにしていた。


6月27日(日曜日)

昨日の疲れがまだ少し残っているが、今朝は早く起きなくてはならない。

9時に例のヘブライ語を一緒に習うメンバーが我が家に集まって、 相談をすることになっている。 午後に設定をすれば良かったなー。 アンジェリカと相談して決めたら、 10時から12時までベンヤミンが昼寝をするので、その前が良いと言って、 8時半でも良いなんて言うものだから、 せめて9時にしようということになってしまった。 ドイツ人は朝早くに予定を入れるのは、苦にならないらしい。

朝食を済ませ、掃除をして皆を待つ。 9時にレンタカーの業者が車を回収に来る。 鍵を渡すだけで、簡単に済んでしまう。

駐車場から帰ってくると、3階の日本人の奥さんが一番下の男の子を連れて 階段を降りてくるところだった。 少しして、アンジェリカがベンヤミンと来る。 ほんの10分くらい遅れただけなのに、しきりに謝っている。 「出ようと思ったら、ベンヤミンがオムツを換えたばっかりなのに うんちをしちゃって、本当にごめんなさいね。」 そんなに気にしなくて良いのに…。 彼女は約束通りに、クッキーを持って来てくれた。 これも、私が色々準備をしなくて良いようにとの心遣いなのである。

そうこうしていると、ギッダがクララとやって来る。 彼女はけっこう遅れてきたのに、ごめんなさいの一言もなく、相変わらず大らかである。それぞれを紹介して、さて本題に入る。

まず、今のところ週2回となっているレッスンを、 まず最初は週1回で始めてみてはどうかと提案する。 これは皆、すんなり賛成してくれた。 どうやら皆も2回は多すぎると思っていたらしい。 週末を抜かすと、次のレッスンまでが2日くらいになってしまい、 とうてい予習や復習が追いつかないわねーということになった。 始めてみて、余裕ができたら増やせば良い。

次に時間のことを話す。 結局、午前中が意外と子供達も起きたばかりで機嫌が良いのではないか ということになり、今日の集まりのように9時から10時半までということに なる。 又、アンジェリカが8時半からでも良いのではないかと言うので、 一瞬顔がこわばったギッダを横目で見ながら、 「8時半は我が家にとっては、ちょっと早すぎる。」と言う。 すかさずギッダが、「そーねー、8時半はちーとばかし早いわね―。 せめて9時ねー。」 と言う。 日本人の奥さんは「うちは8時には皆出かけてしまうので、いつでも良いですよ。」 と、いつものように協力的な意見で助かる。

皆が居るうちに先生と連絡が取れれば、またいちいち全員に電話をしなくても 良いと思い先生に電話をしてみるが、生憎午後までお留守ということだ。

アンジェリカはベンヤミンがぐずりだしたので、すごすごと帰ってしまった。 そのあと、3人で少し喋って、日本人の奥さんもじきに帰り、ギッダが最後まで 残り、結局11時ごろまでべらべらとお喋りをする。 衣とクララちゃんが、結構仲良く遊んでいたのが嬉しい。 クララちゃんは今週で1歳になるので、衣と年齢が近く、 行動が似ていて見ていると面白い。

ギッダは10月14日が出産予定日なので、8月末に1人でクララちゃんを連れて デンマークに帰る。 アテネ経由で帰るらしい。 10月にご主人も出産に立ち会うために帰国。 11月頃、家族4人で戻って来て、クリスマスには又デンマークに1時帰国するらしい。「とにかく、出産後にこちらに戻ってきたら、 あなたが1人で新生児とクララちゃんの世話をしなくてはならないのだから、 無理をしないでゆっくりとしてきたら良いじゃない。」 と言ったら、「そーねー、大丈夫と思ってから航空券の手配をするようにするわー。」 と言っていた。 しかし私の予想では、11月早々に戻ってくるのではないかとみている。

さて、これで来週の火曜日からいよいよヘブライ語がスタートする!


6月26日(土曜日)

初めてエルサレムを訪れる。

3階の日本人家族に案内してもらい、2家族でレンタカーを連ねてエルサレムに突入。 レホボトからエルサレムまでは、 1号線というテルアビブとエルサレムを結ぶ、 大きな幹線道路で直接行く事ができるので、 1時間強でエルサレム郊外「までは」辿り着く。

しかし、エルサレムは町の中に入ってからが、やっかいなのだ。 今回は日本人の家族にずっと道案内をしてもらったので、なんとか目的地に到着したが、もし自力で行っていたら、 きっと軽く1時間は迷って、ぐるぐると走り回っていたに違いない。 現に、先日ギッダの家族が初めて自力でエルサレムに行き、 そういうつもりではなかったのに、いつのまにか旧市街に車で入ってしまい、 本当はいけないのに、旧市街地内に駐車してしまったと小声で言っていた。

まず、旧市街をぐるりと囲んだ城壁にある8つの門のうちの、 南に位置している「糞門」から旧市街に入り、嘆きの壁を見学した。 嘆きの壁の前は広々とした広場になっていて、向こうの方に壁がある。 想像していたよりも、壁の幅が狭いことと壁に向かっている人が少なかったので、 言われるまで、それが有名な嘆きの壁だとは気が付かなかった。

嘆きの壁は壁に向かって左側が男性用、右側が女性用になっている。 女性用の方が男性用に比べて幅が狭く仕切られている。 壁に近付くと台が置いてあり、お祈りの本が置いてある。 ヘブライ語の物、英語の物、ヘブライ語と英語の併用の物などが揃っている。

壁に近付くと、壁の前には椅子が置いてあり、そこに座ってじっくりとお祈りをしたり 前記の本を読んだりしている人がいる。 中には写真を撮って、係りの人に怒られている観光客もいる。 壁の目の前に行くと、石の隙間に、小さな紙が沢山 ぎゅうぎゅうと押し込まれている。 どうやら願い事が書いてあるらしい。 日本の絵馬のような物だろうか。 小さな紙が丸めてぎっしりと並んでいる様は、 どちらかというとおみくじの様だった。

壁の左側に比較的きれいな公衆トイレがあり、安心である。

車に戻り北に走り、ダマスカス門の前の駐車場に駐車する。 1日分の20シェケルの料金を入り口で払う。 ダマスカス門付近は、アラブ人地区なのでそれはそれは賑やかで、 ごちゃごちゃとしている。 とにかく人と物が多い。 それら全てが無秩序に並んでいて、さらに無秩序に動くからたまったものではない。 目がカメレオンのように四方八方に動かなければ、車にぶつかりそうだし、 人に突き飛ばされそうである。

とにかく子供達の手をしっかりと握って人ごみの中を流されて行く。 「ダマスカス門は建築学的に云々…」なんて観光書で予習してきたが、 そんなものは見ていられない。 とにかく、皆にはぐれない様に必死についていくので精一杯である。 門の付近には物売りが沢山露店を開いていて、それぞれがスピーカーで ガーガ―とがなりたてるので、ものすごい音響になる。 そんな中、前を歩くアラブ人のおっさんの背中を バンバン叩く衣の度胸にあっけにとられる。

流れに身を任せ、ひたすら歩いていく。 細い石畳の両側は、アラブ人の店がひしめき合う。 とにかく、流れながら横を見ているので、じっくりと観察はできないのだが、 どの光景もみた事がない、異文化の香りがプンプンである。 特に多いのは、お菓子屋さんである。 みた事もない色とりどりのお菓子が沢山、積み上げられている。

時折、道端にミント売りのおばあさんがしゃがみ込んでいて、 その付近はミントの香りが漂う。 大きな肉の塊というよりも、体の半身が店先にぶらさがった肉屋の前には、 前掛けが血で汚れたおじさんが立っている。 そうかと思えば、子供用から大人用までさまざまな服が山積みになった衣料品店 があったり、床屋や薬局もある。 道にはみ出して袋に入った穀物を売る店、ナッツを売る店、パスタを売る店、 雑貨屋、帽子屋、靴屋など何でも揃いそうだ。

両脇の店に気を取られていると、ガラガラとやってくる手押し車にぶつかりそうになる 手押し車には真っ赤に熟れたトマトがこぼれんばかりに積まれていたり、ピタパンが 山と積まれていたりする。

そうした喧騒の中を右側通行で歩き、鶏肉が美味しいという店で昼食をとることにする。入り口は狭いが、店内は奥行きがあり席もかなりある。 奥の方の大きなテーブルに座り、注文をする。 鶏の串焼きとピタパンと、イスラエル独特のサラダが幾種類も出てくる。 お腹に食べ物が入ると少しは気分が落ち着いて来た。

衣は抱っこ紐でくくりつける事にして店を出る。 狭い路地から右手に入ると、雰囲気ががらりと変わる。 ユダヤ教やキリスト教関係の店が見られるようになり、 かばん屋や観光客相手の店も幾つかあり、今頃になって初めて観光気分になる。 ようやく、息をしたり、物を考える余裕ができる。

そうこうするうちに、今日のもう一つの目的地である 聖墳墓教会にたどり着く。 教会前の広場には観光客がいっぱいで、記念写真を撮ったりしている。 入り口を入ると、キリストが十字架から降ろされ、 寝かされていたという場所がある。

2階に上がると、薄暗い中にキリストが亡くなった場所とされる所があり、 祭壇の下にしゃがみ込むと、当時の岩に触れるというので、 衣を夫に預けて列に並んでみた。 岩はごつごつしているのかと思ったら、平らな手触りだった。 後ろのベンチで待っていた夫と衣に「間接タッチ」をしてあげる。 しばらくそこで休んだ後、1階に降りてキリストのお墓を見学しに行った。 そこは観光客がとにかく多くて、とても入る事はできない。 子供相手にお墓の周りをぐるぐると回る。 子供達は大喜びである。 衣も観光客に話し掛けられたり、床にどっかりと座り込んでごきげんである。

