イスラエル育児日記


1月31日(月曜日)

午後にコーンブレッドを焼く。 子供の頃に、よく食べた記憶があるので、 こちらでも作ってみようと思ったのだ。 肝心の作り方が分からず、困っていたのだが、 ふと思い付き、インターネット上で検索をしたら、 出てきた出てきた!

しかし、出来上がりはイマイチ。 味は懐かしの味なのだが、少し固過ぎた。 要改善。 でも、焼き立てのコーンブレッドにバター風味のマーガリンをつけ、 アツアツをおやつに食べたら、私も衣もご機嫌ご機嫌。

お腹も一杯になったところで、散歩がてら、坂の上のスーパーまで 牛乳を買いに行くことにする。 今日は乳母車無しでの買い物である。 衣は、初めて自分で歩く道なので、相当嬉しいらしく、 ぐんぐんと歩く。 途中の民家の塀をいちいち触っては「いーし(石)」と言う。

店が開く4時に20分程足りなく、そのまま研究所に行き先を変更。 この道も衣にとっては初めて歩く道なので、それはそれは嬉しそう。 気に入ったスポットを見つけ、暫く腰掛けて、お喋りタイムを楽しむ。 午後の日差しが暖かく、気持ちが良い。 いつもと違ったルートの散歩は新鮮だ。

途中、デービッドとステファニーに会う。 彼女は、今月から週5日間のヘブライ語のウルパンに通っている。 彼女意外の生徒は全員ロシア人の移民だが、 彼女はロシア語が専門なので、クラスメートとのコミュニケーションには、 苦労していないそうだ。 朝の8時から昼の12時半まで、みっちりと授業がある。 従って、朝、デービッドを幼稚園に連れて行くのは、 ウーリックの仕事。 最初の頃は、昼の迎えも彼がやっていたようだが、 流石に最近は、ステファニーが自分で行っているようだ。

散歩から帰り、夕食は、ケチャップをたっぷりと使った、 鶏肉料理を食べる。 単に、ケチャップ消費の為に取り入れた献立なのだが、 意外に美味しく、いつか又作っても良いと思う味だった。 マヨネーズを殆ど食べない我が家の冷蔵庫に眠る マヨネーズ消費作戦献立として、今晩食卓に上がったのは、 コールスローサラダ。 着々と備蓄食料が消費されつつある。


1月30日(日曜日)

午前中にデビの所に遊びに行く。 ヒース君、ブライアちゃんが熱烈に歓迎してくれる。 次々に玩具を出してきて、衣を接待してくれている。 どうやら、昨晩から、「衣ちゃんが来たら何で遊ぼうか・・・。」と 色々と考えてくれていたらしい。

ブライアちゃんは、お兄さんを持った妹らしく、 お兄さんに負けずに、何でもどんどんこなしていく。 周囲を見まわしても、どの家も、下の子の方が発達が断然早い。

しばらく遊んでいると、ターニャさんがアーニ君を連れてやって来る。 ヒース君を公園に誘いに来たようだ。 結局、全員で公園に繰り出す。 今日も天気が良く、午前中の外遊びは気持ちが良い。

昼食、昼寝の後にヘルツェル通りに買い物に行く。 スーパーソルで、牛乳、ラディッシュ、ハム、鶏肉、トマト、 きゅうり等を買い、近くのスーパーで小麦粉、蜜柑、チョコを買い足す。

途中で円円ちゃんとお母さんに会う。 かなり久しぶりなので、「もしかして引っ越したのですか。」と尋ねると、 先月から、彼女自身も研究所で仕事を始めたらしい。 彼女が属するのは、「プラント・バイオロジー」。 確か、元々彼女の専門は化学だったような気がする。 中国では、看護学校や大学で化学を教えていた彼女のこと、 きっと充実した毎日を過ごしているのだろう。 それにしても、ここにいると、 奥さんも Ph.D を取得する為に勉強している人がごろごろいて、 専業主婦業だけで、 充分身も心も忙しく感じてしまっている自分が少し恥ずかしく思える 「時もある」

それだけでなく、国に帰れば仕事を持った女性が多く、 「あなたは、何をしているの?」「あなたの専門は?」 の質問は、何もしていない私には少々酷な質問だ。 しかし「子育て」も仕事と理解している私は、 とりあえず、「今の所は、子育てをしている。子育ての手が空いたら、 将来、何かするかもしれない。」と、無難な返事をしている。

衣が成人した頃、私はどんな中年女性になっているのだろうか・・・? 何か生きがいを持ち、元気な「おばタリアン」になっていたいものだ。


1月29日(土曜日)

洗濯場で、隣の階段の日本人奥さんに会う。 幼稚園のストが、ようやく金曜日に終わったと思ったら、 今度は、電話が壊れたらしい。 我が家に電話機を持ってきて、テストをしたところ、 どうも電話機は正常で、彼女の家の回線がおかしいようである。 今日は安息日で何もできないので、明日の朝一で連絡をすることになる。

ハプニングに続くハプニングで、彼女、大丈夫かしら・・・?

30分で仕上がった洗濯を家の中に放り投げ、 快晴の元、公園で思いっきり遊ぶ。 この数日間の悪天候が信じられないような、きれいな青空である。 冬の、午前中の公園は、ぽかぽかと暖かく、 すがすがしい気分になる。

週末に、ネゲブに雪を見に行くと言っていたアンゲリカ達の車が、 まだ駐車場に見当たらない。 あの悪天候の中、本当に彼等は行ったのだろうか。 一応、「危ないんじゃなーい?」とは言っておいたのだが・・・。

衣に、明日の朝は、ブライアちゃんとヒース君の家に遊びに行くのよ、 と説明をする。 最近、衣がよく「バータ」と言うのだが、何を指すのか見当がつかずにいたが、 その話しの最中に、「バータ」とは「ブライアちゃん」ということが判明した。 合点!

ちなみに、ベンヤミンは「ミンミン」、アビゲイルちゃんは「アビタ」 アーニくんは「アーニ」、クララちゃんは「クーワァ」。 友達に対して、大変に興味を示すようになってきた。 一緒にいることが嬉しいようだし、本人がいなくても、 会話に沢山登場する。 こちらに来たばかりの頃は、人見知りばかりしていたのにねー。


1月28日(金曜日)

昨日の午後と夜にかけ、イスラエル中が嵐に見舞われた。 強い風雨、それに雷も。 標高の高い所では雪も降った。 ゴラン、ガリラヤ湖、ヘルモン山、そしてエルサレム。 南は砂漠の中の、ミツペラモンでも降雪が予報されたが、 実際はどうだったのだろうか。

エルサレム在住の知人から電話があり、 大して積もっているわけではないのに、皆慣れないものだがら、 交通機関が麻痺し、午後3時には職場は閑散としてしまったそうだ。 そういえば、この昨日の新聞にも、「雪の恐れ」という見出しの記事で、 エルサレムでは、除雪車や救急車、砂袋などの準備が着々と進んでいる、と あった。

標高800メートルのエルサレムに比べ、ここレホボトは 標高が低いので、勿論雪は降らなかった。 でも、雨、雨、雨、雷、雷、雷・・・。 1日の内に何度も電気が消えそうになる。 停電こそはしなかったが、びくびくしながらの1日だった。

今日は、午前中は雨が残ったが、午後になりきれいに晴れたので、 研究所に散歩に出かける。 あちらこちら、嵐の足跡が残っている。 吹き飛ばされた大きな枝、濁流が流れた跡、大きな水溜り、 氾濫した池、などなど。

衣は、雨が好きなので、雨に濡れた木の葉を、 ご丁寧に一枚一枚触って確認している。 一枚毎に「あめ」とつぶやきながら。 名付けて「つぶやき衣」。

散歩の帰り道、隣のアビゲイルちゃんのお父さんとすれ違う。 衣は、彼のことが分かったのか、遠くを歩いている時点から、 「アビタ(アビゲイルちゃん)、アビタ」と言う。 衣、昨日アビゲイルちゃんと遊んだのが嬉しかったようで、 1日の内に何度も、「アビタ」と繰り返す。 又、一緒に遊ぼうね。


1月27日(木曜日)

10時半頃、アンゲリカとシャロンさんが子供達を連れて遊びに来る。 シャロンさんと、子供を交えての時間を過ごすのは初めてだった。 彼女の娘は、来月1歳の誕生日を迎える女の子、アビゲイルちゃん。 目がくりっとしてお父さんに良く似た、大変に可愛らしい子である。

つい最近まで、アビゲイルちゃんのベビーシッターをしていた彼女の お父さんは、教会の牧師さんである。 クリスチャンのインド人の存在を考えてもみなかったので、 最初、お父さんからその話しを聞いた時には、かなり驚いた。 (表情には出なかったと思うが・・・) インドはヒンドゥー教、イスラム教、そしてキリスト教が主流だそうだ。 といっても、キリスト教はほんの5パーセントに過ぎないらしいが。

