うーん、10月も今日でおしまいか。
明日、オスロでバラクとアラファトがクリントンの仲介で会談 するようだが、その会談を目前にした昨日、ヘブロン近郊で イスラエル人の乗ったバスが銃撃され、5人が負傷した。 先日、ガザ地区を西岸地区をを結ぶ道路が開通したばかりで、 事件が起こったのは、西岸側のチェックポイントのすぐ近くである。
ヘブロンの火事で16人のパレスチナ人が死亡したことに端を発して、 ベツレヘムでは先々週あたりから不安定な状態が続いている。 先週25日には、イスラエル兵がパレスチナ人を一人銃殺したため、 それに反抗するパレスチナ人の暴動が起こっている。 イスラエル側は、殺されたパレスチナ人がナイフを持って襲ってきた と主張している。
これほど危険な状態がくすぶっている現実の中で、首脳会談でどれほど の具体的な成果が得られるのかは甚だ疑問である。 パレスチナ問題は性急に解決しようとすると、ある時点で一気に矛盾が 吹き出して、今以上に悪い事態を招かないとも限らない。
そもそも「和平」などと甘い言葉を使っているものの、イスラエルと パレスチナは本当の意味で仲良くなろうとしているのではないと思う。 本質的に相手を信用していないからこそ、徹底的な交渉によって、 あくまでも事務的な解決を計ろうとしているのではないか。
それでも、明日の会談の行方には注目したい。 単なる政治ショーに終らなければよいのだが、、、
午前中は来週のrecitationの内容確認と、Ulrichが書いた原稿 に目を通す。 彼はドイツ人であるが、やはり英語はうまいなと感心する。
車を借りると、どうしてもどこかに行きたくなりうずうずして しまう。 初めて、南のベエルシェバに行ってみよう! これまでは非常に暑かったので、ネゲブと呼ばれる砂漠地方に行く ことは控えていた。 ベエルシェバはネゲブ砂漠の中心として古代より栄えた町である。 また、ベドゥインという(元)遊牧民族が集まる市場でも有名だ。
レホボトから一本道をひたすら南下する。 70km程度の距離である。 途中で、キリヤット・ガットの町を左に見ながら、1時間15分 程で到着する。 思っていたよりも、広々としていて開放的な町である。
左手のベングリオン大学やバスターミナルを過ぎて、あっという 間に南の旧市街に着く。 今日はシャバットで店は閉まっているが、喫茶店だけは開いていて、 大勢の人が集まっている。 その中の一つに入って一息つく。
この間、我が家を訪れてくれた、ベエルシェバ在住の日本人留学生に 電話をかけてみると丁度在宅中で、図々しくもその直後にお邪魔させて もらうことに。 彼の住むアパートは、ベエルシェバで最も背の高いアパートなので、 すぐに辿り着くことができる。 17階までエレベータで登り、廊下を歩いていると、日本語で書かれた ジャワティーの広告を貼ったドアがある。 ここだな。
この日記では、原則として日本人を匿名にしているので、とりあえず 彼をドラえもんと呼ぶことにするが、ドラえもんはとても元気そうで 何よりだ。 いきなりおしかけたのに、しっかりお茶までご馳走になってしまった。 彼の部屋から見渡せるベエルシェバの町並みと、その向こうに広がる 水平線の景色がすばらしい。 (画像はドラえもんの家からの風景。) 丁度夕暮れ時になって、オレンジ色の太陽が沈むと同時に、 道路に沿って立つオレンジ色のライトが光り始めた。 ドラえもん、なかなかいい所に住んでいるではないか! さらにドラえもんの堅実な生活ぶりが伺えて、非常に興味深かった。
たまには日本人同士で、自由におしゃべりができるのも楽しいものだ。 一時間半ほどお邪魔して、まだ5時半なのにすっかり暗くなった道を レホボトまで運転する。 交差点以外の道路にはライトがないのだが、結構交通量があるので 暗くて困るということはなかった。
レホボトの近くでショッピングセンターで、娘のおまるを購入する。 以前の日記に登場した、中華料理店で働く日本人と会い、 10日前に次女が産まれたと話していた。 疲れた顔をしていた。
久しぶりに車を借りて、午後からドライブに出かける。 今日は近場にしようと思い、ヤッフォを目指すことにする。 そろそろお土産なども考えなければいけない時期なのだ。
ヤッフォは4月の最初の週末に、Andelmanに連れて行ってもらって 以来である。 40分程度で到着し、早速ギャラリー街へ入って行く。 が、残念なことに、すでにほとんどの店が閉店している。 金曜日の午後なので、よく考えてみれば当り前なのだが、 以前に同じアパートの日本人が金曜日にヤッフォで買物をされた と聞いていたので、深く考えずに来てしまった。 金曜日の午前中でないとだめなのね。