しばらくすると、日本人のフランシスコ会の修道士が話し掛けてくる。 夫達は彼と、かなりの時間話し込んでいた。 63歳の方で、福岡から3年前にこちらに移ってきたそうである。 色々な人生があるものだと思う。

本当は、もう1個所案内をして下さるはずだったが、 その時点で既に4時近くになっていたので帰路につくことにする。

帰りはスムーズに帰る事ができた。 それにしても、エルサレムとはなんという所だろうか! 「混沌としている」というのが、今日の印象である。 誰もが言うように、エルサレムは何回にも分けて訪れなければ、 とてもとても全てを見る事はできない。

衣を抱っこして歩き回ったので、足がくたびれたわー。 旧市街の中は狭い石畳の歩道で、階段も多いので、ベビーカーは殆ど役に立たない。 抱っこ紐が重宝した。


6月25日(金曜日)

朝8時、レンタカー屋に電話をして、車の予約をする。 11時頃夫が車を借りに行く。 今回も店から迎えに来てもらう。 こういうサービスは気が利いていると思う。

衣に昼食を食べさせてから、北のスーパーマーケットに行く。 ここは以前、ウーリックに車で連れて行ってもらって以来である。 倉庫のような建物に莫大な量の品物が集まっている。 食料品を中心に、1時間程買い物をする。 この店は、いつも行くバスセンターの店よりも品物の値段が安い事を発見。 米などは、いつもと同じ製品が半額くらいだ!

食品以外は、再来週から始めるヘブライ語のレッスン用に、 200円でノートを、他には240円でワインオープナーを買う。 先日ワインを買ったものの、家にワインオープナーがなかったので買うことにした。 あとは定番の紙オムツ、お尻拭き、36個入りのトイレットペーパーなどなど。 こちらは何を買っても巨大なパッケージだ。 トイレットペーパー、コーンフレーク類、クッキー、ジャム、葡萄、どれも 1ヶ月くらいもちそうなパーケージだ。

帰宅後、昼食をして休憩。 夕方に、近くのラメラという町にドライブをする。 ラメラは、本によるともともとはアラブの町で、ヤッフォに上陸して、 エルサレムに巡礼に行く人々の中間点の町だったそうである。 しかし後にアラブ人はイスラエルの入植者に追い出されて、今はイスラエル人 の町となっている。

途中、羊や牛の放牧を、こちらに来て初めて見る。 車道の脇に幾匹か、柵から逃げた羊や牛が歩いている。 10分程でラメラに到着。 町は確かに、アラブの町の名残が感じられる。 つまり、ごちゃごちゃとしていて、崩れかかったような建物があちこちにある。 モスクや教会がある所を走ってみるが、ちょっと降りて観光をしようと思うのには 余りにも寂れていている雰囲気が漂う。 まさに、恐る恐る車窓から覗き見をしたという感じだ。

明日は、いよいよエルサレムに行くので、荷物をまとめたり、 明日の夕食の準備をして休む。


6月24日(木曜日)

朝一番に、昨日アンジェリカと話したヘブライ語のレッスンの事を調べ始める。 まず、研究所のエドナに電話して先生の連絡先を聞く。 次に、先生に電話をして、レッスンについて尋ねる。 1時間で50シェケルの授業料で、複数で受ければ頭数で割って割安になる。 数人のクラスなら、週に2回、それぞれ1時間半づつ教えてくれるそうだ。 人数は3〜4人くらいで、子供がいると言ったら、この宿舎まで来てくれると 言ってくれた。

とりあえずそれだけの情報を得て、アンジェリカに電話をして伝える。 他にクラスメートを募るために、興味を持っていると以前から聞いていた 3階の日本人の奥さんと、 デンマーク人のギッダに連絡をして打診してみる。 2人共やる気満々で、ギッダの方はご主人も参加したいとのことで、 週1回は午後に主婦だけ、2回目は夜にしてご主人も参加できるように アレンジを試みることにする。

夜にクラスを設定しても大丈夫か、アンジェリカと日本人の奥さんに聞いてみる。 アンジェリカは人数が多くなりすぎるのだはないか、1回飛ばしでの参加では ご主人も先生もやりにくくないかと、彼女らしい細かい事に気が回る。 一応その旨をギッダに伝えてみるが、大らかな彼女はもう既にご主人に電話済みで、 「1回飛ばしに関しては、主人は全然気にしていないわよー。」 「夜のクラスに関しては、やってみて駄目だったらまた考えれば良いわよー。」 と相変わらずどっしりとしている。

仕方なく、先生に電話して1つは夜に設定して、ご主人で参加したい人がいるの が大丈夫かと聞く。 先生の方は案外すんなりとオーケー。 それよりも子供のことが気になっているらしく、 もし2時に設定するのなら、その時間に全員が昼寝をしているようにして欲しいなんて 無茶な事を言ってくる。 レッスンは再来週からということになって、来週1週間、子供達の生活時間帯について 実験してみて、それから時間は設定しましょうということになった。

その旨を皆に伝える。 結局、来週の日曜日の朝に皆で一度集まって話し合う事になった。 やれやれ…。 今日はよく喋ったわー。 とにかく、一番のネックは子供たちである。


6月23日(水曜日)

パソコンの接続が正常に戻ったので、メールを書くことができるようになった。 従って、返事のメールも届くようになった。

3人目を妊娠中のいとこから久しぶりにメールが届く。 母の日と父の日に、5歳の長女から初めてプレゼントをもらったと いうメールが届いた。 自作の絵だったらしいのだが、「…とても幸せな気分になる絵です。」 とあった。 衣はまだまだ、「紙と床」に半分ずつ殴り書きの段階である。 11月に出産予定の彼女は、最近ひどい肩こりに悩まされているそうだ。 2人の子供を持っての妊娠は、さぞかし大変だろうと思う。

そのいとこと全く同じ状況なのが、2階のブラッハである。 彼女も4歳の男の子と2歳の女の子を抱えて、妊娠7ヶ月目である。 ここ数日、彼女が怒鳴る声が頻繁に聞こえる様になった。 というのは、この4歳の男の子が「ワル」なのである。 段々エキサイトしてくると、2階のベランダからおもちゃを次々に落とすのである。 以前も幾つかブロック等が落ちてきた。 最初は2階からか3階からか定かではなかったのだが、 そのうちに何故かアルバムが落ちてきて、ブラッハの家族が写っていたので、 犯人が明らかになった。

さて、この「危険な」遊びがまた今日も始まったのだ。 最初はかわいらしくブロック、ペンなどの小物が落ちてきたのだが、そのうちに ボン、ドン、ガシャ―ン、ドカンとすごい音と共に大物が降り始めた。 何事かと思い、窓の所に行って様子を伺うと、 なんと子供が乗って遊ぶ車が落ちているではないか! たまげてしまう。 そのうちに怒られるぞーと思っていると案の定、完全に「切れた」ブラッハが、 ヒステリーを起こしているのが聞こえる。 彼女はカナダ人なので英語で怒るので、全て内容が分かる。

この暑さで、しかも大きなお腹を抱え、「ワルがき」くんをコントロールするのに ほとほと疲れているようだ。 彼女の怒鳴り声は日に日に大きくなってくる。 夕方、おもちゃをまとめて持って上がると、いつもはきれいに身支度をして にこにこと美しい彼女が、くたくたのよれよれのボロ布状態で出てきて、 平謝りをしていた。 そのような彼女を一目見て「これはきてるわー」と、思わず同情をしてしまった。 3人の母となるということは、大変なことなのだ。

夕方、階段でアンジェリカに会う。 どうやらヘブライ語を習いたいらしく、私がクラスメートを探していると 先日言ったのを覚えていて、詳しい話を聞きたいらしい。 明日、私が情報収集するということになった。

しばらくすると、1階の円円ちゃんがお母さんに怒られているのが聞こえてきた。 どうやら、夕食中に叱られているらしい。 こちらは中国語なので、内容はさっぱりと分からない。 が、おおよそ想像はつくが…。 円円ちゃんが泣き始める、そこにお父さんが自転車で帰宅、お母さんのがみがみ声、 円円ちゃんの泣き声、お父さんのなだめるような声…実に賑やかな住宅である。

変な話だが、ひとが怒っているのを聞くと、逆に自分は冷静になってくる。 皆切れるんだわーと安心したり、 がみがみ声を聞いているとイライラ気分もおさまってくる。 不思議なものだ。


6月22日(火曜日)

今日は色々あって楽しい1日だった。

まず、お昼に研究所のホールで開かれたコンサートに、 ドイツ人のアンジェリカと行った。 彼女はここ数日具合が悪かったので、今日のコンサートも行かれるか分からなかった のだが、午前中に電話がかかってきて、行かれるということになった。 彼女と私は、先月のコンサートに子供を連れて行ってしまい、 入り口で門前払いをされた仲間なのだ。 その時はお互いに顔も知らなかったのだが、 それをきっかけにそれぞれ音楽好きということも判明して、 今では合奏の約束をするまでになった。

彼女は9ヶ月のベンヤミン君をご主人に預け、私は衣を夫に預け、 いそいそとコンサートに出掛けた。 今日のコンサートは研究所の関係者のみ入場が許されていて、入場料も無料なのだ。 少しおしゃれをした年配の人達が多い。

