イスラエルの地図 イスラエルの地図

不安なイスラエル日記(7月)


7月31日(土)

あっという間に7月も最終日。 今月は恐れていたほどは暑くはなく、すでに東京の気温の方が高いようだ。

依然としてイスラエルからこのホームページはアクセスできないのだが、 日本では問題なく読めているという情報を複数の方から頂いたので、 このまま続けることにする。 わざわざ、情報を送って下さった方々にお礼を申し上げます。 状況としては、イスラエルと日本の間のネットワークの問題である可能性が高いが、 確信がもてない。 いずれにせよ、週明けにならないとよくわからない。

夕方、郊外のショッピングセンターに行く。 今まで欲しいと思っていた文房具を幾つか買い揃える。 ヘブライ語のレッスンで先生が使うための、ホワイトボードも入手する。

途中で、子供連れのイスラエル人家族に話しかけられる。 彼らは、4年近くもアクセサリーなどを売りながら、日本に住んでいたという。 よく都会の道端などで見かける、あれである。 片言の日本語を話す。 私が研究者であり、ヴァイツマン研究所が良い所だと話すと、怪げんそうな表情で 「優秀なユダヤ人研究者は、イスラエル以外の国にいるはずだ」と主張する。 言うな、このおっさん。

それから、以前に日記にも登場した、激辛の中華料理店で働く日本人と話をする。 イスラエルの市民権をもつ人だけあって、色々と現地の話題が聞けて面白い。 一般的に、イスラエルで土曜日に店を開こうとすると、厳格なユダヤ人が潰し にかかるそうだ。 ここは、巨大なショッピングセンターの一部なので、そのような問題はない。 しかし、彼の店では料理の中身がコシェルに従っているにもかかわらず、 安息日に営業しているため、ユダヤ人に売ってよいという許可証が貰えない そうだ。 そのため、キッパをつけたユダヤ人は安息日以外でも、決して買いにこないらしい。

それにしても、彼は5月から今日に至るまで、1日の休みもないそうだ。 私は彼が店長だからかと思っていたが、経営者はちゃんと別にいるようで、 これって明らかに不当労働行為である。 大らかなのか、いい加減なのか分からないが、総じてイスラエルは アバウトな国だと言える。

ここまで書いて、8月1日にファイルを転送する時には、 ホームページの問題は解決していた。 お騒がせいたしました。


7月30日(金)

昨晩から、何故かこの日記のホームページをイスラエルから見ることができない。 九工大のサーバーは動いているようであるし、そのマシンにファイルを転送する こともできるのだが、ホームページにアクセスできない。 どこでどのような問題が起こっているのかわからない。 日本では今日の日記を見ることができますか? 海外では? 情報をお寄せいただければ助かります。

午前中に、妻が同じアパートに住むドイツ人の車に乗せてもらって、 テルアビブにビオラを借りに行った。 彼らと一緒に合奏することを計画しているらしい。 私は留守番で、仕事をしながらの子守。 日頃、娘の面倒はすべて妻に任せているので、短い時間ではあったが、いかに子育 てが大変か実感する。 よく妻がまとまった自分の時間がとれないという意味がよくわかる。

午後は小説「聖書」新約篇を読み進める。 「ナザレ」などはよく知っているが、「カファルナウム」などの耳馴れない の地名が出てくるので、現在の道路地図を出してきて調べてみると、ちゃんと ガリラヤ湖の北にあるので、なるほどと思う。

夕方の研究所内の散歩で、「濃い」Itzhak Rabinと奥さんに会う。

夏休みの旅行の計画を立てる。 ハイファ・アッコ2泊3日の旅になりそう。


7月29日(木)

筒井康隆の本は数冊荷物の中に忍ばせて送った。 外国で読む筒井康隆は、外国で食べる寿司のようなもので、有難い有難いと 言いながら、文字をぺろぺろとなめるようなつもりで読む。 研究で疲れた精神を、これほど自由に解放してくれる作家は他にいない。

しかし、今日読んだ「家族場面」(新潮文庫)の中の「九月の渇き」という 短篇は、ぺろぺろとなめるにはちょっと、という内容。 もちろん素晴らしい出来なので、興味のある方はご覧下さい。 上の意味がわかります。

この小説は、タイトルの通り水不足の話なのだが、イスラエルにいるとまんざら 小説上の冗談とは言えないところが恐ろしい。 事実、私がこちらに来た4月に一度雨が降って以来、今日にいたる まで、一度も雨が降っていない。 恐らく10月あたりまで雨はないだろう。

イスラエルにとって、水の確保の問題は、外交上大きなウェイトを占めている。 モロッコの国葬では、シリアの国王が急拠不参加を決め、バラク首相との 会談が実現しなかった。 イスラエルの主な給水源はガリラヤ湖であるが、シリアやレバノンとの間に ゴラン高原の帰属問題があるのも、結局は水の奪い合いなのだ。 ガリラヤ湖はイスラエルの命綱なのだが、今年はその水位が減っていて、 問題になり始めている。 新聞でも水問題の特集が組まれている。


7月28日(水)