少なからず肩透かしをくらったが、丘の上の公園に出て雲一つない青空や 真っ青な地中海、色鮮やかなテルアビブ市街を眺めていたら、そんな ことはすぐに忘れてしまった。 最初にヤッフォを訪れた時の鮮やかな印象が、今回も失われていなかった のが嬉しい。 (もっとも我々はまだヤッフォのアラブ人街には足を踏み入れていない。 アラブ人街はちょっと受け入れ難いかも。) 我々が持っているロンリー・プラネットの表紙になっているレストラン がたまたま見つかり、しばしビデオに収めたり写真を撮ったりする。 結構、繁盛している。
それから、テルアビブのプロムナードに移動し、ヨドバタで休憩。 この店に来るのもすでに3度目である。 注文したオレンジジュースが非常に薄くて、オレンジ味の水のよう だったので、文句を言ったら新しいものに交換してくれた。 それから、お決まりのようにオペラ・タワー内のTower Rwcordsでアラブ のCDを3枚入手。 趣味が悪くて軽薄なジャケットを選ぶのがコツ。
久しぶりに気分転換ができて良かった。
午前中に物理の建物で、Michael Fisherの講演会があった。 彼を見るのは、1990年のユーリッヒ(ドイツ)でのセミナー 以来である。 あれから10年近くも時間が過ぎたというのは驚きであるが、 本人は顎ひげが少し白くなっただけで、あまり変わったという 印象は受けなかった。 小柄ではあるが、さっそうとした雰囲気がかっこいい。
(ご存知ない方のために付け加えておくと、Michael Fisher は統計物理学の分野では余りにも有名な理論物理学者である。 私は今でも、どうして彼がWilsonと一緒にノーベル賞を受賞 しなかったのかが不思議である。)
会場は有名人を見ようと超満員。 講演の内容は「分子モーター」。 いくらトレンドとは言え、これには少なからず驚いた。 実際にはポスドクとの共同研究のようだが、本人もfirst author の論文を書いており、やる気満々である。 すでにestablishされた研究者であるのに、OHPもきちんと準備され (ここがde Gennesと違う)、話しの進め方も非常に精緻で、まだまだ 現役であると言わんばかりであり、実際そうなのであろう。 とても充実した講演会であった。
夕方、バスセンター(キャニオン)で買物。 さ来週からのお客様に備えて、布団を一枚購入しておく。 最近は布団がないと夜は寒いのだ。
昨晩から、Wittenの論文に書いてあるスケーリング則が違うのでは ないかと思って、午前中にUlrichに話してみたら、そんことは ないと一蹴された。 もちろん私が間違っている可能性の方が遥かに高いとは思って いたが、少しがっかりする。 でもまだ完全に納得したわけではないのよ。
ここのところ、Anton ZilmanとUlrichと食事に行くことが多い。 これも、部屋を移動した効果だろう。 私が東海村の近くの水戸で生まれたということから、ドイツの エネルギー事情の話題になる。 環境問題先進国のドイツでは、ゴミを燃やしてエネルギーを作り出す ことが行われているものの、ゴミが少なすぎて問題になっているとの こと。 イスラエルのゴミを売ればよい。
午後にはSafranの"Soft Matter Physics"の講義の第一回目がある。 学生は全部で25名程度集まり、思っていたよりは多い。 物理と化学の大学院生がおよそ半々ずつの構成である。 私はrecitationを担当するということで、講義の最初で紹介された。
2時間の枠をとっているが、実際には途中で休憩を挟んで、45分の 講義を2回行う。 前半では、なぜComplex Fluidsを研究するかという動機付けから 始まり、Langmuirという雑誌の表紙からとってきたカラーの図を たくさん交えて、講義で対象とする物質の概観を行う。 後半では、熱統計力学の大雑把な復習。 自由エネルギーを最小化するということは、内部エネルギーが 一定という制約のもとでエントロピーを最大化すること(温度の 逆数がLagrangeの未定乗数に対応)と同等である点を強調していた。 (当り前かな。)
私にとっては、講義の内容よりも、アメリカ式の講義の仕方や スタイルが参考になった。 (Safranはアメリカで生まれ育ち、アメリカで教育を受けている。) いよいよ、来週の月曜日は私の出番である。 あらためて、身の引き締まる思いがした。
昨晩は夜中にかなり激しい雷雨があった。 不思議なことに、雨でも嫌な気分にはならない。 4月以来、全くと言ってもよいほど雨が降っておらず、 乾ききった植物や大地がしっかりと水を吸ってくれそうで、 むしろほっとする。 朝になると再び快晴。
ヘブライ語のレッスンがあったのだが、私は仕事が忙しく なってきたので、今日から脱落することにした。 レッスンの時間が惜しいというよりは、ヘブライ語にまで頭を回す 精神的な余裕が無くなってきたのだ。
