イスラエル育児日記


8月31日(火曜日)

7回目のヘブライ語のレッスン。 今日は著しく出席率が低い。 ギッダは出産のために帰国して休み。 3階の日本人の奥さんは、子供達の新学期の準備で休み。 デビは息子の幼稚園のパーティーで休み。 それに加えてアンジェリカは、ベンヤミンくんが昨晩、 夜泣きがひどく朝が遅かったので遅刻。 はぁ〜、みんな頑張って下さいねー。

今朝のレッスンは、先週の復習と家族や数字の練習。 歳の言い方などを習う。 ハユタ先生も余りの出席率の悪さに少し気分を害したようで、 「みんなが揃わなければ、レッスンを中止しても構いませんよ。」 などと言い出す。 「いえいえ、たまたま今日は新学期の直前なので、 お母さん達が例外的に忙しかったので、来週からはみんな揃います。」 と慌ててフォローする。 衣はヘブライ語のレッスンの後、3時間たっぷりと 昼寝をする。 その間にヘブライ語のレッスンのノートを休んだ人達のために作る。 更に時間が余ったので、最近低調気味の奥様ミーティングの 活性化を図り、バナナケーキを焼く。

5時過ぎにミーティングに出ると、3人ほどが芝生に座って話している。 しばらくすると次々に人が現れ、結局12組が出席したことになる。 バナナケーキはあっという間に無くなってしまった。 次回はもう少したくさん持ってこよう。 妊娠中のインド人は9月13日に帰国するらしい。 話題は、夏時間が終わること、ギッダのこと、ブラッハの出産が いつになるかということ(昨日が予定日だったがまだ生まれない)、 野良犬、野良猫のこと、妊娠のこと、デンマークのこと、 子育てのこと、などなど「女性の話題」に終始する。

ミーテイングの後に、夫を迎えに行く。 帰り道、ヘンリック(ギッダのご主人)に会う。 一人で大丈夫か、クララちゃん達が恋しくないかと聞くと、 「よくもまあ、そんな残酷なことを聞けるねー。勿論 恋しいよー。」 と泣きそうになってしまう。 ギッダがいつも言っていたが、ヘンリックは相当の子煩悩のようだ。 ギッダの留守中にいつか食事にでも呼んであげようかしら。


8月30日(月曜日)

今日は衣が珍しく昼寝をせず、一日中機嫌が悪かった(衣も私も)。 夕方ようやく寝てくれたのはいいのだが、変な時簡に寝てしまったので、 夜、なかなか寝てくれず、これには参った。

10時頃ようやく寝てくれて、毎週慣例のヘブライ語一夜漬けを 始める。 明日のレッスンは、3階の日本人の奥さんはお休み。 なんでも、子供達の新学期があさってから始まるので、 その準備に忙しいらしい。 新しいノートを準備して、すべてのノートに名前を書き、 指定された色のカバーをかけ、教科を書き・・・と かなりのエネルギーを費やしているようだ。 我が家は子供が就学年齢に達していないので、かなり親が 楽をさせてもらっていると思う。

そういえば、今日ショッキングなできごとがあった。 なんと、日本から持参したパソコンが壊れてしまったのである。 原因は不明。 ここまで続けてきた日記を中断してしまうのはもったいないので 取りあえず、夫のパソコンを借りて日記の更新を続けることにする。 「断筆宣言」しても格好良いかなー。


8月29日(日曜日)

昨晩は、朝方にトイレに起きた時に、廊下で大きな昆虫と遭遇してしまう。 丸いカブトムシのような虫で、恐々外に追い出した。 虫関係ということで、 ついでに記しておくが、先日は初めてムカデにも遭遇した。 これは、熱湯をかけて退治した。 飯塚に引っ越してから、ムカデは嫌という程「やっつけて」 いるのだが、いまだにあの姿にはぎょっとする。

朝の4時頃だったが、外は既にうっすらと明るい。 ギッダ達はもう起きたかしら等と考えながら寝床に戻る。

夕方に買い物に出かける。 最近、平日に買い物に行くことがあるのだが、平日は週末と 違い、スーパーが空いていて買い物がしやすい。

週末ではないので、安息日のパン「ハラー」は売っていないは 残念なのだが、 それは仕方がない。 しかし、最近、他にも美味しいパンを発見したので、焼きたての ゴマがたくさん乗っているふわふわのパンをいくつも袋に 入れる。

もうすぐユダヤ教の新年「ローシュ ハシャナー」なので、 新年を祝うための品物がそろそろ出回り始めている。 と言っても、正しい知識がなく、新聞で読んだことなどを 手がかりに勝手にこちらの新年グッズを見分け ているに過ぎないのだが。

こちらでは、新年に来る年が甘美な年であることを願って、 リンゴやパンに蜂蜜をつけて食べるらしい。 ということで、リンゴ売場が拡張されている。 蜂蜜の瓶も多く並べられ、蜂蜜とろうそくのセットや、 籠の中に色々な物が詰められている、新年用のギフトセットも お目見えした。 新聞でも、最近「新年のプレゼントは○○社の○○製品を!」 という広告が目に付くようになってきた。


8月28日(土曜日)

肩が痛い、腰が痛い、背中が痛い、左手が上がらない、 左の鎖骨が痛い・・・。

昨日の合奏の後遺症で、がちがちになった体で目覚める。 大学時代の合宿を思い出す。 あの頃は一日中楽器を弾いていて、このような肉体的疲労感を味わって いたのだが、今回はたったの数時間の合奏で、 あの頃のような筋肉痛に苦しまなければならないはめになる。 学生時代は、まだまだついこの間の思い出と信じていたが、 冷静に考えてみれば、花の学生時代は既に10年以上も昔の話 になる。

衣が生まれてからは楽器を弾いていなかったので、 最後に楽器を弾いたのはもう1年9ヶ月前になる。 夫の勤める大学の学生オーケストラに混ぜてもらい、 学生と一緒に年に一度の定期演奏会の舞台にのせてもらったのが 最後だ。 その時妊娠7ヶ月くらいだったので、練習中や本番中に 衣はおなかの中で良く動いていた。 その頃は、流石にマラカスは振っていなかったと思うが・・・。

つわりの時期には完全に休暇をもらったりと、 学生達には随分と迷惑をかけたが、 とても貴重な経験をさせてもらったと 今でも感謝している。


8月27日(金曜日)

待ちに待った合奏の日。 かなり前から計画していた、アンジェリカのご主人グレゴーとその仲間達との 合奏がついに実現した。

朝の10時半に、アンジェリカの家にビオラを持ってお邪魔をする。 私が一番乗りで、続いてブロッホという男性がバイオリンを持ってやって来る。 彼も研究所に来て2年目のドイツ人だ。 少し遅れて、ダフネというチェロの女性が到着。

恐る恐る楽器ケースを開き、びくびくしながら調弦を始める。 新しく交換したぺグは、今度はさすがに信頼のおけそうな手応えがする。 しかし、巻き上げるのには勇気が要る。 控えめに巻いていると、グレゴーが「もっと高く!」とピアノを叩いてくれる。 が…、「ピーン、バタン」と、今度は一番低いC線が切れる。 それにつられて駒が倒れる。

気を取りなおし、先日テルアビブで買ってきた予備の弦を出し、張り替え作業を始める。が…、ぺグと反対側の弦を引っ掛ける、 黒い木製部分の溝が細過ぎて弦が引っ掛からない。 「んー。」 取りあえず溝を広げようということになり、グレゴーが台所からナイフを持って来る。 ナイフではさすがに溝に対して刃が厚すぎて問題外。 ブロッホと家の中を物色し、電話の横にあったはさみで試すことにする。 これは、まあ使える。 2人で四苦八苦していると、グレゴーが「良いものがあった。」 と、なんと自転車修理セットの中のアルミやすりを持ってきた。 「えー!」 しかし結局これが一番、この作業には適している事が判明。 何故、ビオラの修理に自転車修理セットが適しているのだろう…。 深く考えない様にしよう。 とんでもないことが次々に起こるこの楽器も、ヨッシーに返す頃には、 あちらこちらに手を入れて、愛着が湧いて手放し難くなっているかもしれない。 いやいや、絶対にそのようなことはあり得ないと確信できる。

とにかく、弦を張る事はできた。 あとは、恐怖の調弦だ。 結果から先に言うと、今日の合奏の最中、誰かが間違えて(大体においては私なのだが)止まる度に、私はといえば常に 「ベンベンベンベン、ビヨーンビヨーンビヨーン、ベンベンベンベン」 と調弦をしていた。 今度はぺグがゆる過ぎ、すぐに弦がゆるんでしまうのだ。 開放弦(指で押さえずに弦そのものの音を弾くこと)は決して使えない。

