イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」を流し読みながらほぼ 読み終える。 以前にも述べたように、この本の実際の著者は山本七平という日本人 である。 この人は相当な博識で、少々ついていけない所もあったが、なるほど と思う部分もあった。
旧約聖書に「ミカ書」という部分があり、ミカという人は預言者の一人 であったらしい。 (預言者とは神の言葉を預かって言う人であり、占い師ではない。) 彼は、神の律法に絶対的に従うこと自体が、神を信じないことになるという 一種の弁証法を述べていたらしい。 従って、当時の裁判では全員一致の審決は無効とされたそうである。 直接に対応することかどうかわからないが、1月27日の日記を書いた 時の直感的な不信感はまさにこのようなものであった。 この本によると、マルクスもアインシュタインも発想の基底が このような思想と同じらしいが、そうなのでしょうか? このあたりは真面目に考える価値があると思う。
この本に対抗する本として浅見定雄という人の「にせユダヤ人と日本人」 という本があるらしい。 こちらも入手して目を通してみたい。
やはり、イスラエルに関する話題だけで日記を書くのは無理である。 無理矢理そうしようとすると、日記自体がつまらなくなってしまう。 (以上は、以下の内容に対する言い訳である。)
"LD+3/Lou Donaldson with the 3 Sounds" (Blue Note 4012)を購入。 以前から狙っていた一枚。 どんなに沈んだ気分の時でも、これを聞けば気分爽快の底抜けに明るい 演奏である。 Lou Donaldsonのアルトの音色が非常に乾いている。 ホームランではないが、クリーンヒットの連発という感じ。 しかし、当時(1959年録音)売り出し中だった3 SoundsのGene Harris (p)は、まだまだお上品ですね。 個人的には、Ray Brownに引っ張り出されてからの、限りなく下品を追求した 風格のある演奏が好きである。 腐る一歩手前の完熟の果物のような味わいがある。
定期購読している雑誌で、目を引いた記事が二つあった。
一つは、Physics Todayの1998年12月号の"Simple Ordering in Comlex Fluids"。 コロイド分散系に関する最新のレビューで、表紙もきれいなカラー 写真で飾られている。 著者の一人のRusselはコロイドの教科書でも有名であり、昨年の東和 大学の国際会議にも招待されていた。 純粋に物理の出身の人ではないと想像しているが、物理的な視点がしっ かりしている。
もう一つは、Linux Japanの3月号の中の記事で、Vaio PCG-C1にLinuxを インストールする方法を扱ったものである。 これだけでは、それほど驚くことではないのであるが、書いている人が なんと現役高校生。 この人、センスがありますね。 それから、このマシンも気になります。
東海駅に置き忘れた貴重品が手元に戻ってきた。 物性研の人(東海在住)がわざわざ駅まで取りにいってくれて、私の ところまで送り返してくれたのだ。 その他にも、忘れ物を拾って届けていただいた方、JR東海駅の方々、 ANAの旅客課の方に深くお礼を申し上げます。
さらに京大の大学院生が作ってくれた、日記のアクセス統計をとる スクリプトが動くようになった。 これも、深く感謝いたします。
昨日から読み始めたイザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」 からの引用。 「日本人は、安全と水は無料で手に入ると思いこんでいる」 確かに、外国に行くと水に対して神経質になる。 もっとも、福岡市も水不足のために、これ以上の大きな発展は 望めないという話を聞いたこともあるが、、、、
しばらくイスラエルとは関係のない話題が続いてしまった。 東海村への出張の道中で、三浦綾子の「旧約聖書入門」を読み終えた。 正直なところ、私には信仰というものが大変恐ろしく感じられた。 例えば、ヨブ記に関する解説の中から一部を引用すると、
「全くの話、すべては神が与えてくださるとすれば、すべては善いこと なのだ。 神は悪いことはなさらないお方なのだから。それが、人の目にはどのように 見えようと、神のなさることはすばらしいはずなのだ」
とあるが、これは人間として何か重要なことを放棄しているのではないか? こんな事を言っていると、いずれひどい目に会うかもしれない。 そのうち、研究者でありかつ敬虔な信者であるような人とじっくり話をして みたいものだ。
ある人から聞いた話によると、Windowsがプリインストールされたマシンを購入 した時に、Linux等の他のOSを使う場合は、Windowsは不要のためその分返金し て貰えるらしい。実際にオーストラリアのユーザが返金して貰ったようで、 運動として盛り上がりつつあるとのこと。 ここの研究室では10万円位戻ってくるのかしら?