肩が凝ってしょうがないし、口内炎にもなっているので、精神的だけ ではなく、肉体的にも疲れているのだろう。 書きかけの論文が2本、進行中の研究が2種類、recitationの準備、 翻訳の仕事などで半分潰れかかかっている。 この上に日本方面の問題2件、チケットや帰国手続きの準備が重なった のでたまらない。
もちろん仕事が暇であるよりは遥かに良いのだろうし、見方によっ ては充実しているのかも知れないが、やはり体を壊してしまっては 意味がない。 こういう時に、家族が基本的に元気で過ごしてくれていることは、 何よりも有難い。
それにしても、こんな愚痴を日記に書いて何の意味があるのかよく 分からない。 自分が忙しいことを自慢していると思われても仕方ない。 「好きでやっているんでしょ」と言われればそれまでのこと。 書いていて自分でも嫌な気分になった。(書き直すのも面倒) 悪循環。
月曜日になるとこの日記のアクセスも増えて、50件近くになる。 全く有難いことなので、なるべく読者にとっても面白そうな日記を 書きたいと思う。 しかし、どうも最近は精神的な余裕が無くて、一段とさえない 内容になっている。 しかもイスラエルに関する話題が大幅に減ってしまった。
先週の金曜日に予約して満席だった、妻子の帰国のチケットがとれる。 それにしても、片道と往復の料金がほとんど変わらないなど、 相変わらず航空運賃の仕組みはさっぱりわからない。 それでも日本で買うよりは確実に安いようだ。 これも変だと思う。 すでに帰国の手配とは、恐ろしく時間がたつのが早い。
以前に論文のために書いた図がTgifを使ったため、どうしても満足の いく仕上りにならず、ここのところどのソフトを使うかで困っていた。 Photoshopはあるものの、学生が使っているパソコンにインストール されているので使いにくい。 Illustratorはなぜか周囲に存在しない。 今日ようやくxfigを使えばよいことに気付き、なんとか図を完成させる ことができた。
久々にイスラエルねたを少々。 今日からガザ地区と西岸地区間の道路が、パレスチナ人に対して オープンになった。 と言っても、予め許可を得たパレスチナ人だけが通行可能で、 ガザ地区を出発してから一定時間内に西岸地区に到着しないと 捕まえられる。 イスラエル内の一般道路を使うため、テロリストなどが国内に 拡散するのを防ぐのが目的。
レホボトから車で10分以内のナンというキブツで、28歳の女性 が21歳の男声に殺害される。 ふられたのが直接の原因だが、男の精神状態もおかしかったらしい。
午前中にSafranとUlrichの三人で議論し、これまでやってきた ことをそろそろ論文に書いてまとめようということになる。 その後、Ulrichと二人で食事に行ったのだが、彼は論文を書くタイミング が早過ぎると言う。 もう少しじっくりと結果を蓄積してから、論文にしたいらしい。 一方で、彼もポスドクなので論文が必要であり、違うスタイルの 研究の進め方を経験することも大切ではあると認めていた。
UlrichはGompperの指導で学位を取ったので、Gompperの仕事ぶりに ついて尋ねてみると、以外にも一つ一つの論文に膨大な時間をかけ るタイプで、決して仕事が早い方ではないらしい。 それでも私はGompperの論文リストを見たことがあるので、 「2年間で論文が30本もあるのは尋常ではない」と主張したのだが、 "He is not quick"とのこと。 ただ、Gompperは起きている時間のほとんどを物理に使っているとも 言っていた。
部屋で王茜とだべっていたら、話題が以外にも日本の教科書問題に及び、 さらに日本の侵略行為についての議論になった。 中国人の中にはまだかなり反日感情があると彼女は言う。 事実、彼女も最初に私と挨拶をし時に、私が日本人であることを 相当意識したらしい。 こちらは、全く個人として対応していたので驚いた。
こういう内容について、直接に中国人と話したことがなかったので、 非常に興味深かったが、彼女の「南京ホロコースト」という言葉には 違和感を覚えた。 どうも中国では今でも反日教育が行われているようでもあり、双方に 問題があるような気がする。 いずれまたゆっくり話してみようと思う。
福岡は日本シリーズで盛り上がっているようだ。 ダイエーホークスが優勝するなんて、今後ほとんどあり得ないだろうから、 今年の地元の様子を見ることができないのは残念だ。 しかも、初戦は工藤の好投で、ホークスが勝ってしまった。 失うものがないチームは強い。
妻子のために帰国のチケットを予約するべく、午前中に旅行代理店 に行った。 事情があって私のチケットだけは、日本の旅行代理店で数日前に 予約してあった。
私がすでに予約したパリからのエア・フランスの便名を告げると、 5ヵ月も先なのに、すでに満席と言われる。 仕方ないので、とりあえず待ちリストに入れてもらったが、これは 一体どういうことか? 3月ということで、学生の卒業旅行シーズンと重なってしまった のだろうか?
