イスラエルの地図 イスラエルの地図

不安なイスラエル日記(8月)


8月31日(火)

ヘブライ語のレッスン。 今日は欠席者が多く、先生も少し不安になったようだ。 これまでは、まずレッスンを始めることで精一杯だったが、 ここらあたりで、今後のレッスンの進め方について生徒間で話し 合った方がよいと思う。

昨日、自宅のパソコンに問題が生じてしまった。 もちろん、持参したもう一つのパソコンは研究で使っているため、 基本的な用は足りるのだが、これまでもが壊れたときのことを考えると 不安で仕方ない。 そこで、

という2通りの方法で対処することにした。

パソコンが無事に送られてくるかどうかは若干不安だが、たとえイスラエルに 無事に到着しても、テルアビブの税関まで受け取りに行かなければなら ないだろう。 税金も価格の10%以上払う必要があるらしい。

まあ、物は試しでやってみよう。 やはり自宅にパソコンがないと、日記、いやいや仕事に支障があるからね。


8月30日(月)

午前中の仕事を済ませ、Andelmanと打合せをするために、お昼からバスで テルアビブに行く。 と言っても、今日は大学の北にある彼のマンションを訪れる。 ここのところ彼の自宅では、家中のすべてのドアと窓の入れ換え工事を行っており、 奥さんが働いている日中は、彼が家で待機して、業者の対応をしなければならない からだ。

部屋に入ってみると、文字通り足の踏み場もないほど、資材や工具などが床に 転がっている。 注文しておいてくれた宅配のピザを娘さんと3人で食べて、腹ごしらえをする。 彼らのフランス旅行の写真を見せてもらう。

その後、しばしばカッターの巨大音で会話が中断することもあったが、なんとか研究の 打合せを終える。 方向性に関して、意見の一致が得られたのは良かった。 5時前に退散して、大学まで歩き、再びバスに乗る。 この時間帯は渋滞して、レホボトまで1時間以上かかるので、途中で腰が痛くなった。

帰宅してみると、妻が家のパソコン(SONY VAIO PCG-C1R)が壊れたと言う。 Windows 98が立ち上がらなくなってしまったらしい。(こんなOSを使っている方が悪い?) BIOSを初期設定に戻してもダメ。 こうなるとシステム再インストールしか手がないのだが、別売りのCD-ROMドライブを 持っていない。 最も恐れていたことが起こってしまった。

本体が余りにもイスラエルへの出発直前に届いたため、そこまで気が回らなかった のだが、今考えてみると、CD-ROMドライブ無しというのはやはり無謀だったかも 知れない。 対応策を色々と考える。 というわけで、妻の日記の更新は遅れがちになるでしょう。


8月29日(日)

週は明けたが、相変らず研究室の人は戻っていないので、一人でごそごそと 仕事や勉強をする。 ただし、Safranは今日、アメリカから帰国するはずだ。 それにしても、一日中誰とも話しをしないのは、精神衛生上良くない。

それでも、私の場合、家庭で日本語が話せるのでまだましだと思う。 昔、ドイツで一人暮らしをしていた時は、日本語をしばらく話さないだけで、 よくフラストレーションが溜っていた。

Morseの少し古い論文と、Gompperの昨年のPhysical Review Letters に目を通す。 どちらも、最近のHelfrich先生の論文を矛盾するのだが、今後どの ような形で決着がつくか楽しみだ。

午後にAndelmanから電話があり、明日再びテルアビブに行くことにする。 彼はフランスでの休暇から帰ったばかりではあるが、来週から3週間ほど アメリカに出張の予定で、とにかく忙しい身である。

夕方、先週できなかった基本的日常的生活的食料的死活的買物を済ませる。 おまけに、Joe Hendersonの"Double Rainbow"(Verve)購入。

どうでもよいことだが、この日記で外国の人名や地名、固有名詞を書くときに、 アルファベットを使うか、カタカナを使うかでどうも迷う。 よく知っている人名は、アルファベットでないと気持ち悪いのだが、 地名などはカタカナの方が読みやすい気もする。 イスラエルの地名はヘブライ語でなので、 アルファベットで表記しても所詮正確ではないのだ。 それは、人名でも同じだが、イスラエルの人名をカタカナにして、 その他の国の人名をアルファベットにするのもややこしい。 そう考えると、外国の固有名詞はすべてすべてカタカナが良いのかも知れない。 でもやっぱり気持ち悪い。


8月28日(土)

ここ数日で、肌ではっきりと感じられるほど気温が下がってきている。 今日は一日中、冷房を使わずに済んだ。 こんなことは、ここ数ヵ月ではなかった。

新聞を見ると、今まで連日40度を超えていたエイラットや死海方面も、 最高気温が35度程度に留まっている。 海側のテルアビブとの気温差が少なくなっきた。 夕方の散歩が心地よかった。

当然だが、日の入りも夏至の頃に比べると30分程度早くなってきた。 たとえどんなに暑かろうと、夏が過ぎ行くのはやはり寂しいものがある。

来週からエルサレムのイスラエル博物館で、Kandinskyの特別展がある らしい。 私は絵画には詳しくないが、東工大にいた頃、同室だった助手の方が Kandinskyについて熱く語っていたのを今でも思い出す。 それ以来、いつかこの目で見てみたいと思っていたので、大変楽しみである。

週末に遊びで こんなものを作ってみました。 もしかしたら、この方が便利という人もいるかと思って。


8月27日(金)