昔作ったプログラムで、HP-UX上では動いていたものが、Linux上ではコンパイル できないことがわかり、対処に苦労する。 こういうのはよくあることだろうし、普遍的なプログラムを書いていない自分が 悪いと言えばそれまでだが、釈然としない。 結局、全く別の方法で問題を回避したのだが、ほぼそれで一日の時間を潰して しまった。

ここのところ、Safranの部屋の大掃除(主に論文の整理)を、11歳の娘さんが アルバイトで手伝っている。 今日は、彼の過去の講義で出題した問題や、学生の解答のレポートの整理を 私が手伝った。 彼の教科書の問題の解答作成を計画しているからだ。 出てきた学生のレポートを見ていて、そのレベルの高さに驚く。 日本で私が受け取るレポートは、ほとんど他人の丸写しで、何の意味もない。

そろそろ夏休みでもとって、旅行でもすることを考えている。 Safranも来週から二週間ほど休暇ととって、ガリラヤ湖近くのキブツに行く そうだ。 同じアパートの日本人家族も、今日から3泊の予定で、イスラエル最南端のエイラット へ行った。 エイラットまで行くためには、ネゲブ砂漠を走り続ける必要がある。 昼間だとタイヤがバーストする恐れがあるため、早朝に出かけたらしい。 どこに行っても暑そうなのが難点だが、とりあえずハイファやアッコあたりが候補だ。 死海やエイラットはもう少し涼しくなるまでお預け。


7月27日(火)

朝8時半からヘブライ語のレッスン。 新しい生徒が一人増えたが、別の一人が欠席したので先週と同じ人数。 宿題だったヘブライ語の読み方を順番に試されたが、まだ皆しどろもどろ なので少し安心する。 皆さん、頭ではわかっていても、すぐには使えないわよ、という様子。 今日は人称代名詞の勉強。 「彼女」が「ヒー」だったりするので、英語の知識が却って邪魔になり、 すぐに頭に入らない。 少し長めのレッスンだったため、最後の方は案の定、子供達が騒ぎ始めて、 あまり集中できなかった。

Ulrich Schwarzが、約1ヵ月の休暇を終えて、ドイツから戻ってきた。 ドイツ人はしっかりと休暇をとる。 私の意見では、ドイツ人と日本人は、お金をかけるものと、かけないもの がちょうど逆になっている。 ドイツ人は家と休暇(旅行)にお金をかけ、日本人は食事と衣服にお金をかける。 ドイツ人は家をピカピカに磨き、1個10万円もするような鍋を買って おきながら、料理はほとんどしないのである。

Safranと三人で研究の話をしたのだが、Ulrichはあくびばかりして、 まだ頭が研究モードになっていないようだ。 彼は議論についてこれなかったようなので、後で二人きりで詳しい説明をして あげた。


7月26日(月)

毎週火曜日がヘブライ語のレッスンの日として設定されてしまったため、 ここのところ少しずつではあるが、ヘブライ語に時間を割くようにしている。 これこそが、レッスンの効果だろう。 しかし、はっきり言ってつらい。 勉強を始めて30分程度で、お腹が痛くなる。 気分が砂漠に行ってしまう。

英語を知っていてフランス語やイタリア語を見れば、少しは想像がつくもの もあるのだが、ヘブライ語は全く異なる語学体系なので、さっぱり勘が働かない ところが苦しい。 さらに、ヘブライ語ではアレフベートという22文字を使って書くのだが、 表記はすべて子音のみで、母音は経験によって補いながら読むため大変つらい。 例えば、"pz"と書いて、「ピツァ」と読むわけだ。 母音の補い方が一意的なのかが気になるが、どうも混乱の原因にはならないらしい。

外国語の習得に関して、易しい言語や難しい言語があるとは思わないが、 ヘブライ語を見ていると、少なくとも日本語の仮名は便利だと思う。 漢字と仮名のデリケートなバランスを使い分けることのできる日本人の感性は、 大変すばらしいもので、もっと誇りに思うべきである。

連日、Safranと議論。


7月25日(日)

午前中に、たまっていた原稿を二つ発送し、少し肩の荷がおりる。 それ以外にも、Andelmanが1ヵ月の休暇をとるということで、先週までは少し 慌てて計算や論文を準備していたのだが、その彼も家族と一緒に昨日フランスに 旅立ったので、少し落ち着いた気分で仕事をすることができる。

7月に入ってから先週までは、高校生のような学生が、バスで毎日研究所に見学に 来ていて、食堂も1/3程度が仕切られて彼らに占拠されていた。 今日からはそれも終ったようで、食堂が広々としていてよい。 本格的な夏休みになったのだろう。 それにしても、最近食堂のスイカの切り方が小さくなったのが気になる。

夕方Safranと議論する。


7月24日(土)

一昨日の日記の続き。

イスラエルに来る前、こちらでは毎日びくびくしながら生活しなければ いけないのかと想像していた。 しっかりガスマスクも用意して。 この国は、テロや戦争のニュースばかりが世界中に伝えられるので、 それも無理はない。 しかし、イスラエルに対する私の印象は、やはり少し変ったのではないかと 思う。