自分でもあきれるほどの、失敗の連続である。 浜松町の駅で顔面蒼白になって自分の荷物を調べている時に、どうやら洗面道具 一式を入れた小袋をその辺りに置き忘れたらしい。 家で探してもないのです。 これはさすがに出てこないでしょう。 それにしても、東海村から飯塚までの間で実に様々なものを落してきたわけだ。 これだけ落せば荷物が軽くなって気付いてもよさそうなものだが、、、、 でも、東海駅で買った「干しいも」だけはしっかり持って帰りました。
研究会は無事お昼過ぎに終了。 再び常磐線で東京に戻る。 ここまでは良かったのであるが、この後が大変であった。 浜松町でモノレールに乗る前に、飛行機の出発時刻を確認 しようとしたら、なんと、チケットはもとより、身分証明書、 キャッシュカード、クレジットカード、現金等をいれた小袋が ないことが判明。 しばし、顔面蒼白。 とりあえず、中性子散乱施設に電話をしても、忘れ物は特にないとの ことで、絶望的な状態になる。 仕方なく、浜松町の全日空のカウンターに行き、事情を説明する。 すると、なんとJR東海駅から全日空に落とし物の連絡が既にきていた。 なんと有り難く、かつ気の利いた話でしょう。 昨日の日記を訂正したいくらいです。 とりあえず一安心するが、自分の身分を証明するものが何もないので、 代わりのチケットを出してもらうまでに手間取った。 最終的には、中性子散乱施設に宿泊した時の領収書でなんとか対応して もらった。 この領収書には文部事務次官の印鑑が押してあったのです。 これは効きました。 ようやく、予定通り6時発の飛行機に乗ることができたが、9時過ぎ に自宅に到着した時点では、くたくたになってしまった。 運がいいのか悪いのか、よくわからない。
朝9時半発の「スーパーひたち」に乗り、東海村を目指す。 JR東海駅は駅の規模に比べて、その建物が非常に立派な事に驚く。 タクシーで研究会の会場である東大物性研の中性子散乱施設に 到着。 昼食は車で外へ連れて行ってもらったが、途中で原子力研究所や 旧動燃、さらにオウムの林医師が勤めていた病院等を教えてもらった。 地域的にはかなりの田舎であるが、お金は相当たくさん降りている そうだ。
午後から研究会。ゆっくりと人の話を聞くのは久しぶりである。 大変、有意義であった。 やはり、ナイトセッションが一番盛り上がり、就寝は午前3時なって しまった。
車で直接福岡空港に行き、11時発の飛行機に乗る。 羽田から茗荷谷に向い、再びお茶大の某研究室を訪問する。 明日からの東海村での研究会に参加する予定の人が一人すでに 来ていて、某先生と議論をしていた。 その人は京都から「生八つ橋」をおみやげとして持参していたが、 私は完全に手ブラで、肩身の狭い思いをした。 しかし、「生八つ橋」はしっかりといただいた。
夕食はイタリア料理店に行き、晩は上野駅前のホテルに宿泊。 窓の目の前を、首都高速が走っているのは大変不快であったが、 東京にいることを改めて実感した。
久しぶりにReview of Modern Physicsの索引をWeb上で眺めていたら、 M. E. Fisherの繰り込み群とT. W. Wittenの高分子溶液のレビュー を見つけた。早速ダウンロードしようとしたら、permissionがない、 と言われる。 大学全体でサイトライセンスがあるはずなので、図書館に問い合わせて みた。 よくわからないが、北九州市の工学部では見えるが、飯塚市の情報工学部 では見えないとのこと。 困りました。
明日から東海村の原研に出張。
この日記を読んでくれている人の中には、私が聖書に関する本ばかり とりあげるので、気味悪く思っている人もいるかもしれない。 一応説明しておくと、そもそも私は信仰をもたない人間であり、また 信仰を求めて聖書にまつわる本を読んでいるのではない。 最近、イスラエルの事を理解するためには、聖書の内容を知らないと いけないと痛切に感じているからである。 特に、旧約聖書はユダヤ民族の歴史書という側面があり、非常に重要である。 ユダヤ教の信者にとって聖書とは旧約聖書のことであり、「旧約」や 「新約」と分けること自体がキリスト教的な発想である。