そんなバックグラウンドから容易に理解できるのが、 彼女の結婚前の仕事である。 ボランティアで、女性の教育に携わっていたらしい。 アカデミックな方面が中心で、他にも家庭の医学のような事も教えていたらしい。 インドでは、特に都心意外の環境において、完璧な男尊女卑の社会らしい。 男尊女卑という言葉は的確でないかもしれないが、 女性が教育を受け、男性と同等に社会でやって行くことを、 ことさら嫌う男性が主で、 女性は家で育児と家事をしていれば良いという考えが主流ということだ。

彼女の専門はリハビリテーション学で、精神科医になりたかったらしい。 が、母親に止められたそうだ。 そういう母親も実は教師で、働く女性だと言っていた。 インド人の知人が殆どいない私にとっては、彼女の話しは、 何を聞いても新鮮で興味深い。 他にも言語の話しなどをしてくれる。 なんと、インドには365種くらいの言語があるそうだ。 方言とは違うのかと確かめたが、「違う」と言っていたのだが、 なんとも信じ難い話である。 ということで、異なる地域から来た人同士は、英語で会話をするのだそうだ。 ヒンディー語が公用語かと思っていたが、そうではなく、単に北部の一言語らしい。 う〜ん、奥が深い文化の国だ。

彼女の年齢は分からないのだが、多分、20代か、私と同じ位かと思うが、 落ち着いていて、話しはしっかりとしていて、物静かだが陽気さを持った、 魅力的な人物である。 良い隣人に恵まれたと思う。


1月26日(水曜日)

今朝も衣は早くに起きる。 早起きは良いのだが、寝ぼすけの私はもう少し休みたいので、 衣を大人のベッドに入れる。 数分は親と一緒に頭を並べ、静かにしているが、 すぐにむっくりと起き上がり、絵本を見始める。 そして調子が出てくると「読み始める」。 これくらいならば親には何の「害」もない。

しかし、それでは済まないのが衣である。 母親を乗り越えて、エアコンのリモコンを取りに行く。 勝手にピッピッと設定を変えてしまう。 途端に、冷風がぞくぞくっと流れてくる。 リモコンを取り上げる。 又、乗り越えて取りに来る。 再度取り上げ、布団の中に隠す。

この辺りで、お腹が空いてくるらしく、 「マッ(パン)、ぶどう、ニューニュー(牛乳)、 ハラー(ユダヤの休日のパン)、アーム(ハム)、チッズー(チーズ)」 と、食品名のオンパレードが始まる。 余りのしつこさに笑いがこみ上げてくる。 この辺りまでは平和な朝である。

それでも私が粘って布団にへばりついていると、 武力行使が始まる。 つまり、かたくなに目を閉じている母親の目を「こじ開ける」のだ。 これは効果テキメンである。 余りの残虐な行為に、流石の母親も降参して、ようやくもそもそと起き出す。

そうそう、もう一点、衣の得意技があった。 つまり、朝の用足し作戦。 お尻方面から漂ってくる、ほのかな香りに燻し出され、 仕方なく起きる母である。

さて、午前中にアンゲリカより電話があり、 パウンド型を貸してくれないかとのこと。 すぐにベンヤミンと一緒に取りに来る。 今晩、最後の合唱の練習があり、 ケーキを焼いて持って行くのだそうだ。 衣とベンヤミンをしばらく遊ばせ、明日、又遊ぶことを約束して帰る。

バナナアップルケーキとやらに初挑戦してみる。 が、始めてのレシピにもかかわらず、自己流にアレンジしてしまった為、 見事に失敗する。 近所に配って歩こうと思って張り切っていたが、 とても人には差し上げられない代物になってしまう。 トホホ・・・。 始めてのレシピは、まず、基本に忠実に作ってみる。 以上が今日の教訓である。

明日は、ぐっと冷え込み、エルサレムでは雪が予報されている。


1月25日(火曜日)

この数日、衣がいつもより1時間程早くに起きるので、 朝の時間がたっぷりある。

隣の階段の日本人奥さんと子供達を誘って、ヘブライ大学農学部キャンパスへ、 皆で探検に行くことにする。 研究所の中を歩いて行くが、途中で子供達が疲れてしまい、 急遽予定を変更し、研究所内のギフトショップで買い物をすることにする。 もう既に、何回か訪問しているので、店の人とも顔なじみになった。 新しい製品も増えていたので、まとまった買い物をする。 カードが使えるので、なかなか便利だ。

ゆっくりと吟味しながらの買い物の後は、 子供達と一緒に外の芝生でスナックタイム。 かっぱえびせんを、皆でさくさくとかじる。 イスラエルに来るまで、子供達がこれほどかっぱえびせんが好きだとは 知らなかった。 そう言えば、私も子供の頃、愛食していたような気がしてきた。 お兄ちゃん達は、活発に遊ぶかと思えば、優しいところもあり、 衣にも1本1本渡してくれる。 そして、私の口にもちゃんと入れてくれる。

結局、お腹が空いてしまった彼等との交渉の結果、 隣のカフェで、サンドイッチの昼食を取ることにする。 私と衣が食べたのは、トマト、チーズ、ナスのペースト、アンチョビーが挟んである。 食べたことのない組み合わせで、面白いと思った。 この辺りの国々のナスの食べ方は、日本人の感覚からすると、 思いつきもしない食べ方で、びっくりする。 衣は、ここでも食欲を発揮し、ナスでもアンチョビーでも、なんでもぱくつく。 この人、味、分かっているのかナー。

すっかり疲れてしまった子供達を励ましながら、 ようやく宿舎へと戻る。 予定を変更しての散歩となったが、それはそれで、とても楽しかった。 衣は、お腹もいっぱいになって睡魔に襲われたのか、 最近にしては珍しく、そのままベビーカーですやすやと眠ってしまう。

午後は、おやつの後に公園に出る。 滑り台、汽車の乗り物、そして馬の乗り物と、かなり楽しそうに遊ぶ。 最近、この辺りに馬が出現することと、衣の寝巻きのトレーナに馬の模様が 描いてあることから、「おうま(馬)」という言葉が大好きな衣である。 馬の乗り物では、「おうま、おうま」と言いながらご機嫌である。 降りてからも、顔の部分を何度も見に行き満足した様子だ。

公園から家に辿り着くまで、あっちへふらふら、こっちへふらふらと、 寄り道をたっぷりして、ゆっくりと帰宅する。


1月24日(月曜日)

2000年初めての「奥様集会」への参加。

9時50分に玄関のベルが鳴り、隣の階段の日本人奥さんと2人の子供が 迎えに来てくれる。 やはり、今日も幼稚園はストで休み。 新聞によると、昨日は全く交渉の話し合いが持たれなかったらしい。 噂では、以前は2ヶ月間もストが長引いたそうで、 それを聞いただけでも、子持ちの母親は気絶しそうである。

イスラエルは共働きの家庭が多い為、この幼稚園、小学校の教師のストライキは、 仕事を持ったお母さん達には、深刻な問題である。 日本で言えば児童館のような、 学校の後に子供が行く地域のセンターのスタッフが、 代わりに子供達の面倒をみるという対策も始まるようだ。

さて、「奥様集会」だが、今回は、ステファニーがホスト役。 我々日本人が一番乗り。 ポツポツと人が集まり始める。 気が付くと、今日の集会は子供がやけに多い。 これもストの影響かとも思ったが、幼稚園に行く前の年齢の子供の人数が、 最近叉、増加しているようである。 ということで、かなりの大騒ぎとなるが、 私としては、この混沌とした雰囲気が、衣をカモフラージュしてくれるので、 とにかく嬉しい。

同じ位の年齢の子供をそれぞれ持った、インド人の3人の女性が目立っていた。 その1人はお隣のシャロンさん。 インド人は、こういう時は、実に美しい衣装を着てくる。 我が家での会の時のシャロンさんの服は、 若草色の濃淡の、大変にきれいな衣装だった。 今日のお召し物は、限りなく白に近いクリーム色の明るい衣装。 同色の糸で、全体に刺繍がほどこしてある。 今日のも素敵。 これもサリーと呼ぶのだろうか。

年配のアメリカ人婦人が数人いて、まだ到着して間も無いので夜眠れなくて困るワーと、大きな声で話している。 見たことのない、赤ちゃんを抱っこしたニコニコとしたお母さんと目が合う。 彼女は、昨年の11月に、 ブラッハの隣に引っ越してきたフランス人。 赤ちゃんは、7ヶ月の男の子、レオ(ライオンの意)君。 彼女とのやり取りは、隣に座っているブラッハのフランス語での通訳を交えての会話。 英語が全くできないのかと思い、お遊戯みたいにゼスチャーを主体に話しを進めると、 突然、英語で返してくるので「あれっ?」と、ずっこけてしまう。

彼女、なんと職業はシェフだそうで、 来週、テルアビブのレストランで面接をするそうだ。 もし良ければ、週2〜3回の割合で仕事をしたいと言っていた。 「シェフ」という言葉に過剰反応をしてしまい、私の歓声に、 彼女とブラッハの方がむしろ、目を点にして驚いていた。 「スシー」も作れるそうだ。 ふぅーん・・・。

最近、看護婦さんが奥さんというのが良いなーと思っていたが、 シェフが奥さんというのも魅力的だなー、と思い直す。 勿論、もし次回、男性に生まれたら・・・の話しである。


