午前中に、病人食の為の買い物に出かける。 八百屋で花梨やイチゴ、バナナ等を買う。 スーパーでは、牛乳、パン、鶏肉、甘いヨーグルトなどを買い、 リュックと、キャリアー代わりの空のベビーカーいっぱいに 食料を買い込む。
帰宅すると、衣は熱が上がり頬が赤い。 早速、解熱剤を入れる。 熱が出始めると、さすがの衣も食欲が落ちてくる。 水分補給が大切だと思うので、 麦茶、水、アルカリ飲料水、りんごジュースなど各種揃え、 ドリンクコーナー設置。
先ほど買ってきた花梨で、 花梨の砂糖煮を作る。 本来は砂糖漬けが良いのだろうが、時間の省略ということで、 3階の日本人宅から戴いた角砂糖をたっぷりと使い、 砂糖煮を作る。 これも、ドリンクコーナーに追加。
食欲は無いが、1日の内に何回かは、お腹が空くようで、 タイミングを見計らって、「食べる?」と 促すと、物凄い勢いでパクパクとパンやバナナを食べる。 とにかく、食べれる時に、食べれる物を食べてもらい、 飲むことを奨励する。
解熱剤を入れると、汗をかく。 熱いタオルで体を清拭し、新しい服に着替え、 顔を拭き髪を梳かすとさっぱりとするようで、 清拭を好む。
夜は、横になるので息が苦しくなる。
そう言えば、今日は大晦日。 2000年を迎える為、世の中は大騒ぎである。 テレビでも、ずーと世界中から中継し、2000年を迎える瞬間を毎時、 各地から放送している。 日本も映る。
イスラエルでも、無事に2000年を迎える。 レホボトでは花火が上がったようだ。 ベッドで衣の背中をさすりながら、耳を澄まして、世の中の動きを察知する。 夫は、我が家の3人の代表で 「その瞬間」をテレビや、ベランダで体験し、記録してくれているようだ。 いつか、元気になった折に、様子を聞かせてもらうことにしよう。
今は、私も衣と同じペースで生活しないと、 睡眠がとれないので、衣が寝ている時には、世の中で何が起ころうと、 母親も寝まーす!
数日前から咳を少ししていた衣の咳が、多くなる。 このところ、風邪、ウィルス性の風邪、肺炎、気管支炎、と、この種の病気が 大人・子供の間で流行っているので、その一員となってしまったようだ。
以前、かかったことのある医者に連れて行く。 この医者は、大変に感じが良く、丁寧に診察をしてくれ、 その上、英語が非常に分かり易く、診察料も安いので、 夫が気に入っている。 肺の音はきれいだそうで、一安心。
インフルエンザ。 咳止めの薬の処方をしてもらい、日曜日にまだ具合が悪かったら 再度診察をしてもらうことになる。
取り合えず、咳止めの薬を飲ませる。
少しづつ熱も出始め、我が家はマタマタ「年末病気モード」に突入。 共倒れを危惧し、夫は別室で寝る事になる。 私は、去年の衣と病院で過ごした年末年始と同じように(昨年は、 家族3人でインフルエンザにかかり、帰省先の東京の病院に3人揃って入院という、 なんともさえない年明けだった)、衣と床を共にすることになる。
夜中の2時頃、3階の日本人家族が、スーツケースを持って階段を降り、 廊下を通る音がする。 「お世話になりましたー。」と 心の中でつぶやく。 彼等には、文字通り、最初から最後までお世話になった。
3階の日本人家族も、いよいよ帰国が明後日にせまった。 ということで、冷蔵庫の中身を頂戴すべく、 3時過ぎにお邪魔する。
「私達、本当に明日の夜に出発できるのかしらー?」 と言う、奥さんのセリフをあえて否定できない家の状況・・・。
というのも、この1週間程、家族で風邪をひいてしまい、帰国準備が予想以上に遅れ、 家の中は、まさに「足の踏み場も無い」状態なのである。 こういう時は、3人の子供の母親というのは、大変だなーとつくづく思う。 何度も書いてきたが、彼女は、何だかんだ言って、 よくやっていると思う。 片付けも、片付けた端から、 どんどん出してきては遊び出してしまうのだそうだ。 私だったら、とっくに「切れて」いると思う。
とりあえず、隣の階段の日本人の奥さんと3人で、次々に冷凍庫、冷蔵庫、 棚の中身を出し、賞味期限を確かめながら捨てるもの、戴くものと分類を始める。 面白いのは、よそのお宅の台所には、同じ日本人ではありながら、 私にとっては珍しい食品も多く、「あー、これ下さーい。あー、それ捨てないで下さい。これ、何ですか?」の連続で、結局ダンボールに3箱、 紙袋に2袋分の食料を戴いてくる。
おかげで、我が家の食料庫は、年越しを前に、かなり豊かになった。 まるで、「かさこ地蔵」の話のようだ。 おもち、いくら、スモークサーモン、鮭フレーク、中華スープの素、 ぜんまい、オイスターソース、そばの出汁、ホワイトシチューの素、 日本製子供用座薬、コップ、キッチンペーパー、お茶、冷凍野菜各種、 ケーキ作りの材料、イースト菌、子供用運動靴、日本のお米、海苔、 ワイン、ビール、 調味料各種・・・などなど。
どれもこれも我が家には存在しなかった品々なので、ありがたい。 そして更に、彼等の所で余ったダンボール箱を全て戴く。 我が家も、そろそろ帰国の事を考え始めなくてはならない時期に 入ったということである。
2部屋ある寝室のうちの、使っていない方の部屋を「帰国準備室」と設定する。 もう着ない夏服、 ベールシェバの日本人留学生に譲る物、 そして、こちらで処分する物の山を幾つか作り始める。
さて、今度は我が家の番である。
普段より幾分早く起きる。 というのも、今朝は、ウェンディーさんに「朝食会」にお呼ばれしているのである。 明々後日にいよいよ帰国される、3階の日本人奥さんの送別会も兼ねての 企画なのだが、生憎、当事者一家は風邪でダウン。 結局、隣の階段の日本人奥さんと、私、 衣とウェンディーさんの4人での、こじんまりとしたお茶会となる。
久しぶりに会ったウェンディーさんは、すっかりと髪を短くカットし、 さっぱりとしている。 隣の階段の日本人奥さんは、もう既に到着していて、 ウェンディーさんお手製のベルギー風パンケーキでお腹を膨らましている。
衣と私は、早速着席。 すぐに台所からバターの良い香りがしてくる。 バナナと真っ赤な苺、それに淹れたてのコーヒーを戴いているうちに、 大皿に乗ったアツアツのパンケーキが運ばれる。 半分に切って、一方はカナダ風にメイプルシロップで、もう一方は ベルギー風に黒砂糖をかけていただく。 厚くふっくらと焼けていて、う〜ん、美味しい! そういえば、食いしん坊の私は、子供の頃からパンケーキに憧れていた。 原因その1:「ちびくろサンボ」(今は題名、変わっていますか?) 原因その2:「小さなスプーンおばさんのゆかいな旅」(スプーンおばさんが、 気難し屋のご主人に焼いてあげる、木イチゴと一緒のパンケーキ!)