午後は論文の手直し。 落ち着いて新聞を読む余裕がないので、最近のイスラエル情勢に 疎くなってきた。
夕方、気分転換のために、レホボトのはずれにあるイタリアレストラン に行ってみる。 お客が我々しかいなくてえらく寒いのに、その上きんきんに 冷房をかけているので、身も心も寒くなった。 ピザとサラダを注文。 味はまあまあ。 我々が帰る頃に、ようやく2組のお客が入ってきた。
帰宅途中の月は、大変美しかった。 近いうちに砂漠で月夜を楽しみたいと思った。
なんだか、最近やたらと忙しい。 研究以外でも対応しなければいけないことが次から次にでてきて、 全く頭が痛い。
その一つが、最近多発しているアパート内での泥棒問題。 幸い我が家はまだ被害にあっていないが、様々な筋からの情報を 総合すると、我々がいつ当事者になっても不思議ではない状況なのだ。 昨晩、妻から新たな事件を聞いた私は、これまでの研究所の対応の 仕方に対して怒り心頭。
セキュリティの責任者と直接話し合うために、朝一番で電話をすると、 秘書が出てきて自分に用件を言えという。 私、切れました。 英語でしかも興奮していたので、いま一つうまく言えなかったのだが、
さすがに私の電話は効いたらしく、あちこちに私が怒っているという 連絡がいったらしい。 その後、グループ内の秘書やSafran、Visiting Scientist部門の 責任者が、私に落ち着けとなだめに来てくれた。 今日のところは、とりあえず我が家で買った鍵を取り付けてもらう ことでおさまった。
むしゃくしゃした気分を晴らすために、夕方、散髪に行く。 いつもの店なのに、初めて見る腕の悪そうな(人は良さそう) おじいさんにあたってしまう。 前のお客が耳を切られたのを見てしまっただけに、手に汗握る20分 であった。
一応無事に終ったが、極度の緊張のせいか、終了とともに腹痛発生。 散髪屋の前のベンチで横になる。 それを見た隣の店のおばさんが、水がいるかと声をかけてくれる。 腹痛もすぐに直ったが、こんな調子では精神的に休まる時がない。
来週から始まる"Soft Matter Physics"のlectureとreciatationの内容に ついて、Safranと打合せをする。 lectureは15回、reciatationは7回で、一回ごとの教える項目を検討 する。 基本的にはSafran自身の教科書に沿った上に、少しだけChaikinとLubenskyの 教科書の内容も混ぜた構成になっている。
2月までに3回、演習問題がレポートとして課せられ、最後には試験が ある。 1回目の演習問題8問はすでに用意されていたので、見せてもらったが、 結構難しいので驚く。 演習問題はreciatationで扱うのだが、とてもすぐには解ける自信はない。 しかし、今更そうとも言えず、内心冷汗ものだ。
ユニークなのは12月29日の講義を、de Gennes(ノーベル物理学賞受賞者) が行うこと。 これだけは何はともあれ楽しみである。
早速、最初のreciatationのためのノートを作る。 フーリエ解析、ガウスゆらぎ、汎関数微分などごく初歩的な内容を扱う 予定なのだが、情けないことに無限自由度のガウス積分で少々混乱して しまい、どっと不安な気分に。 内容が100%分かっていても、英語だということで大いに心配なのに、 内容でつまずいてしまってはお粗末も甚だしい。
その上、Safranは学生が優秀だと言って脅かす。 「たぶん私よりも優秀でしょう」と半分やけ気味に返事をすると、 ユダヤには「人は周囲の人から学ぶが、自分が教えている人から最も学ぶ」 という格言があることを教えてくれた。 そうでしょう、そうでしょう。
二週間ぶりのヘブライ語のレッスン。 最近は学習意欲が低下してしまい、前日に30分程度宿題をやっただけ。 先日我が家を訪れた日本人留学生は、電話でぺらぺらと流暢なヘブライ語を 話していた。 彼にはこれからヘブライ語で授業を受けるという強い動機があるとは言え、 私の学習態度は明らかにお粗末だ。
それに加えて、我が家の愚娘がレッスン中、自己中心的にきいきいわめきちら したので、こちらもほとんどぶちぎれで、授業に集中するどころではない。 子供を交えてのレッスン形態も、限界にきているのではないかと思った。
研究所に行ってからも、どうにも頭の痛い問題が日本方面からふりかかる。 残念ながらここに書くことはできないが、今日はほとんどそのことで 時間を費してしまった。
昼食はGranekが誘いに来てくれた。 食堂でYosev Adanと会う。 日本語のコンピュータ入力の話題で盛り上がる。 (実はこれはよく使えるネタ。)
以前、スイカがおいしかったこの食堂は最近業者が変わった。 皆さん、味が良くなったと言うのだが、私には味付けが濃く感じられて どうも馴染めない。 食後に胃がもたれるような感じがする。
今日のまとめ:悪いことは続く。
先週の金曜日から停電でダウンしていた、九工大のサーバーが復活。
そろそろ帰国の予定を考えなければならない時期になった。 先週、日本の旅行会社にFAXを送ったが返事が無かったので、朝一番で 国際電話をかける。 幸いその場に担当の人がいたので、すぐに用件を伝えることができた。