1月23日(日曜日)

朝から天気が悪い。

午前中に、買い物に行こうと思っていたので、 少々拍子抜け。 が、掃除をしている間に晴れ間がのぞく。

よしっ!、 と急いで支度をして、一応傘を持ち、 一番近い坂の上のスーパーまで、ダッシュで行くことに決定。

朝に雨が降ったので、空気は湿って気持ちが良い。 空も、すっかりと晴れて、青色がきれいだ。

途中、何人もの子供達とすれ違う。 ということは、今日もストは続いているのだろう。

久しぶりのスーパーでは、食器洗いの洗剤(小)、 ほうきの柄(ほうきの柄がぽっきりと折れてしまった)、 牛乳、フムス(最後の1ヶ月に入りつつあるので、イスラエルの味を 舌に覚えさせようというコンタン)、 チョコ、インスタントファラフェルの素、インスタントゲフィルテフィッシュの素、 など、面白い物も購入。 レジに並んでいる間に、雨が降ってくる。

すぐに止むとみて、2件先のハナシファーマシーに入る。 衣の歯ブラシを買う。 こちらの物に比べ、 日本の子供用歯ブラシは、なかなか良くできている。 喉に、ウガッと突っ込まないように設計されている。 日本の製品は、大概において、消費者に優しい製品が多いと思う。

衣の長ーい昼寝の最中に、私もソファーでうとうとしていると、 ギッダがやって来る。 公園の帰りだそうだ。 この寒い中を、よく行くなーと感心してしまう。 でも、良く考えてみると、彼女の国のデンマークの冬はもっと寒いだろうから、 これしきの天候や気温は大したことないのかもしれない。

クララちゃんがいよいよ先週から幼稚園に通い始めたらしい。 水曜日には20分、木曜日には30分、金曜日には1時間という具合に、 毎日少しずつ1人にする時間を増やしているそうである。 まだまだ時間はかかりそうで、「結構、送り迎えで時間を使うので、 幼稚園が始まったからと言って、余裕ができる訳ではない。」と言っている。 そうでしょう、そうでしょう。

最近、クララちゃんと少し寒い関係だったので、寂しかったのだが、 今日は、彼女のお気に入りの玩具でゆっくりと遊び、 少し、以前の笑顔で笑ってくれるようになった。 あー良かった! 衣は、せっかくクララちゃんが来ていると言うのに、 ぐーぐー寝ていて、ようやく起きてきたと思ったら、 今度はクララちゃんが帰りたくなってしまい、 結局、一緒には遊べずじまい。 なんだかこの頃、この2人はしっくりいかない。


1月22日(土曜日)

午後に研究所に散歩に出かける。

今日はカメラを持っての外出。 衣は、最近写真が好きで、語彙にもしっかりと「しゃーしん」が加わった。 ということで、カメラやビデオを向けると、にんまり顔になる。 今日も、「はーい、そこにいてくださーい。はい、撮るよ。」 と言うと、ちゃんとにこにこして待っている。 カメラマンがもたもたしていると、待ちきれずに、 どんどん接近してきて、画面は衣の顔でいっぱいになってしまうのだが・・・。

昨日も書いた、かつての「砂漠」で、黄色の花をバックに数枚写真を撮る。 水溜りは、彼女の言葉では「あーめ」。 つまり、雨が降って溜まった水なので「雨」になる。 今日分かったことは、池も「あーめ」だということ。 水溜りのほとりにしゃがみ込み、じっと水面を眺めている。 そのうちに、「あーだ、こーだ。」とお話しが始まる。

そして、やはり・・・、水溜りに入ってみたくなる。 「きっと、だーめ、と言われるだろうなー。」と、予測しながら、 そろーり、そろーりと水溜りに近づく。 表情はと言えば、勿論、嬉しくって、舌がべろんべろんと出てきている。 1歩入ったところで、お母さんが、「だーめ!」と、登場。 濡れても良い靴を履いている時、叉、挑戦してみて下さいな。

散歩から帰ると、アンゲリカから留守電。 「良かったら今晩、夕食に来ない?」とのお誘い。 ということで、7時15分に彼女の家に夕食に招待されて行く。 本当は7時の約束だったが、6時45分に電話がかかって来て、 「7時15分に変更しても良い?」 「もちろん、焦らずに支度してください。」

夕食のメニューは、ジャガイモとマッシュルームのオーブン焼きと、 ジャガイモとリークという西洋長葱のオーブン焼き、グリーンサラダ。 なかなか美味しくできていた。 少し前までは、バタータという芋とバナナしか食べずに、 アンゲリカを困らせていたベンヤミンも、しっかりと大人と同じ物を食べていた。 かなり機嫌が良く、しきりに私の所に遊びに来る。 足を触ったり、洋服を引っ張ったりと忙しい。

ふと見ると、然程背丈は変わらない衣に比べ、ベンヤミンの手は、 かなり大きい。 つまり、この子は、両親のように背が高くなるのだろう。 やはり、男の子というのは、体格ががっしりとしている。 それとも、ドイツ人は体格が良いのだろうか。 同じドイツ人の子供のデービッドも、衣よりも年齢は下だが、 体つきは俄然、がっちりとしている。 こちらも、両親共にかなり背が高い。

いつもは、ワイドテレビの画面に映った顔を見ているような衣の顔も、 がっしりとした彼等の横で見ると、幾分、華奢で、女の子らしく「見える」。


1月21日(金曜日)

気持ちの良い日。

11時から1時間程、研究所内を散歩する。 ゲートを入って、今まで「砂漠」と呼んでいた空き地に、 何時の間にか青々と草が生えている。 それも、きれいな黄色い花が沢山咲いている。 3歩、歩いては道端にしゃがみ、花の鑑賞をする。 日溜まりは温かく、春の兆しを感じる。

良く見ると、黄色い花も数種類が混ざって咲いている。 可憐なキク科らしき花が大多数で、その中に、ガーベラのような大きな花も 数本咲いている。 中に、真っ赤な芥子の花が1輪咲いているのを見つけた。 イスラエルというと、野生の芥子の花というイメージを持って来たので、 その花を見て帰ることができ、嬉しく思う。

あとは、春一番に咲くといわれている、 アーモンドの花を是非見て帰りたいものだ。

衣は、大分沢山1人で歩くことができるようになった。 最近の散歩は、乳母車無しということが多い。 乳母車を持っていっても、結局「おーり(降りたい)」と言って、 すぐに降ろすことになってしまう。 ただ、散歩の帰り道は、抱っこして歩くはめになることが多い。 笑えるのは、私が衣を抱っこする時に、「よーいしょ。重い。」 と言うので、抱っこされる時は、衣が自分で「おーも(重い)」と言うのだ。

最近の語彙に「蜜柑」が加わった。 イスラエルの中でも、この辺りでは、オレンジや蜜柑の木がそこら中に生えているので、 散歩中にも、オレンジ色の実がたわわに実った蜜柑の木を指差し、 「きかん(蜜柑)」と言う。 面白いのは、道に時々落ちている蜜柑の皮を見つけ、「きかん」と言うのだ。 それも、よくこんな小さな破片を見つけたな、 と思うような小さな皮の切れ端を指し、 「きかん、きかん。」といちいち指摘する。

勿論、蜜柑を食べることも好き。 おやつに蜜柑があると、大喜びで、「きかん、きかん。」 そして、大切そうに食べ、種があると、「かたっ」と言って、 顔をしかめ、私に渡す。 種を出すことを教えなくても、子供って自分で学ぶのねー。 楽ちん、楽ちん。

最近までは、生の人参やきゅうりは、「かたっ」とか言って、 ご丁寧によけて私に渡していたのだが、先日の餃子講習会の時に、 王さんが作ってきた自家製漬物に、はまってしまったようだ。 日本の浅漬けのような物で、それから毎日私流に作った浅漬けを、 「これ、これ」と言って、ぽりぽりぱりぱりと良く食べるようになった。

最近、備蓄食品の整理に入っていることもあり、 豆をよく煮るのだが、衣は大の豆好きで、豆が視覚に入ると「まーめ、まーめ。」 と、うるさい。 3食プラスおやつにも豆を食べたいようだ。 そのこだわり様が可笑しくて、「まーめ、まーめ。」と、指を1本口に当て、 体をくねらせながら 豆を要求する姿が可笑しくて、1日に何度も吹き出してしまう。 実家の母に報告すると、「ああ、あなたも豆が好きだったわよ。」 と軽く流される。 まあ、確かにそうだったような気がする。 母や祖母が始終煮てくれた豆を、スープ用スプーンでざくっとすくい、 がんがん食べていた記憶がある。

うずら豆の甘煮の汁が、とろ〜りとしているのを飲むのが好きだったなー。 大豆の五目豆も大好きで、どんぶり1杯食べそうな勢いだった。 祖母が得意な、浸し豆(中心が黒い緑の平たい豆を固めに茹で、酢醤油に浸す)は、 実に美味しかった。 おせち料理で一番好きなのは、なんと言っても皺の寄った固めの黒豆。 結婚してから毎年、黒豆を煮ているが、なかなか上手に皺が寄らない。 いつも柔らかくふっくらと煮えてしまう。 イギリスでも、キドニービーンズのサラダは好物だった。 舌の肥えた日本人には悪評の高い、給食の定番、 ベークドビーンズも、美味しいと思って食べていた。