準備万端な衣と私は、朝食を少なめにしてきたので、 2枚ぺろりと戴いてしまう。 午前中のこういうお茶会も良いなと思う。 窓からは、朝の気持ちの良い緑と光が入ってきて、 1日の疲れも無く、気取らないが美味しい食べ物と飲み物が あり、ゆっくりとお喋りを楽しむ。 さて、早速いつか真似をしてみよう!
インターネットのニュースによると、 今年生まれた子供の名前で最も多かったのは、 男児が「大輝」、女児が「未来」なのだそうだ。 どちらも、カッコ良いなーと思う。 来年は、2000年にちなんだ名前とかも登場するのかなーと、 ふと思う。
ところで、来年の干支は何でしたっけ? 日本人として、こんなことではいけませんね・・・。
最近、ハマッテいるのが、"Party for Five" という題名のアメリカのテレビドラマだ。 まあ、分かりやすく説明すれば、 外国版『一つ屋根の下で』といったところだろうか。 (それでも分からない方へ:両親に死に別れた、 年頃の子供が5〜6人の家庭の 話。スミマセン、話題がミーハーで・・・)
超「甘酸っぱい」青春ドラマなのだが、こういう内容は、 ナイーブ過ぎて、顔から火が出そうにならなくもないのだが、 それを乗り越え、はまってしまうと面白く感じてしまうのだから、 恐ろしい。
前回のエピソードで、なんと長男が癌になってしまった。 ドラマの内容は、下らないので省くが、驚いたことは、 癌の告知が、何のためらいもなく、本人にされていたことである。 私は、世の中の常識や一般論を知らないのだが、 このスタイルには驚かされた。 それとも、これは別段驚くべきことではないのだろうか。 叉は、これはアメリカ風なのだろうか。
逆に、日本のドラマでは、いかに本人に気付かれない様にするか、 叉は、最近では、いかに本人に「死」を受け入れてもらい、 最後を「より良く生きて」もらうか、 という設定が多いと思うのだが・・・。 テレビドラマならではの、ドラマチックな設定をあえてしたのか、 でも、もしアメリカではこのような事が常識なのであれば・・・ などなど気になって仕方がない。
溜まりに溜まった洗濯袋を引っさげて、衣と洗濯室に向かう。 2台の洗濯機のうち、いつもは左の方を愛用しているのだが、 今日は、「なんとなく」右の洗濯機に沢山の洗濯物を詰めこむ。 洗剤を入れ、温度設定をし、トークンを入れ、 ハイ、スタート!「・・・」 ハイ、スタート!! 「・・・」 ハイ スタート!!! 「ははーん。」と、洗濯機を「ガンッ」と一突きする。「・・・」 もう一回、「ガンッ」「・・・」「ガンッ」「・・・」「ガンッ」「・・・」 この時点で、 いやーな予感。トークンの返却ボタンを押す。「・・・」もう一回。「・・・」 えぇーーー。もぉー、やぁー。
どうやら、マタマタ故障機に当たってしまったらしい。 電源や水道の蛇口を確認、あちこちバンバンドンドン、キュキュとするが、 機嫌の悪い洗濯機は、ひたすら沈黙。 こういう時に限って、管理人のヨセフもゲウラも不在。 仕方なく、ゲウラの留守電に「洗濯機故障。洗濯物が閉じ込められています。 助けて下さーい。」とメッセージを入れておく。
暫く、洗濯物のことは忘れることにする。 先日、子供服を見に来ると言って、結局来ずに数日過ぎてしまったインド人に、 ようやく来てもらう。 1歳10日の男の子、タルーン君(「若い」「新しい」という意味)と一緒に、 お母さんのラクシェミさんが現れる。 きれいな象牙色の服を着ている。 タルーン君は、女の子用の黄色い上下を着て、まるで王子様のようだ。
今日は、ラクシェミさんも、タルーン君も、額に紅い染料を付けている。 前から気になっていたので、尋ねると、ビンディという物らしく、 染料ではなく、 なんと、シールになっているのだ。 女性は生誕後から、伴侶が亡くなるまで付けるのが習慣で、伴侶の死後は、 黒い点を付けるらしい。 宗教とは関係無いとのこと。 男性も、昔は似たようなものを付けたらしいが、今は殆ど廃れているそうだ。 成る程、成る程。 気になっていた彼等の名前も、きちんと紙に書いてもらい、 これで固有名詞で呼ぶことができる。 今頃、何をやっているのだろう私は・・・。
しばらくおしゃべりをし、遊んだ後、喜んで数枚の服と玩具を持って帰ってくれる。 子供の物は、服にしろ、おもちゃにしろ、 使えるのは一時期だけなので、なるべくお互いに使い廻しをするのが良い。 我が家は、その点大変に恵まれていて、衣の誕生後、殆どおもちゃや衣類を買わずに、 90パーセントお古で済んでしまっている。 年代ものでは、私のベビー服、弟のカーディガン、夫の子供用フォークなどがある。
新品の物の良さも勿論あるが、お古はそれなりに良いことが多い。 第一、着古しているので新生児服は肌触りが至ってソフトになっている。 そして、しみや穴や、落書きなどがあったり、ツギが当たっていたりすると、 その服を着て育った子供のことや、ツギを当てたであろうお母さん、おばあさんの 顔が浮かんできて「あー、私も頑張って子育てしよー!」と、元気が出たりする。 特に、育児に疲れている時などは、「この服を着ていた○○ちゃんも、 今は、あんなに大きくなっているっていうことは、 着実に時間は流れいるっていうことだがら、 ずーと、この状態が続くわけではなかろう。」 と、穴の開いたシャツを畳みながら、自分を励ますこともある。
現に、数ヶ月前に私の頭を悩ませていた「キーキー」声も、人が来ると異常に 食べ物に固執し、泣くはわめくはの大騒ぎも、今では全く問題ではなくなっている。 あの、悪夢のヘブライ語のレッスンも、今思えば遠い昔のことである。 時は着実に流れています、世の悩める皆さん!