同室の中国人の学生、王茜と少しずつ話を始める。 彼女は成都の四川大学で修士を終えて、イスラエルにやってきた。 中国では化学を専攻していたため、今は物理の勉強が大変らしい。 最近、ヴァイツマンに滞在中の中国人と結婚したそうだ。
夕方にUlrichと議論する。 どうも彼の計算は手詰り状態になってしまったようだ。 もう少しこまめに計算の内容を教えてくれるといいんだけどね。
Andelmanとの仕事で、以前から考えているモデルの気になっていた点を 一日中考える。 何が問題なのかははっきりわかっているのだが、あっちを立てようと すればこっちが立たずで、非常に強いストレスを感じる。 しかし、考えられる可能性は全て尽くしてみたので、これが今のレベル のモデルの限界であろう。
朝から夕方までずっと机に向かって計算したり考えたりしていたため、 帰宅してからも頭が切り替わらず、会話も弾まない。 妻にも「すっきりしないんでしょ」と、しっかり見抜かれる。 私はすぐ顔に出るタイプのようだ。
Milt Jackson (vib)が亡くなったことを知る。 私の記憶では、Milt Jacksonの生演奏は2回見たことがある。 最初は随分前で、五反田の簡易保険ホールだったと思うが、大きな ホールだったため、あまり強いインパクトは受けなかった。
二度目は福岡ブルーノートで、かぶりつき状態で演奏を聞いた。 Milt Jacksonの出だしのフレーズで、鳥肌が立ったことをよく覚えている。 まさに一瞬で空気が変わり、それはあたかも魔術のよう。 最高のジャズマンのすべてがそうであるように、アドリブのすべてが、 究極の唄になっている。
Modern Jazz Quartetは手応えがないので嫌いだが、Milt Jacksonのそれ以外 の組合せでは、好きなCDがたくさんある。 中でもお気に入りなのは、Monty Alexander (p)と一緒の"Soul Fusion" (Verve)。 今イスラエルで聞くことができないのが残念。
昨日のベドウィンの敷物を一枚購入する。
たまたま今日は、同じアパート内のある住人の裏庭を使って、 ベエルシェバの近辺に住む、「ベドウィン」と呼ばれるかつての 遊牧民族の人々が作った、手織物品の販売が行われていた。 日本人留学生と一緒に行き、住人に事情を尋ねてみると、彼らが ベエルシェバの近くにある店でベドウィン絨毯を買い、それが大変気に 入ったらしい。 しかし、レホボトの近くではなかなか品物を見ることができないので、 自分達の庭を使って展示販売会をやってみることにしたとのこと。
我々がいる間にも絶えず数人が訪れていて、なかなか盛況であった。 お店の人も大張り切り。 我々もいくつか品定めをする。
日本人留学生は、お昼前にベエルシェバを目指して出発していった。 今度は我々も是非、ベエルシェバを訪れてみようと思う。 それほど遠い距離ではない。
日本人留学生はテルアビブの日本大使館で朝日新聞の国際衛生版を 手に入れたらしく、我が家に置いていってくれた。 一週間ほど前のものではあったが、久しぶりに広告なども含めて日本語の 新聞に目通していうちに、ふと日本での毎日の生活の感覚が甦ってきた。 それに合わせて、飯塚のアパートの周辺の景色も急に頭の中に浮かんで きた。
午後からテルアビブ大学へ。 今日の目的は、ポツダムのマックス・プランク研究所から来ている Roland Netsを交えて議論すること。 彼は恐らく私よりも年齢が若いはずだが、すでに多くの業績を挙げており、 Kozlovは"promising guy"と言っていた。 Ulrichは同じ研究所から来ているので、Netsのことをよく知っている。 Ulrichによると"tough"な人らしい。
2時の待ち合わせだったが、1時半前に食堂に行くと偶然 AndelmanとRoland NetsとDavid Mukamelのポスドク(名前を忘れた) の3人がすでに食事をしていた。 早速、AndelmanにNetsを紹介される。 確かに見かけもがっしりしていて、Ulrichの言葉通りである。
コーヒーを飲んだあと、私とAndelmanの仕事について2時間以上議論をする。 Netsは自分が納得しないと決して前に進まないという感じで、精神的にも 頑強な印象を受ける。 その上に非常にするどい突っ込みも受けて、こちらがたじたじになる場面も あった。 それでも、今まで自分の気付いていなかった問題点を建設的に指摘して もらったので、非常にためになった。 Kozlovが"promising guy"と言う意味もよくわかるような気がした。
夜には ホームページ上で知り合った、ベエルシェバ在住の日本人が我が家を 訪れてくれる。 お互いに相手の日記を見ているので、初めて会ったような気がしない。 彼はこれからベエルシェバのベングリオン大学の博士課程で文化人類学の 研究をするそうなので、それについて色々と興味深い話を聞かせてもらった。
さらにイスラエルやユダヤの現状や歴史について私が疑問に思っていたことを、 洗いざらい質問した。 素人にもわかるレベルで的確なお答をいただき、私は非常にすっきりしたのだが、 ご本人には少々迷惑だったかも。 就寝は2時過ぎになってしまった。
久しぶりに頼もしい20代の若者を話しをすることができて、こういう若者が もっと増えてくれば、日本の将来も満更ではないと思った。 こんな書き方は、少し生意気かしら?
