イスラエルの地図 イスラエルの地図

不安なイスラエル日記(11月)


11月30日(火)

11月もあっという間に終りですね。

筒井康隆の「ロートレック荘事件」(新潮文庫)を読み終える。 そんなものを読んでいる暇があるのかと思う人もいるだろうが、 わざわざ日本から送ってもらったものだし、現実逃避をせざるを 得ないほど仕事が忙しいということにしておきましょう。

筒井康隆としては異色の推理小説ではあるのだが、予想のつかない 次元で物語が構成されている。 私は見事にだまされてしまった。 (読んでいる途中で、ずっとなんだか変だとは思っていたのだが。) この小説を読んでだまされなかった人がいたら教えて下さい。

現実逃避ついでに、散髪をすることにした。 妻もイスラエルに来て初めてヘアカットをしたいというので、Ulrichが 普段使っているという店に一緒に行ってみた。 いつも恐ろしい思いをしているロシアの散髪屋とはうって変わって、なかなか おしゃれな美容室である。 壁にはめ込んであるテレビからはMTVの番組が流されている。

男性は50シェケル(1250円)で、ロシアの散髪屋よりは高いが、 違う散髪屋もどんなものか試してみたかったので、まず私からやってもらう ことにした。 最初に洗髪してくれるするのはよいのだが、耳に水が入るわ、顔に水が かかるわ、首筋から水が入るなど今一つ。 「痒い所はありませんか」などと親切に聞いてくれる日本の散髪屋とは 全く違う。 (もっとも、頭のどこが痒いなどと口で説明できるわけもなく、こういう のは過剰サービスだと思うだが。) それから、ミニスカートの若いおねえちゃんに交代して、カットが始まる。 バリカンと鋏をうまく使い分けて、10分程度で終了。 剃刀でむだ毛を剃る時に、肌に何もつけないので後で少しひりひりする。

今度は妻の番で、ロン毛のおにいちゃんが担当。 長い間のばしていた髪は、なんの躊躇もなくばっさりと切り落される。 こちらも20分程度で終了。 二人とも随分さっぱりとした。 イスラエルの散髪屋はなかなか要領が良い。

レホボトにはヴァイツマン研究所以外に、ヘブライ大学の農学部が ある。 実は最近そこに入学したばかりの日本人学生がおり、今晩我が家に電話を かけてくれた。 近いうちに会うことにする。


11月29日(月)

午前中はベングリオン大学のM. Gottliebのセミナーがある。 私が4月にテルアビブ大学に滞在している時のセミナーで聞いた 話と同じであった。

W/OマイクロエマルションにABA型の両親媒性ブロックコポリマー を加えた系で、レオロジー測定を行っている。 コポリマーの存在で、ドロプレットがネットワークを形成し、ゲル 的な振る舞いをするらしいが、解釈においてはまだいろいろと矛盾 があるようだ。 散乱実験などで構造が分からない限り、レオロジーだけでは実際に 何が起こっているのかはっきりとしない。 しかし、私が現在考えている問題に近いので、二度聞いても非常に 興味深かった。

午後は私のrecitationの3回目。 3回目ともなるとさすがに初回ほどは緊張しないものの、朝から なんとなく重苦しい気分になる。 昼食もサンドイッチで簡単に済ませ、物理の建物に行く。

今日の内容は、相平衡、準理想気体の相分離、ビリアル係数の物理的 意味などについて。 マックスウェルの等面積則と共通接線法がどうして同等なのかを 説明する。 お互いに顔見知りになってきたため、少しリラックスして授業を進める ことができるようになった。

授業終了後、学生の一人が"Shige"と私を呼びながら近付いて来る。 「木曜日に、レポート問題の質問に行きたいのだけれど」と言う。 こういう形で学生からもアプローチしてくれるのはとても嬉しい。


11月28日(日)

Ulrichと昼食に行く。 彼は最近論文のレフリーがまわってきたらしく、そのことでえらく エネルギーを使っている。 初めての経験ということで、きっちりやろうとするのは大変良いこと なのだが、すでに送ってしまった自分のレポートの内容がまずかった のではないかと気になって、書き直すべきかどうかと相談を受ける。

なにがまずいのかと聞くと、その論文の内容は良いのでacceptしたのだが、 将来やるべきことも提案してしまったことが、レフリーレポートとして 矛盾しているのだはないかというのだ。 「論文をacceptすると書いているのだから、その他にどんなことを書いても 著者はあまり真剣に受け止めないよ。それに別に矛盾でもないよ」と言うと、 彼もその気になって、そのままにしておくことになった。

彼は典型的なドイツ人研究者の一人かも知れない。 完璧主義者なのだ。 話しは少しずれるが、そもそも研究は本来完璧であるべきものだろう。 しかし、人生は有限だし、研究者も生きていかなければならない。 この二つの矛盾する事柄をどのようにバランスさせるかで(或はバランス させないかで)、研究者の態度が決まると言ってもよいだろう。

こちらに来て色々な研究者と接すると、面白いことにそのあたりがいろいろ と見えてくる。 もちろん、論文を読んだだけで分かる場合もあるが、やはり実際に会って 話しをしてみると、さらにはっきりとする。 研究以外でも、そのような点で学ぶべきことは多い。


11月27日(土)

午前11時に家を出発し、テルアビブのAndelmanの自宅に向かう。 さすがに土曜日の午前中は車通りが少なく、あっという間に彼の 住むアパートに到着。 このあたりはきれいなアパートがたくさん立ち並び、テルアビブの中 でも特に洗練された住宅街である。 (アラブ人の住む南テルアビブとは対象的である。) ロンリー・プラネットにもイスラエルのエリートが住む地域と書かれ ている。

