最後の船便を送り出す。
Andelmanは4月4日に空港まで迎えに来てくれることになって いる。 彼は用心深い人で、もしも空港でおち会えなかった時の連絡先や タクシーの乗り方、換金の仕方まで全部メイルで教えてくれた。 娘のベットの入手の方法まで考えてくれている。
冷蔵庫の中を完全に空にして出かけるために、食料もほとんど なくなった。 そこで外食をすることにしたのだが、あまり適当な店もないので、 近くのとんかつ屋に行くことにした。 どうせしばらくはまともな日本食を食べるのも難しいと思い、 普段はロースかつ定食を注文するところを、少しだけ贅沢をして ひれかつ定食にした。 娘は豚汁。
日本の私のメイルアドレスをそのまま使って、イスラエルで 日本語のメイルを見るにはどうしたらよいか? 色々考えた結果、日本のアドレス宛に来たメイルをイスラエルの アドレスにforwardし、持参するノートパソコンで吸い上げれば いいのだろうと考えた。 日頃、UNIXしか使っていないので、慣れないWindowsの設定などを 行う。 (ノートパソコン上のLinuxからも吸い上げられるのであろうが、 やり方がよくわからない。) 外国での日本語の扱いに関して良いアドバイスのある方は是非教えて 下さい。
子供用の解熱剤、日焼け止めクリームなどを買う。
出発が迫り、複数の知人や親戚から電話をいただく。
日本はまだかなり寒いが、これでは現地に着いた時に相当 気温差があるだろうから、順応できるかどうか心配だ。
チケット代を支払う。 投稿中の論文の返事がくる。
この日記を読んでくれているお茶大の学生さんからメイルがきて、 彼女もこの夏にイスラエルの来る予定があり、その際には私に 会いたいとのこと。 さらに、「イスラエルでは、がんばって下さい」との励ましの 言葉をいただく。 うーん、とてもとてもうれしい話です。 (私の研究室の学生さん、ちゃんと読んでますか?) 早速、返事のメイルを書く。
夜にはイスラエルから一時帰国中の福井医科大学のお医者さんに 電話して、色々とお話を聞かせていただいた。 夏は相当に乾燥するらしく、定期的に水分補給をしないと、 頭痛がおこるらしい。 恐るべし。
プロバイダーを通じて、妻も電子メイルが使えるようにする。 早速、ホームページ作りにはまっている。
イスラエル滞在の最初の1ヶ月はテルアビブ大学で過ごす。 ここでのホストはAndelmanという物理学者である。 彼と最初に会ったのは1991年の夏であった。 当時、私は東工大に勤めており、東大の教養学部での Andelmanのセミナーに私も参加したのである。 セミナー後に、コピー機で彼が困っているのを助けてあげた だけで、なぜか非常に感謝され、それがきっかけで私が やっていた研究の話をした。 後に彼から論文が送られてきて、その中の手紙には 「ヨーロッパに来る機会があれば、是非イスラエルまで 来て下さい」と書かれていた。 恥ずかしながら、その頃の私はイスラエルがどこにあるか さえきちんと知らなかったし、ましてや中東問題などは ほとんど理解していなかった。 自分とは無関係な、漠然と危険な地域と認識していただけである。 「ありがたいことだが、イスラエルなんてとんでもない」 としか思わなかった。
その後、電子メイルでのやりとりは多少あったが、2回目に 会ったのは1996年9月、ベルリンでのHelfrich先生の 退官記念の研究会においてであった。 この時には久しぶりの再会を喜び、私は恐る恐るイスラエル を訪問する可能性を尋ねてみた。 その時も彼は大変快く引き受けてくれた。 こちらも少しは現実的に考えていたので、「日本ではイスラエルは 危険な国であるというイメージがあるが、どうか?」と聞いてみた。 すると、「それは、私が日本に行って、地震を恐れるのと同じだ」 と言われた。 私はこの言葉を信じて、1997年の春、学振に特定国派遣(短期) の申請を行った。 これに対する正式な採用な決定があったのが1998年4月、 そして1998年12月にイスラエルを訪問する予定であった。 それからの経過は過去に日記を見ていただきたい。