「幾つか」の障害はあったが、合奏自体は楽しかった。 手始めにモーツアルト、次にベートーベン、そしてドボルザーク、最後にベートーベン、と色々な曲を少しずつ弾きかじり、3時間ほどがあっという間に過ぎる。

私は、楽器を弾いてきた年月は長い割には、室内楽の経験は余り無い。 大学時代に先輩に誘われて数曲練習した位で、殆ど室内楽初心者に近い。 ということで、今日弾いた曲もドボルザークの「アメリカ」意外はどれも 知らない曲ばかりだった。 そのような私にとって、このカルテット編成は、 楽しい合奏の機会と、程よい練習の機会を同時に与えてくれ、良都合である。

勿論、こうして私が子供のことを気にかけずに、楽しい時を過ごす事ができるのは、 夫の協力があるからなのである。 夫も、こちらでバンドを組まないかしら。 (夫の楽しみはジャズドラム) そうすれば、今度は私が夫の「お楽しみ」の時間に 衣の世話をして、完璧な「ギブ アンド テイク」 の方式が成立するのだけれども…。


8月26日(木曜日)

午前中にギッダに電話をして、クララちゃんと一緒に遊びに来てもらう。 火曜日の夜にクララちゃんが転んで、あごの下をを切ってしまいレホボトのカップラン 病院に行って手当てをしてもらったそうだ。 カップラン病院はすこぶる印象が悪かったようである。 医者は英語がきちんと話せるのでその点は問題は無かったそうだが、建物が古く、 しかも汚くて、窓などはほこりで曇りガラスになってしまい外が見えないということだ。我々はなんとか、カップランのお世話にならずに帰国したいものだ。

今日は衣とクララちゃんが初めて一緒に遊んだ。 今週のヘブライ語のレッスンの時にも少し一緒に遊んでいたようだが、 今日は明らかに2人で遊んでいて、ギッダも私も嬉しかった。 ようやくそういう年頃になってきたのかしら。

衣もギッダに対して非常に友好的に接していた。 私や夫が床に腰掛けていると、背中に身を任せてくるのだが、 今日はギッダの大きな背中に興味を示して、よりかかりはしなかったが、 たいそう魅力を感じていた様子だった。

私もギッダもメールを使うので、お互いのメールアドレスを交換し、 彼女の帰国中も連絡を取ろうねと約束した。 彼女達が一時帰国してしまうと、新しく衣の遊び相手を探さなくてはいけない。 見ているとやはり、同じ位の月齢の子供同士がお互いに遊びやすいようだ。 少し大きな子供にとっては、衣くらいの月齢の子供は物足りないらしい。

昨日の日記の「トマトの祭り」は、スペインの祭りだと今日の新聞に写真入りで記事が 載っていた。 なんと、125トンの完熟トマトが使われたそうである。 今日のところは、あえてノーコメントとしておきましょう。


8月25日(水曜日)

今日は来客もなく、突撃もしない静かな一日だった。

衣は、我々のヘブライ語の教科書とプリントを閉じたファイルが、 かなり気に入っているようで、毎日絵本と同様に 懲りずにページをめくり眺めている。 というよりはむしろ、私に挿絵の説明をしてもらいたいのだ。 今日は、誕生日の課のページの誕生日パーティーの絵が気に入ってしまい、 何度も「ハッピバースデーツーユー…」と歌わされた。

もう一つ明らかにお気に入りになっているのは、プリントの家族のページである。 家族は「ミシュパハ」というのだが、家族の挿絵を指している時に テレビで放送しているムーミンの漫画の挿入歌の「ミシュパハ ムーミン…」の部分を 歌ってやると、大喜びをする。 先日のレッスンでは、衣ご待望の「ミシュパハ」のページを勉強したので、 衣は全身で喜びを表現していた。

今日のおやつは、お手製のバナナケーキとネクタリンを衣と食べた。 バナナケーキは、先日購入した「ユダヤのパン・お菓子の本」のレシピを、 私風にアレンジしたものだ。 週末にパウンド型を買ったので早速作ってみた。 かなり邪道なアレンジの仕方をした割には、なかなか美味しくできたと思う。 アレンジの中身は、

@バナナが分量の半分しかなかったので、 半分はヨーグルトで代用した
A卵白を泡立てて加えるはずのところを、泡だて器が ないので、フォークで4〜5回チャカチャカとかき混ぜて加えた

以上。

かなりクルーシャルな部分をアレンジしたので、将来正しい作り方で焼いた場合、 全く異なるケーキができあがるものと覚悟している。

この所、連日新聞のトップ記事はトルコでの地震関係の記事だ。 イスラエルからも救助支援に軍から派遣されているのだが、 イスラエルが救出した被災者の記事と、イスラエル人の被災者の記事が多く載っている。奇跡的に助かった9歳のイスラエル人の女の子の話は、フルネームで実名が発表されて 毎日関連記事が書かれている。

彼女は家族でトルコに休暇に行っている最中に震災にあったのだが、 母親を除く同行した全ての家族をいっぺんになくしてしまった。 地震の時の記憶を失っていた彼女の健康状態を配慮して、今日まで事実を伏せておいたのだが、震災のことを思い出し始めた彼女に、今日医者から真実が説明されたそうだ。 そして「彼女は泣き崩れた」とある。 9歳にして既に、父親、父方の祖父母、 双子の片方の兄弟の全てをいっぺんに失うということは、 余りにも悲し過ぎる運命だと思う。

夜のニュースで、 イタリアかスペインの毎年慣例のトマトを投げ合うお祭りの模様が流れていたが、 先日トルコの被災者が、 1個のトマトを救援物資として大切に受け取る姿をテレビで見たばかりなので、 なんとも不愉快な思いをした。


8月24日(火曜日)

今日のレッスンは日本人の奥さんはお休み。 その代わり、新しい生徒さんが現われる。 アメリカ人の若い女性、オードリーさん。 彼女は我々よりもはるかにヘブライ語の知識は有る様で、ちょっとレベルが合わないのではないかとも思うのだが、数回参加したみるということになったらしい。

今日は、前回の復習と時間の表し方、家族について、頭という単語を使った色々な表現 などを習った。 レッスンの後に、日本人の奥さんから頼まれていた質問をしたりしているうちに、 ハユタさん(先生)と30分くらい色々な話ができた。 以前から気になっていたが、 誰にも聞く事のできなかったユダヤ教のことが主な話題だ。 エルサレムなどに行くと、黒装束に身を包んだ人々が闊歩しているのだが、彼らの 立場や収入源など、色々と興味深い話を聞く事ができた。

色付きのキッパ(ユダヤ人男性が頭にくっつけている丸い小さな平たい帽子)を つけている人達は、兵役の義務もあり、普通に仕事をする。 黒装束の人々は、兵役の義務はなく、トーラーの勉強に全てを捧げ、 金銭的補助を政府から受ける。 エルサレムなどで見かける黒い特別な毛皮の帽子を被った人々は、 敬虔なユダヤ教徒の中でも裕福な人々らしい。

イスラエルは移民の国だが、中でもロシアやエチオピアからの移民が多いそうで、 ロシアからの移民は年配者が多く、エチオピアからの移民は未婚の母が多いらしい。 年配者の場合、イスラエルでは男性は60歳から、女性は65歳から年金を受け取ることができる。 また、母子家庭には月3500〜4000シェケルの手当てが配当されるそうなので、 多くのエチオピアからの移民もその手当てを受けることができる。 このように、この数年の間にぞくぞくと外から入ってきた移民の人たちは、勿論 過去において、子の国に税金を納めていないのだが、年金や手当ては受け取っている わけで、国の財政はなかなか厳しいらしい。 かといって、イスラエルという国は移民を拒むことはできないわけで、 深刻な問題らしい。


8月23日(月曜日)

3日間の夏休みも終り、今日から普通の生活に戻る。

朝食後に掃除をしていると玄関のベルが鳴る。 誰かと思ったら、円円ちゃんとお母さんが玄関に立っている。 予期せぬ突然の来客でちょっとびっくりしながら、「今、掃除中なので適当に していて下さい、すぐ終りますから。」と言って、そそくさと掃除を済ませる。 衣は、円円ちゃんに過去数回どつかれているので、怖かったらしく、円円ちゃんの突然の登場に、久々に涙付きの大泣きをする。