以上、豆特集でした。


1月20日(木曜日)

朝から天気が悪い。

風強し。

昨日の疲れが出て、朝起きると9時だった。 慌てて飛び起き(現実には「飛び」起きはしなかったが・・・)、 1日をスタートさせる。

衣と防寒着に身を包み、洗濯に出かける。 途中、フィンランド人のターニャさんと会う。 彼女も洗濯。 彼女によると、今日は風速100メートルの強風が吹くそうである。 「怖いねー、外出しないに限るわね。」と話しながら洗濯場に向かう。 衣が洗濯石鹸の入った箱を、手に掛けて歩く姿を見て、 「女の子はお手伝いしてくれるから良いわねー。」ですって。 まあ、そうとも言えるか。

確かに、最近のお手伝いは、昔のお手伝いに比べると、 仕事効率が良い。 例えば、「これ捨ててきて。」と言うと、決まってちゃんとごみ箱に 捨ててきてくれる。(時々、台所の新しいスポンジの袋が捨ててあったりする。 勿論、スポンジは、ご丁寧に袋から出して、引出しに入っている。) 洗濯物も、靴下やハンカチなどの小物なら、背伸びをしながら干せる。 冷蔵庫の中身を出し、テーブルに置いてくれる。 着替えの時に「お母さんの○○取ってきて。」と言えば、 ちゃんと持ってきてくれる。 要するに、話しがかなり通じていて、こちらの意図することを理解して、 行動に移すことができるということ。

面白いのは、これらの事ができると、 自慢気に「ぴゃらーらー、ちゅーまん、てれぐーぴゅた。」 と、いちいち説明してくれるのだ。

訳すと以下の通り。 「ねえ、お母さん、ちょっと聞いてよ!  私が1人で、ここにあった(ポンポンとその場所をたたいて)この靴下を、 こうやって、こうやって、ここの所に干したのよー。分かるー? もう一回説明するとー、ここにね(また、靴下のあった場所までわざわざ戻って) あった(ポンポン)、この靴下を(洗濯干しまで行って)ここの所に、 こーやって、こーやって、ほら、ここの所に干したのよ。 どう? 凄いでしょう?」と、かなり鼻高々である。

この時期の子供の相手は、限りなく楽しい。


1月19日(水曜日)

本日もスト続行。 どうやら交渉は暗礁に乗り上げているようだ。 この分だと、今週中の解決は無理そうだ。

さて、今日は待ちに待った餃子講習会の日。 講師は、先日知り合った、研究所の中国人、王さんの奥さんの王さん。 中国人は、夫婦別姓なのだが、この夫婦はたまたま、双方とも苗字が王さんなので、 ミスター・ワンの奥さんも、ミセス・ワン。

会場は、隣の階段の日本人宅。 10時集合。 まな板、包丁、鶏ひき肉を持っていざ出陣・・・、とドアを勢い良く開けたら、 お隣のシャロンさんと、娘のアビゲエイルちゃん(もうすぐ1歳)に鉢合わせ。 「おはようございます。ところで、バナナケーキお好きですか。」 と、昨日焼いたバナナケーキをおすそ分け。 彼女、今だにオーブンの使い方が分からないらしく、 今度、時間のある時にお教えすることになった。 そういえば、私も数ヶ月間は、怖くて使えなく、ギッダに笑われていたなー。

えっちらおっちら階段を昇ると、もうすでに講師も生徒も揃っている。 衣は、一気に大人数の場に行ったので、気分はロー。 少し前の人見知りの時期を思い出す。

さーてと、メモのご用意を! 分量は、全て、平均的な家庭用の倍です。

まず、餃子の生地を作る。 1キロの薄力粉に水を少しずつ加え、お鍋の中で練る。 5分位練って、ひとまとめにし、蓋をして1時間弱寝かせる。

その間に具を作る。 成る程、成る程。

まず、昨日市場で買ったわけぎを7〜8本刻む。(私とウェンディーさんの合作) お湯を沸かし、白菜を10枚程さっと茹でる。(隣の日本人奥さん担当) 人参2本をみじん切り。(隣の日本人奥さん担当) しょうがをみじん切り。(私担当) 鶏ひき肉1キロと、野菜類をお箸で混ぜ、塩、こしょう、サラダ油、胡麻油、 醤油で味付け。(勿論、講師担当)
ポイント:ごま油はかなりの量、ドボッと入れる。

具ができあがる頃、丁度良い具合に生地も出きている。

まな板を良く拭き、たっぷりの打ち粉をする。 生地を少し包丁で切り取り、少し掌でこね、お饅頭を作り、半分に切る。 それを手で細長く伸ばし、飴を切る様に、端からとんとんと包丁で切る。 打ち粉をしながら、小さな綿棒で伸ばす。 左手で生地を回し、右手で綿棒を持ち伸ばす。

「奥さん、奥さん、こうですよ。」と、日本語の達者な講師が実演をしてくれるが、 そう簡単にはできない。 しかし、数をこなすうちに、皮を伸ばすことは、どうやら上達した。 が、問題は、具の包み方。 これは、日本人の主婦の包み方と逆なのだ。 向こう側にひだを寄せるので、具はたっぷりと入るのだが、 どうも、慣れないのでひだも寄せることはできず、 ウェンディーさん曰く、「びょーきの餃子」になってしまう。

そうとう悪戦苦闘しながら、どうやら1キロ分の皮を使い切る。 具はやはり余る。 元気な講師は、「これは、後で叉、皮を作りましょう。」 「はい、そうですね。」と明るく返事をしながら、 内心「えー。」

3分の2を茹で餃子、残りを焼き餃子にする。 「びょーきの餃子」は、茹で餃子には向かない。 というのも、茹でている間に、内蔵破裂が起こるのだ。 ということで、「びょーきの餃子」は、全て焼き餃子になる運命に・・・。

主婦が4人もいると、さすがに作業が早い早い。 あれよあれよと思う間に、先程まで粉だらけだった作業台が、 楽しい食卓に早変わり。

お腹が空き空きの子供達と共に、早速試食タイム。 うーん、美味しい。 醤油・酢・胡麻油のたれでいただく。 皮が厚く、もちもちとして美味しい美味しい。 講師の評は「まあまあ。」 なかなか厳しい評だ。

衣は、この美味しさがよーく分かるようで、 驚くべき量を平らげる。 お腹は、久しぶりにぱんぱん状態。

結局、食後に残りの分も作り、おやつをいただき、4時に解散。 はぁー楽しかった!

衣の本日の夕食は、ベジタリアン。

満腹のお腹をさすりながら、バッタンキュー。


1月18日(火曜日)

今日も幼稚園はストで休み。

ということで、明日の餃子講習会の材料の買い物を、 今日の午前中にしてしまうことになった。 隣の階段の日本人奥さんとその息子達2人と、中国人の王さんとその息子と 一緒に、ヘルツェル通りをひたすら歩く。

今日は、昨日までの暖かな陽気とは打って変わって、 朝から強い風が吹き、空にも雲が点々と浮かび、 普段の間の抜けたようなイスラエルの空とは違い、 何かが起こりそうな予感のする劇的な空模様である。

まず、王さんお勧めの、豚肉を売る店に連れて行ってもらう。 以前、行った店よりもはるかに安値で、新鮮な品物が買えるようだ。 1キロ600円位。 しかし、我が家は、備蓄した時期食品の整理時期に入っていることだし、 もう少し我慢すれば、日本で食べることができるので、折角だが財布は開けない。 もっと早くに、この店に足を運んでいれば、利用したかもしれないが、 まあ、1年弱の滞在では、豚肉を食べなくても大した欲求不満には陥らなかった。 それよりはむしろ、私の場合、新鮮な青菜類や、青魚の方がよっぽど恋しい。

その後、子供達は初めてという市場に繰り出す。 今日の目的は、明日の餃子に入れる新鮮な白菜と青葱である。 王さんの顔なじみの店で、いきの良い白菜を購入。 青葱は、1キロで9シェケル(240円くらいか)。

そうそう、こちらでは、1キロ何シェケルというのが、値段の表示方なのだ。 日本のスーパーのように、3つのトマトがおすましして、 発砲スチロールのお皿に乗り、ピッとサランラップでパックされ 198円、というようなお上品なものではない。 ごろごろごろーんと山積みにされた、枝も土も農薬もたっぷりとついたトマトが、 1キロ○シェケルという具合だ。 その中から、人を押し分け押し分け、手を伸ばし、 厳選した分を測り売りしてもらうという方式である。

市場の青葱はとても新鮮で、スーパーの物は、数日でくったりとしてしまい、 からからと干からびてくるのに比べ、 こちらのはいつまでたっても青々として、葉もピンと張りが残る。 ということで、1キロとまではいかないけれど、300グラムほど買う。 それで3シェケル(75円)。