イスラエル国民の日常生活は、日本や西欧と比べて、それほど大きな 違いはないと思う。 普通に働き、スーパーマーケットで買物をし、休日は車で遊びに出かける。 もちろんユダヤ教など宗教的な理由で、独特な生活スタイルをもっている 人達もいるが、こういう人達は多数派ではないのだ。 ただし、パレスチナ難民やアラブ地区の人々の生活が、我々の想像を超えている のは言うまでもない。

イスラエルが日本のように安全な国ではないことは間違いない。 まだまだ、安全のために膨大なお金や労力を費やしている。 しかし、日本人のイスラエルに対するイメージには、一部誤解が 含まれているような気がしてきた。 それは、やはりイスラエルの情報が圧倒的に不足しているから だろう。

私は自分の知り得る自然科学系の研究者で、過去にイスラエルに留学した 人を知らない。 ヴァイツマン研究所でも、日本人は数えるほどしかいない。 研究の分野でも、日本とイスラエルの間には、まだまだ大きな壁がある。

以前この日記でも触れた、 イスラエルを単身で旅行した女性の日記によると、 バスツアーの最後で、バスガイドが乗客に対して、 「どうぞ皆さんがそれぞれの国に帰って、イスラエルの日常生活が 安全で平和であることを、一人でも多くの人に伝えて下さい」と 強く訴えていたことが記されている。

この日記は、最初にも書いてあるように、あくまでも個人的な体験の 私的な記録のつもりで始めたものであった。 しかし、最近になって、ありのままのイスラエルの姿を、多くの 日本人に知ってもらうことも重要だと思うようになってきた。 少なくとも、日本国民の税金を使ってここに滞在している私としては、 単なる個人的体験で済ませてしまうのではなく、何らかの形で 日本に還元する必用があると考えている。 今後の様々なレベルでのイスラエルと日本の交流に、ささやか ながらでも貢献できれば、非常に嬉しいというのが正直な気持ちだ。

もちろん、こんな日記で大きな効果が期待されるはずもないし、 身分不相応なことをするつもりはない。 さらに、内容からどのようなイスラエルのイメージをもつかは、 読者次第である。 二週間前にアクセス数を気にしたのも、無意識でこのような 事を考えていたからだと思う。

夕方、車で20分程度のネヴェ・シャロームとラトゥルン 教会までドライブ。 ネヴェ・シャロームは少し小高い丘で、すばらしい眺め。


7月23日(金)

レンタカーを借りて、お昼過ぎからカイザリアへ行く。 カイザリアはテルアビブとハイファの中間に位置する海沿いの 街で、紀元前20年頃にヘロデ王によって築かれた港街。 時のローマ皇帝に因んで付けられた名前だ。 現在は、多くの遺跡が国立公園として整備され、さらに海水浴も 楽しめるようになっている。


カイザリア、十字軍時代の町

高速道路を走り続け1時間15分程度で到着。 入場料を払って、十字軍時代の要塞に入ると、古い教会や神殿がある。 その背後には、壮大な地中海の海と真っ青な空が広がっている。 遺跡を少し見た後に、海岸に行き、波打ち際で娘を遊ばせる。 娘は始めて触る海に大ハッスル。 それから、海岸のカフェでサラダを食べながら、しばらく休憩。 潮風が店の中を通り抜けるので、非常に気持が良い。 少しばかり車で移動して、ヘロデ王が建設した水道抗を見に行く。 10km以上も続く、ローマ時代の貴重な建築物だ。 昔から、カイザリアは水が少なかったらしい。 カイザリアは同じアパート内の人が薦めるだけあって、我々も非常に 満足した一日であった。


カイザリア、海岸

そう言えば、昨日の買い物で、Woody Shaw(tp)の"Solid"、"Moontrane"、 "Imagination"という元々 3枚のレコードを2枚のCDにまとめたものを入手。 弱視でエイズ、さらに地下鉄のホームから転落して電車に 腕を切断されてしまった 不遇なジャズマンは、ジャズ史上決して陽の目を浴びることはなかった。 しかし、私は彼の少しストイックな演奏をめちゃめちゃ格好良いと 思っている。 Woody Shawについて知りたい方は ここをどうぞ。


7月22日(木)

ユダヤ教では、ティシャ・ベアブとい断食日。 本当に断食するらしい。

少し古い話になるが、私は昨年の6月にイタリアで開かれた国際会議に参加 した。 たまたま帰りのピサからローマへ行く飛行機で、Rony Granekと一緒になった。 彼がローマからテルアビブ行きの飛行機の乗り換えるところで別れた。 その時の私が思ったことは、「これからイスラエルみたいな危ない国に 帰るとは気の毒だな。でも、そこしか帰るところがないんだから、仕方ない のだろう。可哀相」というようなことであった。 恐らく、これは多くの日本人のイスラエルに対する印象ではないかと思う。