午前中に妻の弦楽四重奏の合奏の予定が入った。 同じアパート内の別の家ですることになったので、最初の間だけ私も娘と 一緒に見学することにした。

MozartやBeethoven、Dvorakなどの高尚な音楽をやっているのに、娘は ほとんど関心を示さず、ひたすらクッキーを追い求めていた。 まあ、Mozartを聴いても頭が良くなるわけではないらしいが、まさに花より 団子といったところか。

エルサレムポストの週末版にゆっくりと目を通す。 最近の話題は、


8月26日(木)

Andelmanがフランスでの1ヵ月の休暇を終えてようやく帰ってきたので、 久しぶりにテルアビブ大学に行く。 最初、学生のDiamantとだべったりしていて、それからAndelmanと研究の打合せを 行う。 内容的に、もう一段深める必要があろうということになった。

今週は、ヴァイツマン研究所の方には誰もいなかったので、少しストレスがたまって いたと思う。 雑談も含めて、色々と話しができて良かった。

Diamantは博士論文がまさに終ろうとしている。 10月から、Tom Wittenのポスドクとしてシカゴに行く。 以前にも同じことを書いたと思うが、将来有望な学生であることは間違いない。 Haimもジャズ好きであるらしく、Don Grolnick(p)の"Weaver of Dreams" (Blue Note) というCDを貸してくれた。

Andelmanの研究室の学生達は友好的で、話をしていてとても楽しい。 研究室の壁を超えた学生同士の交流も盛んなようだ。 それに比べると、Safranの学生はどちらかと言えばお互いに無関心で、Safranとの 関係だけで研究室が成り立っているような気がする。 よく言えば一人一人が独立しているのかも知れないが、私としては少し 物足りない。


8月25日(水)

久しぶりに他人の論文にいくつか目を通す。 その中でも驚いたのは、現在イギリスにいるMatsenのある論文だ。 (少し気付くのが遅かったとも言える。)

恐らくこの人は私とそれほど年齢は変らず、研究者としてはまだ若いと想像 されるが、近年驚異的なペースで仕事をしている。 しかもほとんどの論文は単著の論文だし、共著であっても実質的にはMatsen 自身がやっていると思われる。 最近は基本的に同じ手法を使っているとはいえ、一つ一つの論文の中身の濃さは 相当なもので、読んでいて異常なほどの緻密さに圧倒される。

Matsenの仕事の怖いところは、過去の他人の膨大な論文が、ミケランジェロの 「最後の審判」の絵のように、正しいか間違っている(或は不正確)か判定されて しまう点である。 彼の仕事は世界的に相当なインパクトを与えているはずだ。

今日読んだ彼の論文の内容は、私も関係しているので、ただごとではない。 まあ、めげずにやるしかないが、まともには太刀打ちできない。 是非、一度会ってみたい研究者だ。


8月24日(火)

朝一番にヘブライ語のレッスン。 早いもので、今日で6回目。 今日は、先生が連れてきたアメリカ人の新しい参加者がいた。 この女性は、すでにかなりヘブライ語ができるようだ。

レッスン後、しばらく先生と雑談をした。 その中でわかったことは、8月20日にも書いた、エスキモーみたい な帽子をかぶっている、めちゃ濃いユダヤ人達のことである。

やはり彼ら仕事をしないで、「イェシヴァ」と呼ばれる学校のような所で、 「タルムード」というユダヤ教の教えを、ひたすら学んでいるらしい。 イェシヴァの生徒は兵役の義務もない。 神に祈ることは、軍隊以上に国を救うというのがその理由。 彼らは仕事をしていないため、政府からお金をもらって生活している。 要するに税金で食べているのだ。

イェシヴァではタルムードの内容を、二人ずつ組みになって徹底的に 議論する。 その議論する内容の例がちょっとおかしい。

「馬に乗っている人は、座っているのか、歩いているのか?」

こういう超宗教的な人達の割合は、イスラエルの人口の15%程度らしいが、 最近国内で発言力が増してきている。 彼らの作戦は単純で、子供をたくさん作ること。 政治の場でも、前回の国会議員の選挙では宗教政党「シャス」が、一気に 10議席から17議席に躍進した。 ここで選ばれた議員たちが、イェシヴァなどへお金が流れるようにしている。

日記の量が増えてきたので、このページの上の階層に新しいページを作りました。 このページの一番下の「前のページへ」をクリックして下さい。 ただし、ブックマークを変える必要はありません。


8月23日(月)

わかってはいたものの、研究室には誰もおらんがな。 私の頭も休暇明けで、「研究モード」に戻っていないようだ。 従って、さほど頭を使わない作業に近い仕事をする。

一昨日の日記で、「エイン・ケレム」は観光地ではない、と書いたが、 「地球の歩き方」や「ロンリー・プラネット」を見ていたら、ちゃんと載って いました。 訂正します。

我々が入れなかった教会(Church of St. John)のある場所は、イエスに洗礼を 施した洗者ヨハネが生まれた洞窟の上と書いてある。 (8月21日の画像参照。) 高い所にあった教会(Church of the Visitation)は、マリアが受胎告知後に 親戚のエリザベト訪れたことを記念して建てられたもの。

エリザベトにとってマリアは甥の子供にあたり、洗者ヨハネはエリザベトと ゼカリアの間に生まれた子供である。 従って、イエスは親戚から洗礼を受けたことになる。

知識と体験が整理されて、頭がすっきりした。


8月22日(日)