見事なダイダイ色の蜜柑を6個買う。 2、2シェケル(60円)。 「22」と、八百屋のおっちゃんに言われたので、 「えーと、エスリームということは、ほうほう、20ね・・・。 久しぶりにヘブライ語の復習をしたから、数字が分かるじゃーん!」 なんて、調子に乗って、20シェケル紙幣と5シェケルコインを渡すと、 おっちゃん、びっくり仰天。 それもその筈、10倍多く渡してしまったのである。 22というのは、勿論22シェケル(600円)ではなく、 2,2シェケルのことなのに・・・。 失敗、失敗。

最後に、スーパーソルに寄り、子供達の待望のお菓子などを買い、 パン屋で、ピタパンと菓子パンを買い帰宅。 日本人母2人は、へとへと。 宿舎に着くのと同時に雨が降り出す。

宿舎のポストで、アンゲリカと会う。 きんかんを煮たから食べてと渡してくれる。 先日、きんかんを彼女からもらい、「日本ではお正月に甘く煮て食べるのよ。」 と言ったら、やけに詳しく作り方を聞いてきた。 まさか、彼女、それでわざわざ煮てくれたのかなー。 それにしても、大変にきれいに煮えていて、 くたびれた日本人母2人と、衣は、待ちきれずにその場で試食。 その美味しく煮えていること!!!! 彼女の前世は、日本の煮物好きのおばあさんではないか、 と思うほどの出来ばえである。

彼女、「料理できない」なんて言っているが、 良く考えてみれば、完璧主義の彼女のこと、 料理も、実はかなり上手にできるのではないだろうか・・・。 遠慮深い人の言う言葉を真に受けて失敗する、 私のお得意のパターンかもしれない。


1月17日(月曜日)

午前中に、研究所内のワイツマンハウスの、 無料ガイド付き見学ツアーに参加する。

ワイツマンハウスとは、研究所の創立者であり、イスラエルの初代大統領でもある ハイム・ワイツマンと、その妻べラの住居である。 バウハウス運動の、著名な建築家、エリック・メンデルスゾーンによる設計で、 オフホワイトとレンガ色のコントラスト、小さな丸窓、 半円形の出窓がとてもおしゃれな建物である。

実は、このワイツマンハウス、2年かけて徹底的に修復をし、 去年の11月の創立50周年記念にリニューアルオープンしたばかりである。 今まで、ここを訪れてくれた人々を、修復中の建物と、その足元に眠る ワイツマン夫妻の墓に案内したことは何度もあるが、 実際に建物の中を見学するのは初めて、それも「無料」ガイド付き、となれば、 何がなんでも参加したくなるのも当然でしょう。

ということで、集合時刻の10時になると、続々と人が集まる。 20人くらいの参加者の半数は見慣れた顔ぶれ。 デビと2人の子供、隣の階段の日本人奥さんと2人の子供、 ウェンディーさん夫妻とその娘、 アンゲリカ夫妻とその息子、ステファニーとその息子、 ウェンディーさんの友人とその娘、 やけに子供達が多いのは、今日も幼稚園がストライキで休みのせいもある。

始めに、10分程にワイツマンの生涯をまとめたビデオを見て、 いよいよ見学開始。 内装は、外装と同じく、オフホワイトの壁で、大変に明るい印象。 家具などの調度品は、殆どが英国製ということで、 「この食卓は17世紀の物です。」 などというガイドの説明がやけに新鮮に聞こえる。 というのも、英国では、 別段特別な場所に行かなくても、週末に外出をすれば、 「16世紀の家」「17世紀のマホガニーのテーブル」 「18世紀のボーンチャイナ」「17世紀のタペストリー」 等に囲まれて誇らしげな英国人が、 イチゴジャムとクリームが山盛りのスコーンを手に、「ティー」 をすすっている光景を簡単に目にすることができる。

そう言えば、この国に来てからは、「○○世紀」という言葉を殆ど聞かない。 大概、「建国」の「前」「後」、 「○○戦争」の「前」「後」とか(全て今世紀)、 もしくは、「アブラハム」「モーセ」「イエス」の「時代」となる。 こうなると、さすがのイギリスの骨董品も若輩者になってしまう。

さて、ガイドのおじいさんの話しは面白く、分かりやすいのだが、 なんと言っても、貴重なワイツマンの個人的遺品を、子供達から「守る」 ことに全精力を使わなくてはならないので、 折角の彼の説明も殆ど私の耳には届かない。 図書室には、彼の話した6各語の本1200冊が納められており、 入り口付近にはレコードプレーヤーもあった。 台所は、黄色いタイルが敷いてあり、同行した見学者の1人は、 「ここも、私達の家と同じ醜いタイルなのね。」とこぼしていた、が、 私は逆に、たのし気で良いと思った。

広々とした台所は、とても明るく魅力的だ。 居間には、マリー・ローランサンの絵などが飾ってあり、 ピアノもある。 どの部屋も明るく、気持ちが良い。 イギリスの薄暗さが魅力のコテージとは対照的に、 部屋の隅々まで「見える」明るさは、 地中海に面したこの国ならではの魅力である。


1月16日(日曜日)

朝食を終え、掃除をしていると、隣の階段の日本人奥さんより電話。 なんでも、幼稚園がストライキで休みなのだそうだ。 そう言えば、先ほどから、廊下から子供達の声がやけに聞こえると思っていた。 「○○ちゃんは、今日は学校を休んだのかなー。」と思っていた矢先である。

ということで、皆でこれから公園に繰り出そうということになる。 掃除をさっさと済ませ、久しぶりに衣と公園に出かける。 衣は勿論、大喜び。 幼稚園だけではなく、小学校も休みなので、 いつもはひっそりしている午前中の公園が、今日は大賑わいである。

なんと、公園の隣の藪には、馬までいる。 白と茶の2頭。 何故か、公園の中にも、馬の足跡らしき物が見られる。

久しぶりの外遊びにはもってこいの、大変に良い天気。 余程、室内の方が寒いくらいで、沢山着込んでいた我々は、 「北風と太陽」の話しのように、次々と服を脱ぐ。

この国のストライキは半端ではないので、きっと明日も学校は休みだろう。 帰宅して、新聞を見ると、一面の片隅に「学校スト」という記事が載っていた。 「オープンエンディッド」と形容されているということは、 「終わり未定」ということか・・・。


1月15日(土曜日)

ぽかぽかと、暖かそうな日差しに誘われて、 衣と庭に散歩に出る。 なんて久しぶりの散歩!

衣も、嬉しくって足がぴょこぴょことひょうきんな動きをする。 最近、雨が降ったり、気温が低かったりで、なかなか外に出たいという気分に ならなかったが、今日は気持ち良く晴れ、心地よい微風も吹き、それはそれは 良い気持ちである。

1時間程の散歩中に、結構、住民に会った。 2階のブラッハが、「ヤホー! 3人の子供が同時に昼寝をしてくれた!」 と、ウキウキ気分で出て来た。 そうですね、3人も子供がいると、それも3人共年齢が違うわけだから、 全員が同時に寝つくなんてこと、そうは無いでしょう。 「奇跡、奇跡!」とはしゃいでいた。

衣は、私がテレビのムーミンの主題歌を口ずさむと、すかさず「ムーミン、ムーミン」 と、まるでムーミンのような顔をして(ふっくら、ぽっちゃりという意味)、 催促をする。 ということで、最近の2人のお楽しみは、 私の歌う調子っぱずれのムーミンの歌(日本の、あの主題歌とは違う)に合わせ、 2人で、どこででもダンスすること。 今日は、庭の石畳の上で踊った。


1月14日(金曜日)

殆ど調子も戻ってはいるものの、まだ100パーセントではない私に代わって、 昨日夫がまたまた買い物に出かけてくれた。 ということで、我が家は食物で溢れかえっている。 困った時には、快く(夫婦なのだから当たり前と言えば、それまでだが・・・) 買い物などを代行してくれる夫だが・・・。

前回、買い物リストに「ヨーグルト」と書いて渡したら、 しっかりと間違えて「サワークリーム」をしこたま買い込んで来てくれた。 まあ、好意で買い物に行ってくれているので、先週は黙っていた。 夫が間違えるのも無理が無い。 こちらのヨーグルトもサワークリームも同じパッケージに入って、 上の表示をよーく見ないと、中身が何だか分からない。 その上、ご丁寧に全ての乳製品に「○○パーセント」と脂肪分の表示がしてあり、 それが、叉、間違えの元になる。

さてさて、冷蔵庫の中に「かなりの量」たまりつつある「サワークリーム」の山を 思い出しながら、 今回の買い物リストには「ヨーグルト(サワークリームではない)」 と但し書きを加えた。 ・・・にもかかわらず、買い物袋から出てきたのは、前回と同じ「サワークリーム」。 「んー!」一瞬、漫画の落ちでも見ているような気分になる。 が、「好意でやってくれているのだから・・・。まあ、サワークリームの4つや5つで とやかく言うのも悪いか・・・。」

「ちょっとぉ、あんたぁー、ヨーグルトってあれほど言ったのに、 なんでぇサワークリーム買ってくんのよぉー!」 と、どすをきかせられるようになるまで、あと、5〜6年はかかりそうだ。

ところで、どなたか、サワークリームいりませんかぁ?