午前中に、衣と研究所まで歩いて行く。 今日はベビーカー無しで、ずっと1人で歩いてもらう。 たかたかたかと、得意気に良く歩く。
好きなのは、道の端を歩いたり、一段高くなったへりの上を用心深く歩くこと。 「こっち、こっち。」と指を差しながら行きたいところに私を連れて行く。 ベンヤミン君といつも行く、物理の建物の前の庭に行く。 池の淵の小石で遊ぶ。 昨晩も雨が降ったので、小石も芝生も濡れている。 こういう、湿った空気が私は大好きである。
しばらくすると、小雨がぽつぽつと降ってくる。 慌てて、衣を急かしながら家路を急ぐ。 途中、フィンランド人のターニャさんとアールニ君と合流。 アールニ君は、クリスマスプレゼントでもらった新しいシャツを自慢気に 見せてくれた。
週末に買った料理の本を参考に、昨日、今日と新しい料理に挑戦してみる。 昨晩は、初めてクスクスという物を作ってみた。 昔、卒業旅行で奈良に行った時に、母と一緒に入ったアフリカ料理屋で一度食べたことがあるような気がするが、どんなものかさっぱりと覚えていない。
クスクスとは、穀物の一種の様で、それを更に細かく砕いた物のようだ。 調理方はいたって簡単。 熱湯の中にクスクスを入れ、鍋の蓋をして蒸らすだけである。 それだけで、調理できてしまう。 今日は鶏肉と野菜のスープと一緒に、にんにくとスープの素で濃い目に味付けをした クスクスをスプーンで食べた。 くせの無い、食べやすい食品だと思う。 次回は、カレー味のスープと一緒に食べる予定。
今日は、牛肉の細切りを使って、2回分の食事を調理する。 今晩の分は、玉葱・ピーマンをふんだんに使ってチンジャオロース、 明日の分は、牛肉と玉葱のオールスパイス煮。 私は、時々、2日分の食事を一度に調理してしまうことがある。 そうすると、翌日は実に得した気分になるのである。 実は、一度解凍した肉や魚を、小分けにして叉しまうのが面倒なだけなのである。
珍しく一日中どんよりと曇っている。 昨晩激しく降った雨で、ベランダに、杏の木の落ち葉が沢山落ちている。 衣は、ベランダに出した容器に雨が溜まっているのを発見し、 嬉しくて思わず鼻の下が伸びてしまう。 (ここをチェックするのが彼女の毎日の楽しみなのである。 将来は気象庁にでも勤める気なのだろうか?) 気圧の影響か、夫も私も一日中体も頭も重く、散歩にも出かけずに家でだらだらと 過ごす。
衣はといえば、1人で元気はつらつとしている。 朝も、張り切って起き、ベッドに座って、大きなゼスチャー付きで、 「あーだ、こーだ。」とお喋りに余念がない。 この人、かなりのお喋り娘になりそうだ。 まあ、夫と私の子供なので、寡黙な人に育つ筈もないのだが・・・。
最近加わった衣の語彙。
「あーみ(雨)」「おっきい」「くも(雲)」 「あーりぃ(蟻)(りぃで上がり調子)」 「あいたー(痛い)」「おっとぉー」 「かーけー(布団をかけること)」「あったー」「おにりぃりぃ(おにぎり)」 「えっ(絵)」「あむ(ハム)」「あろー(ハロー)(低めの声で)」 「ちょっとぉー(勿論、私が小言を言った直後に言う)」 「ここだぁー(ここに行きたい)(きっぱりとした調子で)」「ちず(地図)」「ちず(チーズ)」 「おーり(降りたい)」「あっぱ(葉っぱ)」 「かっ!(おかわり)(目をきらきらさせ、威勢良く言うのがポイント)」 「キッキー、キッキリラー(クッキー)」「ビィンヤミーミー(ベンヤミン君)」 「ラーラ(テレタビーズというテレビのキャラクターの1つ)」 「アンマンマン(アンパンマン)(頭を3回振りながら言う)」 などなど。
最近できるようになったこと。
○1人で手を洗う。
○顔を洗う真似。
○手や顔を1人で拭く(真似)。
○お握りを手で食べる。
○お茶碗から汁物を1人で飲む。
○室内履きを1人で脱ぐ。
○靴を1人で脱ぐ。
○靴を履く真似。
○服を着る真似。
○食後の食器を重ねる。
○ごみをごみ箱に捨てる。
○鼻水を拭く。
最近得意なこと。
○食事前に、家族を呼びに行くこと。
とてつもなく大きな声で「どぉーぞっー!」と急かす。
○雨の絵を描くこと。(色鉛筆やクレヨンで点を描く)
○台所の引き出しからジャガイモ・みかん・玉葱を出してはしまうこと。
(私が夕食の準備をしている間、横で衣も忙しそうにせっせと作業をする)
○洗濯物が乾いているか、手で触って確かめること。
今週は、車を借りて泊りがけで出かけようかとも 思ったが、生憎ホテルが満室だったこともあり、断念。 ということで、隣の階段の日本人宅で行われたパーティーに参加することになる。 3階の日本人家族が来週帰国するので、 お世話になった中国人家族を招待したのである。
お寿司を作るということで、2時半から手伝いに行く。 自分でお寿司を作ったことが無いので、興味津々のお手伝いである。 具は、こちらで多く出まわっている酢漬けの魚類を数種、イクラ、卵焼き、 きゅうり、そぼろ、鮭そぼろ、ツナ、コーン、スモークサーモン、 カニかまぼこ、お稲荷さん、 ハム、ハンバーグなどなどバラエティーに富んでいる。
日本人主婦3人で、てんてこ舞いになりながら準備をし、 6時過ぎに、パーティーが始まる。 お寿司は大人気で、あっという間に無くなってしまった。 私も、帰国前のパーティーには、是非作ってみたいと思う。