バカンス最終日。 今月の13日の金曜日に壊れた妻のヴィオラを修理するために、 テルアビブの楽器店に行くことにする。

テルアビブまでの道は非常に簡単であったが、高速道路を降りてからは、 妻に地図を見てもらいながらの必死の運転。 地図上の道路が一方通行だったりして、なかなか思うように目的地に 近づけない。 (実際、細い一方通行の道をわずかに走ってしまった。)

ようやく駐車場を見つけて、ほっと一息。 そこから歩いて7、8分でお店にたどり着く。 暑い、暑い。 キッパを付けた人の良さそうなおじさんが対応してくれる。 娘さんも夏休みなのか、椅子に座って仕事を手伝いながら、 東洋人を興味深そうに観察している。 結局、ヴィオラを預けて近くの海岸沿いのレストランで食事をすることに。

入ったレストランはキブツでとれた食材を使っていて、なかなかの人気のようだ。 ピザとサラダを注文したのだが、出てきたサラダのあまりの大きさに目を 丸くする。 家畜の餌ではあるまいし、とても食べきれない。 最後にはやはり大量に残すことになり、少しもったいない気分になる。 しかし、搾りたてのオレンジジュースは、その嫌な気分を打ち消してくれる 程おいしかった。

食後、オペラ・タワーでアラブのCDを数枚入手する。 ここは、品揃えが豊富なので、どの国にどのような歌手がいるのかだんだん わかってきた。 CDの感想はまた後日にしましょう。

再び楽器店まで戻り、ヴィオラを受け取る。 暑い、暑い、暑い。 1.5リットルのペットボトルの水がどんどん減っていく。 無事帰宅。


8月21日(土)

バカンス2日目。 とは言うものの、この炎天下の中を二日続けて歩き回るのは 大変なので、遅い午後にドライブをすることにした。 今日はUlrichのお薦めコースに従うことにする。

エルサレムへ通じる高速道路の南側の395という山道を走る。 エルサレム付近はイスラエルの中でも標高が高く、 起伏のある風景が美しい。 日本の山の風景とは異なり、ごつごつとした岩でできた 山肌に、まっすぐな樹木が生えているのが特徴的だ。

途中から386に合流して間もなく、エルサレム郊外の 「エイン・ケレム」という谷間の小さな村にたどり着いた。 ここは観光地というほどではないが、教会が幾つかあり、 気の利いたレストランが多くの人達で賑わっている。 地元の人達がちょっとしたドライブで訪れる所のようだ。 日本で言えば、週末に家族でファミリーレストンに行く ような気分だろうか。


エイン・ケレム

残念ながら、訪れた一つの教会は土曜日には閉まっており、残りの 教会も山の高い所に建てられているので、どれも見ることは できなかった。 そこで、お客がたくさん入っているカフェでしばし休憩。 私と妻は、それぞれアイスティーとアイスコーヒーを注文したの だが、特にアイスコーヒーは少しシャーベット状になっていて絶品 であった。 ただし、ハエの多さには相変わらず閉口した。

帰りは高速道路を使い、あっさりと帰宅する。


8月20日(金)

今週末は、頭を「研究モード」から「バカンスモード」に切替える ことにした。 計画していたハイファ・アッコのツアーはとりあえずやめて、今日は 再びエルサレムの旧市街を訪れることにする。 エルサレムは途方もなく奥が深いのだ。

Ulrichに教えてもらっていた、ヤッフォ門の前の駐車場を目指す。 若干道に迷うが、ほとんど問題なく到着。 ここは普通の近代的な駐車場で、前回利用したダマスカス門の 前のアラブの駐車場よりはるかに良い。

ヤッフォ門は唯一車で城壁に入れる門で、うっかりしていると 門を通過したことに気付かない。 まず、ヤッフォ門内のすぐ右手にある「ダビデの塔」に入ってみる。 ここは、紀元前20年にヘロデ王が建設した要塞で、"Citadel"とも 呼ばれる。 敷地内には歴史博物館もあり、イスラエルやエルサレムの歴史を 紹介している。 運の良いことに、ちょうど今の時期には、アメリカのDale Chihuly という人の色とりどりのガラス細工が敷地内のあちこちにオブジェ として展示されており、訪れる人達の目を楽しませてくれていた。


ダビデの塔

「ダビデの塔」で少し休憩した後、アルメニア人地区を南に向かって 歩く。 ここは、それほど見るところはないようだ。 シオン門まで来て、すぐ外にある「マリア永眠教会」を外から眺める。 怪しげな客引きのおっちゃんが、お金のことで客ともめている。 この近くには、「最後の晩餐の部屋」や「ホロコースト博物館」 もあるはずなのだが、位置がよくわからないし、人気も少ないので、 今日はやめておく。

次にユダヤ人地区に移動し、カバッド通りを北へ歩く。 途中に「カルド」と呼ばれるショッピング街を通る。 (ただし、ほとんどの店は閉店していた。) ここは、ローマ時代のメインストリートで、数多くの遺跡が残されて いる。 ダビデ通りまで来て、右に曲がる。 すると、またアラブ人の店が左右にぎっしりと立ち並んでいる のでびっくり。 いつの間にムスリム地区に突入したのだろうか? 独特な香辛料の臭いが鼻をつき、アラブの音楽も聞こえてくる。 店の前で暇そうに座っているおやじ達が、「ジャパニーズ?コリアン?」 などと声を掛けてくるが、振り払うようにしてどんどん歩く。