ところで、あの黄色い眼鏡で有名な物理学者、竹内均が聖書オタクで あることを最近知った。 なんと「旧約聖書の秘められた真実」(同文書院)という本まで出して いる。 地球物理学的な見地で、旧約聖書を検証するというユニークな書である。 これについては、いずれまた読んでから触れることにしましょう。
以前に買ってあった、三浦綾子の「旧約聖書入門」を読み始める。 この人は、筋金入りのキリスト教信者なので、文章は読みやすいが、 当然ながら思い入れが非常に強いので、内容的に受け入れがたい 部分が多々ある。 例えば、バベルの塔の話から世界中の言語が分かれたことを解説 している部分では、この人は、「世界は一つの言葉を使うべき」 と述べているが、ほんとうにそうであろうか? さらに、もしそうであれば「世界中で外国語を勉強しなくてもすみ、 進学も楽になるだろう」などと、的はずれなことを書いている。 多様な言語が多様な文化や価値観を生んだはずで、私はそれでよかったと 思う。
2月の上旬に名工大で行われるワークショップのプログラムを 作成した。 このワークショップにはイスラエルでのホストも参加する予定 である。 結局、こちらがイスラエルに行く前に、ホストの方が先に日本に 来てしまうことになる。
今日、イスラムのラマダン(断食月)が明けた。 これからしばらくの間、イラク情勢に注目しなければいけない。
正月に読み始めた、阿刀田高の「新約聖書を知っていますか」を読み 終えた。 当然、この作家は「旧約聖書を知っていますか」という本も 書いており、これで2冊とも読破したことになる。 この作家は信仰をもたない人であり、聖書を客観的な立場で捉えて いるので、私には大変読みやすかった。
近所の本屋で、以前から探していた、イザヤ・ベンダサンの 「日本人とユダヤ人」(角川文庫)を見つけたので、すぐに購入した。 この本は約30年前に出版されベストセラーとなったものであるが、 実際には山本七平という人が書いたとされる。 (本人は平成3年に亡くなるまで、それを認めなかったらしい。) もともと、私は山本七平という人を本多勝一の論争相手として認識し、 バリバリの右翼だと思っていたが、そう単純でもなさそうだ。 本の内容についてはいろいろと批判もあるが、とりあえず楽しみである。
昨日の続き。 1950年前後が戦後の日本の混乱期であることを考えれば、 この「生きる」という映画は非常によくできていると思った。 決して古さを感じさせない内容であり、構成のうまさが目をひいた。 市役所の市民課の課長が、自分が胃ガンであることを知り、 様々な精神的な葛藤を乗り越えた後、通常の市役所の体制では とうてい動かないような仕事を成し遂げるというのが内容の あらまし。
Stan Getzの同じく1952年の"Stan Getz Plays"を購入。 ジャケットと内容がともに良い典型例。 常々思うのですが、Getzにしろ黒澤にしろ、天才というのは 最初から天才ですね。
イスラエルのホストが私の滞在費の小切手で大変な苦労をしている ことは、以前この日記で触れた。 このホストは、イスラエル政府の事務がうまく動かないことを説明 するメイルで、黒澤明の1952年の映画「生きる」を引用していた。 恥ずかしながら、私は黒澤映画をほとんど見たことがなかったのと、 なぜかこの「生きる」という映画が非常に気になったので、近所のレンタル ビデオ屋で借りてきた。 子供が生まれて以来、およそビデオなど見る時間などなかった。 子供を寝かしつけて、実際に映画を見たのは夜中の12時を過ぎていたので、 内容については明日の日記に書きましょう。
全く関係のない話であるが、私は大学生の頃、根本敬の「生きる」という シュールな漫画を好んで読んでいたが、覚えている方いらっしゃいますか?