大人8人、子供7人という、 オールアジア人の賑やかなパーティーだった。 衣は、片手にお寿司、もう片方の手にドラムスティックを握り、 ご満悦顔で、椅子にちょこんと座っている。 マグカップ入りの茶碗蒸を、ごくごく飲み、お腹はパンパン。
食後は、子供達が大騒ぎをしながら、玩具や車の乗り物で遊ぶ。 今時の玩具は、なかなか進歩していて、学ぶことが多い。 電話かと思って遊んでいたら、「違うのー。」と言うので、 よーく見てみると、なんとスーパーのレジのバーコードを読む機械の玩具なのである! ウーン! 思わず、唸ってしまう。
あー、楽しかった。
午前中にリュックを背負い、ヘルツェル通りに買い物に 出かける。 宿舎を出た所で、フィンランド人のアンネに会う。 これから家族の為に、クリスマスショッピングをするということで、 途中まで一緒に歩く。
彼女は、イスラエルとフィンランドの手話の研究をしている。 ということで、そんなことや、今日は日本では天皇誕生日で、 祝日だという事などを話ながらヘルツェル通りに出る。 彼女はショッピングが大好きらしく、 道々、洋品店があると、いちいち立ち止まっては、「これ、良いわねー。 この色、私、好きなのよ。」と言う調子である。 私はといえば、衣が一緒の時は(そうでない時は無いに等しいが・・・)、 ぐんぐんとベビーカーを押して、目的地まで一気に行ってしまうので、 このように、寄り道をしながらの買い物は久しぶりで楽しい。
途中でアンネと別れ、私は先日発見したお土産屋さんを目指す。 お店のおばさんと、あれこれと相談しながら、幾つかカードで買い物をする。 帰りは、研究所の中を通って帰る。 途中、研究所のビジターズセンターに寄り、ここでも衣のティーシャツを含む 数品の買い物をする。 隣のカフェで、スモークサーモンとトマト、チーズのサンドイッチを買い、 帰宅。
衣との昼食は、カフェで買ったサンドイッチ。 沢山歩いてお腹が空いたので、2人でお茶をがぶ飲みし、 サンドイッチを奪い合いながらきれいに平らげる。
午後は、同じ宿舎の住民の中で、 「メリークリスマス」と言っても差し支え無さそうな 家に、ケーキとクッキーのプレゼントを配って歩く。 入れ違いに、フィンランド人のターニャとピフラちゃんが、 衣と私にプレゼントとカードを届けてくれる。 英国での寮生活や、知人宅での居候生活を思い出す。 ちょっと、クリスマス気分になりつつある。
夕方は、夫と合流し、市場シュークで新鮮な白菜、トマト、きゅうり、 アボガドを買い、クニオン(ショッピングモール)のスーパーで、 2000年の新年に備えて、しこたま食料品を買い込む。
地下で、シュワルマという羊や牛の肉の削ぎ切り、サラダ、チップス、 フムスをピタパンにはさんで食べる物を売る店で、新しい物にチャレンジした。 名前が、思い出せないのだが、要するに中身も外見も同じ物なのだが、 小さ目のピタにはさむのではなく、巨大な薄手のピタに、 普段の3倍くらいの中身を乗せ、 太巻きのようにアルミホイルでくるくると巻いた物である。 これは迫力がある。 食欲旺盛の3人で食べ、満腹になる分量である。 おまけに、今日はいつもやり方が分からずに、食べれずにいた、 ピクルス等のサラダ類も、たっぷりとお皿に盛り、満足満足。
以上、ベールシェバの日本人留学生に教えてもらった。 やはり、現地の生活に通じた人からの情報ほど「美味しい」情報はない。
満腹のお腹をさすりながら、本屋に行く。 2人で合わせて10冊の本を買い込む。 日本に比べ、専門書意外の書籍の値段が安く、 毎回、本屋に行くと感動してしまう。
天気が良いので、久しぶりに公園に出かける。 ウクライナからのアンナちゃんがお母さんと一緒に遊んでいる。 最近、夕方の研究所への散歩の途中に、アンナちゃんがおばあさんと一緒に いるのは良く見かけるのだが、母子での姿は久しぶりである。 そういえば、「コチョコチョコチョ」は、ロシア語でも「コチョコチョコチョ」 だそうである。 面白いと思いませんか?
インド人の親子に会ったので、沢山ある子供服を少し持って行かないかと聞くと、 明日、見に来てくれるということになる。 彼女と、その1歳になったばかりの男の子は、未だに名前が覚えられないので、 明日、家に来てくれた時に、紙に名前を書いてもらおう。
午後、お隣りのインド人の、 10ヶ月の女の子アビゲイルちゃんに、ボールを譲る。 彼女の所は、奥さんのシャロンさんのお父さんが、 1月までお手伝いに滞在してくれるということで、 毎日、賑やかな笑い声が壁越しに聞こえてくる。 穏やかそうで、いつもにこにことした感じの良い一家である。
ギッダ一家がデンマークに一時帰国。 昨晩、夕方の散歩の前に、衣と一緒に挨拶に行った。 クリスマスを双方の実家で過ごすということで、 ギッダも夫のヘンリックもニコニコ顔だった。 イスラエルに戻ってくるのは、1月の10日か11日。
以上は昨日の話。 今日の夕方には、アンゲリカがベンヤミンくんと一緒に、 挨拶に来てくれる。 というのも、この一家は明日の早朝にやはりクリスマス休暇で、 ドイツに一時帰国するのである。 アンゲリカは、手製のドイツのクリスマス菓子を持ってきてくれる。 研究所の庭から失敬してきた、ポインセチアの枝を添えて、素敵なプレゼントだ。 こちらのポインセチアは、ゴムの木同様に、「木」なのである。 日本の鉢植えのポインセチアとは、別物に見える。 真っ青な空に向かって、赤く色付き、それはそれは美しい。