ユダヤ人地区

「岩のドーム」のある敷地の入り口までくるが、今日はすでに閉まって いるとのことなので、少し引き返して右手の階段を降り(この階段 の近辺は、なんだか臭い)、「嘆きの壁」に再び出る。 その前に、厳しいセキュリティ・チェックがあった。 まだシャバットではないので、ゆっくりと写真やビデオを撮ることに した。 壁の前では、黒い服で身を固めた敬虔なユダヤ人が、頭を縦に振り ながら熱心に祈っている(振りをしている?)。 中には長いもみあげをくるくるとカールさせたり、この死ぬほど暑い中、 エスキモーみたいな帽子をかぶっている人達も数多くいる。 一体、この人達は日頃何をしているのだろうか? 壁の前の広場で、娘を遊ばせたりして少し休憩した後、 再びダビデ通りを歩いてヤッフォ門まで戻る。


嘆きの壁の前で祈るユダヤ人

駐車場のメインゲートが閉まっていたので、一瞬顔が青くなったが、 しばらく探して入口を見つけ、一安心。 再び道に迷うが、おかげでエルサレムの道路が少し分かるようになった。 暑いの絶えず水分補給をしないと疲れてしまうが、それ以外は非常に 楽しい一日であった。


8月19日(木)

来週からアメリカのサンタ・バーバラで、Pincusを囲む国際会議があり、 Safranはそれに参加するため昨晩出発した。 研究室からはUlrichとTsviらも参加するため、また人が少なくなり始めた。 今日はUlrichしかいない。

そんなこともあってUlrichと昼食を一緒にしたのだが、国際会議の参加予定 者について尋ねていると、Ulrichが「誰それは誰それが嫌いだ」などと ブラックな話を聞かせてくれる。 こういうのはどこに世界にもあるのですね。 それは別として(それも含めて)、ドイツのマックス・プランク研究所の話題は なかなか面白かった。

ようやく家族全員の体調が回復したので、夕方3人で買物に出かける。 最近は買う物も決まってきているし、どこに何があるかわかってきたので、 かなり要領良く買物を済ませることができるようになった。

アラブのポップスにすっかりはまってしまった私は、今日もTower Records でCDの物色。 全く予備知識が無いので選ぶのに困るのだが、ここではすべてのCDを 試聴させてくれることがわかったので、さっそく何枚か試してみた。 今日の収穫は、Walid Tawficという男性歌手の"Rah Habibi"(EMI)というもの。 何の紹介文も無いので、どんな歌手かさっぱり分からないが、 暑苦しさ抜群でなかなか良い。


8月18日(水)

昨日からエルサレムポストが毎日配達されるようになった。 これ以外の英字新聞には、「ハアレツ」と「ヘラルド・トリビュート」が ある。 中ではエルサレムポストが最も保守的らしいが、イスラエルではその方が 面白いかと思い、これまで毎週金曜日にとっていたものを、毎日に変更 した。 もっとも、内容を読み分けることができるほどの知識や英語力がある わけではないのだが。

ここのところ、レバノンとの国境付近での情勢が非常に不安定だ。 16日の早朝に、イスラム教シーア派ヒズボラの幹部アブ・ハッサン の車が爆破され、本人も死亡した。 ヒズボラは直ちに報復を宣言したため、国境近くのイスラエル側の住民は、 シェルターに避難して生活している。 (因みに、我々の住むアパートにもシェルターはある。)

17日にはヒズボラのゲリラとの銃撃戦で、イスラル兵2名が死亡し、7名が 負傷した。 ヒズボラ側も3名が殺された。 和平ムードの裏側では、このような現実があることを見逃してはならない。 それにしても、レホボトでの平穏な生活と、車で2、3時間程度の距離しか 離れていない場所での銃撃戦の間には、大きなギャップがある。

Ulrichのアイディアで、これまで手詰りだった計算が少し進展した。 簡単なスケーリング則も求まる。 その他にも、研究で一つアイディアが浮かんだので(ボツの可能性も アリ)、今日は久しぶりに気分が良かった。


8月17日(火)

早朝のヘブライ語レッスン。 本日の課題は、人称の変化に伴う所有格の変化。 だんだんとややこしくなってきた。 今日は小さい子供が7人もいたので、誰かが喧嘩を始めたり、大声を出したりで、 絶えず何かが起こる。 それでも先生は嫌な顔もせず熱心に教えてくれるので、頭が下がる。

今日は、どういう風の吹きまわしか、研究室内のグループミーティングが お昼にあった。 Safranが宅配のピザを手配してくれて、皆でそれを食べながら、Dimaが7月に 参加したスコットランドでのSummer Schoolの話を聞こうというものだった。

ヨーロッパでは、学生やポスドクを対象としたSummer SchoolやWinter Schoolが、 NATOなどの主催で必ず開催されており、私もかつてフランスやノルウェーで開かれた Winter Schoolに参加した経験がある。 若いうちから最先端の研究者と交流できるこのような機会を、私は 常々羨ましいと思っていたのだが、今回もその認識を新たにした。 日本の若手の研究者や学生は、こういう環境において地理的に不利だと思う。

その後、Helfrich先生の問題の論文について色々と話し合うが、結局誰も本当の ことはわからないという様子。

ところで、Safranはコシェルでピザを食べないと以前に書いてしまったが、 それを訂正します。 しっかり、ばくばく食べていた。


8月16日(月)

久しぶりにUlrichと昼食をする。 先週は何度も食事に行こうと約束しておきながら、こちらが風邪で なかなか実現しなかったのだ。

彼の話によると、先週末にクレジットカードなど一式を紛失し、日曜日の 朝にカードの使用を停止した1時間後に、研究所のメインゲートに届出が あったそうである。 一応、事無きを得たわけだが、カードの使用は一旦停止してしまうと、 同じカードは二度と使えなくなるので、再発行してもらうしかない。 彼は今週末から、アメリカでの国際会議に参加する予定のため、お金(ドル)の 工面を色々と思案しているようだった。

それにしても、UlrichはCharlie's Placeという食堂の食事を"Excellent !"と 言って大変お気に入りのようだが、そんなにおいしいかな? 彼と一緒に食事をする時は仕方なく付き合うものの、前に書いたようにハエも 多いし、スイカも食べれないので、一人では行こうと思わない。 頑張れ、ドイツ人の味覚!