1月13日(木曜日)

午後、ギッダとクララちゃん、マヤちゃんが公園の帰りに立ち寄ってくれる。 今までは、少しの間のブランクがあっても、 クララちゃんは私の事を覚えていたくれたのだが、 今回はどうやら忘れてしまったようで、 なかなか家の中に入ってくれなかった。 ショック・・・。

衣のことも忘れてしまったようで(きっと、デンマークが余程楽しかったのだろう)、 衣は、嬉し気なのに対して、クララちゃんは少々警戒モード。

衣は、乳母車の中で眠っているマヤちゃんが気になってしょうがない。 3〜4分おきに、乳母車の所に行って、背伸びをしながら覗きこみ、 「ビービッ(ベービー)」と言っては、戻ってくる。

気のせいか、ギッダは会う毎に、ふくふくとフクヨカになって、 ご主人のヘンリックは、スースーと細くなっていくような気がする。

夕方、隣の階段の日本人奥さんから、遊びに来ませんかとの誘いの電話が入る。 「ハーイ! 行きまーす!」 今日煮た五目豆と、先日焼いた胡麻クッキーをお土産にと身支度をしていると、 今度はアンゲリカから電話。 「良かったら、1時間程散歩しない?」 そちらは、叉、来週にということにする。

さて、隣の階段の最上階まで、衣と一緒にえっちらおっちら昇る。 美味しい日本茶とおせんべいでの大歓迎。 衣はといえば、2人のお兄ちゃん達と、楽しく遊んでいる。 このような風景は、まるで夢のようである。 食べ物や飲み物があっても、玩具に夢中になっている。 そして、お兄ちゃんたちのすることを見ては真似をして、 それはそれは楽しそう。 まるで我が家にいるかのようにリラックスしている。

お兄ちゃん達は、それぞれ違う幼稚園に通っていて、 それなりに環境に慣れるのに苦労しているようだ。 子供達も大変だろうが、それを支える両親も、さぞかし大変だろうと思う。 一家揃って、なかなか健闘しているという印象を受けた。

帰宅し、夕食の準備をしていると、 アンゲリカがクリスマスの時に持ってきてくれた、ドイツのクリスマス菓子と、 そのレシピを持って現れる。 可笑しな事に、今回のお菓子は、どう見ても同じレシピで作ったものとは思えない程、 前回の物と異なって見える。 彼女をからかうと、案の定、前回のは失敗らしく、今回のが本物なのだそうだ。 このお菓子のレシピは、 5年前に亡くなった彼女の最愛のお母さんの秘伝のレシピだそうだ。 日本に帰って、このお菓子を焼く度に、彼女のこと、そしてそのお母さんのことを 思い出すことだろう。


1月12日(水曜日)

夫、上機嫌。

というのも、今回のイスラエル滞在の成果とも言える、 アンデルマンとの論文がようやく投稿できたのである。 もっと、派手なアクションつきで、 喜びを分かち合うべきだったのかしら・・・? 妻としては、夫に物足りなさを感じさせたのではないかと、 ふと不安になる。

お昼前にギッダから電話が入る。 昨晩遅く、というか、今朝早くと言った方が正確かもしれない(午前3時)に、 家族4人で無事にデンマークから帰ってきたそうだ。 お互いの近況報告をしばしする。 こちらは風邪をひいたと言ったら、「えー、じゃあ早く治してちょーだい。」 しかし、彼等は乳飲み子を抱えて、 よく、デンマークとイスラエルの間を、 行ったり来たりできるものだとつくづく感心してしまう。 ヨーロッパとイスラエルが近いということか、彼等が若いということか、 単に彼等がタフだということか・・・いずれにせよ、 自称「若年寄」私達夫婦にはとうていできない技である。


1月11日(火曜日)

かなり、具合は良くなったものの、まだ鼻水が出たり、 微熱が出る度に頭痛に悩まされる。 二つ返事で、参加を承諾したヘブライ語のレッスン初日だったが、 先生役のブラッハ宅は、赤ちゃんがいるので、今日の参加は遠慮した。

11時過ぎ、レッスンの帰りに、隣の階段の日本人奥さんが報告に寄ってくれる。 やはり、独学するよりもはるかに分かりやすいと、息を弾ませていた。 今日は数を勉強したらしい。 さてさて、忘却の彼方に行ってしまった「ヘブライ語」を、どうやって呼び戻すかが、 私の今週の課題。

昼前に、アンゲリカが、昨晩の食品を取りにやって来る。 美味しそうなパンがあったので、その入手先を尋ねる。 元気になったら、叉、遊びましょうねーと約束をして帰る。 衣は、最近、 来客に対して「喜び」の感情を持って迎えているようだ。 今日も、ベンヤミン君との再会を喜び、早速2人で玩具の所で、 何やらやっている。 やはり、「子供はこうでなくっちゃ!」と、母親としては嬉しい変化である。


1月10日(月曜日)

夫の正念場の日。 セミナーでの発表が午前中、レシテーションが午後と、2つもの大きな仕事が 重なり、この日に向かって、彼のテンションはどんどんと高まってきた。

しかし、帰宅した夫の顔は実に晴れ晴れとしている。 きっと満足のいく発表ができたのだろう。 実際、話をぽつぽつと聞き始めると、落ち着いて発表ができた上に、 終了後、何人もの人に、「分かりやすかった。」とわざわざ声を掛けてもらったそうだ。勿論、お世辞も含まれているのだろうが、そう言われて気分が悪いわけは無い。 誉められたら、素直に喜べば良いのである。 幸い、我が夫は、こういう場面では、比較的素直に喜ぶタイプなので、 傍で見ていても気持ちが良い。

夫の仕事が上手く行くと、家庭内も明るくなる。

衣が、何を思ったか、突然、おままごと遊びを始めた。 私が夕食の支度をしている時に、台所で一緒に、 引き出しから野菜を出したりして「彼女なりに」仕事をするのが、 常だったのだが、 今日は驚いた。

なにやらせっせと、引き出しから色々出しているなーと思っていると、 なんと、台所の入り口の床に、きれいに、 プラスチック製コップやお皿を並べ、「配膳」をしているのだ。 「ほぉー!」と感心していると、 「こっち、こっち。」と自分の座った場所の隣の床を指し、 私にも、彼女が準備した食卓に参加しろと要求するのだ。 これには、びっくり。

ご機嫌のお父さんも含め、衣が招待してくれた食卓に、3人で仲良く座る。 コップから美味しそうに飲む真似をして、満面の笑みである。 衣は上手にコップから飲み、 「美味しいー!」を連発し、なかなかの演技派である。

衣と夫がお風呂から上がった直後に、隣の階段の日本人奥さんから電話がある。 なんでも、突然に停電をしてしまったらしい。 オーバーを着込み、早速偵察に出ると、成る程、彼女の家を含め、 同じ階段の4件だけが停電をしている。 彼女の部屋の下で、やはり停電をしているアンゲリカの家のベルを鳴らす。 真っ暗闇の中から、泣きそうなアンゲリカが出てくる。

結局、洗濯場付近の配電盤のような所の鍵を入手し、とりあえず 30分以内には復旧。 しかし、10時過ぎに、再びアンゲリカより電話がある。 叉、停電をしているらしく、今回は、今夜中の復旧は無理との事らしい。 ということで、冷蔵庫の中身を避難させてくれとの依頼。 しばらくして、両手に重そうな袋を持ったアンゲリカが登場。 良く見ると、サンダル履きの片方の足は靴下を履き、もう片方は裸足である。 災難時に不謹慎とは思いつつ、余りにも絵に描いたような「ギャグ」を 披露してくれたもので、大笑いをしてしまう。

しきりに恐縮する彼女をなだめながら、食品を預かる。 ふむふむ、成る程、他の家はこんな物を食べているのかー。 と、思わぬ「隣のばんごはん」ならぬ、「隣の冷蔵庫」を垣間見て、 なかなか面白かった。

「明日、いつでも取りに来てー。 まあ、私が食べちゃっても良いんだけどー。」 などと不真面目な私の横で、 「暖房がつかないから、風邪をひかないように。」と、 忠告する夫を見て、少し反省。


1月9日(日曜日)

どうも、この風邪はかなりしつこい風邪のようだ。 今週は、折角イベントがあるというのに、この調子では参加が危うい。

明日は、2000年初めての「奥様集会」。 隣の階段の日本人奥さんに、私がここを去る前に、できるだけ沢山の人を紹介して 行きたいのだが、明日は無理そう。 しかし、前にも書いたように、彼女はかなりの行動派で、 私がお膳立てをしなくても、どんどんと友人を作り、 あっという間に、ここの社会にすっかりと溶け込んでしまった。

自分が初めて外国生活をした時は、彼女ほど積極的にはできなかったことを 思い出し(年齢の差は勿論あるのだが)、つくづく感心してしまう。 私が初めて日本を出たのは、高校1年の夏なので、15〜16歳だった。 後から思うと、外国生活を経験したことによって、私の性格はかなり変わったと思う。 一方、どのような環境にいようと、周囲の社会環境や、 人間関係から大きな影響を受けやすく、その結果、 性格が変わりやすい年齢だったのかもしれない、とも言えるのだが・・・。 一言で言えば、「感受性が豊かな時期」ということだ。