1996年9月以降は、1996年11月の名工大での国際会議、 1997年8月の京大基研でのワークショップ、1999年 2月の名工大での研究会などでAndelmanとは頻繁に会っている。 しかし、いずれも日本。 ようやく私がイスラエルを訪れる番である。
午前中に航空券が届く。 細かい話は省くが、航空運賃がどのように決まっているのか 不思議でならない。 しかし、これで出発がかなり現実的になってきた。
昨晩と今日、明日の3日間、NHKのBS放送で、 Claude Lanzmann監督の「TSAHAL」(イスラエル国防軍)と いうドキュメンタリー映画を放送している。 イスラエル軍の軍人や兵士らへのインタビューを通じて、イスラエル 国家やユダヤ人の本質に迫ろうとするもので、全部で6時間近い大作 であるが、飽きさせない内容である。 26日は1967年の第三次中東戦争(6日戦争)、1973年の 第三次中東戦争(ヨム・キプール戦争)に関わった軍人の話、 27日はパレスチナ自治区を取り締まるイスラエル兵の様子を 中心に描いている。 一人一人の言葉にリアリティがある。 現代の日本人は甘いと思わざるをえない。 さらに、「イスラエル」という国家が存在する時期に私が生きて いることは奇跡的であるとも言える。
自身がユダヤ人である監督は、サルトルとの出会いによって ユダヤ人という存在を積極的に考えるようになり、過去にも 「なぜイスラエルか」や「SHOAH」などの大作を制作してきた。 芸術や学問、文化の分野において、優れたユダヤ人が多いことは、 一般的に認識されていることである。 物理学者とてその例外ではなく、そのために私はイスラエルに 行くことになったのだ。 私が考えるに、これはユダヤ人の先天的なものではなく、民族が 太古の昔から持ち続けてきた意識や精神に由来するはずだ。 今回の訪問で、この秘密に迫りたいと思っている。 そういえば、サルトルの「ユダヤ人」も読んでおくべきだったな。
注文しておいたVAIO PCG-C1Rがようやく届いた。 出発までに間に合って良かった。 バッテリーを外した状態で1kg以下なので、非常に軽い上に、 今まで使っていたB5サイズのSHARP PC-PJ1が巨大に見えてしまう ほどの小ささである。 本機種の目玉(!)である内蔵カメラは専用ボタンもあり極めて簡単 に使用できるようになっている。 静止画はJPGやGIF形式で保存できるので、これからはこの日記にも 写真を入れて絵日記にしようかと思う。 お楽しみに。
逃げていたヘブライ語の勉強を久しぶりにしてみることにした。 しかし、英語のアルファベットに対応するアレフベート(といっても、 アルファベットとは全く違う)もすっかり忘れてしまったようで、 全く読めない状態になっていた。 こんなことではいけない。 おそらく、日本語を勉強する外国人にとって、最初は「わ」と「れ」と 「ね」あたりの区別が難しいと思うのだが、私はこのレベルでまだ苦労 しているのだ。 横文字を右から左に読むのもまだ慣れない。
イスラエル内のホームページにアクセスすると、こちらにはヘブライ語 のフォントがないために、恐ろしい文字化けをしてしまう。
3月12日にSAL便で送った荷物が、もう着いたらしい。 それにしても、ずいぶん速く届いたなあ。
NATO軍がユーゴを空爆しそうな情勢である。 昨年12月の米英軍によるイラク空爆の時のことを思いだし、 やるせない気分になる。
小説「聖書」を読み終える。 民族間の紛争は平和的に解決できなかったことの方が歴史的には 圧倒的に多いのだろう。 旧約聖書は民族紛争の歴史書でもある。
以前の共同研究者に連絡をとろうとして先週メイルを送っていた のだが、しばらく返事がなかったので、出張中かなと思っていた。 すると今日、返事のメイルが来て、なんと先週イスラエルのWeizmann Instituteで開かれた国際会議に参加してきたとのこと。 全然知らなかったので、びっくりした。 早速電話をして、現地の様子について話を聞いた。 彼はタクシーの運転手に料金をぼられたことに文句を言っていた。 英語は話せば通じるらしいが、書いてあるものはやはりヘブライ語 らしい。 イスラエルの緯度は九州とほぼ同じであるが、気候はかなり違うようだ。 イスラエルも現在、春の季節であるが、春は2週間しかない。 その後には長い乾季が訪れる。