日本で「イスラエルに行く」というと、ほとんどの人はまずい事を聞いてしまった というような表情で、一瞬言葉に詰まってしまう。 しばらくしてから「大丈夫ですか?でも三大宗教の聖地がありますね」などと 言ってくれる。 しかし、内心は「なんでわざわざ、そんな危ない国に行くのかしら?しかも、 子連れで。みすみす命を危険にさらすようなものじゃないの」といったところだろう。 PKOでゴラン高原に自衛隊員が派遣されたときの、日本人の受け止め方を思い 出せばよい。

実は私もイスラエルに来ることを、真剣に恐れた時期があった。 自分でアレンジしたことでありながら、それを後悔したこともあった。 このことについて少し考えてみたい。 (明日に続くはず。)


7月21日(水)

午後からSafranと打合せをしたのだが、始まる前に「渡しておきたいもの がある」と言うので、何かと思えば、なんとドミノピザ(宅配サービス のチェーン店)の20シェケル(600円)の割引券。 彼は敬虔なユダヤ教徒なので、コシェルという食事に関する戒律に従って おり、ピザは食べないと言うのだ。 彼の気遣いをほほえましく思うと同時に、「この人ピザ食ったことないんだ」 という軽いショックが。 自分は日本人でも、やっぱりピザは数え切れないほど食べているよな。

仕事の帰りに早速ドミノピザに行ってみた。 しばらく待っていざ自分が注文する番になると、「今7時になったので閉店だ」 と言って受け付けない。 「なんじゃい!それなら早く言え!」と思ったが、あまり心を乱したくなかった ので、あっさり退散した。 その代わりに、いつもの店でピタパンを買って帰る。 ここのピタパンは、ほかほかで非常においしい上に、1枚15円でめちゃめちゃ 安いので満足度が高い。(語彙が貧弱ですみません。)


7月20日(火)

いよいよ朝8時半から我が家で、ヘブライ語のレッスンが始まることに。 参加者は我が家も含めて、4家族6人。 どの家庭も小さな子供がいるので、朝の一番安定している時間帯に設定した。 先生が一番にやってきてしまったので、どうしようと思っていると、 ほどなくして、すぐに他の人達も集まってきた。 私は主体的に参加するかどうか迷っていたので、とりあえず今日のところは 様子見をするつもりであった。

幸い子供達は意外と静かで、私もレッスンに参加することができた。 「私は日本人です。私は学生ではありません」 などと何度もヘブライ語で言わされる。 ヘブライ語の筆記体は活字体と結構違うため、これまで避けてきたのだが、 これも覚えなくてはいけなくなった。 10時にはレッスン終了。

実は、このレッスンのアレンジは妻がほとんど全部一人で行ったのだが、 先生探しから始まって、先生や参加者の予定調整、さらに先生の予定変更 などもあって、ここまでこぎ着けるのは結構大変であったと思う。 しかし、こういう形で外国人の中で揉まれる経験は、ヘブライ語を習う のと同じくらい貴重な経験となろう。


7月19日(月)

明日から、同じアパートに住む外国人研究者の奥さん達のヘブライ語 レッスンが急拠始まることになり、仕事の帰りに先生の家に立ち寄り、 教材を受け取ることになった。 ご主人はかつてヴァイツマン研究所で働いていた研究者だが、6年前に 癌で亡くなったそうだ。 それでも彼女の3人の子供が、それぞれ医者と弁護士と研究者になって、 立派に自立していることが何よりも嬉しいようだ。

教材の説明かと思っていたら、何だかいきなりヘブライ語のレッスン みたいになってしまい、私と妻はしどろもどろ。 私は子供の面倒を見るふりをして、とりあえずゲニル。 まあ、これでようやくヘブライ語を強制的に勉強せざるを得ない状況に なってきた。 そろそろ腹をくくるしかない。


7月18日(日)

午前中にSafranがやってきて、彼の問題設定に関する考え方を話して くれた。 自分とは違う視点であったので、なるほどと思った。

午後からは、Andelmanと会うためにテルアビブに行く。 先週は仕事が停滞していただけに、今回の訪問は少々気が重い。 彼も来週から一ヵ月の休暇をとるため、その間の事について 打合せをする。 しかし、明日、彼の量子力学の講義の試験があるため、学生が質問の ためにひっきりなしに部屋に来たり、電話をかけてきたりするので 落ち着かない。 彼も、試験の直前になって聞きにくる学生の態度が気に入らないらしく、 「日本からお客が来ている」とか言って(うそではないよな)、しまいには 断っていた。 電話も無視。 「学生が質問に来るだけいいじゃないか。日本ではもっとやる気がないよ」 と言ったのだが、あまり理解してもらえなかった。 試験問題を見せてもらったら、結構難しそうなので驚いた。 私も素手では解けない。


7月17日(土)

昨日のエルサレム・ポストのトップ記事は、もちろん クリントンとバラクの首脳会談。 なんだか和平ムードで甘い雰囲気が漂っているが、 却ってそれが心配である。 1993年の暫定自治協定の半年後には、ユダヤ教 過激派によるヘブロン虐殺事件が起こり、60人以上 のイスラム教徒が殺された(犯人も死亡)。 この事件で和平交渉は中断された経緯がある。 我々の滞在中に、パレスチナの最終地位が明らかになる のだろか? パレスチナ国家が誕生したら、どこが国境になるのか? エルサレムは?