明日はヘブライ語のレッスンだが、先週休んだので復習がつらい。


8月15日(日)

ようやく、研究所に出て行くことができるようになったと思っていたら、 今度は妻が風邪をひいてしまった様子。 私から感染したのだろう。 今回の風邪は、さほど熱は出ないものの、体は結構だるくなるはずだ。 私もまだ万全ではないので、お昼まで研究所にいて、昼食後は家で仕事 をする。 娘の面倒もみるつもりだったのだが、結局母親でないとだめなことが 多く、大して役に立たなかった。

休暇から戻ってきたSafranと久しぶりに会って話をする。 ガリラヤ湖近くのキブツのホテルに滞在していたらしい。

先週末に一週間分の買物ができなかったので、夕方に私がレホボトの ショッピングセンターに出かける。 帰りのタクシーの運ちゃんは、左手に携帯電話、右手にタバコを持ち ながらの運転なので、事故を起こさないかとひやひやした。 日本のタクシーでは、客を乗せている時にタバコを吸う運転手は そうはいないような気がする。 それから、イスラエルでは、運転中の携帯電話の使用は規則違反のはずで、 見つかれば罰金のはずだ。


8月14日(土)

安息日ではあるが、この一週間、風邪のせいであまり仕事が進まなかった ので、体調が回復したこともあり、論文書きを行う。

遠藤周作の「イエスの生涯」を読破する。 この人にとっての信仰とは、何かすでに与えられたものを信じるというよりは、 自分自身でイエスなりキリスト教に対して、具体的なイメージや物語を構築する ことだ、ということがわかる。 聖書学者の通説などを鵜のみにせず、自分の頭の中で聖書の行間を論理的 (ただし、自然科学の論理とは異なる)に埋めようとする努力には感心した。 もちろん、筆者が信者であることが前提になっていて、随所でバイアスが かかっている部分も見受けられるのだが。

それにしても、これほど深い信仰をもつ遠藤周作と私とは何が違うのかと 考えざるを得ない。 すぐに思いつくことは、やっぱり自分は苦労を知らない甘ちゃんだからか、 ということだが、遠藤周作も慶応大学を出ているなどの経歴があり、それほど 地獄の苦労をした人とも思えない。 (この点が、三浦綾子とは違うような気がする。)

そうすると、やはり自分は自然科学に携わっている点が違うのかなと思う。 自然科学が単純に宗教の代わりになるとは思わないが、この辺りの 哲学的な問題は以前から薄々気にはなっている。 昔、村上陽一郎の本などを読んだ記憶もあるが、基本的に不勉強で、 恥ずかしながらあまりよくわからない。 せっかく神の国イスラエルにいる間に、もう少し自分でも考えてみようと いう気になった。


8月13日(金)

薬のおかげでかなり体調は良くなった。 しかし、今日は週末ということもあるので、仕事はほとんどあきらめて、 家で静かに休息することにした。 夏休みの旅行の計画はどこへやら?

ベランダにかかっている木に、カメレオン出現!?

妻の借りてきたヴィオラの弦が、チューニング中に切れる。 さらに、ペグまで割れるという不吉な事態に。 恐るべし、13日の金曜日。

「イエスの生涯」を読み続ける。


8月12日(木)

今回の風邪は熱も出ないので、大したことはないと思っていた のだが、以外と喉や鼻が苦しくて、夜中にほとんど眠ることが できない。 それが二日続いたので、今日は完全にダウン。

夕方、妻が買ってきてくれた市販の風邪薬を飲んでから、 少し楽になる。 5月の娘の発熱の時にも感じたことであるが、イスラエルは 薬の値段が日本よりも安いと思う。 いや、恐らく日本の薬の価格が高過ぎるのだろう。 こんなことは、今まで疑ってみたことがなかった。

遠藤周作の「イエスの生涯」(新潮文庫)を読み始める。 昔だったら、こんな本を読むなんて気持ち悪いなどと思って いたような気がする。 しかし、今のようにある程度の知識をもって読むと大変興味深い。 同時に幾つか考えさせられる点もあったが、それについてはまた後日に 書きたい。


8月11日(水)

体のだるさは無くなったので、今日は研究所へ行く。 行くと言っても歩いて15分程度ではあるのだが。

イスラエルでは午後2時半に部分日食だった。 ここでは太陽が雲で隠れる心配は全くない。 2時半近くになると、日差し弱くなったことで、日食が始まったことがわかる。 人々も建物の外に出て来て、フィルターをかざしながら、太陽を見ている。 私は日食自体にそれほど感慨は抱かないが、こういう現象を完璧に予測できる 自然科学に対して、今さらながらに驚く。

そう言えば、今日の新聞を見ていると、昨日の日記に書いたテロは正確には エルサレムではなく、なんとレホボトから車で15分程度の距離のある交差点 で起こったことがわかる。 負傷者はレホボトの郊外にある、Kaplan Hospitalで治療を受けているらしい。 この道はエルサレムに行くために何度か利用しており、交差点の状況も 頭に思い描くことができる。 他人事ではない感じがする。