お昼までの2時間程、一緒に遊んでいるうちに慣れてきたようで、 最後は円円ちゃんが優しく衣の手を取り、 一緒にベランダや室内を歩き、2人共東洋人の女の子なので、 まるで姉妹のようだった。

円円ちゃんは、自分の本を持ってきたのだが、見せてもらってびっくりしてしまった。 唐詩の本で、勿論子供向けなので挿絵もあり、読み方がローマ字で振ってあり、 下には注や解説が書かれているのだが、2歳半の彼女が唐詩を鑑賞するとは驚きである。お母さんに話を聞くと、円円ちゃんはお母さんが読むのを聞くのが好きで、今では 20〜30の詩を暗誦することができるらしい。 なかなかアカデミックな教育をしているなー、と感心してしまう。 衣が今夢中の「ぐりとぐら」を見せて、「こういう絵本は読まないの?」 と尋ねると、「彼女には簡単過ぎる。」という返事が返ってきた。 「へぇ〜」、衣にも「奥の細道」や「古今和歌集」 などを読み聞かせたら良いのかしら…。

が、衣が読んでいた「ぐりとぐら」を見つけた円円ちゃん、 早速お母さんに「読んで!」とせがみ、 かなり気に入ったようで、2時間の内に5回ほど読んでもらっていた。 子供らしいさもちゃんと残っているようで、少し安心した。

お母さんは中国にいた頃は、看護学校で化学を5年間教え、 その後大学の技術士として働いていたそうだ。 彼女も学校で10年間程英語を勉強したが、 文法や語彙の知識はかなりあると自負していたが、会話(聞き取りと話すこと)は 苦手だと言っていた。 まさに日本人の状況と同じである。 現代の日本人の多くでさえ、 生の英語を使うチャンスはなかなかないのだから、 中国ではさらに難しいだろう。 彼女は、こちらにいる間に英語を勉強したいと意欲を見せている。 なかなか偉いと思う。

明日のヘブライ語のレッスンに備えて、一夜漬けをする。 「私は〜を持っている」という表現の人称変化、数、 時間の聞き方と答え方などを頭に詰め込む。 余りにも就寝直前に詰め込んだので、眠れなくなってしまった。 失敗、失敗。


8月22日(日曜日)

お昼前に、テルアビブの楽器屋にビオラを修理してもらいに行く。 テルアビブまで車で行くのは初めての経験だ。(自力でという意味) 市内までは順調にたどり着いたのであるが、最後の最後、店の近くで迷ってしまう。 テルアビブ市内は左折禁止、一方通行など結構融通が利かない。 それでも、店の近くの地下駐車場にうまく駐車をすることができ、 店まで数分、地図を片手に歩く事にする。

店の番地を探し当て、驚いた事に、 その場所は以前ヨッシーからビオラを借りた店だったのである。 どんどんと海に近くなっていった頃から、「もしかして…」という思いは ちらっと頭をよぎったのだが、 まさか本当に、 「あの」場所に再度足を踏み入れる事になるとは思ってもみなかった。 それも、このようにすぐに…。

思った通り、店主はあのまじめそうなユダヤ人のおじさんである。 早速楽器ケースを開け、修理にかかってもらう。 なんだか大変なことになってきた。 道具箱を持ってきて、ドリルやトンカチ、 ペンチなどを駆使して折れたぺグの切れ端を取り出す作業が始まる。 かなり苦労してようやく穴が開く。 結局ぺグは無残にも粉々になってしまい、ケースの中に散在している。

迷った挙句、全てのぺグを交換してもらうことにする。 新しい物と、もともとついていた物では、素人の目にも全く材質が異なることが 一目瞭然である。 しばらく時間がかかるようなので、その間に昼食をとることにして店を後にする。

海岸のプロムナードまで、歩いてほんの2〜3分なので、海沿いの気持ちの良い 店を探すことにする。 偶然、「ヨトパタ」というキブツの生産品を食べさせる店があったので、 迷わずそこに入ることにする。 この店のことは複数の人から紹介され、以前から興味を持っていたので、 珍しく私の一存で店内に入って行く。

数あるメニューの中から、ヨトパタサラダ、ギリシャ風ピツァとオレンジジュースを 注文する。 しばらくすると、注文した品が次々に運ばれてくる。 ん…! 夫と目が合ってしまう。 そのサラダの大きい事といったら、なんと形容して良いのやら。 四角い洗面器に山盛り一杯の野菜が出てきたと思って頂ければよい。 サラダと言っても、繊細な細工は全くない。 細切りのきゅうり・人参・赤ピーマン・ レタス・トマト・チーズ・くるみ・玉葱・紫キャベツ・コーン・ツナが、 どーんどーんどかーんと、ぎゅうぎゅう詰めに盛られているだけだ。 ピツァの方は、これは多少工夫があるのだが、驚いた事にここにも野菜が たっぷりと盛られている。 オレンジジュースも、コップに2杯かと思っていたら、 とんでもない!、「ピッチャー」に2杯なのである。

勿論美味しいのであるが、とにかく分量が多い。 いや、多過ぎるのである。 大人数でわいわいとやって来て、皆でつつけばなんとか食べられるのかもしれないが、 3人では半分も消化できなかった。 しかし、オレンジジュースは美味だった。 イスラエルに到着して以来、常日頃味わってみたかった、フレッシュオレンジのジュースである。 果汁だけではなく、果実の部分も一緒に絞ってあるので、 飲む前に、かき混ぜる必要がある。 これは大人も子供も大喜びでいただく。 この数日、少々便秘気味の衣には格好の薬になったことだろう。

沢山残してしまったことに後ろめたさを感じながら、 数100メートル南に位置するオペラのタワーレコーズに行く。 最近、めっきりアラビック音楽の虜となってしまった夫は目の色を変えて アラビック音楽の棚の前に陣取っている。 その間、衣と私は店内を何周もして過ごす。 このところ時計に興味を示す衣は、早速 スウォッチ(スイス製の時計)のショーケースを見つけ、 有頂天である。

しっかりと視聴も済ませ、厳選した3枚のCDを買い、 楽器屋へと戻る。 修理は終っており、玉子形のマラカスを1個ついでに買う。

これでようやく楽器も元に戻り、ひと安心である。 でも、なんとなくこわいので、今度の合奏まで楽器に触らないでおきましょう。


8月21日(土曜日)

夏休み2日目。

昨日はレホボトのホテルに宿泊。(我が家のこと) ベッドが少し固くて、背中が痛い。(我が家のベッドのこと) モーニングサービスの朝食はパン、野菜、ハムとミルクティー。 (我が家の朝食のこと)

午後からエルサレムの西に位置するエイン・ケルムという小さな村を訪ねる。 道中の景色が美しいと聞いたので、ドライブがてらの訪問である。 確かに、高速道路でエルサレムに行く時とは多少異なる景色を 車窓から眺める事ができる。 が、くねくねとしたアップダウンの激しい細い道の為、景色を楽しんだり、 後ろの席の衣の世話をしたり、足元のかばんから物を出入れしたり、地図を見たり、 おまけにビデオの撮影をしていた私は、さすがに少々車酔いをした。 途中数分間停車し、外の空気を吸い気分転換をする。 気を取りなおして一路目的地に向かう。

村に到着すると、思ったよりも人でごった返していて驚く。 これは思いがけず良い所に来たと、 期待に胸を膨らませ人の流れに沿って村道を歩き始める。 少し歩くと、向かいの山の上の方に2つの教会の尖塔をのぞむことができる。 その教会を目指そうと試みるが、かなり急な坂道、もしくは延々と続く階段を昇らなくてはたどり着かないことが分かり、教会は遠景を楽しむに留めることにする。

少しがっかりしながら、元来た道を戻ると、 何やら観光客で賑わっているカフェの横を通り過ぎる。 急きょ、ここで小休憩をすることにして店内に入る。 衣も子供用の椅子を借りて、一人前にメニューを眺めている。 夫にアイスティー、私にはアイスコーヒー、それとグリルドチキンのサンドイッチを注文する。 どれもなかなかの味で、3人共一気に気分が良くなる。 私達は決してグルメの部類ではなく、一般的には大抵のものは美味しいと思いながら 食べる事のできる、かなり幸せな家族なのだが、ここで出会ったアイスティーとアイス コーヒーは、どちらも豊かな味と香りの、すこぶる美味しい飲み物だった。