振替休日。 以前に紹介した小説「聖書」を読み進める。 ソロモン王の時代も終わり、北王国イスラエルがアッシリア帝国に 占領されるあたりまできた。 出発までに旧約篇はなんとか終わりそうだ。 しかし、イスラエル人とパレスチナ(ペリシテ)人は大昔から 戦争ばかりしているのですね。 今日、簡単に和平合意が進展しないのも、うなずけるような気が する。
噂の地域振興券が支給される。 イスラエルに出発する前に使ってしまわないと無効になってしまう。 そこで、以前から品物を考えておき、ちょうど壊れてしまった 5連奏式CDプレイヤーを新しく注文しておいたのである。 こんなものは、店に急に行って欲しいと思っても無いからである。 (ましてや振興券は飯塚でしか使えない。) 5連奏式に慣れていると、普通のCDプレイヤーのように一枚ずつ CDを交換するのは面倒で仕方がないのである。 近所の公民館で振興券を受け取り、無事に景気回復に貢献する ことができた。 娘のおかげでもらえた振興券なので、新しいCDプレイヤーでたくさん 音楽を聞かせれば良いと妻には言ったが、私の魂胆はしっかり見抜か れていた。
非常に久しぶりにライブに出かけた。 本日のライブは篠栗クリエイトで行われる日野皓正(tp)と 菊地雅章(p)のデュオ。 今回の注目はやはり菊地雅章である。 菊池はGil Evansに才能を認められて、70年代からニューヨーク に移住しているため、日本ではほとんど聞くことができず、 私の中では伝説的なピアニストであった。 彼は60年代初め高柳昌行(g)、金井英人(b)、富樫雅彦(ds)らと 「ジャズアカデミー」を結成し、「銀巴里」にたてこもって「新世紀 音楽研究所」の活動を行った人でもある。
1曲目から菊池は猛烈な唸り声をあげて、凄まじいテンションのアドリブ を展開していった。 ほとんどの人は目がテンになっていた。 汚いものをすべて知り尽くした人間が到達し得る、美の極致を見せつ けられた気がする。 菊池には、Taylor先生にも通じる強靱な精神力を感じた。 全く観客に媚びない所がいいよなあ。 しかし、こんなに恐ろしくすばらしいライブが、なんでたったの 2500円なのでしょう?
午前中は滞在中の院生にMathematicaの講習を受ける。 今までにMathematicaの恩恵は何度となく受けてきたが、 新しい側面を再認識した。
夜は妻が昔在籍した九工大交響楽団を卒業する学生の歓送会 に出席した。 主賓は卒業する2名の学生であるはずなのに、私の子供がやたらと ハッスルして、すっかりその場の雰囲気を独占してしまったのは、 大変申し訳なかった。
娘一歳の誕生日。
急に暖かくなったせいか、花粉症のため朝から非常に調子が悪い。 京大の大学院生との重要な打ち合わせがあるので、集中力が なくてはまずいと思い、鼻炎用の薬を服用したら、強烈に眠くなり、 結局昼寝をせざるをえなくなった。 午後になって起床した大学院生と、その後打ち合わせを行う。 深いコメントをして数多くしてもらい、大変役立った。
夕方から京大の大学院生が九工大を訪問してくれる。 仕事に関する打ち合わせを行う予定。 わざわざ飯塚まで来てくれるのは大変有り難い。 久しぶりに会ったので、夜中遅くまで話し込んだ。 晩には大変疲れた。
SAL便2箱、船便2箱を送り出す。 無事に着いてくれることを祈るだけであるが、あまり深く 考えないことにしよう。 とりあえず、部屋が片づいてすっきりした。
それにしても、ここのところ出費が多い。 送る荷物も1個が1万円以上かかるし、パスポートも1人で 1万5千円する。 子供の予防注射も時期はずれで保険がきかないため、ばかに ならない。 頭が痛い。
午前中は教務委員会に出席。 卒業の季節である。
5月から我々が滞在予定のWeizmann研究所に、すでに別の日本人 研究者が滞在しているらしい。 その方も、福井医科大のお医者さんらしく、奥さんと子供3人の 5人で生活されているとのこと。 そのご家族が3月下旬に一時帰国されるという情報を得たので、 また突撃インタビューをさせていただこうかと思う。 色々な意味で心強い存在である。