テルアビブでは、家具付きのアパートを借りる予定であった。 そこの大家さんは電子メイルを使っているのだが、いつも対応が 非常に速いので驚く。 常にメイルをチェックしているのではないかと思われる。 今回の渡航延期では大変迷惑をかけた。 それにもかかわらず、「今度来る時には空港まで迎えに行ってやる」 というような返事があり、非常に友好的である。 イスラエルの人は人なつっこい、というイメージができつつある。
今後いつイスラエルに行くことになるかわからないので、妻と 9ヶ月の娘のパスポートの申請に行った。 最近は、乳児のパスポートも独立に作らないといけない。 一丁前である。
さらに郵便局で、使えなくなった年賀状100枚を普通はがき90枚と 交換してもらった。 その時、局員の人に「あと2日待てば、お年玉付き年賀状の抽選が ありますよ」と言われたが、いちいち当たっているかどうかチェック する気分ではないので、即座に「結構です」と答えた。
先日も触れた高村外務大臣はイスラエルを訪問して、ネタニアフ首相 と会談をしたそうだ。 高村外務大臣がヨルダン川西岸からの追加撤退を求めたのに対して、 ネタニアフ首相はパレスチナ側が合意義務を果たしていないとして 消極的な姿勢を示したらしい。 蛙の面に水ですね、これは。
1993年の9月の「パレスチナ暫定自治協定」の調印では北欧の 小国ノルウェーが重要な役割を果たした。 日本もこういう形で貢献して欲しい。 この暫定自治協定が今年の4月で終わり、イスラエルでも5月に総選挙 が行われる。 非常に不透明な今後である。
ようやく九州に戻れる状態になった。 私は飛行機に乗るのが嫌いであるが、家族と一緒であると さほど苦にならない。 自分だけ事故に会うのがいやだ、という身勝手な心理が無意識の うちにはたらいているのであろう。
私は環境が変わると寝付きが悪くなるので、渡航予定の前に 医者から誘眠剤を処方してもらっておいた。 今回の伝言ダイアルを使った事件で、私がもらった 「ハルシオン」という薬が使われていたことを知って驚いた。 この薬、確かに効きます。 そう言えば、医者が「アルコールと併用すると幻覚が出る」と 注意していた。 この薬はインターネット上で、結構高価で売買されているのですね。
イスラエルのホストの話によると、私が12月に受け取るべき 滞在費の小切手を、彼はすでに受け取ってしまったそうで、 その扱いに大変困っているらしい。 この滞在費はイスラエル政府から支給されたものであるが、 使用期限があるそうで、しかも98年の予算から出ているので、 非常にややこしいことになっているのだ。 イスラエルの事務は"chaotic"らしい。 そろそろ次の計画を考え始めなければいかない。
九州の飯塚に年賀状を送っていただいた皆様、どうもありがとう ございます。ここのところ次々と東京に転送されてきています。 結局、今年は未だに年賀状を出すことができない状態です。 大変申し訳ありません。 以前の日記にも書いたように、印刷していた文章が事実と全く 異なることになってしまったので、九州に戻ってからすべてやり 直す予定です。
高村外務大臣は予定通り中東諸国を訪問するするらしいが、まさか これにあわせて外務省は中東の危険情報を解除したのではないでしょうね。 少しタイミングが良すぎるような気がするのですが、、、
ようやく娘と付き添いの妻が退院できることになった。 妻の話によると、同室の6人の子供とその親達もすべてインフルエンザに かかり、病院の点滴や氷枕が足りなくなったそうである。 恐るべし、今年のインフルエンザ。
学振から電話があり、イスラエルの危険度が1に軽減されたため、 改めて渡航計画を考えなさいとのこと。 実は昨年の12月28日付けで、イスラエルの危険度が1になった ことは知っていたのですが、インフルエンザでそれどころでは なかったのです。 日本の年末年始に救われた気がします。
体調はかなり回復したが、仕事をする気まではおこらない。 仕方なく、阿刀田高の「新約聖書を知っていますか」という 軽いエッセイを読み始める。 聖書(特に旧約聖書)については、これからもたびたび触れる ことになるでしょう。
今日も一日中寝て過ごす。 ひたすら、病院からの連絡を待つ。
一日中寝て過ごす。 まだまだ本調子ではない。 入院中の妻子が大変気がかりである。
とりあえず、私は退院できることになった。 しかし、娘に付き添っている妻も発熱してしまう。 私が代わって娘の付き添いをするつもりであるが、 周囲の説得もあり、帰宅することに。 後ろ髪をひかれる思いである。