それにしても、バラクはあまり見栄えがしないな。 レバノン戦争では、女装して作戦を実行したという 武勇伝が有名だが、私にとっては逆にカマっぽい イメージが助長されてしまった。

それ以外で面白かった記事は、イスラエルは女性の政治 進出が遅れているという内容。 今度の新内閣には女性の閣僚が一人しか含まれておらず、 これまでとほとんど変わらない。 まあ、日本と同じ程度ということであろう。 しかし、イスラエルでは1969年から5年間、 Golda Meirという女性が首相であった。 これは、大きな違いだ。


7月16日(金)

今週の停滞感から脱却して気分を一新するため、 散髪をすることにした。 ついでに、普段なかなか買えないものを入手するため 家族三人で、暑い最中の午前中にに家を出る。 娘の日焼けを防ぐため、クリームをたっぷり塗って、 バカ殿状態にする。 汗だくになって、前回利用した散髪屋に着くと、 すぐに座らされた。 「ショートかミディアムか?」と聞かれ、ステーキ じゃあるまいしと思いつつ、「ミディアム」と答える。 ショートでは取り返しがつかなくなると聞いていたからだ。 首にトイレットペーパーを巻かれたのにはぎょっと したが(前回は気付かず)、バリカンを使用して、 所用時間10分で終了。 汗がひく間もない。 30シェケル(900円)也。

日本の理髪店は時間がかかる上に、料金が高いと思う。 丁寧なのは良いが、丁寧過ぎるのは困るし、しかも 余計なサービスが多い。 妻に言わせると、今日の散髪屋の腕は結構良いらしい。 散髪屋はイスラエルの方が気に入った。

その後、特別な店で豚肉を買い、寝間着代わりの 半ズボンも入手。 真上から燦々と太陽が照りつける中、ひたすら日陰 を選びながら家に戻った。


7月15日(木)

35歳になってしまった。 普段は誕生日を迎えても特別な感慨はないのだが、今回は 「人生の半分が過ぎた」ような気がして気分もローである。 初めて40歳も意識するようにもなった。 (単に四捨五入しているだけだが。) もう若いとは言えないと、つくづく思う。

話題を変えて、こちらでは、ケーブルテレビに加入しているので、 世界各国の番組を50局程度の見ることができる。 その中でも、私のお気に入りは、アラブの音楽番組である。 10名程度のバイオリンなどの弦楽奏者と、同じく10名程度の ボンゴなどの打楽器奏者から成る楽団には必ず指揮者がいて、 その前で「濃い」アラブ人が、これ見よがしに小節を利かせて 郎々とアラブの歌を歌う。 なんだか見たこともない楽器を使っている場合もある。 節をつけたコーランの朗読をイメージしてもらえればよいのだが、 とにかくみんなノリノリで楽しそう。 アラブ版「演歌の花道」といったところだが、面白いのはどの曲 も私の経験の範囲を越えていることだ。 自分はジャズを聴き馴れているので、典型的な曲であれば、 一度でおよその曲の構成やリズムはわかるのだが、アラブの曲は どうしても理解できない。 最近は、アラブ人歌手も覚えてきて、私が「アラブの瀬川瑛子」 と呼んでいる歌手が今日も出演していた。

今日はメイルが使えなかった。夕方に買物。


7月14日(水)

ここ二日間、午前中には空一面の雲があって、なんだか不思議な感じだ。 雨は降らないのだが、これまでの全く疑う余地のない快晴に馴れてしまった ので、雲があるだけで普段と違う気がするのだ。 さらに、最近蒸し暑くなってきた。

ここのところ、原稿や翻訳、論文などをかかえて、一日中パソコンと向き 合って文章ばかり書いているので、少し気が滅入ってきた。 特に論文が、遅々として進まないので、なんとなくいらいらする。 まだ経験の浅い頃は、論文を書けるということ自体が、むしろ嬉しかったの だが、最近はどうも論文を書くと疲れる。 もっと経験を積めば、楽に書けるようになるのかなあ? 一体、いつのことやら、、、

そんなこともあって、午後に久しぶりにSafranと打合せができたのは、 精神的にも良かった。 夏休みに入った11歳の娘さんが、二日おきに研究室に来て、雑誌の 整理や、かなり昔にSafranがもらったプレプリントを処分している。


7月13日(火)

昨日泣き事を書いたために、新潟在住の女性から、暖かい励ましのメイル をいただいた。 余りに有難い内容で、ここにそのまま載せたいほどであるが、ご本人の 善意を大切にするため、この程度にしておきたいと思う。 改めてお礼を申し上げます。

その他にも、先週触れた、 イスラエルを単身で旅行した女性ともメイルの やりとりがあり、今まででは考えられなかった人とのつながりに、 自分でも驚いている。 また、少しやる気が出てきたぞ。

などと書いていい気になっていたら、別の読者から、最近の日記の 内容に対するご批判のメイルを受け取る。読者に媚びない日記を書く ようにと、アドバイスをいただく。 たかが日記、されど日記で、色々と考えさせられる。