日本を離れるまでの自分は、多分「良い子タイプ」の人間だったと思う。 客観的に見ると、何事も無難にこなしていた。 と言いながら、中学時代は(も)遅刻の常習犯で、 幾度も、全校生徒の前で自らの過ちを謝る、 という醜態をさらしていた記憶もあるのだが・・・。

クラスの中ではおとなしく、派手なことは好まず、消極的な方。

しかし、その「私」では、イギリスの学校では通用しないことに、すぐに気付く。 困ったこと、分からないことはこちらから提示しなければ、 解決されないし、気付かれることすら無い。 かなり、自分をアピールすることを学習した。 というよりも、語学でハンディーを持って暮らしていた為、 常に劣等感を感じて私が精神的に参ってしまわぬようにと、 学校の教師や、しだいにできた親友が色々と配慮してくれたのだ。

学業では、どうしても周囲から遅れをとってしまうので、 補習を進んで引き受けてくれたり、課外活動に積極的に誘ってくれたり、 「私」を学校の中でアピールする場を、色々と設定してくれた。

イギリスの高校では、学年末の終業式の日に、各クラス毎、各教科毎、 音楽やスポーツなどの勉強以外の部門も含め、その1年間、 「頑張った」生徒が全校の前で、それぞれにふさわしい名の元に表彰され、 あらかじめその生徒が選んだ書籍を、 校長からお褒めの言葉と共に手渡されるという行事がある。

幸運にも、私は美術のクラスで1回、そして、最後の年に、 「特別賞」のような形で計2冊の本を頂くことができた。

最後の年のエピソードは、今、思い出しても我ながら恥ずかしい。 というのも、毎年、年度末が近づくと、表彰される学生の名があらかじめ発表される。 最後の年も、いつものように各クラスから数人の名があがった。 しかし、その数日後、追加枠の「特別に頑張った賞」として、 私の名が公表されたのだ。

気の小さい私は、「きっと学校側が、卒業をする私に気を効かせて、 外国人のみじめな女の子を励ます目的で、情けで表彰してくれるのだろう。」 などと、余計なことを考えてしまう。 その後が、マタマタ余計なのだが、 当時教頭であり、親友の母親でもあった人物とその娘(親友)に、 その旨を直訴してしまった。

彼女達がその時に言ってくれたことは、気が小さく、 少しひねくれていた私にとって、とても大切な言葉である。 「あなたが、そんなことを心配する必要はありません。 これは教師会で決定したことで、 あなたはその賞を貰うに値すると評価されたのですから、 喜んで受賞しなさい。」

全く、穴があったら入りたい気持ちだった。 余計なことはごちゃごちゃと詮索せずに、 シンプルに喜ぶべきだったのである。

その彼女(教頭であり、親友の母親)から、今日、何年ぶりかの手紙を受け取る。 数年前に彼女は長年勤めた高校を退職し、私の親友である娘も結婚し、 てっきり第2の人生を楽しんでいると思い込んでいた。 彼女の好みを思い出させる押し花のカードに、ぎっしりと、 いかにも学校の先生らしい読みやすい字が、 カードの裏面までしたためられている。

長年の音沙汰を「さっぱり」と詫び、私の父の病を案じたり、 娘の近況をひとしきり書いた後で、 彼女のご主人(親友の父親)が癌であることが触れられている。 彼女の娘、彼女自身に限らず、この家族には私の英国滞在中、 最もお世話になったこともあり、余りの驚きで鳥肌がたってしまう。 一応、「回復した」とは書かれているのだが、気がかりでならない。

ご主人が大切に育て、毎年見事になった実を収穫し、 自家製のワインを作っていた葡萄の木が、 近年以前ほど実らなくなったそうで、昨年末に、ご主人がついに 掘り起こした、と書かれている。 当時、彼等の家に居候していた私が、 ご主人の働き振り(自家製ワインの製作工程)を漫画に描き、 彼等に喜ばれたことを、ふと思い出す。 なんだか、無償に寂しい気がする。

1月8日(土曜日) まだ、すっきりとしない。 坂の上の、ハナシ薬局(ハナシ・ハリショーン通りの薬局の意)で買った薬を飲む。 この薬は、こちらに来てから風邪をひく度に愛用しているのだが、 色が、どぎついのがたまに傷。 イスラエルのお菓子類の着色料の色は半端ではない。 まるで、絵の具その物を食べているようだ。 ガムや飴、アイスバーなど、赤、紫、黄、緑、ピンク、ブルー、などの色名の前に、 いちいち「真っ」と加えたくなるような色だ。 従って、それらのお菓子を食べた子供の口の中は、食べた物の色に即座に染まる。 血を飲んだような真っ赤な口、インクを飲んだような真っ青な口を元気にぱくぱくと 開け、子供達はあっけらかんとしているが、親の方は心配ではないのだろうか・・・。 衣は幸いにも、まだまだそういった駄菓子類に興味を示す年齢ではないので、 我が家は「絵の具」の侵略を、かろうじて免れてはいるの。 しかし、他人事とはいえ、あの「色」を見ていると、どうも心配になってきてしまう。


1月7日(金曜日)

昨晩夫が買い物に行ってくれたおかげで、冷蔵庫の中も食料が補充され、 とりあえず安心。

久しぶりに洗濯機で洗濯をする。 数日振りに外を歩く。 ふわふわと変な感じ。

来週の奥さま集会の連絡を数件にするが、留守中の家が多い。 仕方がないのでメモを作りドアに貼ることにする。 思えば、前回の集会は我が家でしたのだ。 あれから、早くも1ヶ月が経とうとしている。 時の経つのは早いものだ。 この調子だと、来月末の帰国までの時間もあっという間だろう。

前にも書いたように、空いている寝室を、帰国準備室として使っているのだが、 夏服やお土産類、書籍など、使わない物をどんどん荷造りを始めた。 こちらに来た時に比べたら、多少荷物は増えたと思う。 台所の棚の食品も、躊躇(ちゅうちょ)せずにどんどんと食べることにした。 ということで、最近の我が家の食卓は結構豪華である。


1月6日(木曜日)

やはり、私も衣の風邪をうつされたらしく、 すっきりとしない。 普段は、薬を余りの飲まないタイプの人間だが、 ここで一家の主婦が倒れたら困るので、ばくばくと薬を「食べる」。

「もわ〜ん」とした頭で、とりあえず朝のノルマを果たし、ほっとした所へ、 「ピーンポーン(本当は、我が家のドアベルは『ビーッ』という音) とベルが鳴る。 誰かなーと思いドアを開けると・・・、エプロン姿でお鍋を持った、 隣の階段の日本人の奥さんが笑顔で立っているではないか! 「テールスープを作ったので、風邪に良いかと思って・・・、お昼にでも 召し上がって下さい。」ですって! 「うるっ〜」(「売る」がなまったのではなく、嬉しさの余り、私の目が潤んだ 様子を文字化したのです。)

お鍋を開けると、湯気があがったまだ熱いスープがそこに・・・。 恥ずかしい話だが、私はオックススープなるものを人生32年の間に、 まだ口にしたことがなかった。 しかし、その視覚的美しさ、味覚的美味しさ、 そして作った人の精神的優しさが加わり、 まさに「極上のスープ」であることに間違え無いことをすぐに実感。

彼女のアドバイスを忠実に守り、おろし生姜を加えて食べたところ、 食べている最中に、体の中から、汗が「病鬼」と共に吹き出てくる感じがする。

心身ともに温まった昼食だった。 病気の時ほど、人の優しさが身にしみることは無い。 しかし、これだけの心配り、なかなか普通の人にはできないことである。 さすが、元保健婦さん! 彼女が働いていた地区の住民は幸せ者だ。


1月5日(水曜日)

朝から大雨。 気温もぐっと下がり、本格的な冬の到来の感あり。

これだけ降れば、イスラエルの水瓶、ガリラヤ湖もある程度潤うだろう。 新聞によれば、ガリラヤ地方やエルサレムの方では雪さえ降ったらしい。 そういえば、旧約聖書の中にも、雪のエルサレムの記述があったように思う。 こちらに来て、一時は熱心に聖書関係の書物を読んでいたが、 最近はめっきりアカデミックな事から遠ざかってしまっている・・・。

などど思っていたら、隣の階段の日本人の奥さんより電話がある。 積極的な彼女は、 英語とヘブライ語を、 しっかりと学ばなくてはいけないと危機感を感じているようで、 なんと、2階のブラッハにヘブライ語を習う交渉をしたそうだ。 そこで、私にも声をかけてくれ、早速、来週からブラッハによる、 ヘブライ語のレッスンが始まる。 との電話の最中に、当の本人のブラッハが尋ねてきて、「・・・ということなので 宜しく。」とのこと。 「今、丁度、その話を電話でしているところなの。 じゃ、細かいことを相談して、叉連絡するから。」

あの、不本意に終了せざるをえなかったヘブライ語のレッスン。 このような形で、帰国真近に、 再びヘブライ語を学ぶチャンスに恵まれるとは思ってもみなかったので、 なんだか嬉しい。 それも、この宿舎の住民に教わるなんて、理想的ではないか! さー、これをきっかけに、 帰国前にブラッハにユダヤ教についての質問を沢山しましょっ!

