研究会二日目。
非常に面白い発表した人がいたので、講演が終った後に、プレプリント が欲しいと言うと、特許があるのでだめだと言われた。 研究の最先端における、激しい競争を垣間見たような気がする。
ヘブライ大学に留学中の、日本人の女性研究者と、研究会で知り合う。 彼女は、広島大学から来ていて、私の父親と面識があったらしく、 私の顔を見て、向こうから私に声をかけてくれた。 世の中狭い。
本日休業。
朝からひどい下痢で絶不調。 アラブの鳥肉料理があたったのだろうか? 研究所に行ったものの、とても仕事はできないと思い、一旦戻る。
しかし、火曜日からここで始まる研究会のために、Helfrich大先生らがすでに 来ていて、昼食後に話をすることになっていたので、きつい体でお昼から 再び研究所へ行く。 3時過ぎにHelfrich大先生が私の部屋に現れ、しばらくお互いに近況などを 話す。 その後、最近のHelfrich大先生の論文について、インフォーマルに話しを 聞かせてもらう。 聞いていたのは、私以外にPincus、GranekとSafranの学生達。 実は、このHelfrich大先生の論文が正しいとすると、膜の分野には革命が 起こるかもしれないほど重要な仕事なのだ。 しかし、おそらく誰も理解できた人はいなかったでしょう。
Helfrich大先生の有難いお話を聞かせてもらっている間にも、どんどん体調 が悪くなり、悪寒がしてきた。 話の直後に帰宅するが、やはり38度程度の熱が出ている。 解熱剤を飲んで寝る。
午前10時に、別の日本人家族(子供3人)と共に、車2台でレホボトを 出発する。 エルサレムまでは順調なドライブで、1時間程度で到着。 早速、旧市街地区をめざす。 城壁で囲まれたこの1km四方の区画内では、クリスチャン、ユダヤ人、 アラブ人(ムスリム)、アルメニア人の4つの民族(宗教)による住み分けが なされている。
最初に、南側の糞門からユダヤ人地区に入る。 知らない間に嘆きの壁まで来ていて、想像していたものよりも小さかったので、 少し以外な感じがする。 よく見ると、壁の前で熱心にトーラーを読む、正装したユダヤ教徒達がいる。 今日はシャバットなので、写真撮影が禁止されているのだが、私は嘆きの壁 とは知らずに映像を撮ってしまったので、お見せします。 (昔、マイケル・ジャクソンが制止を無視してカメラを構えて、大顰蹙をかった らしい。) これがユダヤ教の聖地かと思うと、少しじーんとする。 ムスリム地区は閉鎖されていて、岩のドームには入れない。
それから、車をダマスカス門の前の駐車場に移動する。 ここは、アラブ人地区なので、無秩序で混沌としている。 車の流れがめちゃくちゃなため、車を停めるだけで30分程度かかる。 そこから、スーク・ハン・エイザット通りという、非常に狭いアラブ人の マーケットストリートを歩く。 東京の満員電車を思わせる人混みの上、左右のアラブ独特の店から、 メガホンでがなりたてるので、ほとんど我を失いかける。 途中、鳥肉のレストランで昼食をとる。
食後、さらに少し歩いてクリスチャン地区に入り、聖墳墓教会に到達。 ここは、イエスが処刑されたゴルゴダの丘とされている。 教会内で、イエスの十字架の建てられたところや、イエスの墓を見る。 偶然、教会内で日本人の司祭に会い、いろいろと貴重な話を聞かせてもらう。
わずか、半日の観光であったが、とてもすぐには消化しきれないほどの刺激を 受けた。 とにかく、一つ一つが強烈なのである。 これでも、まだまだ旧市街地区のごく一部に過ぎない。 その他にも、広大な新市街地区があり、エルサレムは計り知れないほど奥が深い。 いずれ、再び訪れてみようと思う。
とうとう、我々の滞在中に、まずい事が起こってしまった。 24日夜から25日未明にかけて、イスラエル軍がレバノンの首都 ベイルートの発電所など数ヶ所を爆撃し、多数の死傷者がでた。 イスラム教シーア派ヒズボラが、数日前からイスラエル北部を、 カチューシャロケットで攻撃したことへの報復だ。 イスラエル側は、キリヤット・シュモナの市民2名が死亡。
今回の攻撃は、ネタニアウの独断で、バラクは関与していないらしい。 ネタニアウは、最後の最後で、自分の存在感を示そうとしたのだろうか? CNNではトップニュース。