以前にもこの日記で登場した、ヘブライ大学の日本人女性研究者が、 ヴァイツマンにX線の実験をしに来られたので(ヘブライ大学にX線装置は ないのかしら)、夕食は我が家で一緒に食べる。 エルサレムの穴場や、死海方面の情報を教えてもらう。


7月12日(月)

この日記へのアクセス数がどんどん減ってきていることは前にも 書いたが、思い余った私は一週間前に、とうとう自らこの日記をYahooに 推薦してしまったことを告白します。 しかし、その後、何の返事もないし、もちろんYahooにも掲載されていません。

数少ない読者の中で、「一体、何のためにイスラエルに行っているのだ。 しかも、誰の金で?」などという突っ込みが、頭をかすめない方は、独立に推薦 していただけると、大変有難いです。

先週スペインのグラナダで開かれていた、Liquid Matter Coferenceという 国際会議から帰ってきたSafranと久しぶりに話をする。 700人以上も人がいて、お祭みたいだったそうだ。


7月11日(日)

asahi.comに東芝と喧嘩している人の記事が出ている上に、ご丁寧に アドレスまで書かれているので、私も見てしまった。 具体的な内容は極めて他愛ないのだが、1ヵ月に160万回ものアクセスがある ような、話題の提供の仕方に興味をもった。 その秘密は、やっぱり「毒」にあるような気がする。 この日記には毒がないので、最近停滞しているのだろうと、ちょうど思っていた ので、納得してしまう。 人に読んでもらうホームページを作るのは、結構難しいのだ。

今日もスイカ星人。 イスエラエルの果物は、スイカに限らず、おいしいものが多い。 ジャッファ・オレンジは有名だが、その他の柑橘類やメロンなども 水気を多く含んでいて、ジュース代わりに食べることができる。 昔ヨーロッパは、イスラエルから多くの果物を輸入していたが、 最近はEUの統合で、イスラエルが締め出されているそうだ。


7月10日(土)

二度目のエルサレム行き。 今回は、前回よりも近道を通り、1時間弱で無事にエルサレム入り。 今日の目的は、この国を代表する「イスラエル博物館」。 最初少し道に迷ったものの、ラッキーなことに、偶然目的地に着いてしまう。 ここは、エルサレムの西側に広がる新市街の一画で、近くにはクネセット (国会議事堂)や、首相官邸(バラクさん、いたかしら?)、ヘブライ大学など がある。 前回訪れた旧市街とは全く異なり、開放的な雰囲気である。

今日は安息日なので、館内のチケット売場や売店はすべて閉まっている。 面白いのは、チケットの売り方である。 ユダヤ教では、安息日に金銭の授受を行ってはいけないため、博物館 公認のダフ屋(?)がいて、彼らが週末前に博物館からチケットを買い、 週末は入口の前に車を停めて、車中でチケットを売る。 (どうもガイドブックに書いてあるよりも値段が高いのは、そのせいか?) そして、日曜日になると、博物館が余ったチケット買い取るらしい。

一番の見所は、入ってすぐ右にある、玉ネギ型の「死海写本館」。 紀元前2〜3世紀に筆写された、現存する最古の聖典が展示されている。 強烈な日差しの外から、洞窟のような館内に入ると、寒いくらい冷房が きいている。 当然読めないので、こういうもんか、程度で本館へ移動することに。 途中、彫刻庭園があり、日本のイサム・ノグチのデザインであることを 意外に思う。 ここからの眺めはすばらしい。


死海写本館

この日記はガイドブックではないので内容は省くが、絵画や考古学品が 大量に展示されており(当り前か)、とても2、3時間でじっくり見ること はできない。 ましてや、娘が大ハッスルなので、落ち着いて展示を見るのが難しい。 展示品を倒しでもしたら大変。 建物内の展示の構成が、大雑把に把握できた程度だ。 カフェテリアも閉まっていることは、予め知っていたので、持参したパンを 食べて一息つく。

感想としては、テルアビブのエレツ・イスラエル博物館とは比べものに ならないほど、内容は充実しているので、再び足を運ぶ価値はありそうだ。 今日はあまり欲張らないで、そのまま帰途につき、50分程度でレホボト に戻る。 エルサレムは病み付きになりそうだ。

私はこちらに来てから、すっかり日焼けしてしまった。 腕時計の跡が、くっきりと白くなっている。


7月9日(金)

午前中、レンタカーを借りにいく。 そろそろ、向こうにとっても我々がお得意様になってきたので、 だいぶ要領が良くなってきた。 電話をしたら、10分後に迎えに来てくれる。 今週は、まだ喋り足らないせいか、迎えのおばさんと車中でべらべらと 話をする。

夕方に、同じアパートに住むフランス系ユダヤ人のRiveline家で、 3歳と1歳の子供の誕生パーティーがあった。 Daniel Rivelineは、Institut Curieから来ているポスドクで、 ドクター時代はProstらと、分子モーターの共同研究していた。 彼自身は物理の実験家であるが、ヴァイツマンではDepartment of Molecular Cell Biologyに所属している。 お互いにFrank Juelicherなどの共通の知人がいることがわかり、 結構、話は盛り上がった。 小さい子供が10人以上集まったので、てんやわんやであったのは 言うまでもない。