聖ヨハネ教会を見学しようと思い門まで行ってみるが、生憎土曜日は閉まっていて見学は不可能。 車に戻り、帰りはエルサレム経由で高層道路を使い、いつものルートで帰宅。 エルサレム経由で行けば、山道も避けることができ、簡単に訪れることができるので、 又、他の機会に是非教会も見学したいと思う。


8月20日(金曜日)

午前中に車を借りて、テルアビブの楽器屋にビオラの修理に行こうと計画したが、 思いのほか車を借りるのに時間がかかってしまい、12時に閉店する楽器屋に 今日行くのは無理と判断し、後日改めて行くことに変更。 その旨を店主に電話すると「シャバット シャローム!」 (「良い週末を!」という挨拶)と言われる。 会話集では目にしていたものの、 実用編としては初めての経験だったのでとっさに気転が利かず、 単に「バーイ」なんて言ってしまい、自己嫌悪…。

予定を大きく変更して、早めの昼食を食べ、エルサレムに行くことにする。 詳しくは 夫の日記をご覧下さい。 (気が向いたら私も書くかもしれません。 毎日読んで下さっている読者は、もうお気付きかもしれませんが、 実を申しますとこの数日、 日記の更新をさぼってしまったので、 今日は数日分まとめて書かなくてはならないはめになり、 エルサレムの感想まで手が及びませんでした。)


8月19日(木曜日)

午前中にギッダがクララちゃんと遊びに来る。 久しぶりなので、衣も大喜びでお出迎え。 絵本の中の女の子を「クララちゃん」と命名し、 毎日「クララちゃん」と言っては、廊下に面した窓の方を指してクララちゃんが来るのを心待ちにしていたので、今日は本物のクララちゃんが登場して、 感極まってしまったようだ。

ギッダ達は、いよいよ再来週の日曜日に彼女の出産の為にデンマークに帰国する。 朝9時の飛行機なので、多分3時間前にはセキュリティーチェックの為に空港に 到着していなくてはならないので、かなり朝早くに出発しなくてはいけないようだ。 朝が苦手の彼女はちょっと気が重い様子。

ヘブライ語の優等生のギッダ夫婦、 毎回のレッスンの内容だけで理解しているのかと尋ねると、 彼女らも何かしら教科書を欲しいと思っているらしいが、 まだ入手していないとのこと。 デンマークに帰って探すと言うので、こちらで探した方がはるかに種類が豊富なのでは ないかと言うと、デンマークの大学では、ヘブライ語で聖書を読むコースがあるので、 掲示板などに時々「ヘブライ語の中古教科書譲ります」などという掲示が 出るらしい。 彼女、それを狙っているのだ。

お昼前にいつもの様に子供達がきげんが悪くなって退散、というパターンだったが、 お土産に、ベランダ栽培のバジルとシソを数枚おすそ分けした。

それにしても、今日は英語が全然思うように話せなかったなー。 何度も自分でも何を言っているのか分からなくなってしまい、 もう一度やり直しても迷路に迷い込み、 ギッダも今日のところは深く追求しないでそっとしておいてくれた。 頭の中に、ぴたっとした単語や表現が全く思い浮かんで来ないのだ。 まさに「真っ白状態」を経験した。 最近余り英語を話さなかったので、そのつけがまわってきてしまったようだ。 さてと、冬眠から目覚めた熊のごとく社会復帰を図らなくては…。


8月18日(水曜日)

久しぶりに夕方、夫を迎えに研究所に行く。 途中で、3階の日本人家族の長女に会う。 「昨日、パパのお誕生日だったんだってね。パパ幾つになったの?」 と尋ねると「19歳。」ですって! こういう大人の「嘘」って、子供は分かっているのかしら、それとも本当に 自分の父親は19歳だと思っているのかしら。 私は衣が大きくなったら、どのくらいサバをよもうかな…。

久しぶりの研究所は、相変わらず緑が青々として美しい。 風が吹くと梢がざわざわと鳴り、衣と思わず上を見上げる。

夫の研究室のある建物は、いつもの様に冷房がきっちりと効いている。 こちらでは外が暑いだけに、建物の中は結構きつく冷房がかかっている。 その点は日本と似ている。 夫の研究仲間は余りにもきつ過ぎる冷房に耐えかねて、 真夏にもかかわらずセーターを着て仕事をしているらしい。 尤も、彼の場合は同室の学生が気が利かず、人の事はお構いなしに 冷房をびんびんにかけるのが原因らしいのだが…。

夫と合流して、いつものピタパン屋さんに行く。 そのうちにヘブライ語で注文ができるようになるだろうか。 そうしたらこのおじさん喜んでくれるかなー、 などと思いながらピタパンとアップルパイの入ったビニール袋を受け取る。

夕食は、ピタパン、タルタルソース、トマトときゅうりのサラダ、鮭。 とても美味しく、3人でお腹いっぱい食べて満足、満足。 ピタパンというのは、結構お腹にたまる食べ物だと思う。


8月17日(火曜日)

久しぶりに早起きをした。 今日のヘブライ語のレッスンは、所有を現わす言葉の変化を主にやった。 これが、授業中にはさっぱりと分からなくて、 まるでちんぷんかんぷんで授業を受けた。 日本人の奥さんに説明する事も不可能だったので、「申し訳無いけど、後で 勉強してからお教えします。」と言うしかない。

色の変化は、昨日の練習の効果があり、夫も私もなんとか答える事ができた。 やはり、繰り返し言ってみることが大切である。 まず、頭で理屈を理解して、それからは何度も反復練習して、 頭も口も耳も「慣れる」ことが重要だ。

レッスンの後に、アンジェリカが写真を撮ろうと提案して、皆で記念撮影をした。 ギッダが来週のレッスンを最後に、 出産の為にデンマークに帰るので写真を撮ろうと思ったらしい。 久しぶりに会ったギッダのお腹はどーんと突き出ていて、 赤ちゃんがぐんぐんと育っているのが一目瞭然である。 今度は男の子かしら女の子かしら、私も楽しみにしている。

お昼には、ベッドの交換が始まり(いつものごとく、彼らは突然やって来る)、 主寝室のベッドが新品の白木調のベッドになった。 前のベッドよりも幾分幅が広いので、備え付けのサイドテーブルの間に収まらず、 後日工事をしてくれることになる。 衣は昼寝を中断され、不機嫌極まりないが、 少し落ち着いてから新しいベッドを発見し、 目を輝かしてマットの具合を確かめている。

リビングに戻ると、ドイツ人のザビーナの家族がいるので驚く。 てっきり帰国は明日かと思っていたが、それは私の勘違いで、 もう10分後にはベングリオン空港に向けて出発すると言う。 お互いに住所交換をして、今までお世話になったお礼を言って、 又どこかで会いましょうということで、「さようなら」とは 言わずに別れることにする。

彼女は良く私の話し相手になってくれ、感じの良い女性だった。 お人よしの彼女は、2週間に1度のミーティングの時も、テーブルを3階の 彼女の家から持ってきて、芝生に敷く毛布を運んだり、お菓子を並べたりと 準備を進んで引き受けていた。

このところ次々に住民が帰国してしまい、大分顔なじみが減ってきた。 友達になった人達と別れるのは寂しいが、又新しい友達が必ずやって来るのが このような集合住宅の特徴である。 これからは逆に新しい人達が入ってくる時期になるのだろう。 どのような人達が引っ越してくるのか楽しみである。


8月16日(月曜日)

明日のヘブライ語のレッスンに備えて、夫と復習をする。 色の変化を応用して、それぞれの着ている物の説明をする練習をする。 寝床に入ってからも質問を繰り返して、夫もなんとか色をマスターしたようだ。 私の苦手はピンクとオレンジ。 まあ、ピンクやオレンジの服は明日は着ないので大丈夫。

家のドアに張り紙がしてある。 なんでも、明日の午前中にベッドと椅子を新しい物に取り替える作業があるらしい。 椅子は、引っ越してきて早々に新品のイタリア製の物と取り替えてもらったので、 ベッドだけの交換となるのだろう。 今、使用中のベッドもそれ程悪い訳ではないので、万が一取り替えに来なくても 別に問題はないのだが…。

さて、明日はいよいよ全員が揃っての初めてのレッスンとなる。 楽しみである。


8月15日(日曜日)

