久しぶりに福岡市内でCDを物色する。 Charles LloydとPeter Erskineの新譜がECMから出ていて驚く。 大変迂闊でした。 即購入。 この人達は「先生」ではないが、何をやっていただいても 結構な方々である。 ありがたい、ありがたい。 私はどこまでもついてゆきます。 内容についてはまた後日書きましょう。
「朝まで生テレビ」をつい見てしまう。 (生ではなかったようだが) 再び都知事選候補予定者が集まっての討論会であった。 相変わらず、皆同じようなことを述べていてつまらなかった。 しかし、同じく立候補を表明しているドクター中松は番組の 最初にビデオで出演しただけであったが、なかなかすごかった。 なんと、関東地方の地震を予知するという公約を掲げていた。 なんでも、阪神大震災もその一週間前に予知していたとのこと。 フロッピーディスクの発明者でもあるドクター中松は非常に きわどい。
来福中の親戚と豪華な夕食をいただく。 ふぐちりなんぞ食べたのはいつ以来であろうか? しかし、子供がみそ汁をこぼして、私のズボンをびしょびしょ にしたのには閉口した。
十戒の続き。
「2.偶像を作って神としてはならない」
以前に日記で触れた「失われたイスラエルの十部族」の人々が アッシリアに捕囚となったのは、彼らが偶像神を信じて多神教的 になったため、唯一神の裁きを受けたからとされている。 日本神道は多神教であるし、一方で仏像なども見なれているので、 このあたりはあまりピンとこないですね。
ねたの無い日は十戒の内容でも順番に書くことにしよう。
「1.私はあなたたちの神、唯一にして、全能の神である。 あなたたちは、私以外のどんなものも神としてはならない」
イスラエルの神は結構嫉妬深い。 他の神を信じてもよいとなると、そもそも宗教として成り立た ないのかも知れないが、そのあたりも神なればこそ寛大であっても 良さそうな気がする。 しかし、神の啓示を受けてからのモーゼ(チャールトン・ヘストン) はなんだか恐いです。 一種のマインドコントロールですものね。
出エジプトを果たしたイスラエル民族は、モーゼがシナイ山に 登ったまま何日も帰ってこない間に、すっかり堕落して神への 絶対的信仰心を忘れてしまう。 やがてモーゼは十戒を中心とする神の律法を受け取り、それらは 2枚の石板に刻まれる。
「十戒」のインパクトが非常に強く残っており、頭の中が 「モーゼ」だの「シナイ山」だの「過ぎ越し」だので一杯。 これは明らかに異常だ。
まずは、あらすじを書いておこう。これも解説からの引用。 「エジプトの王子として育ったユダヤの子モーゼは、 実の王子ラメスと後継者争いをするも、出生の秘密を知らされて 追放され、奴隷の仲間に身を投じる。 だが、モーゼはシナイ山で神の声を聞き、奴隷解放をめざして 再びエジプトに。 そして迫害にもめげずイスラエルの人々を引き連れ、エジプト からの脱出を図った」 いわゆる「出エジプト」を描いた作品である。
恥ずかしい話ではあるが、少し前までは「過ぎ越し」をなんとなく 「引っ越し」と読んでいた。
この週末に、以前から見たいと思っていた、セシル・デミル監督の 超大作「十戒」(1956)のビデオを借りることができた。 手元にある解説文から引用すると、「8年の歳月と1350万ドル の制作費で作られた旧約聖書の世界を描く世界映画史上最大の スペクタクル大作」とのこと。 なんだか、とにかくものすごいのである。 全部で3時間40分なので、2日に分けて見た。 最近、イスラエルねたが無くて困っていたので、当分これで つなげそうだ。
昨年にNHKの趣味悠々で放送された「山下洋輔のジャズ の掟」のテキストが単行本化されていたので、さっそく購入した。 その時つい買う機会を逃してしまい、放送が終了すると書店には なくなってしまった。 私はこの番組をすべて見たわけではないが、非常に良く作られて いたと思う。 本をパラパラとめくっていて目についた「合い言葉」は 「ジャズマンは真っ当が嫌い」。
筑紫哲也の「ニュース23」で、東京都知事候補予定者が 一同に会して議論をしていた。 誰かが何かを言うと、多くの場合、別の人も「私も同じ意見で」 などと安易に追従するので、さっぱり面白くなかった。 あと鳩山邦夫と舛添要一が、他の人がしゃべっている間に、 やたらと二人だけでニヤニヤしているのが気になった。 それよりも、街頭でインタビューされていた若い女性が、 「野末陳平という名前の響きが面白いから投票する」と 言っていたのには笑った。 確かにこの名前はユニークだ。
一日中、論文書き。 論文を書くことは何度やってもしんどい。
ある会議に1時間ほど時間を間違えて(遅れて)出席し、その後5分で 終わってしまったので、間抜けな状態になる。