夜は久々に、レホボト郊外のアラブ料理店へ行って、シシリクを食べる。 アラブ人地区や、アラブ人ははっきり言って「怖い」のだが、料理だけ ならば問題ない。

昨日の日記で書き忘れたが、"Oscar Peterson plays Duke Ellington song book"を入手。 こういう、再発は涙が出るほど嬉しい。 不吉かも知れないが、そのうち訪れるOscar Petersonの死を、 どうやって受け止めたらよいのか、今から不安である。 彼と握手をした時の手の温もりは、いつまでも忘れられない。


7月8日(木)

午前中の仕事を済ませた後、久しぶりにテルアビブ大学へ行く。 食堂でKozlovと会って、彼の18歳の息子の話をする。 高校を卒業した彼は、この秋から3年間の兵役につくのだが、 両親としては、何事もなく兵役が終ることを心から願っている。 私はなんとなく、じっと我慢をしていればそれで終る義務のような 気がしていたのだが、場合によっては命を落すこともあり得るわけだ。 自分の認識の甘さを恥じた。

その後は、Andelmanと打合せ。 例のドイツ語の博士論文の内容を、大まかに説明する。 その後、お茶を飲みながら、大毒舌大会になってしまう。 私も、今週はあまり人と話をしていなかったので、ついべらべらと しゃべって、ストレスの解消する。 Andelmanも夏休みに入って、リラックスしているせいか、あれこれと ブラックな話をしている。 残念ながら、内容は書けません。

帰りのバスで、二十歳そこそこの軍服姿の若い娘が、肩から銃を下げて 乗ってきた。 目つきも鋭く、なかなか格好良い。 椅子に座ると、ケータイでべちゃべちゃ喋っていて、日本の年頃の女の子 と変らない。 ケータイと銃のアンバランスさは、ルーズソックスの女子高生が銃を持って いる姿を想像してもらえば、おわかりいただけるでしょう。


7月7日(水)

午前中に銀行へ行き、TCを両替してもらう。 いつもドルからシェケルに替えているが、今日は以前よりも、 受け取るシェケルが僅かだが少ない。 ということは、シェケルの価値がドルに対して上がっている わけだが、本来、シェケルは年10%以上のインフレのはずなので、 非常に不思議に思う。 これってまさかバラク新政権が誕生して、和平ムードが漂い始めている からですか? 確かに、欧米にとって中東の平和は金になるのだが、、、

二日続けて、イスラエルの悪口を書いたので、今日はお気に入りな事を 一つ書きましょう。 それは、食堂の昼食で出てくるスイカがうまいということだ。 (しかも、非常に安い。) あまりのおいしさに、ここ2、3週間、毎日食べ続けている。 こんなに、スイカを食べていては、スイカ星人になってしまうのでは と思うほどである。 味は日本のスイカとさほど変らないが、ちょうどよい甘さと水々しさが たまらない。 唯一日本と違うのは、かぶりつかないで、ナイフとフォークで食べていること。 不思議と種はほとんど気にならない。

仕事の後に、家族と待ち合わせて、研究所内のClore Garden of Scienceという、 子供向けのサイエンスパークに行ってみる。 自然科学の原理が体験できるように工夫された様々な設備が、オブジェのように 芝生の公園内に散在しており、子供向けと言っても、大人も結構楽しめる。 エネルギー保存と波の原理を教える設備が気に入った。


Clore Garden of Science


7月6日(火)

この国に来て3ヶ月にもなると、最初はすべてのものが 新鮮であっても、だんだん良くない所や、気に入らない点 が見えてくる。 相変わらずネタがないので、今日も文句を言おう。

一体、この国はゴミのリサイクルをどう考えているのか! ゴミの収集で、「分別」という概念がない。 すべてのゴミをまとめて、大きな箱に入れるだけ。 日本と違っていつでもゴミが捨てられるので、最初はなんだか 便利だと思っていたが、よく考えてみると大変不衛生だ。 しかも、この国は大変暑いのだ。 レホボトからテルアビブに行く途中に、巨大なゴミの山が 見えるが(飯塚のボタ山を連想させる)、なんでこんなものが こんな所にあるのか? ゴミより重要な問題があると言えばそれまでだが、今のうちから 考えておかないと、少なくとも文明国としては、将来絶対に困るぞ。

Yahooを見ていたら、今年のゴールデンウィークにイスラエル を単身で旅行した女性の旅行記が見つかった。 文章が面白いので、感心していたが、その秘密はやはり毒舌に ありそう。 私も、昨日の日記で、最初は「ゲルマン野郎」と書いていたのだが、 ふと公務員であることを思い出して、「ドイツ人研究者」などと 書き直してしまった。 こんなことではいけない。

今日から、バラク新政権が誕生した。 7会派からなる連立政権だ。 ニュースはもっぱらその事を伝えている。


7月5日(月)