8月10日(火)

やっぱり風邪。 熱は無いのだが、鼻水が止まらない。 喉も少し痛い。 ヘブライ語のレッスンはパス。 妻のみ出席。 テイッシュ(正確にはトイレットペーパー)を鼻に詰めたまま、家で 仕事をすることにする。 こんなこともあろうと思って、仕事に必要な物を持ち帰っておいた。 普段の6割程度の仕事率(熱力学用語ではない)。 まあ、「夏休み」ということで、よしとしましょう。

エルサレムでアラブ人の乗った車が、ヒッチハイクを待つイスラエル兵の 集まりに突っ込み、6人が重軽傷。 本人はイスラエルの警察に発砲され、別のトラックに衝突して、そのまま 死亡。 この事件も、やはりテロとの見方だ。

バラクは9月からワイ合意を実施するらしい。 (完全実施については言及していない。) 今月末に予定されていた、オルブライトの中東訪問は、バラクの要請で 来月に延期。

筒井康隆の本はこっそりと読むべきものなので、あまり書きたくはないのだが、 「家族場面」(新潮文庫)終了。 その中の「妻の惑星」はどこかで聞いたような話で、思わずニヤリ。


8月9日(月)

昨晩から体が少しだるくて嫌な予感がしてのだが、 案の定、今朝起きた時から風邪っぽい雰囲気。 鼻風邪のようだ。 研究所もなんとなく夏休みモードで、私も気が緩んでいたに違いない。 熱もないので、大したことはないのだが、極めて無気力状態。 今日の仕事はこの日記を書いたことと、爪を切ったこと。

日本では、国家・国旗法案が可決されたらしい。 この日記の冒頭にあるイスラエルの国旗は、中心に「ダビデの星」があり、 上下の2本線は、タリートと呼ばれる祈祷用肩掛けを表している。 「ダビデの星」はダビデ王の盾に刻まれていたとされる。

イスラエルでは国旗をあちこちで目にする。 テルアビブのある大通りの中央分離帯のすべての電柱には、常に国旗が掲げられて いる。 また、どの車にも一本は常備されているようで、独立記念日のような機会が あれば、車に取り付けて走る。 日本だと、右方面の方々しかしないけどね。

国旗は長い時間の中で、様々な歴史を背負うことになろう。 日本国民が日の丸に誇りを持てるような、将来の日本であって欲しい。


8月8日(日)

この週末を利用して、ウォルター・ワンゲリンの小説「聖書」新約篇 (徳間書店)を読破する。

イスラエルはユダヤ教の国だから、旧約聖書を知っていれば十分などと 勝手に思っていたのは大間違い。 それから、新約聖書は断片的には聞いたりしたことがあったということで、 読む前に大して期待していなかったのも大間違い。 (私を個人的に知る人には信じ難いかもしれないが、私は中学・高校の6年間、 カトリック系の学校に通っていた。 もちろん、宗教的な影響は何も受けなかったのだが、一度「ナザレのイエス」 という映画を学校として見に行ったことを記憶している。)

今まで私にとっては無味乾燥だった聖書の内容が、実に生き生きと描かれて おり、一気に引き込まれてしまう内容だ。 著者による物語の構成が卓越していることは言うまでもないが、仲村明子と いう人の翻訳がすばらしいことも、この本の魅力を大いに増している。 これからイスラエルを訪れる方には、旧約篇と合わせて読まれることを 是非お薦めしたい。

読んでいて何よりも楽しかったのは、今ではエルサレムの地理がおよそ 頭に入っているので、本の中の風景や状況、距離感などが具体的にイメージ できることだ。 ガリラヤ湖も是非訪れてみたいと思うようになった。

この本を私に紹介して下さった、お茶大の某助教授に感謝します。 某助教授も是非、イスラエルに遊びに来て下さい。 一緒にエルサレムに行きましょう。


8月7日(土)

安息日。

今日は夜に見たテレビ番組の話。 その名もずばり"Yakuza - Japanese Mafia"。 ドイツのテレビ局が製作した社会派ドキュメンタリー番組で、 ヘブライ語の字幕スーパー付きである。 ただし、ナレーションは英語。

京都を活動の中心とする「会津小鉄組」の幹部やメンバーへのインタビュー で構成されているこの番組では、政治家・警察・やく◯の作る三角構造が 日本社会を動かしていると伝えたいようだ。

最初に、その筋の人達が京都のスナックでインタビューを受けている 場面から始まり、いきなり存在しない左手の小指を見せて、 「3日間は眠れなかった」などと言っている。 おいおい、洒落にならないなと思っていると、それからも襲名式の様子 の映像など、日本では却ってお目にかかることができない場面が 次々に出くる。 組長へのインタビューも、奥さんと小さい子供が一緒に映っており、 大丈夫かなと思う。

ドイツ語のインタビューを日本語に通訳する日本人女性がいるのだが、 番組の最後の方で、あるやく◯が、自分の小指から義指(こんな言葉 があるかどうか知らないが)を外すのを見せたあたりから顔面蒼白になり 始めた。 「やく◯になられて何年になりますか?」、「刑務所には何年おられ ましたか?」、「どんな罪状でおられたのですか?」と、ほとんど泣き そうな表情で通訳している。

ドイツ人のインタビュアーはいい気なもので、面白がって「今度の政権交代で やく◯は変りますか?」などと社会派ぶったとんちんかんな質問を続ける。 幹部の一人は「変りません」と無表情に答えた。 繰り返しになるが、洒落にならない番組だった。