少し近所で時間を潰した後に、12時きっかりにベルを鳴らして彼の家 にお邪魔する。 ソファに座ってこれからどこに遊びに行くかしばらく相談する。 色々と候補地が挙がったが、今日もあまり天気が良くないので、 結局テルアビブ市内のオペラハウス近辺を散歩することにする。

奥さんのFaniと10歳の娘のMichaelを乗せたAndelmanの車と我々の レンタカーの2台に分かれて、テルアビブの中心部へ車を走らせる。 10分ほどで裁判所の裏の駐車場に到着。 このあたりには、Ichilov病院やテルアビブ美術館、オペラハウスなど 政治的、文化的に重要な施設がたくさん集まっている。

しばらく公園や美術館の周辺を散歩した後に、たまたまルーマニア レストランがあったので、遅い昼食をとることにした。 Andelmanの家族は彼が5歳に時にルーマニアから移住したので、彼に とってはルーマニアはイスラエルに次ぐ第二の祖国なのだ。 ルーマニアは長い間トルコの支配下にあったため、料理もバルカン 地方の影響を強く受けているとのこと。

「チョルバ」と呼ばれる、肉団子が浮かんでいる赤いスープがスパイシー とても美味しかった。 メインは「カバブ」という肉料理。 アラブレストランで食べるカバブよりも弾力性があり、ソーセージに 近い歯ごたえだ。 デザートとトルココーヒーが含まれて1人50シェケル(約1250円) は安いと思った。 満足、満足。

食後にラビン広場まで歩く。 最近壁の落書きなどが修復され、ラビン自身の歴史を綴ったパネルが展示 されている。 4月のイスラエルに到着した最初の晩に、この場所を訪れたことを思い出す。 今日は風が強くて、非常に寒く感じる。 イスラルに来てから最も寒い日かも知れない。 5時頃にAndelmanの家族と別れて、レホボトへの帰途についた。 遠くやあちこちに移動して疲れてしまうのではなく、こうやってゆっくりと 休日の時間を過ごすことができ、とても良い気分転換になった。


11月26日(金)

珍しく天気が悪い。 時折、雨が降っている。 明日、Andelmanと合う約束なので、レンタカーを借りておいたが、 とくに外出はしなかった。 家でrecitationの準備や論文を書くことにする。

このように天気が悪くなることで、ようやくイスラエルの夏も終り 冬になりかけていることが実感できる。 夏の間はあまりの晴天続きに、思わず雨や雲のことを忘れてしまい そうになるところであった。

一方で、イスラエルで生活する人にしてみれば、本当に恵みの雨なの だろう。 ただし、この冬に平均程度の雨量しかないと、これまでの水不足は 解消されないらしい。


11月25日(木)

研究室の学生Tsvi TlustyがMRSの国際会議で口頭発表をするという ことで、発表の練習を研究室内で行った。 ヴァイツマン研究所内の講義はすべて英語で行われていることは 以前にも書いた。 当然、大学院生は英語が使えるわけで、しゃべることも問題ない。 事実、今までに私よりも英語が下手な学生に出会ったことはまだない。

30分の予定時間を少し過ぎて発表が終ると、Ulrichが先輩風を吹かせて、 「もっと聴衆を見ながら話した方がよい」とか「内容が多すぎる」とか 「字が小さすぎる」などと批評をしている。 Safranは冗談まじりに、「アメリカでは決して、"I will try to ..." とは言ってはいけない。それは、自分の発表に自信がないことを意味する」 とアドバイスをしていた。

Jakob Kleinに私のセミナーはいつになったのかと聞いてみると、しばらく パソコンを覗きこみながら「明日」と言う。 げげげ!とまじで一瞬焦ってしまったので、結構恥ずかしい思いをしたので ございます。 そういう冗談で接してくれるJakob Kleinは、とても愛嬌のある人だ。 (実際は1月10日とのこと。)

木曜日の晩は買物に出かけて、そのまま食事をしてくることが多い。 最近、気に入って食べているのは、ピタにフムスやシュワルマ、 サラダ、ポテトチップスを挟んだもの。 味は全く異なるが、日本のお好み焼きに対応する地位を占めている 食べものではないかと思う。 それほどポピュラーということであり、簡単な作りのわりには結構 おいしいのである。

最近、イスラエルにいる自分がごく自然に感じられる時がある。 それだけ馴染んでしまったということなのであろう。 忘れかけている日本での生活感が懐かしい。


11月24日(水)

Safranの講義。 界面プロファイル、表面張力、界面活性剤、界面の熱ゆらぎ。 うーん、この流れには思わずよだれが出てしまいそう。 来週の月曜日には再び私のrecitationがまわってくる。

先週からの思いっきりローな状態から、今日になってようやく 心の安定を取り戻し始める。 そんなわけで久しぶりに新聞を読んでみる気になった。

最近問題になっているのは、ナザレの受胎告知教会の前に、 イスラム教のモスクを建てようとする動きがあり、双方の対立が 激しくなっていること。 キリスト教側は、教会前の広場で2000年の記念式典を催す予定 であったらしく、この件に反発してイスラエル国内のすべての教会を 閉鎖している。

まあ、ユダヤ教の人がメインのイスラエルににとっては当事者としての 問題ではないのだが、政府は双方に仲裁案などを提示しているらしい。 複雑な宗教事情を反映したニュースである。

ここのところ、気温の変動が激しい。 今日は昨日よりも5度以上気温が低い。 体調を崩さないように、こまめに服を調節するようにしている。 それでも、まだ半ズボンにTシャツ姿の人もたくさん見かける。


11月23日(火)

本日の目玉は、先月にノーベル物理学賞の受賞が発表されたばかりの 't Hooft(ユトレヒト大学)の講演会。 もちろん私の専門分野とは異なるのだが、帰国したらこういう機会も なかなかないだろうと考えながら、物理の建物に足を運んだ。