毎日、1人減り、叉1人減り・・・と、少し寂しい宿舎である。
隣りの階段の日本人奥さんを、 郵便局に案内しようと電話をかけるが、留守中。 きっと、2人の子供達が幼稚園に慣れてきて、午前中の外出が可能になり、 買い出しにでかけているのだろう。
衣と久しぶりに郵便局に出かける。 クリスマスカードを数枚書く予定なので、 その為の切手を購入。 切手を買う度に、この国の郵便料金の安さに心を打たれるが、 今日も、ヨーロッパ宛ての封書が1.90シェケル、 日本宛てが2.30シェケルと、人生得した気分になる。 ちなみに、これらの封書は一般的なカードの大きさ・重さ。
このまま家路に向かっても良いのだが、 折角出てきたので、本屋にでも寄ろうと思い、ヘルツェル通りに出ると、 先程電話をして留守中だった日本人奥さんと、東洋人女性が立ち話をしている。 彼女達は、郵便局でたまたま出会ったそうで、 双方のご主人が、隣り同士の研究室なのだそうだ。
東洋人女性は中国人で、以前日本に暮らしたこともあるそうで、 日本語も操る。 ということで、東洋人女性3人による、 日本語、英語を交えての井戸端会議が始まる。 2人で市場で買い物をした帰りということで、 急遽行く先を変更し、 白菜、蜜柑、酢、ジュースなどなど、 両腕がもぎ取れそうな日本人奥さんを手伝い、 一緒に帰宅することにする。
今晩のおかずは、白菜スープだそうだ。 う〜ん、美味しそう! 私も今週、頑張って市場に買出しに行こう。
かなり影響されやすい性格の私である。
今日は、一日中湿度が高く、もやが出ていた。 夕方になると、霧のように濃くなり、 研究所内を歩くと、まるで冬の英国のようだ。 勿論、気温は全く比較にならないが・・・。
我が家の夕食は、鶏そぼろ、炒り卵、グリンピースのご飯、 ほうれん草スープ。 衣の好きなものばかりで(最も、嫌いな物もないのだが・・・)、 最後の一粒、一滴までねちっこく食べていた。
マタマタ予告なしの「水の休暇」。
立て続けに電話が鳴る。 先月末に越してきた、隣りの階段の日本人の奥さんは、 ついに初めての断水を経験するはめになる。 トイレの水洗タンクの中に、ペットボトルを入れる秘伝の裏技を伝授する。 隣の宿舎のアメリカ人の奥さんが、「ここの暮らしはキャンピングと思えば良い。」 と言ったそうだが、これは名言である。 物は考え様で、そう思えば、 次々に降りかかる不自由に対しても不満は生じない。 (いや、「最小限の不満で済む」くらいかな)
ちなみに、本日の断水は、朝の9時から夕方の5時まででした。
今日も、昨日に引き続き、エルサレムの同じ場所に出かける。 シャバットで、店は閉まっているとは思いつつ、 観光客相手に数件くらいは営業していると思っていた。 が、甘かった。 新市街の中心の、ベン・ユーダ通り沿いを歩いたが、 きれいに全ての店が閉まっていた。
しかし、閉まった窓や鉄格子のシャッターの向こうには、 明らかに観光客を意識した品々が並んでいる。 帰国前に、是非一度訪ねてみたいと思う。
こういう風景の中をのんびりと歩くと、 外国に居るという実感が湧く。 我々の他には、子供を沢山引き連れたユダヤ人家族がそぞろ歩いている。 ユダヤ教の品を扱った店の窓に、顔を押し付けて、 何やらしきりに物色している。 何気なく近づき、聞き耳をたててみると、 流暢な巻き舌英語で「ウワァォー、ネエ アノ キッパ ミテー! ラブリィー ジャナーイー!」てな感じの会話をしていた。
途中、写真を勉強中とやらの可愛い女性に、 「スリハー、街の人々の写真を撮っているんです。 ちょっと撮らせて戴いて良いですか?」 と声をかけられる。 「どーぞ。」 少し良い気分で、衣と2人でファインダーにおさまる。 夫に、「モデルになっちゃた!」 とウキウキ気分で報告すると、 「ああ、あの人でしょう? さっきから皆に声をかけているよ。」 と、一発で流されてしまう。 あ〜ぁ。 我が夫は、時にクール過ぎる。
車を借りる。 午後から日本人家族3家族と、ベールシェバの日本人学生の オール日本人グループで、 「エルサレムに韓国料理を食べに行こう」ツアーを企画。 総勢、大人7人子供6人の大所帯となる。
2台の車を連ねて、いざ出発! まず、日没直後のオリーブの丘に登り(車で)、 エルサレムの夜景を楽しむ。 初めてのオリーブの丘だったので、感慨深い。 目の前に広がるエルサレムの旧市街、そしてその中心を飾る岩のドーム。 黄金色のその屋根は、なんでも2年前に張り替えをしたばかりだそうで、 ライトアップされ、群青の夜空に明るく輝いている。
このような景色を目前にすると、 「観光!!!」という気分になる。 気分が盛り上がったところで、次々に記念写真を撮る撮る撮る。
興奮もさめ、体も少々冷えてきた頃、 「お腹空いたー。」という子供達の声に促され、 独立公園の近くの韓国料理屋へと向かう。 今まで、全く知らなかったのだが、 この辺りは、 ヤッフォの迷路のような所に面白そうな店が幾つもある。
私も夫も、殆ど初体験に近い韓国料理だったので、 出てくるものが全て珍しく、楽しい会食だった。 今日の目的は、月末に帰国される3階の日本人家族の送別会、 そして、先月末に新しく越してきた隣の階段の日本人家族の歓迎会 である。 帰り際に「なんだか日本にいるみたいでしたね。」と 1人の奥さんに言われ、「全く、同感!」であった。 たまには、そういう時を持つことも楽しいものだ。