持つべきものは、積極的な友人である。


1月4日(火曜日)

本調子に戻りつつある衣は、昨晩は、 いつものパターンをこなし(夕食、歯磨き、パソコン、寝室まで1人で行く、 自分のベッドで寝る)、朝まで自分のベッドで寝た。 おかげで、私もゆっくりと休むことができる。

朝は、たいそうお腹が空いていたようで、 ゆっくりと時間をかけ、 沢山の種類の物をたっぷりと食べたり飲んだりする。 カレンダーを指差し、お話をしながらの楽しい朝食時間を過ごす。

私も、風邪をひいてしまってはまずいので、いつもよりも意識して、 「大食い」を心がけている。 もともと食いしん坊なので、これは何の苦痛もない。 お菓子でも、残り物でも、パンでも、手当たり次第に時間のある時に どんどん口に運ぶ。

衣は、病気中にすっかりと甘え癖がついてしまい、 段々に「普段の生活」に戻す様に仕向け始める。 病気中に大好きになったアンパンマンの雑誌を、2人で一日中眺めて過ごす。 サンリオやディズニーのキャラクターに、かなり抵抗があった私だが(今となっては、 こだわりは無くなり、何でもOK人間に変身した)、 以前から子供用のキャラクターの中で、 アンパンマンとの出会いだけは楽しみにしていた。

そういう私なので、こちらに来て、 日本人の子供達からのお古のアンパンマングッズや、 雑誌で、アンパンマンのことを知るに連れて、益々アンパンマンが好きになってくる。 なんといっても、やなせたかしさんの描くキャラクターが、 何とも言えずに「かわいらしい」のである。 そして何よりも、その命名センスが良い。 例えば、「セニョール・マカロニーノ」「ケーキさん」「ラーメンてんし」 「こんにゃくおしょう」「かきくけこさん(柿)」「てっかのマキちゃん(鉄火巻き)」「てんどんマン」「メロンパンナちゃん」などなど、もう、ダジャレ大好きの私には アンパンマンの世界は天国だ。

衣と、奪い合いながら付録で遊ぶ。 病気中、衣はアンパンマンのタオルを枕にし、 アンパンマンの雑誌を枕元に立てて過ごした。 具合の悪い衣も、咳をしながらアンパンマンたちを見上げ、 「アンパンマン」などと言いながら、 少しでも楽しく過ごせたようだ。 母親自身もアンパンマンの、 ふくよかな笑顔のおかげで、大分精神的に救われたと思う。 それに加えて、カラフルなキャラクターたちの絵に囲まれて過ごすということは、 気分的にも良い影響があると思った。

そう言えば、今日は朝から大雨だった。 一瞬だが、雹(ヒョウ)もぱらついた。 イスラエル全土で雨が降っているようで、これでようやく水不足の問題も 多少緩和するのだろうか。 落ち葉が排水溝に詰まり、池になってしまったベランダに出て、 落ち葉の掃除をする。 衣は、窓に顔を押し付け「あーめぇ! あーめぇ!」と大喜び。 塀の上では、野良猫が雨宿りをしている。

夜は、久しぶりにゆっくりとテレビを見たり、 新聞を読んだりして過ごす。 ようやく、 私の2000年が1月4日にして、初めてやって来たという感である。 やれやれ。


1月3日(月曜日)

衣の具合はぐんぐん良くなる。

何にも増して、良く笑うようになった。 子供の病気の本に「笑うか、笑わないかが、子供の具合を知る大きな判断基準」 とあったが、確かに、具合が良くなるのと共に、笑顔がぐんぐん戻ってくる。 夜も、問題なく眠ることが出きるようになる。 食欲も戻りつつある。 しかし、まだ「病気期間中」ということで、 欲しい時に、欲しい物を、欲しいだけ食べられる「特別サービス」 は続行。

衣の昼寝中に、プリンに挑戦。 蒸し器が無いので、オーブンで焼きプリンにする。 卵や牛乳の配合が分からないが、 適当に作る。 私も、いよいよ6年目にして「主婦業」が板についてきたのか、 適当配合プリンが意外にも、とても上手く仕上がった。

昼寝から覚めた衣も、美味しそうに1人分ぺろりと平らげる。 私自身、子供の頃、母親が無水鍋で作るプリンが大好きだった。

そう言えば、数年前に身内を無くしたショックで、 食欲が全く無くなってしまった祖母が、 唯一食べることができたのは「プリン」だった。 弔問客の接待の合間をぬい、 近くのコンビニに、プリンを求めて何度も走ったことを思い出す。 ほんのりと温かいプリンは、心にも体にもやさしい食べ物のようだ。


1月2日(日曜日)

昨晩の辛そうな息使いは、無くなり、 朝食は、かなりの量を食べることができる。 熱も、昨晩の11時に解熱剤を入れたのを最後にして、 今朝の体温は37度台。

ただ、咳がまだ残る。

隣の階段の日本人奥さんが、保健婦さんなので、 電話をして相談をしてみることにする。 てきぱきと的確な指示や見解を述べてくれる。 さすが!!

医者に行き、再診察を受ける。 肺は大丈夫。 気管支炎。 そう言えば、 デビの息子ヒースくんも、つい最近気管支炎をやったと言っていた。

熱はあと1日半くらい、咳はもう少し続くが、だんだん良くなる筈だと 言われ、「叉、会わないと良いですねー。」 という、変な挨拶を交わして別れる。

帰宅後、隣の階段の日本人奥さんが、 喉・胸・背中の塗る風邪薬を持ってきてくれ、 衣の様子を見てくれる。 顔色、食欲、遊び方などを観察して、さほど心配することは無いと 言われ、安心する。

確かに、昨日を境に回復の兆しが見られる。 ただ、「ここで気を緩めると良くなるものも、ぶり返す」と、 自分に言い聞かせながら世話をする。

空気の乾燥は咳を誘発する。 ということで、この数日、洗濯物を室内に干すのは勿論のこと、 台所で常にお鍋に熱湯を沸かすことにしている。 これは、我ながら結構良い考えだと思う。 台所は当然のこと、部屋続きの居間の窓も曇る。


1月1日(土曜日)

明けましておめでとうございます。

昨年に引き続き、とんだ新年を迎えることになってしまった。 世の中は、「ミレニアム・ミレニアム」と大騒ぎだが、 肺炎を恐れる私の耳には、どうしてもCNNのキャスターの英語が 「ニューモニア・ニューモニア(肺炎)」と聞こえてしまう。 衣の食欲が無いので、喉ごしの良い物を作る。 名付けて「懐かしの離乳食作戦」。

水分を思う様に摂ってくれないので、 無い知恵を絞る。 以前、アルツハイマーの父親の為にと、 テレビで見た「嚥下困難の病人の為の食事」 のアイデアを借用することにする。 名付けて「ゼリー作戦」。 まずは、ミルクゼリー、次にチキンスープゼリー、 そしてポカリスエットゼリー。 どれもゆるめに作るのがポイントである。 これは、大成功!

つるんとしているので、食べやすいようで、 1日のうちの「食べたい気分」の時に すかさず、お盆にドリンク2種、ゼリーの盛り合わせ、 ヨーグルト、バナナ、パン粥などを乗せ、 次々に口に運ぶ。 無理にやらずに、 首を振ったら「あっそう、じゃ、おかあさんはお茶飲むからねー。」 と知らぬ顔をして私は美味しそうにお茶を飲んだり、 ビスケットを食べたり・・・。 要演技力。 そうすると、衣も欲しくなってくる。 これぞ「究極の心理作戦」!

観察していると、まず、ある程度食べ物を食べると、 飲むことも欲するようになる。 始めから飲ませようとすると、逆効果。

普段、あれだけ食べているので、 数日少々食べる量が減っても、まあ、大丈夫だろうと余り心配しないことにする。 それに、「ゼリー作戦」と、「懐かしの離乳食作戦」 で、病人の割には結構摂取できていると思う。

夜は、熱のせいもあり、呼吸が早く、 夫は心配気に何度も我々の寝室を覗きに来る。 そういう夫の様子を見ていると、多少こちらも心配になってくる。 ということで、万が一、肺炎で入院ということになったと想定し、 いつもの様に、シュミレーションを始める。 入院に必要な物、医者や看護婦とのやり取り、 病院での生活振り、留守宅の夫の生活・・・などなど、 取り合えず、一通り想像しておく。

このシュミレーションゲームが取り越し苦労であることを、ひたすら願う。

夜、ベールシェバの日本人留学生に新年の挨拶の電話を入れる。 お互いに、この日の為に大切にとっておいたお餅の食べ方を語る。 彼の勧めで、我が家の今夜のお雑煮の中のお餅は、 焼かずに固いまま入れ、数分間煮ることにする。 やってみるとこれが、つきたてのお餅のように柔らかくなり、 絶品! 焼く手間も省け、美味しいし、一石二鳥である。 これから我が家のお雑煮は、このスタイルにしよう!


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