プログラムは ADI- Recorders Quartet による
Dohnanyi(1877-1960)
Serenade Op.10 for violin, viola and cello
Mozart
string + flute Quartet in D, K.285  の2曲だった。 1曲目は2人共知らない曲で少し退屈したが、モーツァルトはフルートが良い音で 楽しく聴くことができた。 偶然にウェンディーさんも私達の前の列に座っていて、同伴していた友達を紹介して もらった。

アンジェリカは去年の12月からここに居るのに、 コンサートに来たのは始めてだったそうで、楽しかったようだ。 次はご主人と交代して自分が子供の面倒をみて、ご主人に来させると言っていた。 いつも子供と一緒なので、子供無しでこういう風にいると、何かを忘れてきたような 妙な気がするわねーと言っていた。 確かにそうである。 子供がいないという事も変だが、私にとっては、 夫がいないという事も変で、なんだか独身時代に戻ったような気がした。 独身時代に、英国でお気に入りの女友達と一緒にいるような錯覚をおこした。

演奏会は、ほんの45分ほどで終り、 アンジェリカとすぐに別れてそれぞれ子供の元に戻る。

ところが、夫と衣が見つからずに又、コンサートホールに逆戻りをする 途中でウェンディーさんの一行に出会い、さっきとは違うお友達を紹介してもらう。 それにしても彼女はとても沢山の知り合いがいるようだ。 友達はジャッキーさんという。 「あいのです。初めまして。」と言って握手をすると、 「あいのですって? なんだかフィンランドの名前みたいですね。」 と言うので、 「まさにその通りです!  私の名前はフィンランドの名前から父が付けてくれたのです。」と思わず 大きな声で言ってしまう。 彼女は母国語がスウェーデン語で、フィンランド語も話す事ができるらしい。

それにしても、32年近く生きてきて、自分の名前を名乗って、 相手に「フィンランドの名前みたいですね。」と言われたのは初めての経験で びっくりしてしまう。 いつもは、自分の方から押しつけがましく説明を延々とするのだが、 今日は話が早かった。 私が「シベリウスの…」と言っただけで、「奥さんがアイノよね。 それに『カレワラ』(フィンランドの叙事詩)にもアイノは出てくるわね。」 私は「そうそう!」と相槌を打っていれば良い。 感激である。 父がこの話を聞いたら、私以上に喜ぶであろう。

そうこうしているうちに衣を連れた夫と会うことができた。 一緒に昼食を食べ、我々は帰宅。 最近、衣は昼食後に昼寝をする。 私も、夕方からある奥様ミーティングに備えて昼寝をする。

5時から宿舎の庭でミーティングがある。 暑さを避けて、5時半過ぎに出かける。 今日は連絡が行き届かなかったのか、いつもより参加者が少ない気がする。 ドイツ人のモニカ、ステファニーと話し、クッキーをつまみ、芝生に座っている デンマーク人のペデルセン夫妻と話す。 彼らは週末ごとに、結構遠出をしていて、 先週末は北のガリラヤ湖とナザレに行ったそうだ。

隣りに腰掛けてきたドイツ人のザビーナと色々と話す。 彼女はとても話しやすい感じの良い人で、私は結構慕っている。 ところが、8月に帰国してしまうと聞いて残念に思う。 ここでの生活は結局、数ヶ月単位で人々が出入りするので、 友達になったと思ったら、帰国ということになるらしい。 彼女はドイツではグラフィックデザインをしていたそうだ。 子供がもう少し大きくなったら、在宅でまた仕事をしたいが、 職探しはドイツでもやはり大変らしい。特に子持ちの場合は 条件が悪いと嘆いていた。 あと、雇い主は「若い人材」を欲しがるので、更に難しいと言っていた。 日本でも同じである。

彼女にはがんを病んでいる友人がいて、 その友人のことをいつも心配しているので、今日もそのことを聞いてみた。 ドイツから旅行で彼女を訪ねて来ていたその友人も、前回のミーティング に参加していた。 一緒にイスラエルを旅行したそうだが、その間中、具合が悪くなりはしないかと 気が気ではなかったそうだ。 勿論、何事も無く、今月の中旬に無事にドイツに帰ったらしい。

途中から夫も参加して、結局、最後の片付けまで残って帰った。

あー、楽しかった!


6月21日(月曜日)

昨日ゲウラにエアコンの様子を見て欲しいと頼んであったので、朝一番に男の人が やって来た。 室外機を見に行ってくれ、なんと室外機の中に植物が生えていたのが原因だったことが 判明。 とりあえず、彼が今生えている分は取り除いてくれたので、問題無く動く様になったが、又ゲウラに連絡して、草を切ってもらうように頼んだ。 明日は彼女がいないので、水曜日にもう1度電話をすることになった。

はー、エアコンの威力は素晴らしい! ほんの数分間つけているだけで、結構涼しくなる。 衣がいるのであまり低温にはしないで、 扇風機と併用して心地よい環境を作ることにする。

朝、久しぶりにウェンディーさんから電話があり、10時にアメリカ人の 友達が赤ちゃんを連れて来るから、もし良かったらいらっしゃいませんかと 誘ってくれた。 二つ返事で行く事にする。

アメリカ人は8ヶ月のダニエルちゃんという女の子のお母さんである。 彼女のご主人も研究所のスタッフで、もうここに来て5年になるそうだ。 彼女はレホボトではなく、ここから車で15分くらいの南の町に住んでいる。 彼女自身は、アメリカにいたときは高校の英文学の先生をしていて、こちらでは 英語を教えている。 個人レッスンや、企業の人達に教えたりしているということだ。

気さくなおばさんという感じで、話が弾む。 彼女も結構良い体格をしていて、なんだか迫力がある。 知らないうちに、お昼を一緒にご馳走になることになって、 ウェンディーさん特製のタンドリチキンをご馳走になった。

お腹一杯(おかわりまで頂いてしまう)になって、子供達も昼寝の時間ということで、 失礼してきた。 今度は、我が家でお昼にしましょうねと約束をしておいとまする。

衣も私も昼寝をして元気一杯になり、午後も楽しく過ごす。 夕方は、最近調子の悪いパソコンを持って、研究所でテストをする。 それから夫は、原因追求のために完璧にパソコンにはまってしまう。 どう考えても、今晩できることはないので、諦めてまた明日やれば良いのにと 私は思うのだが…。 まあ、彼にとってパソコンは商売道具なので、それが上手く稼動しないとなると 一大事だということは理解できるのだが…。


6月20日(日曜日)

エアコンの室外機がものすごい音を出すので、せっかくリモコンをもらっているのに 使えずにいた。 週末が終るのを心待ちにして、今朝一番にゲウラに電話をした。 ところが、肝心のゲウラいなくて、また後でかけなおすことにした。 がっかり…。

このところの衣のお気に入りは、金曜日に買った「パイとタルト」という お菓子の作り方の本である。 この本は写真がとてもきれいで、色々な果物やナッツ類のパイやタルトが それはそれは美味しそうに印刷されている。 衣はまさにこの本の「とりこ」となってしまった。 ページをめくっては現われる、美味しそうな写真を見つけてそれはそれは幸せそうな 表情をする。

特に好きなのは、苺とヘーゼルナッツタルトのページである。 見開きいっぱいに、とろりと真っ赤な苺がアップで写っているのである。 結構地味なタルトのページも好み、ブルーベリーチーズタルトなんていう 甘党苦手の男性陣の好きそうなタルトにも釘付けである。 私も横で一緒に眺めながら、作り方を読んで聞かせ、生唾ゴックン状態である。

以上、食いしん坊親子の日常でした。


6月19日(土曜日)

安息日の今日は家で過ごした。 夫は家で仕事、私と衣は普段と変わらない1日を過ごす。 このような1日は、のんびりとしていて好きだ。

夕方、涼しくなってから散歩にでかける。 初めて通る道を歩いてみた。 今迄、アパートばかりを見て過ごしてきたが、 今日歩いた道の両側には1戸建ての家が建ち並ぶ。 単なる住宅なのだが日本の家とはかなり異なり、 1軒1軒見て歩くのも楽しい。 ある家では週末のパーティーでも開いているのか、 庭にきれいにセッティングされたテーブルを出し、数人が集っていた。

日中に洗濯場でイタリア人の女性に出会った。 私の次に洗濯機を使いたいらしいので、私の洗濯が終るまでお喋りをした。 彼女はこの建物の住民ではなく、道を隔てた向こうの建物に住む研究者だ。 どうりで見慣れない顔だと思った。 あちらの建物には洗濯場がないので、こうしてわざわざ洗濯に来なければ ならないそうだ。 彼女はトリノの近くの出身らしいのだが、トリノといえば、 次の次の冬季オリンピックの開催地ではないか!