こういうのはやはり一種のショーのようなもので、最新のノーベル賞受 賞者の顔を一目見ようという人達で会場はごったがえしていた。 講演会の前にはお茶やお菓子やケーキ準備されるので、おやつとして 少しいただく。 この中の一体誰が't Hooftかなと思いながらあたりをきょろきょろと 見回すが、もちろんよくわからない。 そんなわけでいよいよ講演会が始まったが、壇上に登った人は以外にも 小柄でそれほど貫禄があるようには見えなかった。 歳は50代前半と想像した。 それでも着ている背広やシャツ、ネクタイなどはカラフルで、なかなか おしゃれである。 オランダ人らしい色彩センスだなと思った。

話し始めると非常に早口で、どんどん熱くなっていくタイプのようだ。 講演内容はブラックホールなど宇宙論に関するもので、おそらくかなり 一般向けに準備されていたのだろうが、宇宙論特有のぶっ飛んだ発想 でなんだかよくわからなかった。 ただし主旨としては、量子力学にもまだ原理的な問題が残されており、 もう一度その基礎を考え直す必要があるということであった(のだろう)。

私の興味は、自分の専門である界面や膜面の問題と宇宙論がどのように 関連しているかということ。 これは全くわからず。 それから、途中でHawkingの名前が何度も出てきたが、一般的には't Hooft よりもHawkingの方が有名だと思う。 Hawkingがノーベル賞をもらうことはある得るのか、誰か知っていたら 教えて下さい。

実は、一番驚いたのは内容よりもむしろプレンゼンテーションの 仕方であった。 パソコンをプロジェクターに接続し、パソコン中のソフトを動かし ながら話をしていた。 中には気の利いたアニメなども用意されており、それだけでも結構楽しい気分 になったものだ。 世の中ではこういうプレンゼンテーションも当り前になりつつあるのかも 知れないが、物理学者がここまで凝るのはあまり見たことがない。 むしろ、de GennesみたいにぐちゃぐちゃのOHPを使っている人の方が多い。 恐らくノーベル賞を受賞し、あちらこちらで講演をする機会があるため、 かなり気合いを入れて準備したのであろう。

今年のノーベル賞受賞式はまだだと思う。 ノーベル賞講演でもパソコンを使って話をするのかしら。

夜は、同じアパート内にフィンランド人家族の子供の誕生日パーティーに 参加する。 そこで偶然面白い人と出会ったのだが、詳しくは妻の日記をご覧下さい。


11月22日(月)

Barkaiとい女性のセミナーがある。 この人は元々ヘブライ大学において理論物理で博士号を取り、 その後ポスドクとしてプリンストンのS. Leiblerの所へ行き、 研究対象を完全に生物に変更した人と紹介されていた。 最近、イスラエルに帰国してヴァイツマンにポジションを得たばかり らしい。

セミナーのタイトルは"Robustness in sigle-cell computation" ということで、chemotaxis(日本語で何というのか知らない)に関する 実験と理論の話であった。 以前の日記にも書いたが、最近は理論物理学者が生物を扱うのが ファッションである。

例によって生物用語がわからないという問題以上に、内容的に非常 にいらいらとせずにはいられなかった。 どう聞いても実際の現象とモデルとの間に相当な開きがあるような 気がするし、やはり生物はそんなものではないという印象を拭えない。 もっともこのいらいらは、生物に関する話を聞かされた時によく 感じるものであるのだが。

物理は数学という言葉を使って記述される。 しかし、生物を数学で記述するというのは本質的に馴染まないような 気がする。 しかし、数学に代わるような記述言語が生物には存在しない。 もっと言えば、生物ではそもそも問題が定義されていない。 それが生物の恐ろしいところでもあり、私にとってのフラストレーション の原因でもある。

私は他人の新しい研究の方向性を否定するつもりは全くないし、 すべての可能性があるべきだと思う。 しかし、自分はこの方向に進もうとは思わない。


11月21日(日)

午前中に、Jacob Klein、Safran、Ulrichと私の4人で議論する。 議論といっても結局Ulrichが一緒にやっていることをKleinに 聞いてもらって、何か新しい物理的アイディアを注入してもらおう というもの。 例によって、外人が3人になると私が口を挟むのが非常に難しく なり、再び聞き役に徹することになる。

おまけに、先週からの精神的緊張のせいで今日はさすがに疲れが 出てしまい、集中力も満足にない状態。 Kleinはイスラエル人なのに、英語が異様にうまく、うま過ぎるために 聞き取れないことがしばしばある。 昼食前から始めて、2時間近く議論をしたため、お腹も空いてしまう。 ということで、結構ぼろぼろであった。

来週のrecitationの準備を始める。 どの程度準備すればよいかという加減がわかってきたので、 少し要領がつかめてきたと思う。

ここのところ、再び気温が高くなってきた。 テルアビブでは昼間の気温が30度以上になっている。 食堂に行って帰ると汗ばむほどだ。

私が原稿を執筆した「数理科学」12月号が送られてくる。 「コロイド物理学のすすめ」というタイトルなので、興味のある方は ご覧下さい。


11月20日(土)

精神的には、昨日と同じ状況。 論文以外の事は、一切頭が受け付けない。 なんだか、息苦しいような気さえする。

夕方、気分的に少しトンネルから脱出したので、研究所内を散歩する。 しかし、散歩しながら結局物理のことを考えていたので、大した気分転換に はならない。 この頃は日が暮れるのも早く、4時半を過ぎるとすでに薄暗い。 今の私の気分と一緒である。


11月19日(金)

論文を書き直していると、これまでに気付かなかった点が色々と出てくる。 一日中、家で机に向かう。 とても日記を書く気分ではないし、ここのところ新聞にも目を 通していない。