今週になってから、研究室のほとんどの人が出払って しまっていて、一日中誰とも話す機会がない。 そのため、たいして日記に書くネタもない。 ここのところ、この日記への一日当たりのアクセス数も 減ってきている。 (F氏はちゃんと読んでいるのだろうか?) 確かに自分で読んでいてもあまり面白くないので、 わざわざ読んでくれる人にとっては尚更であろう。

もっと面白くするためには、構わず毒舌をぶちまけるか、 何か事件が起こらないといけないだろう。 しかし、イスラエルで起こる事件は、シャレにならないから なあ。

つまらないついでに書いておく。 研究所内にはCharlies's Placeという食堂がある。 時たまお茶を飲みにいくが、なんでここはこんなにハエが 多いのか! 絶えずハエが体にまとわりついてきて、落ち着いて食事も できないではないか。 ハエ対策をなんとかしてくれ!!

と、ここまで書いて、そう言えば今日一つ嬉しいことが あったのを思い出した。 ある論文をコピーしていたら、たまたま近くのページの 別の論文で、私の処女作をサイトしている、フランス人の 仕事を見つけた。 私の修士の頃の、音波吸収の研究を拡張しているものだった。 一部で、我々の仕事を意図的に無視する、ひどいドイツ人研究者 を知っているだけに、こういうのはほっとする。 (少し毒舌入ってきたか。)


7月4日(日)

イスラエルに来て丁度3ヶ月になるが、ヘブライ語の方は さっぱりである。 日本にいる時は多少張り切ったものの、こちらではなかなか そこまで気が回らない。 学ぶ気がなければ、ヘブライ語の中で暮らしていても、 さっぱり身に付かない。 そろそろ、強制的に勉強せざるを得ない方法を考える必用が ある。

ヘブライ語はイスラエル以外では何の役に立つかわからないが、 大学時代に勉強したドイツ語が今役立っている。 Andelmanがドイツ語で書かれた博士論文を入手して渡してくれ たのだが、我々の仕事と近いので、なんとか解読しなければ いけない。 辞書なしではやはりきついが、物理の内容はおよそ理解できた ので、勉強した事はどこで役立つかわからない。


7月3日(土)

原稿のための図をTgifで用意しようとしたら、どうもソフトの バグではないかと思われる問題で、ものすごく時間をとられる。 同じ図を馬鹿みたいに何度も書き直したからだ。 しかし、図を書くソフトがこれしかないので仕方がない。

夕方、レホボトの南のショッピングセンターにタクシーで行く。 休日は25%高で、22シェケル(660円)だったが、日本で あれば1000円以上の距離であろう。 中華料理のファーストフードの店で、日本人が働いているという 情報があったので、テイクアウトを買うつもりで、お店に行って みた。

実際、東洋人がいたので、日本語で話かけてみると、やはりそうで あった。 大阪出身で、ばりばりの関西弁を話す。 奥さんがイスラエル人で、3年前からイスラエルのアシュドッド という街に住んでいるらしい。 休みがないのがつらいともらしていた。 (今日は安息日。) しかし、イスラエル人を相手に、ヘブライ語で商売をしているその たくましい姿を見ていると、少し考えさせられるものがあった。 私など、所詮お客様扱いに甘んじており、本気で異国の社会に 溶け込む努力など、何もしていない。

帰宅して、テイクアウトの中華料理を食べたら、味は良かったもの の、中に含まれていた青唐辛子のあまりの辛さに気を失いそうに なった。 体中から汗が吹き出る。 今までの人生で、最も辛い体験だったかも知れない。


7月2日(金)

昨日原稿を仕上げたつもりでいたが、念のために編集部に 原稿のスタイルを確認したら、小さいフォントを使うように 指定された。 それでコンパイルしたら、出来上がりが一気に1ページも 短くなり、慌てて色々と書き足すはめになった。 水増し原稿にならなければよいのだが、、、

今日は買い物がないので、落ち着いて過ごす。 夕方、レホボトの駅まで散歩する。 テルアビブとつながっているのだが、1時間に1本程度で あるし、もちろん週末は運行していないので、余り使えない。

先週に行ったエルサレムの余韻はまだ残っている。 「嘆きの壁」を24時間見ることのできるサイトは ここ


7月1日(木)

研究会が終って、再び普段の落ち着きを取り戻す。 雑誌の原稿を仕上げる。

この研究会を境にして、多くの人がイスラエルを離れる。 Ulrichも今日、家族でドイツへ帰った。 Granekも日曜日から3ヵ月ほどアメリカに行く。 Safranもスペインでの国際会議に参加。

作日は、研究の競争のことを書いたが、実はこれも他人事 ではないのだ。 先週、Andelmanがフランスでの研究会に行ってきて、ドイツの グループが似た研究をやっていることがわかったのである。 ギアを一段階切替えなくてはいけない。

今日は夕方にバスセンターへ行き、買物をした。 スーパーは夜の11時まで開店しているので便利だ。 配達を頼んだら、9時過ぎに運んできた。 これで、金曜日に慌てなくも済む。

今月から、イスラエルの国旗をクリックすると、 イスラエルの地図が見えます。


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