終戦記念日。

暑い時期に終戦記念日を迎えるのは、日本と同じ感覚で違和感がない。 ただ、蝉の声がしない事が、日本の夏ではないことを思い出させる。

夫の風邪がどうやら私にも及んできたらしく、静かにしていた方が良さそうなので、 買い物を夫に頼み、衣と家で留守番をする。

今年2回目の西瓜を買って来てくれたのだが、前回の物に比べてやや味が落ちると 2人の評が一致する。 甘味が足りないうえに、実がさくさくとしていてみずみずしさに欠ける。 西瓜星人と化した夫が、毎日昼食に食べている研究所の食堂の西瓜も、 最近は味が落ちてきているらしい。 西瓜のシーズンも終わりに近付いてきたのか…。

今週の火曜日にドイツに帰ってしまうザビーナがくれた「砂場セット」は、 衣のお気に入りである。 ベランダに置いてあるのだが、掃除兼遊びの時間に、砂場セットを持って忙しげに ベランダを右往左往する。 なにやらせっせと動き回る姿は面白い。 きびきびと歩き、あっちの物をこっちに移動して、こっちの物をあっちに持って行き、 とても「忙しそう」なのである。 私がぼーとしていると、「はいっ、お母さん、さぼっちゃだーめ!」と言わんばかりに ほうきとちりとりをご丁寧に持ってきて、私に押し付ける。 「あー、また衣の世話焼きが始まった…。」と私は、しぶしぶ掃除をしている「フリ」 をする。

この人、絶対に世話焼きの女の子になると私は確信している。


8月14日(土曜日)

今週末の新聞には面白い記事が載っている。 新しい首相、バラク氏についての皮肉たっぷりの記事である。 バラク氏が色々と変装をして、パレスチナ側も含む色々な土地に出没して、 国民の生の声を聞いて歩くという架空の話だ。 それぞれの場所で、 彼自身がどのように思われているかを聞き出すのが主な目的なのだが、 訪れる場所場所で、バラク氏の評判はすこぶる悪く、けちょんけちょんに言われる。 しまいには各個所で暴動を起こしながら、 次の地に新たに変装をして逃げ込むという設定。

「その場所」に住む現地の国民の感情を無視した、 政治の舞台上だけでの性急な和平推進が批判されているのだと思う。

もう一つ興味深い記事があった。 パレスチナ側が観光事業に、やる気満々という記事である。 アラファトは「観光事業はパレスチナにとってのガソリンだ。」と言ったと その記事は始まる。 なんと、ガザ地区の観光ツアーの実体験談も載っている。 ナザレやベツレヘムなど、キリスト教にゆかりの土地の多くは アラブの町でもある。 イスラエル側とパレスチナ側が一体になって、2000年企画を練っているらしい。 キリスト生誕2000年を迎える来年は、イスラエル、パレスチナ双方にとって、 観光事業でたっぷりと潤いたい「目玉商年」なのだろう。

逆境の中で、アラブの民族センターをベツレヘムの郊外に作った人の苦労話が 載っている。 彼はアラブの村周辺のハイキングツアーも企画し、実際に運営している。 まず村周辺をハイキングし、アラブの食事をし、民族芸能の見学、 そして村人の家でコーヒーやお茶を囲んで自由に話し合う…。 これが、彼のハイキングツアーの内容だ。 観光客達は10時間以上を、その村で過ごして行くと言う。 これぞまさに「草の根」外交である。

この観光関係の記事は2つのセクションに分かれているのだが、 印象的なのは、どちらのセクションも「 peace 」という単語が、 記事のまとめに使われているということである。

・全ての人が平和の中に暮したいという夢を持っている。
・もし、2000年観光事業が、イスラエル、パレスチナ双方の懐を潤せば、  それは、和平推進の為「にも」悪くはないだろう。

蛇足ではあるが、ヘブライ語の最も一般的な挨拶の言葉「シャローム」 は「こんにちは」「さようなら」という意味と共に、「平和」という意味も 持っているのである。


8月13日(金曜日)

明日、アンジェリカと所で初めての合奏の企画があるので、 先日借りてきたビオラの調子でも見ておこうと思い、上機嫌で調弦をする。 相変わらず、どの弦もびよーんびよーんに緩んでいるので、 まず一番高い弦A線(ラの音)から調弦を始める。

と、その途端「ピンッ」と嫌な音と共に弦が切れる。 楽器を借りた店で「換えの弦も下さい」と言ったのに、店主が「あなたの為に新しい弦を張ったので、その必要はない。」と主張され、 私としては、レホボトでは弦も入手が困難そうだし、たとえ余っても日本に持ち帰れば 必ず使うので、是非とも欲しかったのだが、喧嘩をしてまで買うこともないかと思い、しぶしぶ買わずに帰って来たのだ。 「ほーら、言わんこっちゃない!」 これじゃあ、明日の合奏ができないじゃないのー! それも、もう金曜日の午後なので店も閉店しているし…。 とにかく、不運なお知らせをアンジェリカにする。 ご主人のグレゴー(バイオリン)が知り合いのビオラ奏者に連絡して、スペアの弦を 持っていないか聞いてくれたり、色々と手配をしてくれるが結局、 弦は手に入らない。

そのうちに、グレゴーが自分のバイオリン用のD線(レの音)を持って現われる。 いちかばちかで、バイオリンの弦を張ってみようということになる。 彼らはこれから、週末を死海の近くのエンゲディで過ごすため外泊。 とりあえず、夜、向こうから電話をしてもらい、 バイオリンの弦で代用できるか検討しようということになる。 こんなこと初めてだわー、なんと無謀な!! と思いながら、彼のガット線(動物の腸でできている上質の弦) 注:弦楽器の弦には大きく分けてガット線とスチール線がある。スチール線の方が安値の傾向がある。(貧乏性の私は、ガット線なんかこの20年程使っていない…)をペグ(楽器の首についている弦を巻き上げる木製のネジ)に巻きつける。

と、次はぺグが動かなくなる。 まあ、弦が切れることはよくあるハプニング。 ぺグが動かなくなる事もよくある事である。 きつめのぺグには鉛筆の芯を塗り滑りを良くしたり、反対に緩めのぺグには 松脂(本来、摩擦を起こすために弓の毛に塗るもの)を塗ったりして調節をする。 ぺグがきついことはよくある、結構力を入れてぐいぐいと回したり、くいっと回すと、 きききききっと音をたてながら回るものだ。 普通は…。

ところが、なんと、今日に限ってぺグが「くにゃ」折れたのだ!
えっ? 一瞬笑い出しそうになるような、冗談のような情景だ。 しかし、次の瞬間「さぁ〜」と血の気が引く。 慌ててアンジェリカの所に駆け込む。 状況を説明し、ビオラ奏者の楽器を借りることができないか聞くが留守でつかまらない。これから夜にかけて手を尽くして、 もし無理なら明日の合奏はキャンセルにしようということになる。 夜、向こうから連絡をもらう約束をする。

全くついていない。 というか、あの楽器商がだんだんうさん臭く感じられるようになる。 3人共同じ気持ちであろう。 これからの事後処理でもめる事が無ければ良いが…、と一気に気分は急降下。 もし万が一、彼が悪徳商人であった場合の、彼とのやり取りをシュミレートする作業を 頭の中で始める。 勿論、取り越し苦労であることを祈るのだが。

呑気な新米お母さんの日常も、それなりに山あり谷ありでしょう?


8月12日(木曜日)

このところ、衣はベランダで掃除をしながら遊ぶのが好きである。 ベランダに行きたくなると、自分で靴を取ってきて、窓の所で座り込みを始める。 ベランダにはツタがかなりはびこっているので、少し手を入れることにする。 ツタを取る作業はなかなか楽しい。 枝をつかんで引っ張ると、つつつつつっときれいに取れる。 衣も枯れ枝を拾って満足気。 若い枝は、きれいなので幾本か取っておいてワインの空き瓶に挿し、 屋内のインテリアに使う事にする。

ツタの整理に熱中していると、杏の枝になんとカメレオン(?)を発見! イスラエルには野生のカメレオンがいるのだろうか? その辺は疑問なのだが、生物にうとい私の目にはこの生物、 どう見てもカメレオンに見えるのだ。 体長20センチ位の、まだ青臭い「青緑」のカメレオンだ。 そういえば先日、夫が買い物中に、 肩乗りカメレオンを連れた男性を目撃したと言っていたっけ…。

カメレオンについては、この国でどの程度日常的な生物なのかは定かではないが、 トカゲの類はかなり多く見かける。 トカゲといっても、日本で石畳などで見かけるような、 小さくスレンダーでしなやかな柔らかい体の持ち主ではなく、 恐竜のミニチュア版といった感じのごつごつとした生き物だ。 こういった恐竜風トカゲがごそごそっと茂みの中から現われたり、 木の幹を駆け上がったりするのである。 最初は、やはりどきっとした。 最近はどうにか慣れてきたが…。