研究所には男性ばかりではなく、彼女のように女性の研究者もいる。 中には夫婦揃って研究者というカップルもいる。 この宿舎にも夫婦で研究者というインド人がいて、 6ヶ月の男の子は毎日中国人のベビーシッターに預けている。 私の知っている研究者の奥さんは理系の人が多いが、一般的にはどうなのだろう。 私はといえば、数学苦手・化学苦手・物理苦手という、 100%文系人間なのだが…。


6月18日(金曜日)

レンタカーを借りようと思い電話をするが、一番安い車種が空いていなくて諦めた。 ということで、 今日はタクシーでバスセンターのショッピングセンターまで買い物に出た。 毎週末、買い物でとても疲れてしまうので今週は色々と作戦を練った。

@行きがけで体力を使い果たしてしまわないこと。(タクシーを利用) A食品の買い物をまず始めに済ませてしまう。(レジで待ったり、思わぬ  ハプニングで疲れることが多い) B昼食は家で食べる。(外で衣に食事を与えると、タイミングによっては  とても疲れる) C買い物はさっさと済ませる。

これらの対策の効果があったのか、今日はいつもの様にへとへとにはならなかった。

食品の買い物を済ませて、CD屋で2枚CDを買った。 1枚は、昨晩夫が行ったコンサートのバイオリン奏者のもの、もう1枚はジャズの 女性ボーカルである。 帰宅後、早速順番に聴いてみる。 衣は時々、音楽に反応して体を動かす。 今日も、バイオリンの奏でるルーマニアの民族音楽などに反応してしきりに 体や頭を動かしていた。 しまいには床に座ってくるくる回ったりと忙しい。 これぞまさに「創作ダンス」である。

買ってきたとうもろこしを茹でて、おやつに食べた。 衣も初めての経験だが、楽しそうに食べていた。 意外と上手に食べるので不思議な気がした。 あしたはお腹をこわすかな―、衣さん?

コソボのニュースがテレビからひっきりなしに流れてくるが、 その悲惨な映像にどっきりとする。 突然にして難民となり、心を引き裂かれる思いをして故郷を離れ、 そして今こうして故郷に戻ることができてもそこで彼らが目にする 光景のなんと悲惨なことか。 かつてそこが平和であった頃、 その地に生まれ、生活を営み、家族や友人を持った彼らにとって 「破壊され、失った」ということは余りにも残酷な現実だと思う。 人間はこの様な残忍な光景、悲しみに耐えられるのだろうか、と 素朴な疑問が浮かぶ。 生活物資や復旧の援助はさることながら、 彼らにはメンタルなケアが必要とされるだろう。


6月17日(木曜日)

今日は寝具の洗濯をしたのだが、乾燥機が1日中空かずに結局乾かす事ができなかった。日中、空いていた時もあったのだが、洗濯室に小鳥が数羽入り込んで飛びまわっていて、ヒッチコックの「鳥」を思い出してしまい、怖くて入れなかった。 私は、鳥もけっこう苦手の様だ。 遠くに見たり、地面にいるところを眺める分には構わないのだが、 こちらに向かって飛んでくるとたちまち恐怖心で一杯になってしまう。

このように生物が苦手だと、この国では暮せないのだが…。 鳥、のら猫、のら犬、ノミ、シラミ、ゴキブリ、ネズミ、ムカデ、あり、クモ、 それはそれは数多くの大小様々の生物と共存しなくてはならない。

最近、パソコンの接続が悪い。 従って、日記の更新やメールチェックが思う様にできない事が多い。 早く回復すると良いのだが。

夫は夜、研究所内で開かれたジャズバイオリンのコンサートに出かけていった。 私は衣を早々と寝かせ、テレビでスーパーマンを見て (スーパーマンは新しいクラークとガールフレンドのバージョンなのだが、 クラークは前の俳優の方が、 そしてガールフレンドは今回の女優が個人的には好みである) 読みかけのまま放置されていた「小説・聖書」の上巻「旧約編」を読み終えた。

以前も書いたように、この本はとても楽しく読むことができた。 土地の名前など、馴染みのある名称が次々に登場するので、信者ではない私にも 大変に興味深い内容だった。 次は「新約編」を読もうか、又は他の本にしようか迷うところだ。


6月16日(水曜日)

午前中にゲウラから電話があり、 エアコンのリモコンを取りに来て欲しいとのことだ。 早速、衣と帽子を被ってでかける。

昨日の朝に届けてくれるものと思っていたが…と言うと、 領収書がなくて、昨日の朝は配れなかったそうだ。 というのは、リモコンと引き換えに、 200シェケルのデポジットを払わなければ ならないのだ。 勿論、帰国に際に全額戻ってくるのだが、壊したり無くしたりしないようにという ことらしいのだが、それにしても、たかがリモコン1個に6000円は高いと思う。

1週間程、休暇をとっていた彼女に休みはどうだったかと尋ねると、鼻の調子が 悪くなって帰ってきたと言って、しきりに鼻をむずむずいわせていた。 ついでに、残り少なくなってきていた洗濯用のトークンを購入した。

最近、衣は何でも手で食べるのが嬉しいのだ。 この数日のお気に入りはトマトだ。 トマトをくし切りにして、とろっとした種の部分を除いてお皿に置くと、 ものすごい勢いで掴み、どんどん食べ始める。 器用なもので、皮の部分を残してきれいに食べてしまう。 残った皮はなぜか、隣に座る私の椅子の上やテーブルの上に置く。

他にも塩もみしてしんなりとしたキャベツの芯なども、 ぽりぽりと食べている。 この間までは、薄切りにして与えていたりんごも、最近は大きな塊で渡すと、 嬉しそうに前歯で削って食べている。 可愛らしい行動といえば、自分が食べているものを、 横にいる私にも差し出して食べさせてくれるのだ。 生温かくなったりんごを 私が一口かじると、満足げに自分もかじり、又私に差し出す。 そうやって一緒に食事やおやつを食べていると、楽しい気持ちになってくる。 自分で食べることも少しは出来るようになってきたので、私も同時に食事が できるようになり、あとの家事へのしわ寄せが少なくなってきた。 この先、スプーンや箸の使い方を覚えさせるのが次の難関だとは思うが…。


6月15日(火曜日)

朝8時にエアコンのリモコンが配られるということなので待っていたが 結局1日中来なかった。

今年から各家のリビングと主寝室に、エアコンが設置されることになった。 というのも、今迄はエアコン無しで生活をしていたらしいのだが、去年の イスラエルは異常気象で非常に暑く、それに耐えかねた住民が署名運動をして エアコン設置にこぎつけたそうだ。

我々の部屋には、引越しの前に既に取り付け工事は終了していたのだが、 他の部屋は、我々が引っ越してきてからも、毎日ひっきりなしに取り付けの 作業が行われていた。 毎日どこかの家から機関銃のようなドリルの音がしたものだ。

各家の取り付けも終わって久しいのに、なかなかエアコンを使っても良いという 知らせがこない。 皆で、何時から使えるのかしらと案じていたのだが、ようやく使える事になるようだ。 やれやれ。

我が家は1階に位置していて、しかも家の前に大きな杏の木が生えているので、 丁度良い日陰ができて、午前中は涼しい。 暑い時でも、今のうちは扇風機を回していればさほど苦にはならない。 南向きの2階、3階の家はかなり暑くなると思う。 家によっては、よく店などで使っている、ビニール製のひさしを取り付けて ベランダを完全に覆っている所もある。 生活の知恵だろう


6月14日(月曜日)

8時からノミのための消毒の業者が来るので、6時半に起床。 昨晩のうちに台所の食品を冷蔵庫に入れたり、ビニール袋に入れて棚に閉まったりと 大騒ぎである。 おかげで家の中がすっきりとした。 床には何もなく、棚の上なども空っぽである。

消毒薬散布後は4時間、家を留守にしなければならず、 我が家の避難先はドイツ人のアンジェリカにお願いしてあった。 8時から押しかけるのはいくらなんでも悪いと思ったので、まず研究所の庭やカフェで 時間をつぶして、10時半か11時頃お邪魔しようと思っていた。 のだが…、朝に彼女から電話がかかってきて、11時から声楽のレッスンが入ったので、その間、鍵を置いていくので家に居てもらっても構わないと言ってきた。 それは悪いと思って、「じゃあ、他の家をあたるわー。」と言ったら、 「えー良いのよ、今からだって構わないわよ。」なんて言ってくれるので、 結局、朝一番にお邪魔することになった。

消毒のおじさんが8時半頃に来て、5分で仕事を済ませたので鍵を閉め、 早速彼女の家に行く。 彼女は隣の階段の2階に住んでいる。 丁度朝のシャワー中だったので、勝手に家に入り勝手にくつろがせてもらう。

彼女のところには9ヶ月のベンヤミンくんがいる。 目のパッチリとした可愛い男の子だ。 子供達を遊ばせながら、お互いの身の上話に花が咲く。 彼女は精神科医としてのキャリアが4年間ある。 なななんと、夫婦揃って医者だったのだ。 神経科の医者のご主人とは大学時代に知り合ったと言うわけである。

彼女は患者さんに際限無く時間を割いてしまうタイプの人らしく、 「ある所で割り切って線を引かなければならないのよねー。 ベンヤミンの世話でも一緒なの。」と言っていた。 なるべく少ない時間で世話を済ませようと思っている私とはエライ違いだ。 やはり、こういう優しさのある人物でなければ精神科医は務まらないのであろう。

ご主人がバイオリンを弾くという話だったが、ちゃんとバイオリンケース や譜面台があった。 楽譜も練習曲やカルテットの楽譜の束が山になっていた。 先日ビオラを弾くと言ったら丁度、弦楽四重奏のメンバーを探している ということで、楽器を探してもらい、良ければ参加させてもらうことにした。 ヤッホー、念願かなったりである。 流石に、衣とビオラを携えてイスラエルに来る事はできなかったので、 自分の楽器は留守の間は、大学の学生に貸してある。 「貸す」といえば、ドイツ語では、「貸す」と「借りる」が同じ単語だそうで、 彼女は英語で「貸す」「借りる」を言う時に、いつも間違えてしまうと言っていた。 こんなに流暢に英語を話す彼女でも、間違えることがあると思うと勇気が湧く。