実はレホボトの近くには軍事基地があり、昼間に戦闘機の飛ぶ音がよく 聞こえる。 昨晩は夜中の12時過ぎに、戦闘機の音が聞こえたので、何事かと 思っていたのだ。 大事に発展しなければよいが、、、
今日はレンタカーを借りたので、夕方に隣街のラムラにドライブする。 もともとはアラブの街で、古いモスクなどもあるのだが、現在はユダヤ人 入植者が占有している。 特に見るべきものはなく、がっかりする。 すぐに帰宅。
明日は、イスラエル永遠の首都、エルサレムに行く予定。
研究所内で、東洋人を見かけることは非常に多いが、ほとんどの場合、 中国人である。 彼らは、週末には研究所内でバレーをし、昼食も二つか三つのテーブルに 集まって食事をしている。 中国語で話すことによって、色々な情報交換や、息抜きをしているのだろう。 しかし、これは近寄りがたい雰囲気だ。
今日、私がテーブルで一人で食事をしていると、中国人が前に座った。 しばらく、私が中国人かどうか様子を伺っていたようだが、私も話を するのがなんとなく面倒だったので、そのままもくもくと食べていた。 しばらく、気まずい雰囲気が流れた後、その人は私が中国人でないと 察知したらしく、別の中国人のテーブルに移動した。 外国にいると、東洋人同士の方がかえって意識してしまう。
夕方、Rony Granekにspontaneous emulsificationの話を聞かせてもらう。
午前中Safranと打合せ。 彼が、自分の名前を日本語で習いたいと言うので、まずカタカナで 書いてあげて、それから
Safranには、Aで始まるミドルネームがあるので、それは何かと聞くと、 "Abraham"ということだ。 1993年の「パレスチナ暫定自治協定」の調印式で、クリントンが閉会の 辞で次のように述べている。 「アブラハムの子供たち、イサクとイスマエルの子孫(ユダヤ人とアラブ人を指す) は今、手を取り合い、勇敢な旅を始めました」 つまり、仲の悪いユダヤ人とアラブ人の先祖をたどると、同じアブラハムに 行き着くのだ。
しかし、最近のクリントンはなんだか老けたなあ。
ダイアルアップ接続に関して、昨日の全ての出来事を総合的に考えて、
午後は、生物勉強セミナー。 細胞の吸着の話。 相変わらず生物は器用なことをやっていて、まだまだ物理の対象にはならない と感じる。
昨日、就寝前に頭を使ったら眠れなくなってしまったので、一旦起きて、 気になった論文をオンラインで取り寄せる。 意味のある問題設定を考えて、再び寝たのは午前3時。
ダイアルアップ接続がうまくいかないので、計算機センターに問合わせたら、 ダイアルアップ接続用の内線番号を教えてくれた。 アパートは研究所内にあるので、内線が使えるのだ。 確かにオフィスからは、非常にスムーズにつながる。 最初から教えてくれよ、と言いたい。
自宅に帰って、早速内線番号を使えるように設定して、いざダイアルアップ してみると、
ここからが大変。 再び研究所に行って接続したり(これはつながる)、アパートの別の部屋でも 試させてもらう(これはつながらない)。 BIOSの初期化や、様々な設定の変更を行うが、すべて同じエラーでだめ。 結局くたびれ果てて、一日が終ってしまった。(明日に続く)
弾性論の復習と勉強。 Foeppel-von Karman方程式を理解しようとする。 Wittenのスケーリング則を拡張できそうな気がしていたのが、 そう甘くはないことがわかる。
夕方、SafranとSchwarzと議論する。 まだ問題設定がはっきりしない。
家からのダイアルアップ接続が不調。
安息日。今週末はレンタカーを借りなかったので、特別にすることはない。 昼間はとても暑くて、外出することはできない。 家で、論文や新聞を読む。 夕方に散歩。
新聞を見ていたら、イスラエル最南端のエリアットの最高気温は41度。 私の住んでいるレホボトの気温は31度程度だと思うが、日本の31度 とは質的な違いがある。
今年は、アパートにクーラーが設置され、先週末から使えるようになったのだが、 実際電源を入れてみると、室外機がけたたましい音をたてて、明らかに異常。 仕方なく、この暑い週末も扇風機で過ごしている。
恐怖の買物デー。 今日はタクシーで、ショッピングセンターへ行く。 バスはどうも不便で、30分に一本くらいしか来なかったりするからだ。 この暑さの中で、30分待つのはこたえる。