夕方は衣と一緒に坂の上のスーパーに買い物に行く。 大量生産の「ハラー」(安息日に食べる甘い編みパン)が売っていたので、 試しに買ってみる。 ビニール袋に印刷された「ハラー」という文字が読めた!。 これもヘブライ語のレッスンの成果だろう。 そういえばこの間も、お菓子の材料売り場で「ココナツ」という文字が読めて無事に ココナツを買うことができた。 ずっと探していたベーキングパウダーも偶然見つけて買ってきた。 週末はお菓子でも焼いてみようかしら。


8月11日(水曜日)

毎週末に配達を頼んでいるエルサレム・ポストという新聞を、毎日頼もうかと 考えている。 とりあえず値段を聞こうと思って、昨日夫が配達所に電話をしたところ、 英語が話せない人が出てきて、後でかけなおしてくれることになる。 ところが今日の午後になって、今日の新聞が配達された。 配達のお兄さんに事情を話す。 彼は、程ほどに話が通じる。

今日のトップ記事は、パレスチナ人が運転する車が、 交差点でヒッチハイクをしていたイスラエル兵の集団に突っ込む、 という昨朝の自動車事故(テロとの見方が強くなった)だ。 配達のお兄さんが「これ、知ってる?」 というので、「ええ、テレビで見たわ。」 と言うと「負傷者の一人が親戚なんだ。全くひどい話だよ。」 「えー、その人大丈夫なの?」と聞くと、首を振っていた。 なんだか、この事件が急に身近なものになってしまった。

さて、本日8月11日はヨーロッパで皆既日食が観測できるということで、 数日前からこちらは大騒ぎである。 ヨルダンは祝日になったらしい。 イスラエルでは100%の日食は見られないのだが、80%ということで、 楽しみに「その時」を待つ。

午後2時41分に最も欠けるということで、その前から幾分外が薄暗くなってくる。 テレビの中継のアナウンサーが使っていた簡易観察キッドを真似して、 厚紙に針で穴を開け、 そこを通って地面にできる太陽のミニチュアを観察することにする。 テレビや新聞で、直接太陽を見ることはサングラスや黒く焦がしたガラスを使っても危険だと、繰り返し忠告していた。 この方法は簡単な上、安全なので、衣と一緒に安心して観察をする。 本当に太陽が欠けている!

それも三日月の様に、細い太陽がベランダのタイルの上に浮き出る。

「その時」を数分過ぎた頃、衣を連れて庭に出てみる。 確かに少し薄暗い気がする。 もっと暗くなるものかと思っていたが、かなり明るいのが意外だ。 しかし、太陽が太ってくるのと同時に、肌に感じる日光がじりじりと暑くなってくる ことで、確かに日食が起こったことをまさに「肌で感じる」。

皆庭に出ているかなと思ったが、誰もいない。 しばらくすると、円円ちゃんとお母さんがやって来る。 研究所のサイエンスパークに行ったが、すごい人で帰ってきたそうだ。 早速、手製の観察キッドで日食を見せてあげる。 「これ、自分で考えたの?」と聞かれたので、ついうっかり、「そう!」 と答えそうになるが、「テレビで見たの。」と正直に答える。 彼女も楽しんでくれたようだ。

部屋に帰る途中、木漏れ日も全て三日月形になっていることに気付く。 とても不思議で、少し不気味な感じもする。 なんだか、違う世界に突然やって来た錯覚を起こす。 「おばけりんご」という、子供の頃に見た劇を思い出す。 (誰の作品か等すっかり忘れてしまったが、確か、突然時間がとても早く過ぎるように なってしまい、それによって不思議なことが次々に起こるという話だったと思う)。
木漏れ日が三日月形という光景、想像してみて下さい。 ちょっと、怖いでしょう…。


三日月形の木漏れ日


8月10日(火曜日)

今朝のヘブライ語のレッスンは、夫が少し風邪気味なので今回に限ってアンジェリカ の家を会場に借りる。 3週間ぶりの3階の日本人の奥さんも、下の子供2人を連れて登場。 衣がいない身軽な私は集中できるかと思いきや、否。 自分の子供がいなくても、よその子供はいるのである。 子供達とぬり絵をしながらの授業。 段々内容が(勿論ぬり絵ではなく、ヘブライ語の授業)難しくなってくると、 「えーと、好村さん(自分のこと)今真剣なの、 頭を使わなくちゃいけないから、ちょっと待って!」 と、子供を押しやる始末。

今日は文法的には新しいことはせず、動詞の人称変化と、 色の名詞の性による変化の応用練習。 動詞はばっちりと覚えてきたのに、色は手を抜いていた為、悲惨なことになる。 お向かいに座っているギッダは、かなり良く復習をしてきていて、 余裕の笑みさえ浮かべながら、すらすらと変化させて答えている。 彼女は8月の末に出産の為にデンマークに帰国して、2ヶ月半ほど留守をするので、 きっと今のうちにやれることはやっておこうという考えなのだろう。

私はといえば「えー、ワタシハ あー、 アーカーイー えー、シャ ツ ト うーんとー、シ ロイ えーと、 ハ ン ズボーンヲ ちょっと待ってください…あっ、そうそう キ テ イ マース。はぁ〜、やれやれ。」といった調子で、限りなくカッコ悪い。

おかしいナー、今日のレッスンは優越感に浸るはずだったのに…。

レッスンから帰って、ノートの整理をする。 ノートに殴り書きのカタカナで書いた「ヘブライ語」を、 本物の「ヘブライ語」に直す作業から始める。 我々の住んでいる、ハナシ ハリション通りというのは、 「初代大統領」という意味であることが分かった。 やはり、住む国の言葉を勉強すると、 少しずつでも日常生活の知識の幅が広がって、 滞在生活がより楽しくなるものだ。

そうそう、今日のヒット作は、

ドレス=「シムラ」=『ドレス』を着た(しむら)けん。

これは日本人の奥さんに大うけだった。 かくして「ドレス」だけは、我々の十八番となったのだった。 フフフッ。


8月9日(月曜日)

午前中に可愛いお客様が現われる。

3階の日本人の奥さんに貸したヘブライ語の本を、 5歳の長女が返しに来てくれたのだ。 彼女、スタスタとベランダに出てサボテンを指し「私、サボテン好きなの。」 と言いながら、ベランダで踊っている。 ショートヘアーがお似合いの、大変に可愛らしい女の子だ。 彼女、すぐにすねてしまうお天気やさんでもある。 気に入らない事があると、皆からすっと離れて背を向ける。 すぐに衣もこの年頃になって、 益々扱いが難しくなるのだろうなと思わずにはいられない。 しかし、逆にこの位になると話が通じて、説明すれば納得してくれるようになる。

今日の夕食は、またシソを収穫して、 鶏ひき肉にシソと豆腐・玉子を練り込んだ肉団子スープにする。 我ながら、なかなかおいしくできたと思う。 夕方買ってきたピタパンに、コールスローサラダをはさんで食べたら、 メッツヤン(最高)!


8月8日(日曜日)

ベランダのシソを初めて収穫してみた。 とりあえず、大きな葉を8枚選び摘み取ることにする。

貴重なシソをどのようにして食べるか思案した結果、先日スーパーで見つけた 真空パックの豆腐を冷奴にして、シソを薬味に食べることに決定。 早速、豆腐を開封。 Mori-nu と紙パックには印刷されているが、ロゴは森永のロゴにやけに似ている。 今まで買っていた豆腐は、賞味期限を確かめて買っても 3個に2個はぬるっと糸をひく代物で敬遠していたが、 今日の豆腐は一応、絹ごし「っぽく」糸もひかないので合格。

念のため火を通し、氷で冷たーく冷やしていざ試食、勿論シソも一緒に。 豆腐はともかくとしても、シソの方はイスラエルの土壌を栄養に、日光のもとで育った外国育ちの割には、きちんと日本のシソの味を身につけたようで、 育ての親としてほっとひと安心。

あさってのヘブライ語のレッスンの為に、動詞の人称変化を暗記する。 妻の、論理性を完璧に欠く連想ゲーム方式の暗記方法を、夫は呆れ顔で傍観している。 その中身は、例えば以下のようになっている。