晩は、ベルシェバの学生が、我が家に泊まってくれ、 いつものように色々と楽しい話を聞かせてくれる。 やはり、ヘブライ語ができ、こちらの人達の「中」で生活している彼の話は、 いつも興味深く、教えられることが多い。
午前中に、公園にでも出かけてみようかなと思っていると、 ギッダより電話。 「何してるー? 遊びに行っても良〜い?」 「もちろーん、来て〜!」 ということで、数分後にクララちゃんと、マヤちゃんの入ったベビーカーを 押したギッダが現れる。
彼等も、クリスマス帰国組。 来週の火曜日には、帰ってしまい、1月の中旬まで戻ってこない。 もうギッダは、すっかり気分はデンマークに吹っ飛んでいる。 帰ったら、誰々の何々のパーティーに行くだの、 デンマークではクリスマスには、特別に何々を食べる、だの、 いつもに増して楽しそうだ。
クララちゃんと衣は、仲が良いのか、ライバルなのか、未だに未定。
我々は、殆ど毎日「日本の味」を食べているので、 日本食が恋しくなることは無いのだが、 何故か、時々餃子が食べたくなる。 それだけ、餃子は日本人の庶民の味となっているのだろうか。 しかし、こちらでは餃子の皮は手に入らない。 手に入らないと分かると、益々食べたくなる。
ということで、 3階の日本人の奥さんに習って、餃子を皮から作ることに挑戦。 いつもケーキを焼いている小麦粉に、水とごま油を加え、 練りに練る。 30分間冷蔵庫で寝かし、棒状にし小口切りにして、 丸く伸ばす。
白菜と鶏ひき肉、アサツキの具を入れ、熱湯で茹で、 酢醤油で戴く。 う〜ん、美味しい! 意外と簡単に、満足度の高いものができあがり、 楽しい食卓となる。
それにしても、ケーキと同じ小麦粉で良かったということは、 いつも、強力粉でケーキを私は焼いているということになるのだろうか? お腹は満たされたが、素朴な疑問が残ってしまった・・・。
休息の日。 午後に、アンゲリカが、昨日貸したケーキのレシピを持って現れる。 一緒に研究所まで散歩に出かける。 彼女達は、来週の水曜日から月末までドイツに帰る。 ヨーロッパからの研究者の家族は、クリスマスに故郷に帰る人が多い。 この宿舎では、アジア系・オセアニアの住民が居残り組となりそうだ。
何しろ、ヨーロッパの各国へは、4時間くらいで飛ぶことができるので、 物理的にも経済的にも、さほど負担にならないらしく、 彼等は結構気軽に、行ったり来たりしている。
アンゲリカとは、お決まりの物理の建物の前庭ではなく、 今日は、裏の方のバウハウス運動のエリック・メンデルスゾーンが設計した 建築物群の所で遊ぶことにした。 クリーム色の壁に、レンガ色の屋根、丸い小さな窓・・・などなど、 「かわいらしい」特徴をもった建物が建ち並ぶ。
研究所内にある、初代大統領であり、ワイツマン研究所の創立者でもある、 ハイム・ワイツマンの住居も、同じ建築家の作品である。 つい最近まで改築工事中で、見学ができなかったが、11月の創立50周年に 間に合わせるかのように、急ピッチに作業が進んでいたので、 帰国する前に是非、見学をしたいと思う。
いよいよ、我が家での「奥様集会」当日となる。 昨晩の雨がまだあがらず、小雨が降っている。 ベランダの掃除はしなくてもよくなったので、ラッキー。
10時から12時までなので、いつもより少し早めに起き、 おにぎりを握る。 テーブルセッティングを済ませ、準備完了。
結局、12人くらいが参加してくれる。 隔週のこの集会のボスである、外国人研究者部の職員のエドナは、 生憎、お父さんの容態が悪くなり、昨晩、 急遽アメリカに旅だってしまったので、 本日はボス無しの会だった。
新しい日本人の奥さんも、子供の幼稚園のお迎えの合間を縫って、 参加してくれた。 皆の協力があって、どうにか無事に終了することができ、ほっとする。
丁度、数日前に新聞で読んだ「パーティーを開く時のポイント」という記事が 役立った。 私は、昔からパーティーを開くことは好きなくせに、 直前になって、「皆が楽しんでくれるだろうか。○○さんと○○さんは、上手く 交われるだろうか。料理は充分か、多すぎはしないか。 押し付けがましい雰囲気はないだろうか・・・。」などなど、もう色々なことが 気になり出し、「ねーねー・・・。」と家族に相談し、挙句の果てに、 「そんなに心配するなら、もともと企画しなければ良いじゃない。」と ごもっともな返事をされ、溜息をつきつつ、 翌日の本番まで緊張するのが常なのである。
が、今回は、前述の記事のおかげで、 「ケセラセラー」の気分で当日を迎えることができた。 つまり、
「お客は、自分が主催しなくて良いパーティーは、それだけで楽しいものだ。」
「掃除は、主なところだけささっとする。ただし、洗面所とトイレは念入りに。」
「汚れ物は、洗濯機の中に突っ込む。たたんでいない洗濯物は、乾燥機の中に。
その他のごちゃごちゃは、『開かずの部屋』に投げ込む。」
「料理は、見栄えのする物を1つ作る。」
「既製品を上手に利用する。」
「香りの良いものを作り、来客が到着した時に部屋に良い香りを満たす。」
「誉められたら卑下せずに、快くお礼を言う。」
これを読めば、私同様、来客を目前に控えた世の悩める主婦は、
俄然勇気と希望に満たされるであろう。
どうですか?