これまでの経験から、まず食料品の買物を済ませる。 これを後回しにすると、最後にどっと疲れるからである。 その後、少し余裕があったので、Tower Recordsに入り、CDを物色する。 たまたま、昨日聴いたMirel Reznicの、趣味の悪いジャケットのCDがあった ので、記念に買ってみた。 それ以外では、Dinah Washingonの、Verve時代のベスト盤を入手。 Mirel Reznicの方は、中身もやっぱりゲテモノ。 Dinah Washingonは、いつもの品の良いこぶしが心地良い。
フラーレン・ボールのエネルギーが、大きさの1/3乗に比例するという Tom Wittenの論文を読む。 昨日のピンポンの論文からの孫引き。 少し古い論文だが、これはなかなか面白いことを主張している。 久しぶりに目の覚める思いをした。
"Physics of a 'ping-pong' ball"という論文を読む。 ピンポン玉を強く押し潰すと多角形のへこみができるが、 その多角形の辺の数が、変形の7/26乗に比例するという 恐ろしい論文。 昔卓球部に所属していた私としては、非常に興味のある内容であるが、 本当かなあ? 最後の文章は気がきいている。
夜は、Jazz at the Ebner Auditorium。 今日のプログラムは、はっきり言って「ゲテモノ」。
この人、演奏がのってくると、舞台から飛び降りてきて、観客席に入り込んで、 これ見よがしに弾き出す。 最前列には、なぜか私一人しかおらず、そのため私が、巨漢Mirel Reznicの股間にもぐり 込むような感じになることが何度かあった。 ジャズはやっぱり、「かぶりつき」に限る。
午前中にSafranと打合せ。 昼食はUlrichと一緒に食べる。 夕方Ulrichと議論。
これは以前から書きたいと思っていたことなのだが、それは大学や研究所 内での服装についてだ。 私はこれまで、研究所でネクタイをしている人を一度も見たことがない。 (これは誇張していない。) ほとんどの人が、Tシャツや半ズボンなどの軽装である。 基本的に暑い国であるということはあるが、服装などにはとらわれないこの 精神は、サイエンスをやる上で極めて健全なことだと思う。 おかげで、私も誰の目も気にすることなく、ラフな格好でいられる。
逆に敬虔なユダヤ教信者は、どんなに暑くても、背丈の長い黒いコート着て、 正装している。 これは、明らかに非合理的なのだが、暑さに耐えることも克己心を磨くための 修行なのかもしれない。 もちろん、こういう人々は、研究所内では見かけない。
イスラエルに到着した際には、3ヵ月の観光ビザで入国したため、 7月の最初にビザが切れる。 ビザの延長をしてもらうため、外国人研究者担当のEdna Agmonの所へ 書類を届ける。 通常の場合だと、また3ヵ月後にビザが切れてしまうので、何度も延長 しなければいけないのだが、ヴァイツマン研究所の外国人は、特別に滞在の 最後までのビザが認められるらしい。 1回、1人につき125シェケル(約4000円)なので、親子3人だと、 ばかにならない。
ただし、このビザは一旦イスラエルを出国すると無効になってしまい、 改めて3ヵ月の観光ビザが与えられることになる。 逆に言えば、観光ビザが切れそうになれば、そのたびに出国してから、 再入国すればよいのだ。 ただし、出国先がアラブ諸国だと、再入国の際には1ヵ月しかビザが もらえない。
Ednaの話によると、蚤の原因は野良犬らしい。 数匹いて、何匹かは捕まえたらしいが、まだ1、2匹残っているので、 原因が完全に除去されたわけではない。 事実、どうも昨晩、私は蚤に噛まれたような形跡があるのだ。 それでも、Ednaに「もう蚤はいないか?」と聞かれて、思わず「もう大丈夫」 と言ってしまった私は、後で、つい日本人的な遠慮をし過ぎたと反省した。
今日は、アパートの各部屋に、蚤の駆除の薬品を散布するため、普段よりも 早起きした。 朝8時には業者が来て、薬品散布後4時間は部屋に入れなくなるからである。 その前に、床の上の物をすべて片付け、食品などはビニールでくるんで、 上の方の棚にしまっておかなければいけない。 妻と娘はその間、アパート内のすでに散布を終えた家に避難させてもらった。
昼食は、三人で研究所内のレストランに行き、妻は一足先に家へ戻って掃除を する。 その間、私が娘を預ることになった。 幸いベビーカーで寝ていたので、そのまま部屋に運んで、私は仕事をしていた。 しばらくして目を覚ましたので、妻に掃除が終了したことを確認してから、 家に戻る。 蚤騒動はこれぐらいで終って欲しい。