論文の内容が気になっているため、妻との会話も身が入らない。 食事中もつい物理の事を考えてしまい、ふと何も会話をしていない ことに気付く。 妻もそのあたりは分かっていて、余計なことは私に話しかけない。 すんまへん、そのうち戻ってきます。


11月18日(木)

朝の6時に、妻の従姉妹が我が家を出発する。 あっという間に彼女の10日間の滞在期間が過ぎてしまった。

一応、一昨日までの物理の問題は解決した(と思われる)ので、少し気分 転換をして別の事を考えたいのだが、やはり気になって頭から 離れない。 いろいろとチェックすることはあって、その度にどきどきはらはらである。 とにかく精神的にしんどいのだが、これは試練と思って乗り越える しかないのでしょう。 論文を書き直し始める。

昼食後、普段あまり行かない研究所内のカフェに行き、遠藤周作の 「キリストの誕生」を読み終える。 なんだかこういう気分の時に読むには重すぎる内容だ。


11月17日(水)

非常に精神的に疲れているのだが、神経が高ぶっていて朝早くから目が 覚める。 寝巻姿のまま、早速、昨晩の着想を確かめるための計算を行う。 今回はなんとか問題なさそうだ! 研究所に行き、新しい結果についてAndelmanにメイルを送る。

Safranの講義。 Isingモデルを変分法をで解き、平均場の結果を得る。 自由エネルギーを最小化することが、変分法におけるパラメータに関する 最小化とつながっていることを知り、少しびっくりする。 界面プロファイルの導出。

それにしても、学生はよく質問する。 さほど高度な質問はないものの、それなりに的を得ている場合も 結構多く、よく言われることであるが、日本の学生とは違う。 出席している学生は皆真剣に聞いているし、授業の雰囲気はなかなか 良いと思う。 45分の講義を10分の休憩を挟んで2回行うという時間配分もなか なか適当である。

九工大での一コマの長さは90分なので、明らかに双方の集中力の 限界を越えている。 これは帰国後に考え直そうと思う。 どうでもよいことだが、授業の最後の方でSafranが黒板消しで黒板を消し ていたら、手が滑べって黒板消しがふっ飛び、Safranの頭を直撃し、 キッパが外れてしまった。

夕方、Andelmanから返事のメイルがきて、彼も同意してくれる。 今週は日曜日からずっと重苦しい気分であったが、少し楽になる。 これだけ集中的に物理を考えたのは久しぶりかも。

明日の早朝に妻の従姉妹が出発するので、夕方はバスセンターの ショッピングモールに出かける。 彼女はイスラエルを気に入ってくれたようだったので、こちらも 嬉しかった。


11月16日(火)

午前中から久しぶりにテルアビブ大学を訪れる。 Andelmanを訪問中のStjepan Marceljaと一緒に3人で食事をする。 この人はすでに50歳後半くらいの年齢と思われるが、なんだか 声が小さくて、何を言っているのかさっぱり聞き取れない。 結構、会話に困るものがあった。

昼食後、先日Andelmanに指摘された問題点を改めて議論し、やはり 問題ではないかということになる。 気分的に非常に落ち込む。 レホボトに帰るバスからの景色も目に入らない。

帰宅直後に腹痛。 その後、就寝まで再び解決法を考え続け、夜中の1時頃に ふとあるひらめきを得る。


11月15日(月)

午前中はセミナー。 カーボンナノチューブをAFMの先端に針のようにくっつけて、 なんでも小さいものを見てやろうという話。 なんでもナノチューブはコンピュータのスイッチングにも使える らしい。 驚いたのは出席者の多さ。 普段使っているセミナー室ではとても収容しきれず、急拠 大きな部屋へ移動する。 やはりこういう応用の話は皆さんの興味をそそるのね。

お昼からは2回目のrecitation。 前回のrecitationは最初ということでこちらも緊張し、あまりうまく できなかったのだが、今回はもう少し落ち着いて話をすることが できた。 今日の主な内容は相分離。 相平衡や共通接線法などについて説明する。 イスラエルでも、こういうのは意外と物理の学生も習わないらしい。

夕方はTenne、Safran、Ulrichと私の4人で議論。 これまで理論家で考えてきた内容をTenneに聞いてもらい、実験家から フィードバックをしてもらうのが目的。 このメンバーになるといつも会話のテンポが速くて、私が口を挟む 余裕がない。 仕方なくそれぞれが何を言っているか聞く役に徹する。

忙しい一日であったが、アカデミックに忙しいのは有難いことだ。


11月14日(日)

Andelmanとの仕事で、私が以前から気になっていた点が、 やはり問題ではないかと指摘され、気分は再びローである。 自分としてはもう考え尽くしていて、他にどうしようもないのだが。 おまけに旅行の直後で、今一つ頭が研究に切り替わっていないので、 ダメージがなおさら大きい。 "Monday blue"という言葉があるが、イスラエルでは"Sunday blue" である。

夕方はSafranと新しい研究テーマの内容について打合せをする。 最初の段階として、まず私が興味をもった実験の論文を紹介し、 これまでの理論では不十分な点について説明した。 それから私が考えていた実験の解釈などについて聞いてもらった。 これは大変良い議論であったと思う。

いくつか実験に関する疑問点があったたのだが、すぐにSafranが メイルで問い合わせてくれることになった。 このように人脈を通じて早いテンポで情報の交換ができることを、 とても羨ましく思った。


11月13日(土)

本来の予定では、今日はベエルシェバを起点にして、 南のスデボケルやミツペラモンに行く予定であったが、 結局昨日はほとんど死海に滞在する時間がなかったので、 再び死海を訪れてみることにした。