今日は忙しかった。 正午からSafranとUlrichと打合せをするために、午前中に大慌てで オーダーエスティメイトをしておく。 先週彼らに渡しておいたノートの説明をしていたら、2時を過ぎて しまった。
パソコンの移動も完了し、ようやく新しい部屋に落ち着く。
夕方は、Safranと授業についての打合せ。 recitationは計7回の予定。 少し青くなるが、とにかくやってみるしかない。
部屋は移動したものの、コンピューターの切替えがまだできないため、 前の部屋でパソコンをつなげたまま、新しい部屋との間を行き来する ことになる。
ヴァイツマン研究所内では、すべてのイーサーネットのコンセントに 固有の番号があり、IPアドレスの割当てが計算機センターによって一元的 に管理されている。 (ハブが使えないようだ。) 従って、今までネットワークにつながっていたパソコンを別の部屋に移動して ネットワークの接続しても、そのままではつながらない。 計算機センターに、新たにコンセントが使えるように設定してもらう必要が あり、これに数日時間がかかる。 不便だ。
コンピュータ環境は、九工大情報工学部の方が進んでいる。 (当り前か。) ネットワークの構築もはるかに柔軟にできている。 まあ、皆さんWindowsしか使っていないようなので、コンピュータに対する 意識はそれほど高くないのであろう。 以前にも書いたが、同じ建物内でLinuxを使っているのは私とUlrichだけという 信じられない状態。
それとは別に、最近計算機センターがセキュリティ・システムを変更 したために、大混乱が起こっている。 セキュリティに関することなので、詳しくは書けないないが、変更の 仕方もどうもおかしい。 Macを使っている日本人研究者の相談にのったが、結局うまくいかなかった。
九工大のサーバーがおそらく停電でダウンしたまま。 復旧するまでは、ここで日記を更新します。 (10月13日には復旧)
私は研究所内ではvisiting scientistということで、個室を与えられて いる。 そのせいもあって、Safranや彼の学生が居る部屋とは違う階に私の部屋が ある。 GranekやKleinらのグループもSafranと同じ階に居る。
私の部屋は静かで快適なのだが、どうも人と交わる機会が少ないのでは ないかと思っていたので、Safranの学生と一緒に混ぜてもらうことを 頼んでいた。 少しややこしい経緯があったものの、本日ようやく学生部屋に移動する ことができた。 Anton Zilmanと王茜という中国人の学生と同室である。 Safranの隣部屋でもある。 よく考えてみると、合部屋は5年ぶりだ。
当然自分のスペースは狭くなって、書類を置く場所に困ったりしたが、 やはり周囲の人の行動が間近に見えて面白い。 階が同じだと、それこそトイレで人と会うこともあり、話しのきっかけを 作るには大変都合がよい。 そんなわけで、今日は早速Granekと色々と話した。 その他にも、ネットワークの切替えなどであわただしくすごした。
持参したVAIOのシステムが立ち上がらなくなったことは以前の日記に 書いた。 日本からわざわざ送ってもらったCD-ROMドライブが今日、研究所に到着 する。 新品であったのに、税関で引っかからなかったのが不思議である。
帰宅後、早速、システムの再インストールを試みたがダメ。 やはりハードディスクが壊れているようだ。 別のパソコンをすでに送ってもらっているのでさほど困らないが、 いくらなんでも買って半年で壊れるというのは、ちと早すぎるのでは ないでしょうか、SONYさん。
環境が変わったせいもあり、気分や体調もやや回復してきた。 RonyとUlrichと昼食。
昨日よりはましなものの、まだ体のきれも悪く気分もロー。 何か身も心もすかっとするような、気分爽快な出来事はないものか? 東京にいた頃には森山威男のライブに行って、エネルギーの充電を したものだ。 今は娘の無邪気な振舞いだけが唯一の救いである。
今月末から、大学院生を対象としたSafranの " Soft Matter Physics" という講義が始まる。 それに合わせて、私に"recitation"をやってみないかと言われた。 辞書を引いてみると、"lecture"は「一方的な講義」で、"recitation" 「口頭の質問を交えながら行う授業」のことらしい。 Safranの授業を補う形で内容の説明をしたり、質問を受け付けたり、 演習問題を解かせたりするそうだ。