Jacob Kleinから、彼に送られてきた論文の査読を、分野が違うので見てくれと 言われた。 一応目を通してみたが、恐ろしくヘビーな実験の論文であったので、申し訳ないが お断りした。 彼らのレベルで有名人になると、論文の査読はばかにならないようだ。 Andelmanも、平均で一週間に一本送られてくると言っていた。
先日もこの日記で触れた、「中東・共存への道」を読み終える。 これまでのイスラエルとパレスチナの悪循環の背後には、「人を殺す奴を 殺すことはいいことだ」という論理がある。 論理と言うよりも、むしろ感情と言った方が正しいかもしれない。 イスラエルは、今ポスト・シオニズムを模索しなければいけないところに 来ている、ということがよくわかった。 バラク首相の、今後の政治の舵取りに注目したい。
「パレスチナ暫定自治協定」は、すでに先月終了している。 パレスチナの独立宣言は、イスラエルの選挙の結果が出るまで控えるということで あったが、一体どうなるのだろうか? 今すぐに、情勢の変化があってもおかしくないはずだ。 情報が入って来ないので不安である。
昼食後に、レホボトのほぼ真西に位置するパルマヒムという海岸までドライブ をする。 30分弱の道のりだ。 有名な場所ではないと思うが、地元の人達がたくさん来ている。 もちろん、気候は完全な海水浴日和。 我々は泳がなかったが、しばらく延々と続く地中海の地平線を眺めていたら、 爽快な気分になった。 それでもやはり暑いので、30分程度で退散。 次回は水着を持参しよう。
その足で、2週間前にも行った、レホボトの南の巨大ショッピングセンター へ行き、おもちゃなどの子供用品を入手する。 金曜日の買物では、どうしても食料品などの生活必需品を優先させるため、 なかなかそこまで手が回らないのである。
2週間ぶりにレンタカーを借りる。 そこからでバスセンターへ行き、一週間分の買物をする。 子供連れの買物は、相変わらず戦争状態。 今日の重要な目的は、来週ビザの更新をするための証明写真を撮ること。 最初はプリクラみたいなものしかなくて困ったが、やがて日本と同じような ボックス型のものを見つけ、10シェケル(300円)で写真を撮る。 サイズが大きいような気がするが、まあいいだろう。 よく見ると、この機械は日本製だった。
午後にはUlrich Schwarzのご自慢の息子Danielの、一歳の誕生日パーティー があり、我々三人も招待されていたので、午後4時に隣のアパートに住む Schwarz家を訪問する。 小さい子供が10人以上集まったので、雰囲気はご想像の通り。 基本的にはアパートに住む外国人研究者の家族ばかりで、日頃妻から 名前だけを聞かされている人々を、かなり認識できるようになった。
私が不思議に思っていることが一つある。 それは、外国人研究者の中で、相対的にドイツ人の割合が多い、ということ である。 イスラエルでは、ドイツ人に対して特別な感情をもっている人がまだまだ 多いと聞く。 それだけに、何か積極的な意志がはたらいているような気がする。
午前中の仕事を済ませた後に、昼食後にテルアビブ大学にバスで行く。 かなり馴れてきたとは言え、往復2時間以上のバスは結構疲れる。 前の座席との間隔が狭いので、少し体を横に向けていると、長い時間 の間に腰が痛くなる。 今日はバスに乗っている時間に読書をしようと思ったのだが、帰りは 進行方向と逆向きに座ったのと、読書のせいで軽い車酔いをしてしまう。 イスラエルのバスを自由自在に乗りこなせるようになれば、一人前の イスラエリーという話を聞いたことがあるが、、、
今日は、Andelmanのセミナーが化学科であった。 Modulated Phaseの話で、内容は全部知っているので、まあ、同じ研究室 の人が別の所で発表するのを、野次馬で見に行くようなもの。 案の定、「量子効果はないのか?」などという、とんちんかんな質問も出て、 どれほど理解してもらえたかはよくわからない。 それでも、内容の構成の仕方が参考になったことや、ごく最近の情報も含まれて いて、私には大変有益であった。