船便の支度をすすめる。 無事に到着するかどうかはわからない。 日本食も詰めたので、怪しまれるかもしれない。 税関で漬け物を取り上げられたという話を聞いたことがある。
実は昨年の12月に1ヶ月ほどイスラエルに行く予定であった以前 には、はりきってヘブライ語の勉強をしていたのだが、渡航が延期 になってから、全然やる気を失っている。 今は長期滞在の予定が決まっているわけだから、余計にしっかり やらないといけないのであるが、それがかえって良くないので あろう。
ヘブライ文字は22個しかないし、大文字も小文字もないので、 それだけであればなんとか覚えられるのであるが、筆記されたもの では母音が省略されるので、実際に読むとなると想像を絶するほど 難しいのである。 外国人が漢字を読む難しさと似ているかもしれない。
外国に滞在中には日本の活字が恋しくなることを昔経験している。 何でもよいから日本語が読みたくなるのだ。 そこで近所の本屋で文庫本を数冊入手しておくことにした。 なるべく短編集にしようと思い、結局、筒井康隆、遠藤周作、 星新一、桂文珍らの本を購入した。
無事にパスポートを取得する。 さらに、荷物を二箱SAL便で送り出す。
久しぶりに論文をインターネットでスキャンしていたら、 Phys. Rev. Eで私の過去の論文を引用しているものを見つけた。 どうやら、その人達の計算のある極限が私の過去の計算結果と 一致するらしい。 しかし、彼らがこの論文やろうとしていることは、基本的には 私が過去にやったことで、私はそれも独立に論文にしているのだが、 そちらの方は引用されていない。 無視するはずはないので、知られていないのであろうか?
今日の新聞によると、先日テルアビブでミスコンテンストが 開かれ、アラブ人女性が初めてミス・イスラエルに選ばれた。 イスラエルの人口は約600万人で、アラブ人は約100万人 を占める。 こういうニュースは、内容はともあれ、ほっとさせてくれる ものがある。 ミス・イスラエルのたすきはヘブライ語で書かれている。
先日来の女医さんの話によると、ヨーロッパからイスラエル行き の飛行機に乗る際のチェックは非常に厳しいらしい。 特に他人からもらった中身のわからない物などを持っている場合には、 非常に怪しまれ、厳重に調べられるらしい。 お土産等をきれいに包んでいても、全部びりびりと破られてしまうので、 あらかじめ包装を解いておく方がよいとのこと。 こういう場合に、日本の風呂敷は役に立つ。 ちなみに、私の通った中高等学校では、教科書などの荷物を風呂敷で 運ぶ規則になっていた。 その後、風呂敷は廃止になったらしいが、結構おしゃれだったと思う。
イスラエルにどうやってお金を持参するかで悩んでいる。 先日の女医さんのアドバイスによると、イスラエルで給料を 支給されない場合には、現地で銀行口座を持たない方が得策で あるらしい。 手数料などが馬鹿にならないとのこと。 また、イスラエルの通貨単位は「シェケル」というが、結構 インフレが激しく、ドルの方が安心らしい。 トラベラーズチェックをドルで持参し、後はクレジットカード を使うことにしようと思う。 現金に慣れた生活をしていると、頭を切り換えるのが難しい。
来年度は研究室のメンバーがほとんどばらばらになるので、簡単な お別れ会を近所の料亭で行った。 院生の一人が、「臓器移植のためにすべての人間のクローンを作って おけばよい」などと、怪しげな主張をしていた。 多分、酔っていたのだろう。 そうであってほしい。
昨日の日記で書いた女医さんのアドバイスに従って、 炊飯器を持参することにした。 さすがに日本米やカリフォルニア米は入手できないものの、 イタリア米はスーパーで買えるらしい。 そのため、天神のベスト電器で220Vに対応した炊飯器を 購入した。 やはり日本人はお米を食べなければ力を出せない。