今日は31号線をそのまま走り続け、直接死海にたどり着く。 そこから向きを変えて、90号線を死海に沿って北上する。 右手の真っ青な死海と、左手のごつごつとした岩肌の切り立った山の 景色が非常に対象的である。 死海の対岸はヨルダンだ。 死海に出てから30分ほどで目的のエインゲディに到着。

ここは誰でも入れるビーチになっているので、多くの人で賑わって いる。 ビーチのレストラン(というより食堂)で簡単な昼食を済ませた後に 海辺に出てみると、ぷかぷかと浮かんでいる人がたくさんいる。 本当に浮くのね。 体中に死海の泥を塗って、真っ黒になったまま歩き回っている 人も見かける。


泥パックの人々

我々は色々な事情から実際に死海に浸かることはしなかったが、少しだけ 手で水を触ってみると、なんだかねっとりとしていて、肌にまとわりつく ような感触がある。 その後、何度も水で洗い流しても、肌がひりひりする。 傷口でもあったら大変なことだろう。 少しだけなめてみると、塩辛いというよりは苦い感じだ。 海岸の岩には塩が析出していて、表面が真っ白になっている。


死海に浮かぶ人々

眺めはとにかくすばらしい。 しばらく海岸でビデオ撮影をしたりして、4時過ぎに出発。 途中でマサダの入り口まできて、巨大な要塞を下から眺める。 ケーブルカーの運転はすでに終了している。 昨日、この裏まで来ていたのかと思うと、少し悔しい気がする。 3時間近く運転して、7時にレホボト到着。 砂漠、死海、砂漠、死海、砂漠の2日間でした。


11月12日(金)

1泊2日の予定で旅行に出かける。 本日の目的地は死海。

10時半過ぎに家を出発し、ベエルシェバの近くまで南下する。 そこから東に向きを変えて、31号線に沿って走り続ける。 31号線になってからは、両側に砂漠の景色が広がる。 砂漠といっても、砂丘のような状態ではなく、ごつごつとした 岩が一面に広がっている。 所々にバラックでできた集落のようなものがある。 恐らくアラブ人が住んでいるのだろうが、どうやって水など を確保しているのか不思議なくらいの生活環境だ。 運が悪いと、このあたりに住む子供に石を投げられるという話も あったが、幸い無事通過することができる。

しばらくしてアラッドという町に到着。 マサダを通過して死海に抜けようと思っていた我々は、ここから 3199号線に進路を変えたのだが、後でこれが大失敗であった ことがわかる。 アラッドを抜け出ると、さらに今までに見たことのないごつごつとした 岩の風景が広がっている。 道幅が狭い上に対向車もほとんどないので、少し不安になるが、 そのまま20kmほど走り続ける。 ほぼマサダに到着したと思われる地点で、なんと行き止まりにぶつかって しまう。

どうやらマサダの裏の入口のようで、そこにいた人に道を尋ねてみると、 ここから車では直接死海には行けないと言われる。 確かによく地図を見ると、マサダで道路が分断されてはいるが、 これは予め教えてもらわないとわからない。 同じ間違いをする人も多いようで、道を尋ねた人ににやりと笑われる。 少し休憩してパンなどを食べていたら、巨大な蜂が何匹も出現 したので、慌ててその場所を後にする。

仕方なく再びアラッドまで戻るものの、妻はすっかり車酔いして しまうし、私も精神的にかなり疲れてしまったので、アラッドの ショッピングモールでハンバーガーを食べて、気持ちを立て直す。 この時点ですでに3時近くになってしまったので、エインゲディでの 浮遊体験はは諦め、とりあえず死海を見ることだけを目標にする。

アラッドから再び31号線を走り、砂漠の異様な風景を抜け出ると、 急に死海が前方に広がって見える。 思わず喚声をあげてしまうほどのすばらしい眺めだ。 特に驚くのは死海の水の色で、人工的な感じさえする鮮やかな 水色だ。 恐らく塩分の濃度が高いだけではなく、銅などの成分が含まれている のだろう。 しばらく海のそばのホテルに駐車して、死海を眺める。 リゾート気分の人達で一杯だ。


死海

残念ながら死海沿いのホテルはすべて満室であったため、我々は ベエルシェバにホテルを予約しておいた。 暗くなる前に死海を出発して、ベエルシェバまで移動する。 ベエルシェバのホテルに到着して、早速ドラえもんに電話してみる。 たまたま我々のホテルは彼のアパートの目の前にあるので、 すぐに来てもらって一緒にホテルで夕食をとる。 ビュッフェスタイルの食事で、味はなかなかよかった。

今日は道を間違えたために目的が果たせなかったのが少し心残りである。


11月11日(木)

Ulrich一家は今日から休暇をとって、イスラエル最南端のエイラット へ行った。 イスラエルは今が観光に最も適切な時期と言われている。 夏の間は40度以上あったエイラットの気温も、今日あたりは最高 気温も30度弱で快適になってきている。 (それでもまだ暑いかな。)

夜は我が家を訪問中のお客様と一緒にヤッフォで食事をする ことにする。 夜のヤッフォはライトアップされていてとても美しいし、 そこから見えるテルアビブの夜景もなかなか豪華である。 先日ヤッフォでお土産を買おうと思って訪れた時は金曜日で、 すべての店が閉店していたが、今日は一通り物色することができた。

自宅に戻ると、隣のアパートの地下で火事があったらしく、 消防車が来ている。 隣といっても距離は離れているのだが、我々のアパートと 同じようにヴァイツマン研究所が所有する外国人研究者のための アパートである。

そのアパートでは電気の配電板が燃えてしまったため、巨大な ジェネレーターが置かれて大きな音をたてている。 さらにその火事のせいで、我々のアパートの電話回線までが不通 になる。 全く物騒この上ない話であるが、しっかりと原因究明してもらいたい。