結局、話が尽きずに11時近くまで居座ってしまう。 声楽のレッスンは、途中で先生から電話がかかってきて、今日は中止になった。

アンジェリカにお礼を言って部屋を出ると、中国人が2人、 子供を連れて涼んでいたのでしばし仲間に入れてもらう。 1人はこの宿舎の住民、1人は道を隔てた向かいの宿舎の住民なのだが、 この宿舎に住む共働きのインド人のために、週5日間6ヶ月の男の子のベビーシッター をしている。

その後は研究所に行って、冷房の効いた建物のロビーで夫との待ち合わせ時間まで 過ごす。 途中で2階のブラッハに会い、彼女も4時間の放浪中とのことだった。 彼女は妊娠中だからか、余計に刺されるらしく、 夜も眠れずかなり参っている様子だった。 ノミのせいで、主婦の仕事が莫大に膨れ上がり、おまけに不愉快な思いをして、更に 放浪の旅に出なくてはならなくなり、最後は念入りな掃除と洗濯が待っている…。 「あともうひとふんばりで全ておしまいね―」 とお互いの労をねぎらいながら別れる。

研究所では、 たまたま現れたおばさんが、なにやらしきりにヘブライ語で話し掛けてくる。 手振り身振りで想像したところによると、「彼女の子供が日本人と結婚して日本に 住んでいる」ということのようだ。 そうこうしていると、若いお兄さんが、荷物を台車に乗せて通りかかる。 おばさんがお兄さんに、通訳を頼む。 彼が英語で説明してくれたのは、さっき想像した通りのことだった。 イスラエル人と日本人の結婚は珍しいので、こちらの新聞に載ったそうだ。 日本人は結婚してユダヤ教徒になって、名前も変えるということだ。

昼食を研究所で済ませ、衣を夫に預けて一人で帰宅し、家の掃除にかかった。 子供のいる家では、 4時間後に床を丁寧に水拭きするように言われているからである。 2階のブラッハは2回、3階の日本人は4回拭いたと言っていたので、 私も4回以上拭いた。 掃除も終りかかった頃に、夫が衣を連れて戻る。 午後は衣も私も疲れたので、昼寝をする。

ノミ騒動のおかげで、けっこう友達ができた。 こういうちょっと恥ずかしい内容の話をすることによって、他の住民との 距離がぐっと縮んだような気がする。 こういう問題に対して、どういう風に各国の人達が反応し、対応するのか を見たり聞いたりすることによって、彼らの生活習慣を知ることもできる。 デンマーク人のギッダや、ドイツ人のアンジェリカは、 ノミの取り持つ仲という訳だ。


6月13日(日曜日)

午前中にデンマーク人のギッダが娘のクララ(11ヶ月)を連れてやって来る。 先日も書いたように、この宿舎でノミの大発生がおこり、 結局宿舎全体で消毒をすることになった。 今日と明日の2日間に渡り、各部屋を消毒していく。 薬の散布後は4時間、部屋を空けなくてはならないので、 それぞれ順番にその日、散布をしない家に避難するわけだ。

ということで、今日はギッダが我が家にやって来たという訳である。 彼女は先週イスラエルに着いたばかりであるが、早速車も購入して、 昨日はエルサレムに行って来たそうである。 色々と話しているうちに、彼女は生物化学を専攻していて、 それも今、Ph.d の真っ只中ということが分かった。 奥さん達の中でPh.d をやっている人がけっこういるのは、きっとご主人達が 研究者なので奥さん達も自然にアカデミックな人が多いのだろう。 私はバカデミック…。

それに、彼女はなんと妊娠中で10月14日が予定日だそうである。 あーはーん、どうりで彼女のおなかが出ている訳である。 おとといのパーティーの時に、なんかおなかが大きいなーと思ったのだが、 子供が11ヶ月なので、まさかもう2人目の筈はないと勝手に思ってしまい 出っぱったおなかは彼女の天然物だと思っていた。 来たばかりなのに、8月末には出産の為に帰国し、11月に戻ってくるそうだ。 皆、出産の為に行ったり来たりで忙しい。

お昼に夫より電話があり、彼女も一緒に研究所で昼食をすることにした。 彼女は研究所で昼食を食べるのは初めてと言っていた。 クララがお皿の米粒を手で食べ散らかして、大騒ぎとなった。 やはり1歳前後の子供は、行動が皆同じだなーと思う。 今日に限って衣は静かにビスケットを食べていて、羨ましがられた。 「いやー、今日は特別よー。いつもは戦いよ!」 と言った。

帰宅後衣と遊び、夕方は少し昼寝をして、夫と買い物に行った。 今日もピタパンと具入りパン(マッシュルーム1つ、ポテト1つ)とクッキー 2つを買った。 スーパーで果物などを買う。 最近、このスーパーは経営者が代わったようで、品物の配置が少し変わった。 チェーダ―チーズを買おうと手にとったら、なんと「ブルーチーズ」になっていた。 (かびが生えていたということ!)


6月12日(土曜日)

今日は珍しいことに、一日中空に雲が浮かんでいた。

お昼過ぎから、レホボトの真西に位置するビーチにドライブすることにする。 このビーチは夫が、海水浴好きの学生に勧められた場所である。 家を出発して30分くらいでたどり着く。 入場料として、10シェケル取られた。

駐車場といってもだだっ広い砂地でどこに停めてもオーケー。 勿論日陰など、どこを探してもない。 中には車のカバーを持参して、海に行く前に車にすっぽりとかけている 人達もいた。 これは良い考えだと感心する。 生活の知恵というものだろう。

駐車場の端の茂みの向こうは、もう地中海である。 テルアビブで海岸沿いを散歩して以来、久しぶりの地中海との対面である。 今日も多少風が強く、場所によっては遊泳禁止の黒い旗が砂浜にさしてある。 風はあるが、前のように砂が舞って困るということはなく、波打ち際まで歩いてみた。 塩を含んだ、海特有のぺっとりとした風が吹く。 白く細かい砂の上に人々は思い思いの水着に身を包み、日光浴をしたり、 ゲームをしたり、ビーチバレーをしたり、砂遊びをしたりと砂浜での過ごし方は万国 共通のようである。 ただ、日本で見かけない砂浜での風物詩は、 以前も書いたバッキャモンと西洋式羽根突きとでも言うのだろうか、 大きめの卓球のラケットのようなもので、固いボールを打ちあう遊びである。 ポクポクと心地よい音があちらこちらで聞かれる。

砂浜には所々に日陰が作ってあり、その一つで少し休むことにした。 衣は珍しい光景に圧倒され、最初はものすごいブスな顔で海を睨んでいたが、 しだいにリラックスしてきて、渡した貝殻を両手一杯に握って満足気だった。 砂浜には簡易シャワーやトイレ、看護室も一応設置されている。 真っ赤なシャツを着たおばあさんが看護室の前で、 手持ち無沙汰気味にぶらぶらしていた。

早めに退散して、少し遠回りをしてショッピングセンターに行く。 このショッピングセンターは人が多く、雑然としていて非常に疲れる。 衣のサンダル、おもちゃを買い、食料を少し買おうと思ったが、 食品屋が見当たらずに、ジュースを飲んで休憩することにした。 コインを入れて動く乗り物に座らせると、 (コインは入れずに)大喜びでハッスルし始めた。 そういえば、子供はこういう乗り物が大好きなんだったなー。 子育てをしていると、忘れていたことを沢山思い出さなくてはいけない。

夕方に帰宅し、次々にシャワーを浴びさっぱりとして、 出かける前に煮込んでおいたスープを食べる。 昨日買った衣のコップは気に入ってもらえたようで、 像の柄をいちいち爪でがりがりやってから、中の飲み物をストローで飲む。 良く遊んだので、衣は普段よりも1時間早く休む。


6月11日(金曜日)

今週末はレンタカーを借りることにした。 レンタル業者に電話をすると、5分後に迎えに来てくれることになり 大いに慌てた。 3人で迎えの車に乗り込み、レンタル屋に行く。 ここは土曜日は休みなので、週末にかけて借りる人が金曜日に来店し、 いつもお客がいる。 今回は以前借りたものよりも少し大きめの車だ。

早速その足でバスセンターに買い物に行く。 夕方にデービッドの誕生日会に招待されているので、簡単なプレゼントを探す。 幾つか店を廻って、結局砂場セットにした。 カードを買うために他の店で延々とレジで待たされ、またまた疲れる。 私は学生の頃や結婚前に比べて、気が短くなったような気がする。

次に、地下に降りてビザの延長の手続きに必要な夫の写真を撮った。 日本と同じような簡易写真のボックスが設置されている。 紛らわしいことに、2〜3台ある機械のうちの幾つかはプリクラの機械なのだ。 それも日本製だった。 こんなところに進出しているのか…。 そういえば、以前テルアビブで見かけたゲームマシーンも日本製の物が多かった。

無事に写真が撮れたので、昼食をとる。 以前食べたイタリアンのファーストフードにした。 衣が眠くて機嫌が悪くてほとほと疲れた。

その後、食品の買い物をする。 衣に念願のプラスチックのコップを買うことができた。 最後の難関のレジでまたまた待たされ、 衣も大騒ぎでへとへとになって買い物をようやく終える。

4時過ぎに隣の建物に住む、ステファニーの所に呼ばれて行く。 彼らの1人息子のデービッドの1歳の誕生日会なのだ。 ドイツ人を中心に、同じ位の年頃の子供を持つ家族が9軒招待されていた。 衣は相変わらず最初のうちは、私にへばりついて不安げな顔をしていたが、 そのうちに1人で遊びに行き、沢山あるおもちゃに目を輝かせていた。 (我が家には殆どおもちゃがない。)