Olmsted, HamleyのABブロック・BCブロックの混合系の論文を 見つける。 ある学問分野が組み合わせの段階に入ると、もう終わりかなとも 思うが、5次のLifshitz pointなぞを考えてくるところはさすが です。
私は聖書に出てくるいわゆる善玉は、当然清く正しく心の美しい人で あると勝手に想像していたのであるが、結構、人をだましたり、私利 私欲をむさぼったりするので、人間的で面白い。 例えばヤコブは目の見えない晩年の父親イサクをだまして(このだまし 方は思わずつっこみたくなるほどの傑作)、本来兄のエサウが受けるべき 祝福を横取りしてしまう。 母親のリベカがそそのかしたとはいえ、その後ヤコブがイスラエルと 改名し、イスラエル民族の祖先となることを考えると、これは結構 責任重大なのではないかと思ってしまう。 もっとも、ヤコブはその後に伯父のラバンにひどい目にあうので (このだまされ方も笑えるが日記では書けない)、許してあげても いいのかもしれない。 私は毛深くて母親に愛されなかった兄のエサウの顛末が気になった。 この人、味があります。
福岡Blue Noteで予定されていたMichel Petrucciani Trioのライブ が中止になったことを知る。 なんと、Petruccianiが亡くなったとのこと。 36歳であった。 先天性の骨疾患により生まれながれにして重度の身体障害を持って いたため、長生きは難しいと思っていたが、非常にショックである。 もちろん障害など全く感じさせない硬質で繊細なピアニストであった。 私にとってPetruccianiが重要なのは、彼がCharles Lloydに再びジャズ をやらせる気にした事である。 彼は昔、FocusかFridayで取り上げられた事があるが、その扱い方が 私にはとても不快であった。 ご冥福を祈る。
以前から楽しみにしていた、ウォルター・ワンゲリン著の 小説「聖書」(旧約編)を読み始める。 この本はお茶大の某助教授から教えてもらったもので、早速入手 していたのであるが、かなり分厚い本でつい読むのが後回しになって いた。 注意してみていると、どこの書店でも平積みで置いてあるので、 結構売れているのかもしれない。 これまでに、いくつかの聖書の入門本に目を通していたので、スムーズ に読み始めることができた。
夕方に近所のCD屋に立ち寄ってみた。 Shepp先生の新譜が出ていた。 結局CDは買わなかったのだが、Shepp先生について一言。
ジャズマンで私が勝手に「先生」と呼んでいる人が2人いる。 1人はピアノのCecil Taylor先生で、もう1人はサックスの Archie Shepp先生です。 この方々は「先生」なので、何をなさろうと絶対的に良いのです。 私の友人はShepp先生の音色を「内蔵を口から絞り出す音」と形容して いる。 6,7年前に、原宿のKeystone Cornerというライブハウスで Shepp先生にお会いした時に、「来年またここでライブをやる」 とおっしゃっていましたが、その後来日したという話は聞かないし、 Keystone Cornerもつぶれてしまった。 これだから、ジャズはやめられませんわ。
私の書いた書評が物理学会誌の2月号に掲載された。 今改めて読んでみると、少し本の内容以外の事を書きすぎたかも しれない。
私は日本史や世界史が身についていないので、特に外国人に日本の過去 のことを聞かれてもわからないことが多く、よく恥ずかしい思いをする。 共通一次試験では世界史で受験したにもかかわらず、丸暗記に終始した ため、生きた知識となっていないのである。 (やたらに変な語呂合わせでひたすら年号を記憶していた。)
先日触れたイスラエルの電子顕微鏡の専門家は、今日、京都を観光して いるはずである。 「建国記念日」とは何か、と聞かれてまともに答えられなかったのは、 大変恥ずかしかった。
本日は紀元節。 1872年、神武天皇即位の日を設定して祝日としたもの。 戦後廃止されたが、1966年に「建国記念の日」という名で復活し、 翌年より実施された。
イスラエルのホストは昨日の未明(イスラエル時間で午前2時)に 無事帰宅した。 名古屋の宿を出発して24時間後の到着である。 同じ日の午後には、ランダウ・リフシッツの電磁気学の講義を行う と言っていた。 彼らはタフである。 イスラエル人と対等に仕事をするためには、まず体を鍛えないと いけないと痛感した。
それにもかかわらず、昨年は医者から「神経性胃炎」と言われるなど、 体調が下降気味であった。 (イスラエル行きが原因とも思われるが、、、) そこで、ここのところ全く運動していないので、一念発起して夕食前に 万歩計をつけて散歩することにした。 本日、2900歩也。 一体何日続くでしょうか?