さらに、妻の話によると、今日の昼間に、1人の泥棒がアパート内のある 部屋に侵入しようしているところで見つかり、警察に捕まえられたらしい。 一体、このアパートに安全性はどうなっているのか。


11月10日(水)

Safranの講義3回目。 内容は1、2、3次元結晶の散乱。 特に熱ゆらぎがブラッグピークをどのように崩すかについて 説明していた。

こういう内容はおよそ知っているのだが、私の場合、講義などで 教わった記憶はなく、自分で論文などを読みながら学んだような 気がする。 この手の事を最初から教えてもらえる学生を羨ましく思った。

来週の月曜日は私のrecitationなのだが、それまでにSafranの方で カバーしてもらうはずだった内容まで進まず、少し困ったことに。 私がやらなければならない? 慌てて準備しなければいけない。


11月9日(火)

休暇をとって、エルサレムデー。

ヤッフォ門、ダビデの塔博物館、聖墳墓教会、嘆きの壁、オリーブの丘。 すべて一度訪れた場所であるし、旧市街も3度目ということで、少し慣れ てきた。 それでも、アラブ人の商店街を歩く時にはどうしても足早になる。


聖墳暮教会

嘆きの壁では男性用と女性用の場所が分け隔てられている。 女性用の方が幅が狭いせいか、非常に混雑して見える。 中には叫び声をあげて祈っている女性もおり、結構きているものがあった。


11月8日(月)

今週から週一回のセミナーが再び始まった。 今日はMuesserという人の摩擦のシミュレーションの話。 最近は意外なことから摩擦にも興味を持っていたので、 期待してセミナーに出席したが、この人の話だと摩擦 の本質はどうやらゴミのせいで、少しがっかり。

いよいよ最終地位交渉がラマラーで始まった。 来年の2月までに、枠組の合意を目指すことになっているが、 それまでに残されている時間は少ない。

昼食は家族と妻の従姉妹と一緒にとる。 妻の従姉妹は、イスラエルの食物に興味津々のようだ。

夕方は、買物も兼ねてバスセンターまで歩く。 途中で市場に立ち寄る。 もう閉店しかけている店も多く、いつもの活気はなかったが、 野菜などの品物はとても新鮮だ。

イスラエルのスーパーでは、どうやらつまみ食いが許されて いるようで、お腹の空いた私はドライフルーツを2、3個 頂いてしまった。 イスラエルのこういうアバウトな面はとても良い。


11月7日(日)

テルアビブの北のネタニアという町で、ゴミ箱に仕掛けられた パイプ爆弾が爆発し、30名近くが負傷した。 明日から始まる最終地位交渉に反抗する組織によるテロだと 考えられている。 爆弾内には釘が入っており、その釘が刺さった人もいる。 同室のAntonに話したら、死者がいなければ"It does not count"とのこと。 おいおい、そんなものかよ。

妻の従姉妹が今日からイスラエルの我が家を訪問してくれる ことになっている。 夜にコペンハーゲンからの便で到着する彼女を、ベングリオン 空港までお迎えに行った。

ベングリオン空港は到着ロビーが一つしかないので、すべての便 の乗客が一つのドアから出て来るのを、大勢の出迎えの人達が 見守っている。 面白いのは、日本製のテレビやラジカセの箱をカートに載せた 人がやたらにたくさん登場すること。 おそらく免税店で買ったものであろう。 日本の電気製品、恐るべし。

ロビーでは、到着した乗客と出迎えの人達の再会の場面があちら こちらで繰り広げられる。 父親と抱き合う家族、走ってくる孫を抱き上げるおじいさんなど を見ていたら、彼らの本当に嬉しそうな顔に思わずこちらの顔も ほころんだ。 ユダヤ人は特に家族のつながりを大切にすると言われている ことを改めて思い出した。


11月6日(土)

遠藤周作の「キリストの誕生」(新潮文庫)を読み進める。 これは、前に読んだ「イエスの生涯」(新潮文庫)の続篇に あたる作品で、わざわざ日本から送ってもらったものである。

イエスの死後、ユダヤ教の一分派に過ぎなかったキリスト教が、 弟子達の様々な布教活動や精神的葛藤を通じて、国境や民族を 越えた普遍性を獲得するまでのいきさつが描かれている。 私自身はキリスト教もユダヤ教も信じる者ではないが、 「イエスの生涯」と同様に、大変興味深く読みつつある。

ただし、作者が敬虔なキリスト教信者であるから当然だとは思うが、 ユダヤ教が当時非常に形骸化していたなど、あまり良くない宗教の ように扱われているのは少し気になる。 思い入れが過剰になる余り、すべてキリスト教にとって都合良く 解釈されている部分も散見される。 まあ、「信仰」とは「思い入れ」そのものなんでしょうがね。

私が今知りたいのは、世界の宗教分布である。 それぞれの宗教に属するおよその人口がわかるホームページでもあったら 教えて下さい。 あと、どうしてもよく理解できないのが、ユダヤ教で大切な「割礼」 なるもの。 「○○の皮を切る」といっても、一体○○のどこを、どれくら、 どのように切るのかしら? 生後8日目の子供では、傷口から感染症になったりはしないのだろうか?