明日の「奥様集会」の為に、最終準備をする。
週末前にきゅうりのピクルスを仕込み、昨日、ヘーゼルナッツケーキを焼く。 今朝、人参ケーキを焼き、午後にキッシュを作る。 料理は、明日の朝に、ミニおにぎりを作り完成。
掃除に取りかかる。 この家に引っ越してきて、初めて窓拭きをする。 居間の窓は巨大な為、見栄えがする。 まず、ぬれ雑巾でさっと汚れをふき取り、 新聞紙できゅっきゅと拭く。 すぐに、ぴかぴかの窓のできあがり。 なんと簡単なことか! 洗剤いらずの、簡単窓拭き、この方法をご存知の無い方、 一度だまされたと思ってお試し下さい。
あとは、天井の隅に浮かぶ蜘蛛の巣を払い、電灯のシェードを拭き、 窓のさんや、棚、椅子の手すりなどを拭き掃除。 床は、夜寝る前に拭き掃除。 洗面所を整え、完了。
夫の夜の仕事が終わるのを待ち、居間の食卓(普段は夫の仕事机) に、テーブルクロスを敷く。(使い捨ての紙製のテーブルクロス使用) 明日の朝の準備の手順を頭の中でイメージし、 早めに床につく。
敗者復活戦。
昨日、シャバットの為に早くに閉園してしまった国立公園を再度訪ねる。 昨日は、一台の車も見かけなったのだが、今日は観光モードの人達が乗った車が、 何台も入り口にあり、気分が盛り上がる。 どうも臆病な私は、この国に来てから、車の数で身の安全を測るようになってしまった。でも、この原始的な方法は、今までの経験上、 結構信頼できる結果をもたらしている。
丁寧に、入り口で園内の案内をされ、大人1人18シェケル支払い入場。 ここは石灰岩の土壌で、自然もしくは、人間の手によって作られた洞窟を幾つも 見ることができる。 洞窟の中には、壁画が残されているものもあり、なかなか興味深い。
中でも、「ベル・ケーブ」と称された大きな洞窟は、ヘルメットを被って、 中を見学できるようになっている。 日本でも、鍾乳洞などを見たことが無いので、比較することはできないのだが、 かなり大きな洞窟で、確かに、鐘の形をしており、鐘のてっぺんに穴が開き、 ぽっかりと空を望むことができる。 ただ、気になることに、見学中、所々でさらさらと砂が落ちてきて、 どうも落ち着いて見学をすることができない。
ここで、この洞窟が崩れたらひとたまりもないだろうなー。 等と、不吉なことを考えてしまう・・・。 これも、この国に来て身に付いた悪い癖。
見学を終え、車に戻る頃には、3人共、服が真っ白になっている。 我々にしては、「変わった事」をした週末となった。
レンタカーを借りる。 ウーリックに勧められた、ベイト・グビリンの国立公園を目指す。
基本的には、ベールシェバに向かってどんどん南下する。 ベールシェバの手前で、キリヤット・ガット方面に左折(つまり、東に方向転換する)。この道は、ガザ地区とヘブロンを結ぶ、バリバリの「セーフ・パッセージ」である。 多分この、「セーフ・パッセージ」という言葉は、日本人の耳にも入っていると 思うが、パレスチナ占領地区のガザとヨルダン河西岸のヘブロンを結ぶ道のことを指す。つい最近までは、アラブ側の車は、バスとタクシーしか、この道を通れなかったのだが、先日の和平条約の後、一般のアラブの車両も専用のIDカードを提示すれば、 自由に通ることができるようになった。 が、条件があるのだ。 彼等が、イスラエル側に「いても良い時間」の制限があるのだ。 タクシーは○○時間、一般車両は○○時間内にパレスチナ側に戻らなければならない。 うーん、なんだか、しっくりこないなー、この制度。
まあ、彼等のことはともかくとして、我々は国立公園を目指す。 目的地は、簡単に探し出すことができた。 が、到着したその瞬間に、閉園してしまった。 今日は、金曜日でした・・・、シャバットなので、公園も午後3時には閉園。 明日の土曜日は、4時まで開いているそうで、親切にもパンフレットだけは 入り口で渡してくれた。
気を取り直し、いったん家に寄り、テルアビブに向かう。 どこにいても、完璧に行動がワンパターン化する我々なので、 行く所は決まっている。 今日も目的地は、海岸沿にそびえるオペラタワーのタワーレコード。 夫は、まだまだ懲りずにアラブ音楽のCDを2枚購入。 海岸沿いは、夕方になると、風が強く、親子で着膨れしながらの散歩だった。
夕方買い物に出かける。 スーパーで、来週の「奥様集会」の為の買い物をしこたまする。 来週の「奥様集会」は、我が家がホストの当番なのである。
その後、ベビー用品屋で、衣の室内履きを買う。 石のタイルの床は、夏は涼しいが、冬は冷える。
最近、極端に乾燥しているため、カサカサを通り越して、 パリパリ状態の我が顔の為に、モイスチャークリームを探す。 が、どれも高価で諦める。
衣は、タクシーが大好きで、タクシーに乗ると、ウキウキ気分。 そして、我々にちゃんとつかまる様に促す。 将来は、婦人警官かしら・・・。 この大きな声と、厳しさをいかして、意外と「天職」かもしれぬ。
隣の階段の日本人奥さんから電話がある。 なんでも、水道管の工事の為、日曜日までお風呂に入れないそうだ。 ということで、夕方子供2人を連れて、「好村湯」にやって来る。
彼等は、到着早々、荷物が届かなかったり、水道管工事が入ったり、 お風呂が使えなかったり、と色々な事が立て続けにあり、 「きっと大変な所に来てしまった」と思っているに違いない。 でも、奥さんも、ご主人も前向きの方達のように見受けられるので、 余り心配はしていない。(私が) これからも、色々な問題が次々に起こるだろうが、きっとたくましく、 乗り越えていかれるご夫婦であろう。
彼等は、お風呂にお湯をはって、お風呂に浸かるそうで、 それを聞いて、我が家も今晩はお湯を溜めようと思った。 が、結局、短気な我が家の住民は、誰一人としてお湯が溜まるまで待ちきれなった。
友人と祖母に、ハヌカのカードを送る。
夕方から、研究所のビジティング・サイエンティストの為の「ハヌカ・パーティー」 が催された。 新しく引っ越してきた日本人家族と共に、覗きに行くことにする。 普段は食堂として使われている、サン・マルチンの大部屋が、 パーティー会場となっている。
立食のごちゃごちゃとしたパーティーかと思っていたが、 部屋に入ってびっくり、きちんとテーブルがセッティングされ、 着席式のパーティーだ。 新しい日本人家族に、 同じ位の年齢の子供連れの家族を紹介しようと、ささっと会場を見渡す。 我々は、まだ最初の方の到着組のようで、ニュージーランドからのデビ一家を発見。 早速、彼女のテーブルに突進。
「一緒に良い?」とたずねると、 「来てー、来てー!」と歓迎される。 少しして、デンマークからのギッダ一家登場。 彼等も一緒に座る。 この辺りで、我々のテーブルの椅子が無くなる。 そうこうしているうちに、フィンランド人のベビーシッターのターニャ、 ドイツ人のアンゲリカ一家などが次々に加わる。 あっという間に、テーブルはぎゅうぎゅう詰め状態。 3階の日本人家族と、ご主人達が揃う頃には、隣のテーブルにまで進出。