ヴァイツマン研究所での講義はすべて英語で行われる。 だからと言って大丈夫なわけではないのだが、二度とない良い機会なので、 喜んで引き受けることにした。 失うものは何もない。
昨晩はしっかり休もうと思っていたのに、こういう日に限って娘が ひどい夜泣きをして、寝たのは結局午前3時過ぎ。 なんだか、すっかりリズムが狂ってしまってぼろぼろです。
おまけに、晴天続きのこれまでの天気とはうって変って、今日は 一日中曇で、家にいると肌寒い程である。 長ズボンと長袖の服を出してきて着る。 気分はますます下り坂。
ガリラヤ湖の水位がレッドラインに到達。 水位低下の主な原因は蒸発らしい。 その意味では曇の天気は大歓迎なのだろう。 遊覧船などの観光業や漁業、農業などに影響が出始めている。
今週はいつもよりも集中して勉強して疲れたせいか、気分は明らかに ローである。 イスラエルの滞在も予定の半分以上が過ぎ、焦りの気持ちもあるの だろう。 前の晩に、帰国までの予定を考えていたら、すっかり眠れなくなり、 朝の6時近くまで目を覚ましていた。 おかげで体もだるい。
私は精神的に追い詰められると、大学入試や高校の期末試験の前に 試験の準備ができていなくて非常に慌てて困る夢を必ず見る。 ここのところ、このパターンの夢を見続けている。 これも気分を悪くしている要因の一つだ。
来年の1月にドイツへ出張することを思いついたので、早速、午前中に 旅行代理店へ行ってみる。 ルフトハンザを使えば、基本的に問題は無さそう。
夕方、買物を済ませて、バスセンターのファーストフード街で食事を していると、どうも日本人らしき4人の集団をみかける。 話の内容が聞こえたわけではないが、やはり服装や雰囲気でそう直観 した。 それにしても、レホボトに知らない日本人が4人もいるはずがないのに なあ、と思う。
話しかけるかどうか迷っていた私を後目に、同じように感じた妻が さっさと話しかけに行ってくれた。 少しして戻ってきた妻によると、彼らはつくばの高エネルギー研究所 から来ている素粒子物理学の研究者であることがわかった。 バトンタッチして私が話しを聞きにいく。 彼らは、この一週間、ヴァイツマンに検出器の開発に来ているらしく、 明日もう帰国するとのこと。 彼らの中の数人はすでにヴァイツマンを数回訪れている人もいて、 日本とヴァイツマンの間の定常的な共同研究体制があることを 初めて知った。
それにしても、同じ物理といっても、素粒子実験のことはよく知らない ので、とんちんかんなことを聞いてしまった挙げ句に、結局レホボトの レストランの話題に落ち着いてしまったのは少々情けなかった。 よく考えてみると、久しぶりに日本の物理学者と話しをしたことになる。
10月3日の日記でBruinsmaについて書いたが、一部の読者からクレイムが。 一度書いた日記を書き直すことはしないつもりなので、少し付け足しをすると、 私は全く趣味もしくはスタイルのレベルで述べたに過ぎず、例えばコルトレーン があまり好きではないというのと同じこと。 コルトレーンの実力を疑う人は誰もいないであろう。 事実、Bruinsmaの論文から多くを教わっているのだが、単に自分の目指す スタイルではないということなのです。
Bruinsmaの論文の関連で、京大基研の関本さんが提唱された "elasto-hydrodynamic force"について勉強する。 L. Leiblerとの共著の論文である。 今までこの論文を知らずにいたのはまずかった。
論文の最後で関本さんは日本の文部省に謝辞を述べているので、 おそらく私と同じ在外研究員としてフランスに滞在された時の お仕事であろう。 自分もイスラエルの滞在中に良い成果を出さなければ、と大いに刺激 を受けた。
Ulrichと昼食。 Safranはドイツから、Granekはアメリカから帰国。
ヘブライ語のレッスン。 ここのところ新しいことを覚えるよりは、覚えていたことを忘れる方が 多いので、明らかに知識の非平衡状態。 せっかく習ったことを、実際に使う機会が少ないのも、身につかない 理由の一つだろう。
レッスンの後に、いつも少し雑談がある。 今日も先生が繰り返し主張していたのは、イスラエルでは受け入れた 移民の経済的援助を行っているのだが、これがどうも様々な矛盾と問題を 含んでいるということ。 通常、イスラエルでは夫の収入だけで生活するのは難しいので、共稼ぎが 当り前。 それにもかかわらず、移民の家族の女性は仕事に就かないので、結局 働いている人がその経済的な穴埋めをしている構造になっている。 先生は、このシステムが不満のようだ。