テルアビブ大学物理学科のある先生の奥さんが、交通事故で 一週間危篤状態が続いた後、亡くなられたそうである。 単に道路を横断しようとして、無謀な車にはねられたらしい。 人生は何が起こるかわからない。 しかも、一瞬で変わる。
私のいる建物でLinuxを使っているのは、おそらくUlrichと私だけである。 共有のネットワークプリンターは、Novellネットワーク対応になっている ため、大変使いづらい。 Ulrichが、昨日、自分のLinuxにNovellのエミュレーターをインストールして 帰った後、今朝になって多くの人がネットワークを使えなくなったらしく、 大問題になった。 研究所側も、セキュリティに対してものすごく神経質になっているようだが、 Ulrichは計算機センターの所長の前で事情説明をさせられた。 Safranも仲介役として相当対応させられたらしい。 警察沙汰にもなったと聞いた。
しかし、私から言わせれば、こんな間抜けな状態で、間抜けなネットワークを 使っている方が悪いので、計算機センターのレベルを疑う。 Ulrichも疲れきった表情で、不満を漏らしていた。
夕方、Safranと打合せ。 話をしていて感じるのは、この人はやはりスケーリング的な議論が得意で、 そういう内容の時には、速くてついていくのが大変だ。 (英語のせいもあるが。)
今日は、一日中ほとんど誰とも会わないで仕事をする。 論文の書き直しを一段落させる。
夕方にはアパートの庭で、International Friendship Clubのミーティング があったので、帰宅してから少しだけ顔を出してみた。 と言っても、単なる住民集会で、芝生の上に敷物を敷いてジュースやお菓子 を食べるだけ。 私が出たのはほとんど終りに近かったのだが、奥様方はもっぱら蚤問題で 盛り上がっていたらしい。 一週間前に来たばかりの、デンマークからのポスドクの家族と話をする。 分子物理(?)が専門らしい。 デンマークには3つしか大学がなく、就職は非常に厳しいらしい。 コペンハーゲンの人漁の首が取られた話で盛り上がる。
私は自分の立場を説明する時に、sabbaticalと言っているが、この言葉は もともとユダヤ教の安息日(sabbath、ヘブライ語では「シャバット」)から きている。 従って、6日働いて1日休むように、6年間働いて1年間の有給休暇が与えら れるのが原則。 日本の大学でもこのような制度をきちんと定着させるべきだと思う。
6月5日の日記で、「日本人の「お坊っちゃま平和主義」で....」と書き ましたが、一読者からクレイムがありましたので、一言付け加えさせて もらいます。 私としては、5月17日の日記で、「和平推進派のバラクさんは私も 歓迎だが、」と軽率に書いてしまったことを反省し、自戒の意味を込めて 書いたつもりです。 イスラエルやパレスチナの人にとっては、和平を選択するか否かというのは 自明な事ではなく、現に前々回の選挙では右派のネタニアウが当選したのです。 戦後民主主義の「ぬるま湯平和教育」を受けた我々には、とうてい理解の できない苦渋の選択であることを、表現したかったのです。
今日は、興味深いセミナーが二つあった。 一つは、Israel Rubinsteinの "Self-assembled monolayers and multilayers on gold"。 もう一つは、Daniel Wagnerの "Mechanical properties of carbon nanotubes and their composites"。 たまたま二人とも、私のいるDepartment of Materials and Interfacesの実験の 教授であるが、だてにヴァイツマンの教授になっているわけではないと思わされた。 どちらも、物理や化学という枠組を越えて、新しい材料や素子の「サイエンス」を やっている。 特に、Wagnerの話はまだわからないことだらけなのだが、非常にわくわくさせられる ものがあった。 技術的な事を言えば、二人とも専門外の人に話すのがとてもうまい。 色々な意味で勉強になった。
その中で、おやっと思ったエピソードを一つ。 Wagnerが「オイラーの定理」を説明した時に、穴が一つあいているものの例として、 「ベーグル」というユダヤ人が食べるパンを挙げていた。 日本だったら、百パーセント、ドーナッツだよな。 なんでも、このベーグルは、最近日本でも流行りつつあるらしいが、私にとっては あまりにもchewyで顎が外れそうになるので、最近は食べていない。