書く=「コテブ」=小手(こて)先で『書く』
働く=「オベッド」=労働者は雇い主に(オベイ)して『働く』
降りる=「ヨレッド」=(ヨレッ)と『降りる』
座る=「ヨシェブ」=(よいっしょ)と『座って』、○ならを(ブッ)
運転する=「ノヘグ」=(の)はらや(へ)い(げ)んを『運転』する
閉まる=「ソゲール」=『閉まって』いて(しょげーる)

という具合に続く。 果たしてこの成果はいかに…。


8月7日(土曜日)

数日間調子の悪かったニフティーがようやく正常に戻り、久しぶりに日記の更新及び メールのチェックができる。

実家の母より数通メールが届いている。 2週間ほど前から毎日、アルツハイマーの父をデイケアに預けるようになったという。 デイケアは朝の10時から午後の4時までで、昼食、工作、ボール投げ、 歌、1週間に1度の入浴サービスなどを職員達が行ってくれるらしい。 この毎日の6時間の自由時間が、今まで一挙に父の介護を背負っていた母にとって、 精神的にも肉体的にも休養の時間となっていることは言うまでもない。 父の介護上での最近の問題は失禁で、毎日、敷布団を含む大量の洗濯物に追われ、 失禁対策と処理に頭と体をフルに使ってクタクタの様だ。

私は今ようやく子育てを始めたばかりの駆け出しの主婦で、 大人の介護の経験はゼロ、 従って適確なアドバイスができない。 こういったことは、きっと介護経験者には共通の悩みであり、 日常的な問題なのであろう。 やはり子供が生まれる前の暇な時期に、 ホームヘルパーの実習でも受けておけば良かったと切に思う。

衣と遊びながら、ヘブライ語の宿題をする。 今日は、色を覚える事にする。 衣のおもちゃは赤、青、黄、緑、紫と色とりどりなので好都合だ。 衣が渡してくれるおもちゃの色をヘブライ語で言ってみる。 ヘブライ語では、名詞の直後に形容詞が来る。 つまり「りんご 赤い」「シャツ 白い」となる訳だ。 一番覚えやすかったのは「茶色」=「フム」だった。 単に、短い単語だから…。

大学時代の友人夫婦が、ご主人はチェコ語、奥さんは韓国語を習っていると聞いた。 よーし、私も負けてはいられない。 大学時代の第2外国語から、完全に落ちこぼれた語学音痴の私が、 どの程度ヘブライ語をマスターできるか、我ながら興味がある。


8月6日(金曜日)

今日は原爆記念日だね、と夫と話しながら遅い朝食を食べる。 イスラエルだったらきっと、原爆投下時刻に国中でサイレンの音が鳴り響き、 皆で黙祷を捧げるのだろう。

特にどこにも行かずに3人でゆっくりと過ごせる週末も良いものだ。 衣もたっぷりとお父さんと遊んでもらい満足げである。 育児書などを見ると、「お父さんも子育てに参加しましょう。 お父さんとのダイナミックな遊びは、赤ちゃんも大好き。」 などという見出しが目に付くが、 確かに父親というのは母親とは違った遊び方をするものである。 体を使った遊びが多く、衣は声を上げて大はしゃぎ。

もっともっとと夫の足にしがみつきせがむ姿は、もう既に赤ん坊ではなく、 自我の芽生えた一人前の「子供」である。 週末、衣と一緒に過ごす時間の多かった夫は、いつの間にか衣が時によって、 強く自己主張をしたり、欲求を満たそうと振舞ったり、 わざといたずらをしたりするようになったことに少なからず驚きながらも、 父親なりに「しつけ」を念頭に置きながら相手をしていた様だ。

日記の更新とメールの送受信に利用しているニフティーが、この数日どういう訳か 使用不可能となっている為、日記の更新もメールチェックもできずに過ごしている。 しかし、週末なので夫も在宅、週末の分厚い新聞も手元にあり、 手持ち無沙汰になることはない。

我が家で週末に限り配達を頼んでいる、 「エルサレム・ポスト」という英字新聞を熟読する。 イスラエルの南部、砂漠のエゲブ地域に昔から住む天幕暮しの「ベドウィン」達に 定住をしてもらうため、ベドウィンの為の町を新しく作り、これからも増設する計画らしいのだが、どうも上手くいっていないという記事を読んだ。 それらの町では高い失業率、犯罪、麻薬問題などがはびこっているらしい。 もともと天幕暮らしの彼らに、 新しいライフスタイルを強制している所に無理があるのだろう。 教育施設、文化的施設、病院、なども乏しいらしい。

イスラエルは決して広い国ではないのだが(全国土が四国に匹敵する)、 ここレホボトで快適な生活をしながらこのような記事を読むと、 イスラエルという国は、ある意味ではとても「広い」国のような気がしてくる。

毎週料理欄を見ることも楽しみの一つである。 今週は、茄子とココナツミルクの特集だ。 幾つかレシピを書き写しておき、日本への手土産にしても良いかとも思う。


8月5日(木曜日)

この1週間程、比較的涼しく過ごしやすい日が続いている。 今日もクーラーを、つけたり切ったりしながら1日過ごす。

ベランダの花壇に移植したシソとバジリコの苗は、私の消極的な予想を裏切り、 ぐんぐん成長している。 明らかに日差しの当たる方角を向いて育っているのは、今更驚く事ではないのだが、 こうもきれいに首を曲げて育つ姿を目にするのは、なかなか面白い。 バルコニーが北を向いていて、苗の東側には大きな杏の木があるので、 整然と列をなして植わっている苗達は、皆揃って西を向いている。 背も伸び、茎も太くなり、脇芽も出てきた。 シソを収穫したらどのようにして食べようかと、今から楽しみである。 シソが大好物の義母がこの季節、暑さで半ばばてながら、 山盛りのシソと山盛りの海苔を薬味に、 つるつると素麺を食べる姿を思い出す。

今日は初めて西瓜を丸ごと買ってきた。 ミシュロハ(配達)を頼んだので、大きな物、重い物の買い物も楽チンである。 床にごろんと横たわった西瓜を早速見つけ、 先程から衣は大きな果物のお腹をぽんぽんと叩いて目を輝かせている。 夫と2人がかりで、大きな西瓜の解剖を始める。 包丁を「えいやっ」と入れると、パリッと厚い皮が裂ける。 中身が詰まっている証拠だ。 こちらの西瓜の皮の模様は、日本の西瓜のように緑に黒の縞ではなく、 緑に白の縞である。 その縞の皮の中から、良く熟れた赤い果肉が顔を覗かせる。 西瓜の匂い、夏の匂い、夏休みの匂い。

イスラエル式に大きく切り分け、食卓に並べる。 夫に教わったこちらの食べ方でナイフとフォークで食べてみる。 丁度食べ頃で、果汁がたっぷりと含まれ、とにかく、美味しい。 果汁の滴る甘い西瓜は、暑く乾燥した夏が、 どっかりと数ヶ月も腰を落ち着かせるこの国に最も適した食べ物であろう。

この西瓜、一体いくら位するのかと思い、 スーパーのレシートを見ると、アバティアフ(西瓜)300円、と書いてある。 一瞬目を疑う値段である。 丸ごとの西瓜が、たったの300円! どうりで、町のあちらこちらや道端で山積みにして売っている訳だ。 その様は、福岡の飯塚周辺で梨の季節や蜜柑の季節に、果物が山積みにされ、 安値で売られている光景に非常に良く似ている。


8月4日(水曜日)

最近の衣のお気に入りの本は「ぐりとぐらのおきゃくさま」である。

この本は、私が子供の頃に読んだ絵本を実家の母が、 捨てずにとっておいてくれたものである。 結婚して実家を出る際に、子供の頃に読んだ絵本をダンボール箱に4〜5箱渡された。 九州では、時々押し入れに頭を突っ込み、懐かしい絵本を何冊か引っ張り出してきて、 くしゃみをしながらほこりを拭き取って、 眺めては又しまいということを繰り返していた。

衣が生まれてからは衣の成長にあわせて、ふさわしいと思う絵本を探し出しては、 そのつど与えてきた。 自分が読んで育った絵本で子育てができるということは、実に幸せだと思う。
第一に、絵本を買う必要がない。子供連れで本屋で絵本を選ぶのはなかなか大変。
第二に、母親自身も懐かしく自分の幼年時代を思い出すことができる。
第三に、古い絵本なので、紙の淵や角が柔らかくなっていて、 小さい子供に与えても安全である。
第四に、もともと薄汚れているので、少々汚したり破ったりすることも気にならない。 (といっても我が家では、製本用の紙テープが日常欠かせないのだが…)