先週越してきた新顔のデンマーク人の家族も来ていて、来月1歳のクララちゃんと 遊んだ。 ご主人は小さい声で早口に英語を話し、奥さんは鼻にかかった声で流暢な英語を話す。 この奥さんがけっこう肝っ玉母さん風でおかしいのだ。 なんだかいつも、かったるそうに話をする。

ドイツ人のアンジェリカと話をしてみると、彼女はピアノを弾き、 ご主人はバイオリンを弾くことが分かった。 彼女は声楽のレッスンや合唱団に入って活動をしている。 合唱団ではヘンデルのメサイアを練習しているそうだ。 私の大好きな曲だ。 中学の時にオーケストラで抜粋をクリスマスに演奏した思い出がある。 当時、セカンドバイオリンを弾いていたのだが、難しくいつも先生に怒られていて びくびくしながら練習に臨んだものだ。 冬場の練習は、寒さで手がかじかみ指が動かず、 皆で石炭ストーブの上に手をかざしながら練習をした。

アンジェリカは余り高い声は出ないのだがソプラノに属しているらしい。 というのも、アルトだと知らないうちにメロディーをつられて歌ってしまうからだ そうだ。 良かった!私の他にもそういう人がいたのだ! 思わず2人で「そーなのよねー!」 と盛り上がってしまう。 その調子で話していると、彼女は16歳の時にイギリスに英語留学をして、 その時に日本人のルームメートがいたということが分かった。 私も高校の時にイギリスにいたことがあると話し、お互いにイギリス好きであることが 分かり大喜び。 ご主人はお医者さんで落ち着いて感じの良い人だった。

他にも知り合いを夫に紹介したので、夫も少し宿舎の住民がどんな人たちなのか 把握できたと思う。 私自身も今日初めて話す人も幾人かいた。

ステファ二ーは手製のケーキを2種類用意して、ユダヤ教徒の為に市販のケーキを 準備していた。 そのうちに、こちらで人を招く時のノウハウを誰かに伝授してもらわなくては いけない。 モニカというデービッドのベビーシッターも、 数字の1をマーブルチョコレートでデザインしたお手製のケーキを持参していた。 皆それぞれにプレゼントを用意し、ベランダの机の上に山と積まれた。

2時間程、親子3人共それぞれ楽しく過ごし帰宅する。 私は週末の戦いの買い物でエネルギーを吸い取られ、 久々の社交で少しくたびれた。


6月10日(木曜日)

夫は午後からテルアビブ大学に行く。 3階の日本人宅に連絡があり電話をしたところ、 一家全員風邪でダウンしているとのこと。 彼らとはもう1週間ほど会っていないことになる。 週末の買い物など、必要なことがあれば連絡下さいとメモを書き、 玄関のドアの下の隙間に投げこんでおいた。

今日は結局衣と一日中、家の中で過ごした。 夕方に近づくにつれて、衣のエネルギーは蓄積され大はしゃぎだった。 最近、少し大人の言う事が分かるようになってきたのか、 「これをお父さんの所に持って行って」と言うと、確かに夫の所に 持って行くことがある。 もちろん偶然かも知れないが…。

相変わらず台所が好きで、誰かが台所に入ると、急いで歩いてやって来る。 両手を上げてバランスをとりながら歩いてくるので、まるでチンパンジーの ようで、我が子ながらかなり変な格好で笑ってしまう。 すかさず自分の椅子に手をかけ、食べる気満々である。 彼女の食いしん坊なところは、私に似てしまったようである。 最近のお気に入りは、おやつの動物クッキーとメロンである。 こちらのメロンを初めて食べてみたが、とてもジューシーで甘くて美味しい。 種類は、意外にも1種類しかまだ見たことがない。

そう言えば先日会った、九大にいたヨセフさんは日本で果物を食べた時に、 スイカやオレンジが薄く切ってあり驚いたと言っていた。 そして、イスラエルは果物が美味しいので、こちらにいるうちに沢山果物を 食べてくださいと言っていた。 最近は研究所の食堂でも、スイカが置いてある。 確かに、1切れがかなり大きい。


6月9日(水曜日)

久しぶりに昼食を研究所でとる。 1時過ぎに夫とサンマルチン(肉が食べられる食堂)で待ち合わせをする。 この建物は玄関のひさしにツタが生えていて、上からツタのつるが垂れ下がり、 大変にきれいである。 それに加えて、室内の階段の壁が一面大きなガラス窓になっているのだが、 その大きなガラス窓にもツタが垂れ下がり、大きな緑の絵のようで美しい。

今日はバターライスに、野菜の煮物、鶏肉のカツレツのような物を頼んだ。 ボリュームがあってお腹が一杯になった。 エネルギーが湧いてくるような食事だ。 多くの人は、ここの食事は重過ぎる、美味しくないと評するのだが、 注文する量を加減したりすれば、それほどひどくはないと思う。 確かにいつも同じようなメニューなので、いつかは飽きそうだが今の所は まだ、珍しさが優先している。

ここの利点は、一つ一つのテーブルが大きい事、各テーブル毎の間隔がたっぷりと とられている事、衣がうるさくなり始めたら、 すぐにロビーに出ることができるという事などがあげられる。

研究所内は以前にも書いたように、緑が多く環境が良い。 そういう環境なので、結婚式を終えたカップルがプロのカメラマンと一緒に 写真撮影をしていることがよくある。 彼らは大体夕方に撮影をするようだ。 道にリボンを飾った車が停車していれば殆ど100% 近くに、純白のドレスを着込んだ花嫁さんと、めかし込んだ 花婿さん、花束を持った付き添い人、それにカメラマンの姿を見つける事が できる。

今日も夕方、夫の勤めるパールマンの建物の前の池の淵で撮影をしていた。 気のせいかもしれないが、今まで目撃したどの花嫁さんも、かなりがっしりとした 体格で貫禄があるように思う。 多くの日本の花嫁さんのように、 華奢で「ドレスに身を包んだ」という感じの女性はまだ見ていない。 もちろん、それはそれで美しいと個人的には思うのだが。 貫禄を感じさせる彼女たちの場合は、 ウェディングドレスを着こなしているのだろう。 あの白いドレスのボリュームに負けない肉体を持っているのだ。 結局は、洋服文化の人たちということだ。 かなり非日常的な格好をしている筈なのだが、それ程違和感がないのだ。

夕方はまた、ピタパンの店に寄って、ピタパン4枚、具入りパン2種類、 クッキー2個を買って帰る。 帰り道に、偶然夫のホスト研究者の学生と一緒になる。 大変に真面目そうな感じの良い学生だった。 ディマという。

最近、アメリカに出張していた友人から続けて2通手紙が届いた。 私宛てに届いた手紙は、これが始めてである。 ニューヨークから5日間で届いた計算になる。 感心したのは、勿論国語辞典など携帯していないと思うのに、 走り書きの長い手紙の中で必要な個所には、 きちんと正しい漢字を使って書いているということである。 私はもともと漢字は苦手な方であるが、最近はもっぱらパソコンで 文章を書いているので、ますます漢字の世界から遠くなってしまっている。 読書の好きな彼女の財産であろう。


6月8日(火曜日)

夕方5時から、例の奥さん達の集まりがあった。 夏の間は、ここの宿舎の庭で夕方に催されるらしい。 時間帯が午前中から夕方にシフトされるので、 ご主人達の参加も可能になる。

衣を連れて5時半くらいに出てみると、もうすでに賑やかに始まっていた。 テーブルを出して、市販のクッキーやジュース、 メロンやスイカなどが並べられている。

新しく引っ越してきた中国人とその2歳の娘さんと話す。 子供の名前は円円ちゃん(中国語ではもう少し複雑な漢字)イェンイェンちゃんと 発音する。 衣は中国語では「イ」と発音するそうだ。 イェンイェンちゃんと、イちゃんのアジアコンビだ。 ご主人の弟さんが東京で働いていると言っていた。

少し年配のメキシコ人は、1人息子さんが3階の日本人家族の長男と 学校で同じクラスらしい。 目の覚めるような青いサリーをまっとったインド人はなんと、妊娠2ヶ月目という ことでとても嬉しそうだった。 男の子と女の子のどちらが良いのかと聞くと、ご主人が女の子を欲しがっているので 女の子が良いそうである。 冗談のつもりで名前はもう考えてあるのかと尋ねると、 驚いた事にもう決まっているということで、説明をしてくれた。 9月には出産の為に帰国して、また戻ってくる予定らしい。

先週引っ越してきたというデンマーク人の家族とも話した。 デンマーク人らしく、カラフルなティーシャツに短パンという服装だ。 父親が昔デンマークに留学したこと、私自身も学生の頃に その研究所を訪れた話しなどをした。 北欧から来て、暑くてかなわないのではないかと問えば、昼間はどうしようもない と言っていた。 イスラエルは乾燥しているので、意識して子供に水分を与えるように、 勿論大人もたっぷりと飲むようにと少しだけ先輩ぶってアドバイスした。

エドナ(外国人研究者担当のスタッフ)からの連絡事項は、近い内に 子供のための救急・応急手当の講習会を希望者でまとまって受けることを 検討しているということ、夏休みの子供達のサマーキャンプの申し込みに ついてなどだった。