午前中に、日本から送った最後の船便が届く。 船便で、2ヵ月から2ヵ月半かかったことになる。 郵便事情が悪いと聞いていたので、何よりも無事届いたのが嬉しい。 さらに、ここのところ暑くて、夏服が来るのを心待ちにしていたので、 とても助かった。
午後はUlrich Schwarzと議論して、その後にRony Granekと議論していたら 5時を過ぎてしまった。 今日は、イスラエルで初めて散髪をするつもりだったので、あらかじめ日本人 に教えてもらっていた理髪店に行ってみた。 ここはロシア人が経営している店だ。 英語は通じないが、"long"と言えばよいと教わっていた。 間違って"short"とでも言えば、ほとんど丸坊主にされてしまうらしい。 びくびくしながら、前の人の様子を見ていると、いきなりバリカンで 刈り込みが入り、その後に客と店員が口論している。 おそらく、こんなはずではなかった、などと言っているのだろう。 それにしても、一人の人が終るまでが5、6分と、非常に速い。 いよいよ私の番になって、"not too short"と変な指定をしたせいか、 また一気にバリカンでやられた。 最後は水をつけた剃刀で剃って終了。 思ったほどひどくはない出来だった。
アパートで蚤が大発生して大騒ぎ。 アパートの前の芝生に殺虫剤をまいたため、蚤がアパートに押し寄せる。 妻がノミローゼ気味。
Mel Tome死去。 男性ボーカルはまだ趣味ではないが、抜群のテクニックは惜しまれる。
今、広河隆一という人が書いた「中東・共存への道」(岩波新書)という本を 読んでいる。 昔、一度目を通したのだが、改めて読むと、非常によくわかる。 以前は、イスラエルの政党や、ロシアからの移民の話は、あまり意味がよく わからなかったのだが、総選挙もあったので、今は身近な事として理解できる。 この本では、基本的にパレスチナ側からの視点で、いかにイスラエルがひどい 占領政策をやっているか、ということが書かれている。 1993年の「パレスチナ暫定自治協定」の背後には、当事者はもちろん、 世界中の各国の様々な思惑や事情があることが、丁寧に説明されており、 大変興味深い。 日本人の「お坊っちゃま平和主義」で「平和が大切だ」と言っているのとは、 わけが違う。 中東の政治は、基本的に弱肉強食の原理で動いており、その意味では非常に 動物的だと思う。
無知と言えばそれまでのことだが、私は「ヨルダン川西岸」という言葉を 勘違いしていた。 私は文字通り、ジェリコなどの、ヨルダン川のほとりのごく限られた地域を 指すのかと思っていた。 なんで、そんな狭い所に、わざわざユダヤ人が強引に入植するのか不思議であった。 この本によると、「ヨルダン川西岸」とはガザ地区を除く、第三次中東戦争 (1967年)以降のイスラエル占領地で、全イスラエルの1/4以上を占める 広大な土地なのだ。(ゴラン高原も除く。) いろいろと認識を新たにした。
夕方は研究所内を散歩。 本の内容とのギャップが大きい。 今日の画像は、私が仕事をしているPerlman Institute of Chemical Sciences。
今日は、頭にきたことがあった。 午前中に、買物をするために、歩いてバスセンターまで行ったのだが、 途中が暑かったので、道沿いの店で水のボトルを買って飲んだ。 イスラエルでは水道水は飲んでもよいことになっているが、飲み水はやはり 買うことにしている。 しばらく、そのボトルを持って歩いて、ふと見てみるとどうも蓋が汚い。 もっとよく見ると、どうやらすでに空になったボトルに、適当に水道水を入れて 蓋を閉めたものを買ってしまったようだ。 蓋を開けたときに残る輪っかが、明らかに蓋とは合わないのである。 しかも、普通に買うよりも少し高かったので、なおさら頭にくる。 これで体調でも悪くなったら、本当に許し難いぞ。
バスセンターの近くの市場に足を践み入れてみた。 秋葉原でパーツを売っているような小さな店が、所狭しとぎっしりと立ち並び、 主に野菜を売っている。 品物は新鮮で良さそうだ。 しかし、とにかく狭くてごちゃごちゃしていて、人も多いので、とても 子供連れでは買物はできない。 「中近東」という雰囲気だ。