11月5日(金)

夕方、研究所内を散歩していたら、50周年に合わせて作られた 思われる建物や施設がいくつかあることがわかった。 例えば、"Jubilee Walk"と名付けられた公園の一画ができていて、 道に沿って歩くと、研究所の10年ごとの発展の歴史が、 研究者や建物の数、予算、各賞受賞者の名前などが書かれた パネルでわかるようになっている。 どうも、ノーベル賞受賞者はいないようね。

それ以外にも凝ったデザインの多目的ホールのような建物も 完成している。 ガラス越しに中を覗いてみると、どうやら新しいカフェテリアもでき るようだ。 建物の前には数多くのドナーの名前を刻んだ壁のようなオブジェが、 5メートル四方の碁盤の目に沿って立ち並んでいる。


ジュビリー・ビルディング

50周年の記念行事も一通り終了したわけだが、全体を通じて感じた ことは、研究所としてかなりのお金をつぎこんで準備したのだろうな ということ。 相当、いい所を見せようとしたのがわかる。 研究所内では、そんなことに大金を使うくらいなら、実験のランニング コストや、新しい装置をもっと充実して欲しいという声もあるそうだ。 それから、VIPが研究所に来る直前に、歩道の穴や割れ目にアスファルト を埋める作業をする人達の姿が見かけられたが、こういう人は 大抵アラブ人だ。

筒井康隆の「最後の伝令」(新潮文庫)を読み終える。 この中の短篇「十五歳までの名詞による自叙伝」を見れば、 筒井康隆がとんでもない子供であったことがよくわかる。


11月4日(木)

午前中にUlrichが部屋に来て、Science Symposiumに顔を出してみる ので、一緒に行かないかと誘われる。 彼はMax-Planck-GesellshaftのPresidentであるHubert Marklの話 が聞きたいと言う。 Ulrichの説明によると、Max-Planck-GesellshaftのPresidentというのは、 ドイツ国内で考え得る最高位のアカデミック・ポジションらしい。 日本であれば、東大学長あたりなのだろうか?

初めは行くつもりはなかったのだが、そう言われるとつい好奇心が出てきて、 彼と一緒に見にいくことにした。 肝心の講演の内容は、テーマが漠然としていた上に、英語がうま過ぎて、 全然頭に入らなかった。

午後にReshef TenneとUlrichの三人で久しぶりに打合せ。

夜はイスラエル・フィルのガラ・コンサートのためにテルアビブへ出かける。 今日はラビン前首相が暗殺されてからちょうど4周年目の日にあたり、 テルアビブ市内の混雑が予想されたため、初めてレホボトから電車を 使ってみることにした。 基本的に1時間に1本しかないのは不便であるが、研究所から駅まで 歩いて行ける上に、乗ってからは30分程度しかかからないので、 なかなか快適である。 駅から会場のMann Auditoriumまでは歩いて向かった。

コンサートはまず全員が起立し、Mutiの指揮でオーケストラがイスラエル 国歌を演奏。 続いてヴァイツマン研究所の所長、Haim Harariの挨拶。 ステージにはラビン前首相の写真が飾ってある。 ラビンは科学と教育に対する理解があり、彼が首相であった92年から 95年の間がヴァイツマン研究所にとって最も良い時期であったと 述べていた。


ガラ・コンサート

それから再びMutiが登場して、Beethovenの交響曲7番の演奏が始まった。 休憩を挟んで、後半はSchumannの交響曲4番。 アンコールはなし。 古典的な曲が続いたのは少し残念。 私がクラシックの批評などしては世も末なので、これくらいにして おきます。 演奏中に携帯電話が2回も鳴ってしまうイスラエル人の大雑把さが 印象に残った。


11月3日(水)

今週はドナー以外にも、世界各国の重要な大学や研究所のPresident級 の人達がヴァイツマンに集まっている。 例えば、California Institute Technology、 Rockfeller University、 CERN、 Max-Planck-Gesellshaft、 Institut Pasteurなどのトップが招待されている。 今日からはScience Symposiumということで、これらの人の 講演会が催されているようだ。 私は特に参加せず。

昨日のセレモニーは金持ちを喜ばせるためのものと書いたが、 これが序の口に過ぎないことがわかった。 実は明日、ヴァイツマン研究所の主催で、Riccardo Mutiの指揮 によるイスラエル・フィルのガラ・コンサートがテルアビブで 開かれることを知った。 そして、visiting scientistの我々夫婦も、そのコンサートに招待 されたのである。 子供がいるので、残念ながら夫婦で参加することはできないが、 私だけでも贅沢の極みを覗いてこようと思う。 (なんでコンサートの前日に招待状がきたのか、この際、詮索はやめて おきましょう。)

これでようやく、どうしてRiccardo Mutiが名誉博士号を授与されるのか わかりました。 Zubin Methaが指揮のイスラエル・フィルは、福岡で見に行ったことが 一度あるが、やはりイスラエルで聴くことができるのは格別である。 (Zubin Methaも1983年に名誉博士号をヴァイツマン研究所から授与 されている。) 子供がいるため、この手のコンサートに行くことは半ばあきらめてい ただけに、思いがけず念願が実現できて大変嬉しい。

今日は、Safranの講義の2回目。 散乱実験で測定される密度相関関数を使って、固体でも液体でもない Soft Matterを説明しようという内容。 Safranは話がのってくると、どんどん早口になってきて、熱くエキサイト していく。 そのまま沸騰してしまいそうだ。


11月2日(火)

実は妻の日記にもあるように、ヘブライ語のレッスンは先週で終り になってしまった。 最近はどうしても子供達が協同的不安定化現象を示すので、 先生も生徒も続行不能と判断した。 ちょうど、研究所内でのヘブライ語のコースも始まるということで、 そちらに移行する人もいるようだ。 ちなみに研究所内のコースも、同じ先生が担当する。

そんなこともあって、今日は先生をお招きして、お礼も兼ねた簡単な お茶会を我が家で開いた。 私は前回のレッスンから脱落したのだが、今日は最後ということで、 最初の1時間程度だけ参加し、先生にお礼を述べてから出勤した。 全くだらしのない生徒ではあったと思うが、我々にとっては色々と 収穫があった。 少しはヘブライ語に親しみが持てる程度にはなったと思う。

昨日の日記にもあるように、今日はヴァイツマン研究所の創立50 周年記念日である。 ヴァイツマン研究所の資金の多くは、世界中のユダヤ人からの寄付で 賄われている。 50周年の機会に多くのドナーが招待されているようで、びしっと スーツで決めた普段見かけないような人達がたくさん歩いている。