しかし、一体どうしてこうも大きくストーリーが変わって しまったのであろうか? 私の体調がやや落ち着きを取り戻したのも束の間、今度は 9ヶ月の娘が39度台の熱を出し、私と同じ病院に入院する ことになる。 当然、妻も24時間の付き添いをしなければいけない。 とうとう家族全員が入院したまま、年を越すことになってしまった。
この日は父親が見舞いに来てくれた。 今回の件では、両親にもかなり心配をかけており、申し訳ない。 晩には睡眠薬をもらってようやく熟睡する。 実は、高熱のため入院してから夜間に一睡もしていないのだ。
体温が下がらないまま、危険な状態になってきたので、 再び生まれて初めて「座薬」なるものを「うった」。 滝のような汗を5回ほどかいて、体温はようやく急降下。 37度台になったのが午前4時。
当たりまえだが、病院の生活は規則正しい。 6時起床、8時朝食、12時昼食、18時夕食、21時消灯 である。 起きている時間の半分は点滴をしているのがつらい。 昼間の体温は37度台で推移していたが、夜中に再び39度台 に突入し、二度目の「座薬」。
朝、目が覚めると明らかに熱が上がっている。 体温を測ってみると、38度3分。 非常にまずい。 仕方なく病院に行き、解熱剤をもらう。
午後になっても悪寒はひどくなる一方で、体温はなんと 39度3分! 39度台は、生まれて初めての経験です。 このままでは意識がなくなると思い、今度は総合病院に タクシーで連れて行ってもらう。 その時に病院で待たされた一時間は、その何倍にも感じられた。 結局、インフルエンザと診断され、注射と点滴を受ける。 いろいろ考えた末に、これもまた生まれて初めて「入院」 をすることになった。 その晩は、とうとう40度1分まで上昇。
うーん、典型的な風邪です。 熱は37度5分。 早く直したいので、風邪薬を飲んで一日寝て過ごす。
この一週間、心労が重なった上に、少々気合いが抜けたのか、 風邪でダウン。 この後、次々と恐ろしいことが起きたのだが、この時点ではそこまで 予想できなかった。
危険度は相変わらず3のまま。
午後からは再びお茶大に行く。 夕食時に、某助教授が「お茶大の学生は、必ず小中学校で学級委員 をやったことがある」という説を主張されていた。
今日はクリスマスイブですが、イスラエルにクリスマスはない そうです。(基本的にユダヤ教の国だから。)
今日も外務省に電話して、イスラエルの危険度が3のままである ことを確認。 さらに、「年内は変わらないでしょう」と言われる。 あす25日が当面のタイムリミットである。
実は、正月に私がイスラエルに滞在中であると、すでに年賀状に 印刷してしまった。これは先週の出発前に準備したためである。 どうやってこれを修正するか、ぼちぼち考え始めなければ、、、
外出の帰りにクリスマスケーキを買う行列を見かけた。 今までは深く考えたこともなかったが、今日はなんとなくこういう人々 が軽々しく思えた。 やはり心がすさんでいるのだろうか?
テルアビブ在住のホストにとって、今回の日本政府の対応は理解 できないようだ。 実際、彼らの日常生活には何も変化がないらしい。 万が一、今週中に危険度3が解除されれば、来週に出国する可能性が ごくわずかでも残されているため、非常に落ち着かない。 当然、来週中の出国が中止になった場合の延期の案も考えないといけない。 これは、明らかなパニック状態である。
あまりに忙しくて、しばらく日記を更新する暇がありませんでした。 その間、二名の方からわざわざ励ましのメイルをいただきました。 イスラエルねたがなければ、子育て日記にしてはというご意見も ありましたが、これはちょっと恥ずかしいです。 いずれにせよ、この場をかりてお礼を申し上げます。
午前中に外務省に電話して、どのような状況ででイスラエル危険度3が 解除されるかを問いただす。 アメリカが攻撃を終了したという事実だけでは不十分で、アメリカとイラク の間の関係がなんらかの意味で改善されなければいけないそうだ。 しかし、イラクは査察の拒否を発表するし、この先いったいどうなるので しょう? 外務省はラマダン後のアメリカの再攻撃を想定しているようだ。