バスセンターのスーパーで大量に買い込んで、再び家まで配達してもらおうと 思ったら、もう午後1時を過ぎているのでできない、とレジの人がいう。 一瞬、目がテンになったが、仕方ないので、持って帰れるものだけを選ぼうとしたら、 特別にタクシーを手配してくれて、スーパーのお金で家に帰ることができた。 こういうサービスは日本にはない。 ドイツでもそうであったが、生活のための買物は闘いだ。
午前中にWeizmannで仕事を済ませた後、お昼からTel Aviv大学に行く。 先週考えたアイディアをAndelmanに話し、基本的に同意してもらう。 さすがに、一を聞いて十を知るタイプなので、話は速い。 彼との仕事については、これがブレイクスルーになったと思う。 たまたま、私が以前に計算したことに帰着されるので、結果も出たことに なる。
木曜の夕方であったためだろうか、帰りのバスは大変混んで、しかも 道路も渋滞したため一時間以上かかった。 冷房の調子も悪かったようだ。 排気ガスの中を走ったので、頭が少し痛くなった。
バスの中で、銃を肩から下げた兵士がすぐ側にいたので、しげしげと 銃を眺めていた。 この兵士はおそらく週末で、自宅に帰るところなのであろう。 最初は、銃を持った兵士を見ただけでびびっていたが、ほとんどの 場合は仕事以外の時間のようで、皆リラックスした雰囲気である。 最近は馴れた。 ただし、どんなに大きな荷物を抱えていても、銃だけは決して体から 離さない。
栗谷川氏の本によると、彼らが持っているのはおそらく「グリローン」 というタイプの銃だろう。 それより、大きいのは「ガリール」、さらに大きいタイプは「M16」 という。 それにしても、銃とは実に単純で、大まかそうな機械だ。 これで、人が殺せるというのが不思議なくらいだ。
午前中にYosevから電話があり、一緒に昼食をとる約束をする。 たまたま昼食前に、中国から帰国したばかりのRony Granekが部屋に 来たので、妻も含めて4人で食事をする。 Ronyに中国の話をいろいろ聞かせてもらう。 中国での食事に話になり、蛇のスープを知らずに飲んでたまげたとか 言って、笑わせてくれた。 その後、どんどんエスカレートして、 「中国人は、飛行機以外の飛んでいるもの全て、机以外の四つ足のもの全て を食べる」 などと大声でしゃべっていたが、我々の後ろで中国人の集団が食事を していたのを知っていたのだろうか? もちろんそれは冗談としても、確かに中国人は中華料理を足掛かりに 世界中のいたる所に進出している。 それだけ味に普遍性があるのだ。 私も究極的には、世界中の料理の中で中華料理が最もおいしいだろうと思う。
午後はSafranと打合せ。 研究の方向性が少し見えてくる。
5月の日記ではあまり写真を入れなかったので、今月は日常の画像でも 載せます。 とりあえず今日は、自分とは関係ないが、 窓の色が印象的なArison Neurobiology Buildingです。 建物の壁と青空の対比がとてもきれい。 因みに、研究所内のすべての建物には、ドナーの名前が付いている。 部屋の一つ一つにも、"In memory of 誰々"などと看板がかかって いる。 このような形で自分の名前を後世に残すという考え方は、日本には あまりない。 民族の伝統を守る意識が、こういうところにも表れているのではないか。
一日中、論文の書き直し。
こちらでのほとんどの仕事は、日本から持参したB5サイズのノート パソコン(SHARPのPJ1)に、Linuxをインストールして行っている。 イスラエル人にとって、このパソコンはやはり驚異のようで、多くの 人から「これがお前のパソコンか。こんなの見たことがない」と言われる。 そんな時には「日本から持ってきたので、一番軽いのにした」と返事をして いるが、内心は結構得意な気分で、日本人であることを誇りに思ったりするのだ。 イスラエルも実はハイテク国ではあるが、日本のこういう方面の技術はやはり 世界に冠たるものがある。 イスラエルでも携帯電話は普及しているが、日本の携帯電話のコンパクトさには とてもかなわない。 こういうパソコンを作れる日本人の感性は大切にしたい。
そう言えば、 この人の日記 に「マクドナルド」の事が書いてあるが、 ユダヤ教では、肉と乳製品を一緒に食べてはならないので、 イスラエルではチーズバーガーはないそうな。 因みに私自身は「マクドナルド」を略しません。 略すこと自体が、一つの文化ですね。