8月6日(金)

一日中家で過ごし、仕事や読書、ヘブライ語の復習などをする。

今日のエルサレム・ポストでは、昨年のワイ合意の実施を巡っての イスラエルとパレスチナの食い違いに関する、詳しいレポートが 載っている。 バラクとしては、ワイ合意を完全に実施する形でイスラエル軍を 占領地域から撤退させると、孤立するユダヤ人入植地ができるとして、 ワイ合意の実施とパレスチナの最終地位交渉をリンクさせたいと 考えている。 一方、アラファトはまずワイ合意の実施が先決であるという立場を 崩していない。

ここのところ、バラクとアラファトが握手しているシーンが盛んに 報道されているが、新聞では"Honeymoon is over."と皮肉られている。 これからが和平交渉の正念場ということだろう。

先週のエルサレム・ポストの風刺漫画で傑作だったのは、 クリントンとバラクが"Wye"と言っているのに対して、 アラファト一人が困った表情で"Why?"と言っているもの。

恐らくネットワークのせいだろが、妻の使っているニフティ のサーバーにファイルが転送できない。 メイルも使えない。


8月5日(木)

ここのところ、計算機にジョブを放り込んで、しばらく待って結果を 見てから、またジョブを走らせるということを繰り返している。 計算結果を待つ間に、ついあちこちのホームページを見て回ることになる。

一応、ここまでが言い訳け。 で、今日始めて見つけたホームページで収穫だったのは、 山下洋輔本人に よる公式サイト。 ジャズピアニストとしての山下洋輔を知らない人はいないと思うが、 筒井康隆同様、この人も多面的な活動をしており、例えば多くの著作 もあることはご存知だろうか。 本人には失礼だが、私は密かに、山下洋輔はピアノよりも日本語の 文章の方がうまいと思っている。

そんな彼がホームページ上で、日記も公開しているので(毎日では ないが)、思わず読んでしまった。 自分も日記を書いているため、人を引き付ける文章の書き方 の秘訣を探る。 文体や構成にあるパターンがあるのだが、やはり自分のスタイルになって いるところが凄い。 まあ、その点はジャズと同じか。

山下洋輔がめちゃめちゃ頭の良い人であることは間違いないし、 1970年代初頭の山下トリオには私もはまったことがあるが、 残念ながら彼のピアノはあまり「鳴らない」と思う。 今日は夕方買物に出て、バリバリにピアノが「鳴る」Kenny Barronの "Night and The City"(Verve)を入手。 Charlie Haden(b)とのデュオのライブ版である。 Kenny Barronの硬質なタッチと品の良い唄い方が絶妙。

このCD、良いです。 どれ位良いかと言うと、仮に私が女性で、好きな男性と2人で 聴いていたら、もうすべてお任せという気分です。 Kenny Barronは今が旬のピアニストだ。

もう1枚、全くの当てずっぽうで、最近気になっているアラブの 歌謡曲のCDを買ってみる。 具体的な歌手を全く知らないので、たくさんの歌手が入っている オムニバス的な物を選ぶ。 こちらも、だいたい狙っていた路線で、満足満足。


8月4日(水)

日本ではほとんど報道されていないと思うが、西岸地区(1967年の 第三次中東戦争以降のイスラエルの占領地)のヘブロンで、 車に乗ったイスラエル人2人が銃撃された。 イスラエルの車はナンバープレートの色が黄色で、アラブの緑色と区別 されている。 幸い被害者は死亡には至らなかったが、イスラエル側はヘブロンを封鎖して、 犯人を捕まえようとしている。

以前の日記でも触れたように、ヘブロンでは1994年2月25日に、 ユダヤ教過激派の医師が、「マクペラの洞窟」(イスラム教のモスク)で マシンガンを乱射し、犯人を含む60人以上が死亡した。 現在でも500人のユダヤ人が入植していて、緊張が続いている場所だ。 和平ムードが漂うと、必ずその反動として、このようなテロが起こる ことはある程度予想されていたが、やはり実際に起こると非常に嫌な気分になる。 今後もまた起こるだろう。

だいたい、今朝はひどい夢で目が覚めて、そうでなくても気分が悪かったのだ。 レホボトの上空を飛ぶ戦闘機の爆音が、夢の中でアラブ側からのイスラエルへの 攻撃と重なってしまい、妻子を連れて逃げ惑うという内容だったのだ。

簡単な非線形方程式の解で、あるスケーリング則を数値的に見つけたと思うのだが、 どれほど意味があるのかよくわからない。 自明なのかも知れない。 もう少しちゃんと詰めてみよう。

今週は夏休みにしようと思っていたのに、仕事の切りもあって、 結局、日曜日以外は普通に仕事をすることになっている。 旅行の計画ももう少し先延ばしか。

アラファト、70歳になる。


8月3日(火)

昨日から今日にかけて、このホームページのサーバーがダウンしていた。 原因は停電のようだ。 現在は復旧しているはず。

朝はヘブライ語のレッスン。 今日は形容詞の変化。 少しずつリズムができてきたかも知れない。 覚えなくてはいけない単語がぐんと増えた。 大変、大変。

昼食はUlrichとAntonと一緒に食べる。 お互いの国の教育制度について話す。

午後、研究室で仕事をしていたら、突然「濃い」Rabinが部屋に現れる。 彼はテルアビブの郊外のラマットガンにある、Bar Ilan大学の教授だ。 私が昔京都大学にいた頃、彼は3ヵ月ほど基礎物理学研究所に滞在した ことがあり、一緒に焼き鳥などを食べに行ったことがある。 そんなこともあって共通の知人も多いため、お互いにべらべらと近況を 話す。