このところ、1冊の絵本をじっくりと楽しむことができるように努力しているのだが、 そうすると面白い発見が沢山ある。 絵本の中に出てくる同一の登場人物や物が、 違うページに出てきても、「同じ」ということが段々分かるようになってくる。 そして次の段階では、絵本の中の世界と日常の世界が結びついてくるのだ。 これが面白い。

例えば、絵本の中に小鳥が出てくると、ベランダを指し「カーカー(鳥という意味)」 と言う。他には、絵本の中の時計を見ると、本棚にある置時計を背伸びして指差し 何かを訴えている。最初は、又わがままを言っているのかと思っていたのだが、 もしかして「時計」を認識しているのではないかと思い、 確かめてみると案の定、大喜びである。 絵本の時計と実物の時計が一致した喜び、 そして、その発見を母親と共有できた喜びといったところだろうか。 歯ブラシが出てきて、歯を磨く動作をすると、 他の本の歯磨きのページを持ってやって来る。 こうなってくると、こちらも相手が面白くて辞められなくなってくる。

子供が、物の名前や存在を「知って」いく過程を、 日々刻々と観察できるのは母親業の醍醐味であろう。 なんとなく、へレンケラーの映画を思い出す毎日である。

今日も、たっぷりと「ぐりとぐらのおきゃくさま」を2人で楽しんだ。


8月3日(火曜日)

3回目のヘブライ語のレッスン。 ハユタ先生がお孫さんを連れて登場。 娘さんのお嬢さんで、今週はハユタさんがベビーシッターをしているらしい。

日本人の奥さんは今日もお休み。 今日は動詞の語尾変化の続きと色の名前、形容詞の性・数による語尾変化をした。 動詞の語尾は、指示代名詞が男性単数・女性単数・男性複数・ 女性複数のいずれかによって変化する。 英語と違う点は、3人称単数現在の場合の動詞の語尾変化がないということだ。 指示代名詞が男性であれば、you も he も同じ形の動詞をとる。 その辺は単純で良いのだが、名詞にも男性形・女性形があり、 それに伴い形容詞もそれぞれ男性形・女性形の語尾変化をする。

週末に購入したホワイトボードはなかなか好評だった。 ただでさえ慣れない文字を、 先生のノートから書き写すのは結構大変なのである。 その上、先生の向かい側に座った生徒は上下逆さまに読んで写さねばならないので、 至難の技を必要とする。

色の名称を勉強する為に色シールを使ったのだが、 これが衣の格好のおもちゃになる。 私のプリントには1枚のシールも残らずに、全て彼女の体にシールが貼られた。 そのおかげで、色の勉強中は彼女は静かに過ごしてくれた。

夕方は慣例の奥様集会。 といっても、最近は出席するメンバーがかなり固定してきて、気がついてみると ヘブライ語のクラスのメンバーと、 その他に数人だけというこじんまりとした集会である。 今日はエドナは息子さんの結婚のパーティーで忙しくて欠席。 我々だけで勝手に集まり、お喋りをして解散する。

そういえば断水の話は、良くない事に、水道会社のストライキが始まってしまい、 これから数日間、予告無しに断水が起きる可能性がある、というお知らせが 配られる。 最近は常に水を確保するようにしたので、たとえ断水があっても慌てる事はないのだが、気分的にはすっきりとしない。


8月2日(月曜日)

朝一番に3階の日本人の奥さんより電話がある。 なんと、朝からいきなり水が出ない!

いつもの手順で皆に電話をする。 ゲウラに電話をして、水道管が破裂し12時頃まで断水との情報を得る。 早速、皆に連絡する。

トイレに行けない、手が洗えない、歯が磨けない、顔が洗えない、 食事の後片付けができない、掃除ができない… ないないないないないないづくしである。 まあ12時までの辛抱、と軽く考えていたのがあだとなる…。

1時になっても出ない、3時になっても出ない、 4時、5時、えー、もう6時じゃなーい!

先日の断水のことを日記で読んだ友人の母上が、以前フィリピンに暮した時には、 断水、停電は日常茶飯事であったとメールを下さった。 「水は汲み溜めしているのですか」と付け加えられてあり、 「そうか、水を溜めておくといざという時に便利ね」と思ったのに、 すぐに実行に移さなかったことが悔やまれる。

夫に連絡をして、研究所で情報を入手してもらう。 そうこうするうちに、 乾ききった蛇口からゴボゴボと咳き込むように赤い水が噴出す。 あ〜、助かった! 一緒に見に来た衣も「良かったね」の表情。 多分、水が出なかったことも分かっていたのだと思う。 今日は一日、手や顔を洗うのにペットボトルの水を使ったので、 何か変だと思ったに違いない。

研究所でも一日中断水していたらしく、 夕方、さすがに夫も音をあげて早々に帰宅した。 (このような時に、水洗トイレの不便さを痛感する)


8月1日(日曜日)

早いもので、もう8月である。 我々のイスラエル滞在も4ヶ月を過ぎた。

今日は午後から休暇を取り、レンタカーを借りてエルサレムのヤド・バシェムという ホロコースト博物館に行くことにする。 この博物館は週末は閉まっているので、このように平日で行く事ができる時に 行っておかないと機会を逃してしまう。

大きな公園の中に、 幾つかの建物や記念碑が建っているというスタイルの博物館である。 入場料は無料。

まず、ホール・オブ・メモリアルに行く。 明るい外から室内に入ると真っ暗で、 入り口には紙製の簡易キッパ(男性のユダヤ教徒が頭に被る小さな帽子)が 置かれている。 亡くなった人達の為に、 厳粛な気持ちで入室して欲しいという気持ちがこめられているのだろう。 暗い室内には1ヶ所だけ火が灯り、 灯火からの煙と熱せられた空気はまっすぐ上に昇り、 天井に空けられた空間から澄んだ青空にと昇って行く。

青い空に高くそびえるホロコースト慰霊碑を横にしながら、 チルドレンズ・メモリアルを訪れる。 乳母車は入れないと言われ、夫と交代で見学。 中は、まさに真っ暗闇である。 鏡と白熱灯が巧妙に使われ、幾千という亡くなった子供達の命の灯火が、 暗闇の彼方まで存在しているさまを表現している。 暗闇にろうそくの灯が灯る中、犠牲となった子供達の名前と年齢、国籍が 延々と呼ばれて行く。

眩しい太陽のもと、明るい現実に戻ると、 我が子が私を待ちながら幸せそうに夫と戯れている…。

衣の乳母車を押しながらメインの博物館に入る。 ここにはホロコーストの惨事の記録写真、 ゲットーでのユダヤ人の生活の写真、 遺品などが数多く展示されている。 写真はどれも大きく引き伸ばされていて、ほぼ実物大である。 押し黙り、 ただ自分の「順番」を待つことしかできなかった彼らの集合写真には、 見る者に不安とやるせなさを与える 言いようのない「重い空気」が存在している。

多くの死体や白骨の写真も展示されている。 そして、死の直前の裸の人々…。 人間とは、衣服を剥がされると、なんと力無く、 頼りなく、不安に満ちてしまうものか! 以前に観た「シンドラーのリスト」という映画の中で、 強制収容所に送るユダヤ人を選別する為に、皆裸にされて次々に選別されていく シーンがあった。 広場を順に駈け回る幾百という裸の男女の姿は、私のまぶたに焼きついている。 彼らの無力さが印象的なのである。 裸の姿ほど、人間として屈辱的で無防備であるものはないと思った。 彼らは限りなく「無力で絶望的」なのである。

子供たちの写真も多い。 子の親になると、逆境に置かれた子供の姿は耐えがたいものである。 子供たちを失った親、親を失った子供たち、 一緒に、又は別々に死んでいかなければならなかった親とこどもたち…。 そうした過去の人々の歴史に触れていると、 今、こうして私の手を握っている衣の存在と自分たちの 平和な日常が不思議に思えてくる。 イスラエルでは現在、 子供たちを大切にするという事を良く聞くが、 ようやくその意味を、実感として理解できたと思う。

独特な服装と身なりの敬虔なユダヤ教徒の夫婦、家族が非常に多く 見学に来ているのが目に付く。 彼らの多くは、確実に家族や知り合いをホロコーストで失っているのだと思う。

この博物館の見学は、イスラエル到着直後から夫が強く希望していたので、 こうして家族3人で訪れることができて良かったと思う。 衣は大きくなって、又、 彼女自身の意思で見学する機会に恵まれるのだろうか。 彼女が母親となる時はどのような世の中になっているのだろうか。


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