そうそう、ノミについては皆で口々にエドナに報告をした。 私も他の家ではどうだったのかと、情報収集に励んだ。 やはり、皆、相当悩まされていたらしい。 1人の人は、この2〜3日の間に少なくとも9回は洗濯をしたと言っていた。 外で発生していることを証明するように、 その間たまたま旅行中で留守をしていた家は、 ほんの2匹しかいなかったそうである。 皆、やはり最初は自分だけの問題かと思って、苦しんでいたようだ。 皆の話を聞いていたエドナが「なんだか私もかゆくなってきたわー!」 と嘆いていた。

夫も途中から参加して最後は、片付けの手伝いをして7時過ぎに帰宅した。 今晩は鶏肉のひき肉で肉団子を作ってスープ煮にした。 沢山できたので、明日も一日中食べられる。 衣の食事にもってこいの献立だ。 衣は最近、自分で手でつかんで食べる事を好む。 今日も、スープ煮の人参、ジャガイモ、肉団子を、 目をぱかっと見開いて一生懸命につかんで食べていた。


6月7日(月曜日)

ようやく船便が着いたので、衣の夏服もぐっと増えた。 私に同年代の子持ちの従妹が多いおかげで、 我が家の子供服は98%お古で済んでしまう。 なお良い事に、女の子のお古が多いので、 かわいらしい夏服が沢山船便で届いた。 今日は早速、ノースリーブのワンピースを着せて遊ばせた。 涼しくて気持ちが良いらしく、嬉しそうに遊ぶ。 ワンピースがふわっとするのが珍しいようで、しきりにスカートを引っ張っては 眺めている。

今日もノミがつくのが嫌なので、1日中家の中で過ごした。 先日おもちゃ屋で買った、大小の積み木カップが気に入っているようだ。 台所の衣用の引き出しに、 ヨーグルトの空き箱を入れたり出したりして楽しそうに遊んでいる。

昼食に、スーパーで買ったインスタントラーメンを食べた。 今日は野菜味を食べたが、先日食べたチキン味に比べてこくが無くて、 味無しという感じだったがお腹は一杯になった。 衣は最近、食卓の椅子に座って食事をするようになった。 勿論、落っこちないように 脇を私がガードして食べさせる格好になる。 食卓が見えるのが嬉しいらしく、とても楽しそうに食事をするようになった。 ピタパンやキウイを手で食べる時は、幸せ一杯の笑顔になる。 満足している時は、とんとんと隣に座っている私の腕を叩いて 喜びを表現する。

夕方、夫と待ち合わせをして正門近くのパン屋で、 ピタパンと具入りのパンを買う。 このパン屋は店でパンを焼いていてとても美味しい。 驚くべき事はピタパンの値段である。 1枚がなんと0.5シェケル、つまり15円なのである。 皆、袋に一杯何十枚も買って行く。 ピタパンは焼きたてが美味しいので、今日は2枚だけ買うことにして、 始めて具入りのパンを買った。 生地はピタパンと同じで、中にスパイスの効いたマッシュルームの具が 入っている。これ1つで6シェケルだから180円ということになる。

もう少し歩いて、初めてスーパーソルというスーパーマーケットに行った。 かなり大きなスーパーで、中にパン屋、肉屋、チーズ屋、総菜屋などの コーナーがきちんとある。 2階もあるようだが、今日は行かなかった。 以前から試してみたかったオリーブをようやく買ってみた。 オリーブといっても4〜5種類くらいあるので、試食をしてみて、 黒く大きな細長いものにしてみた。 好きなだけ、袋に入れてレジで支払う方式だ。 夫は最近凝っている干し杏を、しこたま買い込んでいた。 まだ冷蔵庫にあるのに…と思いながら、でも楽しそうだから良いかと 横目で見ながら私は野菜を吟味した。

夕食は皆で揃ってピタパンを食べた。 やはり焼き立てが一番美味しい。 (店で買って、その場で食べるということ)

食事前の読者は、この先を読まないほうが良いと思うが、 夜、私の大嫌いなゴキブリが登場した。 洗面所兼トイレ兼浴室の部屋に、今まで見たこともない位大きな ゴキブリが出没したのである。 体長10センチくらいと言ったら夫に「いやもう少し小さかった」と 言われてしまうのだが、とにかく私にとっては10センチくらいに思えた 大物だ。 ノミ、ゴキブリ、次は何だろう。 ムカデもいると言われているので、体長30センチ位のムカデが出ても 慌てない様に覚悟をしておかなければならない。 あー、考えただけでも鳥肌が立つ。


6月6日(日曜日)

ノミが大発生して大騒ぎである。

数日前より、ノミに刺されて不愉快な思いをしている。 原因が分からずに、週末に大掃除をしたり、洗濯を沢山したりと変だと思って 過ごしてきたのだが、今日原因が分かった。

午後4時半頃、衣を芝生で遊ばせようと思い、廊下に出てみると 柱に張り紙がしてある。 又、停電かなと思い読んでみると、「ノミの為に殺虫剤をまいたので、 火曜日の午後まで芝生に座らないように。」 と書いてある。 なーるほどノミは外にいたのだ!

それ逃げろとばかりに衣を抱き上げて、一目散に家に帰ってくる。 変だと思っていたが、外に発生していたのか。 外遊びが仕事の子供達を持つ3階の日本人の奥さんに、早速お知らせをする。 彼女もこの数日、ノミに悩まされていたらしい。 彼女の話を聞いているうちに、この宿舎の住民のこの数日間の異様な行動が 謎解かれてきた。

やけに皆が洗濯を頻繁にするようになった。夜中にご主人が洗濯に行く家も あったそうだ。夜中に家中の大掃除があちこちで行われていた。 ベランダにマット類が一斉に干された。 階段でじゅうたんをたたく人がいた。 研究所にわざわざ散歩に行く人が出始めた。

それらの行動を目撃した時には、一つ一つの事項に関連性は 見出されなかったのだが、ノミの発生という理由が発覚した今となっては、 これらの事柄が全て一つの原因によって引き起こされていた事がはっきりとした。 原因が分かり、我が家だけの問題ではないと思うと少し気分的には楽になった。

ところが…である。 夕方、研究所に残りの船便が届いたので、 取りに来て欲しいと夫から連絡があり、大きなリュックを背負い出かける。 沢山の夏物衣類をぎゅうぎゅうに詰めて宿舎にたどり着き、 廊下を歩き始めたとたんにノミの大群の襲撃をくらった。 衣を抱き上げ、ぱたぱたと服をはたき、家にダッシュで走りこむ。 衣の服を脱がせ、つぎつぎにノミをつぶす。 夫と衣はそのままお風呂に直行し、 私は皆の服からピョンピョン飛び跳ねる黒い物体をひたすらつぶす。 2人がお風呂から上がった頃にはなんと、30匹ほどの収穫があった。

とにかく衣を非難させ、徹底的に退治をして、他の部屋に進出しない様 無駄かも知れないが細心の注意をする。 話によると、去年はこのような事はなかったそうなので、 この状態は特別の事態らしい。 ひたすらそうであって欲しいと願う。 このような事が頻繁にあったのでは、たまったものではない。 思わず昔、ペットの猫のノミが大発生して大騒ぎをしたことを思い出した。

夜中に衣のオムツの中を、念の為にチェックしてから休む。

あー、この悪夢はいつになったら終るのだろう。


6月5日(土曜日)

今日は張り切って洗濯を3回もした。 洋服で1回、寝具で1回、タオル類とベビーカーのシートで1回。 きれいに洗えたシーツを外の針金に干したのだが、午後になって取りこみに 行ったら、なんと5枚中2枚は鳥のふんで汚れ、1枚は無残にも地面に落ちていた。 結局きれいなシーツは2枚きりである。 一気に気分が盛り下がった。 4回目の洗濯機を回す気にはどうしてもなれずに、とぼとぼと帰宅。

今日はいつもより暑い日だったので、夕方涼しくなってから、 研究所を突っ切ってヘルツェル通りに出て北に歩き、ヘブライ大学の 農学部に行ってみた。 ワイツマンとは建物の感じが全く異なる。 少し古さを感じるオレンジ色の屋根とクリーム色の壁の建物である。 ワイツマンのように公園のようではないので誰も人がいない。

帰りに正門近くの中華料理屋でテイクアウトを買い込み帰宅した。 夕食はテイクアウトの豚肉のオイスターソース炒め、揚げ餃子。 久々の豚肉で美味しかった。 揚げ餃子は中身がカレー味の甘い具で、インド料理の様だった。 先日も書いたが、こちらでは中華料理は決して安くはない。 今日も豚肉の料理が1200円くらいもした。 もちろん分量は、2人で食べても余るくらいではあるが…。


6月4日(金曜日)

最近は衣が目覚まし時計の様に、毎日きかっり決まった時間に起きるので 休日も寝坊はできない。

10時過ぎに3人で週末の買い物に出かける。 今日は行きは徒歩でヘルツェル通りまで出る。 週末なので人が沢山出ていてごったがえしている。 先日教えてもらった店を確認しながらバスセンターまで出る。 途中、おもちゃ屋で衣にビーチボールを買おうと思って、商品を手にして 会計に並ぶところまでしたが、気持ちが焦ってしまい結局待ちきれずに品物を 返して待ちくたびれている夫と衣の元に走っていく。 衣が生まれてからの買い物は大体こんな感じで、決して落ち着いて物を選んだり 吟味したりできない。 それに加えて3人での買い物となると、少しでも時間をとると衣は飽きてきて しまうし、夫はその衣に手を焼き始めるので私の気持ちはとにかく焦る、焦る、 焦る…。 そして結局何も買わずに店を飛び出してきて、2人の所に駆けて行くわけである。 いつまでたっても用が済まないので、私の気持ちもひたすら疲れる。