さらに、今日は長年探し続けていたCDをようやく入手した。 これを手にした時は、思わず「おお!」と声を出しそうになった。 私のドラム、音楽、人生のお師匠様である故小津昌彦氏が加わった 今田勝Quartetの「Now」(Three Blind Mice)である。 私は学生時代に7年間小津氏にドラムを師事した。 物理以外で私の価値観や美意識を決定付けた重要人物である。 その小津氏は1997年9月24日に56歳の若さで亡くなった。 残念ながら現在入手できる小津氏の録音は数少なく、これはその うちの一枚である。 1970年、小津氏29歳の時の貴重な演奏が聴ける。 以前にも日記で書いたが、天才は最初から天才であった。 小津氏の葬式で、出棺前の最後の対面の時に、宮沢昭が小津氏に 話しかけるようにテナーを吹いていた場面が鮮やかに蘇ってきた。
イスラエルでは大部分の時間をWeizmann Institute of Science で過ごす予定である。 研究所でアパートの世話をしてくれる人と連絡をとったら、最近 Weizmann Instituteから日本に帰国したばかりの日本人研究者 の連絡先を教えていただいた。 福井医科大の産婦人科の女医さんであった。 イスラエルでの生活に関する情報はほとんど無かったので、 ためらうことなく電話で突撃インタビューをさせていただいた。 結構長い時間、こちらが矢継ぎ早に質問したにもかかわらず、 非常に丁寧かつ適切に答えて下さり、大変有用な情報を得ること ができた。 本当にどうもありがとうございます。 幾つか面白いねたが入ったので、追々紹介します。
学生の卒業論文が一段落したので、パソコンのOSを入れ替えて みることにした。 これまではすべてのパソコンをSlackware+PJEの組み合わせ にしていたが、今回は噂のVine Linuxを使ってみた。 結果的にはインストールがあまりにも簡単に終了したので びっくりした。 (ちなみにFTP経由でインストールしました。) 今までたいていネットワークかXで苦労させられていたのが 嘘のようである。 やはりこの世界は正しい方向に向かっており、極めて健全だ。 そう言えば、先日も朝日新聞の「ひと」の欄で、日本で Linuxを売っている(?)人が紹介されていましたね。
来年度は卒研生を受け入れないが、大学院入試もあるので、 3年生向けの研究室紹介に参加した。 与えられた時間は10分。 まともにやってはつまらないと思い、まずホームページにも 載せている実物のラバランプを教卓の上にのせて、ラバが動く 様子を見てもらった。 相分離のデモンストレーション。 それから、紙おむつを解体し、大量の水を注ぎ、ゲルを作って みせた。 大量に水を吸収することを示そうとするあまり、水を注ぎ過ぎて ゲルとはいえない状態になってしまったのは失敗であった。
情報公開度の県別のランキングが発表されていた。 それ自体はどうでもよいのだが、この日記を書き始めてから 痛切に感じていることがある。 それは、公開するとなると、ほとんどの事は日記に書けない ということである。 物事に対する確固たる考え方や自信が私に無いからでもあり、 公務員という制約から抜け出せないからでもあろう。 しかし、これでは本当に面白いものは表現できない。 真剣に悩んでいる。
事務的に非常に忙しい日であった。 若干の旅行日程の変更のために、朝から事務や旅行会社と電話で 連絡をとり続ける。 その後、国際運転免許証を取得し、パスポートの申請を行う。
2月にエルサレムで日本とイスラエルの間の航空協定締結交渉が もたれ、将来、関西空港・テルアビブ間の直行便が運航される可能性 があることを知る。 さっそく、エルアル・イスラエル航空に電話をかけてみるが、具体的 には何も決まっていないとのこと。 今回の渡航では使えそうにないので、ヨーロッパ経由で行くしかない。
卒業論文発表会。
さて、このつまらない日記を辛抱強く読んでくれている方々に 待ちに待ったお知らせがあります。 改めてイスラエルに行く予定がようやく決まり、いよいよ来月の 4月3日に出国することになりました。 さらに、今回は全部で1年弱の長期滞在の計画です。 再びこの日記を続けていく意欲がわいてきました。 読み続けてくれている人がいなかったら、とてもこれまで続かなかった でしょう。 ここで深くお礼を申し上げます。