30分ほど待って、ようやくパーティーが始まる。 外国人研究者部長の、エドナが音頭を取り、 ハヌカの説明、4本目のろうそくの点火、ハヌカの音楽や歌が披露される。 アコーディオンをもったおじさんが、陽気に歌を歌い「続ける」。 これが長いこと、長いこと・・・。 子供達は次第に退屈し始め、いつもの様に元気に床で遊びまわる。 大人も、内心皆きっと「ながーい」と思っていたに違いない。
私は、あちこちで「ねーえ、長過ぎない?」「ねーえ、お腹空かない?」 と不謹慎な言葉を、耳打ちして回る。
おじさんも、いよいよネタが切れてきたようで、 各国の参加者を呼び出し、お国の歌合戦が始まる。 最後に、「ジャパーン!」と言われ、 「好村さーん!」と、薄情な日本人仲間にお尻をたたれるが、 生憎、適当な歌が思い浮かばず、一瞬戸惑っているうちに、順番が過ぎてしまった。 あー、悔やまれる。 日本人は「シャイ」だと思われたのではないだろうか・・・。 こーゆー時に、「は〜い!」と即座に立って行けるように、 日頃からレパートリーを考えておかねばならない。 全くの抜き打ちで、参った、参った。
こういう事を、結構気にするタイプなので、 その晩は、早速次回に備え、思いつくままに日本の歌を歌ってみるが、 なんと、どの歌も最後まで歌えないではないか!!!!!! それも、全く恥ずかしい話ではあるが、「さくら」さえ、 「さーくーらー、さーくーらー」の後が、もう既にうろ覚えなのである。 横にいる夫に聞くと、「しーらなーい。」 聞く人間を間違えた。
子供用の童謡は、日常的に歌っているので、多少はレパートリーがあるが、 「いわゆる」文部省唱歌の類が駄目なのである。 衣が生まれた頃に出版された、文部省唱歌の良い本があるので、 帰国したら、即購入して特訓せねばならぬ。
だいぶ待って、お目当ての、ハヌカ祭には欠かせない、 揚げ菓子(ジャム入りドーナツ)、と揚げじゃがいも(かきあげのような物)、 が登場。 待ちくたびれた参加者は、むしゃむしゃと食べる食べる食べる。 お祭りに関連した食べ物に興味津々の私も、しっかりと、 ドーナツもジャガイモも食べた。 ジャガイモの方は、ジャガイモと人参を細切りにし、玉葱とてんぷらの種のような もので合え、揚げたもの。 形はさつま揚げ。 美味しかった。
先月、人から戴いたシクラメンの鉢植えが、見事に「他界」されたようだ。 私は、昔から植物を育てるのが苦手なのだが、 今夏、大成功を収めたシソの収穫で、すっかりと気が大きくなっていたようで、 油断してしまった。
2株あったのだが、数日の差をもって、双方とも・・・・。 やはり私には、植物の世話は向いていないようだ。 鉢植え一つ満足に育てられない人間が、人間の子供を育てている恐ろしさ・・・。
今日も洗濯は手洗い。 このパターンにも慣れてきた。 思えば、4月にテルアビブで生活していた頃は、 毎日手洗いをしていたものだ・・・。
最近、気が付いたことがある。 あちらこちらにどっしりと生えているアロエ、その真中から、 知らないうちにニョキッと蕾が出てきている。 アロエに花が咲くとは、想像もしていなかったので、 驚きである。 何色のどんな花が咲くのか楽しみである。
先日冷凍をしておいた、腐りかけのバナナで、バナナケーキを焼く。 バナナケーキの事に詳しくない方の為に、一応説明しておくが、 バナナケーキは、「腐りかけ」の茶色くなったバナナを使用すると、 甘くて香りの良いケーキが焼けるのである。 誤解の無いように・・・。
間もなく、美味しそうな香りが台所を満たす。 明日にでも、誰かにおすそ分けしよう。 最近、寒くなったので、暖房の無い台所では、 オーブン料理が「暖房代わり」になっている。
家で静かに過ごす。
洗濯でもしようと、張り切って洗濯場に行くが、 2台ある洗濯機は、いつ行っても使用中。 隣の宿舎の洗濯場が火事になり、あちらが使えないので、 我々の宿舎の洗濯場が、週末になると大繁盛となるわけである。
洗濯機の使用は早々に諦め、手洗いをし、室内に干すことにする。 温風暖房機を私用すると、室内がかなり乾燥するので、 今週から洗濯物は室内に干すことにしている。 良く乾き、そして加湿効果も抜群で、一石二鳥である。
隣の階段の日本人家族は、初めての週末をどう過ごしているかなーと、 少し気になる。 我々の場合は、イスラエルに到着して初めての週末は、アンデルマン夫妻が車で ヤッフォを案内してくれた。 あの日見た、初めての地中海の美しさは、忘れがたいものがある。
普段、感情を余り表に出さない夫が、彼にしてはかなり感動していて、 アンデルマンに「今まで見た景色の中で最も美しい。」とか言っていたことも、 印象的である。 家族同伴での留学となったイスラエルの最初の週末が、 彼に大きな感動をもたらしたことが、 妻(私)にとっては、何よりも嬉しく思えたことを、ふと思い出す。
週末の買い物。 バスセンターまで、3人で歩いて行く。
今週は、食品の買い物の配達は頼まないことにし、 まず、先週末に買った私のシャツの交換をする。 3号では、少々大き過ぎたため、2号に交換する。 先週は沢山あった品物も、1週間のうちにかなり売れてしまい、 欲しい色がなかった。 仕方なく、こげ茶色にする。 初めての色なので、楽しい気分になる。
その次は、衣に新しいセーターを買おうと、 子供用品店を幾つか物色するが、どの店にも「セーター」が売っていない。 つまりは、この国の冬は、毛のセーターはいらないということなのだろうか。 ないのなら仕方がない、あるもので済ませましょうということになる。 トレーナーの類は、お店が開けるくらい沢山持っているので・・・。
衣が持っているウールの服は2枚。 1枚は、従妹の子供達のお古で、かなり着込んでいるグレーのカーディガン。 これは、かなりボロボロなのではあるが、去年から愛用している。 カーディガンは、小さい子供に着せやすく、グレーという色が、 何色にも合って都合が良い。
もう1枚は、実家の母が、私の弟が子供の頃に編んだ水色のカーディガン。 こちらは明るい水色で、何度も洗濯しているので、かなり網目が詰まっていて 半分フェルト化していて暖かい。 昨冬は、大分大き目だったが、今年は既につんつるてんである。 子供の成長は本当に目を見張るものがある。
実家の母の誕生日。 カードを郵便であらかじめ送ってはいる。 電話でもしてみようかとも思ったが、 手持ちの国際電話カードの度数が少ない為、諦める。
今日から師走。 といっても、ここイスラエルにいると、なかなか年末モードに頭も体も切り替わらない。第一、気候が「師走っぽく」ないのである。 とは言うものの、先週末から、大分寒くなってきたのを感じる。 ここ数日、ジャンパーコートは常時玄関のフックにかかっている。