「西欧では日本人が勤勉だというイメージがあるが、自分が京大に行った 時は皆仕事をしないで、酒を飲んだり、バドミントンばかりしていた」 などと、相変わらず言いたい放題。 誰のことを言っているのかしら? さらには 「日本は失業率が低いが、職をもっている人が意味のある仕事をして わけではない」 とエスカレートする一方。 そして、最後には 「イスラエル人はアグレッシブだと思うか?」 と聞く。 よほど、"Yes, you are."と答えようかと思った。 この人、やっぱり「濃い」わ。

そう言えば、ヘブライ大学に2年ほど留学され、現在大阪大学におられる 宇宙物理学の研究者が、この日記を見つけてメイルを送って下さった。 もちろん面識のない方だが、共通の知人がおり、世界は狭いと思った。

家に帰ると、とんでもないことに水道会社がストをするため、これから 数日間、断続的に断水するという。 水道会社のストなんて、聞いたことがない。


8月2日(月)

朝起きたらいきなり断水している。 全く予告がなかったので、水の溜置きもなく、非常に困る。 妻が管理人に電話したところ、水道管の破裂で12時まで水が出ないという。 仕方なく顔も洗わず、歯磨きもせず、そそくさと研究所に出かける。 研究所で顔を洗うために、タオルを持参する。

しかし、これが甘かった。 研究所全体も断水。 我々のアパートも研究所の一部なのだ。 まあ、12時までの我慢と思っていたが、12時を過ぎていつまでたっても 復旧しない。

なんだか数日前に書いた、筒井康隆の「九月の渇き」が現実的になる。 私も自然の摂理には逆らえず、生物学的自然現象的行為の後、水を流せない ままトイレを出る。 これほど、気持ちの悪いことはない。 夕方の5時なっても水は出ず、トイレから悪臭が漂い始める。 皆さん、早めに帰宅しているようだ。 しかし、私は家に戻っても水はない。 どんどん、追い詰められた気分になってくる。

6時過ぎに復旧。 これほど水が有難いと思ったことはそうはない。 日本でも長時間の断水の経験はあるが、たいていは工事のためで、 事前に予告があるのが普通だ。 今回は単なる事故だったのでまだよかったが、これが水不足のせいで 起こったことを想像するとぞっとする。

一日中トイレを我慢していたようなもので、極めて落ち着かない時間を 過ごした。 なんとか人間の尊厳を捨てずに済んだので、ほっとしてる。


8月1日(日)

今週からSafranも2週間休暇だし、Andelmanもあと3週間フランスにいるので、 私も今週は夏休みにしようと決めた。 午前中で仕事を切り上げ、念願であったエルサレムのヤド・バシェムに行く ことにした。

ここは、ナチスの犠牲になった600万人のユダヤ人の慰霊公園である。 ちなみに、シオンの丘にあるホロコースト博物館とは違う。 (ホロコースト博物館にはユダヤ人の脂で作った石鹸があるという。 偽物らしいが。) ヤド・バシェムは安息日に開いていないので、いつか週日に訪れてみようと 思っていたのだ。


ヤド・バシェム、慰霊碑

2時過ぎに出発し、1時間で到着。 観光バスもたくさん停まっていて、駐車場もほぼ満車。 降りてすぐ目につくのは、一般の観光客に混ざって、黒い服で正装した ユダヤ人やその家族が非常に多いこと。 最初に背の高い柱状の慰霊碑を見て、子供博物館に入る。 一面が鏡のほぼ真っ暗な館内では、ホロコーストで亡くなった子供達の名前 が絶えずスピーカーから流されている。 あまりにも暗すぎて、お化け屋敷の中を歩いているよう。 手すりづたいにそろそろと移動。

歴史博物館では、年代を追う形で、ナチスの台頭やユダヤ人の迫害、 第二次世界大戦、大量虐殺、イスラエル建国について、写真や遺品、映画 などで伝えている。 死者の規模は全く違うが、雰囲気としては広島の原爆資料館を想像して もらえればよい。 子供連れの上、駆け足で回ったため、最後にパンフレットを購入することにした。


ヤド・バシェム、歴史博物館

私にとっては、展示自体も興味深かったが、それ以上に注目していたのは、 展示を見るユダヤ人達の姿だ。 うがった見方かも知れないが、ホロコーストの事実を見つめることで、 ユダヤ民族や自分自身のアイデンティティを深めているような気がした。

私はドイツ人研究者の論文を見ていて、しばしば彼らの徹底的な性質を感じる ことがある。 彼らは、何でも時間をかけて、じっくりと徹底的にやるのが好きなのである。 もちろん、研究などの場では良いことなのだが、徹底的にユダヤ人を殺してし まった国民性も、それとあながち無関係ではあるまいと思っている。 もちろん、個々の研究者や論文について言っているのではないので、誤解の ないように。

また、ホロコーストがそれほど昔ではないことにも、改めて驚かされる。 我々の親の世代に起こった出来事なのだ。 最近でもコソボで大量虐殺が繰り返された。 我々は同時代のリアルタイムの問題として認識する必要がある。

ヤド・バシェムから車で10分ほどの、ホーリーランドホテルには、 第二神殿時代(紀元前5世紀)のエルサレムの1/50の模型が あるので見に行った。 かなり精密なものらしいが、何の説明もなく、ちょっと期待はずれ。 やはり本物にはかなわない。


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