創立50周年記念日

夕方の5時過ぎに研究所内の広場で記念式典が行われていたので、 我々も様子を見に行った。 基本的にはドナー達を対象にしたものであるが、誰でも参加することが できる。 記念式典といっても、ライトアップされた芝生の上の会場でワインが 振舞われ、ジャズバンドの生演奏付きのなかなかアダルトな雰囲気である。 こうやって金持ちを喜ばせるのね。

最後は歌手がスイングナンバーを唄い、花火が上がって終了。 全くの偶然ではあるが、自分の滞在中に50周年を迎えたというのは、 非常にラッキーであったと思う。 50年前というのは、イスラエル建国の翌年である。 まだまだ、国家として不安定な時期に、高尚な理想をもってこの研究所を 始めたWeizmann初代大統領の先見性に対して、改めて感服する。 彼の理念がまさにこの瞬間に実を結んでいる。


11月1日(月)

今日はとても一度では書ききれないほど、たくさんのことがあった。 午前中はUlrichと打合せなどをして静かに過ごす。 私が翻訳した記事が載っているパリティ11月号が届く。 「コロイドはプルトニウムでヒッチハイクする?」というタイトルです。 興味のある方はご覧下さい。 1時からのrecitationに備えて、いつもよりも早めに軽く昼食をとる。

1時少し前に物理の建物に行き、廊下を歩いている途中でドアが開いて いる部屋があったので、何気なく中を見たら、東洋人がソファに座って 話しをしている。 私、ピンときてしまいました、この顔に。 なんと、有馬前文部大臣ではないか!! それでもにわかには信じられなかったので、もう一度引き返してよく見 たものの、ますます有馬さんである。

好村:「あのう、失礼ですが、有馬先生ですか?」
東洋人:「そうだよ」
好村:「えっ!どうしてここにおられるのですか?」
有馬前文部大臣:「今日、ここで名誉博士号をもらうことになっているのだよ。 ヴァイツマンには何度も来ている」
好村:「げげっ!そうでしたか。私、好村というもので、現在 ヴァイツマンに滞在しています。昔、先生の群論の講義を受けました。 物性理論が専門です」
有馬前文部大臣:「ああそう」
好村:「イスラエルにはいつ来られましたか」
有馬前文部大臣:「おとといね」
好村:「いつお帰りですか」
有馬前文部大臣:「もう明日帰る」
好村:「文部大臣、お疲れ様でした。 すみません、これから講義があるので、失礼いたします」
有馬前文部大臣:「ああ、じゃあ」
(ご存知ない方のためにつけ加えると、 有馬前文部大臣は元々、原子核理論を専門とする理論物理学者であった。 俳人としても有名。) どうしてこんなに間抜けな会話になったかという事情については、また後で。

さて、緊張のrecitationである。 最初は数人の学生しか姿を見せていなかったので、たかをくくっていたのだが、 実際に始める時になると、どどっと学生が現われて20名程度になった。 「recitationは講義とは違うので、いつでも質問していいです」などと 偉そうに言ってしまったのが運のつきで、なんだかんだと色々と質問してくる。 日本語であれば簡単に答えられることも、英語になるととっさには結構しんどい。 時にするどい質問があったり、意味のわからない質問があったりすると、 何故か"Yes, Yes"と答えてしまう。 こういうことではいけない。

それでも、最初の1時間はあっという間に過ぎで、休憩を挟んだあとの30分でも、 予定した範囲をカバーしきれなかった。 とにかく、異常に喉が乾いた。 部屋に戻って、ペットボトルの水を一気に飲み干す。 同室の王茜も出席していたので、どうだったかと聞くと、「クリヤだった」と 言ってくれたので、少しほっとした。 今日は式が多かったので、基本的にひたすら板書していればよかったのだが、 もっと言葉での説明が必要な内容になれば、さらに入念な準備をしなければ いけない。 Safranに報告。 「そんなにひどくもなさそうじゃないか」と冷やかされる。

さてさて、まだ日記には書いていなかったが、実は明日(11/2)は、 ヴァイツマン研究所の創立50周年記念日である。 そのため、今週は研究所内で様々なビッグな行事が予定されている。 今日はその最初として、名誉博士号の授与式が行われる。 博士号を授与される9人の中の一人が日本人であることは聞いていたのだが、 有馬さんとは知らなかったので、上のような大ぼけの会話になってしまったのである。

しかし、なんといっても今回の授与式の目玉は、元ドイツ首相のHelmut Kohlである。 それ以外で目を引いたにはRiccardo Muti(指揮者)であったが、 今日は出席しておらず、後日授与されるようだ。 授与式は夕方の5時から始まったのだが、テレビのカメラマンは いるわ、上空にヘリコプターが飛ぶやらで、いつも静かな研究所とは うって変わって物々しい雰囲気だ。 私も授与式を覗いてみた。

有馬さんのスピーチでは、彼の最初の研究がイスラエルのラカーの仕事の拡張で あったことに触れていた。 Kohl元首相はドイツ語だったので、今一つよくわからなかったが、ドイツとイスラエル が仲良くすることが大切だと述べていた(のだろう)。 それにしてもKohl元首相はでかいわね。 ステージ上ではKohl元首相の隣に有馬さんが座っていたので、余りにも 大きさが対象的であった。 式典の途中ではイスラエルの音楽なども入って、なかな良い雰囲気。 最後は、イスラエルの国歌を全員で斉唱して終了。 イスラエルの国歌は少し物悲しく、じんとくるものがある。

私はジーパン姿だったので、レセプションには参加せず。 刺激の多い一日であった。 明日からも色々ありそうだ。


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