昨日のStreyの論文に関係する論文に目を通して、問題の設定やアプローチ の仕方を考えてみる。 しかし、理論だけでも関連する仕事は結構あるので、まだまだ勉強しなければ いけない。
Safranに"hydrogel"と関係があるのではないかと言われていたので、 「なんじゃ、それは?」と思って文献を調べていたら、しばらくして、 昔日本の研究会でそれについて話した人がいたことを思い出して納得。 「ああ、あれか」
だからといって、問題が解決したわけではもちろんない。
Bruinsmaの論文のフォローを続けるが、昨日とは違う箇所で、 どうも計算が合わない。 肝心な所なので、非常に気持悪い。 今日のところは解決しない。
6月末の研究会でStreyの発表した内容が、Langmuirの最新号に掲載 されていることを発見。 早速、オンライン版をダウンロードをして少々興奮しながら読む。 インターネット上の論文は、雑誌の到着を待つ必要がないので、こういう 時に便利だ。
研究会でStreyの発表に興味を持った私は、講演後に彼のところへ行って、 プレプリントをくれるように頼んだのだが、特許の申請中なので だめだと言われた。 その代わり、Langmuirの10月号に掲載されるとだけ教えてくれたのだ。 どうやら私は信用されていないらしい。 その時は少し、かちんときた。
発表の時にも思ったのだが、改めて論文を読んでみると、確かにこれは ビッグな発見であるし、応用への影響も計り知れない。 これからじっくりと考えてみたい。
Bruinsmaの論文を見ていて、ある式が絶対に間違っていると思って、 自分でごちゃごちゃ計算すると、論文の式が正しいことがわかる。 そのためにLandauの弾性論を再び復習するはめに。
Bruinsmaは相当器用でかつ腕力のある人だと思うが、どうも洗練されて いなくてあまり好きなタイプの物理学者ではない。 しかし、今回の件で少し見直した。
でもよく考えて見ると、以前ある研究会で、Bruinsmaは私の発表に対して わざわざ質問をしてくれ、その時はさっぱり意味がわからなかったのだが、 それがきっかけになって後に別の論文に書いたということを思い出した。 だから、本当は感謝しなければいけないんだよな。
ここのところ色々な行事が続いたので、本当に安息日。
さらに今日はシムハット・トーラー(律法の歓喜祭)で、ユダヤ教の人達は シナゴーグでトーラーを持って踊るらしい。 テレビでその様子を放映していたが、何がそんなに楽しいのかわからな らないので、不自然な感じがし、はっきり言って変。 新聞では女性も一緒に踊ってもよいかどうかが話題になっている。 これもなんだか変。
イスラエルでも東海村の放射能漏れ事故のニュースをトップで扱っている。 事情が明らかになるにつれて、まったく世界に対して恥ずかしくなるような 気分だ。
Andelmanの学生であるHaim Diamantが、Tom Wittenのポスドクとして 奥さんを連れて来週からシカゴに渡る。 Andelmanの音頭でHaimのお別れ会をやることになり、我々の家族も 招待されていた。 場所はテルアブビのハヤルコン公園。 参加者が一品ずつ持ち寄ってのピクニックスタイルでのお別れ会だ。
ヴァイツマンからはUlrich Schwarzの家族も招待されていたので、 我々も彼らの車に乗せてもらって、3時頃出発する。 4時の集合時間になると、Andelmanの家族と彼の学生や、その他の 大学院生も集まってくる。 総勢で20名程度になった。
金曜日のハヤルコン公園は人も少なくて快適である。 広大な芝生の上の適当な場所にシートを広げて、各自が持参した飲食物 を並べる。 学生といっても女性同伴者が多いので、手作りの料理やお菓子はなかなか 豪勢。 娘はこの時とばかりに、もくもくと食べていた。 Haimには私がお気に入りのジャズのCDを手渡す。
子供が7時前に寝るSchwarz家は一足先にレホボトへ帰ったので、 我々は残った人達と一緒に暗くなった公園内を散歩する。 それにしても、Andelmanの周囲の人達は皆さん気のきく人ばかりで、 非常に付き合いやすい。 我々の家族も非常に楽しい時間を過ごした。
帰りはKozlov夫妻がわざわざレホボトまで送ってくれた。 彼らの自宅は全く正反対の位置にあるので、これには全く恐縮。 しかしおかげ様で、Kozlov夫妻と我が家でゆっくり話をすることが できた。 外国で面白いのはやはり人との交流である。