国際免許証の申請を行う。
先週名古屋に向かう前に博多駅で本屋をうろついている時に、 「日本・ユダヤ封印の古代史」という怪しげな本を見つけてしまった。 新幹線の発車時刻までに時間がなかったので、つい買ってしまった。 車中では論文でも読もうと思っていたのだが、結局、その本を半分近く 読んだ。
紀元前10世紀頃にソロモン王のもとで絶頂期をむかえたイスラエル王国 は、その後「北王国イスラエル」と「南王国ユダ」に分裂した。 いわゆる「ユダヤ人」とは、この南王国ユダの人々とその子孫を指す。 ところが、北王国イスラエルにいた10部族は紀元前8世紀にアッシリア に滅ぼされ、その後これらの部族は歴史から消えてしまう。
ここまではいいのだが、この本はその「イスラエルの失われた10部族」 が日本人の祖先であるという主張を延々と繰り広げているのだ。 共通点があるという先入観で物事を見れば、何でも関連性はある。 半分で読む気を失った。 でも日記のネタとしては面白いので、これからも使わせてもらうかも しれない。 「天狗」がユダヤ人の名残である、という説(北杜夫の説らしいが) には思わず笑った。
ヨルダンのフセイン国王が亡くなった。 認識不足で恥ずかしい話しではあるが、葬式にこれだけ諸外国から 要人が集まってきたことに驚いた。 国王の棺の前で各国の参列者が順番に祈りを捧げる場面がテレビで 中継されているの見ていると、国や宗教によって動作が実にさまざまで あるので、大変興味深かった。 イスラエルの不安材料がまた一つ増えた。
ワークショップ2日目。 このワークショップにはホスト以外にもう一人イスラエルからの 研究者が参加していた。 1978年にマイクロエマルションの先駆的な理論を発表した人で、 その理論がde Gennesやその他の人(ホストも含む)の理論につながっている。 その意味でも私は非常に偉い人であると思っていたのであるが、初めて お会いしてみると極めて紳士的な人であり、なぜかとてもうれしくなって しまった。 お話しして驚いたのは、彼は本来電子顕微鏡を専門とする実験家で、 上記の理論の仕事はアメリカでの大学院生時代に片手間にやったとのこと。 大学院に進学して以来、かれこれ10年以上理論をやっている私としては、 非常に考えさせられた。
ワークショップ1日目。 英語での発表は久しぶりで、結構ぼろぼろになる。
昨日のガスマスクの話しの続き。 昨年の2月のパニックの前後に、ホストの所にイギリスからのポスドクが 滞在してたため、大学として外国人にガスマスクを買い与えたそうだ。 ガスマスクの値段など想像がつかないので、価格を聞いてみたら、 1個がおよそ1万円するらしい。 大変有り難いことに、そのガスマスクが、ちゃんと私のために用意されている そうです。
午前中の新幹線で名古屋に向かう。 名工大に滞在中のイスラエルのホストと久しぶりに再会する。 昨年来のイスラエルでの状況について色々と話しを聞かせて もらった。
昨年の2月にイラクが査察受け入れを拒否した時にイスラエル国内では パニックがあったらしい。 1991年の湾岸戦争以来、各家庭にガスマスクが支給されていたが、 それから時間がたって、サイズや合わなくなったり、数が足りなくなって しまったからだ。 むしろ12月に実際に攻撃があった時の方が、国内は落ち着いていたそうだ。 ガスマスクが整っていたからである。
今日もSelf-Consistent Field Theoryについて考える。 この理論には色々な流派があるので、統一的に理解するのに苦労する。
ところで、私の学生時代のボスは、「物理学のおいてすぐれた理論は すべて平均場理論だ」とおっしゃっていた。 私はこのお言葉を重く受け止めている。 ボスによると、繰り込み群でさえも、ゆらぎの自由度を消去した後は、 平均場の世界であるということだ。 平均場理論は一般にどうも軽視される傾向があるが、物理の極意は 本来ここにあるのではないかと思う。
明日からは名工大のワークショップに参加のため出張。
ほぼ一日中、Self-Consistent Field Theoryについて深く考え直す。 この理論には先人の深い含蓄がある。 一生をこの理論にかけている研究者もいる。
広島カープの達川新監督はキャンプインに際して、「胃が汗をかくまで 練習する」と言っていたが、私もプロとして胃が汗をかくまで思考しな ければいけないのであろう。 少し耳が痛かった。
東京在住の両親もこの日記を見てくれているようで、先日の東海村 での忘れ物騒動に関して、わざわざお叱りの電話をいただいた。 曰く「日本でこんなに不注意であるなら、一体海外ではどうなるのか」や、 「何月何日の内容は意味がわかりにくい」など。 うーん、日本だから緊張感がなかったのだと思うのですが、、、 とにかく、大変熱心に読んでいただいて、ありがとうございます。
正直なところ、日記へのアクセス数が増えるとうれしいのですが、 最近は伸び悩んでいます。
イスラエルでホストとなってくれる(はずだった)人が現在、名古屋に 滞在している。 夕方にその人から電話があった。 やはり、突然、英語の電話がかかってくるとうろたえてしまうものである。 話したいことは結構あったのだが、全然言葉が出てこず、間の抜けた沈黙 が何度かあった。 今週末は名工大で英語のワークショップがあるので、そろそろ頭を英語 モードに切り換えないといけない。
ジャイアント馬場が亡くなった。 彼は、プロレスを芸術に高めた人であった。 私は残念ながら、生の試合を見ることはなかったが、実際に見たことの ある人の話によると、とにかく涙がぼろぼろこぼれてくるほど感動的で あったらしい。 プロレスは「勝ち負け」ではなく「強い弱い」である、という村松友視 の言葉を思い出した。