イスラエル滞在中のホストとなるはずの某教授から午前中にいきなり メイルが来ていて、たとえ予定していた日に来ることができなくても、 一週間以内の遅れで来て欲しい、とのこと。 パスポートは福岡に残したままだし、ここにきて再び非常に困難な 状況になってきた。 いろいろ考えた末に、危険度3であっても自分の危険をおかす覚悟で イスラエルに行くことを学振に相談してみるが、「その場合はチケット代を 払いません」と言われる。 ホストになぜ出国できないかという理由を延々と書いたメイルを 送る。
午後からは、お茶大を訪問して、界面活性剤系の実験の話を聞かせて もらう。
とりあえず、イラクへの空爆は終わったようだ。 この間、イラクはほとんど反撃しなかったようだが、これが非常に 不気味である。 イラク側はこれをもって、完全に勝利したと主張しているが、 客観的には確かにどちらが勝ったとも言い難い。 今日はもともと家族で東京に移動する予定の日であったため、 イスラエルに出発するあてのないまま上京した。 登った梯子をいきなりはずされたようで、思考能力はほとんどない。
今日は虚脱状態です。やはり、知らず知らずのうちに、出発に向けて 緊張が高まっていたのでしょう。 それにしても、この日記を読んでくれていた人にとっては、一気に つまらなくなってしまったと思います。 しかし、イスラエル渡航は「延期」になっただけで、将来もう一度 予定を設定し直すことを考えています。 それまでは、細々と「日本で仕入れたイスラエルねた」(?)でも 書いていこうかと思います。(これは、そもそも無理かもしれない。) もう一度、盛り上がるまで続くとよいのですが、、、
イラクへの攻撃は相変わらず続いているし、 私がつけた「滞在日記」というタイトル自体、非常に怪しくなってきた。 今日の夕方までには、はっきりするでしょう。
15時に学振から電話があり、予想通り「渡航を延期して下さい」とのこと。 これほどのドタキャンは初めての経験と言えるであろう。 その後、あちこちに電話をかけたり、メイルを送ったりで、すっかり 疲れてしまいました。 安堵と失望が半々の変な気分です。
この日記も、始めてからわずか3日目で、企画倒れになってしまいそうです。 今のところ何もいい案がないのですが、せっかく始めたばかりなので、 とりあえずタイトルから「滞在」の言葉を省いて、もう少し続けてみようか と思います。 しかし、「不安なイスラエル日記」ではイスラエルが不安なのか、不安な 日記なのかわかりませんね。 これも改めて考えましょう。
日記を書き始めたその日から、いきなりとんでもないことになって しまった。 アメリカとイギリスが、イラクへの軍事攻撃を開始してしまったのである。 このまま戦争に突入すると、イスラエルがイラクの攻撃対象になる かもしれない。 実際、1991年の湾岸戦争の時には、イラクからイスラエルのテルアビブに ミサイルが撃ち込まれた。 今日の日記では、私がイスラエルに行く理由を書こうと思っていたが、 とてもそんな心境ではない。 まさに、「不安なイスラエル滞在日記」になってしまったが、もしかしたら 日記を読んでくれる人には、少しは面白くなったかもしれない。
今日のこれからのポイントは、外務省が発出する 「 海外危険情報」において イスラエルがどのランクになるか、ということである。 ランクは5段階あり、イラクはここのところずっと5(退避勧告)。 イスラエルは11月12日に3(渡航延期勧告)となったが、20日には解除 されていた。 3以上であれば、渡航は自動的に延期になってしまう。 前回は攻撃するかもしれないという段階で3だったので、今回は それを確実に上回ると予想している。 私の「不安」は、早くもピークをむかえようとしている。
16時を過ぎた段階で、やはりイスラエルに危険度3が発出されてしまった。 (予想よりも低かった。) 今回は、日本学術振興会(学振)のサポートによる海外渡航であったが、 間もなく学振から、延期せよとの連絡が来るであろう。
はっきり言って、私は「不安」です。 私は来週の12月22日からイスラエルに行き、約一ヵ月 滞在する予定なのです。 果して無事に帰って来ることができるのでしょうか? あまりに不安なので、日記を書いて公開することにしました。 そうすることで、日記を読んでくれる人達と少しは不安を共有 できるかもしれない、となんとなく考えたのです。 ただし、読んで面白い日記を書く自信はありません。 また、イスラエルで日本語が書けるのかどうかもわかりません。 (一応、ノートパソコンは持っていきます。) どうしてイスラエルに行くのかは、出発までに少しづつ書きます。 あまり一度にたくさん書くと、長続きしそうにないので、、、