ショッピングセンターに入る前に、始めて市場に出かけてみた。 迷路のように狭い路地の両脇に、 果物や野菜を売る店がぎゅうぎゅうに詰まっている。 そのぎゅうぎゅうの店の間を人々が無秩序に群がって、 それぞれ自分を主張しながら買い物をしている。 その光景は私の目に異様に映った。 私の経験した事のない世界だ。 今まで見てきた市場と全く異なる雰囲気が漂う。 いや、「漂う」なんていうおとなしいものではなく、 独特の空気が「ゴーゴーと流れている」。

基本的には殆どの店が八百屋である。 その中に数件、オリーブやチーズを売る総菜屋みたいな店が あったり、スパイス屋がある。 魚屋も1軒あったが、とても買う気が起こらないような魚の状態である。 ものすごくグロテスクな魚が、 氷もない箱に「死んで」横たわっている。 表現が気持ち悪くて申し訳無いが、まさにそのような感じなのだ。

市場の勢いはとにかくすごい。 薄暗くむんむんとした密集地の中で、しかし野菜は新鮮できらりと輝いている。 真っ赤に熟れたトマトの山、濃い緑色をしたきゅうりの山、 ぴんとしたハーブ、ふさふさの葉を茂らせたセロリ、 黒光りしている茄子、山と積まれたスイカ…どれも見るからに新鮮だ。

その雰囲気と目まぐるしさに圧倒されて、 とても買い物どころではなかった。 ちょっと思ったのは、以前大晦日の日に京都の錦市場に 行ってみたのだが、今日受けた印象の一部はそんな感じだ。 あくまでも「一部」であるが。

迷路からやっとの思いで抜け出すと、外の光が眩しく感じる。

周囲を見渡し、バスセンターを探す。 夫の半ズボン、ティーシャツ、私のティーシャツを買い、 食品を買いにスーパーに行く。 前回のように配達をしてもらうつもりで、カートにいっぱい 紙オムツや32ロール入りのトイレットペーパー、1.5リットルの水6本を 始めとして、食品をたっぷりと買い込んだ。 前回と同じレジのおばさんをわざわざ選んで、レジに並ぶ。

全ての品物を台に載せたところで我々の順番になる。 前のお客が何かトラブルがあったらしく、10分くらい待たされた後だ。 そうしたらなんと!!今日の配達はもう終ってしまったと言うではないか! えーえーえーえーえーえーえー!! この荷物はどーするのー! と一瞬全身の力が抜けたが、気を取り直し品物をカートの中に戻し始めた。 まあ、どうしても必要な物だけ買って持って帰ろうと思い始める。

と、どこからかお兄さんが現れて、レジのおばさんとなにやら話し、 彼が英語で説明してくれた。 買い物を済ませて、あっちに来て下さい。 あそこでタクシーを呼びますから住所を言って下さい。 代金はこちらでもちます。 ということだ。 あーそぉー、ありがとー。 ということで、もう一度荷物を台に戻す。

結局店が呼んでくれたタクシーに荷物を詰め込み、 (タクシーの運転手はまさに「詰め込んだ」) 家までベンツのタクシーで一気に帰ってきてしまうはめになる。 余りの予想外の展開とそのスピードに目が回り、 どっと疲れてタクシーに乗り込み、夫と大笑いをしてしまう。 すると衣もつられて笑い出し、3人で「ははは、えへへへ」と大笑い。

金曜日の配達は1時でおしまいということを学んだ。 はぁ〜。 帰宅して飲んだ熱いミルクティーの美味しかったこと!


6月3日(木曜日)

午後の散歩に芝生に出ると、今日もプールを出して遊んでいる先発組がいる。 敷物(バスタオル)を借りて、一緒に腰掛ける。 最初のうちは衣は私にしがみついてなかなか冒険をしないのだが、 慣れてくると散らかっているおもちゃに手を出したり、お隣の敷物に進出して ボトルを触ったり活動を開始する。

今日はフランス人、カナダ人、イタリア人、 アメリカ人と我々の5組のこじんまりとした 集団である。 子育てにおける怖い経験談に花がさく。 皆、だいたい2人〜3人の子持ちなので、それなりに修羅場は通ってきているようだ。 我が家はまだまだこれからだろう。

9月に出産予定のカナダ人がいるのだが、彼女は7月末に2人の子供を連れて自力で 一時帰国するらしい。 てっきり誰か迎えにくるものと思っていたので、 びっくりしてしまった。 なんとまあ、たくましいことよ! 彼女は1969年生まれなので、 私よりほんの2歳若いだけなのにタフだわー。

子供達はいつも大抵1時間も遊んでいると、遊び方が大胆になってくる。 いたずらの色彩が濃くなってくる。 昨日も最後の方は、水撒き用の水道の蛇口をひねるのが楽しいらしく、 何回も水を出してドロドロの水溜りを作ってご機嫌の男の子がいた。

フランス人は、フランスにいた頃は銀行で働いていたそうだ。 毎日忙しく通勤に1時間かかり、帰宅した頃には義理のお母さんに 預けた子供は食事を終え、もう寝るばかりで、翌朝も殆ど子供の顔を見ないうちに 出勤という毎日だったそうである。 最近、大学時代の友人が育児休暇を終え、仕事に次々と復帰しているのだが、 なかなか大変そうである。 私はひたすら感心するばかりである。 お気楽主婦をしながら、たった1人の子供の相手をしているだけで ヒーフー言っている自分は何なのかと思う。

たっぷりと2時間程遊んで満足して帰宅。 夕食はタンドリチキンにする。

衣は大の字になってぐっすりと寝た。


6月2日(水曜日)

洗濯機が空いていたのでルンルン気分で洗濯をする。 洗濯が終った頃を見計らって乾燥機に移しに行く。 ところが…、なんと乾燥機が動かないではないか! コインを入れてガチャガチャハンドルを回したり、バンバンたたいたり してみるが動かない。 丁度やってきた掃除のお姉さんに身振り手振りで「乾燥機がうごかなーい。」 と言うと、私と同じように、しかし5倍は強くガチャガチャ、バンバンやった 挙句、身振り手振りで「ゲウラに電話しなさい。」と言う。 ゲウラとは、隣の宿舎の地下に事務室を持つ、言ってみれば管理人のような おばさんのことである。 住居に関しての、全ての問題は彼女に問い合わせることになっている。

早速電話をすると「後で、誰かに見に行かせる。」ということになる。 とりあえず乾燥機に「故障中、後で修理してもらう。」と張り紙を しておいた。 さて、どのくらいで直るか見物である。

昼は夫より電話があり、最近知り合ったイスラエル人で4年間九州大学にいた ヨセフさんと食事をするので、 紹介してもらうことになる。 食堂に着くと、ヨセフさんの他に、ロニ―・グラネックというここのスタッフ も一緒だった。 ロニ―・グラネックさんは昨日、中国から帰国したばかりということで中国の 話などもした。 ヨセフさんとは途中少し日本語で話したが、5ヶ月間日本語の特訓を受けた だけあり、くせのないきれいな日本語を話す。 九大ではイスラエルからの留学生が彼1人だけで寂しかったそうだ。 食事はスパイスが恋しかったそうである。 そんなもろもろの理由で、かなり強烈なホームシックになったらしい。 久々に天神(福岡の中心街)や九大の話をした。 外国人の溜まり場となっている店なども教えてくれた。

衣が落ち着かなくなってきたので、先に失礼して帰ってきた。 夕方、衣は余程疲れていたらしく、かなりたっぷりと昼寝をした。 今朝は何故か、 いつもより1時間も早く起きたり、 昼間もたっぷりと遊んだので疲れたのだろう。 気持ち良い昼寝をしたおかげで、夕方は大変に機嫌が良く、 ニコニコとご機嫌だった。


6月1日(火曜日)

6月に入る。 日本ではそろそろ梅雨の季節だろうか。 昨日友人から届いたメールに「紫陽花がきれいに咲いています。」 とあった。 私はこの季節の日本の花々が好きである。 しっとりと雨に濡れ、頭を垂れた花々は実に美しいと思う。 イスラエルでは紫陽花は咲くのだろうか?

久しぶりに午前中、衣と昼寝をする。 たっぷりと寝て復活した。

ベランダの前にそびえている木の正体が判明した。 1ヶ月前に引っ越してきた時には、青く固い実を付けていたので、 てっきり梅の木かと思っていたが、最近日に日に実の色が美味しそうな 黄色に変わってきた。 杏の木である。 ベランダに毎日2個〜3個の杏の実が落ちてくる。

午後は、宿舎の前の庭に出てみる。 先日6時頃行った時には皆がもう帰る頃だったので、今日は4時頃に 出てみる。 衣は最近歩く事が大変に楽しいらしく、とにかく歩きたがる。 階段も手を握って支えながら、1段1段昇ったり降りたりする。

賑やかな声が聞こえてくると思ったら、芝生に2つのビニールプールを 出して、皆で水浴びをしているのだ。 かなり沢山集まっていて、7家族が芝生にバスタオルを敷いて、 お菓子や果物も持参でピクニック気分だ。 衣はと言えば、お兄ちゃん達がばしゃばしゃとやって飛んできた水しぶきが 腕にかかると、「なーに、これ?」 という感じで、じーと見つめて(腕を)しばらくすると、 今度は指でいじり始める(腕を)。 という具合である。 皆の周りをぐるぐると歩いて周って、バラの花壇を見学したり、廊下を歩いたりして 満足したようだ。


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